今回は『博物館・明治村』の紹介です。
紹介の内容は、明治村オフィシャル・サイトの説明の抜粋です。
明治村北口入口です。
明治村設立のあらましです。
『明治時代は、我が国が門戸を世界に開いて欧米の文物と制度を取り入れ、それを同化して近代日本の基盤を築いた時代で、飛鳥・奈良と並んで、我が国の文化史上極めて重要な位置を占めています。
明治建築も従って江戸時代から継承した優れた木造建築の伝統と蓄積の上に、新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れ、石造・煉瓦造の洋風建築を導入し、産業革命の進行に伴って鉄・セメント・ガラスを用いる近代建築の素地を築きます。
これらの建築のうち、芸術上、歴史上価値あるものも、震災・戦災などで多く失われ、ことに戦後の産業の高度成長によって生じた、大小の公私開発事業により、少なからず姿を消していきました。
取り壊されてゆくこれらの文化財を惜しんで、その保存を計るため、今は二人とも故人となられたが旧制第四高等学校同窓生であった谷口吉郎博士(博物館明治村初代館長)と土川元夫氏(元名古屋鉄道株式会社会長)とが共に語り合い、二人の協力のもとに明治村が創設されたのです。』
愛知県犬山市の博物館明治村は敷地面積100万平方メートルという広大な土地に、明治時代の建物を移築・復元した野外博物館です。
山まるごと一つが明治時代というダイナミックな施設です。
目の前がSL東京駅です。
SLは日本各地にありますが、日本最古の1874年(明治7年)製、約140年前の蒸気機関車が運行されています。
後でいい写真が撮れればと、期待することにします。
明治村は1丁目から5丁目に分かれています。
北口からは5丁目からの散策になります。
帝国ホテル中央玄関です。
旧所在地は東京都千代田区内幸町で、1923年(大正12年)の建設です。
この建物は、20世紀建築界の巨匠、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計された帝国ホテルの中央玄関部です。
皇居を正面にして建てられた帝国ホテルは総面積34,000㎡余の大建築で、中心軸上に玄関、大食堂、劇場などの公共部分が列ねられ、左右に客室棟が配されていました。
全体計画から個々の客室に到るまで、きわめて多様な秀れた空間構成がなされ、それまでの建築空間が主として平面的なつながりであったものを、立体的な構成へと発展させた世界的に重要な作品です。
まずは訪問記念撮影です。
この中央玄関は、建物の特色をよく遺しており、軒や手摺の白い大谷石の帯が水平線を強調し、またその帯が奥へ幾段にも重なって、内部空間の複雑さを予想させます。
大谷石には幾何学模様の彫刻を施し、レンガには櫛目を入れて、柔らかで華麗な外観を現出しています。
レンガ型枠鉄筋コンクリート造とも言える構造であり、複雑な架構に鉄筋コンクリートの造形性が生かされた作品です。
中央に観える門は『金沢監獄正門』です。
石川県金沢市小立野にあった、1907年(明治40年)建設の門です。
1872年(明治5年)に「監獄則並図式」が公布されました。
これは近代的な監獄制度と、それに合った洋式の放射型監獄舎房の規範を示したものでした。
この方針に沿って各地で新監獄の建設が始まり、金沢監獄は南北250m、東西190mの敷地がレンガ造の高い塀で囲われ、唯一西面に開けられていたのがこの門でした。
西洋の城郭の門にも似て、左右に二階建の看視塔を建て、中央にアーチ型の主出入口、両側に脇出入口を備えている実に美しい門です。
写真左側に見える八角形の赤レンガ外形の建物は『東京駅警備巡査派出所』です。
1908年(明治41年)、それまで品川を起点としていた東海道線を皇居正面の丸の内まで延長し、新しい中央停車場を建設する工事が開始されました。
その大工事は1914年(大正3年)に竣工、東京駅と命名され開業しましたが、その折駅前広場を整備する中で、この派出所が1914年(大正3年)頃建設されました。
駅本屋との調和をはかるため、駅本屋のデザインを十二分に意識した設計がなされ、隅切り八角形の外形で、その屋上に小塔を置き、正面軒上に半円のぺディメントを、窓上には小庇を設け、腰壁に白い帯状装飾を廻らしています。
首府東京の表玄関であった東京駅では、天皇の地方巡幸や外国使節の従来など重要行事が多く、一時は12人もの巡査が詰めていたそうです。
1907年(明治40年)に建設された、『金沢監獄中央看守所・監房』です。
金沢監獄では、八角形の中央看守所を中心に、左右及び正面奥と左右斜め奥に五つの舎房が放射状に配され、右の舎房から順に第1、第2...第5舎房と名付けられました。
外見上は普通の西洋館の外壁と変わりませんが、三重壁になっていて、建築技法だけに限って考えると、近代の防音、断熱の先駆的な実例とも言えます。
看守所上部の見張り櫓へは小屋裏を抜けて昇るようになっていて、その高さは地上高12mあります。
続く..........................................................。
