トッポパパは明日から、シンガポールへ出張です。
トッポとは、また暫しのお別れですので、一緒に風呂に入り洗ってあげました。
少し、さっぱりしたトッポです。
今回は『富山城』の紹介です。
富山城は滝廉太郎の荒城の月の題材になった城の一つと言われているそうです。
別名、『安住城』とも呼ばれています、現在は城跡は「富山城址公園」となって市民の憩いの場にもなっています。
富山城は1543年、越中の守護代であった神保氏の支配下にあった豪族・水越勝重が築城したといわれています。
その後、神保氏3代の居城となりましたが、1560年上杉謙信との戦いで落城します。
上杉謙信の没後、織田信長が越中に進出し、1581年、重臣の一人である佐々成政に54万石を与えられて、富山城主となります。
1582年、織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれた後、佐々成政は上杉氏を越後に追いやり、越中を平定しますが、豊臣秀吉の時代となると、佐々成政は豊臣方の前田利家に攻められ、1585年、秀吉の軍門に降ります。
秀吉は越中のほんの一部だけを成政に与え、大半は前田利家の嫡男である前田利長の領地とします。
1597年、前田利長が富山城主となり城の大改築を行なったが、父利家の死後、金沢城に移り、富山城には城代を置きます。
1605年、前田利長は隠居して再び富山城に入城しますが、1609年、城下の火事によって城は全焼してしまいます。
上の写真は、富山の薬売りの祖といわれる富山藩二代藩主前田正甫(まさとし)の銅像です。
富山の薬売りには「正甫公伝説」があります。
時は元禄三年の江戸城内で、突如として秋田河内守が腹をかかえて苦しみ出しました。
そこに居合わせたのが富山藩の二代目藩主、前田正甫がおもむろに印籠を手にすると、中より反魂丹を取り出し、それを飲んだ秋田河内守の腹の痛みはたちまち治まったと伝えられています。
この一部始終を眺めていた全国の諸大名は反魂丹の霊験に驚嘆し、自分の国でも売って欲しいと懇願したそうです。
その後、江戸時代に売薬といえば「反魂丹」といわれるほどに、越中の薬は浸透していきあす。
城内に向かって歩いていきます。
通路脇の松が、なかなか趣があります。
その後、1639年、前田家三代前田利常の次男である前田利次は分家して、富山10万石の初代藩主となり、荒廃していた富山城を修築し、富山藩が成立します。
以後、富山藩は前田家13代、加賀百万石の支藩として明治維新を迎えます。
続く................................................................。
トッポとは、また暫しのお別れですので、一緒に風呂に入り洗ってあげました。
少し、さっぱりしたトッポです。
今回は『富山城』の紹介です。
富山城は滝廉太郎の荒城の月の題材になった城の一つと言われているそうです。
別名、『安住城』とも呼ばれています、現在は城跡は「富山城址公園」となって市民の憩いの場にもなっています。
富山城は1543年、越中の守護代であった神保氏の支配下にあった豪族・水越勝重が築城したといわれています。
その後、神保氏3代の居城となりましたが、1560年上杉謙信との戦いで落城します。
上杉謙信の没後、織田信長が越中に進出し、1581年、重臣の一人である佐々成政に54万石を与えられて、富山城主となります。
1582年、織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれた後、佐々成政は上杉氏を越後に追いやり、越中を平定しますが、豊臣秀吉の時代となると、佐々成政は豊臣方の前田利家に攻められ、1585年、秀吉の軍門に降ります。
秀吉は越中のほんの一部だけを成政に与え、大半は前田利家の嫡男である前田利長の領地とします。
1597年、前田利長が富山城主となり城の大改築を行なったが、父利家の死後、金沢城に移り、富山城には城代を置きます。
1605年、前田利長は隠居して再び富山城に入城しますが、1609年、城下の火事によって城は全焼してしまいます。
上の写真は、富山の薬売りの祖といわれる富山藩二代藩主前田正甫(まさとし)の銅像です。
富山の薬売りには「正甫公伝説」があります。
時は元禄三年の江戸城内で、突如として秋田河内守が腹をかかえて苦しみ出しました。
そこに居合わせたのが富山藩の二代目藩主、前田正甫がおもむろに印籠を手にすると、中より反魂丹を取り出し、それを飲んだ秋田河内守の腹の痛みはたちまち治まったと伝えられています。
この一部始終を眺めていた全国の諸大名は反魂丹の霊験に驚嘆し、自分の国でも売って欲しいと懇願したそうです。
その後、江戸時代に売薬といえば「反魂丹」といわれるほどに、越中の薬は浸透していきあす。
城内に向かって歩いていきます。
通路脇の松が、なかなか趣があります。
その後、1639年、前田家三代前田利常の次男である前田利次は分家して、富山10万石の初代藩主となり、荒廃していた富山城を修築し、富山藩が成立します。
以後、富山藩は前田家13代、加賀百万石の支藩として明治維新を迎えます。
続く................................................................。