TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポと横浜ぶらぶら歩き そのⅧ、 その2 『大桟橋』

2008年01月14日 | トッポの世界
飛鳥Ⅱの大きさが、トッポも気になるようです。



飛鳥Ⅱは800名の乗客と400名以上もの乗務員を乗せて、航海できるそうです。
客室だけで462もあり、巨大なビルを横にして海に浮かべたようなものですね。



トッポ、『すごいね、僕も乗りたい!』



トッポパパは、接岸する飛鳥Ⅱを眺めながら、タイタニックの映画を思い出していました。



トッポも飛鳥Ⅱに圧倒されて、目が点状態です。



ちょっと興味がわいたのでタイタニック号と飛鳥Ⅱを比較してみました。
総トン数:飛鳥Ⅱ 50,142t / タイタニック号 46,328t
全長:飛鳥Ⅱ 240.8m / タイタニック号 268.8m
全幅:飛鳥Ⅱ 29.6m / タイタニック号 27.7 m
最大速度:23 ノット(42.6km/h)でどちらも同じです。
乗客数:飛鳥Ⅱ 約800名 / タイタニック号 1等329人、2等285人、3等710人
乗組員数:飛鳥Ⅱ 440名 / タイタニック号 899名

以上が飛鳥Ⅱとタイタニック号の比較ですが、タイタニック号は実際に事故にあった時の総乗員数で、実際には乗員・乗客総定員数:3,547人 とされています。
安全基準が時代によって違うのでしょうが、ほぼ同じくらいの大きさだと考えると乗せすぎのような気もします。



映画タイタニックを思い出し、救命ボートが気になりトッポと近くまで見に行きました。



大きな救命ボートが両舷についていましたが、1200名以上の緊急避難には十分なのか心配してしまいます。
ライフボートとしては定員130-150名が乗れるものが、10隻ぐらいあるのでしょうが、いざという時両舷に分かれて乗れる事故ならいいのですが、どうするのでしょうかね。
トッポパパは乗ることがないでしょうが、ちょっと心配してしまいます。



デッキ上で、『でも、そんなこと関係ない!』と、一人転寝をしているワンちゃんがいました。 (笑)



接岸した飛鳥Ⅱの全貌を、次回に紹介します。

続く........................................................。

海外の都市の紹介、 その42の2 『ブルージュ』

2008年01月13日 | 海外の都市の紹介
ブルージュ最古の市庁舎で、2階には有名なゴシック様式のホールがあり、英雄、芸術家そして学者の絵が飾られています。



広場にはギルドの建物だった、切妻屋根(ゲーブル)は階段状に飾りが取り付けられています。



聖なる血が奉納されているという、『聖血礼拝堂』です。



それではマルクト広場のほうへ移動します。



観光客が多いので、御土産店が多く並んでいます。
ここの御土産店で有名なものは刺繍のレースのようです。



旧市街の中心地として、多くの人が集まるマルクト広場にそびえたつ鐘楼です。
13-15世紀に建照られたもので、高さ88メートルの塔には366段の階段があり、カリヨン(組み鐘)の音色で有名です。



昔は織物の屋内市場として栄え、海外から輸入した色々な品物の対価として、マルクト広場から運河を通じて織物が輸出されたそうです。



広場の中央にそびえる、ヤン・ブレーデルとビーテル・デ・コーニングの銅像です。



フランスの圧制に対して立ち上がったブルージュの英雄です。



続く....................................................。

トッポと横浜ぶらぶら歩き そのⅧ、 その1 『大桟橋』

2008年01月12日 | トッポの世界
今年の正月はのんびりと自宅で過ごしました。
トッポをつれて久しぶりに横浜の大桟橋へ出かけました。
トッポはトッポパパが写真を撮ろうと立ち止まると、トッポパパが視界から消えるので、すぐに後ろを振り向き心配そうな顔をします。



大桟橋の入り口です。
一階に駐車場になっていて、2階がターミナル施設になります。
ここの屋上はデッキの広場になっていえ、ワンちゃんにも入場制限はありません。



遠くから見ると、まるで航空母艦のようで、いかにも大桟橋自体が動き出すのではないかと錯覚します。



ここから、みなとみらい方面を見ると、手前に赤レンガ倉庫が見えます。
みなとみらいの全景を見るには、ここからが一番景色がいいでしょう。
大桟橋へは24時間入場できますので、夜景撮影にもお勧めの場所です。



