TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その131 『湯西川渓谷』 その3

2013年02月28日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
湯西川温泉の冬の風物詩はかまくらです。



実物を見るのは初めてですが、4人ぐらい中に入っても十分な広さがありそうです。



中でバーベキューを楽しんでいる人がいますが寒くはないのでしょうかね。



トッポパパも中に入ってみました。
入口は屈んで入りますが中に入れば立てるくらいの高さがあります。



昼間はソリ遊びやかまくらの中で遊び、夕暮れとともに氷のぼんぼりに灯がともされ、かまくらもライトアップされます。



湯西川をバックに記念撮影です。



湯西川温泉のかまくら祭り期間は、ミニかまくらを灯し美しい夜景を楽しめます。



ミニかまくらはボランティアの方々の手により作られたそうです。



約1000個のミニかまくらの優しい光は是非観てみたいものです。



この幻想的な夜景は、日本夜景遺産の一つとして認定されているそうです。
この場所は土日のみの点灯のようで、平日に訪問したトッポパパは残念ですが平家集落の会場のミニかまくらを観に行きたいと思います。

続く...........................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その131 『湯西川渓谷』 その2

2013年02月27日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
平清盛の時代に栄華を極めた平氏も、源頼朝率いる源氏により源平合戦に敗れ、一族の一部は湯西川に落ち延びました。



後白河は天皇即位直後に起こった保元の乱では平清盛、源義朝を味方にして崇徳上皇を追放し、平清盛の大きな味方ともなり日本一の大天狗ともよばれたので(後に平家一門も滅亡に導かれますが)大天狗のお迎えです。



ひな祭りが近いので、歴史を感じさせるたくさんのお雛様が飾られています。



トッポママは囲炉裏を前に雪景色を眺めています。



眼下に雪化粧をした湯西川渓谷の素晴らしい景色が広がっています。
ここからは四季それぞれの美しさが楽しめそうです。



壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家一門は、再興を願いつつ源氏の追討から逃れるために落人として全国各地に落ち延びました。
この辺りも落人集落跡だそうです。



その中で那須と塩原の間にある鶏頂山に逃れていた落人が源氏の追っ手に追われて湯西川にやってきたそうです。



湯西川温泉で行われるかまくら祭りは、小さなミニかまくら一つひとつに明かりを点した幻想的な夜景が楽しめるお祭りです。
ここ平家集落のミニかまくらにも灯がともされるので、後ほど紹介します。



湯西川温泉街をメイン会場がこちらになります。



次回はかまくらの紹介です。

続く..................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その131 『湯西川渓谷』 その1

2013年02月26日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
今回は栃木県の北部の湯西川渓谷にある湯西川温泉に出かけました。
福島県会津地方との県境に近い所にあり、標高740メートル前後の山あいに20軒強の宿が点在する静かな温泉街です。



湯西川温泉は、平家の落人が発見した温泉と言い伝えられていますので、平家の庄という旅館に滞在します。



チェックインする前に、個性的な雪だるまが並んでいる雪だるま通り?を散策です。





湯西川は鬼怒川、川治よりさらに山深く入り込んだ標高800m程のところで、トンネルをくぐるたびに雪が深くなる感じでした。





さすがに寒いので、これからチェックインです。



秘境の面影を色濃く残す湯西川温泉郷は狸のお出迎えです。



日本一の平家神代杉根は樹齢推定1200年と書かれています。



これから順番に平家集落の冬の見どころを紹介します。

続く................................................................................。

トッポ家の小さな庭の素人ガーデニング その6

2013年02月22日 | 小さい庭の素人ガーデニング
先日は横浜では今年5回目の雪が降り、まだまだ寒い日が続いています。
今日ははちょっと日がさしましたので、トッポと一緒に植木の手入れをしました。



