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TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパ、なんとか68歳の誕生日を元気で迎えられました!

2013年12月07日 | その他
先月末にトッポパパ68歳の誕生日を皆さんのお陰で、深刻な体調問題は依然抱えてはいますが無事誕生日を迎えることができました。
これもトッポママはじめ家族のお陰だと思っています。
娘と初孫と一緒に記念撮影ができるのも嬉しいことです。



トッポパパの誕生日の前日が結婚記念日で、トッポママへの感謝の気持ちで湖東三山と京都の紅葉巡りになったわけです。(まだブログでの紹介は途中ですが)



2度も死線をさまよったトッポも(トッポパパも同じですけど)、トッポパパがさみしがるだろうと奇跡的な回復ぶりで、一緒にのんびり毎日を過ごしています。



初孫と平日はほぼ毎日顔を合わせることができ、ようやくジージも家族だと認識してきたようです。



最近姫が歩きはじめましたので、一緒に遊ぶのも大変です。



孫の成長を見守ることなどできないと思っていた時期もありましたが、こうして姫の笑顔と成長を見守れるだけ幸せだと思っています。



昔の同僚も忙しい中お付き合いしてくれて楽しく過ごしました。
ひとりだけ顔が大きく写ってしまい申し訳ありませんがカメラマンに文句を言ってください。
皆さんありがとうございます。
(ママのお面を忘れましたが、勘弁してくれるでしょう。)



トッポも16歳を過ぎて、今の調子ならもう一度新年を迎えられそうです。
トッポ、『もう老犬なんだから、僕にもお面を考えてもいいよ』
トッポパパ、『そしたら全員、お面が必要になってしまうだろ



すっかり白髪顔になったトッポですが、食欲もあり、食餌の催促で吠える状態です。
こうなったらトッポパパは来年の古希(数え年?)まで頑張る!ことと、退職後健康を兼ねての運動と思い再開したゴルフもなんとかスコアがまとまるようになってきたので、よし!80台で回ろう!を目標にしていきたいと思います。



トッポパパ、いつひっくり返るかわかりませんが、それまでは前向きに頑張りますので、今後ともよろしくお願いします。

素晴らしい仲間達!、本当にお世話になりました! その1

2012年12月16日 | その他
トッポパパの退職に伴い、多くの人たちに送別会を催していただきました。



年末を控え忙しい時間を割いていただき、心より感謝しています。
また、多くの人からお言葉を賜り思い出に残る送別会になりました。



送別会ということで半分お世辞だということを差し引いても、過分なお話に有難く思っています。



ある意味で波乱万丈な人生でしたが、こうして立派に成長した後輩たちを前にすると安心して引退できます。
女性の方にもお言葉を頂きましたが、写真は割愛させてもらいました。
本当にお世話になり、ありがとうございました。



海外からの友人も参加していただきました。
20年以上の付き合いになります。 感謝感激です。




幹事さん、いろいろありがとうございました。



料理も美味しくいただきました。



最後に立派な後継者になり、刎頚の友でもある弟分の挨拶に感無量でした。




四十数年、あっという間に過ぎてきたように思います。
みなさんへの適切なお礼の言葉が思い浮かびませんでしたが、ただただ深謝です。



素敵なお花も頂きました。
トッポママが早速母の仏前と、



玄関、そして床の間に飾らせてもらいました。




年内にまだ顔を合わせることができる人もいらっしゃいますが、いままで支えてくれたトッポママへの慰労の旅行計画もありお休みをいただきますので、とりあえずお別れです。
皆さんお世話になりました! そして、頑張れよ! 後を頼んだぞ! 

