「最近このへんに引っ越してきてね」
と、ちらほら伺います
特に、春でなくても出入りはある
のでしょーけど
あー、春だなと思ってしまう。
10年やってても
たぶん20年やってても
定期的に人がいれかわり
街とゆーのは存在しつづけるのだし
おなじく定期的にお客さんがいれかわり
うちのごはんと出会い、また
お別れしていく、みたいなことが
繰り返されるのである。
ずーっと作り続けてるものでも
はじめての人にとっては
はじめての味なのであるとゆー
当たり前のことを
毎日感じられるかどーか、ってことって
結構大事である。
おなじことをやりつづけても
すこーしずつバランスはかわってくし
均衡点もずれていくわけで
それが想定してた(してる)範囲内である、
そのなかでおさめることも
結構大事でありますね。
いただきものの、うめグラッセ
梅干しのよーに塩辛くなく
ぎゅっとあまずっぱくて
何個でも食べてしまいそー。
梅って、そのものがほんとーにうまい。
そのものがすでに美味しいものである、
とゆーときに
それをどう一品に仕立てるか、とゆーの
よくかんがえます
できるかぎり、そのものの
素顔をいかしたお皿にしたいけど
それがいいときもあるし
すこしは着飾って、お化粧して
とゆーことで輝くこともあるし。
着飾らせすぎると
「そのものの良さを隠しちゃってるかな」
と思ってしまうし
そのものをうちだしすぎると
「素朴すぎて良さがつたわりにくいな」
というときもあるし。
まあ、料理はきめてることがあって
それは
「ごはんにあうこと」であり
「毎日でも食べられるような一皿であること」
それはもうブレないし
わかりやすい指標であるから
よいんですけど
焼き菓子とかパンとかは
なかなかむつかしーですね。
そのものの素朴さを打ち出すと
一般受けしないし
リッチにソフトに仕上げると
そーいうものはすでに世の中に
溢れているし。
みたいなことです。
だから焼き菓子とかパンとかは
伝わりにくいことをやってると
おもいます
つまり
伝わる人には伝わるけど
それに興味ある人以外には
グッとこないどころか
魅力があまりわからない。みたいな。
だから受注制作をしてるのですけど
なんかそーいう意識が
つよくあたまにあって
そこから一旦解き放たれて
すこし離れて自分のつくるものを
見ることが必要かなって
最近はおもってます。
これがすごくいいんだよ〜って
誰に対しても言えるように
今年はそーいうとこを強くして
いきたいです。