TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパのメランコリー、 その24 『退院1ヶ月、.............今、考えること』

2009年08月31日 | トッポパパの後縦靱帯骨化症(OPLL)闘病記
会社に復帰して首はどうなるのか少し心配しましたが、多少以前よりも疲れはありますが大丈夫なようです。
週末は選挙もあり、ゆっくり自宅でリハビリに専念しました。



ヘルニアではないと最初の病院で聞いたときから、不安と負けてはいけないという気持ちが交錯した日々を送ってきました。
まだ運があったのでしょう、信頼できるドクターにも出会うことができ、頚髄も筋肉も損傷することがなく無事退院できました。
軽快度は50%前後と聞かされていたので、トッポパパの場合の軽快度はもっと良いようです。

トッポ、『遊ぼう!』
トッポパパ、『ちょっと、待っててね!』



手術して、あっという間に1ヶ月が経ちました。
この病気は個人差があり、またそれによって手術方法、術後症状、術後経過もいろいろであることを知らされましたが、落ち着いてこの病期を振り返ってみると、今を喜んでいていいのかという、漠然とした不安感が頭から離れないようです。
だから難病疾患なのでしょう。

靭帯の骨化は30-50%の確率で進行する。
そして進行のスピードは個人差があると知っていても、骨化の原因が分からない限り、進行を止める薬などもないのでしょう。
あるデータによると、術後の追跡調査では職場復帰率は30%以下、条件付職場復帰率20%強、他復帰不可とある。 
何年後のデータなのかは分かりませんが、これがこの病期を難病疾患と認定されている原因なのでしょう。

トッポ、『待ってるんだけど! あまり考えないほうがいいよ!』



この病期の怖さを伝える、大学病院のデータをインターネットから抜粋してみました。

『後縦靱帯骨化症による進行性の脊髄症状に対し,手術が施行された後も骨化が進展し神経症状が再燃することがあるため,術後の骨化進展を正確に評価することは重要である。
しかし,骨化進展と術後成績との相関を厳密に調査した研究は少ない。
その理由として骨化進展の判定基準や骨化巣の大きさを正確に計測する方法がないことが挙げられる。
今回,われわれが開発したコンピュータを活用した骨化巣計測法を用いて本症術後の骨化進展出現率を調査した。
対象は,全国13施設で後縦靱帯骨化症に対して後方除圧術を受け,術後2年以上の経過観察が可能であった患者のうち,術直後,1年後,2年後の頚椎単純側面X線が入手可能な131名である。
独立した判定委員会にて各時点のX線計測ならびに骨化進展の判定を行った。
術直後のX線に比し, 
1)長軸,前後方向のいずれかで2.0mm以上の骨化進展が1カ所でもあった場合, 
2)長軸,前後方向のいずれかで2.0mm以上の骨化巣が新たに出現した場合,
3)分節あるいは混合型の骨化巣が進展により連続化した場合,骨化進展ありと判断した。
骨化進展出現率は術後1年で38.9%,術後2年で56.5%であった。
若い年齢層ほど術後1年時に有意に高い骨化進展出現率を示した。
また,混合型は分節型と比べ術後2年時に有意に高い骨化進展出現率を示した。
本研究は信頼性が確認された新しい骨化巣計測法を用いて術後骨化進展出現率を調査した初めての全国規模多施設共同研究である。
今回の調査で得られた骨化進展出現率は従来の報告とも矛盾せず,今後,骨化進展と術後成績の相関を検討する際の基礎的データとなり得る。』

トッポ、『もういい!、自分で遊ぶ!』



続きがありました。

『骨化巣を薬物治療で自在に縮小されることが究極の目標であるが、そのような方法はまだ存在しない。
本疾患の発症のメカニズムが解明されていないため、有効な予防法がない。治療手段としては、保存的治療と外科的治療に大別できる。
軽微な1本の指のしびれ程度では日常生活指導(階段の使用を控える、パソコン使用時や洗濯物をほす時に頚部過伸展を避ける、など。
消炎鎮痛剤による対症的薬物治療、軽度頚椎前屈位での頸椎装具使用などで経過を見ることが多い。

無症状の時点でたまたま大きな後縦靭帯骨化がみつかった場合に、将来的にどれくらいの割合で重症化するかはまだ正確な数値での回答がない。
麻痺症状がはっきりしている場合に手術により麻痺症状の進行が止められ、なにがしかの改善があることが多いが、改善度には個人差がある。
経過の長い場合に、しびれが完全にとれることは多くはない。』

患者にとっては、嬉しくないデータですね。
トッポパパも、もう一度性根をすえてこの病期に向き合わねばならないようです。
つまり、『手術で終わったのではなくこれからが戦いなのだと....』

でも、トッポパパは負けません。 
意地でも死ぬ時は他の病気で死んでやる。(笑)
これって、開き直りですけど、なんとなくこの病気には負けたくない!
頑張って健常者と同じように生活できる人が多くなれば、ほかの患者さんにも多少なりとも安心感が広がるでしょう。
これは、もう一度ギアを入れなおして頑張るしかないと思う、術後1ヶ月の感想です。
多くのOPLLの患者さんからも連絡をいただきました。
同病者の皆さん、こんな病気に負けないで頑張りましょう!

