TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

海外の都市の紹介、 その113-5 『台湾ブラブラ観光旅行-国立伝統芸術中心-5』

2014年03月06日 | 海外の都市の紹介
国立伝統芸術中心の古民家、『黄挙人宅』です。 左右対称に造られているのが特徴です。
清朝時代、科挙に合格した黄讃緒の住居で、130年余りの歴史があります。
当時のままの建物を移築し、伝統的な文人の世界を残しています。



遊覧船に乗り、冬山河沿いの景色を眺めました。
堤防はよく整備され、川の眺めも素晴らしく、ヨットやボートの練習に励む人や、行き来する遊覧船などを見ていても楽しいです。



ここ冬山河では1年に1回、端午の節句に『ドラゴンボートレース』が開催されるそうです。



宜蘭は台湾でも有数の美しい海岸線を持ち、冬山河の景色も絶景です。



台湾最後の観光を終え台北に戻る途中、温泉街で足湯につかることにしました。



礁渓温泉(しょうけい-おんせん)は宜蘭県礁渓郷にある台湾でも数少ない平地部の温泉です。
18世紀後半、『呉沙』が宜蘭を開墾した際に発見されたと言われています。
日本統治時代には、日本人が楽『園』、『圓山』、『西山』という3つの温泉旅館を建設し、温泉街が形成されるきっかけとなったそうです。



足湯のほかに大衆浴場も完備されていて、気楽に温泉を楽しめるようです。
台湾では、水着を着て温泉に入るので混浴がおおくあるそうです。
さすがに浴場にカメラを向けると、勘違いされるといけないので(笑)控えました。
温泉宿によっては日本式に入浴できる温泉も用意されているそうです。



礁渓温泉は礁溪駅を中心に、半径1.2km内におよそ100軒のホテルや浴場があり、レストランが立ち並ぶ台湾第2の温泉街です。
今回は宿泊できませんでしたが、台北からさほど遠くないので機会があれば観光を兼ねて一泊するのもよさそうです。



さすがに今回は1週間以上も台湾に滞在したので、案内してくれた皆さんもトッポママもお疲れさまでした。



この場を借りて、いろいろな観光地を案内していただいた現地の皆様に心よりお礼申し上げます。
また、ブログ上での写真整理ですので、台湾の写真が長期にわたりご勘弁願います。

海外の都市の紹介、 その113-4 『台湾ブラブラ観光旅行-国立伝統芸術中心-4』

2014年03月05日 | 海外の都市の紹介
老街は民芸街で、建物は台湾伝統様式とバロック式の建築を組み合わせたレトロな建物が30以上並んでいます。



日本名のお店も多く見ることができます。
台湾のレコード産業は、台湾コロンビアがその基礎を築いたと聞いています。
台湾で流行歌第1号としてレコードが発売されたのは日本統治時代の1932年『桃花泣血記』というものでした。台湾コロムビアから発売し、上海映画の台湾での主題歌として大ヒットを記録したそうです。







トッポパパが子供のころ、このような自転車が家にあった記憶があります。
サドルが大きく、頑丈で、リヤカーを引くものもありました。



当時の銭湯の様子ですかね。



日本統治時代の味の素とは!、外箱は当時の物なら時代物です。



これも古いカメラです。



日本人にとっては、ちょっと不思議な空間に思えます。



オカリナの製造販売しているお店の2階に、四年九班のスズメの生徒さんです。



続く.............................................................................。

海外の都市の紹介、 その113-3 『台湾ブラブラ観光旅行-国立伝統芸術中心-3』

2014年03月04日 | 海外の都市の紹介
宜蘭県の国立伝統芸術中心(センター)に案内してもらいました。



国立伝統芸術中心は台湾各地の伝統芸能や工芸のすべてを一ヶ所で楽しめるように造られたテーマ・パーク(スペース?)です。



民芸工房街と呼ばれる老街(旧街)です。
台湾各地の特色ある建物を再現したもので、通りには彫刻や織物、金属工芸、漆器、泥人形、紙工芸、玩具、伝統的な雑貨や飲食などの33店舗が並び、伝統工芸を今日に伝える匠たちが目の前でその技を披露してくれます。



