TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その211 『赤レンガ・アフリカリゾート』 その2

2017年08月31日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
アフリカの打楽器を用いた伝統音楽が流れています。



会場内は、キリン・カバ・象などのサバンナに生息する動物のオブジェがならんでいます。



ちゃんと耳の大きなアフリカゾウのオブジェです。



フラッグの下には、座ったり寝転んだりできるスペースも用意されています。



オーストラリアから輸入した白砂を敷き詰めたスペースには簡易ハンモックが置かれ、快適?な昼寝も約束されています。



アフリカ気分を盛り上げるため、日本には生息しないアフリカ原産の植物、砂漠などの自然を設えて造られています。



実物大に近いオブジェはよくできています。



バックにはアフリカの伝統音楽が流れて、実際に猛暑なので灼熱の楽園気分を一層盛り上げてくれます。



青い空に原色のフラッグがとてもよく映えます。



さすがに日傘をさしたアフリカ現地民はいないでしょう。



続く.......................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その211 『赤レンガ・アフリカリゾート』 その1

2017年08月30日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
猛暑が続きますが、家に籠っていると、運動不足になるので、赤レンガまで出かけました。





夏休みとはいえ、35度近い温度では、人影もまばらです。





毎年テーマを変え東南アジア、アメリカ西海岸、中南米など様々なリゾート地を再現し、暑い夏ならではの横浜赤レンガ倉庫での楽しみ方を提供しています。





横浜にいながら海外のリゾートを体感できるイベントとして2011年から開催し、今年で7回目となります。
今年のテーマは2017年夏のファッショントレンドである「アフリカ」!!です。



赤レンガとライオンのオブジェです。
開港以前、100戸人口500人ほどの小さい村だった横浜村が開港の場所と定められたことにより、横浜の都市としての歴史が始まりました。



1911年(明治44年)、開港当初の横浜には船舶が着くことのできる岸壁がなく、明治政府による第一期築港工事として、1896年(明治29年)に鉄さん橋(大さん橋の前身)が完成し、外国貿易の急速な発展に伴う取り扱い貨物の急増に対応するため、第二期工事として1899年(明治32年)、東洋初の接岸式ふ頭として新港ふ頭の建設が始まり、その一環で保税倉庫として現在の横浜赤レンガ倉庫がつくられました。
赤レンガ倉庫のレンガの大きさは長手225mm、小口109mm、厚さ61.6mmで、現在の通常のレンガ(210x100x60)より一回り大きく、使用されたレンガの数は1号館、2号館合わせて建設当初で636万個です。



会場内に足を踏み入れると、風にたなびくカラフルなフラッグと中央に置かれたバオバブの木です。



続く...........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その210 『金魚と金魚絵師』 その3

2017年08月29日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
金魚の絵が展示場にあふれています。



美術作家 深堀隆介オフィシャルサイトの説明を紹介します。



”15年前のある日、アートをやめようとしていた私を一匹の金魚が救った。
さほど可愛がらず粗末に飼っていた赤い金魚。”



”部屋で寝転がったとき、ふと気になり、近寄って蓋を開け覗き込んだ。
7年間生き抜いたその子の体はボロボロで、片目も失っていた。
しかし、自信を無くし落ち込んでいた私の目には、その子は最高に美しく見えた。”



”いままでその美しさに気がつかなかったのか。
何故いままでその狂気に気がつかなかったのか。
金魚には全てがある。だから美しいのだ。”



”その瞬間、古来から続く金魚職人たちの無数の手が現れて消えた。
こんなに近くに答えがあったことに、いままで気がつかなかったことを激しく後悔した。
そして金魚に心から感謝した。”



”その後、金魚がテーマの作品が増え始め、とうとう金魚だけになった。
現在も金魚を通して、作風を問わず様々な表現を試みている。”



金魚を追及して、金魚の世界を美術として完成させた人なんですね。



フロアに敷かれた金魚の絵は、足を踏み入れてはいけないと感じるほど、精緻な出来栄えです。



動き出すことはないとわかっていても、まるで動きだしそうなリアリティーです。



金魚すくいから始まり、金魚絵師まで導かれた、貴重な経験でした。



何にでも興味を持って、動いてみると得るものがあると思います。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その210 『金魚と金魚絵師』 その2

2017年08月28日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
横浜スカイビルで、20周年記念企画として金魚絵師 深堀隆介氏による作品展『キンギョ イン ザ スカイ』が開催されていると知り、金魚の縁で観に行きました。