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その68の1 『皇居一周』

2009年08月30日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
台風接近の影響なのか、スッキリしないお天気です。
週末はカイロプラクティックや床屋へ行き、選挙関係のニュースを観ながら、終日のんびり過ごしています。
発病前の写真を整理しました。
時期はずれは承知ですが没にするには、トッポの写真もたくさんあるので掲載することにしました。
4月に、ウォーキングと花見を兼ねて、皇居一周した時のものです。



会社の同僚と一緒に、電車で東京へ向かいます。
トッポパパが抱いていると写真が撮れないので、反対側の席に移動してのスナップです。



この時期は東京駅は改修中で、現場を囲むフェンス沿いに1914年に完成した当時の東京駅の写真が飾ってありました。



東京駅から再開発中の丸の内街を皇居に向かって歩くと、最初に和田倉門跡の交差点に出ます。



和田倉門から覗いた皇居の外塀(馬場先塀)の写真です。
和田倉門は昔、和田という地であり、家康江戸入りの時、一の地蔵として橋を架け、門を設けて蔵の御門と称されましたが、後に和田倉門と呼ばれるようになりました。



和田倉門と馬場先門は、日比谷通りに交差点の名前として残っているのみで門はありません。



丸の内の大企業のビルが林立しています。



トッポ、『これ、なーに?』
皇居を取り囲むように、日本の都道府県が記されています。
これを探しながら、皇居一周するのも面白そうです。



江戸城は1457年に大田道灌によって創築されましたが、1590年に北條氏が滅亡し、徳川家康がここに居城を定めます。



皇居をきちんと一周するのはトッポパパ初めての経験です。
まずは二重橋からスタートして、時計の反対周りに皇居を回ってみたいと思います。

続く.................................................................。

トッポとトライアスロン応援、その2 『2009男子世界選手権』

2009年08月25日 | トッポの世界
男子トライアスロン世界大会です。



参加選手がスタート地点に並んでいます。



1.5Kmのスイムです。
山下公園周辺の海も浄化が進み、今回ここでスイムが行なわれたことで、きれいになった横浜港のPRもあるとの話でした。



スイムの後はバイクで、切り替え時のタイムロスを少なくするため、いろいろな工夫がされているようです。



トッポと一緒に、沿道で応援です。



素足で靴を履いていますが、40Kmも全力でこいで、靴擦れはしないのかと心配してしまいます。



先頭集団には、映像用カメラと集音マイクを駆使して、バイクの後ろに乗り迫力ある映像を撮っています。



選手も大変ですが、このカメラマンも40Km追従するわけですから、重労働でしょう。



トッポパパの後頭部も少し毛が伸びてきたので、短くカットした後は段差がなくなりました。



この周辺のレストランは、昭和のイメージの古きよき時代を思わせる建物です。



トッポ、『みんな山下公園に戻って行くよ!』



周回が終わると、最後はランです。



トッポ、『誰もいなくなっちゃた!』



バイクからランに変わります。



トッポはおとなしく、選手の通過を待ちます。



トップを走る選手です。
流し撮りがうまくいった写真です。



やはり男子のほうがスピードがあり、迫力が違います。



最後に10Kmのランですが、さすがに炎天下では体力の消耗がきついのでしょう。
選手の苦しそうな呼吸が聞こえてきます。



最終のランの周回です。



トッポ、『この人が優勝だね!』



最後は独走態勢です。



選手のみなさん、お疲れ様でした。



たくさんの写真を見ていただき、ありがとうございました。

トッポとトライアスロン応援、その1 『2009女子世界選手権』

2009年08月24日 | トッポの世界
先週末に、MM21で2009年トライアスロン世界選手権シリーズ横浜大会が開催されました。
トッポと一緒に、初めてトライアスロンという競技を観戦に出かけました。
トッポパパはおかげさまで、順調に体力も髪も(笑)回復しているようです。


スタートは1.5Kmのスイムで、山下公園の特設場よりスタートです。



最近は山下公園周辺の海も綺麗になったとは思っていますが、泳いでも大丈夫なんでしょうかね。



スイムが終わると、バイク(自転車)で5Kmを8週します。
鉄人レースと呼ばれるそうですが、確かにタフな競技です。



トッポ、『すごいスピードだね!



あっという間に、目の前を通り過ぎてしまいます。



1.5Kmを全力で泳いだら、普通の人は動けなくなるのに、選手の人たちは強靭な体力を持っているようです。



ヘルメットを被って、下を向いていると、女性の選手とは気がつきません。



トッポ、『また戻ってきたよ!』



5Kmの周回路を8週します。 合計40Kmとは、東京横浜間より長い距離です。



周回が終わると、最後はラン2.5Kmが2周です。



トッポ、『みんなタフだね!』



トップ集団が見えてきました。



2番目に走っているスウェーデンのノルデン?選手が優勝、日本の選手は陰に隠れて見えませんが、足に6番と書かれた井出選手が3着、左端の庭田選手が6着でした。



次回はもっと迫力ある男子トライアスロンの写真を掲載します。

続く..................................................................。

トッポパパのメランコリー、 その23 『リハビリ開始5.........夜景』

2009年08月23日 | トッポパパの後縦靱帯骨化症(OPLL)闘病記
山下公園まで歩いてきましたが、流石に自宅まで歩くのは無理だろうと帰りは写真のフェリーに乗って横浜東口へ向かいました。



MM21周辺は散歩コースなので、何度も紹介していますが、海上からMM21の写真を撮るのは初めてです。
まだ軽微な痺れはあり、揺れる船の中からの撮影はちょっと自信がないので、同僚に助けてもらいました。



夕暮れ時なので、雰囲気だけでも味わってください。



振り返ると、今まで身体だけは丈夫だと自負していましたが、今年はいろいろありました。
ブログには載せませんでしたが、春に、自宅で突然の下血に驚き、病院へ向かいました。
急遽、全身麻酔で大腸検査を行いました。



