■ 試験体(せんべい)の支持方法は見ての通り。2枚重ねの1円で4箇所を支持した。箸先の反対側を何というのだろう、箸元? で試験体(せんべい)の中心部を加力した。袋にせんべいが2枚入っているので試験はそれぞれ2回。
この様子から分かることがいくつかあるのかもしれない・・・。加力点あたりで割れている。他には? 支持点部は割れない傾向があると思われるが、割れた時に試験体がずれて分かりにくくなっているので、次回は試験体に印をつけよう。
■ 試験体(せんべい)の支持方法は見ての通り。2枚重ねの1円で4箇所を支持した。箸先の反対側を何というのだろう、箸元? で試験体(せんべい)の中心部を加力した。袋にせんべいが2枚入っているので試験はそれぞれ2回。
この様子から分かることがいくつかあるのかもしれない・・・。加力点あたりで割れている。他には? 支持点部は割れない傾向があると思われるが、割れた時に試験体がずれて分かりにくくなっているので、次回は試験体に印をつけよう。
■ お年玉付き年賀はがきの当選番号が17日の朝刊に載っていた。今年も当たったのは3等、切手シートが3枚だった。右は平成31年の切手シート、今年の切手シートと比較するために一緒に写した。シール式で不整形な今年の切手、やはり右のようなミシン目の四角い切手がいいなぁ。
■ 松本市内にある古書店・想雲堂に出かけた。その時、車道と歩道のひび割れのパターンが全く違うことに気がついた。歩道の舗装面はうろこ状に割れている。別の場所でも同様のパターンだった(それぞれ右側の写真)。
車道はアスファルト舗装で表層厚は通常50mm、歩道の舗装材は分からないが(瓦廃材を骨材とした舗装材があるが特定はできない。松本市役所の担当課に問い合わせてみるか・・・)、とにかく割れ方が違う。これはおもしろい。
割れ方の違いは舗装材の材質(力学的特性)の違いに因るのではないか、とまず浮かぶ。この歩道舗装材はアスファルトより硬い材料ではないかと思う。同じ舗装材でも厚さの違いによっても割れ方が違うかもしれない。
帰宅して実験。残念ながら実験材料は硬いせんべいしかなかった。円いせんべいの中心部をマーカー(直径が約2cm)で押して割ってみた。ビスケットならどうか、もっと軟らかいサブレならどうか。2枚重ねて割ったらどうなるか。
加力条件の違い、例えば加力面の大きさの違いによっても割れ方が違うだろう。箸の先で割ってみたらどうか・・・。
凡その傾向が分かればよい。そのための確認だから、実験に厳密性は求めない。
追記(01.18) 写真を見ていて気がついた。試験体(せんべい)の支持方法を考えなければいけない、ということに。
支持条件が違えば当然割れ方も違う。次回は4カ所の点支持、これに近い状態にしてやってみよう。
360
■ 『清張鉄道 1万3500キロ』赤塚降二(文春文庫2022年)を読み始めた。清張ファンにしてJR全線を乗りつぶしたという乗り鉄の赤塚降二さんの大変な労作。私も清張ファンで多くの作品を読んでいるし、鉄道が好きで鉄道に関する本を読んでいるから、この本を書店で目にして即買いした。
清張作品では登場人物が鉄路旅をすることが実に多い。赤塚さんは多くの清張作品を丹念に読み解いて、登場人物がどの路線をどこからどこまで乗ったのかを調べてまとめている。その成果を読み物としてまとめたもの。ある路線を一番最初に利用したのは登場人物の誰か、その区間距離はどのくらいか。その区間距離の合計が書名の1万3500キロになるという(2番目以降の利用者の距離はカウントされていない)。