トッポパパは2回目の大桟橋ですが、今回も幸運なことに日本一の豪華客船、飛鳥Ⅱが、またちょうど接岸するところでした。



トッポも大音響で行進曲を流しながら接岸する、巨大な客船に驚いているようです。



トッポ、『でかいなー!』



接岸はタグボート?にリードされて後ろから入港です。



今回も幸運に恵まれて、素敵な写真が撮れそうです。

続く............................................................。

海外の都市の紹介、 その42の1 『ブルージュ』

2008年01月11日 | 海外の都市の紹介
今回は、中世のヨーロッパの経済センターでもあり、美しい観光都市として人気のベルギーのブルージュ(Brugge)を紹介します。



ブルージュは、9世紀ごろから残っているヨーロッパでも有数の古い街で、昔あらから水運を通じて北海ともつながり、毛織物の交易で栄えました。



ブルグ広場にあるブルージュ最古の市庁舎です。



古い都市を散策するには、馬車が用意されています。



トッポパパが訪問した時は、昨年の11月でしたので、早々とクリスマスツリーの準備が進められていました。



ブルージュの町を紹介する前に、お腹が空いたので観光より先に腹ごしらえをすることになりました。



この時期、ムール貝が旬だということで早速レストランに入ります。



大きな鍋にいっぱいのムール貝です。
薄い塩味の新鮮なムール貝に、少しバターをいれていただきました。



あっという間に、貝殻の山になります。
この時期オランダ、ベルギーを訪問すると、どこでも美味しいムール貝がいただけそうです。



お腹が満たされましたので、次回からブルージュの街を紹介します。
少し天気が悪いので心配です。

続く...........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その37の4 『田貫湖と白糸の滝』

2008年01月10日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
音止めの滝は、白糸の滝に隣接しています。
音止めの滝は、幅の狭い岩場から一気に20m以上も落下する単一の滝です。
何とか富士山と一緒にフレームの中に収めることができました。



この滝は水量も豊富で、近くに寄ると轟音をあげています。
トッポ、『ちょっと、怖いよ!』

音止めの滝の名前の由来は、その昔曽我兄弟が父の仇を討つための滝の近くで密談をしてた時、滝の音のうるささに思わず、『黙れ』と言ったところ、滝の音が一瞬止まったという言い伝えからきているそうです。



毎秒1.5トンで流れる滝は豪快です。
曽我兄弟は源頼朝の支援もあり、見事に本懐を遂げたそうです。
付近には曽我兄弟の隠れ岩、曽我兄弟の仇、工藤祐経の墓、そして源頼朝が鬢の乱れを直したという泉があります。



こちらは、日本100選で1位となった白糸の滝です。
高さ20メートル、幅200メートルの湾曲した絶壁に、絹糸を流したような滝です。



富士山の山麓からの湧き水が芝川に流れ込み、扇形に滝を形成しています。



音止めの滝が男性的なら、こちらは繊細で女性的な滝のようです。



滝の近くに行くと、トッポはママにしがみついて震えています。



日本の各地に同盟の滝があるそうですが、白糸の滝の中では一番大きな滝です。



最後、後ろに下がって、全体の景色が入るように撮ってみました。
景観としては、こちらのほうがよさそうです。


それでは白糸の滝から

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その36の4 『桂浜』

2008年01月09日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
闘犬が始まる前に、土俵?や観覧席を覗いていました。
大相撲の小型版のような感じです。



闘犬の横綱の土俵入りです。
堂々たる横綱で、土俵中央で微動だにしませんでした。



闘犬の是非に関しては、賛否両論があるようですので、この件には触れないようにします。
横綱を見ている限りにおいては、いかにも百戦錬磨の鍛え上げた体躯です。



闘犬の勝負の決まり手は、いろいろあるようです。
吠えて怖がったり、闘争意欲があまりない吠え声を出したら負け、 痛さを表す声で鳴いても負け、相手にお尻を向けて走っても負け、飼い主が犬を大事にするあまり止めに入っても負け、などいろいろな判定基準があるようです。



闘犬の様子は、物議をかもし出しそうなので写真の掲載は割愛します。
こちらは、歴代の横綱や現役の闘犬です・



きれいな犬舎で、大切に扱われていることがわかります。
大きな土佐犬は80Kg以上にもなるそうです。



こちらのワンちゃんは、ちょっとおとなしいそうだなと思ったら、お客さんの希望により(有料)桂浜で記念撮影をしてくれる土佐犬だそうです。
土佐犬がダックスみたいに座っていると、可笑しいですね。