結果、突発性の切り傷からの出血で、すでに傷は治っているとのドクターの話に一安心でした。
小さなポリープが一つ見つかり、念のためガンの検査もしてもらいましたが、こちらも大丈夫でした。
あとは2年後ぐらいの検査でいいでしょうといわれ、俺の身体はまだ大丈夫と思ったものです。



その後の、今回の病気です。
今年は厄年かとも思いましたが、長い間身体を酷使してきたので、神様がちょっと休めということなのでしょう。



木曜日より、身体慣らしを兼ねて出社しました。
こんなに長く会社を休んだことは初めてなので、少し緊張しました。(笑)



これからは通常の生活をすることがリハビリになるので、無理をしないで頑張ろうと思います。
暫くしたら、中止したウォーキングにも、またママと一緒に挑戦したいですね。



ブログを覗きにきていただいている同じ病気の人もいますので、今後の検診や大きな変化があったときは報告しますが、これからはいつものトッポのブログに戻りたいと思います。



本当に皆さんの激励のおかげで、元気になれました。
ありがとうございました。

海外の都市の紹介、 その62の4 『ライン下り (Dusseldorf-Burg Linz)』

2009年08月20日 | 海外の都市の紹介
ライン下りを楽しんだ後、河沿いの小高い丘の上のレストランで会食となりました。



歴史ある建物を、レストランに改造してあります。
美味しいワイン、フランス料理を堪能しました。
食事の写真は、あえて割愛させていただきました。(笑)



レストランより眺めるライン河の景色です。
ネットにドイツと日本の共通点に関して記載がありましたので、要約します。
ドイツはドイツ語での国名は『ドイッチェ(Deutsch)』と呼ばれます。
この国名は、ドイツ語の『ディウティスク(Diutisk)』の意味である、民衆、同胞、に由来しています。
英語では、『ジャーマニー(Germany)』と呼びますが、はローマ帝国時代にドイツ領を『ゲルマニア(Germania)=ゲルマン人の国』 と呼んだことにちなみます。



ドイツの友人達と乾杯!です。
ひとり、オランダ人が入っていますけど。
ドイツの国旗(三色旗)はナポレオンと戦ったプロイセンのフォン・リュツォー義勇団の制服を旗印として図案化したことにはじまります。
黒はマント、赤は肩章、金は金ボタンを表し、黒は勤勉と力、赤は熱血、金は栄誉を表しています。



紅葉の季節でしたので、中州?の樹木も色づいています。
もう少し天気がよければ、綺麗な写真が撮れたのでしょう。
ドイツと日本は共通点があるとよく言われます。
どちらも、19世紀の半ばから発展を遂げた国で、ドイツは統一、日本は明治維新において近代国家として出発しました。
イギリス・フランス・アメリカに比べれば遅れて出発した両国は、当時は後発国として、『追いつき追い越せ』型の国家となったのでしょう。



両国とも『持たざる国』として『持てる国』に挑戦して、第二次大戦で共に敗戦国となります。
しかし、日本と西ドイツは、戦争によるダメージが多大であるにもかかわらず奇跡的な経済復興を成し遂げました。
冗談でしょうが、ドイツ人は『日本はドイツ敗戦後3ヶ月も戦い続けた。偉い、次ははイタリア抜ききで戦おう!』という話が出たようです。



中州の中央に、宮殿のような建物があります。
個人の所有なのでしょうかね。
ドイツについては、日本と共通点が多いように思います。
一般的に考え方が硬く、几帳面で、国民全体は一方向に動きがち、その結果、要領が悪くて損をしているケースが多いのでしょう。



トッポパパも、最初にドイツの企業と契約書を交わすとき、双方弁護士を交えて数ヶ月もの打ち合わせの結果、数センチの厚さにもなる契約書になった記憶があります。
結局、一番儲かったのは弁護士だったように思います。
今は昔の話ですが、やはり一番大切なのは信頼関係なのでしょう。
もう一度、『乾杯!』です。



近くの森の木々も、見事な紅葉です。
トッポパパが病気になり、手術をすることになると、家族のように何度も電話で激励をしてくれました。
何千キロも離れた国に、心通う友人がいるということは嬉しいものです。



いまだに世界のあちこちで、紛争や戦争が起きていますが、やはり平和が一番です。
お互いに正論を唱えても、異文化を持つ国家間では、最後には信頼が必要なのでしょう。

トッポパパのメランコリー、 その22 『リハビリ開始4.........カメラ持参で散歩』

2009年08月17日 | トッポパパの後縦靱帯骨化症(OPLL)闘病記
リハビリの毎日ですが、特にどの運動をしたほうが良いというドクターの指示はありません。
首や肩の柔軟性と首の筋力回復のために、多少痛くても出来るだけ動かすようにしています。
退院直後は1時間起きていると1時間横になり首の痛みを和らげていましたが、最近は半日ぐらい起きていて、1時間ぐらいの休憩になってきました。
もう少しで通常の生活パターンでも耐えられるようになりそうです。

会社の同僚と、久しぶりに赤レンガへ出かけました。
自宅から山下公園まで往復すると1万歩を越えますので、いきなりは無理なので行きはタクシーを利用しました。



インディ・ジャパンのマスコットカーが展示されています。
時速300kmで走る車のようですが、それにしてもすごい迫力です。



久しぶりに、カメラ持参での写真撮影です。
やはり、自分でファインダーを覗いてシャッターを押す感触は嬉しいですね。
同僚が写真を撮ってくれましたが、ようやくミエロカットされた後頭部も、少し毛が伸びてきたようです。
傷跡も落ち着いてきたようで、もう大丈夫でしょう。
周囲の人は変な頭をした小父さんだと思うでしょうね。



