TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その85の3 『宮島、厳島神社』

2010年01月31日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポママが何処を観て回るか思案中です。



どの角度から撮ったら、一番大鳥居が引き立つのでしょうね。



この大鳥居は、数十年から百年前後の間隔で建て替えられています。
現在のものは八代目とのことです。
建て替えるためには巨大な楠木が必要ですが、こんな大きな楠木はどこから調達するのでしょうね。



トッポパパちょっとお気に入りの構図の大鳥居が撮れました。



『客神社(まろうどじんじゃ)』 です。



ここは天忍穂耳命(あめのおしほのみこと)天穂日命(あめのほひのみこと)天津彦根命(あまつひこねのみこと)活津彦根命(いくつひこねのみこと)熊野櫞樟日命(くまのくすのひのみこと)が祭られています。



本殿回廊の柱が変化のある景観を造り出し平安時代様式の建築が雅な美しさを感じさせます。



潮が満ちてきました。



秋の大潮の満潮時には床上に海水がかかるそうです。



続く........................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その85の2 『宮島、厳島神社』

2010年01月30日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
それでは日本三景の宮島を、たっぷり観賞させてもらいます。



親子の鹿なのでしょうかね、仲良く寄り添っています。



五重塔が観えます。



宮島の海に立つ大鳥居です。



大きな宮島の狛犬です。



トッポパパが狛犬の写真を撮ったら、ママはもっとアップで撮影です。



宮島の大鳥居は宮島のシンボルになっています。



大鳥居の高さは16.8mで一番太い柱は周囲10mもある巨大なクスの木でできています。
この鳥居は置いてあるだけだと説明されています。



鳥居の上の屋根の下の横木は島木といい箱状になっていてこぶし大の石がいっぱい入っています。
重量は60トンもあり、砂の中に松材の杭を数千本打ち込み、石を並べて頑丈な基礎が出来ているので、傾くこともないそうです。



続く.........................................................................。

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明日早朝より韓国へ出発です。
韓国は寒そうなので、防寒対策が必要なようです。
転ばないように注意しながら、頑張ってきます。
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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その85の1 『宮島、厳島神社』

2010年01月28日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
1月は滅茶苦茶忙しい毎日を送っています。
ブログ更新も、トッポの紹介もままならぬ毎日で、申し訳ないと思っています。
忙中閑ありで、大阪より先へ新幹線も乗ったことがないトッポママと宮島の厳島神社を訪問しました。



宮島は2006年に紹介したのですが、今回はトッポママと一緒に宮島に一泊しましたので、ゆっくり写真を撮ることができました。



宮島への連絡船が数多く行き来しています。



遊覧船から、遠く瀬戸内海?を臨みます。



宮島側の船着き場です。



駅前の広場です。



日本三景の石碑の前で記念撮影です。



出迎えに来た鹿さんに、カメラを向けるママですが、無視されたようです。



人慣れしているので、体を摺り寄せてきます。



今回は重いカメラバッグ持参で来ましたので、いい写真が撮れるのを期待しています。



続く......................................................................。

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今週から来週末まで、韓国、そして北海道とまた殺人的?スケジュールになります。
トッポの写真紹介も、なかなかできず残念ですが、今しばらくご容赦ください。
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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その84の2 『高岡、雨晴海岸』

2010年01月24日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
日本の渚百選に選ばれている『雨晴海岸(あまはらしかいがん)』は、富山県高岡市北部の海岸で、能登半島国定公園に含まれています。
あいにくの曇り空で、海越しに見える立山連峰の3000m級の山々を望むことはできませんでした。



『女岩』のシルエットが浮かび上がる景色はすばらしいです。
立山連峰をバックにこの絶景を撮影しようと、多くのカメラマンがここを訪れるようです。
万葉の歌人、大伴家持はこの雨晴の風景をこよなく愛し多くの歌を残しました。

『馬並(な)めて いざ打ち行かな 渋谿(しぶたに)の 清き磯廻(いそま)に 寄する波見に』
(馬を並べてさあ出かけようじゃないか 渋谿(現雨晴海岸)の清らかな磯に打ち寄せているその波を見るために)(万葉集 巻十七 三九五四)



友人と一緒に泊まったホテルの入口に、天皇皇后陛下ご宿泊の石碑があります。



部屋に通されるとさらに驚かされました。
部屋に入るとすぐに豪華な布団が飾られています。



化粧台?もりっぱです。
これって、天皇陛下が泊まった部屋?



