TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その8

2012年03月31日 | トッポの腎不全闘病記
ママと一緒にちょっと休憩のトッポです。



トッポパパもママに撮ってもらいました。



一時は外で一緒に写真を撮るのはもう無理かなと思った時もありましたが、寝ている時間は多いものの家でも調子が良い日が続いています。



紅梅もほぼ満開で奇麗です。



トッポは昔からカメラを構えるとちゃんの視線を合わせてくれる、写真慣れしたワンコです。



今年は梅の開花が遅れ、また桜の開花もちょっと遅れているようですね。



入学式は桜と定番だったのが、今年はまだつぼみのようです。



老人と老犬、あと何回こういう写真が撮れるのかと考えると、何とも言えない感じです。



紅梅のアップです。



トッポパパはこういう感じの梅の花が好きです。



続く........................................................................。

トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その7

2012年03月29日 | トッポの腎不全闘病記
トッポを連れて病院へ行きました。
薬や点滴の効果か、それに水素含有水が効いているのかはわかりませんが、隔日の点滴はしているものの食欲も安定し、嘔吐もすることもないので、胃の調子も良くなってきているようです。

あと5回ほど点滴を続けて、血液検査の結果が良好なら点滴の間隔を延ばしましょうと言われました。
すくなくても悪化はしていないので、ちょっと安心しました。

トッポの散歩の続きです。



枝垂れ梅が満開です。



枝垂れ梅を楽しめるように、すぐそばに東屋が設けられています。



トッポ、『先客がいるよ!』



先客は人ではなく、日向ぼっこを楽しんでいるネコちゃんです。



トッポなど眼中にないという感じで無視されています。



たぶん誰かに飼われているネコちゃんなのでしょう。



休憩しながらカメラを向けると、うたた寝の邪魔だと言わんばかりに大きな伸びと大あくびでした。









続く.......................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その125-2 『阿波踊り、眉山』

2012年03月25日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
阿波おどりでは一つの踊りのグループの事を『連』と呼ぶそうです。
徳島県には有名連と呼ばれる連が多数あり、主に各協会などに所属している連が多いそうです。



そのような○○連に入ると頻繁に練習があり、それなりに日ごろの努力が大変なのでしょう。



自由奔放に踊っているようにも見える阿波踊りなんですが、基本は2拍子のリズムで、イチ・ニ・と、イチ・ニ・との調子で踊るそうです。
舞台で先生?が説明していましたが、手と足の動きは右足がでたら右手、左足がでたら左手というように右足・右手→左足・左手→の繰り返しです。



男踊りは腰を低くかまえて、手をあげます。
基本は同じで、右足がでたら右手、左足がでたら左手をあげ、女踊りに比べると個性的に、ダイナミックに楽しみながら踊るそうです。 



女踊りはイチ、ニッとのリズムにあわせて、そして、何より品よく踊ってくださいとのことでした。



やはりプロの踊りは動きの早いリズムなのですが、優雅に踊っています。









舞台照明がスポットライトなので、ちょっと鮮明な写真ではありませんが、雰囲気だけでも味わってください。

続く...........................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その125-1 『阿波踊り、眉山』

2012年03月24日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
徳島の阿波踊り会館で阿波踊りが観られると聞いて、立ち寄りました。



阿波踊り連合?の提灯が飾られています。



見事なひな飾りです。



阿波踊り会館の説明では、阿波踊りの起源は諸説あるようです。



盆踊り起源説は阿波踊りが旧暦の7月に行われた盆踊りであるというものです。
ステージで昔の盆踊り風の踊りを紹介していました。



他には風流踊り起源説もあります。
阿波おどりの特色である組踊りが、能楽の源流をなすといわれる「風流」の影響を強く受けているといわれる風流踊り起源説です。



さらに築城起源説があり、1587年に蜂須賀家政によって徳島城が落成したときに祝賀行事として、城下の人々が踊ったのが始まりという説です。



いずれにしろ、阿波踊りは文字どおり、阿波、現在の徳島県の踊りで、歴史も古く、今から400年前に始まったそうです。



起源については諸説あり、これと決める決定的な証拠がないそうです。
しかし、阿波徳島において確実にこの踊りが土着し、継承されていのは事実です。
阿波踊りの踊り方も、時代とともに変化してきたそうです。