赤レンガに突然出現した噴水です。
子供達が、楽しそうに水遊びをしています。



オーストラリアのブリスベーンから直送の白砂で、砂遊びを楽しんでいます。
赤レンガは、いろいろなイベントを開催するので、リピーターが多いのでしょう。



少し歩こうということで、新しく完成した『象の鼻公園』まで足を延ばしました。



数ヶ月前は、まだ建設中だったのですが、すでに完成しています。



また一つ、みなとみらいの観光スポットが増えたようです。



後ろに見えるのが、以前紹介した帆船や飛鳥Ⅱ等が停泊する大桟橋です。
写真だと分かりませんが、上から見ると前の防波堤が象の鼻のように見えるので、象の鼻公園と命名されたようです。



もう少し歩こうと、山下公園まで来ました。
リニューアルされたマリンタワーです。
一度上って、写真を撮ってみたいと思っています。

続く.................................................................。

海外の都市の紹介、 その62の3 『ライン下り (Dusseldorf-Burg Linz)』

2009年08月16日 | 海外の都市の紹介
ライン下り途中、ボンを過ぎて暫くすると『BURG LINZ』という小さな町に上陸しました。
オーストリアのLINZはチョコレートで有名になりましたが、RINZという名が付く町は、ドイツにもいくつかあるようです。



船着場から、街に入る歴史のありそうな入場門です。



ライン河が氾濫した時、どこまで水位が上がったのか記されています。



LINZの街はこのあたりではちょっとした観光地のようです。
昔のヨーロッパらしい街並み、いかにもドイツらしい家並がここにあります。



古い建物には素敵な像が彫られています。



LINZの街はやや坂があり、小さな街ですが通りに沿って木組みの家が続きます。



集落の中心には広場があり、歴史を感じさせる木組みの家のレストランが広場を囲んでいます。



広場で休憩中の老夫婦と娘さんです。
ほんとうは、今回のラインくだりの主役で、大恩あるご夫婦です。
30年近くに渡り、いろいろ教えていただきました。



地震がほとんどない国だからなのでしょうが、多少建物は傾いていたりしますが、昔ながらの景観を綺麗に維持しています。
日本だと、時代とともにまるで違った街に生まれ変わってしまうのでしょうが、この街造りも歴史を重んじる国民性によるのでしょう。



続く....................................................................。

トッポパパのメランコリー、 その20 『リハビリ開始3.........歩け歩け!』

2009年08月14日 | トッポパパの後縦靱帯骨化症(OPLL)闘病記
冷夏といわれる今年ですが、ここのところ毎日猛暑が続いています。
農作物に、少しでも恵みの天気になればいいですね。
トッポパパは毎日リハビリと安静の繰り返しです。
水前寺清子の歌ではないですが、

幸せは歩いてこない
 
だから歩いてゆくんだね
一日一歩三日で三歩 
三歩進んで二歩さがる
人生はワン・ツー・パンチ 
汗かきべそかき歩こうよ

といった感じで、毎日過ごしています。
休憩のため横になると、暑いというのにすぐ同じ格好で横になるトッポです。



ネットで面白い記事を見つけました。
『一日一歩三日で三歩、三歩進んで二歩さがる』とは、どういう歩き方なのか?

いろいろな考え方があるようです。笑
1)毎日一歩進んで、三日目に一歩進んだ後、2歩下がる。
2)3日続けて一歩進み。4,5日目は一歩後退の繰り返し。
3)毎日三歩進んで二歩下がる、でも毎日1歩前進。
実際はどうなんでしょうね。

トッポ、『パパ暇だね! 散歩行こう!



ということで、近所の公園へ散歩に出かけました。
軽いジョギング程度ならできるだろうかと、初めて軽く走ってみました。
長い距離はまだ自信がありませんが、足の運びに違和感はないようです。



この病気のネット報告を読んでいると、後遺症に悩まされている人が多く、トッポパパの場合はほんとうに運がよかったのだと思ってしまいます。
でも、良くなった人はあまり投稿しないかもしれないと思うので、トッポパパが元気になって、同じ病気に悩む人に少しで、元気を与えてあげられればと思います。



まだまだ、長時間起きていると首肩の疼痛は厳しいものがありますが、まだ手術して半月しか経っていないので、あせらず無理せず回復できるようリハビリしたいと思います。



トッポだけは毎日一緒にいられるので、嬉しそうです。



最近は、家族が写真を撮っているので、トッポパパの写真ばかりですが、ご容赦ください。
もうすぐ、自分のカメラで写真を撮ることができると思います。

続く....................................................................。

海外の都市の紹介、 その62の2 『ライン下り (Dusseldorf-Linz)』

2009年08月13日 | 海外の都市の紹介
小雨が降り続けていましたが、厚い雲の割れ目から陽が差込み始めました。



ライン河は、2000km以上を流れるドナウ河に次いでヨーロッパ第2の大河です。
水量も西ドイツのボンあたりで毎秒2000トン(年間平均)で、多摩川中流の毎秒約5トンに比べ水量の多さは圧倒的です。
しかもアルプスの氷河を源として、極めて安定しているので、豊富な水量を利用して大型の貨物船が行き来することが出来ます。
ライン河は年間5万隻の船が行き交う物流・交通の大動脈としてもヨーロッパを支えて来ました。



時折、オランダの国旗をかかげた船もたくさん見かけました。
ドナウ河はマイン川経由で運河でつながっており、アムステルダムから山を越えて黒海に抜けることもできます。
船長の取り計らいで、操舵室で記念撮影です。



スイスアルプスの山中から、リ ヒテンシュタイン・オーストリア・スイス国境のボーデン湖を経て、フランス・ドイツの国境を流れ、ドイツから、最後はオランダのロッテルダムで北海に入ります。