また、お会いできなかった人たちには、ここでご挨拶させていただきます。
長い間お世話になり、本当にありがとうございました。

東日本大震災 『巨大津波の爪痕』

2011年03月21日 | その他
東日本大震災の被害は想像を絶するものであり、テレビなどで映像を見ても震撼させられます。
ネット上で、無料配信されていた写真を紹介します。

難を逃れた?学校の校庭らしき場所にSOSが描かれています。



津波によって内陸部まで押し上げられた大型船舶です。
周囲は壊滅的被害です。



ビル以外は跡かたもなく流されています。
巨大津波には、高台に逃げるしか助かるすべがないのが歴然です。



津波の高さを如実に表す、ビルの屋上に持ち上げられた車の写真です。



ビルの上に乗り上げた船舶、誰がこんなことを予測できるのかと目を覆いたくなる写真です。



水没したスポーツカーのようですが、どのような車であったのか痕跡を残していません。



岸壁に乗り上げた大型船舶、津波の威力のすさまじさを感じます。



まだまだ被災地絵の支援が急務です。
想像を絶する死亡者、行方不明者が報道されています。
心から哀悼の意を表し、被災者には頑張ってくださいとしか申し上げられません。

我々も、時の流れとともに現実から逃避することなく、継続した義援金や救援物資などに参加したいと思います、きっと立ち直れると信じて!

頑張れ! 日本!

東日本大震災 『頑張れ! 日本!』

2011年03月19日 | その他
友人から下記連絡をいただきました。
多くの方に見ていただきたく、トッポパパのブログでも紹介させていただきます。

『このURLは小生の友人から送られて来た日本を讃える感動のムービー<Pray for Japan-6分間>です。もう既にご覧になった方もいらっしゃると思いますが、ご参考までに皆さんへお送りいたします。
見ているうちに、勇気と自信が得られ、そして涙がこぼれました。頑張れ日本!必ず立ち直る、必ず克服する。自分も何かしたい。
多くの日本人が、世界が祈り見守る中、全身全霊を込めて行動しています。海外から日本はこう見られているのだと感動しました。』


http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc


この後、娘からも下記コメントがありました。

『日本人で良かったと誇りに思えるよね。

外国からのエールという意味ではこっちもお勧めだよ。
http://www.youtube.com/watch?v=3vQJW5e6A98&feature=relatedコメント欄に世界の言葉がならんでる…
泣ける…

多分パパおすすめのは、
その画像と、ツイッターで回ってた情報(https://docs.google.com/document/pub?id=1UmFXi9xxYkZcNLIC-q4RsdrbhCDk8PisESXoxlGmRCY)をあわせて作成されたものだと思うよ。
「* International Versions」というところをクリックすると各国語に訳されているよ。パパの外国のお友達にもおしえてあげて。』

ご覧になってください。


東日本大震災 『日本はどうなるのか? 私たちは何をすべきなのか?』

2011年03月17日 | その他
日本列島が今回の東日本大震災の惨状に言葉を失っている。

マグニチュード 9.0 という、日本の有史にも例をみない巨大地震である。

この地震により、一部地域では15m以上にもなる津波が湾岸地域の都市、村落を根こそぎ破壊してしまった。

1993年8月8日に現地で体験したマグニチュード8.1のグアム地震に逃げ回り、1995年1月17日に日本中を震撼させた神戸・淡路大震災を現実にこんなことが起きるのかとテレビのニュースに釘付けになり、そして3月11日、もっと身近な未曾有の災害となっている東海関東大震災を経験している。

そして、想定外の津波により、ライフラインの中心的な役を担ってきた原子力発電所の崩壊か?という、恐怖に直面しています。
自然の威力のすさまじさに、ただたため息をつくのが精一杯です。

