TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

神奈川の景勝50選、 その15の6 『稲村ガ崎 PartⅡ』

2007年06月30日 | 神奈川の景勝50選
トッポ、『今日の稲村ガ崎は、波が高いね!』



多くのサーファーがこの波を求めて、集まってくるようです。



トッポ、『サーフィンは難しそうだね。』
トッポパパ、『ちゃんと立てるようになるまで、練習しないと無理だね。』



トッポ、『だから寝てる人が多いのか!!
トッポパパ、『!』



押しては帰す、波の動きを見ているのは、結構面白いものです。



これから夏にかけて、この浜辺も海水浴客によって埋め尽くされるでしょう。



遠くに江ノ島が見えます。



アップにすると、江ノ島周辺にたくさんのヨーットがセイリングしているようです。



そろそろ帰宅することにします。 では、

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その22の3 『厳美渓、猊鼻渓』

2007年06月29日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
船頭さんが面白おかしく説明してくれるので、船内は時々笑い声が起こります。
エンジンの音がない手漕ぎ船での川下りは、都会の喧騒とはかけ離れた静寂の世界でした。



海外での、浴この種の鳥の巣を見かけるのですが、だんな鳥の巣なのか分かりませんでした。
今回船頭さんの話で、これはとんびの巣だと教えてもらいました。



毘沙門天があります。
舟上からお賽銭を投げて、願い事をするそうです。



削り取られたような崖は、夕刻に鳴ると幽玄の世界のような趣になるようです。



今回は雨が上がった後でしたので実感できませんでしたが、本来は透明度も高く、ハヤやウグイなどが泳いでいるのを船から見ることができるそうです。



夫婦のように見える「壮夫岩」「少婦岩」などがあります。



こちらが少婦岩で、女性の横顔のように見えます。



もう少し奥まで進んで行くようです。

続く.........................................。

神奈川の景勝50選、 その15の5 『稲村ガ崎 PartⅡ』

2007年06月28日 | 神奈川の景勝50選
前回訪問したときは2005年の秋でしたから、役1年半ぶりに『稲村ガ崎』に着てみました。
今回も、まずはトッポと神奈川の景勝50選の石碑の前で記念撮影です。



稲村ガ崎は、鎌倉の由比ガ浜と七里ガ浜とを分けている岬でで、形が稲束を積んだ「稲村」のようになっていることから、この名前がついたとも言われています。
公園の上は松が茂る絶壁になっていますが、手すりのついた展望台があり、夕暮れには素晴らしい景色を堪能できる場所です。



ここに立って西の方角を眺めると、内側にゆるやかに弧を描くようにして伸びた七里ガ浜が見ることができます。



今日は相模湾の荒波を受けて、白い渚がなぎさが続いています。
このなぎさの焼く4Km先に、江の島が浮かんでい増す。
晴れた日には富士山や伊豆の山々が遠くに見えます。



前回も紹介しましたが、この石碑は明治43年に小学生一人を含む逗子開成中生徒が乗るボートが転覆し、12名の命が失われた海難事故の慰霊碑です。

石碑に書かれている、海難事故の紹介です。
『みぞれまじりの氷雨が降りしきるこの七里ヶ浜の沖合いで、ボート箱根号に乗った逗子開成中学校の生徒ら12人が遭難転覆したのは1910年(明治43年)1月23日のひるさがりのことでした。 前途有望な少年たちのこの悲劇的な最期は、当時世間をさわがせました、がその遺体が発見されるにおよんで、さらに世の人々を感動させたのは彼らの死にのぞんだ時の人間愛でした。 友は友をかばい合い兄は弟をその小脇にしっかりと抱きかかえたままの姿で収容されたからなのです。
死にのぞんでもなお友を愛し、はらからをいつくしむその友愛と犠牲の精神は生きとし生けるものの理想の姿ではないでしょうか。 この像は『真白き富士の嶺』の歌詞とともに永久にその美しく尊い人間愛の精神を賞賛するために建立したものです。』