**古月は、御茶ノ水から千葉まで総武線で来て、外房線に乗り換えて大網へ着く。まず、御茶ノ水―両国2.8キロが初乗りになる。その先、両国から内房線と別れる蘇我までは『断碑』の木村卓治が乗っており、蘇我―大網19.1キロが一番乗りになる。東金線に入り、東金まで5.8キロもまた初乗りである。**(64頁) 本文はこんな感じ。
巻末に資料編として作品中の旧国鉄・JR、私鉄の初乗り区間一覧と登場人物が乗った路線詳細図を収録している。登場人物が利用した路線を順番に整理することで清張作品の舞台がどのように全国に広がっていったのかよく分かる。引用文の蘇我ってどの辺り?、大網は? 資料編の路線図で確認できる。
しばらく、今まで読んだ清張作品を思い出しながら本書を楽しみたい。
拙ブログでは引用箇所を**で示しています。
420
『日常の絶景 知ってる街の、知らない見方』八馬 智(学芸出版社2021年)
■ 目の前に広がる風景の何のどのような状態(様子)に注目するか。注目するものが違うと浮かび上がる風景も違う。本書はこのことを示す解説付きのカラー写真集。外壁に設置された空調屋外機や自販機の脇に設置されたリサイクルボックス、露出している設備配管やダクトなども見方によっては「絶景」になると著者は説く。絶景かどうかはともかく屋外機が外壁に何台も取りついている様はなかなか「おもしろい」。
私も上記のようなことに気がついていて、風景や建築を構成する要素が直線的にあるいは平面的に繰り返される様に注目してそこに美を感じ、「繰り返しの美学」と称してこのブログで紹介してきた(下の写真はその一例)。
この本の表紙(カバー)の写真からも、繰り返しの美学的風景が見える。2枚の内の下の写真、港の風景の消波ブロックが直線的に並ぶ様子やその後方の水産関係の建物のトップライトや屋根スラブを支える梁や柱の繰り返しに美を感じる。上の写真のクレーンが立ち並ぶ様もゆるやかに秩序づけられた繰り返しの美学的風景だ。
原 広司設計の京都駅ビルの繰り返しの美学な南壁面 単純な繰り返しにはしないという原美学 撮影日2013.11.16
マーチエキュート神田万世橋 繰り返しの美学な風景 撮影日2013.12.14
木曽平沢の町屋 撮影日2015.03.07
『日常の絶景 知ってる街の、知らない見方』 同じような見方をする人がいるんだなぁ。
360
■ 『剛心』は明治の建築家・妻木頼黄を主人公に据えた小説。妻木頼黄は東京駅や日本銀行を設計した辰野金吾と迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)を設計した片山東熊とともに明治の三大建築家と言われている。
全5章から成るこの小説の第2章では「広島臨時仮議事堂」が完成するまでが描かれている。時は日清戦争が始まったばかりの頃。臨時帝国議会が広島で召集されることに。それにあわせて仮議事堂を建設することになる。設計・施工期間はたったの半月(半年ではない)。しかしこれは実話。この信じられないような短期間のプロジェクトで妻木が人材登用、組織運営に関して優れた能力を発揮して奮闘する姿は実に感動的だ。間に合うのかハラハラしながら読み進む。妻木は職人たちを尊敬し、職人たちは妻木のために最善を尽くして仕事に取り組む。エピソードとして職人どうしの喧嘩を仲裁する妻木が描かれている。例によって私は涙ぐむ。工期内に議事堂が竣工する(*1)。
その後、物語は近代国家・日本のシンボルである議院(国会議事堂)を誰が設計するのか、設計者選定の方法などが描かれていく。議院の設計をめぐる辰野金吾と妻木頼黄との駆け引きがメインに描かれる。このことに関して村松貞次郎氏は『日本近代建築の歴史』(岩波現代文庫2005年)の中でふたりについて**議院建築の問題などではあたかも犬猿の仲の感があった。**(130頁)と書いている。