紹介の内容は、明治村オフィシャル・サイトの説明の抜粋です。
明治村北口入口です。
明治村設立のあらましです。
『明治時代は、我が国が門戸を世界に開いて欧米の文物と制度を取り入れ、それを同化して近代日本の基盤を築いた時代で、飛鳥・奈良と並んで、我が国の文化史上極めて重要な位置を占めています。
明治建築も従って江戸時代から継承した優れた木造建築の伝統と蓄積の上に、新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れ、石造・煉瓦造の洋風建築を導入し、産業革命の進行に伴って鉄・セメント・ガラスを用いる近代建築の素地を築きます。
これらの建築のうち、芸術上、歴史上価値あるものも、震災・戦災などで多く失われ、ことに戦後の産業の高度成長によって生じた、大小の公私開発事業により、少なからず姿を消していきました。
取り壊されてゆくこれらの文化財を惜しんで、その保存を計るため、今は二人とも故人となられたが旧制第四高等学校同窓生であった谷口吉郎博士(博物館明治村初代館長)と土川元夫氏(元名古屋鉄道株式会社会長)とが共に語り合い、二人の協力のもとに明治村が創設されたのです。』
愛知県犬山市の博物館明治村は敷地面積100万平方メートルという広大な土地に、明治時代の建物を移築・復元した野外博物館です。
山まるごと一つが明治時代というダイナミックな施設です。
目の前がSL東京駅です。
SLは日本各地にありますが、日本最古の1874年(明治7年)製、約140年前の蒸気機関車が運行されています。
後でいい写真が撮れればと、期待することにします。
明治村は1丁目から5丁目に分かれています。
北口からは5丁目からの散策になります。
帝国ホテル中央玄関です。
旧所在地は東京都千代田区内幸町で、1923年(大正12年)の建設です。
この建物は、20世紀建築界の巨匠、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計された帝国ホテルの中央玄関部です。
皇居を正面にして建てられた帝国ホテルは総面積34,000㎡余の大建築で、中心軸上に玄関、大食堂、劇場などの公共部分が列ねられ、左右に客室棟が配されていました。
全体計画から個々の客室に到るまで、きわめて多様な秀れた空間構成がなされ、それまでの建築空間が主として平面的なつながりであったものを、立体的な構成へと発展させた世界的に重要な作品です。
まずは訪問記念撮影です。
この中央玄関は、建物の特色をよく遺しており、軒や手摺の白い大谷石の帯が水平線を強調し、またその帯が奥へ幾段にも重なって、内部空間の複雑さを予想させます。
大谷石には幾何学模様の彫刻を施し、レンガには櫛目を入れて、柔らかで華麗な外観を現出しています。
レンガ型枠鉄筋コンクリート造とも言える構造であり、複雑な架構に鉄筋コンクリートの造形性が生かされた作品です。
中央に観える門は『金沢監獄正門』です。
石川県金沢市小立野にあった、1907年(明治40年)建設の門です。
1872年(明治5年)に「監獄則並図式」が公布されました。
これは近代的な監獄制度と、それに合った洋式の放射型監獄舎房の規範を示したものでした。
この方針に沿って各地で新監獄の建設が始まり、金沢監獄は南北250m、東西190mの敷地がレンガ造の高い塀で囲われ、唯一西面に開けられていたのがこの門でした。
西洋の城郭の門にも似て、左右に二階建の看視塔を建て、中央にアーチ型の主出入口、両側に脇出入口を備えている実に美しい門です。
写真左側に見える八角形の赤レンガ外形の建物は『東京駅警備巡査派出所』です。
1908年(明治41年)、それまで品川を起点としていた東海道線を皇居正面の丸の内まで延長し、新しい中央停車場を建設する工事が開始されました。
その大工事は1914年(大正3年)に竣工、東京駅と命名され開業しましたが、その折駅前広場を整備する中で、この派出所が1914年(大正3年)頃建設されました。
駅本屋との調和をはかるため、駅本屋のデザインを十二分に意識した設計がなされ、隅切り八角形の外形で、その屋上に小塔を置き、正面軒上に半円のぺディメントを、窓上には小庇を設け、腰壁に白い帯状装飾を廻らしています。
首府東京の表玄関であった東京駅では、天皇の地方巡幸や外国使節の従来など重要行事が多く、一時は12人もの巡査が詰めていたそうです。
1907年(明治40年)に建設された、『金沢監獄中央看守所・監房』です。
金沢監獄では、八角形の中央看守所を中心に、左右及び正面奥と左右斜め奥に五つの舎房が放射状に配され、右の舎房から順に第1、第2...第5舎房と名付けられました。
外見上は普通の西洋館の外壁と変わりませんが、三重壁になっていて、建築技法だけに限って考えると、近代の防音、断熱の先駆的な実例とも言えます。
看守所上部の見張り櫓へは小屋裏を抜けて昇るようになっていて、その高さは地上高12mあります。
続く..........................................................。