こちらの土佐犬は、一番大きくて強そうでしたが、まるっきり無視されてしまいました。
私の友人の顔に似ているようです。 (笑)



土佐の闘犬は、江戸時代から続いている伝統文化だということでした。
それでは桂浜より

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その37の3 『田貫湖と白糸の滝』

2008年01月08日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
帰りがけにもう一度アップの富士山です。
もうちょっと、鮮明な富士山を期待しているのですが、まだまだ未熟さを認識させられました。



ところどころに、富士山の展望場所が設けられていて、撮影に没頭できる配慮がされているようです。



ここはキャンプ場も併設されているので、家族連れの人には絶好の穴場のようです。 
でも、冬場はよほど釣り好きな人か、日の出を狙う富士山マニアぐらいでしょう。
夏場でも、結構綺麗な富士山がみられるようで、8月は確か富士山頂に太陽が昇りダイアモンド冨士が撮れる場所です。



ママは富士山、トッポはトッポパパの顔を見ているだけなので、面白くなさそうです。
今回は失敗作が多く反省しています。 実はマニュアルでの撮影に挑戦?した
のですが、露出とシャッタースピードの設定が慣れないと思うように行きません。
さらに失敗したのは、設定を戻さずそのままトッポを撮ったりしたのでピンボケ写真になってしまいました。



スナップは数を撮るのでオートが一番のようです。



キャンプの好きな人は、早朝の素晴らしい富士山が眺められるだけでも、満足できそうです



冨士の裾野には、朝霧公園などたくさんの施設があるので、終日楽しめると思います。



向い側が、たしかキャンプ場のようでした。



入り口付近で最後の富士山を撮影しました。
ここからの富士山でも、けっこう綺麗だと思います。



それでは音止めの滝と白糸の滝を見に行ってきます。

続く..........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その36の3 『桂浜』

2008年01月07日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
歴史の話は難しくて、頭が混乱するのでこの辺で止めておきます。



最後に坂本龍馬のアップ写真です。
坂本龍馬は33歳でこの世を去りました。
日本の国の将来を考え、そして行動し、幕末に日本の将来の、大筋の道しるべをつけた英雄の生涯は、波乱万丈でしたが、その実、濃縮された人生だったのでしょう。



桂浜にある坂本龍馬の紹介の説明版です。



土佐といえば、有名なのが闘犬です。
トッポパパのお祖父さんが、闘犬の土佐犬を飼っていたと聞かされています。



看板の写真を見るだけでも、強そうな(怖そう?)土佐犬です。
現在の土佐犬は、もとは四国犬であったそうです。
そして江戸後期に、オランダやスペインからもち込まれたマスティフやブルドッグ、ブル・テリア、グレート・デーンなどの洋犬たちとの交配が進められ、現在の土佐犬になったそうです。



まずは仔犬を見ることが出来ました。
闘犬になるといっても、仔犬は可愛いですね。



一番ビックリしたのは30分ほど見ていましたが、一度も鳴かないのです。
闘犬としては、鳴く犬はダメだといわれますが、仔犬でも貫禄があるようです。



ちなみに、写真のワンちゃんたちは生後一ヶ月でした。



こちらは生年月日を見ると、生後二ヶ月でした。
すさまじく成長が早いのにビックリです。
腕(足)の太さや筋肉を見ると、もう小型犬の大人より立派な体躯をしています。



次回は闘犬横綱の土俵入りを紹介します。

続く...........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その37の2 『田貫湖と白糸の滝』

2008年01月06日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
撮影スポットからの早朝の富士山です。
もう少し陽が高くなると山頂付近が明るくなるのですが、今度は温度上昇で水蒸気があがり透明度はなくなってきます。



トッポも朝日を浴びて気持ちよさそうです。
寒そうでしたので、ダウンを上から着せましたので、ちょっとモコモコしたトッポになってしまいました。



このくらいの構図がベストなのでしょう。
早朝は右側の木々が太陽を背にするのでどうしても暗くなります。
その上の二つの白い点は、レンズの汚れではなく雲ですので勘弁してください。



30分ほど写真を撮って移動しかけたら、泊り込みの人たちがあっという間に集まってきて、三脚が立ち並んでしまいました。
ママニュアル設定のまま、あわててシャッターを押してしまいましたので、富士山が露出オーバーになりました。