稲村ガ崎の崖下です。
新田義貞が鎌倉攻めの際に海中に宝剣を投げ入れ、潮が引いたところを一気に攻め入った…という伝説です。
諸説あるようですが、新田義貞が士気を鼓舞するため、潮の干満に通じた義貞の打った芝居との話もありますが、現在の稲村ガ崎を見る限り潮が引いても歩けそうもありません。



トッポ、『江ノ島が見えてきたよ!』



遠くに、江ノ島が少し浮かび上がってきました。



今日は少し波が荒いようで、サーファーが沢山集まってきています。



それでは、磯に下りてみます。

続く.................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その22の2 『厳美渓、猊鼻渓』

2007年06月27日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
厳美渓の後は、『猊鼻渓(げいびけい)』の紹介です。



とりあえずは断崖絶壁の間を流れる川を、船頭さんの名調子とともにのんびり猊鼻渓船下りを体験することにします。



北上川の支流、砂鉄川が両岸の石灰岩を浸食してできた約2kmの渓谷です。
それでは、写真を見ながら一緒に川下りを楽しんでください。



出発してすぐに写真の大きな藤岩が見えてきます。
岩肌に、山藤が絡みついて春には自然の山藤が咲くことから藤岩と名前が付けられています。



およそ100mの断崖が両側にそびえ、岩の間を澄んだ水が流れ、渓谷を見ながらの船下りは旅情たっぷりで、いい雰囲気です。



大正14年に国から「名勝」に指定され、また日本100景にもなっています。
年間30万人を超える観光客がこちらを訪問するそうです。



途中、数々の巨岩が突き出ていて、それぞれに名前がつけられています。



のんびりと流れに身を任せる感じの、手漕ぎ船での渓谷巡りは貴重な体験です。



しばらく猊鼻渓船下りを写真で楽しんでください。

続く...............................................。

トッポと鎌倉散策PartⅡ、 その6 『鎌倉大仏3』

2007年06月26日 | トッポの世界
大仏の裏側の境内に回ってみました。
トッポ、『ちゃんとバッグから出ないで、じっと知ればいいんだね。』


この観月堂は、韓国季朝の時代(1392~1910年)に季王朝の宮廷内に建てられた月宮殿を移築したもので、どのような経過は知りませんが、現在ここにあるそうです。



トッポ、『あっちに石碑があるけど、記念撮影しなくていいの?』



この石碑は、『みだれ髪』などで知られる与謝野晶子が明治37年に大仏を拝観した時に詠まれた歌の歌碑との事です。



トッポ、『暗いし、字は読めないから分からない



達筆すぎて、よく分かりませんがパンフレットによると、『かまくらや みほとけなれどしゃかむには びなんにおわす なつこだちかな (鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は 美男におはす夏木立かな )』と書かれています。

たぶん、鎌倉にある御仏の釈迦牟尼(大仏)は、とても美男である、また周囲の夏木立の爽やかなことよ、てな意味でしょう。



トッポ、『ずっとおとなししていたのだから、早くソフトクリームくれ!



いつもの観光地めぐりの締めくくりは、ソフトクリームです。
トッポはこれが目当てで、観光地めぐりに参加しているようです。



それでは鎌倉からお別れです。



帰りがけに、稲村ガ崎へ寄っていこうと思います。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その22の1 『厳美渓、猊鼻渓』

2007年06月25日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
岩手県の一関市にある『厳美渓(げんみけい)』を紹介します。
ここは、トッポパパが生まれた場所だと聞かされています。
いままで一度も訪問したことがなかったのですが、みちのくの旅の途中で寄ってみました。



厳美渓は、石と渓流が自然に作り上げた景勝地として昔から有名です。



橋の上から写真を撮っていたのですが、見晴台のような場所があるので、そこまで降りて見ました。
さすがに日本の名勝天然記念物に指定されているだけあり、はるかな時の流れが創造した奇岩、怪岩が多く美しい渓谷です。



仙台藩主の伊達政宗が、『松島と厳美がわが領地の二大景勝地なり』と自慢して、度々この地を訪問したそうです。



アップで撮ってみると、巨大な岩肌が急流にえぐられ自然の造り上げた川石の芸術品が目の前に現れました。



これなんだか分かりますか?



