今ままでに多くの世界の都市を紹介してきましたが、中国北京の紹介は今回が初めてです
久しぶりに北京に1日宿泊したので、空港に移動する前に天安門、紫禁城へ足を延ばしてみました。
天安門広場です。
天安門広場は都市の広場としては、世界の都市の中でも最大規模の広場です。
南北880メートル、東西500メートル、面積は44万平方メートルもあります。
毎朝、荘厳な五星紅旗が旭日が昇ると同時に掲揚され、夕日が沈むと同時に降ろされます。
1999年の建国50周年には一新され、広場の北側に天安門、西側は人民大会堂、東側に中国歴史博物館と中国革命博物館、南側は人民英雄紀念碑と毛主席紀念堂があります。
写真奥の大きな建物は天安門広場東側にあり、もとの中国歴史博物館と中国革命博物館です。
中華民族の悠久な文化と歴史を系統的に展示する総合博物館です。
収蔵されている文物は40万点余りもあり、出土文物、貴重文化財、貨幣、民族文化財、文献拓本などが含まれ、展示品は170万年前の元謀人から1912年の最後の封建王朝が幕を閉じるまでのさまざまな文化財と資料が9000余点もあります。
中華民族の偉大な歴史、沿革と光り輝く文化を全面的に展示しています。
西側には中国の国会議事堂にあたる人民大会堂があります。
人民大会堂は全国人民代表大会などの重要な会議が開催されます。
建国10周年を記念して、ボランティアの手によって10ヶ月(1958~1959年)かけて建造された建物です。
17万平方メートルを超える床面積を有し、300室の会議場・休憩室・事務室を備えています。
人民大会堂の中央ホールでは5年に一度、中国共産党の総会が開かれます。
広場のほぼ中央に1958年に建てられた人民英雄紀念碑があります。
天安門からみえる北面には、毛沢東による金文字「人民英雄永垂不朽」(人民の英雄は永遠に不滅だ)が書かれています。
南面には周恩来による言葉として、「ここ3年来の人民解放戦争と人民革命によって犠牲になった人民の英雄達は永遠に不滅だ!(1946年からの国共内戦を表す。)
ここ30年来の人民解放戦争と人民革命によって犠牲になった人民の英雄達は永遠に不滅だ!(1919年の五四運動以降の抵抗運動・抗日戦争を表す。)
ここから1840年まで溯った時から内外の敵に反対し、民族の独立と人民の自由と幸福を勝ち取るための毎回の闘争の中で犠牲になった人民の英雄達は永遠に不滅だ!(1840年のアヘン戦争以降の諸抵抗運動(太平天国の乱や義和団の乱・辛亥革命等を含む)をあらわす。)の大意の中文が書かれています。
台座部分には中国近代史における主な事件(アヘン戦争の原因となった1839年の林則徐の広東省虎門でのアヘン焼却事件「虎門銷煙」、太平天国の乱のきっかけになった1851年の「金田蜂起」、辛亥革命のきっかけとなった1911年の「武昌蜂起」、1919年の北京での「五四運動」、1925年の上海での労働者のデモにイギリス軍が発砲した「五・三〇事件」、1927年に江西省で起こった国共内戦の始まりであり中国人民解放軍の誕生とされる「南昌蜂起」、1937年からの「日中戦争」、1946年からの第2次国共内戦の一つで中国共産党の勝利を決定的にした1949年4月の「長江渡江戦争」)のレリーフが彫られています。
完成当時は直接触れることが出来ましたが、度重なる革命運動や二度の天安門事件の舞台になったことにより、現在では警備兵が常に監視し近寄れなくなっています。
天安門のほうへ歩いていきます。
天安門は黄金色の瑠璃瓦、ベンガラ色の城壁、白い大理石の欄干が印象的な城門で、北京の象徴です。
中央門上部には中国共産党の初代主席である毛沢東の像が掲げられ、楼閣の上部には国章が飾られています。
平日にも関わらず、中国内外を問わず多くの観光客が天安門、そして紫禁城(故宮)へ向かいます。
トッポパパ記念撮影です。
サングラスは気取っているわけではなく、最近若干白内障気味なので、炎天下ではサングラスをかけないと目が疲れるので、ご勘弁ください。
ようやく人波が途絶えた瞬間に、落ち着いた天安門を正面から撮ることができました。
天安門は明の永楽15年(1417年)に建てられ、承天門と名付けられました。
地下道を潜り、天安門に向かいます
続く.................................................................................................。