日本の河川と比較すると、勾配差がゆるやかで、バーゼルとマインツの300キロの間で、標高差は僅か170mで、さらに下流の海までの距離は370kmあるのに、46mの標高差しかありません。



ライン河の氾濫や洪水はかなり頻繁に起こっています。



小雨は降っていて霧がかかっていますが、それはそれで趣がある景色が続きます。
こういう自然の景色と建物のバランスが素晴らしく、この風景は日本では見られないでしょう。



写真は撮り損ねましたが、ドイツのライン河沿いに広がるラインガウ地方は、世界的にも高く評価されるワインの名産地です。
なかでもリースリングという品種を使った白ワインが有名で、美味しかったです。
このあたりで造られているブドウのほとんどが同種で、リースリングは世界各地で造られていますが、『リースリングといえばドイツワイン』というくらい、その名は定着しています。



この辺りはコブレンツとボンの間くらいなのでしょう。



この後はオーストリアのリンツではなく、ドイツにもある小さな都市リンツに停泊して旧市街を訪問します。



続く...................................................................。

トッポパパのメランコリー、 その19 『リハビリ開始2.........首と肩』

2009年08月12日 | トッポパパの後縦靱帯骨化症(OPLL)闘病記
トッポ、『パパはリハビリの運動をすると疲れるのか、すぐに横になってしまいます。』



今までは、手術創も含めて全体的に鈍い痛みが続いていました。
他の部位の痛みが軽減してくると、首肩の痛みが厳しく感じるようになります。
多少の痛みは堪えて動かさないと、首周辺の柔軟性を維持できないので、散歩したり、首肩の柔軟体操をしています。
3-4時間起きて動いていると、首周辺が重くなり2-3時間の安静が必要になるようです。
手術経験者が言う、首周辺の疼痛がこれなのでしょう。



トッポパパが寝ていると、トッポは身体の上に乗り、『タレパンダ』ならぬ『タレトッポ』状態です。



トッポ、『ほら! 写真撮るからパパが起きちゃったよ!』



痺れが軽減されたので、腕の筋力アップも必要です。



トッポパパ、『お前も重いんだけど!』



トッポ、『イチ、ニー、サン、頑張れ!』



トッポ、『これって、指先のリハビリ?』



毎日家にいるので、トッポは嬉しいのか、どこへ行ってもついて回っています。



こんな調子で、動いたり休んだりの毎日ですが、明日あたりから散歩の距離を増やして、カイロプラティックにも行こうかと考えています。



続く.....................................................................。

海外の都市の紹介、 その62の1 『ライン下り (Dusseldorf-Linz)』

2009年08月11日 | 海外の都市の紹介
お蔵入りしていたライン下りの写真を整理しました。
気分転換のつもりで、久しぶりに海外の紹介のアップです。
今回はデュッセルドルフ近郊から、船に乗った時のスナップです。



ライン河は、スイスアルプスのトマーゼ湖に端を発し、ボーデン湖に入りドイツ・フランスの国境を北に向かう、ストラスブールを越えてカールスルーエの少し南からドイツ国内を流れ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、クレーヴェなどを通過しオランダ国内へと入ったあと2分岐し、ワール川とレク川となりロッテルダム付近で北海に注いでいます。



生憎の曇天で、鮮明な写真が少ないのですが、雰囲気を味わっていただければと思います。



全長1,320Kmのライン河で、そのうちドイツを流れるのは698Kmです。



ドイツ人はこの河を「父なる河」と呼んでいます。
ドナウ川とともに、外国の船が自由に航行する国際河川の一つです。

25年以上にも渡りパートナーシップを築き上げてきた、海外の友人達と昔の話で盛り上がりました。



今回は貸切でのライン下りで、美味しいワインをいただきながらの優雅な時間を満喫しました。



ドイツ国内には約15,000の古城があるそうです。



ライン河の古城が目の前に 現われては過ぎていきます。
ライン河沿岸には、中世の諸候達が領土を主張しライン河を行き交う船から通行税を取る為に競って城を建設したそうです。



続く...................................................................。

トッポパパのメランコリー、 その18 『リハビリ開始.........手術後記』

2009年08月08日 | トッポパパの後縦靱帯骨化症(OPLL)闘病記
退院後は、若干の疲れも残っていたので、2-3日、自宅で寝たり起きたりの日々を過ごしていました。
その間も、できるだけ身体を動かすように心がけていましたが、全身運動(大袈裟ですが)には歩くことが一番だと、トッポを連れて近所の公園へ出かけました。

久しぶりの散歩に、嬉しそうなトッポです。



ワンコは言葉を話すことが出来ませんが、雰囲気で状況の把握をすることが出来るのでしょう。
帰宅直後、狂喜乱舞してトッポパパの顔を嘗め回していました。
その後ベッドで横になると、トッポがすかさず上ってきました。
この後が大変で、あたかもトッポパパを自分が守るとでも言わんばかりに、家族や友人が近寄ってくると、吠え立てて近づくなと威嚇し始めました。
まるで、親が子供を守るのに必死の抵抗をしているようで、きっとトッポはトッポなりに何かを感じ取っていたようです。
今日テレビで、昔の『忠犬ハチ公』の映画を放映していました。
トッポも忠犬なのかもと思う、犬バカなトッポパパです。



毎日リハビリをしながら、この病気と手術を振り返ってみました。

まず、この後縦靱帯骨化症という病気は、何故、難病と呼ばれる『特定疾患』に指定されているのだろうか?

