昨日の日記に、湖国で起きた冤罪が強く疑われる「日野町事件」について、弁護団の弁護士さんに来ていただいて湖都の市内で講演会を行ったと記しました。
この講演の冒頭、弁護士さんが意外なことを述べました。
「日野町事件では捜査陣に焦りがあったことが冤罪を引き起こす遠因になっていたものと思われます。と申しますのは、当時、あのグリコ・森永事件で滋賀県警が犯人を取り逃がすという失態を演じ、そのため県警本部長が自殺するという出来事があったのです。このため失態の汚名を拭おうと県警は焦っていたのです」
弁護士さんの話をもうすこし詳しく申しますと、日野町事件が起きたのは1984年12月28日の夜間、滋賀県警が県内でグリコ・森永事件の犯人の一人を取り逃がしたのが、日野町事件が起きるおよそひと月前の1984年11月14日でした。そして、責任を感じて滋賀県警本部長が自殺したのが1985年の8月7日。
滋賀県警は当時、この他に別の未解決の殺人事件も抱えており、グリコ・森永事件の犯人を取り逃がしたという汚名を晴らそうと、日野町事件の捜査で功を焦っていたことが、冤罪を生み出す遠因になったのではないかというのが弁護士さんの説明でありました(県警が日野町事件で犯人とされる人物を逮捕するに至ったのは1988年9月)。
グリコ・持永事件が日野町事件と関係があったとは、まことに意外でありました。
あの「キツネ目の男」で世間を騒がせたグリコ・森永事件はすでに2000年に時効、そのためこの事件は、警視庁広域指定重要事件で始めての未解決事件となっています。
自殺した滋賀県警の本部長はキャリア組のエリートではなく、数少ないたたき上げの本部長であったとされていますが、この滋賀県警の失態についてはいろいろなことが言われています。
その一つは、県警が犯人を取り逃がしたことの原因です。滋賀県内の名神高速付近での現金引渡しを犯人から指示されたため、大阪府警は県内の名神高速などの監視を行っていたものの、滋賀県警には捜査情報が十分に伝えらえていなかったことがこの失態の原因であるとの指摘があります
犯人を取り逃がした県警の警官は、グリコ・森永事件の捜査が自分が警邏を行う名神栗東インターチェンジ付近の地域で行われていることを当日まったく知らされておらず、そのため単に付近で停まっていた車に乗っていた人物に一般的な職務質問を行おうとしたところ、逃げられてしまったとされています。
グリコ森永事件については、GGIは「グリコ森永事件の真実」という本(一橋文哉、新潮社)(この本だったと思うのですが定かではありませぬ・・・)に、以下のような、なかなか興味あることが書いてあったのを記憶しています。
この名神栗東インターチェンジ付近で何も知らされていない警官に職務尋問されそうになった犯人は、パトカーに追跡された末、乗っていた盗難車のライトバンを捨てて逃げ去ったのですが、後にこの車を警察が捜査したところ、電気製品の破片のようはものが見つかり、さらにこの破片について調べたところ、JR東海道線石山駅と京阪石坂線石山駅に隣接して当時存在していたNECの工場からの廃棄物であることが判明、犯人はこのNECの工場に出入りしていた産廃業者と関係があったのではないか・・・
犯人からの脅迫電話の録音テープには犯人の声だけではなく電車の音が録音されている、これは近江鉄道の電車の音である・・・
といったようなことがこの本に書いてありました。
上記の「近江鉄道の電車の音」というのはおそらく湖国の地理に詳しくない著者の調査不足か誤解、地理的に考えるならば、近江鉄道に結び付けるのは無理があり、この電車の音は湖都市内を走っている京阪電鉄石坂線の音であろうと考えたほうが自然であるというのがGGIの考えです。
いずれにしましても、グリコ森永事件の犯人、GGIの生息範囲を含む湖都近辺をウロウロしていたことになるのではないでせうか・・・
滋賀県警が県内で犯人を取り逃がした経緯については、もっと詳しく知りたい方はたとえば以下のサイトなどをご覧ください
今日も話が脱線してしまいました
今日の写真は地蔵盆で福引の景品としてもらった森永キャラメルを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になり懐かしい味をご想像くださいませ
なもあみだぶ、なもあみだぶ、なもあみだぶ
グッドナイト・グッドラック!