TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

海外の都市の紹介、 その111-2 『台湾ブラブラ観光旅行-懐旧鉄道、平渓線、十分-2』

2014年02月27日 | 海外の都市の紹介
線路沿いに数十件のお土産屋さんなどがある十分街です。



北郊外の街、十分も古い町並みの観光地です。
この近くに、台湾のナイアガラと呼ばれ エメラルドグリーンの十分瀑布があるそうですが、雨が強いので訪問はギブアップでした。



ここは台湾の伝統文化の『点灯上げ』に挑戦です。
紙製の気球(ランタン)に願い事を書き、下部の灯油を湿らせた布に点火し、気球のようにランタンを膨らませ飛ばすようです。



願い事によって気球の紙の色が違うそうです。
なかには何色か違う色の紙が張ってあり、一度にいろんな願い事をすることもできるようになっているものもあります。
トッポが長生きするように願いをかけました。



1グループでいくつかの紙の気球に、それぞれの願いを書いていきます。
みなさん、思い思いにお願い事を書いています。
ちょっと欲張り過ぎて、神様も大変でしょう。



火種に火を付けて気球が十分に膨らむまでしっかり持って待ちます。



線路上に出て飛ばすのですが、電車の本数が少ないとはいえ日本では考えられない光景です。
台湾でも安全面を考慮して廃止すべとか、規制を厳しくすると議論があるようです。
台湾人が愛する点灯上げが気軽に出来なくなってしまう前に、体験できて良かったです。



カウントダウンで気球が上っていきます。



結構高くまで上がっていきます。
火の付いた気球をどんどん打ち上げて、山火事にならなければと心配してしまいます。



十分の街のシンボル、全長128mの『静安吊橋』です。
『静安吊橋』は1947年に造られた橋で、基隆河にかかり、十分村と南山村をつないだ橋です。
十分炭鉱建設に伴い、石炭を運ぶ必要性から造られたもので、石炭鉱業の盛んだったころにはトロッコがつり橋の上を行き来していたのでしょう。
炭鉱が閉鎖されてからは、人の通行用つり橋に改修され、今では人気の観光スポットになっています。



平渓老街のレトロな雰囲気の中で、昼食をとりました。



両側に、日本統治時代の木造建築も軒を連ねていました。



この時期の台湾は雨が多く、観光も体力がいります。

海外の都市の紹介、 その111-1 『台湾ブラブラ観光旅行-懐旧鉄道、平渓線、十分-1』

2014年02月26日 | 海外の都市の紹介
ノスタルジックな雰囲気の台湾でもっとも著名なローカル線が平渓線です。
菁桐駅は木造駅舎でなんとなく日本の地方の駅のような感じです。



カラフルに彩色されたDR1000型列車は平渓線の三貂嶺から菁桐駅までを走ります。



日本統治時代の台湾において屈指の炭田といわれた菁桐坑の開発のため、台陽鉱業が敷設した専用鉄道が前身です。
1922年7月に開業した。



構内には石炭に積み出しに使われていたホッパーなどがありました
右奥の建物は観光客向けのカフェ、『煤礦珈琲』になっているそうです。



台湾鉄道平渓線は、もともとは台陽鉱業株式会社の石炭運搬用の軌道でしたが、1929年に台湾総督府鉄道部が買収し平渓線と名付けて貨客両用線としました。
しかし1980年代に入り、近郊の炭鉱が次々に閉山となり、一時は廃線が検討されましたが、地元の熱心な運動で保存を決定した歴史があります。

台陽鉱業株式会社の前身は『雲泉商会』です。
基隆顔家の顔雲年氏と蘇源泉氏が1903年に創業し、その後1920年に藤田組所有の『台北炭鉱株式会社』の株式を譲り受けた顔雲年氏は雲泉商会と合併して『台陽鉱業株式会社』を立ち上げ、一帯の炭鉱経営に乗り出しました。
基隆顔家はかつて台湾五大豪族の一つで、歌手一青窈の父親は基隆顔家の子孫にあたります。