後縦靱帯骨化症は進行性の病気で、原因はまだ特定できていない。
原因不明の難病であり症状はゆっくり進むが、頚椎の狭窄が進むと追突されたり転倒した拍子に寝たきり状態になることがある。
『爆弾』を抱えていることになり、手術以外に抜本的に症状の進行を遅らせたり改善したりできる可能性は少ない。
多くの患者は、この病気に罹ると驚き、絶望、不安になり、周囲の人の理解が必要である。

どのタイミングで手術をすべきなのか?
薬物や温熱療法、牽引療法などの保存療法もありますが、一般的治療方法では完治しないので、症状の進行により手術が勧められる。
判断が難しいのは、悪化してから手術しても良くなる確率は当然低下し、大きな衝撃を受けてからでは良くなる期待は持てない。
つまり、手術を避けて麻痺が起こってからでは、回復の可能性が低くなる。
さらに、トッポパパの頚椎の狭窄率は50%ぐらいでしたが、70%を超えると手術不可能となり車いす生活となる確率が高い。

ドクターは必ず、手術の選択は患者さんの決断だといわれます。 何故か?
進行性疾患のため如何に努力しても100パーセント成功(完治)は望めないことと、脊椎の手術は、極めて優れた技術と知識そして十分な経験を持つドクターがリスクを承知で決意され、患者本人の同意が必要になります。
トッポパパも軽快になる50%、変わらない20%、悪くなる30%のリスクを覚悟しての手術でした。
手術のリスクとして、感染症、血栓、髄液漏、髄膜炎等の合併症もある。
神経への圧迫期間が長いと、圧迫により損傷された神経が元に戻らない、また手術後、神経や筋肉がが損傷され症状が悪化する可能性も他の手術より高いリスクがある。
手術直前に知らされたことですが、最も多い合併症は上肢挙上困難(C5麻痺、頻度約5-10%)になる。

手術の方法は?
これは症状によって、前方からと後方からの手術に分かれる。
骨化巣が多頚椎に及ぶと、後方からの手術が選択される。
前方からの手術のほうが、根治に近い手術のようですが、術後の安静期間が長くなり、入院やカラーの長期の装填が必要になる。
後方からだと、術後の回復は早く、職場復帰も早期に出来る。
どちらも首や肩の柔軟性を取り戻すためには、相当期間のリハビリが必要である。

以上が素人のトッポパパが纏めた感想です。
もちろん、あくまでも色々聞いたり、ネットで調べた素人の推定に過ぎませんが、参考になればと思います。

トッポパパの場合、左手指の痺れは少し残っているものの、他の症状は術後改善されたようです。
もちろん、これから何らかの症状が出てくる可能性は皆無ではありませんが、こればかりは様子を見るしかないのでしょう。
手術する事により病状の進行が止まるか遅くなり(希望ですけど)、その不安から開放された事が成功であると思っています。

この病気でお悩みの人たちには、何が一番いいのかという助言は出来ませんが、手術をするのであれば、早いほうがよいと思います。
特に大病院は、手術まで長期間待たなければならないことが考えられますので、重症になってからだと手術待ちの期間が苦痛だと思います。



トッポと一緒に散歩も出来るようになり、リハビリを頑張っています。
まずは自分の頭を自分の首で、1日中支えていても苦痛を感じないように、首周辺の筋力アップと柔軟性の確保です。
本当の勝負はこれからなのでしょう!

トッポパパのメランコリー、 その17 『入院、手術、退院』

2009年08月06日 | トッポパパの後縦靱帯骨化症(OPLL)闘病記
OPLL手術の経験者談によると、手術後の激痛が大変なので年寄りには厳しいと聞いていました。
個人差があるので、一概には言えないのでしょうが、トッポパパの場合は、ちょっとした動きにも激痛を感じたのは最初の3日だけでした。
そういえば、3日目にX線で、術後の状態を確認する撮影をすることになり、歩いていけますよと言ったのに、無理やり、車椅子にてレントゲン室に運ばれました。
頚椎の手術だと知って、撮影技師が『手術は何日でしたか?』と聞かれたので、『一昨日です』と答えると、『立てますか?』と心配してくれましたが、別に問題なく撮影を終えたので、回復が早いですねと驚いていました。
この時は、ちょっと嬉しい気分になりました。

4日目になると、どのように身体を動かすと、どこに痛みが走るということが分かるようになり、大分楽になりました。
痛みの度合いも毎日軽減されていくことが実感できるようになり、毎日3回ほど院内の通路を3往復して、筋力が衰えないように頑張っていました。

術後の症状ですが、左手の中指から小指にかけての痺れは、まだ多少残っていますが、その他の部位や、特に足に関しては違和感が完全になくなりました。
ドクターの話では、左手の痺れも6ヶ月ぐらいで消えるかも知れないそうです。

頚髄の移動による別の部位に出てくる後遺症も、いまのところ自覚はありません。
まれに2週間ほど後に、後遺症が出る場合もあると聞きましたが、10日ほどたった今日現在、違和感がないので順調に回復しているようです。

写真の左側頭部に黒い跡がありますが、これは手術中に首の動きを抑えるために、左右から頭蓋骨で固定された跡です。
最初は感じなかったのですが、首の痛みが軽減されると、内出血でもしているのか、こちらの圧迫傷が痛くなりました。



週末にかけ、友人が大勢見舞いに来てくれましたが、あまりの元気さに驚いていたようです。
寝たきりで、苦痛に耐えているトッポパパを想像していた同僚は、元気すぎるトッポパパを見て拍子抜けしたようです。
トッポパパが病気になり、難病だということで家族のように心配してくれた多くの同僚、友人には心から感謝です。



