UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

GGIは国政に関与していないけれど、この人物はほんとうはどうだったの?

2014-11-10 01:42:43 | 日記

今夜の日記は昨日の日記に書いた最後の文士であった堀田善衛氏が「この男」と表現していた人物の後日談でございます

GGIはわが日本国憲法のことはたいして勉強しておりませぬ、人並みあるいは人並み以下の知識しか持ち合わせておりませぬ、が、しかし、旧憲法と比べた場合の現憲法の最大の特徴は、今や大窮状に陥っている第9条ではなく、第1条、すなわち「象徴天皇制」であると思っております、と申しますのは、憲法第9条は第1条があっての上の話であるからです、第1条ならびに第1条の内容を具体的に規定した第4条(「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、 国政に関する権能を有しない」)がなければ第9条は意味を成さないからです。

 しかし、天皇は国政に関与にしないことにはなっているものの、戦後も歴代の総理大臣は、不定期ではありますが、天皇に対して国政に関する報告を行っているとされています(天皇への国政に関する報告は、戦前は「内奏」と称され、内閣は国民ではなく天皇に責任を負っていたため、内奏を行うことは義務とされていましたが、今はそうではないはずでありませう、でも今でも「内奏」という言葉は生きているようです)

 この「内奏」に関して、 米国人のディビッド・バーガミニという人物が著した歴史書「天皇の陰謀」(原題:Japan's Imperial Conspiracy: How Emperor Hirohito Led Japan Into War Against the West 、1971)のなかで、最後に近い部分で、著者は「内奏に際して天皇が何か自らの意見などを述べたならば、(戦後の)今でも国政に何らかの影響を及ぼす可能性があろう」という意味のことを記しています。GGIはむかし、この一文に接したとき、「果たしてほんとうかなあ、もう国政に直接口をはさむなんていうことはないんじゃないか」と若干の疑問を抱いた記憶があります。

しかしながら、最近朝日新聞にときおり掲載されている《「昭和天皇実録」を読み解く》と題された記事を、10月22日に掲載されていた記事を目にして、このディビッド・バーガ-ミニ氏の記述が当たっていたことが明らかになりました、やっぱりそうだったのか、堀田善衛氏が言うところの「この男」氏は戦後も、結構どころか大いに、国政に口出ししていたんだと知って驚いてしまいました

今夜の写真はこの記事の一部を撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ。以下にこの記事の内容をごく荒っぽく申し上げます

 この記事によれば、「この男」氏はサンフランシスコ講和条約が結ばれる(1951)以前に、まずマッカーサー元帥との会見(1947年5月)で自分の主張を明確に伝え、ついで人を介して、当時トルーマン大統領の下で国務省長官顧問を務め後に国務長官になった、日米安保条約の生みの親であるダレスに伝言を行っていたとされています

「この男」氏はいったい何をマッカーサーに対して主張し、ダレスに頼んでいたのでありませうか?

一言で申し上げれば、この記事によれば、この男氏が《そこで(伝言で)強調したのは「日本側からの(米軍)基地の自発的な提供」でした。伝言を仲介した人物たちがダレスに伝えるために文書化してたものによれば「彼は国際共産主義による天皇制打倒を何よりも恐れていた。講和条約で独立した後、非武装の憲法9条ではなく米軍による防衛を望んだ。伝言の三年前に開かれたマッカーサーとの第4回の会談で、すでにこの主張をしていた」のです

これが国政への関与でなく何でありませうか、この記事を目にして、GGIはあいた口がふさがりませんでした。

この記事で解説役を務めた豊下樽彦・元関西学院教授(外交史)は「実録を読んでの最大の収穫は、トルーマン大統領の特使として対日講和を担ったダレスに対して天皇が自ら伝言を送っていた、という政治的行為を事実上認めたことだ」と指摘しています

すなわち、身に寸鉄を帯びていない民たちがノンキに「りんごの唄」などを口ずさんでいるときに、「この男」氏は己の身の安全を懸命に画策していたのであります

もうひとつ、この記事を読んでいて意外な発見がありました。それは、マッカーサーは天皇との会見後も「日本は東洋のスイスたれ」と9条の堅持を唱え続け、吉田茂もマックに付き従い、安全保障に関して曖昧な態度をとっていたということです(このような二人の態度はダレスを激怒させたそうです)。

GGI、「東洋のスイス」なんていうなつかしい言葉を久方ぶりに、まことに久しぶりに目にしました、そうなのであります!GGIが純真な小学生であったころ「日本は今後、永世中立国スイスを見習うべきだ、「日本は東洋のスイスになるんだ」という言説をよく耳にしたものでありました!そうです、敗戦直後の日本には、このような立派な志の正しい理想があったのです・・・

惜しかったなあ、ほんとうに、もう少し9条堅持のマッカーサーさんがガンバってくれて、吉田茂もマックの言うことに付き従っていたならばも、日本は米国の忠実なる僕ではなく「東洋のスイス」になれたかもしれなかったのに、「東洋のスイス」になってこそ「東洋平和」のために真にお役にたつことができたはずなのに・・・惜しかったなあ・・・

グッドナイト・グッドラック!