駅周辺には日本の絵馬のように、竹筒に願いを書きつるしてあります。



日本の人の願かけもあります。
駅周辺の昔ながらの景観です。



トッポママの記念撮影です。



ネット情報によると、平渓線は神奈川県の江の島電鉄と提携し、お互いに鉄道観光をPRすることになり、江之島電鉄と提携『一日乗車券』が交換できるそうです。
2013年5月から2014年3月31日までの期間限定で、使用済み『平渓線一日周遊券』を江ノ電鎌倉駅・江ノ島駅・藤澤駅の窓口に差し出すと無償で当日使用可能な『江ノ電一日乗車券』と交換してくれます。
また逆に日本人観光客も『江ノ電一日乗車券』とパスポートを持参すると『台北駅』あるいは『瑞芳駅』で『渓線一日周遊券』がゲットできます。



駅周辺に『情人橋』と書かれた橋があります。
恋人たちの橋というような意味なのでしょう。



これから十分駅に向かいます。



十分駅に到着すると、線路の両脇にお店がぎっしり並んでいます。



次回はここの名物ランタン(点灯?)上げを経験します。

海外の都市の紹介、 その110-2 『台湾ブラブラ観光旅行-九分-2』

2014年02月25日 | 海外の都市の紹介
阿妹茶楼でお茶の入れ方を懇切丁寧に教えてもらいながら、台湾茶を美味しくいただきました。



茶菓子もいろいろ並べてくれます。
トッポパパはナツメの味が懐かしく何個も食べてしまいました。



茶碗と上蓋はしっかり温め、飲む前に上蓋をあけてお茶の香りを楽しむそうです。
あの宮崎駿監督もここでお茶を飲んで、スケッチをしたらしいです。
それがモデルになったとの話になったのでしょうかね。



この日は雨が降っていたので景色はいまいちでしたが、晴天なら素晴らしい景観だと思います。



余談ですが、歌手の一青窈さんのお父さんは九分の金鉱経営で成功し、台湾の5大財閥に数えられた顔一族の長男・顔恵民さんだとのネット情報です。
一青窈さんのシングル、『大家(ダージャー)』は亡き台湾人の父への想いを歌った曲とのことです。



金の採掘により栄えた頃、海沿いの景色を観賞しながら金鉱事業関係者の酒宴が毎日のように催されたのでしょう。



千と千尋の油屋までに続く街並みに似ているといわれる、レトロな雰囲気の建物と提灯が並ぶ『豎崎路』です。
右上に『非情城市』と書かれた木の札が見えます。



今から25年前に作られた映画『非情城市』の舞台となった場所のようです。
トニー・レオンが主演した映画『非情城市』は、1989年のヴェネチア国際映画祭でグランプリを取った作品です。
この映画が世界に衝撃を与えた理由は、『日本統治が終わった台湾で何が起きたのか』という歴史的事実を描いた映画のようです。



観光客が多くなったので改修工事が多く観られます。
昔ながらの景観を保持できる改修だといいですね。



路地を抜けて広い道に出た角に、絵のような大きな写真?が目につきました。
この場所の昔の景観のようです。
日本語の看板もあることから、日本の統治時代の景観なのかとじっと見入ってしまいました。
この地域は昔から猫がたくさん飼われていた記載もあります。
きっと、写真の中の猫はお店の看板猫だったのでしょう。



そのせいか、屋根の上には大きな猫が鎮座しています。



次は炭鉱に関係するトロッコ電車で有名な平渓線を観に行きます。

海外の都市の紹介、 その110-1 『台湾ブラブラ観光旅行-九分-1』

2014年02月24日 | 海外の都市の紹介
スタジオジブリの『千と千尋の神隠し』のモデルになった(異論もありますが)台湾北部の『九分』という街を訪問しました。
台湾東北部の丘陵地で山を背にし海に面した土地柄の九分はかつて金鉱として栄えました。
その名残りか煌びやかな建物が建っています。



1890年に金脈が掘り当てられ、貧困な村が、瞬く間に三、四千世帯の巨大都市へと変貌しました。
一時はアジアの金の都といわれ、『小上海』、『小香港』の異名さえ取っていた時期もあります。
その昔、一説によると『九分』に住む人々はわずか9世帯の小さな集落で、道が通っていなかった頃、すべての物資は水路を使って運ばれていたため、常に9世帯分の物資を調達していたため、その名がついたといわれます。



往時の面影を残すと言われる九分の街中に入っていきます。



日本の昔ながらの商店街を思いださせる風景です。



九分名物の『芋円、蕃薯円』(タロ芋やさつまいもで作った団子)や、九分独特のグルメが売られています。



第二次大戦後、金脈が枯渇し1971年には閉山すると、街は衰退し人々の記憶から忘れ去られました。
しかし1989年公開の映画台湾映画、『悲情城市』の舞台となり、ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞すると再度脚光を浴びるようになりました。
映画を通じて今も残るゴールドラッシュ時代のノスタルジックな風景に魅せられた多くの人々が再び九分を訪れるようになり、街は復活します。
いまや台湾屈指の観光地となってます。



また、日本の映画、『千と千尋の神隠し』のモデルになったとの噂で、日本からも多くん観光客が訪れるようになりました。



トッポパパは絵ハガキになった上の写真を撮りたくて、狭い路地をキョロキョロしていたのですが............