トッポの写真を撮ろうとレンズを代えていたとき、きちっとはめ込む前にカメラを持ち上げたら、レンズが地面に転がってしまい、トッポパパは顔面蒼白です!
一瞬、レンズが壊れたと思ったのですが、当たり所がよかったのか何とか無事で助かりました。
で、動転しながら撮ったトッポの写真は、ピントがあっていませんね。



この写真は、なんとか富士山にかかる雲を消そうと、いろいろ設定を変えて撮ってみましたが、空が白んでしまい、それほど効果はありませんね



こちらのトッポの写真のほうが、焦点が合っているようです。



今回はプロのカメラマンによる、富士山の撮影会のようで、セミプロ級の人たちが
腕を競い合っていました。



三脚を使用しないで望遠のアップは、この辺が限界のようです。



とりあえず正月の富士山ということでアップしてみました。
混雑してきたので、アマチュアは別の場所へ移動することにします。

続く......................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その36の2 『桂浜』

2008年01月05日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
竜王宮に向かう階段を上りきると、鳥居があります。
鳥居から桂浜を臨みます。



浜辺を上から見ると、綺麗な海だとよく分かります。
高知を代表する初日の出スポットとしも、有名な桂浜です。
正月は、坂本龍馬の像と一緒に、初日の出を見る人たちで賑わったことでしょう。



桂浜の雄大な景色を見ながら、坂本竜馬関係のネット上の資料を基に、幕末の動きをまとめてみました。

最初に、いつものようにお断りしておきますが、トッポパパは歴史研究家でも、史実に詳しいわけでもありません。 
龍馬に関する小説や、観光資料などを参考にしてまとめてあります。
実際に坂本龍馬に関しては諸説があるようで、何が正しいのかわかりません。
小説の中ではフィクション部分もあるようですが、その辺はロマンを含めての話として、読み流してください。

坂元竜馬は1836年1月3日に土佐の高知城下に生まれ、1853年に江戸に出ます。
1853年はペリー総督率いる軍艦4隻が浦賀に到着し、『黒船到来』と騒がれた時代です。

ここでいう、黒船が来航した浦賀とは、こちらのことです。

坂本龍馬は江戸の『北辰一刀流』で有名な千葉道場で剣術修行に入り、剣士として知られるようになります。



ペリー軍団は、いちど引き上げましたが翌年再来日します。
鎖国を続けてきた幕府は海外の国から開港を迫られ、危機感をつのらせて、江戸に藩邸をおく諸大名に命じ、海岸警防を固めさせます。 
坂本龍馬も土佐藩士としてこの任に着きます。
黒船来航後、幕府は各国から開港を迫られ、開港か鎖国かで揺れ動きます。
この頃、幕府は彦根藩の井伊直弼を大老にします。
しかし、1858年に井伊直弼は独断で通商条約を結び、日本の各地の港の開港を約束してしまいます。

井伊直弼に関しては、こちらをどうぞ

当時水戸藩、島津藩を中心に、攘夷論(侵略・侵入してくる外国に対抗する)が沸き起こり、幕府の政策に反対する藩士たちは捕らえられ隠居させられてしまいます。
これが『安政の大獄』です。
もう少しわかりやすくするために説明すると、勤皇と佐幕(さばく)という言葉が使われますが、佐幕とは「幕府を補佐する」側で、勤皇は天皇を尊ぶ側(倒幕側)と理解するとわかりやすいでしょう。



『安政の大獄』で、長州の『松下村塾』で知られる『吉田松陰』も斬首となります。 (吉田松陰に関しては、近々アップする予定です。)
この結果、1860年に攘夷派(佐幕派)は、井伊直弼に恨みを集中させ、水戸藩士と薩摩藩士により暗殺されてしまいます。 これが『桜田門外の変』です。



この時期に前後して、坂本龍馬は土佐に戻り、土佐の藩士、武市半平太などと一緒に土佐勤王党を結成します。
土佐勤王党は尊皇攘夷論(天皇を尊び侵略・侵入してくる外国に対抗する勤皇派)を強く唱えます。
水戸藩、島津藩の攘夷論は、幕府を中心としての攘夷論で、尊皇攘夷論とは異なります。 尊皇攘夷論者(勤皇派)は幕府側に反旗を翻すことになります。 
この勤王党の仲間には、高知の室戸出身の中岡慎太郎もいます。
土佐藩は尊皇攘夷を唱える長州藩よりであったため、京都を中心にして幕府側の藩士を『天誅』という名目で、暗殺が繰り広げます。 
その中心人物が武市半平太でした。
この過激な行動に反目した坂本龍馬は、再度江戸に戻り、世界観を共有する勝海舟に出会い脱藩をし、勝海舟の弟子になります。