久しぶりに北京に1日宿泊したので、空港に移動する前に天安門、紫禁城へ足を延ばしてみました。
天安門広場です。
天安門広場は都市の広場としては、世界の都市の中でも最大規模の広場です。
南北880メートル、東西500メートル、面積は44万平方メートルもあります。
毎朝、荘厳な五星紅旗が旭日が昇ると同時に掲揚され、夕日が沈むと同時に降ろされます。
1999年の建国50周年には一新され、広場の北側に天安門、西側は人民大会堂、東側に中国歴史博物館と中国革命博物館、南側は人民英雄紀念碑と毛主席紀念堂があります。
写真奥の大きな建物は天安門広場東側にあり、もとの中国歴史博物館と中国革命博物館です。
中華民族の悠久な文化と歴史を系統的に展示する総合博物館です。
収蔵されている文物は40万点余りもあり、出土文物、貴重文化財、貨幣、民族文化財、文献拓本などが含まれ、展示品は170万年前の元謀人から1912年の最後の封建王朝が幕を閉じるまでのさまざまな文化財と資料が9000余点もあります。
中華民族の偉大な歴史、沿革と光り輝く文化を全面的に展示しています。
西側には中国の国会議事堂にあたる人民大会堂があります。
人民大会堂は全国人民代表大会などの重要な会議が開催されます。
建国10周年を記念して、ボランティアの手によって10ヶ月(1958~1959年)かけて建造された建物です。
17万平方メートルを超える床面積を有し、300室の会議場・休憩室・事務室を備えています。
人民大会堂の中央ホールでは5年に一度、中国共産党の総会が開かれます。
広場のほぼ中央に1958年に建てられた人民英雄紀念碑があります。
天安門からみえる北面には、毛沢東による金文字「人民英雄永垂不朽」(人民の英雄は永遠に不滅だ)が書かれています。
南面には周恩来による言葉として、「ここ3年来の人民解放戦争と人民革命によって犠牲になった人民の英雄達は永遠に不滅だ!(1946年からの国共内戦を表す。)
ここ30年来の人民解放戦争と人民革命によって犠牲になった人民の英雄達は永遠に不滅だ!(1919年の五四運動以降の抵抗運動・抗日戦争を表す。)
ここから1840年まで溯った時から内外の敵に反対し、民族の独立と人民の自由と幸福を勝ち取るための毎回の闘争の中で犠牲になった人民の英雄達は永遠に不滅だ!(1840年のアヘン戦争以降の諸抵抗運動(太平天国の乱や義和団の乱・辛亥革命等を含む)をあらわす。)の大意の中文が書かれています。
台座部分には中国近代史における主な事件(アヘン戦争の原因となった1839年の林則徐の広東省虎門でのアヘン焼却事件「虎門銷煙」、太平天国の乱のきっかけになった1851年の「金田蜂起」、辛亥革命のきっかけとなった1911年の「武昌蜂起」、1919年の北京での「五四運動」、1925年の上海での労働者のデモにイギリス軍が発砲した「五・三〇事件」、1927年に江西省で起こった国共内戦の始まりであり中国人民解放軍の誕生とされる「南昌蜂起」、1937年からの「日中戦争」、1946年からの第2次国共内戦の一つで中国共産党の勝利を決定的にした1949年4月の「長江渡江戦争」)のレリーフが彫られています。
完成当時は直接触れることが出来ましたが、度重なる革命運動や二度の天安門事件の舞台になったことにより、現在では警備兵が常に監視し近寄れなくなっています。
天安門のほうへ歩いていきます。
天安門は黄金色の瑠璃瓦、ベンガラ色の城壁、白い大理石の欄干が印象的な城門で、北京の象徴です。
中央門上部には中国共産党の初代主席である毛沢東の像が掲げられ、楼閣の上部には国章が飾られています。
平日にも関わらず、中国内外を問わず多くの観光客が天安門、そして紫禁城(故宮)へ向かいます。
トッポパパ記念撮影です。
サングラスは気取っているわけではなく、最近若干白内障気味なので、炎天下ではサングラスをかけないと目が疲れるので、ご勘弁ください。
ようやく人波が途絶えた瞬間に、落ち着いた天安門を正面から撮ることができました。
天安門は明の永楽15年(1417年)に建てられ、承天門と名付けられました。
地下道を潜り、天安門に向かいます
続く.................................................................................................。