ホテルのオーナーに聞いたところ、どうもそのようです。
床の間には鳳凰が飾られています。
友人と一緒に、天皇皇后陛下も同じ天井を観て、雨晴海岸の波の戸を聞きながらここでお休みになったのかと思うと、厳粛な気持ちになりました。



ロビーに天皇皇后陛下ご到着時の写真が飾られていました。



『雨晴』という名前の由来は源義経が奥州に落ちのびる時、岩かげに宿り、にわか雨を晴らしたという伝説によります。



源義経が奥州へ落ちのびる途中、にわか雨の晴れるのを待った義経岩です。



義経社です。
立山連峰と広い海を同時に眺望できる絶景スポットです。



北陸の旅もなかなかいいものです。
今頃は深い雪に覆われているのでしょうね。



それでは北陸より

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その83の3 『岸和田城』

2010年01月22日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
岸和田城のお濠を一周してみます。
この角度だけ、青空がきれいに撮れました。



1954年に模擬復興された三重の天守閣と隅櫓です。



内堀は当時のまま残り、本丸と二の丸が千亀利(ちきり)公園として整備されています。



本丸と二の丸が連なった形が「ちきり」という機(はた)の縦糸を巻く器具に似ている事からつ千亀利城とも呼ばれます。



本丸に建つ天守は昭和二十九年の復興で、手前の土塀は昭和四十四年の復興です。



南東から見た本丸と内堀です。
手前部分は横矢を掛けるために張り出す縄張りとなっています。



東南の角からみた岸和田城です。
内堀が広く、湖に浮んでいるような感じもします。



天守閣の石垣の下には幅1mほどの空き地が見えます。
これは犬走りといい、他のお城では見られない特異な構造です。



それにしても、この岸和田城の眺めはすばらしいものです。



それでは岸和田城から

トッポの運動不足解消! 『噛んじゃダメ!』

2010年01月20日 | トッポの世界
正月から忙しい毎日を送っているトッポパパは、トッポと遊んであげることができません。
12歳のトッポに、体力を鍛えるほどの運動は必要ないのですが、毎日食べて寝るだけでは運動不足になるので、たまにはこうやって遊んであげます。



トッポ、『あそんでくれるの?』
トッポパパ、『強く噛んじゃダメだぞ!』



トッポにしてみれば、噛むことができないのは遊んでいる気がしないのでしょうね。



トッポ、『これではハンディが多すぎる!』



トッポパパ、『じゃぁ、ちょっとだけ! 強く噛むなよ。』



トッポ、『もうちょっと!』



トッポ、『体を押さえちゃ、噛めない!』



トッポパパ、『では、おやゆびだけ!』



こんな感じで、ガウガウしながらしばらく全身運動をしていると、結構運動になるようです。
トッポパパの手と遊んでいるトッポもかわいそうですけどね。



トッポ、『ママ!、なんで写真撮ってるの?』



毎日、家の中でゴロゴロしているのは退屈なんでしょうね。
そのうちどこかへ連れて行かないといけないと反省しているトッポパパです。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その84の1 『高岡、大仏』

2010年01月19日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
奈良大仏(752年)、鎌倉大仏(1246年)と並んで日本三大仏に数えられる高岡大仏の紹介です。
高岡大仏の由来は、1221年、摂津の国に住む源義勝が承久の乱をさけて越中に移り住む際、金銅仏を腹中に収めて、二上山麓に1丈6尺(約5m)の木造大仏を造営したのが始まりです。



その後、1609年に前田利長公が現在地に移動します。
しかし、大火による消失と再建を繰り返したことから、火事で燃えることのない大仏を求める声があがり、380年の伝統を誇る高岡銅器の職人の手による大仏が昭和7年に完成しました。
大円輪の光背を持つ高岡大仏は、右手を左手の上に置き、人差し指を立て、親指をその指頭に付けた阿弥陀如来の結ぶ印になっています。



日本3大仏に数えられ、総高15.85m、坐像の高さ7.43m、総重量65トンの青銅製の大仏です。



台座下中央に安置されている仏頭です。



仏頭には12光仏が配されています。



前田利長公は、高岡の町を開いた加賀藩第二代藩主です。
前田利長の菩提寺である瑞龍寺から「八丁道」という石灯籠が続く道を歩いた先に小さな森があり、そこに前田利長公の墓所があります。



この墓は、加賀三代藩主前田利常が、高岡の町の礎を造った先代利長の冥福を祈って1645年に建設されました。
森と石垣に囲まれた墓は、武将の墓としては全国屈指の大きさを誇ります。



大名の墓としては日本一と言われる高さ11.75mの石塔があります。



鳥居があり、立派な石柵で囲まれた墓所は天皇陵かと思えるほど立派なつくりです。
この地における、前田家の権勢を象徴している墓所です。


続く...........................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その83の2 『岸和田城』