続く..........................................................................。

トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その6

2012年03月22日 | トッポの腎不全闘病記
久しぶりの日差しに、日光浴を楽しむ家族連れも多く観られます。



トッポ、『もう一度歩く!』



久しぶりの芝生の感触は心地よさそうです。



トッポ14歳と5カ月、人間の歳だと70歳ぐらいなのでしょう。
トッポパパ、『ずいぶん白髪になったな! 頭まで白髪交じりになってきた。』
トッポ、『でも、禿げてはいない!』
トッポパパ、『



トッポはカメラを構えているトッポパパのほうへ走りたがっています。



トッポ、『まだゆっくりなら走れる!』



トッポパパ、『無理するな、心臓に負担がかかる!』



トッポ、『このくらいは、大丈夫!』



足腰も大分回復したようです。
走れたことが嬉しいのか、トッポが久しぶりにシッポを立てて得意満面です。
皮下点滴をしているというのに、トッポの生命力は強そうです。
トッポはまだまだ元気になりたいと思っているのでしょうから、飼い主も頑張らないといけないようです。



続く......................................................................。

トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その5

2012年03月21日 | トッポの腎不全闘病記
久しぶりの外出に、トッポも興味深げに辺りを見回しています。



梅の種類によってはまだ満開には程遠い様子です。
早く咲かないと桜に追いつかれてしまいますね。


ママにバギーを押してもらい、快適な散歩を楽しむトッポです。



白梅のほうが早咲なのでしょうかね。
梅の木の種類によって咲く時期にも結構差があるよです。



シトシトピッチャン、シトピッチャンの大五郎のような感じで動くトッポです。



トッぽはトッポパパが離れると真剣に目で追いかけています。
白内障も進んでいるのでしょうが、まだある程度は見えてるようです。



太い枝だけ残して大きく枝を整えると、そこから新しい枝がたちあがり、上にに向かって梅の花が咲くので見ごたえがあります。
桜と違って密集度は少ないので、空間も楽しめるのが梅の花です。



こうして心地よさそうな顔を見ていると、腎不全の病人?には見えないんですけどね。
ワンコはちょっとでも元気になると、動き回るようになるし、具合が悪いとじっと動かず丸まっています。
ほんとに極端に変化するので、目を離せません。



こちらは紅梅です。



続く.....................................................................。

トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その4

2012年03月20日 | トッポの腎不全闘病記
トッポは現在隔日の皮下点滴を続けています。
点滴の効果があるようで、一時に比べ元気を取り戻してきているようです。

日光浴をさせないとボケると言われて?、久しぶりに森林公園まで梅の花を観に出かけました。



入口近くに、枝ぶりの良い梅の大木も満開に近い梅の花が咲いています。



トッポは久しぶりの芝生の上をあるいて、多少戸惑いながらも芝の感触を楽しんでいます。
ママも嬉しそうです。


今年は一ヵ月くらい梅の開花が遅れたようで、桜の開花との間隔が短くなりそうです。



少し歩いては、またバギーに乗せて移動です。
調子が良いのか、いつもの半立ちスタイルで周りをキョロキョロしています。



トッポは鼻がいいので、梅の香りを人間以上に楽しめるのでしょう。



梅林のほうに向かうと、他のワンちゃんの気配を感じるのか乗り出してきます。



梅林のほうはまだ7分咲きのようです。



ここの梅林は横浜市の管轄なので、梅の木はみな植木職人に手入れされているようで奇麗な枝ぶりです。



久しぶりの散歩なので写真をたくさん撮りました。
ゆっくり紹介いたします。
とりあえず、トッポちょっと元気になったとの報告です。

続く.........................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その124-2 『うだつの町並み』