記念イベント『キンギョ イン ザ スカイ』は、金魚の姿を立体的に表現する作風で知られる金魚絵師・深堀隆介さんによる作品展です。



空に浮かぶ金魚の絵は、ライブペインティングで描かれた作品です。
まるで金魚が空へと登るような、幻想的で涼しげな空間が演出されています。



深堀氏の作風は金魚の姿を立体的に表現することでで知られ、透明な樹脂に描かれたその作品は本物かと見間違うほど精巧に描かれています。



深堀隆介氏は金魚をテーマにしたアート作品で人気の金魚絵師で、アクリル樹脂に直接絵を描くことを繰り返し、何層にも重なった絵で立体的な金魚を描きだします。



立体的な金魚を表現した作品が評判を博し、日本のみならず、ニューヨークやロンドン、ミュンヘンなど世界各地で個展を開催し、海外でも高い評価を得ています。



立体造形だけでなく、絵画等も得意としてます。



美術作家、深堀隆介氏は、2000年のスランプ時に7年間飼っていた金魚に魅了され、金魚をモチーフにした作品の制作をスタートしました。



様々な箱や升、器などの中に樹脂を注ぎ、その上に描かれた金魚は、実際に水の中で泳いでいるようなリアリティに溢れています。



上からライトが照らされているので、枡の底には影が写りこみ、立体感が表現されています。



立体表現を超えた斬新な手法がみごとです。



花びらが貝に浮かび、目を疑ってしまうリアリティのある作品です。



続く....................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その210 『金魚と金魚絵師』 その1

2017年08月27日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
みなとみらい大盆踊り大会の縁日で、孫が金魚をいただいてきました。
ジージが飼ってと言われたので、死なせたら大事だと、子供たちに教えてもらいながら水槽を完成させました。



そこそこ完成したので、金魚3匹、メダカ5匹を追加し飼うことにしました。



金魚の写真を撮るのは難しいようです。
それぞれ動きがバラバラなので(当たり前ですけど)、なかなかいい写真が撮れません。



水槽の中に、庭に転がっている大きめの石を集め、水草を何種類か配置すると結構水槽らしくなりました。



適量のエサやりや、週一回が目安の水交換が暇な爺さんのルーティンになりました。



小エビも水槽の沈殿物の掃除屋さんとして、数匹同居させました。



黒の出目金は、他の金魚にいじめられ❓、突っつかれすぎたのか昇天してしまいました。
金魚の世界にもいじめはあるようで、困ったものです。



30年ほど前に、金魚、メダカ、カニなどを大きな水槽で飼っていた経験があります。
飼育をやめた原因は、ある日カニが水槽を飛び出し家の中を徘徊し、川魚のウグイ(ハヤ)を同居させたところ、数ヶ月後金魚とメダカを一晩で全部食べてしまい飼育をギブアップしてしまいました。



今回は、暇な老人が飼うので、もう少しちゃんとした世話ができるかと思います。
トッポママは爺さんが凝り性なのを知っているので、心配顔で眺めていますが............。



金魚が縁で、次回は金魚絵師の展示が横浜で開催されていると知り、訪問して紹介します。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その209 『みなとみらい大盆踊り』 その3

2017年08月26日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
心地よい海風に吹かれる盆踊りはみなとみらいならではの風物詩です。



横浜市民ならだれでも歌える、横浜市歌の踊りや、よさこいや和太鼓のパフォーマンスもありました。



孫は30分以上並んで、金魚すくいに挑戦しました。



しばらく見ていましたが、水深が深いので、なかなかすくえないようです。



すくえなくても、金魚をいただき満足の孫ですが...............................。



自宅に帰って、結局ジージの家で飼ってと懇願され、後日大変なことになります。



暑かったのですが海風もあり、結構楽しんで自宅へ戻りました。



翌日は自宅の町内会でも盆踊りがありました。



残念ながら、突然の雷りと、豪雨で中断してしまいましたが........。



子供たちの町内会のお祭りが控えているので、それに期待することにします。



金魚をどうするか..............、トッポパパが頑張ることになります。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その209 『みなとみらい大盆踊り』 その2

2017年08月25日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
みなとみらい大盆踊り大会には、たくさんの近代的屋台が並びます。



レパートリー豊富な飲食ブースですが、この人混みではどこも長蛇の列です。
横浜のシウマイ、横浜の地ビールと、大人たちにも嬉しい品ぞろえです。



みなとみらいの3大ホテル、ヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテル、横浜ベイホテル東急、横浜ロイヤルパークホテルが、みなとみらい大盆踊りのために考えてつくられたカレーで競っていました。