昨年から梅の木を2本、大きな鉢植えにして育つかどうか経過を見ています。
南高梅の花が咲きはじめました。



トッポ、『梅の実をならせると張り切っていますけど、どうなるのか!』



こちらは豊後梅ですが、まだ蕾状態です。
果実を付けるには相性の良い2種類の梅の木が必要とのことで育て始めたのですが、どうなりますかお楽しみです。
2年目の木なので、まだちょっと早いかもしれませんね。



トッポパパが今年は楽しみにしているのが鉢植えの『木瓜(ボケ)』です。



木瓜は種類にって咲く時期が多少異なるようです。
一本ものはおまけにもらった、挿し木から育てた木瓜なんですがもう咲きはじめています。
左は一番遅くまだつぼみも小さいので4月ぐらいに咲くのでしょう。



こちらの木瓜は以前から家にあったのですが、カミキリ虫の幼虫に栄養をとられて瀕死の状態でしたが、幼虫の除去と根の掃除をしたら、今年は大きな蕾を付けています。



こちらは確か2種類の花が咲く木瓜らしいので期待しています。
3種類とも一応元気に育っているようなので春が楽しみです。



いま一番咲いているのはガーデン・シクラメンとこのビオラです。



トッポパパ、『こっち見てみろ! 蘭の花がもう咲きそうだぞ!』



クンシランはまだまだ動きはありませんが、こちらの蘭のほうが先に咲きそうです。
鉢の植え替えと適当な肥料が良かったのか元気になりました。



まだまだ春近しと言えませんが、トッポ家の小さな庭にも少しずつ変化が観えてきました。
来月には一斉に新芽が伸び始めるでしょう。
トッポもトッポパパもまだ?そこそこ元気にしています。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その131 『浅草』 

2013年02月19日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
以前日光に出掛けた時、帰りにちょっと浅草に寄ってみました。
ネット情報を基に、ちょっと纏めてみました。
1960年、松下電器の創設者、松下幸之助が門及び大提灯を寄進し現在の雷門が成立したそうです。
雷門の創建は平公雅が天慶5年(942年)に心願成就の奉賽として、浅草寺本堂を始め堂塔伽藍を再建した際に総門を駒形に建立され、文献に最初に著われてくるのは寛永12年(1635)なってからです。
寛政7年(1795年)に再建、、慶応元年(1865年)総門を焼失、その後戦災を経て昭和35年5月に再建され現在に至ります。
門の間口は六間半(11.8m)奥行三間(5.4m)の切妻造りの様式、雷神の背丈は2.21m、風神は2.12mです。



中央にある大提灯は幅3.3m×高さ4m 重さ600kgで平成15年に架け替えられました
左右それぞれに風神像(右側)、に雷神像(左側)が祀られています。
門に向かって、右側に風神、左側に雷神像で、正式には風雷神門と言いますが、江戸時代から雷門の略称が使われました。


仲見世は日本で最も古い商店街の一つです。
徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の人口が増え、浅草寺への参拝客も一層賑わいましたが、それにつれ、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えたのが仲見世の始まりです。



江戸時代には、伝法院から仁王門寄りの店を役店(やくだな)と呼び、20件の水茶屋が並び、雷門寄りは平店(ひらみせ)と呼び、玩具、菓子、みやげ品などを売っており、次第に店も増え日本でも一番形の整った門前町へ発展していきます。



今の仲見世には東側に54店、西側に35店、合計89店の店舗があり、長さは約250メートル、美しい統一電飾看板と四季折々の装飾が石畳に映え、雷門をくぐった海外からのお客さまにも好評です。



よくご存じの浅草寺、その浅草観音の宝蔵門に「小舟町」と筆太に書かれた朱塗りの大提灯が釣られています。



この大提灯はもともと日本橋魚河岸信徒の心意気を示したものとして万治2年(1657年)の奉納に始まり、3百有余年の歴史と伝統を今に連綿として受け継いでいます。
その後、江戸開府400年を期に新調奉納されました。
現在の提灯は従来の物より一回り大きくなり、直径3.3m、高さ3.9m、重さ700kgとなっています。