月曜日に最終検査をして、感染症などの症状がなければ退院しても良いといわれて、これで病院食から解放されると嬉しくなります。
同時期に手術をした別の患者が、まだ起き上がれないでいると聞いていましたので、自分だけこんなに早く退院するのは申し訳ないような感じです。
見舞いに来てくれた同僚が帰りがけに、病室の写真を撮ってくれました。



病室の中で手を振っているトッポパパです。
ブログの皆さんの激励のおかげで、無事元気に退院できました。
ほんとうにありがとうございました。



8月3日に退院になりました。
ミエロカットでは、周囲の人が変に思うので、トッポママが買ってくれた帽子をかぶリました。



久しぶりに娑婆にでたトッポパパです。
当初はタクシーで家まで帰る予定でしたが、久しぶり?の外の雰囲気を味わいたいので、電車で帰ることにしました。



電車に乗る前に、まずは美味しいコーヒーを飲みたいと喫茶店に寄った時のスナップです。
首の骨が完全に固定されるには3ヶ月ほどかかるそうです。
これから、自宅で数週間はリハビリ期間になります。
手術で移動された?首の筋肉の強化に時間がかかるようです。
確かに、人間の頭は起きている時はほとんど首だけで支えているわけですから、とくに頚椎の手術をした人は、極度の肩こりや疼痛に悩まされるようです。

リハビリ期間は、逆に安静にしているというより、できるだけ首に負荷をかけても大丈夫なように、首や肩の筋肉の強化に励むようになるのでしょう。
丈夫な首を親からもらったようなので、リハビリもきっとうまくクリアーできると思います。



再び、帰宅した時のトッポの歓迎写真です。



退院してすぐにブログ再開は大変だと思われる人もいると思いますが、左手もそれほど不自由なく使用できますので心配無用です。
キーボードを打つのも職場復帰のためのリハビリになりますし、このくらい出来ないと職場復帰はできないでしょう。

トッポパパのメランコリー、 その16 『入院、手術、退院』

2009年08月05日 | トッポパパの後縦靱帯骨化症(OPLL)闘病記
家族に見送られて手術室まで、点滴をぶら下げて移動です。
本来なら、『頑張ってくる!だけど何かあったら、後はよろしく頼む。 』と万が一の可能性もないわけではないのだから、家族に挨拶して手術室に向かうべきか迷いました.
しかし、絶対戻ってくると信じているので縁起でもないと、後ろを振り返ることもせず手術室へ向かいました。
手術室前でストレッチャーに乗せられ、手術室へ入ります。
まるでテレビの医療番組のようだなと、ボンヤリと考えていました。



まぶしいくらいの明るさの中で、天井しか見えません。
何人のドクターがいたのか分かりませんが、少なくても10人近いドクターが見守る中、トッポパパの身体に色々な医療器具が装填されました。
麻酔医の先生の『これから点滴の中に麻酔薬を注入していきます。』、暫くして『ちょっと匂いのするガスですが、気にしないでくださぁ.........い。』の言葉を最後に、意識がなくなりました。

以前に大腸検査で全身麻酔を経験しましたが、トッポパパは麻酔は効きやすい体質のようです。

突然、『○○さーん、分かりますか?』の耳元での声に、朦朧としながら『分かります。 どうぞよろしくお願いします。』と答えたら、『もう手術は終わりましたよ! 分かりますか?』...................もう終わった???.....あっという間に手術が終わった感じです。
続けて、ドクターから、『手が動きますか? 右手は、左手は?....足は動きますか? 右足は? 左足は?』と矢継ぎ早の質問が続いた。
ナマコンの中に首から下を埋められたような感覚で、ドクターの質問にどのように手足を動かしたのかは、朦朧として分かりませんが、『動いていますよ! 成功ですよ。 気持ち悪くないですか?』の声が遠くに聞きながら、また意識を失ったようです。

暫くして、『今から、部屋に戻りますよ。 分かりますか?』の声で、再度眠りから醒める。
部屋に戻ると、家族が『大丈夫?』と交互に声をかけてくれるが、酸素マスクをしているので、返事がうまく出来ない。

下の写真は、部屋に戻った直後の写真ですが、酸素マスクのせいでうまく話せないので、とりあえずピース!ということで、大丈夫の意思表示です。
身体は動くのかと、無理やり足を動かすと、兄が『足を動かしているから大丈夫だよ!』の声に、ちょっと落ちついた。
考えてみれば、こんな写真を撮っているトッポママも気丈ですね。

4時間ぐらいで部屋に戻ったそうですが、トッポパパにはたった5分の出来事のようでした。
術後、ドクターより家族に手術結果の説明があったようで、家族の『成功だよ!』の声に、無事終わったのだと安心した。
手術中は、ずっとうつ伏せなので、ドン引きしそうなくらいにパンパンに腫れ上がった顔です。
ドクターの説明によると、トッポパパのような手術では、術後、特別に必要としない限り、早期回復を考えて、ネックカラーやギブスなどは装填しないそうですが、カラーがなくても肩から上は微動だにできません。
最初は全身麻酔がまだ効いているのか、痛いというより全身を万力で押さえ込まれているような感じでした。

手術後、ほぼ丸一日、酸素マスクを装着したままなので、水も飲めず喉がヒリヒリして眠れませんでした。
1時間おきぐらいに看護師が、血圧や体温を計りに来てくれました。
看護婦さんの仕事も大変ですね。

血栓が起きると大変なので、両足にはポンプが装填され、終日マッサージ機でエアーマッサージをされている感じです。
手術前に、酸素を全身に行き届かせるために胸式呼吸と腹式呼吸を交替に繰り返してくださいとの術前の説明を思い出し、麻酔が切れるにつれ痛みと戦いながら、胸式、腹式の深呼吸をひたすら繰り返していました。
流石に手術当日は、ほとんど眠れず、時間が早くたってほしいとばかり思っていました。



