TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポと横浜ジョイナスの森へ、 その1

2008年11月30日 | トッポの世界
トッポパパが久しぶりに週末が空いたので、トッポと横浜駅西口へ出かけました。
都会の中の憩いの場、ジョイナスの森の彫刻を見に行きました。



都会の屋上ですが、小さな森?があり、ところどころに彫刻が配置されています。
総面積4600平方メートルの庭園内に約2万本の樹木と人工の滝や遊歩道が設置されています。



トッポ、『これは犬の彫刻? 』
トッポパパ、『よく分からん!



トッポ、『あっちに大きな人が座っているよ!』
トッポパパ、『引っ張っちゃダメ! 鳩がひっくり返るぞ!』
芝生に鳩はこれもアートで、柳原義達作「道標・鳩」でした。



朝倉響子作の『ニケ』です。
朝倉響子は日本の近代彫刻の聡明期に活躍した巨匠、朝倉文夫の次女です。
若いスリムな女性の透明感を出した作品です。



トッポ、『では、僕も座るから、スリムに撮って!』



続く....................................................................。

海外の都市の紹介、 その55の1 『ニース』

2008年11月29日 | 海外の都市の紹介
今回はニースの紹介です。
ニースの歴史は紀元前5世紀まで遡ります。
ギリシャ人によって建設され、紀元前2世紀頃よりケルト系の住民が定住しました。



ニース駅です。
フランスの南東部の都市ニースにあるフランス国鉄(SNCF)の鉄道駅で、正式な駅名はニース・ヴィル駅(GARE de Nice-Ville)です。



それほど大きな駅ではありませんが、精緻な造りのニース駅舎です。



他の駅にくれべても、とてもお洒落な感じがします。



ニースの架線のない路面電車(トラム)です。
このトラムは発進時や加速時だけ、電気でモーターを回して走りますが、慣性走行時や減速時には電気を使わず、車輪によって回されたモーターのコイルによって発電し。この電気をバッテリーに蓄えて、再利用しています。
ハイブリッドカーの集電・蓄電方式とよく似ています。
車両もリゾート地を意識し、ニース市街地の美しい街並みに溶け込めるようなデザインです。



コートダジュールのシンボル的存在のホテルがオテルネグレスコである。



1913年にこのホテルを建てたのは、ルーマニア出身のアンリ・ネグレスコです。
印象的な外観の建物の設計を担当したのは、パリのエッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェルです。



世界的なリゾート地としてその名が知られ高級ホテルやレストランが並ぶニースですが、旧市街地はイタリア的な雰囲気が漂います。



続く.................................................................。

トッポと井の頭恩賜公園へ、 その4

2008年11月27日 | トッポの世界
弁天橋はこの角度だと、青空を背景にするといい写真になります。



今頃は紅葉できれいでしょう。



遠くに見える橋が七井橋です。



鴨がのんびりと餌を啄ばんでいます。



弁天橋の中央から、弁財天を正面に見ます。



七井端の反対に来て休憩です。



『カップルで井の頭池のボートに乗ると、そのカップルは別れてしまう』という都市伝説?もあるそうです。



瓢箪池の近くの水門橋です。



井の頭公園アートマーケットも盛況でした。



野外コンサートも開催されています。



井の頭恩賜公園も全部歩くと、結構運動になります。
それでは井の頭恩賜公園より

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昨日は結婚記念日、今日はトッポパパの○○歳の誕生日です。
誕生日を喜ぶ歳ではありませんが、ここまで何とか大病もせず生きてこれたことに感謝です。 これから先はトッポと長寿競争になりそうです。(笑)
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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その54の4 『かずら橋と祖谷渓』

2008年11月26日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
祖谷渓を奥に進み、標高1447mある中津山の岸壁に到着しました。



ここからは約200mの深い谷を見下ろすことができる場所です。



なんと、ここに小便小僧が立っています。



祖谷街道開設工事の爆破作業の時に残ってできた岩の上で、かつて地元の子供達が度胸試しをしたという逸話にちなんで作られたた小便小僧の像です。



地元の子供はこの岩に立ったということですが、よくそんな恐いことできたと思います。
今は危険なので岩に立ってはいけませんと書かれ、フェンスも作られています。
この角度から見ると、あの場所に立つことだけでも相当な度胸がいることがわかります。



展望台です。



谷底で鳥が舞う断崖の景観は圧巻です。



カメラマンたちも興奮状態です。(笑)