浅草寺です。
由来は飛鳥時代、推古天皇36年(628年)檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、一躰の観音さまのご尊像を感得(かんとく)します。
当時の郷司はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依し、その後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝供養に生涯を捧げた。
大化元年(645年)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法(でんぼう)の掟が厳守されています。

鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ増していきます。
江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所と定められ、江戸文化の中心として、大きく繁栄しました。
かくして都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの参詣者が訪れる民衆信仰の中心地となっています。



浅草寺ご本尊の観世音菩薩のご利益・ご霊験は古今無双でいわれ、今日まで1400年近くにわたり多くの人が参拝されています。



五重の塔です。
地上からの高さ:53.32m(搭の高さ48.32m、うち九輪部分15.07m)です。
最上階の五層にはスリランカ伝来の仏舎利が納められていて、スリランカ(当時はセイロン)政府及び仏教界の好意により、古都アヌダラプタのイスルムニヤ寺院から贈呈されたものです。



浅草周辺の紹介はまたの機会にします。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その130 『東京駅丸の内駅舎』 

2013年02月16日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
東京駅丸の内駅舎が昨年10月1日にリニューアルされましたが、トッポパパはまだ写真を撮っていませんでした。
観光スポットで紹介している『東京駅の石碑』です。
東京駅の石碑は『御車(みくるま)寄せ』の右に設置されています。



御車寄せは現在は利用されていないそうですが、もともとは天皇、皇后両陛下や国賓、公賓、皇族などが東京駅をご利用になる際に乗用車をつけるところです。



1914年(大正3年)に創建された東京駅丸の内駅舎は、1945年(昭和20年)、戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失し、戦後、3階建ての駅舎を2階建て駅舎に復興し、リニューアル前の姿になりました。
新しい東京駅丸の内駅舎は、戦災で焼失した屋根と3階の外壁を創建当初の姿に復原されて平成24年(2012年)10月1日に復原開業しました。
東京の玄関として歩んできた『東京駅』は1914年の誕生から、まもなく100年の歴史を刻みます。



ネット情報ですが;
この度の保存・復原工事では、外観を創建当時の姿に再現するとともに、機能を拡大し、未来へ継承するため、巨大地震にも耐えうる免震工法で施工されました。
屋根瓦には、粘板岩を薄く板状に加工した屋根材の天然スレートが使われていますが、そのスレートを加工する工場は、東日本大震災の津波で洗い流されてしまいました。
しかし、跡地の”がれき”の中に、スレートの束が残っていて、そのスレートが”ドーム”の屋根に使用されているそうです。



戦災で破壊された屋根は『八角形』でしたが、今回の保存復原工事で創建時のドーム状に姿を変えました。
天井部分はまさにドームです。



天井部の黒丸に観えるところに、『干支(えと)』のレリーフが観られます。
それぞれの干支が示す方位に配置されています。



八本の柱に対して十二支というのは数が合わないのですが、東西南北を示す子(北)、卯(東)、午(南)、酉(西)の4支は描かれず、丑、寅、辰、巳、未、申、戌、亥の8支だけが描かれています。



東京駅丸の内駅舎内にある東京ステーションホテルは10月3日、6年半ぶりにリニューアルオープンしました。
初日から予約の電話が鳴り1カ月を経ずに1千件を突破し、その後も予約は入り続けているそうです。



東京駅にお出かけの際は、ちょっとブラブラ歩きをしながら眺めるのも一興です。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その129 『第64回札幌雪まつり』 その7

2013年02月15日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
最後に第33回すすきの氷の祭典を見てきました。



