TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その70の1 『富山城』

2009年10月31日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポパパは明日から、シンガポールへ出張です。
トッポとは、また暫しのお別れですので、一緒に風呂に入り洗ってあげました。
少し、さっぱりしたトッポです。



今回は『富山城』の紹介です。



富山城は滝廉太郎の荒城の月の題材になった城の一つと言われているそうです。
別名、『安住城』とも呼ばれています、現在は城跡は「富山城址公園」となって市民の憩いの場にもなっています。



富山城は1543年、越中の守護代であった神保氏の支配下にあった豪族・水越勝重が築城したといわれています。
その後、神保氏3代の居城となりましたが、1560年上杉謙信との戦いで落城します。
上杉謙信の没後、織田信長が越中に進出し、1581年、重臣の一人である佐々成政に54万石を与えられて、富山城主となります。
 


1582年、織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれた後、佐々成政は上杉氏を越後に追いやり、越中を平定しますが、豊臣秀吉の時代となると、佐々成政は豊臣方の前田利家に攻められ、1585年、秀吉の軍門に降ります。
秀吉は越中のほんの一部だけを成政に与え、大半は前田利家の嫡男である前田利長の領地とします。



1597年、前田利長が富山城主となり城の大改築を行なったが、父利家の死後、金沢城に移り、富山城には城代を置きます。
1605年、前田利長は隠居して再び富山城に入城しますが、1609年、城下の火事によって城は全焼してしまいます。



上の写真は、富山の薬売りの祖といわれる富山藩二代藩主前田正甫(まさとし)の銅像です。
富山の薬売りには「正甫公伝説」があります。
時は元禄三年の江戸城内で、突如として秋田河内守が腹をかかえて苦しみ出しました。
そこに居合わせたのが富山藩の二代目藩主、前田正甫がおもむろに印籠を手にすると、中より反魂丹を取り出し、それを飲んだ秋田河内守の腹の痛みはたちまち治まったと伝えられています。
この一部始終を眺めていた全国の諸大名は反魂丹の霊験に驚嘆し、自分の国でも売って欲しいと懇願したそうです。
その後、江戸時代に売薬といえば「反魂丹」といわれるほどに、越中の薬は浸透していきあす。



城内に向かって歩いていきます。
通路脇の松が、なかなか趣があります。



その後、1639年、前田家三代前田利常の次男である前田利次は分家して、富山10万石の初代藩主となり、荒廃していた富山城を修築し、富山藩が成立します。
以後、富山藩は前田家13代、加賀百万石の支藩として明治維新を迎えます。



続く................................................................。

トッポと『みなとみらいのオブジェ巡り』、その8

2009年10月30日 | トッポの世界
MM21周辺のオブジュは、日曜日は閉館で中に入ることが出来ず、全部を観て回ることはできないようです。
今回で、とりあえず最後のオブジェの紹介にします。
リーフみなとみらいにある、金子健二作、『PROPOSE』です。
3.6mの縦長の石を4分割し、設置した作品です。
荒波を乗り越えた男舟と女舟の美しい出会いをイメージしているそうです。



そばには細い穴の空いた2つの太鼓石も置かれており、叩くと低い音と高い音が出るように設定されています。
お互いに古代の音を聞きながら細き小さな声を聞き取って欲しいという作家の願いが込められています。



館内の、オシップ・ザッキン (Ossip Zadkine)作、『Le Messager(使者)』です。
「パリ万国博覧会」に出品された木彫像を鋳造したものです。



希少木材を求めて海外に船を派遣するフランスの守護神を表していて、帆船を思わせる船を抱いています。
トッポ、『ママは守護人、トッポを抱いています。



メディアタワー館に来ました。



こちらは、鎌田恵務作、『Hello(ハロー)』です。
赤い大きな手をモチーフにしたこの作品が、ビルの中へ誘導してくれます。



足元のラインを辿って進むと、世界中の『こんにちは』という言葉が刻まれた円盤にたどり着きます。



円盤の鏡のようなものが展示されています。
作家は、『一つの小さな手から生まれる人と人とのふれあいが、真に潤いのある豊かな優しい空間、文化を創り上げてゆく・・・そんな想いに祈りをこめて......』と、この二つの作品を創りました。