**「日本銀行、中央停車場、そこに議院が加われば、無敵じゃないか。辰野さんはそこまで上り詰めたい人だよ」**(349頁)
だが・・・、計画段階で妻木は病に倒れ、息を引き取る(過労死ではなかったかと小説を読んでいて感じた)。そして辰野もスペイン風邪で急逝。結局ふたりは議院の直接的な設計者にはなれなかった・・・。
**「(前略)僕が設計するからには、新たな技術を取り入れながらも、この国の、自分たちの根源を忘れずに引き継いでいくような建物にしたいと思っている。そういう建物がいくつも建つことで、江戸のような、心地いい街並みがきっとできる。子供たちの、またその子供たちの世代まで、誇りになるような街がね」**(232頁)妻木のこのことばに共感する。これはただ単に江戸へのノスタルジーから発せられたことばではないだろう。
**「わしらの銀行は、借り物の拵えではない。この土地に根付き、歴史を背負うている。そうして、この日本っちゅう国を盛り立てる労働力をしかと支える――そういう絶対的な安心感を、建物を通して表したいっちゅうことじゃな」**(257頁 妻木が行った日本勧業銀行の設計説明に勧銀総裁がこのように語る)
小説には上掲したことばの他にも印象に残るものがでてくる。建築に興味がある人にはおすすめの1冊。建築に興味が無い方にも。
*1 広島臨時仮議事堂を画像検索するとヒットする。
■ 思うところあって自室の書棚にあるスケッチ集を取り出して観ている。
描画対象に対する知識、美的感性、描法や技量、これらのフィルターを通過した結果として絵は生まれる。各フィルターは人それぞれ異なる。それが絵に個性として表れる。このことにこそ意義があり、描く者の楽しみもある。
「上手いけど個性がない」という評価は描写力はあるけれど、描く者の知識や美的感性が絵に反映されていないことを意味する。
『東京・横浜 建築画百景』中尾良一(日貿出版社1993年)
**今のうちに消え行く洋風建築を記録しておこうと、東京と横浜を中心に100点を目標として絵にすることを思い立ちました。(中略)以来、2年間で100点の作品を描くことができました。ところが、描きあげた後で、なんということか七つの建物が失くなってしまいました。(後略)**(はじめに の一部)
『東京おもかげ画帖』酒井不二雄(筑摩書房1979年)
**幼年時代から好んで絵を描き、二十歳よりスケッチ生活に入る。一時は漫画を中心に描いたが、ここ二十数年間は東京のスケッチに専念。材料には市販されている普通のボールペンを用い、クリスタルコート紙に描いている。自宅では一切描かない現場至上主義を通している。**(著者略歴の一部)
**古い家並みは人の一生にも似て、スケッチ後にその姿を消してしまった数は極めて多い。名もない家々は、一度壊れたら二度とその面影を見る事は出来ない。(中略)数少なくなった東京の裏の顔、即ち古い家並みの名残りの情緒を尋ね描き続けるであろう。(後略)**(あとがき の一部)
『心のふるさと 駅のスケッチ』森 惣介(彰国社1984年)
**幼時から絵を好み、小学校時代に先生の勧めにより10歳から油絵をはじめる。(中略)最近10年来、老いた駅、消え行く駅を各地にさがして描きつづける。(後略)**(著者略歴の一部を転載した)
あとがきなどを読むと、消えゆく建物、消えゆく風景を描き残そうという念いが共通していることが分かる。
消えゆく建物か・・・、描こうかな。
「駅のスケッチ」の森 惣介氏は国鉄在職中に旅客駅などの設計・監理をされた方。そのためであろう、出版社は彰国社。駅前の人や車などは建築パース的な描き方で、私には親しみやすい。
『剛心』木内 昇(集英社2021年)