子ども向けには、恒例の焼きそばやフランクフルトや唐揚げが人気です。



YCATのマスコットキャラクターのようです。



猛暑なので、中に入っている人は大変ですね。



暗くなるにつれ、人が動き始めました。



夕暮れのベイブリッジです。



会場には本格的なやぐらが組まれ、電気自動車「日産e-NV200」の電力で灯す提灯で彩ります。



続く..................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その209 『みなとみらい大盆踊り』 その1

2017年08月24日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
横浜周辺の町内会でも、あちこちで夏祭りが始まりました。



『みなとみらい大盆踊り』に孫をつれて出かけてみました。



みなとみらい21地区の夏の風物詩で、今年で10回目を迎えます。



横浜の夜景も楽しめるということで、毎年17,000人以上が参加する人気イベントです。



まだ明るいので、周辺を歩いてみます。



参加費無料で、みなとみらいが地元でない人も当日に飛び入り参加できるので、すでにこの人ごみです。



心地よい海風に吹かれながら、ベイブリッジを背景に記念撮影です。



心地良い海風に吹かれながらの盆踊りは、横浜港に面したみなとみらいならではです。



半月の形状が印象的なインターコンチネンタタルホテルです。



続く....................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その208 『川越・小江戸』 その10

2017年08月23日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
最後に大正浪漫夢通り商店街を観て帰ることにします。



一番街からすぐの大正浪漫夢通り沿い角地に「川越商工会議所」があります。
前武州銀行川越支店で大正15年着工し昭和2年12月建造しました。
1970年からは川越商工会議所が事務所として使い、文化庁登録有形文化財に指定されている建物です。
玄関の上にメダリオン(円形装飾)と呼ばれる飾りがあり、外壁の太い柱はドリス式と呼ばれ、の古代ギリシャの建物を感じさせる外観です。
玄関脇には赤い丸型ポストもロマンがあります。



大正浪漫夢通り商店街は長さ約200m程あり、街頭、石畳、お店に至るまで、正に大正浪漫を感じるレトロな雰囲気満載の通りです。
旧田中屋、カフェ・エレバートです。



平成7年商店街をあげての大正浪漫の街づくりが本格的に始まり、町屋造りや洋風看板建築が軒を連ねるレトロな町並み、御影石の石畳、電線を地中化し、土蔵造りや洋風建築が軒を連ねた現在の大正浪漫夢通りに生まれ変わりました。



川越地酒の老舗、伊勢源です。
伊勢源は明治元年創業以来、130余年の永きに渡り川越の歴史と共に歩んできた地酒の老舗です。
人が並んでいる店は、川越の鰻屋の中でも地元の川越っ子に昔から長く愛されているお店、『小川菊』です。
江戸時代、文化文政期の創業と言われています。



歴史のある商店街で、中には、江戸時代より続く店舗や、3代を越える店舗が、数多く存在しています。



大正ロマンの雰囲気を求めて、テレビや映画の撮影によく使われています。



大正モダン香る喫茶店、シマノコーヒー大正館は、大正時代を髣髴させる喫茶店です。



途中で今では珍しいチンドン屋に遭遇しました。



パチンコ屋の宣伝のようです。



最後は川越駅までつながる長い現代の商店街を通り帰宅しました。



猛暑中の川越散策は、少々老人には堪えました。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その208 『川越・小江戸』 その9

2017年08月22日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
一番街の蔵造りの町並みを歩いてみます。 



『世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり』、そう言わせた蔵造りの町並みは、江戸の町並みが今なお残されています。
黒漆喰の壁に、重厚で豪華な蔵造り商家が軒をつらね、往時の商人の活気を感じさせてくれます。



大きな文字で書かれた「フカゼン」は、川越市の有形文化財にも指定されている蔵造りです。
明治28年に建造された小谷野家住宅は、屋号を「深善」とし、美術表具店を営んでいます。
伝統的な蔵造り商家の外観が保存され、特徴的なのが2階部分で、一般的には重厚な観音開扉が設けられるのに対し、小谷野家は生活の利便性を重視し、開放的な窓にしています。
火災対策として、窓の両端には袖壁(火の廻り込を防ぐ)が設置されています。



同じように見えて一軒一軒違う造りをしており、それぞれに個性を出しながら、堂々とした風格さえ漂わせています。



江戸時代、川越藩主松平信綱の町割りによって、通りに店が向かい合う形の家並みができあがりました。
その後、度重なる大火のため幕府がかわらぶきを奨励し、火事に強い建物として江戸の町で土蔵造りが流行しました。
これによって商業で江戸と結び付きが強かった川越でも、蔵造りの商家が建つようになりました。