みなとみらいのオブジェ巡りも結構楽しいものでした。
長い間お付き合いしていただき、ありがとうございました。



海外の都市の紹介、 その65の3 『ユトレヒト』

2009年10月28日 | 海外の都市の紹介
日本で有名なうさぎのミッフィーはオランダ生まれで、作者のディック・ブルーナさんはユトレヒト出身です。



現在でも、この街の運河沿いにアトリエを構えて活動しているそうです。



こちらの建物は郵便局のようですが、これも重厚な雰囲気を漂わせています。
以前、この広場を訪問した時はフェスティバルの最中で、広場全体がオープンテラス状態でした。
そのときもたくさん写真を撮ったのですが、コンピュータの操作ミスで全部消去してしまい、今回、再度の訪問になりました。



後はどこの写真を撮ろうか思案中です。



街の中心をゆったりと流れるアウデ運河は、オランダの他都市と異なり、ユトレヒトの運河の水面は、街の道路より一段低くなっています。



その昔、運河と家の間に道路が造られた時、船の荷物を直接家の中に運び込めるように地下通路が作られました。



地下通路や地下倉庫だった道路下は、運河に面したオープンカフェやレストランになっています。



こちらはユトレヒト元中央陸軍病院で、現在はホテルに改造されていました。
この元中央陸軍病院が、日本の医学に多大な影響を与えた病院なのです。

ネット情報を取り纏めて、紹介します。
アントニウス・フランシスカス・ボードウィン(Anthonius Franciscus Bauduin)は、1820年にオランダドルトレヒトで生まれ、ユトレヒト陸軍軍医学校とユトレヒト大学医学部で医学を学び、ここ陸軍軍医学校で教官を勤めました。
1862年、先に日本の出島に滞在していた弟の働きかけにより、江戸幕府の招きを受けて来日し、長崎養生所の教頭となります。
その間、東京、大阪、長崎で蘭医学を広め、また養生所の基礎科学教育の充実に貢献しました。
養生所、医学校教頭としてオランダ医学の普及に努めたほか、物理学や化学の日本の教育制度にも尽力を費やしたそうです。
また、上野に病院を立てる計画が持ち上がったときに、上野の自然が失われることを危惧して一帯を公園として指定することを提言したそうで、現在の上野恩賜公園に、彼の業績を顕彰する銅像があります。



その後、明治時代にここ、ユトレヒト元中央陸軍病院の医者が20人ほど来日し、東大を初め、阪大、京都医科大、金大などで教え、日本の医学教育の基礎が出来たそうです。
日本の医学教育が硬直?しているのは、元陸軍病院のシステムを導入したからだという説もあるようですが、どうなんでしょうね。(笑)

ボードウィンは特に眼科に優れており、日本に初めて検眼鏡を導入しました。
ボードウィンが日本に持ってきた健胃剤の処方が日本人に伝播され、独自の改良を経たものとして太田胃散と守田宝丹があります。
いずれもその後品質改良や薬価改定などによって形状・成分の変更などが行なわれたが現在に至るまで市販されています。
太田胃散に結びつくとは、これも歴史の面白さです。



今回も、少し勉強になりました。
オランダとは通商400年ということで、今年は日本語併記の記念コインが発行されたようです



ユーローコインは各国独自のデザインがあるようですが、おそらく日本語がみられるコインはこれだけでしょう。
日本とオランダは、歴史上密接な関係な証拠ですね。

それではユトレヒトより

トッポと『みなとみらいのオブジェ巡り』、その7

2009年10月27日 | トッポの世界
トッポ、『臨港パークも何回も来ているけど、いつものオブジェでしょ?』
トッポパパ、『ちゃんと紹介していないから、今回もう一度紹介しようね。』