対岸の木の間からのぞいてる建物は,『カッコー団子』で有名なお店です。
団子屋までワイヤーが張ってあり、かごの中に代金を入れ、立てかけてある板を木づちで叩くと,団子屋の人が気付いて,篭をを引っ張り上げてくれ、団子が届けられる仕組みになっています。



橋の反対側も写真のような急流が続き、岩ではじける水がすばらしい景色となっています。



一関インターから西へ約5kmで厳美渓に到着しますので、近くに行かれる機会がありましたら、美しい渓谷美を楽しみながらだんごを食べるのもよさそうです。



次回は、厳美渓と並んで有名な『猊鼻渓(げいびけい)』を紹介します。

トッポと鎌倉散策PartⅡ、 その5 『鎌倉大仏2』

2007年06月24日 | トッポの世界
トッポ、『これはでっかい大仏だね!』



本尊の大仏は阿弥陀如来で、高さは12.38m、総重量は121トンもあるそうです。
鎌倉仏像の中で唯一の国宝になっています。



現在の大仏は青銅製で、顔の長さ2.35m、目の長さ1m、耳の長さ1.9mです。
もとは全身金箔に覆われていたようで、左の頬の周辺に今でもかすかに金箔が残っています。



しかし、よく観るとなかなかいい顔をした阿弥陀如来です。



トッポ、『ねえ、あのわらじを大仏が履いていたの?』



そんなことは、ないでしょうが、トッポと記念撮影です。



青空の下の大仏さんは、迫力があります。



境内の案内図です。



境内の裏も少し紹介します。
徳川秀忠(2代将軍)が所持していたとされる聖観音(しょうかんのん)像を安置してある観月堂です。



もう少し奥の境内を歩いてみます。

続く...........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その21の4 『京都PartⅡ、下鴨神社』

2007年06月23日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
国指定の重要文化財に指定されている建造物が53棟もあるという『下鴨神社』の紹介です。
現存の「楼門」は1628年に建て替えられたもので、重要文化財に指定されています。



楼門回廊の手前に、十二単が飾ってありました。
女優の藤原紀香さんが、お笑い芸人の陣内智則さんとの結婚式で、十二単を着ていました。



下鴨神社は正式には、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)というそうで、京都でも最も古い神社の一つです。



境内は白砂が敷き詰められていて、大な境内には東西2棟の本殿(国宝)と55棟の社殿が建ち並び、そのうち53棟が重要文化財に登録されています。
また、上賀茂神社とともに世界文化遺産にも登録されています。



平安京では朝廷の尊崇もあり、『源氏物語』にもたびたび登場する下鴨神社です。写真を撮り忘れましたが、境内の南に広がる糺の森は、樹齢数百年の老木に囲まれた参道があります。



『舞殿』です。
境内の中央に建てられている現在の舞殿は1628年に建て替えられたものとされ、重要文化財に指定されています。



本殿前の舞殿は、葵祭のときに舞が奉納される場所で、これも重要文化財に指定されています。



本殿は東殿と西殿に分かれています。



どこを歩いても重要文化財だらけで、火事にでもなったら大騒ぎになるなと、変なことを考えてしまいます。



では、またちょっと京都から離れて、みちのくに移動します。

トッポと鎌倉散策PartⅡ、 その4 『鎌倉大仏1』

2007年06月22日 | トッポの世界
鶴岡八幡宮を後にして、参道を歩いて鎌倉の駅へ向かいました。



鎌倉の大仏も、子どものとき以来見たことがないので、もう一度見たいと駅前からバスに乗りました。
トッポ、『パパ! 空いているから一人で座らしてくれる



トッポ、『エヘェ! バスも気持ちいいね!』



高徳院の入り口です。
すぐ目の前にバスの停留所があり、とても便利でした。
入り口で犬はダメという表示がありましたが、ここまで来て帰るわけにもいかず、絶対にバッグの外には出しませんからと、無理やり入場許可をもらいました。