阿妹茶楼(あめおちや)で休憩してお茶を飲むことにしました。
最初は分からなかったのですが、『千と千尋の神隠し』の油屋のモデルではという阿妹茶楼に入ってしまいました。
ですが、ここ阿妹茶楼の写真を撮るには、路地がせまいので反対側のお店に入り、そこのバルコニーからの撮影だったようです。
これでは、まさに灯台下暗しです。



内部はお洒落な中国風喫茶店というところです。
台湾の人の話では、鉱山事業全盛のころは酒家のようで、連日大賑わいだったようです。



続く.......................................................。

海外の都市の紹介、 その109 『台湾ブラブラ観光旅行-国立故宮博物院』

2014年02月23日 | 海外の都市の紹介
フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュと並んで世界四大博物館に数えられている台湾国立故宮博物院です。
何度か訪問したことがあるので、ちょっとだけ立ち寄りました。



休日の訪問ということもあり観光客も多く、トッポパパは行列をなしての見学は苦手なので外で待機することにしました。
博物院前の狛犬とトッポママの記念撮影です。



故宮側から正門入口の門(牌坊)を臨みます。
正面奥に高層ビルが立ち並んでいます。
台湾の人に、ここは景観が一番素晴らしいところなので、国も援助してあげて高層ビルの改修や外壁の色を故宮と調和させれば、もっと全体調和のとれる景観になるのにと話してしまいました。



故宮博物院には、およそ70万点近くの収蔵品があると言われています。
常時展示している品は、6000~8000点。で、3~6ヶ月おきに、展示品を入れ替えるそうです。
そのため、すべてを見るには10年以上はかかると言われています。



何故、台湾にこれだけの収蔵品があるのでしょう。
現在の台湾を納める中華民国という中国国民党政権が大陸中国をも統治していた時代があり、第2次世界大戦後に蒋介石率いる中国国民党と毛沢東率いる中国共産党が武力による政権争いを行いました。



政権を担っていた国民党が劣勢になり国内各地に拠点を移しながら争いを続ける際に国宝などの美術品を一緒に中国各地に移動させました。
最後の移動先が台湾で、ここに故宮博物院を造ったとのことです。



1965年に落成した故宮博物院は北京にある紫禁城を参考にして建てられたそうです。



トッポパパも雨の中で記念撮影です。



中に入った人の話では、人の群れで観たい展示品の前は長蛇の列で、とてもゆっくり見学できる状態ではないと飽きれていました。
トッポパパは外で待ち、周辺の写真を撮っていたのですが正解だったようです。



一階中央にある孫文の座像です。
何回訪問しても、何故かいつも同じ場所で同じアングルや被写体を撮っている自分に、思わず笑ってしまいます。



最後に周囲の森の中にひときわ目立つ建物があります。
今度調べておきたいと思います。



観光地巡りを続けます。



海外の都市の紹介、 その108-2 『台湾ブラブラ観光旅行-野柳地質公園-2』

2014年02月22日 | 海外の都市の紹介
野柳地質公園は台湾の海岸に細長く突出した岬です。
1000万年に及ぶ地殻運動、海蝕、風蝕の影響を受け、奇抜な海岸が形成されました。



トッポママは雨にも負けずまだまだ元気です。



キノコ状の石の上に無数の穴があいている岩はハチノス岩と呼ばれています。
岩石の表面に着いた生物の屑が溶蝕し、海水によって浸食され、このような模様が創られたそうです。



海蝕によって露出した岩には化石も観ることができるそうですが、この雨では探すのも大変です。
黄土色に見える部分も砂ではなく、すべて岩なので雨が降ると足が滑りやすく大変です。