■ 『剛心』。辰野金吾、片山東熊と共に明治の三大建築家と言われる妻木頼黄(よりなか)が主人公の物語と知り、買い求めた。タイトルの剛心は建築用語だが、書名としては主人公の妻木頼黄という人物を評したことばだろう。
帯の本書紹介文を載せる。
**天涯孤独の身で17歳にして単身渡米。
帰国後、その力量を買われ、井上 馨の官庁集中計画に参加。
御一新前の美しい町並みを愛し続けた妻木は欧米化一辺倒の都市計画に反発、
西欧の新しい技術に学んだ“江戸の再興”を心に誓う。
いくつもの難局を乗り越え、
国の未来を議論する場としての国会議事堂の建設へと心血を注ぎこんでいく――**
写真の本書カバーの装画は日本橋の目一杯羽を広げた麒麟がいる装飾柱、デザインしたのは物語の主人公・妻木頼黄。
これは読まずにはいられない。
読み終えたらまた書こう。
ホンダ アヤノさんの会場にて(撮影・掲載の許可を得ています)
■ 「2022あづみの写真 交流展 十人十色」が今日から2月27日までの会期で始まった。会場は安曇野市穂高有明のギャラリーレクラン。独立した5つの展示室に15人の写真家たちが会期を3つに分けて5人ずつ作品を展示する。
初日の昨日(8日)早速出かけて、5人の作品を鑑賞した。
ホンダ アヤノさんは彼女が写真を始めたころからの知り合い。展示されている作品はいずれも傘が空中に浮かぶ詩的な風景写真。
「なるほどねぇ、今回はこう来たか」
傘が意志を持って空中に浮かび、移動しているかのよう。
撮影が可能かどうか分からないが、例えば大勢の人が行き交う街中で撮ったらどうだろう。朝市で撮ったらどうだろう。漁港で撮ったらどうだろう。花見の宴で撮ったらどうだろう。
傘と人との多様な関係を表現することで、写真にいろんな意味を持たせることができるような気がするけれど・・・。
https://azuminocolours2022.flyingrabbit.jp 十人十色WEBサイト
■ 日本人男性の平均寿命はおよそ82歳、30,000日。私は今年の某月に生後25,000日という節目の日を迎える。既に人生5/6が過ぎ、残り1/6、5,000日。400メートルトラックだと、残りは最後の直線コース、70メートル。平均寿命まで生きると仮定すればこんなことになる。
だが、人生は長短ではない。残りが70メートルだろうが100メートルだろうがそれは関係ない。樋口一葉は26歳で夭折したが奇跡の14カ月と言われるごく短い期間で名作を書き、歴史に名を残している。坂本龍馬が暗殺されたのは31歳の時だった。だが龍馬は日本という国の針路の舵を切った。
上掲の例示から分かるように人生は長短即ち時間軸だけで捉えるべきではないのだ。横軸に時間を据えるなら、縦軸に密度というか、充実度という評価軸を据え、そこに描かれるグラフの積分値(面積)で捉えるべきだと思う。人生観は人それぞれだが、私はこのように考えている。
今春スタートする第二の人生、漫然と日々過ごしてはならないと改めて自分に言い聞かせたい。既に書いたが伊能忠敬は第二の人生で成し遂げた偉業によって名を知られている(過去ログ)。『四千万歩の男 忠敬の生き方』で著者の井上ひさしは「前半生の充実と後半生の偉業」という小見出しの文章を書いているが、伊能忠敬の人生を簡潔にして的確に捉えた小見出しだと思う。偉業など到底無理、だが充実の日々を過ごしたい。そのためには何をどうすれば好いのか・・・。
**僕が前職とは直接関係のない本屋という仕事と巡り合ったのは幸運というしかない(後略)。一歩間違えば、僕も行き場を失って図書館通いをしていたかもしれない。**(『新聞記者、本屋になる』落合 博(光文社新書2021年 200頁)
少し長い期間を要するようなことを達成したい。構想が全くないわけではないから、いずれ書きたい。