2日目、浅い眠りから醒め、強力な痛み止めが効いているうちに、看護師さんの『大丈夫ですか?』の言葉に、『大丈夫! 大丈夫!』と答えて、尿道からカテーテルを早く取り外してくれと懇願しました
普通はもっと後に取りはずすようですが、どうもカテーテルの違和感が嫌なので(本音は別の理由なのですが)、無理やりはずしてもらいました。
このカテーテルを抜く時が、ちょっと痛かったですね。
トッポパパ、『おしっこが出そうなんですが。』
看護師『出ないと思いますよ。』
トッポパパ、『でも、出そうなんです!』
看護師、『出ませんけど、出してもいいですよ。』
こんなやり取りがありましたが、管を抜いた影響での残尿感覚のようで、結局出ませんでした。 看護士さんは、よく知っていますね。

その後、数人がかりでパジャマに着替えさせてもらい、少し落ち着いたのでダブルピースです。
ところが、この後の1日半ぐらいが最悪でした。



痛みがひどい場合は、ベッド上での排便排尿でいいですよと言われていましたが、冗談じゃない! 自分のことは自分でやる!(本当は若い看護師さんに世話になるのは恥ずかしい。)と、身体を動かさなければと、ちょっと上半身を起こしてみた。

その途端に、経験したことのない激痛が脳天から背中に走り、顔面が痙攣した。
後輩には、『痛みで死んだ奴などいない! 痛いのは身体が病気と戦っている証拠だと!』、訳の分からぬ持論を振り回している自分としては、歯を食いしばって頑張るしかないと、悶絶しそうな痛みとの戦いが続いた。
『よし、行け!』、『ギャァ!(言葉には出さないが)』の繰り返しで、何回か繰り返しているうちに、看護婦さんの助けを借りて、術後2日目なのに立ち上がることができ、トイレに向かう。

まだ首を下に向けられないので、斜め30度上ぐらいしか見ることが出来ませんが、なんとか点滴、ドレンポンプをぶら下げトイレにたどり着くことが出来ました。
カテーテルを入れた時に尿道に傷でもついたのか、大事なところの痛みを我慢しながら、頑張ると、『大丈夫ですよ、しっかり出ていますよ!』と看護師さんが覗き込んできた。
『ウワァ!(覗くなバカ!)』と、首を横に向けた瞬間、気を失いそうになった。



3日目、動きやすい甚平に着替えました。
痛くても動かしたほうが、回復が早いというお医者さんの言葉を信じて、終日激痛と戦いながら身体を動かし続けた。
3日目の午後には、激痛は走るが、痛みにも慣れ?てきたのか、何とか座ることもできた。
トイレに行く時は、転倒すると困るので、必ずナースコールをしてくださいと念を押されたが、こればかりはどうしても譲れず、内緒でトイレに行くうちに、歩き方のコツもつかめるようになった。



事件は?この日の夜中に起きた。(笑)
夜中の3時ごろ、どうしても水が飲みたくなり、薄明かりの中を冷蔵庫まで、半分這うようにたどり着き、冷蔵庫のドアを開けた。
その薄明かりに照らし出された向こうのドアに人影が!、こちらを伺っている。
トッポパパは冷蔵庫を少し開け、中を覗き込むような姿勢でしたが、そのときドアがスーっと少し開いた。
『すいません、水が飲みたかったので!』と人影に声をかけると、『ヒィー!』という甲高い声で、看護師さんが奇声を発した。
ちょうど、冷蔵庫の薄明かりに照らし出されたトッポパパの顔が、幽霊のように思えたのでしょう。 
看護師さんは、ビックリして逃げ帰ってしまいました。 
きっと、相当怖かったのでしょうね、どうもスイマセンでした。
まったく人騒がせな、患者だと思います。
夜中も重症患者などを、数時間おきに懐中電灯をもって患者さんの状態を見回っているのでしょう。



3日目の午後にはドレンも少なくなり、ドレンチューブも抜いてくれました。
血圧も手術直後は、上が180近くありましたが、順次170、160、140,130と下がり、この頃は120-70ぐらいの正常値に戻りました。
感染症などに罹ると熱がでるので、数時間おきに検温をしましたが、ほぼ35.9度から36度で安定しているので、順調のようです。
経過良好ということで、首周りの分厚いテープも剥がされ、写真のような傷跡むき出しの透明テープのみにされてしまいました。

後ろから12-13cm程度、骨まで切り開かれたというのに、もうくっついているようです。
ドクターに、『何針り縫ったのですか? それともホチキス止めですか?』と聞くと、『中は溶ける糸で縫っていますが、外は縫わずに接着だけです。』との話でした。
それにしても、写真を観るまでは分かりませんでしたが、もうくっついているようです。
腕でも10cm近く深く切られれば、3日でこうも綺麗にくっつかないのではと、自分で感心してしまいました。
それにしても、カラーもつけずに大丈夫なんでしょうかね。
それとも、太い首がカラーの役目でもしてくれているのでしょうかね。(冗談です。)



毎日数度、ドクターが『痛くないですか?』と質問されますが、『痛いですけど、我慢できます』と答えると、ちょっと不思議な顔をしていました。
通常は、3-4日は痛くて首を動かせないようですが、トッポパパは下は向けませんが、看護師さんに付き添われて廊下を歩き始めました。
ドクター曰く、痛みは個人差があるそうで、トッポパパはたぶん痛みに対して鈍いんでしょうと、説明されました。
それにしても鈍いとは失礼ですよね、せめて痛みに強いといって欲しかったです。

この後は、想像以上の急回復になりました。
また明日、続きをアップします。