TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その205 『横浜マリンタワー・氷川丸』 その7

2017年06月30日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
1等児童室です、子供の遊び場だったのでしょう。
1等船客は特別待遇です。



高級な木馬が置かれています。
スチュワーデスと呼ばれる子どもの世話をする女性乗組員がいたそうです。



船内とは思えない優雅な階段を上るとA DecKです。



一等社交室です。
船内のレセプション会場として使用した氷川丸のメインホールです。
優雅な装飾が施された社交場です。



このころの乗船客として知られるのが、喜劇王チャップリンです。
映画『街の灯』完成後に初来日したチャップリンは1932年6月2日に横浜から氷川丸に乗船しました。
その際、日本橋で食べた「てんぷら」をチャップリンが非常に気にいったため、氷川丸のコックはその店の味を習得し、船内に揚げ台を用意して揚げたてを供したという話が残っています。



チャップリンもここの社交場で過ごしていたのでしょう。



氷川丸という船名の由来となったのは武蔵国一宮氷川神社(さいたま市)です。
中央階段の手すり部分に氷川神社「八雲」の神紋がデザインされています。



1等客室へ向かいます。
ここの通路は広くなっています。



ここは通路の照明も凝っています。



氷川丸の操舵輪です。



続く................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その205 『横浜マリンタワー・氷川丸』 その6

2017年06月29日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
氷川丸は、横浜船渠(現三菱重工業横浜製作所)で建造された1万トン級貨客船で、太平洋戦争では病院船として運用され、戦後は1960年まで北太平洋航路で運航を続けました。



白灯台のある桟橋デッキから見学コースに入ります。
白灯台は氷川丸よりも先輩で、1896年に竣工され、東水堤の先端に設置され長らく横浜港の安全を守ってきました。
客船が衝突する事故に遭った後に灯台としての役目を終え、1963年に現在の場所に移設され、以来氷川丸と共に山下公園の桟橋から横浜港を見守っています。
白灯台と同時に建造された北水提の赤灯台は、以前紹介しましたが今も現役で頑張っています。



見学コースの順路に沿って進みます。
客室に向かう通路です。



樋川丸から山下公園を臨みます。



船窓から観る大桟橋です。



氷川丸は、総トン数1万1622トン、全長163.3m、船幅20.12m、船速18.21ノットという、当時の造船技術の粋を集めた、最新鋭の貨客船です。
シアトルとの航路用に造られた貨客船ですので、窓はおしゃれですが堅牢な作りになっています。



客室まで、さらに通路を進みます。
80年近く前に建造された船なので、通路や天井は少し狭く感じます。



1等食堂です。
贅を凝らしたインテリアは、当時の最高峰をゆくものです。
アール・デコ調のインテリアデザインを手がけたのは、コンペの末に選ばれたフランスのマルク・シモン社で、手の込んだ内装が今も往時のまま保存されています。



食材も選りすぐりのものが提供され、もちろん料理人の腕も超一流で、当時の1等船室の食事は、日本の社会を見渡しても最高の水準をゆくものであったそうです。



アール・デコとは1925年のパリ万博で発表された20世紀のモダ ンを象徴する新装飾様式のことで、ジグザグ模様や直線的幾何学的パターンを特徴としているそうです。
その5年後に建造された氷川丸には流行の最先端であるこのデザインが採用されました。



続く......................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その205 『横浜マリンタワー・氷川丸』 その5

2017年06月28日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
『沈床花壇』から氷川丸の臨みます。



梅雨があけて真夏になると花壇の手入れも大変だろうなと心配してしまいます。



日米ガールスカウトの友好碑『やくそく像』です。



山下公園にはトッポの足跡がたくさん残っています。
少女がリードを引っ張っています。



日米友好の記念としてアメリカガールスカウト50周年とガールスカウト本連盟の世界連携加入を記念して1962年に建てられました。



こちらも昔撮った山下公園内にある『赤い靴はいてた女の子』の像です。
童謡、『赤い靴』は野口雨情の作詞です。



野口雨情の同時期に作ったもう一つの童謡、『青い目をしたお人形』があります。
すぐ近くにある『人形の家』の入り口に、青い目をした人形が置かれています。
青い目の人形は、昭和2年のひな祭りに日米の親善と平和のためにアメリカから日本に贈られました。
トッポの思い出が結びつけてくれました。