臨港パークから海側に向かって、左側にオブジェがあります。
こちらが、豊田豊作、『歴史と未来への讃歌―虹空間’95』です。
日本ブラジル修好100年記念として、日本とブラジルを結ぶ「虹の掛け橋」です。



積み重なる鋼鉄は、地球の裏側の遠い国へ広大な海を渡っていった船舶のイメージと、その歳月が刻んだ友好の年輪を表しています。
ステンレスの曲線は、時間・空間を超えた2国の掛け橋を表しています。
トッポ、『ここに座ると、僕も2国の友好に一役買っているわけだ
トッポパパ、『..........



こちらは、韓国の崔正化作、『フルーツ・ツリー』です。
韓国を代表するポップ・アーティストとして、カラフルで常に人目を引く作品を発表しています。
この作品は「横浜トリエンナーレ 2001 」の出品作品で、この後、この臨港パークに移設されました。



横浜美術館に戻って来ました。
みなとみらいビジネススクエアに向かいます。



こちらは、団塚栄喜(Eiki Danzuka)作、『Between sky and sea 』
この作品は、海と共に育ってきた横浜が、空へ向かってひたすら成長を続けている、ということをモチーフにしています。



MMパークビルに来ました。
こちらは、Mitsubishi Jisho Sekkei Inc 作、『HUMAN DOCK 』です。
石造りドックの中でも最も古いもののひとつで、かつてMM21地区にあった船渠の石を再利用し、ベンチを備えた緑豊かな憩いの空間が作られました。
このドックの石を後世に伝えるべき街の資産として設置されています。



こちらは、フタボンコ作、『WAVE』です。
航走波をモチーフとした形状は『前進のエネルギー』と『希望の未来』、彫りこまれた世界各国の港町名は『世界につながる横浜』を表しているそうです。
が、手入れが悪いのか、イメージが沸きませんでした。



オブジュを理解するには、それなりの知識がないと分からないのかもしれません。
次回がオブジェ巡りの最後になります。

続く................................................................。

海外の都市の紹介、 その65の2 『ユトレヒト』

2009年10月26日 | 海外の都市の紹介
ユトレヒトはアムステルダムとは違い、旧市街を貫く運河は路面から数メートル下を流れています。



下に降りて、川沿いを歩いてみました。
道路の下は、地下通路や船着場の倉庫のようになっていて、現在はレストランになっている倉庫も多くあるようです。
夏は、ここでのオープンカフェが、ユトレヒトの名物になっています。



青空だったら、ここからの写真も素敵に撮れそうです。
クルーズ船も運航していて、運河沿いに古きよきローマ時代の遺物をながめるのも楽しそうです。



今回訪問した時は、深夜はマイナス温度になるほど寒く、散歩している人もすっかり冬の装いです。



ユトレヒトは8世紀よりオランダの宗教の中心であり、その象徴がドム塔です。
このときだけ、少し青空が顔を出してくれました。



ドム塔のアーチをくぐると、ドム教会が向こう側にあります。
教会は13世紀から15世紀にかけて建てられたオランダ最古の教会です。
現在でもオランダ・カトリック教会で最も重要な地位をユトレヒト大司教が担っているそうです。
また写真は撮り損ねましたが、教会の近くにオランダ最大の大学であるユトレヒト大学があります。



ドム塔は1321年の着工から60年あまりを要して、鐘楼としてはオランダ随一の高さを誇る112mのゴシック建築です。



465段の階段を上れば、運河で星型に囲まれた街の景観を見渡せるそうです。
さすがに、体力に自信が無く、頂上へあがるのはあきらめました。



続く..................................................................。

トッポ12歳の誕生日、『まだまだ、元気ですよ!』

2009年10月25日 | トッポの世界
今日はトッポの12歳の誕生日です。
娘達も、それぞれ独立しているので、ママと3人でお祝いです。



ミニチュアダックスの12歳は、人間の歳に換算すると、いくつぐらいになるのでしょうね。



そろそろ還暦を過ぎて、トッポパパといい勝負になってきているようです。



だいぶ、トッポの顔も白いものが混じってきました。



トッポ、『自分だって、ずいぶん白髪になってきたじゃない!
トッポパパ、『お前は禿げる心配が無いだけいい!