高徳院の本尊である大仏は、鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の時代に作られます。
『吾妻鏡』よると、淨光という僧が浄財を集めるために諸国を歩き、1238年から大仏と大仏殿を造り始めました。



そして大仏開眼は5年後の1243年に建立されました、このときの大仏は木造であったようです。



1247年に暴風雨の為に倒壊したので、1252年にあらためて金剛の大仏が造られました。



しかしこのときの大仏殿も1335年と1369年の台風で倒壊してしまいます。
さらに1495年の大津波で押し流され、その後現在の様な露座の大仏となっ多層です。



それでは大仏の近くで、よく見てみます。

続く............................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その21の3 『京都PartⅡ、 金閣寺3』

2007年06月21日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
金閣寺境内にある『夕佳亭』です。



夕佳亭の外観は、茅葺の寄棟造りで、正面は開放的で茶屋のような感じです。
ここは後水尾天皇に献茶をした室といわれています。



入口は土間になっており、細長い三段になった沓脱石が据えられています。
左隅には羅生門の瓦が入り込まれたといわれる竈(かまど)がおかれています。



夕佳亭内正面の『南天の床柱』は有名で、この大きさになるには350年かかるそです。
三畳の茶席は狭く感じますが、夕佳亭から眺める金閣寺は、四季の景色を満喫できたのでしょう。



竜門瀑の滝です。
昔は約15メートルほどの豪快な滝口であたそうです。
滝の前に鯉の滝登りをあらわした『鯉魚石』という石を配して、龍門を登ろうとしている鯉を表しています。
この中国黄河に在る竜門を参考にしたのでしょう。
滝を登った鯉は龍になるという古事から、私たちが使う、『登竜門』の由来担っています。



安民沢(あんみんたく)とよばれる池です。



池の中には白蛇塚という五輪の石塔があります。



ここ周辺は金閣寺創建前に、この地に西園寺を建てた西園寺家の鎮守だったそうです。



修学旅行以来の金閣寺でしたが、よく見るといろいろ見るべきところがありました。



それでは、金閣寺から下鴨神社へ向かいます。

トッポと鎌倉散策PartⅡ、 その3 『鶴岡八幡宮3』

2007年06月20日 | トッポの世界
トッポと舞殿のほうに移動します。



昨年訪問したときは、修理中であった舞殿は綺麗に修復されています。
今回は、この舞殿で挙式を上げている新郎新婦があり、しばし古式豊かな婚礼の儀を遠くから、眺めていました。



挙式は巫女の先導により、舞殿へと進み雅楽の調べに合わせて始まりました。
三三九度と、お二人の誓いの詞(ことば)を神前にて行い、厳粛に式が執りおこなわれていました。



トッポも雅楽の演奏に緊張したのか、おとなしくじっと見ていました。
トッポ、『僕は、一度も結婚したことない!
いまになると、トッポ2世がいないのは、ちょっと残念です。



61段の石段を登ると上宮、ここからは、鎌倉の街を一望できます。
八幡宮の八は、以前にも紹介しましたが鳩の形をしています。



上宮の綺麗な龍の彫り物です。



上から見た舞殿です。
入母屋造りの建物で、源義経の愛人であった、静御前の悲しい逸話が残されています。
吉野山で捕らえられた静御前は、源頼朝に舞を命ぜられ『吉野山みねのしら雪踏み分けていりにし人のあとぞ悲しき』と義経を慕う歌を詠み舞ったとされ、これが頼朝の怒りをかい、義経の子と、自らの命を失う悲劇が生まれました。