トッポパパは胸の部分に穴をあけてカメラを雨に濡れないようにしていたため、カメラを持ちながら傘をさすと滑った時危険なので苦労しました。



波しぶきも強く、近くに寄るのは危険です。



こちらは燭台石(キャンドルロック)と呼ばれる岩です。
岩層の中の比較的硬い石灰質が核となり、海水の浸食で次第に露出してできたものです。



遠目で見ればアザラシやトドが海岸で寝転がっているように観えます。



巨大なキノコのようですが、やがて海蝕が進みクイーンズヘッドのような奇麗な細い首になっていくそうです。




トッポパパはカメラがびしょ濡れになってしまい、早々に引き揚げたところ同行者に行方不明になったと騒がれ、ご迷惑をかけてしまいました。



風雨の中での見学は貴重な経験でした。

海外の都市の紹介、 その108-1 『台湾ブラブラ観光旅行-野柳地質公園-1』

2014年02月21日 | 海外の都市の紹介
台湾の首都台北から40km離れた台湾島の端にある野柳(ヤーリュー)を訪問しました。
ここはトッポパパが40年前初めて台湾を訪問した時に案内された場所です。
当時は閑散とした漁村で、観光客を受け入れる設備などほとんどなかった記憶ですが、現在は海岸沿いには大きなレストランやお土産店が立ち並んでいます。



当時、台湾の中央電影公司との合作映画の大作、『金門島にかける橋』が石原裕次郎主演でここ野柳でも撮影されたそうです。
映画は中台間の戦乱を背景にした反共メロドラマで、裕次郎は世界一周船の医師で、東京で出会った台湾女性と再会し、裕次郎と台湾女性の悲恋が描かれた映画野ようです。(映画を観た記憶があるような、ないような?)
裕次郎の相手役の台湾女優は王莫愁です。

この日の天候は最悪で、暴風雨に近い荒天のため見学は無理かと思われましたが、写真のように即席の雨合羽と足元を膝までカバーをして海岸に向かいます。



1000万年におよぶ地殻運動、海蝕、風蝕の影響を受けて、奇怪な岩石が並んでいる野柳ですが、その中で一番人気の『クレオパトラの頭(クイーンズヘッド)』と呼ばれる岩です。
ただし、こちらは記念撮影用のモニュメントです。



波しぶきを浴びながらの記念撮影は難しそうなので、まずはここでトッポママの記念撮影です。
確かに見れば見るほど、女王様の頭に見えてきます。
ただ本物のクイーンズヘッドは厳しい潮風の浸食により年々首の部分が細くなり、その形状を保てるのもあと20年ぐらいだろうと言われています。



びしょ濡れになるのを覚悟して、巨大なマッシュルームが地上から生えている海岸に向かいます。



東シナ海の荒波と潮風を受け、長い年月を経て岩盤が侵食され、このような奇景が創り出されたそうです。
近くに来るとその奇岩の大きさにも驚かされます。
本物のクイーンズヘッドは画像の中央部に少し曲がった岩が細く観えるのがそうですが、カメラがびしょ濡れで危うくなってきたので、近くでの撮影はギブアップでした。



風化や海の浸食によってできた奇岩の並ぶ風景は異次元の世界のようです。



ここ野柳地質公園の奇岩は世界奇観の一つとされていますが、この荒天はこの景観を創り上げる雰囲気が味わえるので、波しぶきを浴びながらの見学もある意味で正解のような気がします。



クイーンズヘッドは風化が進み、消滅してしまうと言われていますが、こちらはトッポパパが見つけた第二のクレオパトラとでもしておきましょう。



これもさらに風化が進むと、正式名称がつけられるかもしれません。



写真だとわかりませんが、実際ものすごい風雨でした。
頑張ってもう少し写真を撮ってみます。

海外の都市の紹介、 その107-2 『台湾ブラブラ観光旅行-タロコ(太魯閣)国家公園-2』

2014年02月20日 | 海外の都市の紹介
大魯閣の名前の由来には諸説あるようですが、 日本統治の際、日本人は『Taruku』という音を発音出来なかったため『Taroko』という音に修正し、『大魯閣』という漢字を当てはめたそうです。
この漢字には勇者の開拓精神という意味があるそうで、その後国民党が台湾に来た後『太魯閣』と漢字を変更し現在に至ったという説があります。