おやつを頭に乗せても、多少我慢できるようです。



まだまだ食欲は衰えていないのと、ヘルニア以外の病気には罹ったことが無いので、いまだに元気なのでしょう。



熊の人形を乗せて歩いています。
気に入ってあそんでくれるといいのですが。



トッポパパ、『どっちが長生きするか、競争だね!
トッポ、『ちょっと、ハンディがあるような気がするけど



これからも、トッポをよろしくお願いいたします。

トッポと『みなとみらいのオブジェ巡り』、その6

2009年10月24日 | トッポの世界
クイーンズパーク周辺にも、いろいろなオブジェがあるようです。



こちらは、マリナ・カレラ(Marina Karella)作、 『a place beyond down』です。
軽やかな白いドレープと、宙に舞う羽のオブジェです。



オブジェの周りに大勢の人が集まっていたため、遠慮がちに写真に写ったトッポです。



こちらは、牛島智子作、『結婚式』です。
ホテルで式を挙げたカップルの方に、是非ここで記念写真を撮ってくださいと、この作品を創りました。



トッポ、『パパと一緒に写真撮ろう!』
ということで、記念撮影です。
少しは減量の効果がみられる写真です。



広場の隅に置かれている作品は、エステル・アルバルダネ(Esther Albardan)作、『家族』です。



子供を連れた父親、肩に子供を乗せた母親、まとわりつく犬をモチーフとした作品です。



トッポ、『どっちのオブジェがいい?』



次は臨港パークに行ってみます。

続く..................................................................。


海外の都市の紹介、 その65の1 『ユトレヒト』

2009年10月23日 | 海外の都市の紹介
今回はオランダの『ユトレヒト(UTRECHT)』の紹介です。
ユトレヒトの語源は、西暦47年にローマ人がライン川に要塞を築き、そのときの船渡しの場所(Ur traiectum)に由来します。



現在、オランダのオランダのユトレヒト州にあるオランダ第4の都市で、ユトレヒト州の州都です。
首都アムステルダムから30Kmほど南に位置します。



また17世紀にユトレヒトは『ダッチ・ウォーター・ライン』の一部を形成します。
これは、運河や河川を使った国の防衛機構でした。
現在は当時の防塁は残っていませんが、運河や河川はそのまま残り、美しい風景や散策道となり、市民の憩いとなっています。



中世、ユトレヒトはオランダ北部で最も重要な都市でした。
1579年、ネーデルランドにある北の7つの州が、スペイン統治へ抵抗することを決意しユトレヒト同盟を結成します。
これがオランダ共和国の始まりと考えられています。



ユトレヒトの顔といわれる『ドム塔』は、街のいたるところから見ることができます。
ドム塔の景観を守るため、周辺に高層ビルの建築は認められていないようです。



街並みを見下ろすドム塔からは、50個のカリヨンが響き渡ります。



市民の足として、いかに自転車が浸透しているかを象徴する自転車の多さに驚かされます。



ここからの写真が、一番紹介されているようです。
17世紀に始まるオランダ黄金の時代にアムステルダムがその地位を奪うまで、ユトレヒトは北オランダの最も重要な都市でした。