現地の被災者には、哀悼の意を表すことしか思い浮かばず、かける言葉も見つかりません。

3月11日の午後、横浜の工場で会議中に大きな揺れを感じ、仲間を安全な屋外に退去させました。

経験したことのない巨大地震の揺れに、言葉を失っている人たちに再度の強震が襲いました。

さすがに、これは尋常ではないと感じ、家族や帰路を心配している人たちに、できるだけ安全に早く自宅へ戻りなさいと声をかけるのが精一杯でした。

なんとか、自宅に着きテレビの報道を観るに、これは想像以上に悲惨な状況であることが分かりました。

でも、いま思えば、この時の惨状は、ほんの予兆だったような気がします。





数千人の人が亡くなり、いまだ行方不明者が1万とも2万とも報道されています。
ライフラインを断たれた窮状の中で、ひたすら救援や物資の到着を待つ被災者には、ただ『頑張って、生きてください!』と祈るしかないのでしょう。

テレビの報道を観ていて、ひとつだけ感じることがあります。

すべてがそうとは言えませんが、あまりにも評論が多すぎ、国民が評論に踊らされているような気がします。

過酷な環境な中で、なんとかひとりでも救いたいと頑張っている人たち、何百万という人たちのために身を呈して原子炉の安定に立ち向かっている東電他関係者、自衛隊の人々、そして警察関係者など、感謝してこそ文句の一つも言えるはずなどないはずです。

暖かい部屋で、もっともらしく責任論を展開している人々に、多少憤りを感じてしまいます。

報道関係者のヘリが廃墟になったビルの屋上で助けを求めている人を映し出す映像が多々見られましたが、何故運べるだけの救援物資だけでも投下してあげないのかと疑問に思います。

技術的に難しいことなのかはわかりませんが、カメラを回せるのであれば、物資の一つ二つ落とすことはかなわないことではないと考えてしまいます。

アメリカからの救援隊が、突然ヘリで予告もなしに着陸し、言葉も伝わらない被災者に身振り手振りで救援物資を渡している映像がありました。

なぜか、ホッとする光景です。

もちろん、日本の関係者も同様のことをしていると思いますが、報道の在り方にはちょっと疑問を感じます。

放射線のレベルひとつでも、見出しは通常の何百倍とか、被曝と被爆の間違った伝え方とか、どうも不安を煽っているのは誰なのか?と考えさせられます。

正確な情報はもちろん必要ですが、事実を分かりやすく伝え、いたずらに不安をあおるような評論は避けてもらいたいところです。

もちろん、全部を否定しているわけではありません。
ただ、同じ日本人が我々のために頑張っている、そして頑張っている人たちへの批判に感じる言葉だけは慎んでほしいと思うだけです。

そういうトッポパパも何ができるのか、自分自身が情けなく思っています。
被災者の人たちの救済ができるだけ早く進むこと、そしてひとりでも元気に保護されること、そして救援の先頭に立っている人たちの無事を祈るだけです。

トッポ家のできることは、できるだけ電気を節約し、寒さを我慢することしかできないようです。

ブログのほうは、いましばらく状況が落ち着くまで小休止いたします。
会社関係でも、まだまだ当面やらなければならないことが山ほどありますので、大局を見てできることをできるだけ早く着実に処理していきたいと思います。

勝手なことを書きなぐってしまいました。
みなさん、力を合わせて、頑張りましょう!

広島原爆ドームと平和公園

2010年08月06日 | その他
1945年8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾が投下されました。

『原爆死没者慰霊碑』です。
広島平和公園の中央部に位置し、慰霊碑中央の石室には原爆死没者の名簿、2008年8月現在、25万8310人が納められています。
石室の正面に碑文「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」と刻まれています。



以下はネット情報の転記です。
1945年8月6日、月曜日の朝は快晴で真夏の太陽がのぼると、今と同じような猛暑の日でした。
深夜零時25分に出された空襲警報が午前2時10分に解除され、ようやくまどろみかけていた人々は、午前7時9分、警戒警報のサイレンでたたき起こされました。
この時はアメリカ軍機1機が高々度を通過していっただけだったため、警報は午前7時31分に解除されました。
一息ついた人々は、防空壕や避難場所から帰宅して遅い朝食をとったり、仕事に出かけたりと、それぞれの1日を始めようとしていました。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、人類史上最初の原子爆弾が、広島に投下されました。



