透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「江戸一新」

2023-02-11 | A 読書日記

 しばらく前に『地形で見る江戸・東京発展史』鈴木浩三(ちくま新書2022年)読んだ。本書の第2章「地形を活かした江戸と江戸城」の第5節「第三次天下普請から神田川整備工事まで ― 谷筋を利用した外濠」に「明暦の大火と埋め立て地の開発」という見出しの項があり、そこに次のような記述があった。少し長くなるが引用する。

**明暦三年(一六五七)の大火により、江戸のほとんどは灰燼に帰した。天下普請で造営された江戸城や諸大名の屋敷のほとんどが焼失した。(中略)その復興プロセスの中で、過密になっていた武家地や町地の「郊外移転」も進んだ。城内にあった尾張家や紀州家の上屋敷を外郭の外側に移転して、城内のオープンスペースを確保するほか、白銀町(神田)、四日市(日本橋)、飯田町(麹町)の市街地を移転させて火除地(ひよけち)を設けている。強制的に家屋の庇を切らせて道路も拡幅した。**086,087頁


明暦の大火の後の江戸の復興、いや一新に立ち上がった老中・松平信綱を主人公にした歴史小説があることを知った。門井慶喜の『江戸一新』(中央公論新社2022年)だ。この本を図書館で借りて読んだ。

小説では江戸一新、江戸の大改造の全体像が描かれているだろうと予想していた。明暦の大火の翌年に組織される定火消、火消屋敷の設置とそこにつくられる火の見櫓についても記述があるだろう・・・。

残念ながら、この予想は外れた。そう、これは松平信綱や阿部忠秋、酒井忠清ら、江戸一新に関わった中心人物を描いた小説だった。小説だから人間模様が描かれるのは当然と言えば当然だが・・・。

江戸の街づくりに関する大胆な発想とその具現化。「武家地の郊外移転」を巡る議論、市中の庇の出を三尺以内にさせることなど、『地形で見る江戸・東京発展史』で読んだことが物語になっていた。

借りた本だから貼った付箋を剥して返却する。ここに付箋か所を記録しておきたい。

**「(前略)ここからのわれわれの仕事は、もはや復興にあらず、すなわち過去(むかし)の栄華を取り戻すことにあらず。それより一歩先へ進んで、子や孫へ、百年先の末裔へと健やかな江戸を贈ることにあり」**173頁 これは信綱の発言。

**「今回の大火じゃあ、橋がなかったばっかりに、江戸の住人がたくさん死んだんだ。(中略)もしもこの川に橋があれば、日本橋の用に大きな橋があれば、みんな対岸へ逃げられたんだ」
「結果論(あとぢえ)だ」
「たしかにそうだ。でも大火はまたいずれ来る。かならず来る。そのとき結果論は予防策(したごしらえ)になる」**248頁

この議論で、隅田川に両国橋が架けられることになる。江戸を外敵から防御する外濠としての大きな川、そこに江戸の住人を守る橋を架けるという政策の転換。先月31日、ブログに**両国橋は明暦の大火(1657年)の数年後に架けられた。火災の際の避難経路の確保という意図で。**と簡潔に書いた。

『地形で見る江戸・東京発展史』では**万治二年の両国橋の架橋も、隅田川東岸の開発が進んだからであった**(088頁)としか説明されていない。ここを読んで、あれ?と思ったけれど、小説とは架橋理由が符合している。

歴史に疎く、登場人物に関する知識皆無な私。でも私なりに面白く読むことができた。


 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。