京劇・布袋劇といった台湾伝統芸が老街で始まりました。



中国語(台湾語?)なので内容は良くわかりませんが、泥棒が悪徳商人(お金持ち)よりお金を盗み、貧しい人に配るというような物語のようです。
台湾版の日本の鼠小僧のようなもののようです。



あくまでも想像ですが、ここで演じられている京劇、歌仔戯、偶戯などと呼ばれている演劇は、中国というより台湾独自の庶民が伝承した昔ながらの大衆演芸のようです。



なぜか、日本の着物を着て踊っている人もいます。



古き廟を模して造られた文昌祠と呼ばれる舞台です。
舞台の正面に文昌祠三川殿廟があり、かつて人々の祈りの場であると同時に、娯楽の場として多くの芸能文化を育んできたことを伝承しているのでしょう。



青斗石の基石、屋根を支える紅色の柱、柱上部のます組みと天井板に施された華麗な文様、名文家の題辞がある屏風と、煌びやかです。



とても美しい踊りでした。
ここでは、週末を中心に催し物が開かれているそうです。



昭和の10年代を感じさせる老街(旧街)に日本語の看板も目につくので、もう少しを歩いてみます。

海外の都市の紹介、 その113-2 『台湾ブラブラ観光旅行-宜蘭-2』

2014年03月03日 | 海外の都市の紹介
MR.BROWNのお城といわれる宜蘭県にある頭城珈琲館です。
頭城城堡珈琲館は、宜蘭県の頭城というところの小高い山の上にあります。



台湾では有名なMR. BROWNという珈琲会社の発祥の地が宜蘭県です。



珈琲を頂きながら窓越しに眺めた景色です。
雨の景色なので青空でないのが残念ですが、晴天ならもっと絶景なのでしょう。



KING CAR TOUCHENG AFFORESTATION PARK (金車頭城造林公園)と書いてあります。
KING CARはグループ会社のようで、台湾初のウィスキー蒸留所を造った会社のようです。
台湾製のウィスキー?というのを知りませんでしたが、名水の地として名高い宜蘭は台湾産ウィスキーを作るのにぴったりの土地で、一年を通して気温が高いため、熟成が早く進むという地の利もあるようです。
歴史はそれほど古くはないようですが、宜蘭に住む原住民カバラン族にちなんだシングルモルトウィスキー『kAVALAN』の1種類のみ製造しているそうです。
今度飲んでみようと思います。



風車が建てられています。
緑に囲まれた風光明媚な小高い山の上は、日本の避暑地のような雰囲気です。
近隣には温泉もあるようですので、日本ならすぐに高級別荘地に変貌しそうです。

KING CARグループは、Mr. Brown珈琲や、健酪乳酸飲料などでおなじみの老舗飲料を製造するバイオメーカーということで、この看板の意味がわかりました。



トッポママの記念撮影です。



こちらはMR.BROWNのもう一つのお城です。



余談ですが、宜蘭の水が良質だということで、日本人があの昔がらの『ビー玉ラムネ』を最初に宜蘭で発明?したとのネット情報でした。
台北の街を歩いていた時、ラムネ屋さんを良く見かけ、何故日本のラムネが?と不思議に思ったのですが、理由がわかりました。



お城から海岸線の景色も一見の価値があるように思いました。



もう少し宜蘭の観光スポットを案内してもらいました。




続く...............................................................................。

海外の都市の紹介、 その113-1 『台湾ブラブラ観光旅行-宜蘭-1』

2014年03月02日 | 海外の都市の紹介
台湾観光旅行の最後に、台湾の北東部に位置する宜蘭県に案内していただきました。
こちらは『蘭陽博物館』は県立の地方総合博物館で、宜蘭をテーマに現地の生態や人文の多様性を展示した博物館です。
残念ながら、この日は休館日で中に入ることができませんでした。



宜蘭は豊かな自然に育まれた風光明媚媚な土地で、この宜蘭県を凝縮して紹介したところが、『蘭陽博物館』のようです。
周囲も景色も素晴らしく、多様な水鳥も生息しています。