原子爆弾は、投下から43秒後、地上580メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。
火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には最大直径280メートルの大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達しました。
爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧の爆風となり、これら3つが複雑に作用して大きな被害をもたらしました。
この辺りは劇場・飲食店・旅館等が軒を並べる広島の繁華街でしたが、一発の原爆で廃墟と化しました。



その後,原爆ドームは原爆の惨禍とともに平和を訴えるシンボルとして保存され,昭和42年(1967)と平成元年(1989)には保存修理が行われています。
平成8年(1996)には,厳島神社とともに世界遺産に登録されました。



原爆による白血病で12歳で亡くなった少女の死をきっかけに、同級生達が中心となって国内外の人々に寄付を募り、1958年に建設されました。
少女は千羽鶴を折れば、病気が治ると信じて折り続けたことから、原爆で亡くなった全ての子供達の死を悼み世界の平和を願って、世界中から折鶴が届けられるようになりました。
像の周囲には各地から届いた折鶴を展示するブースが設けられています。
また、三脚のドーム型の台座の頂上には折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立っているので、千羽鶴の塔とも呼ばれています。



被爆当時、広島には約35万人の市民や軍人がいたと考えられています。
これは、住民、軍関係者、建物疎開作業に動員された周辺町村からの人々などを合わせた数字で、当時植民地だった朝鮮、台湾や、中国大陸からの人々が含まれ、その中には強制的に徴用された人々もいました。
また、少数ですが、中国や東南アジアからの留学生やアメリカ軍捕虜などの外国人も含まれていました。
原爆によって死亡した人の数については、現在も正確にはつかめていませんが、放射線による急性障害が一応おさまった昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が死亡したと推計されています。



1949年8月に「広島平和記念都市建設法」が制定され、世界の恒久平和の願いを込めて、この地に平和記念施設を整備することになりました。
丹下健三チームが最優秀賞に選ばれ、その計画に沿って建設が進められました。
1950年から工事に着手、公園は1954年4月に完成し、平和記念資料館等の施設は1955年に開館しています。



けして風化してはいけない、悲惨な歴史です。
まだ、後遺症に苦しむ人たちも多いと報道されています。
北朝鮮、イランの問題など、まだまだ穏やかな世界情勢には程遠い状態ですが、平和な世界の実現を祈るばかりです。

【増刊号】 トッポの親戚?、『リク』との初顔合わせ、 その4

2006年05月07日 | その他
やっと、押さえを解かれたリクちゃん、まっすぐトッポに突進です。
リク、『遊ぼう、遊ぼう! トッポ叔父さん! 
トッポ、『気安く呼ぶな! あっちへ行け!



リク、『ねえ、こっち来て遊んでよ!
トッポ、『ヤダー!
どうしても、ママからトッポは、離れようとしません。
ワンコ嫌いの頑固さには、参りました。




あまり、無理させるとトッポにストレスがかかりすぎるので、初対面はこのぐらいにしておきます。



しばらくして、リクちゃんは天真爛漫に遊び始めました。



トッポの若いときにソックリで、昔を思い出しながら楽しんで見ていました。



このくらいの子犬の動きは、見ているだけで楽しくなりますね。
顔も、一番輝いている時でしょう。



しばらく、トッポに飛びついていましたが、後は遊びに夢中です。



遊び終わったら、じぃっーとトッポを見つめています。
リク、『どうして、そんな処に隠れているの? 



トッポは、リクちゃんの歓迎振りに、ビックリしたのかテーブルの奥に潜り込んだまま、こんな調子でリクちゃんの様子を見ていました。
トッポは吠えたりはしないのですが、やはり仔犬のキャピキャピの動きには、ついていけないようです。
ほんとに情けないダメワンコですね。
トッポのストレスがたまりすぎても可哀相なので、今日はこのぐらいにして、また会う機会もあるでしょうから、少しずつ慣れさせるようにします。

【増刊号】 トッポの親戚?、『リク』との初顔合わせ、 その3

2006年05月06日 | その他
リク、『そんなにギューって押さえられると動けないんだけど!