有名な童謡『かもめの水兵さん』の歌碑です。
昔は山下公園付近の大桟橋埠頭はメリケン波止場と呼べれていました。
メリケンとは当時横浜で使われていた横浜言葉の一つで、アメリカンが訛ってメリケンと呼ばれていたものです。
ネット情報ですが、1933年には、かもめの水兵さんの作詞を手がけた武内俊子さんが叔父をハワイへ見送る際に、現在の山下公園で青空の下をかもめが飛んでいたことからかもめの水兵さんの歌が作られたともされています。



もうすぐ氷川丸の乗船がオープンされるので急ぎます。



トッポもよく氷川丸を繋ぐロープに並んで止まっているカモメを眺めていました。



乗船待ちの人も少ないので、よっくり見て回れるでしょう。



続く.........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その205 『横浜マリンタワー・氷川丸』 その4

2017年06月27日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
山下公園の中でも高い場所に作られている『世界の広場』です。
世界の広場の中心には、羅針盤をイメージした噴水があり、この噴水が水源となり『水の階段』と『石のステージ」まで流れるようになっています。



中央の水が湧き出る噴水を中心に5方向に向かって延びて行く道を通ってそれぞれの緑の大海に航海するというコンセプトで造られているそうです。



トッポの写真もありましたので紹介します。



中央広場まで一直線に設計されています。
山下公園は関東大震災の復興事業のシンボルとして造成された公園です。
何年もの月日をかけて市内の大震災後の瓦礫を集めて埋め立てを進め、その後に上部を良質な土で覆うという作業を行い、完成しました。



『おまつり広場』です。
何回かイベントが開催されています。



まっすぐ『中央広場』まで歩いてきました。
山下公園にはさまざまな歴史があり、いくつかの記念碑が立っています。
中央広場の噴水の中に建つオブジュは、サンディエゴ市から寄贈された『水の守護神』です。



山下公園のほぼ中央部に位置する花壇に季節の花が咲いています。
薔薇と紫陽花の花はピーク時を過ぎていましたが、いくつかきれいに咲いている花もありました。



花の名前はわかりません。



ここからマリンタワーと歴史あるニューグランドホテルを背景にする写真の定番スポットです。



中央広場とおまつり広場の間にある『沈床花壇(西洋庭園の形式の一種)』です。
沈床花壇の辺りは、当初は地面を掘り下げた船溜まりだったそうです。
開園5年後の1935年には、山下公園を舞台に復興博覧会が開催され、全国の都道府県をはじめとした55もの団体が出品し、船溜まりに鯨を泳がせて、多くの人を驚かせ、楽しませたとのネット情報もあります。
ここから東を見ると水の階段まで見渡せます。



続く.............................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その205 『横浜マリンタワー・氷川丸』 その3

2017年06月26日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
横浜開港100周年を記念して建設され、1961年に開業した横浜マリンタワーです。
開業当時から灯台として横浜港の発展を見つめてきた街のシンボルは2009年リニューアルされ、横浜の憩いの場となり増した。
これまでは赤と白だったタワーの外観はシルバーになり、夜間はLED照明でライトアップされ、新たな夜景スポットとして注目されています。



こちらもクレージーケンバンドのライブ記念のオブジュのようです。



1階ホール中央に、かつてこのタワーに灯台機能があった証しとして灯具が保存展示されています。



直下を見下ろしています。
山下公園の世界の広場です。



円形に石が並べられ中央広場に向けて、一直線に水の階段が造られています。



山下公園のマップです。



マリンタワーを出て、石のステージまで来て、水の階段を眺めています。
階段中央には水路が設けられ、魚や貝をモチーフにしたオブジュが配置されています。



トッポもよくここで記念撮影しました。



石を使った野外音楽堂的な感じですが、イベントの時のステージになるのかな?



世界の広場に向かって、水の階段が続きます。



一段高くなった場所にストーンヘンジを思わせる円形広場があります。
ここが水路の出発点です。



続く............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その205 『横浜マリンタワー・氷川丸』 その2

2017年06月25日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
高さ106mのマリンタワーは、当初より灯台としての機能を備え、『世界一高い灯台』としてギネスブックに掲載されていました。
また、2008年に一時休止するまで灯台としての役割も果たしていました。



クレージーケンバンドだと思います。
『マリンタワーゴーゴー』の歌もあり、9月2日にクレイジーケンバンド結成20周年ライブが横浜赤レンガ野外特設ステージで開催予定です。