2010年01月18日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
岸和田城本丸の庭園です。
諸葛孔明の八陣法に倣い、一草一木も無い、正真正銘の枯山水の石庭です。



八陣の名は、中国の諸葛孔明や孫子、大江維時などの陣構えがあるが、ここでは諸葛孔明の八陣法からとったものとの説明があります。



本丸の庭であるため、四方八方から眺められるように設計されています。
蓬莱山の九山八海になぞらえた青海波の砂紋が描き出されています。



天守から見下ろした石庭です。



石組みは大将軍を中心として周りに天・地・風・雲・鳥・蛇・龍・虎の各陣を配しているようです。



砂紋を描いた白砂をもって石組みを囲み、海中の蓬莱山を立体的に表現しています。



青石は和歌浦の沖ノ島から陸揚げした水成岩です。
現代的な感覚を織り込んだ石庭に思えます。



奥に進み天守を裏側から観た写真です。



天守、小天守をアップで撮りました。




城の出口近くに二の丸多聞櫓があります、現在は公衆トイレとして使用されているようですが、ちょっと???ですね。



現在の二の丸跡ある武道場です。



本丸隅櫓です。 内部は郷土資料館になっています。



次回は岸和田城を外堀の外から観た全景を紹介します。

続く..................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その81の7 『富士山を追いかけて.........、山中湖』

2010年01月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
富士五湖最後の富士山を山中湖で撮り終えたので、会社の同僚だった若い人が山中湖のテディベア館を経営しているので、最後はいつもこちらに伺います。
トッポ、『やっと、お昼ごはんだ!』



途中で、最後の富士山を撮りました。



テディベア館隣接のレストランで昼食前の記念撮影です。



ここからでも富士山が見えます。



トッポ、『まだ、食べるもの来ないの?』



年末でしたので、テディベア館の中はテディベアが飾りつけられたクリスマスツリーが飾られていました。




若い館長さんと記念撮影です。
山中湖へ出かけたらぜひ声をかけてあげてください。
トッポパパでわかると思いますので、少しはおまけしてくれるかもしれません。



ここのレストランで山中湖を観ながらお食事するのもお勧めです。



それでは富士山巡りはこの辺で終了します。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その83の1 『岸和田城』

2010年01月16日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
今回は『だんじり』の街として知られる岸和田市にある『岸和田城』の紹介です。
本丸への城門です。



別名、千亀利(ちきり)城とも呼ばれています。



城門をはいって右が階段、左が緩いスロープになっています。
南北朝時代、この地は「岸」と呼ばれていたそうです。
1334年楠木正成一族の和田高家が、この「岸」に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田殿」と呼ばれるようになり、 「岸」の「和田」がなまり「岸和田」の地名の起こりになったといわれています。



スロープの上から城門を観ます。



その時代、岸和田城は紀州根来寺を監視する重要な場所であり、根来寺壊滅後は小出秀政(豊臣秀吉の叔父)が城主となりました。



そのころはまだ天守閣もなく、館の周囲に塀や土塁をめぐらせた程度の城館であったようです。
1585年、豊臣秀吉は叔父の小出秀政を岸和田城主とし、天守閣もこの時に築かれました。
豊臣氏滅亡後、松平(松井)氏三代を経て、1640年、摂津高槻から岡部宣勝が入城し、以後、明治維新まで岡部氏が13代にわたって岸和田藩5万3千石を治めました。



1827年、落雷によって天守閣は焼失し、以後長らく再建されませんでしたが、昭和29年、鉄筋コンクリート造りで現在の三層の天守閣が再建されました。



天守前広場は石庭になっています。



この庭園は、室町以前の城郭平面図をもとに地取し、所々に諸葛孔明の「八陣法」をテーマに、大将を中心として、天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇の各陣を配したものだそうで、石組みを配した近代感覚の石庭です。



続く........................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その81の6 『富士山を追いかけて.........、山中湖』

2010年01月13日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
最後の富士五湖は山中湖です。
お腹もすいてきましたが、温度が上がり始めましたので富士山を撮ることを優先です。



山中湖から富士山を湖越しに撮る場所を探して湖畔を移動しました。
トッポ、『ここでいいんじゃない!』



太陽が高くなるにつれ富士山の左側は直射日光を受けるので、白くなってしまいます。



縦にして白トビを抑えれば、なんとか写真になりました。



湖畔のボートを入れて、ちょっと雰囲気を変えてみました。



トッポは湖畔をクンクン嗅ぎまわっています。



この時期湖畔は魚釣りを楽しむ人ぐらいで、静かなたたずまいです。



トッポを車の上に乗せて記念撮影です。



トッポ、『そろそろお腹すいた!』



写真を撮り終えたので、元会社の同僚が経営している『テディベア館』へ移動して昼食にします。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その82の3 『高岡、瑞龍寺』