リク、『これじゃ、向こうにいけないな。 どうしようかな? 
トッポ、『ねえママ、リクちゃん、こっちに来なくていいからね、ボク嫌だからね!
トッポパパ、『まったく! 



リク、『よし、これならどうだ! リク忍法開チン!!
トッポ、『おいおい、 それじゃ、丸出しだぞ!



リク、『よし、隙ができた。 ここで、手を抜いてっと!
トッポ、『ほんとかよ、来るなー! ママ、なんとかしてくれ!



リク、『これで手が抜けたぞ、 トッポ叔父さん、遊ぼうね。
トッポ、『いいよ、遊ばなくていいよ。 』
リクちゃんが足を踏ん張り、トッポは右手を踏ん張って両者とも懸命な様子です。



リク、『よし、行くぞー! オリャァー!
トッポ、『ちょっと待て、そんな顔するな! 話せば分かる。
トッポは両手に力を入れて、逃げの態勢です。



この写真、2頭の目の表情が最高! トッポパパお気に入りの写真になりそうです。
こんなような、やりとり?がありまして次回の最終章に続きます。

続く.................................。

【増刊号】 トッポの親戚?、『リク』との初顔合わせ、 その2

2006年05月05日 | その他
リク、『そんなビックリした顔しないでよ!


リク、『ねぇー、遊ぼうよ。  トッポ叔父さん!



トッポ、『お前さー、 俺の子供のときにそっくりじゃん! 俺、身に覚えがないけど
トッポパパ、『何言ってんだ、お前は!



リク、『ねぇ、僕、そっち行っていい? 



リク、『何にもしないから。 噛みつかないでよ! 



トッポ、『ウワァー! 来るなー! ママ、助けて!
トッポパパ、『まったく! お前も同じワンコだろ



これから、だんだん面白くなります。 乞うご期待を!

続く,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,。


【増刊号】 トッポの親戚? 『リク』との初顔合わせ、 その1

2006年05月04日 | その他
ゴールデンウイークだからじゃありませんが、いろいろアップ前の記事が溜まってしまい、タイミングが合わなくなりそうなので、【増刊号】とします。
読みにくいと思われる人もあるでしょうから、カテゴリー別に見られると読みやすいかと思います。



トッポパパの叔母さんの家で、我家と同じようにダックスを飼い始めたそうです。
早速、お顔拝見にトッポを連れて出かけることにします。
トッポパパ、『トッポ! 出かけるぞ。 バッグに入って待ってなさい。』
トッポ、『いつもと雰囲気が違うぞ! これは何かおかしい。



トッポパパ、『さて、行こうか。 どうした、トッポ! 行きたくないのか?
トッポ、『...........、でもこれは何か、いつもと違う? 動物的勘だけど



今日は車でなく、電車に乗って叔母さんの家へ行くので、自動車を車庫から出す気配がないので、トッポも何か変だと思っているのでしょう。
トッポは、基本的にはワンコ嫌いなのですが、子犬なら大丈夫だろうと勝手に考えて1時間ほどで、リクちゃんのお家に到着です。

初めて見る、リクちゃんです。 まだ生まれて4ヶ月未満の可愛い、トッポと同じダックスのレッドです。

リク、『僕、リク。 あんた、誰?


リク、『そんなおっかない顔して、僕を見ないでよ!



トッポ、『ほーら! やっぱりだまされた。 お前、誰だよ。 何で、トッポパパ知ってんだよ。 こっちへ、来んなよ。
トッポパパ、『トッポ! そんなに目をでっかくして、ビックリすることないだろ! 