続く................................................................。

トッポと『みなとみらいのオブジェ巡り』、その5

2009年10月21日 | トッポの世界
トッポパパ無事帰国しました。
多少の疲れやすさはありましたが、無事仕事を終えることが出来たのでホッとしています。
オブジュ巡りの紹介を続けます。
こちらは、工藤健作、ブロンズ製の『愛の変容/Fluctuation of Love』です。
ネットの説明によると、作家は、アブストラクトやキュービズムの思考と技法をもとに、人の体を再構成することで新しい人体象を作り出しているそうです。
手、胸、眼、胴体のどこまでが男のもので、どれが女のものか分かりますか? 
像のまわりをゆっくり廻って鑑賞して欲しい作品のようです。



トッポ、『僕は見たままで、分かりやすいけどね!』



こちらは、富田眞州(まさくに)作、ブロンズ製の『人々への賛歌』です。
「愛」をテーマにした作品で、人間の肢体をモチーフに、幾何学的ともいえる基本的な形態を組み合わせながら、情緒豊かな表現に昇華しているそうです。



トッポ、『ママが同じように抱いてくれました。 愛があるのです。



クイーズタワーの屋上にも、オブジェがあります。



トッポ、『ここは高いから、どうやって写真を撮ろうか?』



トッポパパが下に降りて、見上げるように写真を撮ることにしました。



こちらは、リカ・ムータル(Lika Mutal)作、『Eye on the City』です。
この作品は建物の両側に置かれていて、作品のおかれる場所が建物と海の境にあることから、それぞれ人工物と自然を暗示しているそうです。



パズルを組み合わせたような形の面白さに特徴がある作品です。

続く..................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その69の3 『福山城』

2009年10月20日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
この季節だと、この角度が一番いい顔のお城のようです。



国重文の筋鉄御門です。
福山城本丸の正門にあたり、柱の角に筋鉄を施し、扉に数十本の筋鉄を打ち付けている為、その名が生まれたようです。



天守閣と同様に、昭和41年に復元された月見櫓です。



鐘櫓です。
現在は、ソーラーパネルからの電源供給により、1日4回自動で鐘が鳴るようになっているようです。
嬉しいような、悲しいような情報です。



『湯殿』です。
伏見城から移築された建物で、昭和8年に国宝指定を受けていたが、空襲で焼失しました。
京都、伏見城内にあった御殿とともに移築した建物です。



お城を見て歩くことで、そこにある遺跡や、残存する建物で歴史を尋ねることも楽しみなことです。



以前は、お城巡りなどの興味は無かったのですが、何故か最近は興味があります。
学生時代から、この興味を持って勉強すれば、もう少し成績も良かったのでしょうね。



最後にもう一度、新幹線プラットフォームから観た福山城です。
目線の高さが同じレベルで観ることができるお城は、福山城ぐらいでしょう。



それでは、福山城より

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トッポパパ、今頃は帰国便で爆睡中でしょう。
いい写真をお土産に持ってこれるといいのですが。
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トッポと『みなとみらいのオブジェ巡り』、その4

2009年10月19日 | トッポの世界
クイーンズスクエア横浜にある、N.スクレコ・マーティン作、『STAR GATE 』です。



パイプをモチーフに活動している作家で、『どこにでも移動できる装置であり、作品自体が『想像力の門/IMAGINATION GATE』なのです。
想像力を働かせれば私達はどこにでも移動できる、固定観念で物をを見ようする人たちへの、メッセージがこめられているのでしょう。



最初、このオブジェはトッポパパには理解できないと、写真撮影をためらったのですが、調べてみると写真の右側にある文字の壁がオブジェでした。
この壁は、ジョセフ・コスース(Joseph Kosuth)作、『 The Boundaries of the Limitless 』 という作品でした。
作者は世界的に知られている人で、この作品により、数多くのコンテクスト、異文化、異なる世紀、アートとは何であったのか、何であり得るのかについて、様々な考え方などをつなげる橋をつくるのが作家の狙いのようです。
正直な話、その意図が読み取れなかったトッポパパは、素通りしてしまったようで、片隅の写真しか掲載できませんでした。