ここは日本一の紅葉の名所として知られています。
毎年今頃は、プロのカメラマンが紅葉の写真を撮りに訪れ、テレビなどでも放映されるそうです。



近くの断崖に『祖谷温泉』があります。
一軒家のホテルですが、秘湯中の秘湯ということで有名な温泉のようです。



ホテルより、170メートル下の谷底にある露天風呂までは、ケーブルカーで往復します。



それでは祖谷渓谷より

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今日はトッポパパの結婚30周年になります。
この我儘な親父から、よく逃げ出さずに我慢してくれたものです。
今日もお客さんラッシュなので、週末にでも何か考えないといけませんね。
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トッポと井の頭恩賜公園へ、 その3

2008年11月25日 | トッポの世界
トッポ、『池だ! 泳げる?』
トッポパパ、『ここは泳ぐところじゃない



弁天橋です。



井の頭恩賜公園は、橋と噴水そして周辺の木立がいたるところで素敵な景観を作っています。



トッポ、『あっちにも噴水があるよ。 こうしてくれるとよく見えるよ。』



木立の間から見た景色も、なかなか絵になります。



トッポ、『あっちで泳いでるよ!』



トッポパパ、『あれは鯉だよ。 魚は一年中泳いでいてもいいの。



ファインダーを覗きながらあちこち歩いていると、井の頭公園の景色を堪能できます。



弁天橋から弁財天を臨みます。
この辺りがいちばん代表的な景色のようです。



続く...............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その54の3 『かずら橋と祖谷渓』

2008年11月23日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
元気な友人達にとっては、かずら橋は楽しく渡れる橋のようです。



渡り終わり左に向かうと『びわの滝』があります。



かずら橋の少し上流側にある、高さ50mの滝です。



吉野川の支流祖谷川に注ぐ谷に平家は追っ手を逃れ、屋島から阿讃山中を経て、祖谷に入ったといわれている。



平家の落人達が古都の生活をしのび琵琶を奏で、つれづれを慰めあったと伝えられたという美しい滝です。



下を見下ろすと、広い河原が広がっています。



川の水が澄んでいる清流で、河原の白い岩の間を流れる水を眺めているだけで気持ちよさそうです。



今年は台風や大雨もなく、穏やかな渓谷のようです。



もう少し渓谷の奥へ進んでみます。



続く..................................................................。

トッポと井の頭恩賜公園へ、 その2

2008年11月21日 | トッポの世界
井の頭公園には弁財天を奉る弁天島があります。
こちらが弁財天への入り口になります。



井の頭と言う名称も徳川家光が名づけたそうです。
自ら小刀で弁財天の傍らのこぶしの木にその名を刻んだと言われ、その伝承を記した石碑が現在も同じ場所に建てられています。



トッポ、『早く行こう!』
何か食べに行くのかと勘違いしているようです。



弁財天に向かう横の池です。
昔に比べると湧水の水量が減り水質も落ちてきたので、浄化作用を持つ筏を浮かべているそうです。



井の頭弁財天は縁起によると938~946年に源経基により創建され、1197年に源頼朝が宮社を建立したといわれています。



現在の社殿は1927年に再建されたものです。
江戸時代には徳川家康や家光らも訪れ、神田上水源の水神として、また音楽や芸能の守護神として江戸庶民の信仰を集めました。



安藤広重も名所江戸百景『井の頭の池弁天の杜』で秋の風景を、また名所雪月花『井の頭の池弁財天の社雪の景』で冬の夕景を描いています。
当時から井の頭の弁天様が江戸の庶民と文化にとって、また親しまれてきたかが分かります。



『井の頭池』の命名者は、三代将軍徳川家光と伝えられています。
「上水道の水源」「このうえなくうまい水を出す井戸」という二つの説があるそうです。
トッポ、『どこで昼飯食べるの?』



トッポのお腹を満たさないと落ち着かないので、この後は景色を見ながら昼食にしました。



続く...............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その54の2 『かずら橋と祖谷渓』

2008年11月18日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
日本三大奇橋のひとつで、国の重要文化財にも指定されているかずら橋です。



この橋を渡るには、入場料(渡橋料?)500円支払います。
毎年、20万人以上の観光者がかずら橋を渡るといいますから、なかなかの観光収入になっているようです。



かずら橋を別の橋から撮って見ました。



かずら橋は山のシラクチカズラを利用した架けられたつり橋です。
橋の高さは川の水面から14m、長さ45m、幅2mです。



国の重要有形民族文化財で、3年毎にかけかえられています。
祖谷のかずら橋は、古文書によると、昔は7-13橋が存在したとされています。



現在のかずら橋には葛の中にワイヤーロープが組み込まれて、丈夫な構造になっているようですが、足下を見るとさすがにちょっとスリルがあります。



歩きながら足元を見ると足下や側面にすき間が多いので、みなさん手すりに力がこもるので、手すりが外側に傾き余計揺れが大きくなるようです。



渡し木と渡し木のすき間から見える渓谷を、高所恐怖症の人は見る余裕などないでしょうね。
恐怖のあまり、そこから動けなくなってしまう人も何人かいるようです。



平家によって作られたとも言われている橋ですが、貴重な経験です。



続く................................................................。

トッポと井の頭恩賜公園へ、 その1

2008年11月17日 | トッポの世界
今回は井の頭恩賜公園の紹介です。
横浜に住んでいるのでそれほど遠距離ではないのですが、生まれて初めての訪問です。
トッポ、『お尻が滑るんだけど!』