『蘭陽博物館』はナビは凝ったアート建築物のようです。
低いピラミッドのようにも観えますがが、近くで良く見ると何種類もの石を組み合せた壁は、かなり凝った造りです。



白鷺も巣があるのか、ときおり飛来してきます。



『亀山島』と呼ばれる島です。
亀山島といってもウミガメが生息している訳でも繁殖する場所でもなく、島の形が亀に似ている事に由来しています。
現在住民は住んでいないととの話ですが、今は観光で訪れることができるそうです。
近海にはイルカやクジラも時折現れ、ホエールウオッチングやイルカウオッチングが人気のようです。



亀山島に似せた形状とも言われているようです。
平地に斜めに傾いた配置された建物なので、壁面を眺めた後で歩くと、一瞬立ち眩みのような感覚をになります。



近くの小高い山の上に、台湾の珈琲で有名なブラウンおじさんの、お城の『頭城城堡咖啡館』があるそうで、それを見に行きます。



途中に大きな接天宮と書かれたお寺がありました。
ちょっと調べてみましたが、中国語以外の説明がなく諦めました。



それにしても台湾のお寺は緻密な彫り物がたくさんあります。



途中の坂道から亀山島を眺めます。
見方によっては人が寝ているようにも見えますね。



続く.......................................................................。

海外の都市の紹介、 その112 『台湾ブラブラ観光旅行-行天宮』

2014年03月01日 | 海外の都市の紹介
台湾に多くあるものは、屋台とベンツとお寺という人がいます。
数あるお寺の中でも、人気は台湾一のお寺、行天宮に寄ってみました。



行天宮で祀られている神さまは關聖帝君(関羽)です。
台湾では一般に『恩主公』と呼ばれ、行天宮は別名『恩主公廟』とも呼ばれます。



石の柱には龍がびっしりと彫られています。



關聖帝君とは、三国志でおなじみの関羽雲張のことです。
真っ赤な顔と、黒くて長いヒゲが特徴です。関羽雲張は劉備玄徳に仕える武将でしたが、主君への忠誠心が尊ばれ、死後、神として祀られるようになりました。



武将である関羽がなぜ商売の神様となったのかは諸説ありますが、そろばんや簿記の発明者と考えられています。
このお寺が人気というのは、商売熱心な人が多い台湾だからでしょう。



トッポママもお参りです。
正式には女性は右手、男性は左手でお線香を供えるそうです。



まず線香を両手で顔の前で持ち、『住所、名前、生年月日』を伝え、三回頭を下げ、線香の一本を左手で香炉に入れます。



縁起の良い龍や鯉をあしらった、台湾式庭園?です。



日本庭園とは少し趣が違いますが、きちんと手入れがされています。



もう一日、最後の観光です。


海外の都市の紹介、 その111-2 『台湾ブラブラ観光旅行-懐旧鉄道、平渓線、十分-2』

2014年02月27日 | 海外の都市の紹介
線路沿いに数十件のお土産屋さんなどがある十分街です。



北郊外の街、十分も古い町並みの観光地です。
この近くに、台湾のナイアガラと呼ばれ エメラルドグリーンの十分瀑布があるそうですが、雨が強いので訪問はギブアップでした。



ここは台湾の伝統文化の『点灯上げ』に挑戦です。
紙製の気球(ランタン)に願い事を書き、下部の灯油を湿らせた布に点火し、気球のようにランタンを膨らませ飛ばすようです。



願い事によって気球の紙の色が違うそうです。
なかには何色か違う色の紙が張ってあり、一度にいろんな願い事をすることもできるようになっているものもあります。
トッポが長生きするように願いをかけました。



1グループでいくつかの紙の気球に、それぞれの願いを書いていきます。
みなさん、思い思いにお願い事を書いています。
ちょっと欲張り過ぎて、神様も大変でしょう。



火種に火を付けて気球が十分に膨らむまでしっかり持って待ちます。



線路上に出て飛ばすのですが、電車の本数が少ないとはいえ日本では考えられない光景です。
台湾でも安全面を考慮して廃止すべとか、規制を厳しくすると議論があるようです。
台湾人が愛する点灯上げが気軽に出来なくなってしまう前に、体験できて良かったです。