中央が以前紹介したフランス山でその先が港の見える丘公園になります。



中央奥に小さく四角い建物が見えますが、たぶん根岸の競馬場跡の建物です。



このあたりが横浜の山手と呼ばれる地域です。



山下公園も歩いているとわかりませんが、きれいに区画整理されています。



氷川丸です。



まだオープン前で人影が見えません、早起きは三文の得で、ゆっくり写真が撮れそうです。



中央が大桟橋です。
大桟橋に寄港する豪華客船のほとんどは写真に撮り、紹介済みですが、今年も2-3隻の未紹介の客船が寄港する予定ですので後日紹介します。



大桟橋と氷川丸の間で、恒例のトライアスロン競技が開催されます。



続く........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その205 『横浜マリンタワー・氷川丸』 その1

2017年06月24日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
横浜で産まれて70年以上のトッポパパですが、初めて横浜マリンタワーに上ってみます。



写真を撮るなら混雑する前にと、10時オープンの10分前に到着しました。
こういう地名、駅名など書かれていない行先表示板は珍しく、お洒落な感じです。



入口はいたってシンプルな感じです。
シルバー料金、氷川丸との共通チケット割引で購入すると、だいぶ得した気分になります。



早朝一番で入りたかった理由がこれです。
放浪の画家として知られる山下清画伯が描いた『横浜の今昔』をもとにしたモザイク壁画があると聞いていたので、人ごみを避けて撮りたいと思ったからです。



上の『今』には、1961年(昭和36年)当時の横浜が、『昔』には、それから100年前の開港当時の横浜が描かれています。



横浜マリンタワーの展望台は、30階(94m)です。
本牧方面の景色です。



ベイブリッジ方面です。



山下公園がジオラマのような感じに見えます。



中華街は写真の左側になります。



横浜で生まれて育ったトッポパパは、その昔、造船所と倉庫群しかなく、筏の上で魚釣りをしていた記憶があり、澄み切ったきれいな海ときれいに整備された現在の横浜港を見ると、まさに今昔物語を感じます。



続く.............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その204 『満帆日本丸・海王丸』 その3

2017年06月23日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
大型練習帆船、海王丸は、昭和5年の進水で、『海の貴婦人』と呼ばれました。
平成2年富山に海王丸パークのシンボルとして係留されえいます。



海王丸は、商船学校の練習船として、誕生した帆船です。
進水して以来、59年余の間に106万海里(地球約50周)を航海し、11,190名もの海の若人を育てました。



日本丸との外見上の違いは、船首像が、日本丸は祈りを捧げる女性「藍青」、海王丸は横笛を吹く女性「紺青」となっています。
まや、よく見なと分かりませんが、船体のライン数などに違いがあります。



少し前に紹介した、水陸両用のバスです。
一度乗ってみたいと思いますが、移動距離の割にはまだ料金が高いようです。



ディスクオーと呼ばれるアトラクションです。



横浜コスモワールドの全景です。



円形のアトラクションはスーパープラネットです。



日本丸メモリアルパーク トーテムポール
カナダ・バンクーバー港から横浜港との姉妹港10周年を記念し、両港の友好の印として寄贈されたものです。



またいつの日か、日本丸、海王丸両2世のコラボを期待したいと思います。
その時はもう少しいい写真を撮れるように頑張ります。



次回は横浜に生まれ育ったのに、トッポパパは横浜マリンタワーと氷川丸の中に入ったことがありませんでした。
横浜の住人として、やはりしっかり紹介できるように見ておくことにします。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その204 『満帆日本丸・海王丸』 その2

2017年06月22日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
現在でも日本丸は船舶検査と呼ばれる法定点検を受けているそうです。



トッポも何度か日本丸を見にきました。



積まれているエンジンは止めてしまっているため、帆に風を受けて走る分には機能的に問題はないのですが、現在の係留地から外海に出ることは現実的には簡単ではないのでしょう。



以前、横浜の開港記念日だと思いますが、姉妹船、日本丸と海王丸のコラボ写真です。
返す返すも悔いが残るのは、当時はJPEGで画素数を縮小してしまい保管していたため、拡大するとボケてしまうのが残念です。
現在は最大画素数で保管に努めています。



航海訓練所の大型練習帆船、日本丸と海王丸は、共に4本マストのバルク型帆船で、フォア・メイン・ミズン3本のマストにそれぞれ6枚の横帆、最後尾のジガーマストに縦帆など、全部で36枚の帆があります。