これより先は徒歩で移動ですが、落石があるのでヘルメット着用が義務付けられています。



山全体が巨大な1つの岩のカタマリで、いたるところに岩石をくりぬいた“半トンネル”状の道が続きます。



ここ九曲洞と呼ばれる場所で、より近くで岩壁の様子が見ることができます。



川の水の青さは、急流で大理石が溶け、その酸性成分が青くしているそうです。



ここは特に壮大な景色です。
自然が造り上げた絶景にとても驚かされます。



この周辺は『燕子口』と呼ばれ、岸壁に多くの洞穴があり、そこにツバメが巣を作っているように見えたため、その名がつけられたそうです。
この洞穴は川底で浸食を受けてできた穴が、長い時間を経て地殻の変動で隆起したか、地下水が岸壁を浸食してできたと考えられています。



高さ数100m、幅1200mに渡る錐麓断崖は圧巻の雄大な景色です。



展望台(休憩所)で記念撮影です。
顔隠し忘れましたが、この程度では勘弁してくれるでしょう。(笑)



この辺りが、観光案内に出てくる景観です。
自然が造り上げた絶景に驚かされます。



太魯閣族の像があります。



太魯閣族は顔に文様のような刺青をするそうですが、現在はこの伝統も禁止され現存する本来の太魯閣族は2名だけだと聞きました。



台北に戻ります。

海外の都市の紹介、 その107-1 『台湾ブラブラ観光旅行-タロコ(太魯閣)国家公園-1』

2014年02月19日 | 海外の都市の紹介
台北から約3時間で花蓮駅へ到着、駅から車で約40分ほどで太魯閣(タロコ)観光の入口に到着します。
中華風の赤い門が台湾八景のひとつとして知られる渓谷、太魯閣の出発点のようです。
この門に『東西横貫公路』と書かれています。
この道路は花蓮と台中結び、標高3000mを越える中央山脈を通る壮大な横断道路の始まりです。



車で暫く走りトンネルを抜けると、白い大理石で作られた橋にかかります。
橋の上には100匹の表情の違う獅子が彫られています。



渓谷の右側に砂卡礑歩道の入口があります。
往時は原住民、太魯閣族の歩道だったようです。
太魯閣は日本統治時代の台湾中央部に存在した日本の国立公園で、現在は太魯閣国家公園及び雪覇国家公園に指定されています。
『砂卡礑』という名前は『シャカーダン』と読むのですが、元々は太魯閣語で『臼歯』という意味の『SKADANG』と呼ばれていました。
この地を見つけた太魯閣族の祖先が、開墾した際多くの『臼歯』を見つけたのが由来です。



太魯閣国家公園は緑豊かな山々と清らかな水に恵まれ、変化に富んだ景観を誇っています。
台湾の東部に位置し、東は太平洋、西は雪山山脈に接しており、壮大な断崖など景観が続きます。



いくつかのトンネルを抜けると、絶壁を背に建てられた中国風の祠、長春祠が観えます。
中部東西横貫公路建設工事中に亡くなった212名の人たちの霊を慰めるために1958年に建てられました。



この周辺は大理石と石英片岩の交じり合った地層にあたり崩落しやすいところで、1980年と1987年の二度にわたって落石が祠を直撃し、現在の長春祠は1997年に再建されたものです。
祠の下を落ちて流れる滝は『長春滝』と呼ばれています。



ダム湖の澄んだエメラルドブルーの水が印象的です。



周辺は大理石の川底なのか、エメラルドグリーンとのコントラストが素晴らしいです。



タロコ峡谷を通る中部横貫公路は手作業で岩を削って開いた道路として知られています。
1956年に着工し、連日5000-6000人を動員し、台風や地震、豪雨の危険に曝されながら、死傷者の続出、機材の破損を乗り越え、1960年に全線開通します。
この美しい景観を眺められるのも、多くの人の犠牲があっての道路なんですね。



さらに進むと、『岳王亭』と呼ばれる吊り橋があります。
太魯閣国家公園には吊り橋がいくつかありますが、申請なしに渡れるのはこの橋だけとのことです
この吊り橋は同時に8人までしか渡ることができず、人数をよく数え、越えない様に渡らなければならないようです。



さらに上流にに進み絶景を紹介します。

海外の都市の紹介、 その106-3 『台湾ブラブラ観光旅行-中正記念堂』

2014年02月18日 | 海外の都市の紹介
以前にも何回か訪問した、中華民国の元総統、蒋介石を忍んで1980年に建てられた記念堂(台湾では紀念堂)です。
敷地は250,000m2もある広大な中正公園です。
左右に『國立戯劇院(劇場)』と『國立音楽庁(音楽ホール)』の巨大な建物が相対して建っています。