カウントダウンで気球が上っていきます。



結構高くまで上がっていきます。
火の付いた気球をどんどん打ち上げて、山火事にならなければと心配してしまいます。



十分の街のシンボル、全長128mの『静安吊橋』です。
『静安吊橋』は1947年に造られた橋で、基隆河にかかり、十分村と南山村をつないだ橋です。
十分炭鉱建設に伴い、石炭を運ぶ必要性から造られたもので、石炭鉱業の盛んだったころにはトロッコがつり橋の上を行き来していたのでしょう。
炭鉱が閉鎖されてからは、人の通行用つり橋に改修され、今では人気の観光スポットになっています。



平渓老街のレトロな雰囲気の中で、昼食をとりました。



両側に、日本統治時代の木造建築も軒を連ねていました。



この時期の台湾は雨が多く、観光も体力がいります。

海外の都市の紹介、 その111-1 『台湾ブラブラ観光旅行-懐旧鉄道、平渓線、十分-1』

2014年02月26日 | 海外の都市の紹介
ノスタルジックな雰囲気の台湾でもっとも著名なローカル線が平渓線です。
菁桐駅は木造駅舎でなんとなく日本の地方の駅のような感じです。



カラフルに彩色されたDR1000型列車は平渓線の三貂嶺から菁桐駅までを走ります。



日本統治時代の台湾において屈指の炭田といわれた菁桐坑の開発のため、台陽鉱業が敷設した専用鉄道が前身です。
1922年7月に開業した。



構内には石炭に積み出しに使われていたホッパーなどがありました
右奥の建物は観光客向けのカフェ、『煤礦珈琲』になっているそうです。



台湾鉄道平渓線は、もともとは台陽鉱業株式会社の石炭運搬用の軌道でしたが、1929年に台湾総督府鉄道部が買収し平渓線と名付けて貨客両用線としました。
しかし1980年代に入り、近郊の炭鉱が次々に閉山となり、一時は廃線が検討されましたが、地元の熱心な運動で保存を決定した歴史があります。

台陽鉱業株式会社の前身は『雲泉商会』です。
基隆顔家の顔雲年氏と蘇源泉氏が1903年に創業し、その後1920年に藤田組所有の『台北炭鉱株式会社』の株式を譲り受けた顔雲年氏は雲泉商会と合併して『台陽鉱業株式会社』を立ち上げ、一帯の炭鉱経営に乗り出しました。
基隆顔家はかつて台湾五大豪族の一つで、歌手一青窈の父親は基隆顔家の子孫にあたります。



駅周辺には日本の絵馬のように、竹筒に願いを書きつるしてあります。



日本の人の願かけもあります。
駅周辺の昔ながらの景観です。



トッポママの記念撮影です。



ネット情報によると、平渓線は神奈川県の江の島電鉄と提携し、お互いに鉄道観光をPRすることになり、江之島電鉄と提携『一日乗車券』が交換できるそうです。
2013年5月から2014年3月31日までの期間限定で、使用済み『平渓線一日周遊券』を江ノ電鎌倉駅・江ノ島駅・藤澤駅の窓口に差し出すと無償で当日使用可能な『江ノ電一日乗車券』と交換してくれます。
また逆に日本人観光客も『江ノ電一日乗車券』とパスポートを持参すると『台北駅』あるいは『瑞芳駅』で『渓線一日周遊券』がゲットできます。