海王丸は、日本の航海練習船で大型練習帆船で、初代海王丸と、2代目の海王丸II世があります。



初代海王丸は1930年(昭和5年)進水、約半世紀にわたり航海し、1989年(平成元年)引退、海王丸II世がそのあとを引き継ぎました。



トッポと海王丸のツーショットです。



日本丸メモリアルパークの青少年の像です。
垣内治雄氏の作品で、「港が見える海の近くに、元気で明るく友達と仲良く伸びていく、自分達のシンボルが欲しい」という気持ちを生かし、小学校4年生の男女を対象に創られた作品だそうです。



トッポもオブジェに参加していました。



続く...................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その204 『満帆日本丸・海王丸』 その1

2017年06月21日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
6月初めに満帆の日本丸が観られると聞き、久しぶりにMM21へカメラ片手に出かけました。
思い出のあるトッポの写真も交えて紹介します。



トッポ家から歩いて行ける距離なんですが、少し違った角度から写真を撮ろうと桜木町駅から、ランドマークにつながら遊歩道に上がり撮影スポットを探しました。



2-3Fの高さの遊歩道から撮ると、少し見下ろす角度になり、いい角度の写真が撮れました。



4本のマスト(帆柱)大型帆船の日本丸のその姿は美しく、現役を退いて30年以上経つ今でも多くの人に愛されています。



トッポパパも記念撮影です。



日本丸の近くの芝生の上で、トッポとよく休憩していました。



日本丸は1930(昭和5)年に航海練習用の帆船として造られました。
地球45周分以上にあたる延べ183万kmの距離を航海しました。
航海訓練帆船なので、多くの訓練生を育ててきたのでしょう。



特別なイベントのあるときなど年に数回、満帆の日本丸を見ることができます。
国指定重要文化財帆船日本丸の幕が掲げられています。



コスモクロックともツーショットも定番です。



日本丸の後方の日本丸メモリアルパークにあるオブジェ、『海鳥達の風/ The wind for sea birds』です。
海鳥たちは、停止した時間ではなく過ぎ行く時間を表現しているそうです。



続く....................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その203 『原鉄道模型博物館』 その3

2017年06月20日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
原信太郎は一番切符の収集でも有名です。
一番切符とは、新しく開業した路線で売り出す切符の通し番号0001のもので、始点と終点の駅でそれぞれ入手することを目指しました。



始めて入手した一番切符も展示されていました。
1964年に開通した東海道新幹線の指定席一番切符もありましたが、ひかり1号、1号車、1番座席というこだわりようです。



細部に至るまで精巧につくられているジオラマです。





鉄道模型の特長の一つ目は、蒸気機関車から電気機関車へと鉄道が著しい発展を遂げた時代の日本・ヨーロッパ・アメリカを中心とした世界中の鉄道車両を再現したコレクションです。







鉄道模型の特長の二つ目は、本物の鉄道車両を忠実に再現していることです。
模型は架線から電気をとり、鉄のレールを鉄の車輪で走行し、走行音までこだわっています。





照明が若干暗いので、走行車両の撮影にシャッタースピードを上げられず苦労しました。





レールのつなぎ目の音がゴトンゴトンと鳴り、本物と同じサウンドを聞くことができます。



鉄道ファンにはたまらないコレクッションがたくさんありました。



トッポパパのブログも多岐にわたっていますが、機関車、電車ははまると大変なことになりそうなので諦めます。
次回は帆船の写真を紹介します。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その203 『原鉄道模型博物館』 その2

2017年06月19日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
原鉄道模型博物館には室内ジオラマとしては世界最大級の面積となる約310平方メートルの『いちばんテツモパークジオラマ』で、コレクションの鉄道模型が走行しています。







原信太郎は1919年、東京に生まれ、幼少時より鉄道を愛し、鉄道に乗り、撮影し、一番切符を集め、小学6年生から本格的な模型製作を始めます。
海外の鉄道について知りたく、小学生の時から英語を学び、中学・高校でドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語を習得し、大学入学前にはロシア語も習得しました。







戦後は海外に積極的に渡航し、各国の鉄道車両を模型化しました。
所蔵模型数約6000両、これまで訪れた国、延べ約380ヶ国、撮影したスチール約10万枚、ムービーフィルム16mm、8mm、VTR 合計約440時間、鉄道書籍・関連コレクション多数。その他、アンティーク模型や世界の鉄道プレートやマスコンなどの鉄道実物部品などの稀少なコレクションが多数あります。









続く...............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その203 『原鉄道模型博物館』 その1