この土佐藩の動きに対抗したのが幕府側の会津藩で、幕府によりこの動乱を治めるため京都守護職を任命されます。
この浪士隊に『新撰組』の前身である、近藤勇、土方歳三が率いる試衛館が加わります。
この会津藩の参入が、最後に白虎隊の悲劇につながるわけです。

会津藩と新撰組とのかかわりは、こちらからどうぞ

その後、幕府の弾圧を受けた土佐藩は、土佐勤王党は崩壊し、武市半平太は捕縛されてしまいます。
勝海舟と行動をともにした坂本龍馬はこの難を逃れ、各地を飛び回り海軍建設を進めます。
その後、新撰組による、『池田屋事件』が1864年に起こります。
この事件で坂本龍馬が塾頭を勤めた神戸海軍塾の熟生で土佐出身の仲間が殺されてしまいます。
この事件に怒った尊皇攘夷派の長州藩が兵を挙げ戦闘が激化しますが、このときは、まだ幕府軍の戦力が強く敗退します。
しかし、神戸海軍塾は閉鎖され、坂本龍馬は勝海舟の仲立ちで薩摩藩に入ります。



当初は薩摩藩は開国派で、長州藩は尊皇攘夷派のため、たびたび対立関係にありましたが、天皇の勅許を得た通商条約が結ばれては、もはや長州藩の尊皇攘夷論は成立しなくなります。
坂本龍馬は土佐の藩士、中岡慎太郎と一緒に長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩の西郷隆盛に『薩長同盟』を進言し実現させます。
この結果、開国も視野に入れて、富国強兵を図り日本をまとめなければならないとする、大攘夷論に変わり、倒幕へと一気に進みます。
木戸孝允は前述の吉田松陰の弟子になります。

同時期、坂本龍馬は薩摩藩より舟を借り、海運業を始めます。
本拠地は長崎でしたが、これを『海援隊』と呼ぶそうです。
(武田鉄矢の海援隊の名前の由来もここなのでしょう)

この頃から、長州は市民軍である奇兵隊を中心に、薩摩藩、海援隊の支援を受け、倒幕に向けて圧倒的な勝利を得て、戦闘は後の会津若松の戊辰戦争に入ります。
この会津若松の戊辰戦争の最後が、会津藩の白虎隊の悲劇になるわけです。



薩摩、長州が武力で幕府を倒そうとしている時、坂本龍馬は『富国強兵』による攘夷を唱え、『日本は一つにならなければならない』と土佐藩家老、後藤象二郎に大政奉還を提案します。
坂本龍馬と土佐藩が幕府側、反幕府側を説得し1867年、14代将軍徳川慶喜が京都二条城で大政奉還を宣言しました。
この大政奉還を幕府が承諾した裏には、征夷大将軍としての任を受けている幕府の力が無ければ、朝廷では国を治めることは出来ないという思惑もあったようです。



以上が坂本龍馬を中心とした、幕末の動きのようです。
まさに、日本の歴史を動かす中核の役目を担ってきた人物だったのでしょう。
詳細を調べれば、もっと複雑な流れなのでしょうが概略はこんなものでしょう。

ブログを長く続けていると、色々訪問した場所が歴史上のつながりがでてきて、よく分かります。
また、坂本龍馬の立像の目線は、アメリカとも、中岡慎太郎の故郷、室戸を見ているとも言われているそうです。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その37の1 『田貫湖と白糸の滝』

2008年01月04日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
正月に富士山の写真をお届けしたいと、もう一度『田貫湖』へ出かけました。
場所は静岡県富士宮市の冨士山麓で、朝霧公園の近くです。



ブログを通して教えていただいたのですが、トッポパパもここから湖越しに臨む富士山が一番素敵だと思います。



トッポも富士山を見上げているようです。



アップで見ると、富士山頂の様子がわかります。
トッポパパは2度目の訪問ですが、早朝8時前で、晴天、そして風が強い日がベストな富士山の撮影が出来るようです。
その代わり6時前後には、横浜を出発しないといけないので早起きが必要です。