リク、『そんな、おっかない顔しないで、僕と遊んでよ。



これが最初の出会いです。 これから、トッポの犬嫌いのために、珍騒動がおきます。 お楽しみに。

続く.........................。

僕の友達、 怜奈ちゃん誕生! おめでとう、島流しさん。

2005年11月27日 | その他

先週は島国に、出張していました。
島流しさんに、11月12日待望の女児誕生です。
名前は 『怜奈』 (レナ)ちゃんです。

母子とも健康とのことで、ご家族の皆様心よりお祝い申し上げます。





生まれて10日目の写真ですが、髪の毛もふさふさで可愛い寝顔でした。
切れ長の目と、すっきりとした鼻筋は誰に似たのでしょうね。

将来は、きっと美人なお嬢さんになることと思います。
お知り合いの方は、是非祝福してあげてください。





トッポの写真も、出番がないと淋しいので、ついでに載せました。





出張から帰って、トッポの手術の剃り跡を見ると、うっすらと伸びてきた胸毛に色がついてきたようです。

早く伸びてくれないと、冬になりますから困りますね。




トッポの生還の奇跡の入り口は? コンピュータ!

2005年10月17日 | その他
今考えるに、トッポが生死の挟間をさまよっている時、トンネルの入り口を教えてくれたのは、このコンピュータです。





いままでコンピュータは仕事に活用するものと割り切って考えていました。

トッポの生還は、もちろん家族のトッポへの献身的な愛と、多くの皆さんの応援が目に見えない力を与えてくれたものと確信しています。

でも、トッポがトンネルを抜け出れたのは、その入り口を教えてくれた、我家のコンピュータでした。

その意味で、今日は少し感謝しながら掃除をしてあげました。





そして、コンピュータへ感謝の気持ちで贈り物です。

...................................

この写真が、新しいカメラの最初の写真です。
家の照明のもとでは、フラッシュを使用するとディスプレイがハレーションをおこすのでフラッシュ無しでの撮影です。

こんな小さな、人形もなんとか撮る事ができました。

(おまけ) 右の写真は、小樽の裕次郎記念館?で撮った裕次郎との合成写真です。 ボケててよかった。 


『キャッホー! 僕げんきだよ! みんな頑張れ!』

2005年10月11日 | その他
トッポちゃん元気になれてよかったね。
今度、一緒に遊ぼうね。 みんな元気出せ、ファイト! ファイト!

(どこかでこの写真見たことあるよね。 でもゴルフボールは咥えてないけど?)




トッポのドタバタ騒動で掲載が遅れました。
遠い島の、RICKYちゃんの最近の写真です。 可愛いですね。





僕、滑り台乗りたいんだけど大丈夫かな?





ここからが、チョット怖いんだよね。 できるかなー?





オットット、 怖いけどやるっきゃないのだ、男の子!





ヨッシャー、できたよー!。

よく頑張りました。 皆さん拍手! 


『お待たせ! キャッホー! みんな元気出せ!』

2005年09月28日 | その他




先週、トッポの叔父さんが僕の住んでる島まで、仕事できてくれました。
僕のスナップを、たくさん撮ってくれましたので、見てください。





これは、僕のお気に入りのブランコです。 パパが遅いときは、一人で遊んでいます。





すごいでしょ! 三輪車も、もう自分で乗れるんだよ!





そして、これはおまけの写真だよ。 前にトッポちゃんが、叔父さんにくっついていたから僕も真似してあげたんだ。
もう一回、トッポちゃんの前の写真見てみな、同じ格好しているよね。


てなことで、バカ親父も安らぎの時間を持たせていただきました。
島流しさん、奥様ありがとうございました。


トッポは、相変わらず一進一退の状態ですが、トッポの生命力に期待して、毎日奇跡の起きることを願っています。

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流石のバカ親父も、疲労困憊ぎみでコメントへのご返事が、遅れています。
追って、ご返事さしあげますので、ヨロシク。

バタン、キュー