撮影日2022.01.05
火の見櫓と御柱のツーショット (再197)3脚〇〇〇3型
御柱立ては1月4日の朝9時から行われ、御柱倒しは1月10日の朝7時半から予定されている。
『あ、火の見櫓!』に載せた写真(2014年撮影)
**正月に美しく着飾った娘を隣で満足そうに見ている父親のようです。**(161頁)この火の見櫓を父親に見立て、このように書きました。
安曇野市三郷(旧三郷村)明盛一日市場の御柱 撮影日2022.01.05
■ 御柱というと諏訪大社の御柱を思い浮かべる人が多いと思うが、本稿で紹介するのは松本・安曇平で行われる正月の伝統行事の御柱。正月の御柱を毎年のように見て、ブログにも何回か書いている。この御柱も今回が初めてではない。
正月の御柱は歳神様の依り代だという。このランドマークを頼りに降りてくるのだが、このことは良い神様だけでなく、厄病神や貧乏神などの厄神、悪い神様も同じだという。それで良い神様だけが降りてくるように、このような綺麗な飾りの御柱を建てるのだという説を友人の論考(*1)で読んだことがある。厄神はこのような綺麗なものを好まないそうだ。
御柱には無病息災や子孫繁栄の願いも込められている。
この御柱は恵方に正面を向けて建てるそうだ。今年の恵方は北北西、正面からは逆光で上手く撮れない。来年(鬼が笑うかな)の恵方を調べると南南東。来年は撮影条件が良い。
御柱のすぐ近くに大黒天像碑と道祖神が祀られている。道祖神は猿田毘古を祀っているとされている。猿田毘古は邇邇芸命が降臨した時のナビゲーター。このことは御柱の多くが道祖神の脇に立てられることと無関係ではないと思う。いや、大いに関係があるだろう。また、道祖神は厄病神や貧乏神などの厄神の侵入を防ぐ役目も負うていることも、関係がありそうだ。
子孫繁栄の願いをストレートに表現した「お道具」。ベンガラ色の男と女。にこたま付きの男はかなり具象的な表現、女は抽象的。
文字書き道祖神 天保十己亥(つちのとい)四月八日という刻字が右側面にある。天保10年は西暦1839年。
このような伝統行事は末永く続いて欲しいと毎年思う。
*1 雑誌『信濃』(第六三巻第一号通巻七三二号平成二三年一月二〇日発行)
①
②
■ 光文社新書のシンプルなカバーデザインは好きだ(写真①)。著者の希望なのか、出版社の意向なのか分からないが、光文社新書はオリジナルデザインのカバーのことがある(写真②、③)。
③
昨日(4日)今年初スタバ。入店前に朝カフェ読書用に『新聞記者、本屋になる』落合 博(光文社新書2021年)を買い求めた。新書らしからぬカバー、それもなかなか好いデザインのカバーにまず惹かれた(写真②)。
スタバで顔なじみの店員・Mさん、Hさんと新年の挨拶を交わし、いつものコーヒーを手に2階へ。
『新聞記者、本屋になる』は内容も新書ではなくて文庫の方は相応しいのではないか、と思う。北 杜夫の『マンボウ雑学記』(岩波新書1981年)を読んだとき(今から40年も前!)にもそう思った。
定年数年前に新聞記者を辞めて本屋の店主になった著者の落合さん。落合さんが記者時代や本屋店主になるまでの出来事やなってからの出来事、それから書店や本についての考え方を綴っている。具体的には書かないが著者の考え方に全く賛成というわけではなく、疑問に思うこともあった。
この本を読んで本離れ・書店離れの状況下にあって書店経営がいかに大変か、難しいかがよく分かった。だが、退職後にすることもなく、行くとろもない状況にならずに済んでいることは幸せなことだと思う。
著者が店主の書店は東京都台東区にあるという。この本には書店の外観や内部のカラー写真が載っている。書店を訪ねてみたい、と思わせるのは著者の筆力か、写真から伝わる書店のデザインの魅力か。私の場合は後者。