紀念堂は中国風の外壁で囲まれていて、周辺は中国の伝統的な庭園芸術の美しさを見ることができます。



台北のランドマークの一つとなっていて、ここは外国人観光客がよく訪れる台北の観光スポットの一つです。
トッポママも記念撮影です。



建物は四方から眺めるとエジプトのピラミッドのようにも観える独特な設計です。
清廉かつ広大さを象徴する白い大理石と青い瑠璃瓦を主体にした建物の周囲は奇麗に造園されています。



中正紀念堂の壁は大理石を積み重ねて造られ、屋根は八角形の形をしています。
高さは70mで、記念堂の下から仰ぎ見るとその巨大さに圧倒されます。
正面にある階段は89段で、89段という階段の数は蒋介石の生存年齢にちなんでいるそうです。



日本では蒋介石の呼び名で知られていますが、台湾では蒋中正(チアン・チョンチェン、蔣中正)の名称が一般的
でその名前から中正紀念堂と呼ばれています。
2階ロビーには蒋介石氏の銅像があります。



蒋介石の銅像の後方中央の壁には、蒋介石総統が残した墨跡『倫理』『民主』『科学』の文字が刻まれています。これは”三民主義”の本質で蒋介石総統の政治思想です。



蒋介石の座像は高さ6.6mもあり迫力があります。



衛兵交代式です。



皆さん背格好も同じぐらいで美男でした。



陳列室には蒋介石氏の過去の功績に関する展示物が並べられています。
執務室を再現した部屋の蒋介石の蝋人形は本物そっくりです。(実際の本物は知りませんけど)



1955年にフィリピン華僑が蒋介石に送った特別車が展示されています。



戦車より堅牢だといわれる特別車で地雷を踏んでもびくともしないといわれ、GM特製の防弾仕様のようで分厚いガラスになっています。



次回は花蓮・太魯閣の紹介です。

海外の都市の紹介、 その106-2 『台湾ブラブラ観光旅行-台北101、四四南村』

2014年02月17日 | 海外の都市の紹介
台北101周辺は巨大なオフィスビルが並び、 街並みも広々して近代的ですが台湾らしさ感じません。
トッポパパが訪台したころは、ここに超近代的な街が出現するとは思いもしませんでした。
台北101ビルの正式名称は『台北金融大樓』ですが、愛称の『101(イーリンイー/イチマルイチ)』の方が親しまれているようです。



現在は世界一の座をドバイのブルジュ・ハリーファに譲ってしまいましたが、台湾・台北のランドマークとして依然として存在感を示しています。



台北101の近くに『四四南村』と呼ばれた集落があります。 
かっては『眷村(=けんそん ジュエンツゥェン)』と呼ばれ、第二次大戦後、大陸での内戦に敗れた国民政府とともに、兵士とその眷属(親族)が台湾へと海を渡ってきました。
百万人以上の移住民を収容するため、日本時代の家屋や住宅街を改修し新しい集落が形成され、これが『眷村』です。



台北101はフロアが101階あるところから101が通称になっています。
全面ガラス張りの近代的建築で、輪郭は伝統的な宝塔と竹の節がイメージされています。



現在の四四南村には、区民館、軍人村の博物館、藝術品の展示会場、カフェという形で利用されています。
一番人気のカフェは『好丘』というカフェで、カフェの英語名は『Godd Choice』と書かれていました。
丘という漢字の意味は、いいものが一つの屋根の下に集まっているという意味もあり、好丘と命名されたようです。



四四南村は、蒋介石とともに台湾に渡ってきた国民党軍人の村で、住民が第四四兵工場で働いていて、村がその工場の南に位置していたため、四四南村と呼ばれるようになったそうです。
レトロな建物と現代のビルの融合の写真を撮ってみました。



当時の国軍は中国各省の出身者で構成されていたため、四四南村独特の文化を持つようになりました。
言語も風俗も衣服も食文化もそれぞれ違う人々の村は、それまでの台湾の村落とは全く異なるものだったようです。
現在はその眷村独特の景観を利用して、眷村に住んでいた人々の生活を紹介したり、若いアーティストの作品を展示する場になっています。



周辺の近代的なビル群との狭間にあり、不思議な空間を形成しています。
四四南村は新しいタイプの観光名所として注目を集めていくのでしょう。



曇天でしたが夕暮れ時なると、徐々にライトアップされると台北101がより浮き上がってきます。
丸く中が四角のデザインが観えますが、これはお金を表しているそうです。
『台北金融大樓』というので、このデザインが採用されたのでしょうかね。