しかし、一番街の蔵造りの町並みが形成されたのは、江戸時代ではなく明治時代です。
1893年(明治26年)の川越大火により、町を建て直す際に耐火建築である蔵造りが採用されたためです。
現在の蔵造りの多くは、川越大火後に建てられたもので、今も30数棟が残っています。



川越大火では、西北の風にあおられて、西から東へと焼失地域を拡大してしまいました。



その被害は、明治の銅鐘の銘文によると、家屋1,065軒、土蔵100余り、神社4、寺院5、それに時の鐘の鐘楼が消失しました。



この大火で川越の町の2/3が焼けてしまいました。



その後、大正12年の関東大震災やその後の戦災によって東京の蔵造りが姿を消したこともあり、江戸の景観を受け継ぐ重要な歴史的遺産として、「時の鐘」をはじめとするこの一番街周辺は、平成11年12月1日に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。



続く.................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その208 『川越・小江戸』 その8

2017年08月21日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
菓子屋横丁のすぐ近くに佇む養寿院(ようじゅいん)山門です。



静けさが漂う養寿院本堂です。
養寿院は、鎌倉時代(寛元2年/1244)に河越太朗重頼(かわごえたろうしげより)のひ孫、経重(つねしげ)が開基し、大阿闍梨円慶法師が開きました。
江戸時代にはご朱印10石を賜っています。
曹洞宗専門僧堂(修行道場)として多くの人材を輩出した禅寺です。



家康は鷹狩りで立ち寄ったことがあるそうです。
立派な山門横の戒壇石(石碑)に「不許葷酒入山門」(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)と書かれています。
これは臭いが強い野菜(=葱(ねぎ)、韮(にら)、大蒜(にんにく)など)は他人を苦しめると共に自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これらを口にした者は清浄な寺内に立ち入ることを許さないという意味だそうです。



城下の頃の面影を残す一番街にある『時の鐘』です。
記念写真を撮ってもらいました。



1861年(文久元年)に銅鐘が小川五郎衛門栄長によって鋳造されました。
しかし、1893年(明治26年)の川越大火で鐘楼もろとも焼失してしまいました。
翌年、川越に関係する実業家・政治家・学者や、川越町長、県知事と明治天皇下賜金1,500円、合計で当時としては大金の2,700余円が集められ、再建されました。



時代が変わり鐘つきの方法がら機械仕掛けへと変化しても、昔と変わらず今も蔵造りの町並みに時を告げています。
その響きの良い音色は平成8年、環境省の「残したい“日本の音風景100選”」に認定されました。



この銅鐘は、全長2.23m、龍頭のながさ40㎝、最大外径82㎝、同内径66㎝、重量731.25kgです。
午前6時・正午・午後3時・午後6時の1日4回鐘の音が響きます。



1975年(昭和50年)、川越市文化財保護協会が自動鐘撞機を寄贈し、現在の時の鐘はこの自動鐘撞機によって、毎日、時を報らせています。



川越の蔵づくりの町並み「時の鐘」の真横にある甘味屋さんです。



続く............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その208 『川越・小江戸』 その7

2017年08月20日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
菓子屋横丁を少し歩いてみました。
飴細工をイメージしたガラスが散りばめられた石畳が続いています。



最近は量産品の駄菓子の販売が多くなったそうですが、手造りのお菓子を販売しているお店もあります。
こちらは玉力製菓という大正時代から続く手造り飴の専門店です。
お店の中には、色とりどりの飴が並び、甘い香りが漂っています。



菓子屋横丁は明治の始め頃、鈴木藤左衛門が養寿院の門前町として栄えるこの町で江戸っ子好みの 気取らない菓子を製造したことが始まりといわれています。



素朴で昔懐かしい味を今に伝える菓子作りの店が立ち並び、金平糖やカルメ焼きなど、懐かしいお菓子が並んでいます。



多くの人が、懐かしい大きな麩菓子を持って歩いていました。



昭和初期には70軒以上の店があったといわれています。
その後、戦争や生活の変化などによって店舗数は激減したものの、素朴で懐かしく温かい街角は、今でも川越観光の人気スポットです。