駅周辺に『情人橋』と書かれた橋があります。
恋人たちの橋というような意味なのでしょう。



これから十分駅に向かいます。



十分駅に到着すると、線路の両脇にお店がぎっしり並んでいます。



次回はここの名物ランタン(点灯?)上げを経験します。

海外の都市の紹介、 その110-2 『台湾ブラブラ観光旅行-九分-2』

2014年02月25日 | 海外の都市の紹介
阿妹茶楼でお茶の入れ方を懇切丁寧に教えてもらいながら、台湾茶を美味しくいただきました。



茶菓子もいろいろ並べてくれます。
トッポパパはナツメの味が懐かしく何個も食べてしまいました。



茶碗と上蓋はしっかり温め、飲む前に上蓋をあけてお茶の香りを楽しむそうです。
あの宮崎駿監督もここでお茶を飲んで、スケッチをしたらしいです。
それがモデルになったとの話になったのでしょうかね。



この日は雨が降っていたので景色はいまいちでしたが、晴天なら素晴らしい景観だと思います。



余談ですが、歌手の一青窈さんのお父さんは九分の金鉱経営で成功し、台湾の5大財閥に数えられた顔一族の長男・顔恵民さんだとのネット情報です。
一青窈さんのシングル、『大家(ダージャー)』は亡き台湾人の父への想いを歌った曲とのことです。



金の採掘により栄えた頃、海沿いの景色を観賞しながら金鉱事業関係者の酒宴が毎日のように催されたのでしょう。



千と千尋の油屋までに続く街並みに似ているといわれる、レトロな雰囲気の建物と提灯が並ぶ『豎崎路』です。
右上に『非情城市』と書かれた木の札が見えます。



今から25年前に作られた映画『非情城市』の舞台となった場所のようです。
トニー・レオンが主演した映画『非情城市』は、1989年のヴェネチア国際映画祭でグランプリを取った作品です。
この映画が世界に衝撃を与えた理由は、『日本統治が終わった台湾で何が起きたのか』という歴史的事実を描いた映画のようです。



観光客が多くなったので改修工事が多く観られます。
昔ながらの景観を保持できる改修だといいですね。



路地を抜けて広い道に出た角に、絵のような大きな写真?が目につきました。
この場所の昔の景観のようです。
日本語の看板もあることから、日本の統治時代の景観なのかとじっと見入ってしまいました。
この地域は昔から猫がたくさん飼われていた記載もあります。
きっと、写真の中の猫はお店の看板猫だったのでしょう。



そのせいか、屋根の上には大きな猫が鎮座しています。



次は炭鉱に関係するトロッコ電車で有名な平渓線を観に行きます。

海外の都市の紹介、 その110-1 『台湾ブラブラ観光旅行-九分-1』

2014年02月24日 | 海外の都市の紹介
スタジオジブリの『千と千尋の神隠し』のモデルになった(異論もありますが)台湾北部の『九分』という街を訪問しました。
台湾東北部の丘陵地で山を背にし海に面した土地柄の九分はかつて金鉱として栄えました。
その名残りか煌びやかな建物が建っています。



1890年に金脈が掘り当てられ、貧困な村が、瞬く間に三、四千世帯の巨大都市へと変貌しました。
一時はアジアの金の都といわれ、『小上海』、『小香港』の異名さえ取っていた時期もあります。
その昔、一説によると『九分』に住む人々はわずか9世帯の小さな集落で、道が通っていなかった頃、すべての物資は水路を使って運ばれていたため、常に9世帯分の物資を調達していたため、その名がついたといわれます。



往時の面影を残すと言われる九分の街中に入っていきます。



日本の昔ながらの商店街を思いださせる風景です。



九分名物の『芋円、蕃薯円』(タロ芋やさつまいもで作った団子)や、九分独特のグルメが売られています。



第二次大戦後、金脈が枯渇し1971年には閉山すると、街は衰退し人々の記憶から忘れ去られました。
しかし1989年公開の映画台湾映画、『悲情城市』の舞台となり、ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞すると再度脚光を浴びるようになりました。
映画を通じて今も残るゴールドラッシュ時代のノスタルジックな風景に魅せられた多くの人々が再び九分を訪れるようになり、街は復活します。
いまや台湾屈指の観光地となってます。



また、日本の映画、『千と千尋の神隠し』のモデルになったとの噂で、日本からも多くん観光客が訪れるようになりました。



トッポパパは絵ハガキになった上の写真を撮りたくて、狭い路地をキョロキョロしていたのですが............