2017年06月18日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
日本で初めて鉄道が開通した横浜に、2012年に開館した『原鉄道模型博物館』があります。
当博物館は、原信太郎が製作・所蔵した世界一ともいわれる膨大な鉄道模型と、鉄道関係コレクションを、一般に公開するものです。

陳列されている模型の数も膨大なので、その一部を説明版を引用して紹介します。

箱根登山鉄道『チキ型チキ1』です。
天下の険、箱根の山を走った美しい木造の登山電車です。
急勾配路線を走るために新造された登山電車です。



『金剛山電気鉄道22号』です。
朝鮮半島に存在した伝説の登山電車です。
当時日本の鉄道では珍しい鋼鉄製の車両で、最大50%の勾配を登った登山電車です。



信太郎の鉄道模型の特長の一つ目は、蒸気機関車から電気機関車へと鉄道が著しい発展を遂げた時代の日本・ヨーロッパ・アメリカを中心とした世界中の鉄道車両を再現したコレクションであることです。

『スイス国鉄Ae4/7形』ブッフリ式駆動装置を搭載したスイスの電気機関車です。



『阪神電気鉄道311形311』です。
関西で流行した5枚窓とブルーの車体が印象的です。
阪神電気鉄道が1921年導入した木造電車です。



原信太郎は、鉄道の技術革新があると、世界のどこへでも実際に見に行き、乗車し、当時珍しいカメラや16mmフィルムに収めています。
そのようにして収集された膨大な鉄道資料や旅行の資料、技術資料の数々の一部も博物館でご紹介しています。
原信太郎が使用していた16mmカメラなどです



『グレート・ノーザン鉄道 No.1』です。
動輪直径を長くして演習を長くすることで、平均速度80/Kmで走りました。



『チェサピーク・オハイオ鉄道 H8型』です。
アメリカ東部のアルゲーニー山脈を越えるルートで使用され、最大5200トン積載可能でした。



日本の『国鉄C59型』です。
幹線旅客列車用で1947年までに147車輌がつくられました。
戦中戦後に走っていた車輌です。



『国鉄18900型』です。

最高速度100/kmを目指し、狭軌鉄道として当時世界最大の1750mm径の動輪を使用しました。



南満州鉄道の『ミガシ形ミガシ 1650』です。



次回はジオラマの紹介です。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その202 『江ノ島』 その3

2017年06月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
この日は今年初めての30度を越える夏日で、海水浴客もちらほら見えます。



トッポのブログですから、江ノ島でのトッポの写真を何枚かピックアップしてみました。



トッポパパの写真になれていたのか、いつでもカメラ目線で向きあってくれたトッポでした。



トッポは海も川も大好きで、リードを話すと自分で海に入っていくワンコでした。



砂浜を駆けるのも好きでしたね。



このころはどこへ行くのもトッポが一緒でした。
懐かしい思い出です。



10年近くの歳月が流れても、ここから観る景色は同じです。



今年の夏も猛暑との気象予報です。



夏の数百万の人出に備え、海開きに向けて海の家の準備が進んでいます。



それでは江ノ島よりお別れです。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その202 『江ノ島』 その2

2017年06月16日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
2020年7月、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会のセーリング競技がここ江ノ島で開催されます。
一時オリンピック関連費用負担で小池都知事と神奈川県知事など隣県知事がテレビを賑わしていましたけど.............



ヨットハーバーの先にある防波護岸を歩いてみました。



湘南なぎさパーク(江ノ島ヨットハーバー)の一部です。
この施設は、1964年大会時にセーリング会場として使用するため、日本で初めての競技用ハーバーとして整備されました。
1年を通じて気候が温和な地域であるため、数々のヨットレースが開催される国内有数の施設で、係留バース96艇、陸上バース63艇のクルーザーヤードと、陸上バース942艇のディンギーヤードを持ち、ディンギー陸置場は、日本トップクラス(艇数)です。



防波護岸の先端横は海釣り広場になっています。



江の島周辺の海域でレースや練習が行われています。



強風の中で、ディンギー操作に苦労しているようです。



江の島周囲の隆起海蝕台は、磯釣りや潜水(ダイビング)のポイントとして知られています。



このあたりも、これから急ピッチでオリンピック開催に向けての準備が進むのでしょう。



風が強く、江ノ島の奥には行けそうもないので、新鮮な魚介類で喉を潤すことにします。
寿司などに並び最近人気急上昇中なのが「生しらす丼」です。



辨天橋を戻り、以前トッポと歩いた砂浜を歩いてみます。



続く..........................................................................。