2001年には、ハッカ飴や駄菓子、団子のかおりが漂う貴重な場所であることが評価され、環境省が選定した「かおり風景100選」に選ばれました。



少し離れたところに、こちらは昔懐かしい玩具が売られていました。



猛暑でバテ気味なので、うなぎ専門店 ”うなっ子”で エネルギー補充です。



店のまわりには、錦鯉が泳ぐ堀がめぐらせてあり 道行く人々の目を楽しませています。
何故か5円玉の上に蛙がのっているオブジェが面白いです。



続く..................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その208 『川越・小江戸』 その6

2017年08月19日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
川越氷川神社の境内に江戸風鈴が吊り下げられ、様々な演出が施されます。



色とりどりの風鈴の音色に包まれる、風鈴回廊です。



境内に響く、涼やかな風鈴の音は、たくさんの願いを運んでいます。



昔、氷川神社の境内には御手洗川という小川があり、神社脇の上尾街道を通る人々の憩いの場所でした。
それに因んで、水の神様が祀られています。。
左の岩はその姿が鼻先を神前に向けた戌(いぬ)に似ていることから戌岩(いぬいわ)とよばれています。



手水舎(ちょうずや)です。



龍神の口から水が出ている場合が多いですが、龍神は雲や雨を司る水の神様なので、龍神から出るお水は神水とされているそうです。



参拝者が願いを木の短冊に書いて風鈴に結びます。



短冊は後日奉納されるそうです。



夜はライティングも加わり、華やかで美しい風鈴と、涼やかな音色に包まれる、幻想的な空間が楽しめます。



続く....................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その208 『川越・小江戸』 その5

2017年08月18日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
氷川神社は太田道灌以来、川越の総鎮守とされ歴代川越藩主の篤い崇敬を受けました。
境内の入り口の大鳥居は、木製の鳥居としては日本一の大きさです。
高さは約15mで、扁額の文字は勝海舟の筆によるものです。



大鳥居をくぐると、右側には護国神社があります。
西南戦争以降、川越から出征し亡くなられた兵士2970柱が護国神社に祀られています。



氷川神社拝殿です。
1500年前の創建で、主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、夫婦円満、家族繁栄、安産、子宝など家庭円満の神様です。
拝殿の奥に本殿には緻密な彫刻が施されており、県の重要文化財となっています。



川越氷川神社には五柱の神々が祀られています。
主祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)、脚摩乳命(あしなづちのみこと)と 手摩乳命(てなづちのみこと)の夫婦神様、さらにその娘であり、素盞嗚尊の妃神でもある奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、そして、素盞嗚尊と奇稲田姫命のご子孫ともお子様ともいわれ、また出雲大社の縁結びの神様としても知られる大己貴命(おおなむちのみこと)の五柱の神様です。



これらの神々はご家族であることから、川越氷川神社は家族円満の神さま、また、ご祭神に二組のご夫婦神様が含まれていることから、「夫婦円満・縁結びの神様」として信仰されています。
神社内の赤い椅子は、自由に座ってお茶を飲んだり、休憩することが出来るようです。



舞殿です。



2017年7月1日から9月10日までの期間、祭事「縁むすび風鈴」が行われています。



縁むすび風鈴は、"縁結びの神様"として知られる川越氷川神社で「天の川に恋の願いが届くように」、また「夜の神社でひとときの涼を楽しめるように」とのことから、2014年からはじまり今年で4回目となる夏季限定の祭事とのことです。



風鈴のアーチが至る所に設置されています。



続く..............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その208 『川越・小江戸』 その4

2017年08月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
北条氏政や酒井忠勝、柳沢吉保など錚々たる人が歴代城主に名を連ねる川越城は、その庭園も立派なものです。



長い廊下や柱は、いまにも武将が現れそうな雰囲気で、ドラマ『JIN-仁-』の撮影にも使われたそうです。



武将も廊下より枯山水の庭を鑑賞していたのでしょう。



本丸御殿の家老が常駐する家老詰所です。
家老詰所の縁側からは、風情たっぷりの中庭を眺めることができます。



本丸御殿の家老が常駐する部屋です。



当時、川越藩主はほとんどが江戸に詰めていたことから、ここで家老が実際の藩の運営を取り仕切っていたと考えられます。



閂(かんぬき)も歴史を感じます。



家老詰所の縁側から眺める中庭です。
庭のあちこちには、古い瓦や石などを巧みに配しています。



武将はお茶でも飲みながらお庭を眺めていたのでしょう。
しかし、質素でありながら現在の生活ではあまり考えられない優雅な時間と空間です。



川越城の概要が描かれています。



次は、氷川神社に向かいます。