透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「代々木体育館ができるまで」

2013-10-23 | A 読書日記



 丹下健三生誕100年の今年、6月に建築家会館ホールでシンポジウムが開催されて建築家の神谷宏治氏と構造家の川口 衛氏による対談「代々木体育館ができるまで」が行われたそうだ。JIAの機関誌の最新号(297号)にその時の様子が掲載されている。 JIAの機関誌 ←クリック

代々木体育館は1964年の東京オリンピックの競技会場として設計された建築で、神谷氏は丹下健三のもとで意匠設計を、川口氏は坪井善勝のもとで構造設計を担当している。ふたりによって代々木体育館の設計の時のエピソードが語られているのだが、これほど長い間、設計時の様子が語り継がれている建築を私は他に知らない。

当初の計画案では1本だったメインケーブルが設計途中で2本に変更された経緯が、聴講者の質問によって明らかにされている。このことは知らなかった・・・。

照明や換気設備などのレイアウトを検討する段階で、ケーブルが1本だと、分散配置になるが、管理上集中配置の方が効率がよいという理由で2本にする案が提案されて、実現したという。

1本のケーブルであれば電線のたわみと同じ、懸垂線(カテナリー曲線)で、数式で表現できる。だが2本のケーブルを横開きに架けるとなると・・・。コンピュータもない時代、構造解析は大変だっただろう。構造担当の川口氏は当時20代、意匠担当の神谷氏は30代だったそうだ。

建設用地の交渉に時間がかかって、設計施工期間は1年以上も縮まってしまったという。オリンピックに間に合わないと何の意味もない・・・。プレッシャーの中、よくやり遂げたものだと思う。


 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。