井の頭池の中央を渡している七井橋からの景色です。
池に覆い被さるように桜の木がせり出しています。 
春の桜の季節は、見事な景色になるのでしょう。



トッポ、『何、見てるの? 僕、見えないんだけど。』



現在は井の頭恩賜公園は、東京都武蔵野市と三鷹市にまたがる都立公園になっています。



武蔵野三大湧水池として知られる井の頭池を中心とした公園で、豊富な水源を利用し、各所に噴水が設けられています。



トッポ、『僕を抱いて見えるようにしてくれる!』



トッポ、『これでは、あまり意味が無いような気がするけど!』
井の頭池は、初めて江戸にひかれた水道、神田上水の源だったそうで、明治工半々に改良水道ができるまで、重要な浄水供給の役割を果たしていました。



井の頭池の西端はうっそうとした木立に囲まれています。
そこからから清水が湧き出ていますが、徳川家康がこの地を訪れた際に、池の水をお茶に点じたところから『お茶の水』の名が付いたそうです。



それではゆっくりと公園内をトッポと回ってみます。

続く.................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その54の1 『かずら橋と祖谷渓』

2008年11月16日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
大歩危の遊覧船の前で、名物のボンネットバスに出会いました。
昔懐かしいバスがこんなところで、観光バスとして活躍しているのを見ると嬉しくなります。



祖谷渓谷の秘境を訪ねてみました。
まずは龍宮崖公園です。



祖谷川の清流と原生林に囲まれ、高さ70mの吊り橋です。



深い山並みに包まれた、竜宮崖公園はキャンプ場にもなっています。



春の山桜、初夏の新緑、秋の紅葉、そして秘境ならではの雲海など、四季折々の風情を楽しめそうです。



見下ろす祖谷渓の眺めは、ぜひカメラに納めたい景観です。



剣山に源を発する祖谷川の風光明媚な渓谷は、四国山地を横断するため両岸が切り立ち、数10メートルから数100メートルの断崖絶壁を作り出しています。



徳島県の最西端に位置し、剣山、吉野川など、西日本や四国を代表する山河が揃い、豊かな自然に恵まれています。
こちらから見える橋が、友人達がいた橋です。
どのようにして橋を架けるのか、見てみたいですね。



平家が讃岐志度の戦いに敗れて、またこの地に逃げ込み山間部に住居を構えたそうです。



次回はかずら橋を紹介します。

続く.............................................................。

トッポと油壺マリンパークへ、 その7

2008年11月15日 | トッポの世界
海に入ってびしょ濡れになったトッポは、小さなタオルでは乾ききれません。



暫らく、景色でも見ながら自然乾燥を待つことにしました。



この時期のヨットのセーリングは、気持ちよさそうです。



トッポパパ、『乾くまでは、浜辺を歩き回っちゃダメだぞ!』
トッポ、『岩が温かいので、すぐ乾くね。



この岩の写真を観ていると、テレビで紹介されたガラパゴス島のイグアナを思い出しました。
ちょっと目を細めてみると、そんな気がしませんか。



昼間の日差しで温まった岩は、天然のドライヤーのようで、すぐに乾き始めました。



トッポパパ、『よし! 散歩していいぞ。』



気分がいいのか、尻尾を上げて歩き回っています。



尻尾もフリフリしながら歩いているうちに、どうやら完全に乾いたようです。



それでは油壺より

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昨夜帰宅しました。 週末にゆっくり皆さんのブログを拝見させていただきます。
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海外の都市の紹介、 その54の3 『ライデン』