源頼朝は、1147年源義朝の第3子として京都で生まれました。
13歳で初陣した1159年ヘ平時の乱で敗れ、平頼盛の家人弥平兵衛宗清に捕えられて京都に護送されます。
頼盛の母で平清盛には継母にあたる池禅尼の涙ながらの歎願により一命を取りとめられました。
伊豆国蛭ヶ小島へ流罪となった頼朝は、それから20年の歳月を伊豆で過ごすこととなりますが、先日NHKで1180年に平家打倒に立ち上がるまでの物語を放映していました。



平家との戦いに勝利した頼朝は、まず鶴岡八幡宮を祀って源家の氏神とし、鎌倉の街造りを進めました。



1182年妻政子は長男の頼家を産みます。
若宮大路(段葛)は妻の安産を祈り鶴岡八幡宮の参道として造られたものです。
1192年に頼朝は征夷大将軍になります。

続く.....................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その21の2 『京都PartⅡ、 金閣寺2』

2007年06月19日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
それでは金閣寺の周りを歩いてみます。
1397年に将軍職を義持に譲った足利3代将軍義満が、西園寺公経の山荘の跡に「北山殿」と呼ぶ別邸を造り、義満の法号にちなんで『鹿苑寺』と呼ばれるようになります。



1994年に古都京都の文化財として世界遺産に登録されました。
写真の金閣は舎利殿と呼ばれ、寺院全体を『金閣寺』と呼ぶようです。



北山文化唯一の遺構であった金閣も1950年に一人の学僧によって放火され焼失してしまう事件が起きました。
現在の建物は1955年に再建されたものです。
1987年に、金箔が全面張り替えられ、現在の豪華絢爛な金閣に蘇えりました。



鏡湖池にせりだした金閣は、3層の楼閣で、初層は寝殿造りの「法水院」、2層目は武家造りの「潮音洞」第3層は唐風の「究竟頂」となっていて、三つの違った様式を見事に調和させています。
屋根の上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰が輝いています。



鏡湖池は、室町時代を代表する名園で池泉回遊式庭園になっています。



金閣寺は金箔が太陽の光を受けて、湖面に光り輝き、鏡湖池周辺の美しい庭園と調和し、絢爛豪華な歴史を感じさせてくれます。



金閣寺は季節によって景色も様変わりし、春は桜、秋は紅葉に彩られ、冬は雪化粧と、その季節なりの素晴らしさがあるそうです。



金閣の放火焼失事件は三島由紀夫の『金閣寺』や水上勉の『金閣炎上』の小説の題材としても取り上げられました。

舎利殿(金閣)にはお釈迦様のお骨をまつったとされています。
足利義満は金閣寺を大変気に入り、造園に力を注ぎ庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したと言われ手います。
当時、中国との貿易を盛んにして文化の発展に寄与し、この時代の文化を特に北山文化と言います。



もう少し、庭園を見て回りたいと思います。

続く....................................................。

トッポと鎌倉散策PartⅡ、 その2 『鶴岡八幡宮2』

2007年06月18日 | トッポの世界
源氏池の周辺で、少し休憩しながら景色を眺めることにしました。
池のほとりで、トッポが鳩を気にしながらウロウロしています。



遠くに前回紹介した、弁財天社の旗が見えます。



源氏池は蓮に覆われていて、これから夏にかけて見事な蓮の花が咲き誇るのでしょう。



トッポが、近くに寝ている鴨とアヒルに興味を持ち、そばへ行こうとします。



ここの住人である鴨やアヒルは人に慣れているのか、近くによっても全然気にすることもなく昼寝中です。



トッポが近づいても一向に動じることもなく、木陰で気持ちよさそうに仲良く寝ています。



トッポ、『この木も古そうだね!』



鎌倉時代の歴史を語る柏槇(びゃくしん)の木です。
この柏槇は、市の天然記念物に指定され、幹のまわりは4m以上もあります。
日本で柏槇が見られる様になるのは鎌倉時代からいわれていますので、時代の生き証人のような古木です。