新年へのカウントダウン時には台北101で花火(爆竹)が上がるようです。
ネットにて転載可のその模様の写真がありましたので、同アングルの写真を転載させていただきました。



アップで写真を撮ると、お正月なので『大吉』のイルミネーションが点灯しました。



これから中正記念堂へ向かいます。

海外の都市の紹介、 その106-1 『台湾ブラブラ観光旅行-龍山寺(ロンサンスー)』

2014年02月16日 | 海外の都市の紹介
トッポパパがいつまで海外へ出掛けることができるかわかりませんので、元気なうちにトッポママと40年来の現地の友人(先輩)を訪ねながら観光旅行をしてきました。
トッポパパは最初に台湾を訪問したのが28歳のときで、ちょうど今から40年前のことです。



台湾はちょうど旧正月の最中でもあり、まずは1737年に建立された、台湾で最も古く、そして有名なお寺の『龍山寺』を訪問しました。
総面積1800坪余り、中国南方の宮殿式建築で、本尊をおまつりした正殿を、前殿、東西の鐘楼、鼓楼、そして後殿が囲む『回』の形をした構造となっています。



正面入り口左右に配された一対の『銅雕龍柱』は、台湾唯一の銅製の龍柱で約100年前の作品です。




この龍山寺、実は台北では最も歴史がある「万華」という地区にあり、たくさんの神様が仏教道教にかかわらず一堂に集まっています。



参拝に来る人のお供え物がたくさん並べられています。
現地の人にこんなにたくさんのお供え物はどうするのですかと質問したところ、参拝者は持ってきたお供え物は自分で持って帰るそうです。
お坊さんの後処理が大変だと思ったのですが、日本とはお供え物に対する考え方を異にするようです。



龍山寺の御本尊は木製の観音菩薩で、龍山寺に来たら必ず参拝しなければならない神様です。
第二次世界大戦のとき、一度空襲に見舞われ、お寺全体が焼けてしまったのにかかわらず、観音菩薩だけは、傷一つつけず無事だったといわれているほど、霊験あらたかな御本尊です。



台湾式のお参りの仕方は、お線香を頭上に掲げ、三度拝礼(三拝)します。
お願い事をする場合は、自分の名前、住所、生年月日、職業などを、はっきり伝えます。
台湾の神様はとても忙しいので、自己紹介&PRをしっかりやらないと、お願い事を聞き入れてくれないそうです。



周囲には黄色の提灯がたくさん並べられています。



参拝後近くにある有名な夜市を少し歩いてみました。



トッポママは飲んだことがないということで、椰子の実ジュース?に挑戦です。
美味しいか美味しくないかは個人の好みのようです。



この後、台北101に向かいます。

トッポ家初孫成長記 その30 『2014年2月 2週連続の積雪20cm超の大雪』

2014年02月15日 | 初孫成長記
ネタ切れの為またまた久しぶりの更新です。
台湾のお正月を前後して、ちょっと長めの台湾旅行をしてきました。
現地で最初の東京、横浜での大雪情報を知りましたが、帰国後2週連続の大雪となり驚きました。



久しぶりの姫とのご対面ですが、姫は慣れない雪にキョトンとしています。



家に入ると、姫は一番最初にトッポに会いに来ます。



トッポもお陰さまで、点滴は欠かせないものの元気でいてくれます。
長年の習慣なのか、カメラを向けると衰えた視力でもカメラ目線をしてくれます。



姫もトッポが大好きなようです。



トッポのあくびも姫にはもの珍しいのでしょう。



トッポパパはもうワンちゃんを新しく迎えることはできないでしょうが、姫が大きくなったらワンちゃんと一緒に暮らすようになると嬉しいですね。



ソチ・オリンピックの男子フィギュアの金メダルをかけた羽生選手の放映が深夜から早朝にかけてあるので、頑張って起きていました。
横浜でも深々と降り続いた雪で、深夜1時ごろの玄関先の景色は雪国のようになりました。



40数年ぶりの大雪で横浜でも積雪28cmにもなり、今朝は雪かきでバテバテでした。
羽生選手の金メダル獲得でエネルギーをもらったようで、除雪を済ませることができました。



今回は仕事なしでの台湾旅行でしたので、観光地をたくさん訪問したくさんの写真を撮ってきました。
これから順番に紹介していきます。