凡人そのもののトッポパパには、こちらのスヌーピーが気になり、写真を撮ってしまいました。



クイーンズスクエアから、ランドマークへ移動し、気になっていた壁画を撮ってきました。
河合紀(Tadashi)作、『海の表情 金波』です。



こちらが、『海の表情 銀波』です。
2点の大きな作品で、金波は、太陽が海から昇る、活力に満ちた表情を見せ、銀波は、月光に映えて、海の静を語っています。



天井もオブジェだとは気が付きませんでした。
この天井は、高田洋一作、『風の描線 』という作品です。
作品は、クイーンモールの中に18基設置されたマルチポールと呼ばれる柱の上に取り付けられています。
サイン、バナー、時計などを備えた多機能の柱を、ひとつの植物に見立てることで作家はアートとサインを複合化したそうです。
トッポパパにはよくわかりませんが.................きっと、センスがないのでしょう。
風のない人工的な空間に、風にそよぐ植物のような風景を創り出したこの作品は、都市アートの新しい在り方を示しているそうです。
横浜銀行本店ビルの『水面の鳥』も、この作家によるものです。



横浜美術館まで、移動してきました。
こちらは、新宮晋作、『風の音符』です。
作家は、自然のエネルギーの持つ特徴をそのまま作品の動きに活かそうと試みていいます。



この作品も、風により白い羽が回転し、様々な表情の変化が楽しめます。



続く................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その69の2 『福山城』

2009年10月18日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
福山城1619年に徳川譜代の臣、水野勝成が備後10万石の領主となり、ここ福山に一大城下町を形成しました。
歴代の藩主は、水野氏5代、松平氏1代、阿部氏10代と続き廃藩置県に至るまで福山城が藩治の中心になっています。



5層5階の天守閣は、戦前まで現存していたが、残念ながら空襲で焼失してしまいます。
現在のものは昭和41年に復元されました。



復元された白亜の五層天守は2層の付櫓を伴い、華麗で安定感のある城になっています。



本丸?は現在公園として利用されています。
張るにはソメイヨシノ、サトザクラ、ヤマザクラなど、約500本のサクラが名城福山城を彩ります。



桜の季節は、夜に提灯でライトアップされ、幻想的な桜を楽しめるようです。



福山城は近世築城の最後のものとしてその完成された築城術の粋を誇るもので、全国城郭中屈指の名城としてたたえられています。



大河ドラマ『篤姫』にも登場する、老中首座阿部正弘を思い出します。
ペリーやハリスが日本に押し寄せる幕末の動乱期に、『安政の改革』をしました。



大奥でも評判の美男子だったとかで、ドラマでは草刈正雄さんが好演しています。



続く.................................................................。

トッポと『みなとみらいのオブジェ巡り』、その3

2009年10月17日 | トッポの世界
日本丸周辺にもオブジェがあるので、ちょっと寄ることにしました。
トッポ、『この辺はよく散歩で通る道だね』



日本丸近くの広場からの、みなとみらいの景色です。



以前に写真を掲載したこともある、峯田義郎作、『海鳥達の風』です。
このオブジェの写真は早朝意外は、常に逆光になってしまいます。



作者も太陽を背にして、作品が逆光の中にシルエットとして浮かぶ時間を意識したそうです。
少女の前にとまった海鳥は、停止した時間ではなく過ぎ行く時間を表現しています。
『MM21彫刻展ヨコハマビエンナーレ’86』受賞作品です。



こちらは、新宮晋作、『白い花』です。
作品が置かれた周辺は造船所跡ですので、造船所の雰囲気を感じて船のパーツが取り出されたようなイメージをもとに作品を産み出したそうです。
こちらも『MM21彫刻展ヨコハマビエンナーレ’86』受賞作品です。



入江側に、垣内治雄作、ブロンズの『青少年の像』です。
『港が見える海の近くに、元気で明るく友達と仲良く伸びていく、自分達のシンボルが欲しい』という気持ちを生かし、小学校4年生の男女を対象に創られた作品です。