前回リスが沢山いた、池の周りへ行ってみましたが、今日は見かけることはできませんでした。
昨年同時期に見たリスはこちらからどうぞ



では、八幡宮まで上がってみます。

続く.................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その21の1 『京都PartⅡ、 金閣寺1』

2007年06月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
みなさんよくご存知の金閣寺を海外のお客さんと一緒に訪問しました。
金閣寺は正式には鹿苑寺(ろくおんじ)といいますが、通称名である『金閣寺』の方が、一般的でありよく知られています。



この鐘楼は西園寺公経時代の遺構の一つで、鎌倉時代につくられたようです。



ここ周辺、衣笠山一帯は鎌倉時代から貴族の山荘などが造られていたようです。
西園寺公経が1224年に北山を造営し、将軍足利義満が、太政大臣になった1397年に西園寺家からここを譲り受け、新たに北山殿の造営を始めたとされています。
足利義満の死後、その遺言に従い、この場所に鹿苑寺を創建したといわれています。



一文字の手水鉢は舟形に成っています。 
此処の石舟は出れない、出ては行けない出家者を現しているのではと言われています。



ひときは目を引く大きな櫟樫(イチイガシ)の木です。
櫟(いちい)は一位に通じて、立身出世を願い、公卿たちはこの木で笏(しゃく)を造って常に携えていたという縁起のよい木です。



お待たせしました、金閣寺です。
最初の金閣は、応仁の乱で一部を残し焼失しましたが、桃山時代に相国寺の西笑承兌が復興に努め、ほぼ、現在の姿になったそうです。



金閣寺は現在、臨済宗相国寺派の禅寺として、相国寺が管理しています。
海外のお客さんと記念撮影です。



『金閣寺』の由来となった金閣は、漆地に金箔を押した三層の建物で正式には舎利殿といわれました。



次回は、金閣寺の近くからその美しさを庭園と一緒に紹介します。

続く.................................................。

トッポと鎌倉散策PartⅡ、 その1 『鶴岡八幡宮1』

2007年06月16日 | トッポの世界
天気のよい週末、友人とトッポを連れて鎌倉へ出かけました。
鶴岡八幡宮の正面の鳥居です。



鳥居をくぐると、すぐその先に太鼓橋があります。
境内には大きな池がありますが、この太鼓橋で二つに分かれていて、源氏池と呼ばれる東の池には島が三つあり、平家池と呼ばれる西の池は島が四つあります。
それぞれの島の数で源氏の池の三は産につながり繁栄を表し、平家の池の四は死を表し滅亡を表したものです。



東の池のひとつに、旗揚げ弁財天社があるので、橋を渡ってみます。



トッポのアップ写真です。



池一面蓮畑で、夏には紅白の蓮の花が見事に咲くのでしょう。
白は源氏を赤は平家をあらわしているそうですが、白のほうが多いのでしょうかね。



北条政子が平家の滅亡を祈った?といわれる弁財天です。



源氏池の中の中島に弁財天社があります。
1221年の承久の乱の出陣に幕府軍がここで旗揚げし戦勝祈願したとされています。



現在は江の島鎌倉七福神の一つとされています。
トッポもご利益があるように、記念撮影です。



この弁財天社の回りは、鳩が沢山います。
でも、ここの鳩は写真で分かるように白い鳩がほとんどです。
これも源氏は白、の影響でしょうか。



では、もう少し鶴岡八幡宮の境内を歩いて見ます。

続く.................................................。

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帰国したばかりで、まだ時差ぼけ解消までいかないうちにまた出張になります。
明日、早朝より上海へ出かけてきますので、ちょっと早めのアップです。
今度は短期ですし、時差もほとんどないので楽でしょう。
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