UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

またまたもう少し徴用工問題と申しますか、ちょっぴり歴史のお勉強・・・・

2019-12-31 00:26:33 | 日記
またまた徴用工問題か、もううんざりだとお思いの方もいらっしゃることと思いますが、もう少しだけおつきあいください。今日は歴史の勉強です。

韓国徴用工問題の元をただせば、歴史を少し遡って明治時代の末、すなわち1910年、日本が韓国を併合してしまったことがそもそもの原因であると言ってよいでありませう。韓国を併合したことによりわが日本が勝手に韓国の民を日本の「臣民」とてしまったために、韓国の労働者を日本のために徴用することが可能になったからです。

韓国併合とはどのような意図の下に行われたのでせうか。明治天皇は韓国併合に際して「韓国併合の詔書」なるものを発しています。

「詔書」というのは天皇が発する命令を伝える公文書のことです。明治から昭和にかけて天皇はことあるたびに「詔書」を発しています。なかには「臣民」や軍人に対するお説教のような詔書もありました。戦後は国会の召集や衆院の解散など国事行為に定められて事柄に限って天皇は詔書を発しています。

以下は韓国併合に際して明治天皇が明示43年に発した詔書の原文です。難しい漢字がめったやたらに出てきますので難解なように思われますが、すこし我慢して読んでいただきますとダイタイはお分かりになるのではないかと思います。

「韓国併合ノ詔書」

朕東洋ノ平和ヲ永遠ニ維持シ帝國ノ安全ヲ將來ニ保障スルノ必要ナルヲ念ヒ又常ニ韓國カ 禍亂ノ淵源タルニ顧ミ曩ニ朕ノ政府ヲシテ韓國政府ト協定セシメ韓國ヲ帝國ノ保護ノ下ニ置キ禍源ヲ杜絕シ平和ヲ確保セムコトヲ期セリ

爾來時ヲ經ルコト四年有餘其ノ間朕ノ政府ハ銳意韓國施政ノ改善ニ努メ其ノ成績亦見ルヘキモノアリト雖韓國ノ現制ハ尚未タ治安ノ保持ヲ完スルニ足ラス疑懼ノ念每ニ國內ニ充溢シ民其ノ堵ニ安セス公共ノ安寧ヲ維持シ民衆ノ福利ヲ增進セムカ爲ニハ革新ヲ現制ニ加フルノ避ク可ラサルコト瞭然タルニ至レリ

朕ハ韓國皇帝陛下ト與ニ此ノ事態ニ鑑ミ韓國ヲ擧テ日本帝國ニ倂合シ以テ時勢ノ要求ニ應スルノ已ムヲ得サルモノアルヲ念ヒ茲ニ永久ニ韓國ヲ帝國ニ倂合スルコトトナセリ

韓國皇帝陛下及其ノ皇室各員ハ倂合ノ後ト雖相當ノ優遇ヲ受クヘク民衆ハ直接朕カ綏撫ノ下ニ立チテ其ノ康福ヲ增進スヘク產業及貿易ハ治平ノ下ニ顯著ナル發達ヲ見ル至ルヘシ而シテ東洋ノ平和ハ之ニ依リテ愈々其ノ基礎ヲ鞏固ニスヘキハ朕ノ信シテ疑ハサル所ナリ

朕ハ特ニ朝鮮總督ヲ置キ之ヲシテ朕ノ命ヲ承ケテ陸海軍ヲ統率シ諸般ノ政務ヲ總轄セシム百官有司克ク朕ノ意ヲ體シテ事ニ從ヒ施設ノ緩急其ノ宜キヲ得以テ衆庶ヲシテ永ク治平ノ慶ニ賴ラシムルコトヲ期セヨ

御名御璽 明治四十三年八月二十九日

この詔書、「朕ハ永久ニ韓國ヲ帝國ニ倂合スルコトトナセリ」と韓国を永久に日本の支配下に置くとを宣言しているのですからスゴイですね ・・・

これは難し過ぎる、こんなモノ、この年末忙しいのに読んでられっか!とお思いの方は以下に示します昭和10年(1935年)に文部省が発行した「尋常小学国史 下巻」の「七、韓国併合」をお読みになってください。これは上記の天皇の詔書を小学生向けに分りやすくリライトしたものであるといってもよいでありませう。当時、天皇や日本が何を考えていたかが、真意はともかく、表向きの意図がわかるのではないかと思います。

「尋常小学国史:七、韓国併合」 (発行:文部省、昭和十年)

ポーツマス条約によって露国は、わが国が韓国で特別な権利をもってゐることをみとめたので、わが政府は、韓国と協約を結んで、その外交を取扱ふこととした。さうして、韓国をわが保護国として、京城に総監府を置き、伊藤博文を統監として、その内政を改めさせた。これは韓国が独立してゆくだけの実力がない為とかく他国の圧迫を受け、東洋の平和を破るおそれがあったからである。

韓国は、わが保護を受けるやうになってから、数年の間に、政治もおひおひに改まったが、何としても、長い間つづいた弊害は、なかなかたやすく取り去ることが出来ず、人民は、なお不安な生活を送ってゐる有様であった。それ故、この上国利民福を進めようとするには、どうしても韓国を日本に併合せねばならぬことが、しだいに明らかになり、韓民の中にも、これを望むものが少なくなかった。そこで、韓国皇帝は、統治の権を天皇にお譲り申しあげ、帝国の新しい政治によって、国民をますます幸福にさせたいとお望みになり、天皇もまた、その必要をお認めになって、四十三年八月に、とうとう韓国を併合させられた。その時、前の韓国皇帝を王とせられ、皇族の礼を以って王家をおもてなしになることとなった。さうして韓国を改めて朝鮮ととなへ、新たに総督を置いて、もろもろの政務を統べさせられた。かようにして、半島の人民は、皆帝国の臣民となり、東洋平和の基は、いよいよ固くなった。

これより前、伊藤博文は総監をやめて、満州に旅行した折、ハルピンで不意に兇徒に暗殺された。博文は、明治維新の前後から、一心に国家の為に尽くし、憲法の制定や韓国の統治には、特に大功を立てたのであったが、今にはかに薨去したのは、まことに悲しいことである。

(旧漢字は当用漢字にあらためました)

当時に純良なる児童たちは、おそらく何も疑うことなく、ここに書かれていることを全面的に信じたのでありませう・・・・

韓国併合により東洋平和の基はいよいよ固くなったりはしなかったことは歴史が証明しているとGGIは思うのですが、みなさん、この教科書をお読みになっていかがお感じでせうか?

日本による韓国併合、当世流に申し上げればわが日本国の安全保障に見地から行われたというのがGGIの見解です。韓半島をほっておいたら我が日本の安全が脅かされる、だから相手の都合がどうであれ併合してしまえ、でも表向きは韓国の人民の幸福と東洋平和を願ってということにしておこう、ということでありませう。

古今東西、「安全保障」なるものは自国の行為を正当化するためのまことに便利な道具なのです

お正月にゆっくりお読みになり、わが「国史」を振り返って見るのも、お金もかかりませんし、よろしいのではないでせうか・・・えっ、何ですか、カネならあるとおっしゃるのですか?それなら勝手になさってくださいませ!

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は文部省発行の「尋常小学国史 下巻」の表紙を撮ったものです。よりければクリックしてご覧くださいませ

みなさま、よき新年を!

グッドナイト・グッドラック!
コメント (2)
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