『氷を見る』から『氷を楽しむ』がテーマで、大・中の氷彫刻や氷彫刻コンクール作品などの幻想的な氷像が展示されています。







氷像はホテルや飲食店の調理師さんの『氷の彫刻芸術』が多く、自慢の腕を競い合う祭典です。



ご存じ時計台です。
明治11年(1878年)札幌農学校演武場として時計台が完成したので、長い歴史のある時計台です。



札幌農学校は日本を代表する人物、新渡戸稲三、内村鑑三、宮部金吾、有島武郎を輩出し、いろいろな分野で中心的役割を担っています。



最後になりましたが、『赤れんが』の愛称で親しまれている北海道庁旧本庁舎です。



1888(明治21)年にアメリカ風のネオ・バロック様式で建てられました。



内部は北海道の古文書などが収蔵された北海道立文書館として一般開放されています。



それでは札幌より

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その129 『第64回札幌雪まつり』 その6

2013年02月14日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
雪の中大通り公園を戻る途中、雪降る中舞台で歌と踊りを披露している人気のグループ?が(トッポパパは何も知らないので)頑張ってます。
年寄りは素足で凍傷にならないのかと心配してしまいます。



人気の屋台も、この大雪では外での立ち食いは厳しいようです。



すすきのに向かう途中、よくテレビで紹介される花畑牧場ミュージアムです。



狸小路のアーケイドです。



札幌狸小路商店は北海道で最古の商店街の一つだそうで、歴史は明治6年に遡るそうで140年近い歴史があるそうです。



すすきのの大通りが観えてきました。



通行量の多い市街地でこれだけの積雪です。
東京、横浜ではパニックになりますが、まだスリップして動けなくなった車は一台も見ません。
北海道ではどうってことのない積雪なんでしょうね。



すすきのの大通りです。
銀座新宿と変わらないイルミネーションです。



札幌名所?、新ラーメン横町です。
もちろん、トッポパパたちはタクシー運転手に聞いて、地元の人お勧めのラーメン屋で美味しくいただきました。


トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その129 『第64回札幌雪まつり』 その5

2013年02月13日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
ワット・ベンチャマボピット(大理石寺院)の大雪像を背景に記念撮影ですが、雪が激しくなり背景がボケてしまいました。
トッポママの顔もボケていますが、これは個人的な事情です。



大通公園8丁目は400年以上の歴史を持つ古典芸能・歌舞伎の殿堂で、この春オープンする新歌舞伎座が雪像でのお披露目です。



北海道放送と陸上自衛隊が独自のアイスブロック工法で竣工しました。



雪がだいぶ積もってきました。



市民の広場の雪像も雪に埋もれ始めています。
横浜に住んでいるトッポパパには、短時間でこれだけ積もる雪は初めての経験です。



大通り公園10丁目には3年前にも楽しませてくれたちびまる子ちゃんです。



ハワイのちびまる子ちゃんです。



ちびまる子ちゃんの顔が汚れていると思ったのですが、これは日焼け顔ですね。



トッポママは大雪の中ではしゃいでいます。
雪が大粒になり、この先は写真にならないようです。



大通公園11丁目は国際色豊かな雪像群ですが写真は諦めました。
大きなポールに国際色あふれる飾り付けです。



これからすすきのへ移動します。

続く..................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その129 『第64回札幌雪まつり』 その4

2013年02月12日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
同じ大通公園5丁目に『豊平館』の大雪像が造られました。



豊平館は、北海道開拓使が洋風ホテルとして建築し、明治天皇北海道行幸の行在所となりました。
国の重要文化財の指定を受けている豊平館の大雪像が、今回はプロジェクションマッピングで先進的なアートを演出しています。
ただ残念なことに、デジタルニュースによるとあまりの人気のため観客が将棋倒しになる危険があるため10日以降は中止されたそうです。











大通公園7丁目にタイ王国広場として、ワット・ベンチャマボピット(大理石寺院)の大雪像です。



こちらが、5-6年前にブログで紹介した実際の寺院です。



左右対称の美しい本堂が雪像として再現されています。



続く.................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その129 『第64回札幌雪まつり』 その3

2013年02月11日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
大通公園4丁目は『伊勢神話への旅』をテーマに神事を祝う大雪像の出現です。



高さ15mx奥行20mx横幅25mと大きな雪像です。
積雪のため関係者の除雪は大変だったと思いますが、見事な雪像です。



神話の大雪像を通して、日本人のふるさと・伊勢に想いをはせ、日本人のみならず世界中の人々に日本の形式美や伝統文化を感じてもらいたいという創作意図が記されていました。



