GGIはシティボーイでありますが文学少年でも文学青年でも文学中年でも文学老年でもありませぬ
ですから文学にそれほどの興味も知識もあるわけではないのですが、とりわけ日本文学なるものは、とりわけ明治以後からあの敗戦までのあいだの日本文学にはほとんど興味がわきませぬ、なぜなら日本文学と称されるものの大半が結局は「私小説」ではないかという大偏見をGGIは抱いているからです
まあ、GGIの勝手なる解釈では、私小説というのは、その書き手の大半がナルシストであります、すなわち現代風に申せばジコチュウの典型であります、要するに自分が可愛くて可愛くてたまらないであります、ですからGGIは読んでいても、「ああそうか、そうか、君はそんなに自分が好きなんだなあ、それなら勝手にしたら、オレには関係ないよね」と退屈してしまうだけであります、ですから朝日さんも、あの漱石さんの新聞小説をまた掲載したりして,、イイカゲンにしたらなどと思ってしまう今日この頃であります
などと悪口を言っておりましても、時には無理やり日本文学の名作(とされているもの}を読まざるを得ないハメに陥ることがあります
GGI、紅顔ならぬ血色良からぬ高校生であったとき、授業で森鷗外の「舞姫」なるものを読まされました、あの鷗外さんの代表作とされる小説の一つであります、内容は皆さんもご存知でありませうが、鷗外さんが留学時代に仲好くなったすえにややこしくなってしまったドイツの女性との経験を下敷きにしたものであります、この小説の文体は、文学なんかに何の興味もなき戦後育ちの田舎のガキ高校生にとっては若干難しいものであることもあって、なんでこんなヘンなものを授業で読ますんだと、退屈どころか、GGIには苦痛でありました、でも先生の方は、生徒の興味なんかどうでもよいようであり、実に熱意を込めて授業を進めておりました
ここで少し脱線いたしますが、大学時代にもこのような文学好きの先生の被害者になってしまった経験があります、その先生、理系の学生に向かって、あの難解小説の名手、ジェームス・ジョイスの作品「ダブリン市民」を読むことを強要したのであります
かようなしだいでありますから、GGIは舞姫との遭遇にはいい思い出はなにもないのでありますが、先日、何と半世紀ぶりに、正確には半世紀を超えておりますが、舞姫に再会してしまったのであります!
GGIが生きているうちに再会することがあるとは夢に思っていなかったのですが、再会したのであります
かの我が湖国が誇る「オペラホール」の舞台で再会してしまったのです、すなわち永井愛の作・演出による「鷗外の怪談」と題された演劇を見に行きましたときに舞姫と再会してしまったのであります
この劇、GGI流に勝手にごく荒っぽく申しますと、鷗外先生の私生活という生地を舞台にしたものであり、その縦糸は鷗外と世紀の大冤罪事件「大逆事件」の関係、横糸は出世のために鷗外がポイ捨てしたドイツ女性エリスへの想い、すなわち舞姫をポイ捨てにして帰国した鷗外の長きにわたる忸怩たる重い思いであります
従いまして、舞台ではしょっちゅう舞姫の話が出てくるのであります
この劇、何かと鴎外に口を出す悪妻、いつまでも森家の名誉のために頑張るシッカリ者すぎる母親、ヨメ・シュウトの争い、子育て、軍人・役人生活、文筆生活に翻弄されるなかでの「大逆事件」とのかかわりなどが、当時「三田文学」の編集をしていた永井荷風、「スバル」の編集者で大逆事件の弁護士としても論陣を張って活躍した平出修、怪しい女中などの登場人物とのドタバタ劇の形で劇は進行していきます
怪談でありますから、どこまでが史実なのかは分かりかねますが、とりわけ鷗外と大逆事件との関係が実際にはどのようなものであったかは定かではないのですが、見方によっては、この劇は森鷗外という人物を借りて日本の現代史における欠かすことのできない重要な一断面を鮮やかに切り取ったとも言える力作であろう、というのがGGIの感想であります
したがいまして、舞姫との再会はGGIにとりましては思いのほか実り多いものでありました
今夜の写真は「鷗外の怪談」の舞台です、開演される前に撮ったものです、この写真を撮ったあとに「写真撮影はしないでください、舞台の写真は開演前でも開演中でも撮らないでください、録音、録画もしないでください」というアナウンスがありましたが、後の祭りでありました、かようなしだいですのでクリックしてご覧になるのはご自由ですが、できますれば御遠慮くださいませ!
グッドナイト・グッドラック!