2012年03月18日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
ネット情報の抜粋です。

『脇は、1533年三好長慶が脇城を築き、その城下町として開けたことから町としての歴史が始まります。
1585年、阿波藩主となった蜂須賀家政(小六の子)は、脇城を重視し、特産物として阿波の藍を奨励したため、多くの藍商が出現することになります。
阿波での藍生産は、家政が移封前の領地の播磨から藍を移植、栽培したことが始まりだといわれています。
江戸期には、庶民も木綿の着物を着るようになったため需要は急増し、脇は江戸期から明治中期まで藍の町として隆盛を続け、それにより財をなした藍商人たちが、立派なうだつを上げた豪壮な屋敷や蔵を、この南町通りに連ねました。』



お店で売られていた、お手玉です。
可愛らしさに、いくつかお土産で持って帰りました。
 


この「うだつ」は家の梁(はり)、横柱に立てて屋根を支える短い柱のことです。
ですから、うだつを上げるは棟上げをすることになり、これが上がらないということは、
家を建てる甲斐性もないというほどの意味になったとのことです。



藍染めの和服が町に溶け込むようです。



写真の家は、当時から医院であった森家です。
ネットにいまの当主は、徳島大学医学部教授だと紹介されていました。



東京では、もうほとんど見ることのなくなった日本の典型的な木造建築の家です。



『青は藍より出でて藍より青し』ということわざがあります。
藍染めの青い色は、『JAPAN BLUE』として世界に知られるほど深く鮮やかな日本の色です。

徳島の阿波踊り会館での説明では、江戸時代には徳島は人口6万人で日本で6番目の都市だったそうです。
徳島の歴史を語るとき、藍を除いては語れないのでしょう。



最後に旧家に飾られていた、生け花?です。



それではうだつの町より




トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その124-1 『うだつの町並み』

2012年03月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
仕事の関係で徳島を訪問しました。
前泊でしたので、一度訪問したいと思っていた『うだつの町並み』へ向いました。
裏手からうだつの町並みに向かいます。
写真手前が吉野川になり、水運を利用した舟着場に向かう小道が現在の道の駅藍ランドにつながっています。

日本全国には、いくつかのうだつの町並みがあるようですが、四国には三大うだつの町があり、徳島県、美馬市脇町、三好市池田町と美馬郡つるぎ町が有名です。



今回はうだつ発祥の地と言われる、脇町のうだつの町並みを訪問しました。
徳島市内から車か電車で1時間ぐらいのところにあります。
日本三大河川の 吉野川 沿いにある街で、吉野川の河口から約45Km上った場所にあります。



その昔、藍の豪商として繁栄した屋敷が多く、蔵も『藍蔵』と呼ばれています。



200年、300年の歴史を誇り周辺の藍蔵と調和した旧家のたたずまいは、落ち着いた日本の家屋の原点のような感じです。



うだつの町並みを歩いて驚いたことは、ほとんどの家が今でもそのまま居住されていることです。



町並みで最大の床面積を誇り、藍の豪商として繁栄した「佐川屋直兵衛」の屋敷の横を通り、うだつの町並み通りに向かいます。



『うだつが上がらない』という言葉を良くつかいます。
平安時代は「うだち」といったが、室町以降「うだつ」と訛ったそうです。

ネット情報では、うだつ (卯建つ)とは、建物の妻にある梁(はり)の上に立て、棟木を受ける短い束(つか)のことのようです。



民家で、妻の壁面を屋根より高く造った部分を指すようになり、建物の外側に張り出して設けた防火用の袖壁(そでかべ)をうだつとも呼ぶようです。



本来、町屋が隣り合い連続して建てられている場合に隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られたもののようです。
江戸時代中期頃にると装飾的な意味に重きが置かれるようになり、自己の財力を誇示する為の手段として、商家の屋根上には競って立派なうだつが上げられるようになります。