阿妹茶楼(あめおちや)で休憩してお茶を飲むことにしました。
最初は分からなかったのですが、『千と千尋の神隠し』の油屋のモデルではという阿妹茶楼に入ってしまいました。
ですが、ここ阿妹茶楼の写真を撮るには、路地がせまいので反対側のお店に入り、そこのバルコニーからの撮影だったようです。
これでは、まさに灯台下暗しです。



内部はお洒落な中国風喫茶店というところです。
台湾の人の話では、鉱山事業全盛のころは酒家のようで、連日大賑わいだったようです。



続く.......................................................。

海外の都市の紹介、 その109 『台湾ブラブラ観光旅行-国立故宮博物院』

2014年02月23日 | 海外の都市の紹介
フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュと並んで世界四大博物館に数えられている台湾国立故宮博物院です。
何度か訪問したことがあるので、ちょっとだけ立ち寄りました。



休日の訪問ということもあり観光客も多く、トッポパパは行列をなしての見学は苦手なので外で待機することにしました。
博物院前の狛犬とトッポママの記念撮影です。



故宮側から正門入口の門(牌坊)を臨みます。
正面奥に高層ビルが立ち並んでいます。
台湾の人に、ここは景観が一番素晴らしいところなので、国も援助してあげて高層ビルの改修や外壁の色を故宮と調和させれば、もっと全体調和のとれる景観になるのにと話してしまいました。



故宮博物院には、およそ70万点近くの収蔵品があると言われています。
常時展示している品は、6000~8000点。で、3~6ヶ月おきに、展示品を入れ替えるそうです。
そのため、すべてを見るには10年以上はかかると言われています。



何故、台湾にこれだけの収蔵品があるのでしょう。
現在の台湾を納める中華民国という中国国民党政権が大陸中国をも統治していた時代があり、第2次世界大戦後に蒋介石率いる中国国民党と毛沢東率いる中国共産党が武力による政権争いを行いました。



政権を担っていた国民党が劣勢になり国内各地に拠点を移しながら争いを続ける際に国宝などの美術品を一緒に中国各地に移動させました。
最後の移動先が台湾で、ここに故宮博物院を造ったとのことです。



1965年に落成した故宮博物院は北京にある紫禁城を参考にして建てられたそうです。



トッポパパも雨の中で記念撮影です。



中に入った人の話では、人の群れで観たい展示品の前は長蛇の列で、とてもゆっくり見学できる状態ではないと飽きれていました。
トッポパパは外で待ち、周辺の写真を撮っていたのですが正解だったようです。



一階中央にある孫文の座像です。
何回訪問しても、何故かいつも同じ場所で同じアングルや被写体を撮っている自分に、思わず笑ってしまいます。



最後に周囲の森の中にひときわ目立つ建物があります。
今度調べておきたいと思います。



観光地巡りを続けます。



海外の都市の紹介、 その108-2 『台湾ブラブラ観光旅行-野柳地質公園-2』

2014年02月22日 | 海外の都市の紹介
野柳地質公園は台湾の海岸に細長く突出した岬です。
1000万年に及ぶ地殻運動、海蝕、風蝕の影響を受け、奇抜な海岸が形成されました。



トッポママは雨にも負けずまだまだ元気です。



キノコ状の石の上に無数の穴があいている岩はハチノス岩と呼ばれています。
岩石の表面に着いた生物の屑が溶蝕し、海水によって浸食され、このような模様が創られたそうです。



海蝕によって露出した岩には化石も観ることができるそうですが、この雨では探すのも大変です。
黄土色に見える部分も砂ではなく、すべて岩なので雨が降ると足が滑りやすく大変です。