大雪像のほかにもたくさんの小雪像が造られていましたが、朝からの雪で製作者には気の毒ですが除雪が追いつかないようです。







大通公園5丁目に台湾の観光名所である中正記念堂です。



こちらが以前ブログでも紹介した実際の中正記念堂です。
中国の伝統的な宮殿陵墓式です。



夜になるとライトアップされて、これまた幻想的な宮殿になりました。



続く......................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その129 『第64回札幌雪まつり』 その2

2013年02月10日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
大通公園2丁目会場は氷の広場で、音楽と照明が楽しめます。



光と氷の反射で幻想的なお城が楽しめました。



3丁目会場は恒例の『白い恋人PARK AIR』が開催されています。



スノーボードとスキー大会が開かれています。



選手の華麗な姿を撮ろうと翌日再度会場に足を運びましたが、7日は1日に20-30cmも積もる大雪?で残念ながらこんな写真しか撮れませんでした。



寒さで手振れもありこんなものでご勘弁を!







滑走距離が短いのでバランスを崩す選手もあり結構難しそうです。



続く.......................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その129 『第64回札幌雪まつり』 その1

2013年02月09日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
3年ぶりの札幌雪まつりに出掛けました。
今回は第64回札幌雪まつりで『純白の夢よぶ世界の広場』がテーマです。
トッポママは初めての雪まつり見学ですので、一緒にゆっくり観て回ります。
今回は北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)のすぐ近くのガーデンパレスホテルに滞在です。
ホテル前にも見事な雪のオブジェが飾られていました。



札幌テレビ塔と大通り公園の雪まつりを映し出したライブカメラ映像がありましたので紹介します。



平日なのですが多くの観光客が集まって来ました。



大通公園の最東端にそびえ立つ高さ147.2メートルのテレビ塔は、時計台と並んで札幌のランドマークです。
地上90mの高さにある展望台からの大通公園の眺望は絶景でしょう。



恒例のスケートリンクです。
リンク中央のツリーはイルミネーションになっています。



ライトアップされたオブジェです。









もうすぐひな祭りです。
初孫の誕生でトッポ家でも久しぶりのひな祭りになりそうです。



次回より順番に大小の氷像を紹介します。

続く....................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その128 『軽井沢』 その7

2013年02月05日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
短時間の軽井沢観光を終えて、今日は子供たちが予約してくれた夕食です。
レストランは広い空間をひな壇のようにアレンジし、広い空間の下で雪景色を眺めながら食事を楽しめます。



退職祝いということで、『星のや』さんから素敵な食前酒がプレゼントされました。
子供たちに感謝の乾杯です。



美味しい料理が次々に運ばれています。
デジカメや携帯カメラの普及でみなさん料理の写真を撮っていました。

    

最近お酒はほとんど控えるようにしていますが、今日は久しぶりに少し飲ませてもらいました。



どの料理も手の込んだもので、美味しくいただきました。

    

いろいろ問題は残っていますが、ある意味では自分のやりたいように退職まで公私とも過ごしてきたのに、こうして家族に祝福されるとは幸せ者です。



食事の後は姫と遊んで過ごします。



最後に家族での記念撮影です。



一人外れたトッポママは、遠くでひょうきんなポーズを撮っています。



ここはテレビもなく、外部と遮断さえたような世界ですが、のんびりと過ごした数日は貴重な時間でした。



それでは軽井沢より



トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その128 『軽井沢』 その6

2013年02月04日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
軽井沢の超高級別荘地帯を案内されました。
歴代の総理大臣所有や大企業所有の別荘の説明を受けながら観て回りました。
こちらは『旧三笠ホテル』です。
カラマツ林の中に静かなたたずまいをみせる洋館で、当時は『軽井沢の鹿鳴館』とも呼ばれ、現在は国の重要文化財の建物です。