540
H君の水彩画
■ 日本の風景は「水」によって特徴付けられる。輪郭が曖昧な水っぽい風景は水彩画が似つかわしく、油彩画では表現が難しい。水彩画でも輪郭をきっちり描いて、透明水彩絵の具で淡く着色するという私の描法は日本の風景、特に遠景には相応しくないだろう。なぜなら水っぽい風景では春に限らず遠景の山並みなどの輪郭線は不明瞭で霞んで見えるから。
美大出身のH君はいくつもの描法を習得しているのだろう。帰省中に雪景色の水彩画を中景の建物を除き下描きしないで直接着色して1時間程で仕上げたと聞いた。晴れた日の昼過ぎの風景を描いていることが影の様子で分かる。逆光の雪原の眩しさも上手く表現できている。私とは全く異なる表現、空気遠近法。
H君は風景を構成する要素で電柱などを適宜省略して魅力的な風景に再構成して描いている。風景を再構成するのはテクニックではなく、美的感性だ。この美的感性が絵を特徴付ける。
540
私の水彩画
私の場合、風景構成要素の形を捉えることに力点を置いていることがH君の絵と比べて分かる。このことを今まで意識したことはなかった。そうか、形への興味・関心か・・・。
雑誌でも紹介されたH君の水彩画。
ぼくも今年は描く。画題はこだわりの「火の見櫓のある風景」、描法は今まで通り線描・淡彩着色。
320
■ 年越し本『黄色いマンション 黒い猫』小泉今日子(新潮文庫2021年)を読み終えて、『古都再見』葉室 麟(新潮文庫2020年)を読み始めた。この2冊は年越し本として年末(30日)に買い求めていた。
2020年の5月に自室の本1,700冊を松本市内の古書店に引き取ってもらい減冊した。その結果、書棚に並ぶ本は約1,800冊(*1)となった。その際ブログに**数年かけて、1,000冊まで減らしたいと思うができるかどうか・・・。当分の目標は本を増やさないようにすること。**(2020.05.21)と書いたが、再び増え始めている。既に2,000冊を超えたのではないか、と思う。まあ仕方ない。
葉室 麟の時代小説は何作か読んだが、随筆はたぶん初めて。
葉室さんは2015年から京都で暮らしていたという。その理由を次のように書いている。**これまで生きてきて、見るべきものを見ただろうか、という思いに駆られたからだ。(中略)幕が下りるその前に見ておくべきものは、やはり見たいのだ。**(13頁)
この件を読んで考えた。見ておくべきもの、私にとってそれは何だろう・・・。
葉室さんは京都のまちを散歩しながら歴史的な出来事についてあれこれ思いを馳せる。**歩き疲れて四条河原町のレトロな喫茶店で注文したコーヒーを待ちながら、ふと考えた。
戦国時代とは、一面で宗教戦争の時代でもあったのではないか。織田信長は宗教を利用して天下を取り、だからこそ本能寺で殺されたのではないか。**(89頁)
金閣寺を眺めながら金閣焼亡について考える。当時産経新聞の記者だった司馬遼太郎が現場に駆け付けたこと(そうだったのか、産経新聞の記者だったことは知っていたが、このことは知らなかった)、三島由紀夫の『金閣寺』、水上 勉の『五番町夕霧楼』のことなどを想起する。京都だから当然龍馬暗殺のことも出てくる(71頁~)。「檸檬」(84頁~)も。
京都のまち歩きでみつけた茅葺きの民家
目の前の景色から想起することは人それぞれ。歴史に詳しい葉室さんは歴史的な出来事を想起する。歴史に全く疎い私は京都のまちを歩きながら何を見て、何を想うだろう。建築を見るだろう。そこで何を想うのかは分からない。
京都に行きたいなぁ。
*1 内訳は単行本が1,100冊、新書本450冊、文庫本250冊。