円形広場は、3連休のイベントがたくさんあるので、どこも人で溢れています。



ヨーヨー広場にある、誰でも知っている、最上壽之作、『モクモク ワクワク』です。
非常にユニークな作品ですが、風の通り道・流れを意識し、『たなびく雲』をイメージして作られました。



この作品は、どこから写真を撮ったら一番、オブジュっぽい写真になるか考えて、見上げるように写真を撮ってみました。
少しは作者の意図が、強調できればいいのですが。
ちょっと、違ったみたいですね。



続く...................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その69の1 『福山城』

2009年10月16日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
今回は『福山城』の紹介です。
山陽新幹線福山駅のプラットホームから、一二三段城に築かれた福山城の石垣の塁上に、白亜の櫓群と城壁、その後に五層の天守閣を見ることができます。
プラットホームが、目の高さに見ることが出来るお城鑑賞スポットです。



福山駅自体が、城の内堀を埋めて作ったそうです。
白亜の5重の天守閣は福山のシンボルです。



福山城は、徳川幕府から西国鎮護の拠点として、譜代大名の水野勝成が1619年に備後10万石の領主として、入府し築いた城です。



周囲は綺麗な公園になっています。
高さが5mもある、迫力ある石垣が迎えてくれました。



秋の訪問でしたが、紅葉とのコントラストが素晴らしいです。



再建された天守閣は、現在福山城博物館として、歴代藩主の遺品や福山を中心とした備後地方の歴史と文化に関する貴重な資料が展示されているそうです。



時代劇に出てきそうな、石垣に囲まれた道です。



裏から上ってきたようですが、この門を抜けると天守閣とご対面です。



続く................................................................。

トッポと『みなとみらいのオブジェ巡り』、その2

2009年10月14日 | トッポの世界
トッポ、『次はどこ?』
最近はトッポ用のカートに重いカメラやレンズを乗せて運んでいます。
トッポパパも首への負担が軽減されるので重宝しています。



こちらも三菱重工正門横にある、冨永直樹作、『美しき広場像』です。
        


会社を支えるのが社員で、社員を支えるのが家族であるという意味を込めて設置されたそうです。
石の台座には、『我々を支える家族の幸せを、いつでも忘れないようにしよう』という銘が刻まれています。
トッポに焦点を合わせたら、単焦点レンズでは像が見事にボケてしまいました。
レンズの使い分けも大変です。



ワンちゃんも家族の仲間なのですね、嬉しくなりました。



ランドマーク側の角にある、名知富太郎作、ステンレス・スチール製の『無限(飛翔)』です。
作品は、リヒト・キネティック(光と動きの彫刻)と呼ばれ、ステンレスの表面が光を反射することで、動きを意識しています。
『MM21彫刻展ヨコハマビエンナーレ’86』での受賞作品です。



こちらのおおきなオブジェは、横浜銀行本店ビルの前にある、高田洋一作、『水面の鳥』です。
『役に立つ物ばかりでは人間は生きていけないのではないか?』、『役に立つものに囲まれた街の中に、何の役にも立たない彫刻を置くことで、私達は救われるのではないか?』という作者の願いが込められた作品です。



この作品は風でゆっくり回転していますので、暫く眺めていると色々な形を楽しむことができます。



こちらは日石横浜ビル周辺にある、安田侃(かん)作、『天泉』です。
白大理石製で、『天国に泉があるとしたらこのような形をしているのではないか』というテーマを持った作品です。



イタリア産の天然大理石は、触り心地もいいのでしょう。
子供達が、遊んでいましたので、トッポと一緒に写真を撮らせてもらいました。



続く.................................................................。

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これから成田に向かいます。
ドイツ、オランダ諸都市への出張です。
無理をしないで、今度は体調を崩さず戻ってきます。
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