2010年01月12日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
瑞龍寺の仏殿の中に入ることができました。
上層軒組は、整然と配列された扇捶で、禅宗様建築の純粋な形式を表現したものだそうです。



堂内には並列する欅の良質材の柱が目につき、精巧な細工が観られます。



仏像は、三百有余年前に中国から渡来されたもので、釈迦・文殊・普賢の所謂三尊が安置されています。



前田利長公・織田信長公御の分骨廟が並んでいます。
これらは富山県指定文化財として認定されています。



織田信長の墓がここにあるのは不思議です。
前田利長公は本能寺の変の後,織田信長公父子の分骨を迎えてその霊を慰めたと伝えられているようです。



利長公の菩提寺瑞龍寺を造営したとき、開山広山恕陽(コウザンジョヨウ)禅師が利長公父子も加えて同じ形式の五基を建造したのが,この石廟の由来です。



法堂正面に『なでぼとけ』が置かれています。



道元禅師の仏像です。



こちらの部屋で修行僧の修行が行われたそうです。
瑞龍寺は鎌倉時代に日本にもたらされた中国の人形式を模して建立されたもので、、総門、山門、仏殿、法堂を回廊で結び整然とした伽藍構成でした。
とてもいいものを拝見させていただきました。



大仏があるというので、そちらに向います。

それでは高岡の瑞龍寺より

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その81の5 『富士山を追いかけて.........、河口湖』

2010年01月11日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
河口湖に到着です。



トッポ、『お昼になったけど、まだ富士山見えるかな?』



この日は不思議と昼近くになっても、富士山が奇麗に撮れました。



トッポ、『初めて河口湖の富士山が撮れたね!』



いつもは河口湖に到着した時はほとんど雲に覆われた富士山でしたが、今回は富士山全体を観ることができました。
この日は日中の温度上昇が少なかったからでしょう。



ママもコンデジで富士山に挑戦です。



トッポは一人で湖畔をウロウロしています。



こんな写真も、ちょっとおもしろいと思います。



次は最後の山中湖です。
山中湖で富士山の写真がちゃんと撮れれば、万々歳の富士山巡りです。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その82の2 『高岡、瑞龍寺』

2010年01月10日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
伽藍の中央に位置する国宝の『仏殿』です。



1659年に建立された鉛瓦で葺いた屋根は、全国でもこの仏殿と金沢城石川門だけです。



加賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺である瑞龍寺の伽藍の一番奥に位置し、最も大きな建築物の国宝『法堂』です。



報道の屋根瓦と同じものが展示されていました。
近くで見ると、大きな屋根瓦にびっくりします。



大伽藍をとり囲み、左右対象をなす回廊です。
禅宗寺院最古のもので、周囲約300mにわたっています。



板戸の黒と障子の白が交互に規則正しく配され、上部に小壁の白い線が通り、上下を腰板とこけら屋根の黒でひきしめ統一された美しさがあります。
瑞龍寺は方丈の形式に書院造りを加味したもので、6室からなっていて、法堂から山門まで回廊で一周できます。



加賀藩百二十万石の財力を如実に示す 江戸初期・禅宗に典型的な建物群である。 仏殿、法堂、山門が国宝に、総門、禅堂、高廊下、回廊、大茶堂が重要文化財に指定されています。



大庫裏の調理は依然場所です。
このお釜は何人分炊けるのでしょうね。



続く..................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その81の4 『富士山を追いかけて.........、西湖』

2010年01月09日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
西湖へ到着しました。



富士五湖の中では、一番観光地化されていないのが西湖でしょう。
高校時代に友人と1週間ぐらいキャンプをしたことを思い出します。



西湖とヨットです。



こちらは西湖とモーターボートです。
ちょっとおかしいことに気がつきませんか?
ヨットもモーターボートもリモコン操縦のものですが、黙っていればわからなかったですかね。



トッポ、『静かな湖だね! ソフトクリーム屋がない!』



この時間帯になるとやはり温度が上がるので、若干鮮明度が落ちてきてしまいます。



富士山の斜面も、よく見ると観る場所によって少しずつ違うことがわかります。



少しずつアップにしてみました。



スキーができそうなゲレンデのように観えます。



では河口湖へ向います。