トッポパパは胸の部分に穴をあけてカメラを雨に濡れないようにしていたため、カメラを持ちながら傘をさすと滑った時危険なので苦労しました。



波しぶきも強く、近くに寄るのは危険です。



こちらは燭台石(キャンドルロック)と呼ばれる岩です。
岩層の中の比較的硬い石灰質が核となり、海水の浸食で次第に露出してできたものです。



遠目で見ればアザラシやトドが海岸で寝転がっているように観えます。



巨大なキノコのようですが、やがて海蝕が進みクイーンズヘッドのような奇麗な細い首になっていくそうです。




トッポパパはカメラがびしょ濡れになってしまい、早々に引き揚げたところ同行者に行方不明になったと騒がれ、ご迷惑をかけてしまいました。



風雨の中での見学は貴重な経験でした。

海外の都市の紹介、 その108-1 『台湾ブラブラ観光旅行-野柳地質公園-1』

2014年02月21日 | 海外の都市の紹介
台湾の首都台北から40km離れた台湾島の端にある野柳(ヤーリュー)を訪問しました。
ここはトッポパパが40年前初めて台湾を訪問した時に案内された場所です。
当時は閑散とした漁村で、観光客を受け入れる設備などほとんどなかった記憶ですが、現在は海岸沿いには大きなレストランやお土産店が立ち並んでいます。



当時、台湾の中央電影公司との合作映画の大作、『金門島にかける橋』が石原裕次郎主演でここ野柳でも撮影されたそうです。
映画は中台間の戦乱を背景にした反共メロドラマで、裕次郎は世界一周船の医師で、東京で出会った台湾女性と再会し、裕次郎と台湾女性の悲恋が描かれた映画野ようです。(映画を観た記憶があるような、ないような?)
裕次郎の相手役の台湾女優は王莫愁です。

この日の天候は最悪で、暴風雨に近い荒天のため見学は無理かと思われましたが、写真のように即席の雨合羽と足元を膝までカバーをして海岸に向かいます。



1000万年におよぶ地殻運動、海蝕、風蝕の影響を受けて、奇怪な岩石が並んでいる野柳ですが、その中で一番人気の『クレオパトラの頭(クイーンズヘッド)』と呼ばれる岩です。
ただし、こちらは記念撮影用のモニュメントです。



波しぶきを浴びながらの記念撮影は難しそうなので、まずはここでトッポママの記念撮影です。
確かに見れば見るほど、女王様の頭に見えてきます。
ただ本物のクイーンズヘッドは厳しい潮風の浸食により年々首の部分が細くなり、その形状を保てるのもあと20年ぐらいだろうと言われています。



びしょ濡れになるのを覚悟して、巨大なマッシュルームが地上から生えている海岸に向かいます。



東シナ海の荒波と潮風を受け、長い年月を経て岩盤が侵食され、このような奇景が創り出されたそうです。
近くに来るとその奇岩の大きさにも驚かされます。
本物のクイーンズヘッドは画像の中央部に少し曲がった岩が細く観えるのがそうですが、カメラがびしょ濡れで危うくなってきたので、近くでの撮影はギブアップでした。



風化や海の浸食によってできた奇岩の並ぶ風景は異次元の世界のようです。



ここ野柳地質公園の奇岩は世界奇観の一つとされていますが、この荒天はこの景観を創り上げる雰囲気が味わえるので、波しぶきを浴びながらの見学もある意味で正解のような気がします。



クイーンズヘッドは風化が進み、消滅してしまうと言われていますが、こちらはトッポパパが見つけた第二のクレオパトラとでもしておきましょう。



これもさらに風化が進むと、正式名称がつけられるかもしれません。



写真だとわかりませんが、実際ものすごい風雨でした。
頑張ってもう少し写真を撮ってみます。

海外の都市の紹介、 その107-2 『台湾ブラブラ観光旅行-タロコ(太魯閣)国家公園-2』

2014年02月20日 | 海外の都市の紹介
大魯閣の名前の由来には諸説あるようですが、 日本統治の際、日本人は『Taruku』という音を発音出来なかったため『Taroko』という音に修正し、『大魯閣』という漢字を当てはめたそうです。
この漢字には勇者の開拓精神という意味があるそうで、その後国民党が台湾に来た後『太魯閣』と漢字を変更し現在に至ったという説があります。