『うだつが上がる』は、成功し財力があるのに対し、『うだつが上がらない』は仕事などで成果が出ず、先の見込みがない状態とか、いつも上から押さえ付けられていて、出世できない。 運が悪くて、良い境遇に恵まれないなどの意味で使用されているようです。



続く.......................................................................。

トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その3

2012年03月14日 | トッポの腎不全闘病記
最近はトッポパパの体力、気力不足でブログアップが遅れがちですいません。
その後トッポは大丈夫なのかとご心配の声を頂き、大変有り難く、また申し訳なく思っています。

毎日100ccの皮下注射を続けて血液検査をしたところ、BUN値は再度40近くまで落ちました。 
またCre値も2.0以下になり正常値とまでいきませんが、なんとか正常値に近い状態になりました。

トッポも体調の回復を自覚しているのか、穏やかに眠っている時間が多くなりました。



しかし、腎臓の機能の回復? 機能維持ができるかは、皮下点滴の継続が今後どの程度必要なのかを見守る必要があります。
心臓への負担を避けることはできても、高齢のため心臓の僧帽弁逆流(心臓弁膜症)の回復は難しいので、今はできるだけ心臓を悪化させないようにして、血流不足による臓器への負担を軽減させてあげることが必要のようです。

でも、時には食餌の時は尻尾を振りながら歩くほど回復しています。



現在は2日に一度の皮下点滴に切り替えて、今の体調を維持できるか見守っています。

でも皮下点滴の長期継続で、皮下に注入された輸液が体内に取り込まれにくくなった場合、また入院して静脈点滴や他の方法を考えなければならないのでしょう。

幸いいまのところ皮下点滴の効果があるようです。
できれば隔日から3日に一度、さらに1週間に一度と間隔を延ばしても大丈夫になればベストだと思っています。

問題は皮下点滴は一人が押さえていなければならず、二人がかりで点滴をしなければならないので大変です。
トッポにとっては皮下点滴の準備をすると不安を感じるのか抵抗して逃げようとします。
トッポパパが抱けば、大人しく観念してくれますので、ママと頑張っています。

また写真のように、声をかければ元気に反応できるようになりました。
まだしばらくは、元気でいてくれそうです。



ご心配かけていますが、以前より軽快にはなってきているようです。
何度も奇跡を起こしてきたトッポですので、また奇跡の回復を信じたいと思います。

海外の都市の紹介、 その102の3 『ホー・チ・ミン Part Ⅱ』

2012年03月01日 | 海外の都市の紹介
あと何年かすると、あの高層ビル周辺に高層ビルが建ってくるのでしょう。



ホーチミンは、昔のフランス統治時代のコロニアル調の建造物を沢山観ることが出来ます。
写真奥の建物は市民劇場です。



ベトナム戦争時は国会議事堂として使用されています。
夜は幻想的なライトアップが美しいそうです。



聖マリア教会と並んで人気の記念撮影スポットである人民委員会庁舎です。



インドシナの植民地時代を代表する建物の前にホーチミンの銅像が置かれています。
庁舎はフランス植民地時代の1901-1908年にイタリア・ルネサンス様式で建てられました。
フランス占領時代は市庁舎として使用されていました。



ホーチミン像の台座の黒いプレートには『BAC HO』と記されています。
『バックホー』と読み、『ホーおじさん』という意味です。



最後にサイゴン川のクルーズ船の発着所に来ました。



サイゴン川のディナークルーズの中でも最も気軽に楽しめるのが、こちらのサイゴン川ディナークルーズ船「ベンゲー号」です。



ギザギザの歯をむき出しにした巨大な魚の大型船は、毎日サイゴン川のバクダン港から出港しています。



船に乗る余裕などないので、これから飛行場へ移動です。



それではホーチミンより