ネット情報からの抜粋です。
”明治37年、三笠山のふもとに土地25万坪を購入しする山本直良は、はじめは牧場を営むことを考えていましたが、土壌に問題があり断念しました。そこで定宿の万平ホテルの主人に知恵を借り、三笠ホテルを造ることを決意し、設計を欧米に学んだ岡田時太郎に、監督を、商売敵であるはずの万平ホテルの佐藤万平に頼みました。
ちなみに創設者の山本直良の奥さんは、作家有島武郎の妹でした。そういううこともあって、三笠ホテルは白樺派のサロンとしても利用されました。また英国から取り寄せたすべての洋食器には、弟の画家有島生馬が絵付けを行いました。”

山本直良(1870~1945)は日本郵船や明治製菓の重役を務めた実業家で、有名な音楽家・山本直純の祖父に当たる人です。
万平ホテルは後述します。

こちらは建築家、アントニン・レイモンド氏によって設計された木造の教会、聖パウロ・カトリック教会です。



昭和10年に建てられて以来、軽井沢のシンボルとして愛されてきました。
堀辰雄が『聖パウロ教会で結婚すると多くの人たちから祝福される』と言われたことから今でも沢山のカップルがここで式を挙げているそうです。



堀辰雄の『木の十字架』より;
”その教会というのは、――信州軽井沢にある、聖パウロ・カトリック教会。
いまから五年前(一九三五年)に、チェッコスロヴァキアの建築家アントニン・レイモンド氏が設計して建立したもの。
簡素な木造の、何処か瑞西(スイス)の寒村にでもありそうな、朴訥な美しさに富んだ、何ともいえず好い感じのする建物である。
カトリック建築の様式というものを私はよく知らないけれども、その特色らしく、屋根などの線という線がそれぞれに鋭い角をなして天を目ざしている。それらが一つになっていかにもすっきりとした印象を建物全体に与えているのでもあろうか。――町の裏側の、水車のある道に沿うて、その聖パウロ教会は立っている。小さな落葉松林(からまつばやし)を背負いながら、夕日なんぞに赫(かがや)いている木の十字架が、町の方からその水車の道へはいりかけると.....”



こちらは"軽井沢の父"と呼ばれる英国国教会(聖公会)司祭A.C.ショー宣教師によって、明治28年に建てられた木立の中に佇む軽井沢最古の教会です。
軽井沢を訪れる人々の心の憩いの場としてある礼拝堂です。
別荘地としての軽井沢の歴史の発端は、明治中期に外国の宣教師たちがこの地に別荘を設け、毎夏避暑にやってくるようになったことにあります。



当時の欧米人は、夏休みがあっても故郷への船旅は何ヶ月もかかってしまうので帰れなかったため、東京のうだるような暑さに耐え切れない欧米人にとって軽井沢は格好の避暑地となったのです。
明治後期に入ると訪れる人を受け入れるホテルもでき、大正期には、西武などの資本の参入で別荘地の分譲が盛んになります。
戦前の軽井沢は外国人の街のようで、明治39年の調査によると、英国401人、米国337人、独国74人など計851人もの外国人が住み、別荘数も日本人よりも多く所有していたそうです。
こうした人々が避暑地として楽しんだ当時の建築物として、旧三笠ホテルは想像を現実として教えてくれます。



こちらは皇太子と美智子妃殿下がテニスをしたことで有名なテニスコートです。



テニスの後寛ぎの場となった建物で、『集会堂』と書かれています。



こちらは『万平ホテル』です。
万平ホテルは、江戸時代後期に、佐藤万右衛門が万平ホテルの前身となる旅籠「亀屋」を旧軽井沢銀座の軽井沢郵便局付近に開業したのがはじまりです。
明治期に東郷平八郎、大正期に室生犀星や堀辰雄、ウォルター・ウェストンなど、昭和期には三島由紀夫やジョン・レノンなど、多くの著名人が宿泊しています。



いろいろ情報を集めていくと興味ある歴史に結び付きそうですが、またの機会にしたいと思います。

続く...................................................................................。