これより先は徒歩で移動ですが、落石があるのでヘルメット着用が義務付けられています。



山全体が巨大な1つの岩のカタマリで、いたるところに岩石をくりぬいた“半トンネル”状の道が続きます。



ここ九曲洞と呼ばれる場所で、より近くで岩壁の様子が見ることができます。



川の水の青さは、急流で大理石が溶け、その酸性成分が青くしているそうです。



ここは特に壮大な景色です。
自然が造り上げた絶景にとても驚かされます。



この周辺は『燕子口』と呼ばれ、岸壁に多くの洞穴があり、そこにツバメが巣を作っているように見えたため、その名がつけられたそうです。
この洞穴は川底で浸食を受けてできた穴が、長い時間を経て地殻の変動で隆起したか、地下水が岸壁を浸食してできたと考えられています。



高さ数100m、幅1200mに渡る錐麓断崖は圧巻の雄大な景色です。



展望台(休憩所)で記念撮影です。
顔隠し忘れましたが、この程度では勘弁してくれるでしょう。(笑)



この辺りが、観光案内に出てくる景観です。
自然が造り上げた絶景に驚かされます。



太魯閣族の像があります。



太魯閣族は顔に文様のような刺青をするそうですが、現在はこの伝統も禁止され現存する本来の太魯閣族は2名だけだと聞きました。



台北に戻ります。

海外の都市の紹介、 その107-1 『台湾ブラブラ観光旅行-タロコ(太魯閣)国家公園-1』

2014年02月19日 | 海外の都市の紹介
台北から約3時間で花蓮駅へ到着、駅から車で約40分ほどで太魯閣(タロコ)観光の入口に到着します。
中華風の赤い門が台湾八景のひとつとして知られる渓谷、太魯閣の出発点のようです。
この門に『東西横貫公路』と書かれています。
この道路は花蓮と台中結び、標高3000mを越える中央山脈を通る壮大な横断道路の始まりです。



車で暫く走りトンネルを抜けると、白い大理石で作られた橋にかかります。
橋の上には100匹の表情の違う獅子が彫られています。



渓谷の右側に砂卡礑歩道の入口があります。
往時は原住民、太魯閣族の歩道だったようです。
太魯閣は日本統治時代の台湾中央部に存在した日本の国立公園で、現在は太魯閣国家公園及び雪覇国家公園に指定されています。
『砂卡礑』という名前は『シャカーダン』と読むのですが、元々は太魯閣語で『臼歯』という意味の『SKADANG』と呼ばれていました。
この地を見つけた太魯閣族の祖先が、開墾した際多くの『臼歯』を見つけたのが由来です。



太魯閣国家公園は緑豊かな山々と清らかな水に恵まれ、変化に富んだ景観を誇っています。
台湾の東部に位置し、東は太平洋、西は雪山山脈に接しており、壮大な断崖など景観が続きます。



いくつかのトンネルを抜けると、絶壁を背に建てられた中国風の祠、長春祠が観えます。
中部東西横貫公路建設工事中に亡くなった212名の人たちの霊を慰めるために1958年に建てられました。



この周辺は大理石と石英片岩の交じり合った地層にあたり崩落しやすいところで、1980年と1987年の二度にわたって落石が祠を直撃し、現在の長春祠は1997年に再建されたものです。
祠の下を落ちて流れる滝は『長春滝』と呼ばれています。



ダム湖の澄んだエメラルドブルーの水が印象的です。



周辺は大理石の川底なのか、エメラルドグリーンとのコントラストが素晴らしいです。



タロコ峡谷を通る中部横貫公路は手作業で岩を削って開いた道路として知られています。
1956年に着工し、連日5000-6000人を動員し、台風や地震、豪雨の危険に曝されながら、死傷者の続出、機材の破損を乗り越え、1960年に全線開通します。
この美しい景観を眺められるのも、多くの人の犠牲があっての道路なんですね。



さらに進むと、『岳王亭』と呼ばれる吊り橋があります。
太魯閣国家公園には吊り橋がいくつかありますが、申請なしに渡れるのはこの橋だけとのことです
この吊り橋は同時に8人までしか渡ることができず、人数をよく数え、越えない様に渡らなければならないようです。



さらに上流にに進み絶景を紹介します。