2008年11月13日 | 海外の都市の紹介
代表的なライデンの景色です。



跳ね橋と水車、そして周囲の建物の色が調和しています。
日本のように勝手気ままに建物を建てていると、この調和は無理なのでしょう。



レンブラントも、このライデンで生まれ育ちました。



レンブラント,すなわちレンブラント・ファン・ラインは1606年にライデンのウェデステーヘの粉屋の息子として生まれます。



26歳までここで過ごしたそうです。



オランダ絵画黄金期の傑作、レンブラント作の『夜警』です。
フランス・バニング・コックを隊長とする市警備団の中隊を描いた集団肖像画です。



こちらがレンブラントが住んでいた家のようです。



レンブラントが住んでいたことを示す表札?がありました。



彼が絵画の技法を学んだのもライデンであり、この美しいライデンの街の色彩が、レンブラントの多くの絵に残されているそうです。



オランダの1000ギルダー紙幣にその肖像が描かれていたほど、オランダが誇る世界的に有名な画家です。



それではライデンからお別れです。

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明日タイより帰国します。 コメントをいただきながら返信ができず申し訳ありません。
帰国後、ゆっくり皆さんのブログをお邪魔します。
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トッポと油壺マリンパークへ、 その6

2008年11月12日 | トッポの世界
マリンパークを出て、側道を降りて海岸にきました。



油壺湾はヨットハーバーとしても有名で、沖にはたくさんのヨットが見えます。



ちょっと目を離している隙に、トッポは海のほうへ.............



トッポパパ、『こら! 泳いじゃダメだよ!』



トッポ、『気持ちいいよ!



泳がせるつもりは無かったのですが、トッポはすぐ水の中に入りたがるので困ります。



トッポママ、『バスタオル持ってきてないのに、早くあがんなさい



トッポ、『今年は泳ぎに連れて行ってくれなかったから、ちょっとだけ



トッポ、『怒ってる?』
泳ぐのが好きなのは知っていますが、洋服着たまま海に入るとは思いませんでした。
水槽の中で泳いでいたイルカや魚を見ていたので、自分も泳ぎたくなったのかもしれませんね。



続く..............................................................。


海外の都市の紹介、 その54の2 『ライデン』

2008年11月10日 | 海外の都市の紹介
ライデンは、16世紀から17世紀にかけ繁栄を極め、特にライデンの織物、毛氈、ライデンのらくだ織りは有名だったようです。 
また、印刷・出版業の地としても発展しました。
それではライデンの街を散歩しながら、シーボルト縁の地を訪ねてみます。



シーボルトが住んでいたラペンブルク運河沿いの旧宅が現在シーボルト記念館となっています。



入り口には、日本の観光客も多いので、日本語での説明もあります。



シーボルトは1823年にロッテルダムよりジャワ島経由日本へ到着し、当時、鎖国時代の日本の対外貿易窓口であった長崎の出島で、オランダ商館医となります。



出島内において開業し、西洋医学(蘭学)を日本各地から集まってきた多くの医者や学者に講義しました。
高野長英・二宮敬作・伊東玄朴・小関三英・伊藤圭介らがいて、彼らは後に医者や学者として活躍します。



日本から持ち帰った生物標本や絵図は、当時ほとんど知られていなかった日本の生物について重要な研究資料となります。
標本の多くは、いまでもライデン王立自然史博物館に保管されています。



この写真は、シーボルト記念館の中でのフィルムによる江戸の紹介で出てきたお城ですが、江戸城だとすると初めて見る江戸城天主です。



日本から持ち帰った紫陽花は、ヨーロッパの園芸界に広まリマ下。
現在西洋アジサイとして逆輸入されていますが、元は日本の紫陽花だったようです。
帰国後、『日本動物誌』を刊行し、その中で日本では馴染み深いスズキ、マダイ、イセエビなどが学名として確定したそうです。
日本の代表的な魚の名前の名づけ親はシーボルトなのですかね。(笑)



1828年に帰国する際、収集品の中に幕府禁制の日本地図があったことから問題『シーボルト事件』になり、国外追放処分となります。
後に日本の近代化やヨーロッパでの日本文化の紹介に貢献し、日本と日本の文化を愛した人物として知られています。



オランダを訪ねると、いろいろな土地で日本と深いつながりがあったことが分かります。

続く..................................................................。

トッポと油壺マリンパークへ、 その5

2008年11月09日 | トッポの世界
イルカんと目があって驚き、水槽の中の変わった魚にビックリしたトッポは、しばし外で休憩です。



トッポは臆病なので、外では吠えることが無いので安心です。



水分補給で、少し落ち着いたようです。



元気にペンギンが歩き回っています。



遠くで見ると、白と黒のコントラストで可愛く見えるペンギンも、望遠で撮ると結構おっかない顔しているのでビックリです。



トッポは子供の遊び場のほうが楽しそうです。



一人で何をしているのでしょう?
反対側にトランポリンのようなものがあり、台の上から飛び降りて遊んでいました。



せっかく油壺に来たので、磯のほうに降りてみることにします。
しかし、またハプニングが起こりました。



ママが慌てたハプニングは次回に紹介します。

続く..................................................................。

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今朝より、またシンガポールとタイへ出かけてきます。
世の中景気が悪くなると、どうも忙しくなるようです。(笑)
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