まだ誰もいない遊歩道を、トッポもテクテク散歩です。



撮影スポットに向かう途中の富士山です。



杉並木も冬は緑が少なく、朝日がまぶしいくらいです。


誰もいない遊歩道も日中は釣り客が多いので、魚や餌の匂いがするのかクンクンと嗅ぎまわっています。



この湖の奥に見える場所が有名な撮影スポットです。
入り口から歩いて15分ぐらいですので、重たい荷物も気にならない距離です。



天気はまずまずのようで、一安心です。

続く.....................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その36の1 『桂浜』

2008年01月03日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
新年ですのでスケール大きく、世界に学び日本を憂いて、勤皇・佐幕と対立抗争をくりかえしていた幕末の時代に、『日本はひとつにまとまらなければならない』と主張し続けた坂本龍馬を訪ねた、桂浜を紹介します。
写真は桂浜の龍頭岬に立ち、太平洋を望んでいる坂本龍馬の立像です。



土佐藩は明治維新で大きな役割を担います。
関が原の合戦後は山内一豊が24万石で入国し高知城を築城します。
土佐藩からは、維新で活躍した板垣退助、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太、岡田以蔵など歴史上に名を残す人物が誕生しています。



桂浜は高知市内から車で30分ほどの場所にあり、龍頭岬の左側に位置し、弓状に広がる砂浜で月の名所として名高い場所です。



有名な『よさこい節』のなかにも『御畳瀬見せましょ 浦戸を開けて 月の名所は桂浜』と詠われています。



海の色も鮮やかで、海岸線に打ち寄せる白い波との調和が印象的です。



竜頭岬には竜王宮があり鳥居が立っています。



竜王宮にあがる階段があるようなので、あがって景色を見たいと思います。



桂浜は管理が行き届いているようで、とても綺麗な海岸線です。
途中色とりどりの五色石が波打ち際から浜奥まで敷き詰められ、普通の砂浜と違い光を浴びると輝いているようです。



それでは橋を渡り、坂本龍馬と同じ目線で太平洋を見渡してきます。



続く.....................................................。

2008年 トッポと恒例の初詣

2008年01月02日 | 年末年始特集
2008年の新年も、トッポ家族はみな健康で迎えることができました。
元旦は、トッポと家族で恒例の『関東のお伊勢さま』と呼ばれる、伊勢山皇大神宮に初詣でに行きました。
伊勢山皇大神宮は明治3年創建以来、横浜の総鎮守として横浜を見守ってきました。
境内から見ると、現在の横浜の象徴でもあるランドマークタワーが、今は参拝客を見守っているようです。



午後の参拝でしたので、本殿前から参拝者の長蛇の列が続いています。


トッポ、『あっちでおみくじがあるよ。 今年も、おみくじを引こうね!



トッポの今年の運勢は?
トッポ、『早く読んで聞かせて?』



《病気:今苦しくても、必ず快方にむかう》
トッポ、『今年は病気になるの? また手術!
トッポパパ、『再発しない手術をしてあるからトッポは大丈夫! 病気をしても快方にむかうと書いてあるから心配しなくて大丈夫だよ。

《縁談:新しいところを求めるがよし》
トッポ、『今年は、彼女ができるかな!
トッポパパ、『できるかもね..............でも、オカマだし

《旅:仕事の旅はよし》
トッポ、『でも、僕は無職だよ
トッポパパ、『写真のモデルが仕事だと思えばいいだろう。
トッポ、『モデル代は、ソフトクリームだね。



てなことで、トッポも満足したようです。



おみくじを結んで、これで今年もいい年になるでしょう。
(トッポパパは、なんでも楽観的に考えるようです。)



せっかく紋付袴での参拝なので、記念撮影です。



ちょっとボケましたが、正面からもう一枚パチリです。



最後は単焦点レンズで、トッポのどアップ写真です。
明日から、また普通のブログに戻ります。



今年も、どうぞトッポのブログも宜しくお願いします。

2008年 新年明けましておめでとうございます

2008年01月01日 | 年末年始特集
新年明けましておめでとうございます。
本年も、トッポともども宜しくお願いいたします。



今年も恒例の(いつも同じですけど)、紋付袴姿で記念撮影です。



トッポ!と声をかけても、何故か横を向いたきりでちょっと変です。



トッポの見ている先にあるものは、机の上のぬいぐるみでした。



トッポ、『ちょっとこれだけでは、淋しくない?』



てなことで、我が家にある娘達が子供の時のミッキーマウス大集合です。



どうやら、納得がいったようで正面を向いてくれました。



トッポ、『本年も、トッポパパを宜しくお願いします。』
トッポパパ、『



トッポパパ、『本年も昨年同様、宜しくお願いいたします