TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その136 『猪苗代湖』 その1

2013年03月31日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
吹雪の中、日新館からひと山越えて猪苗代湖へ向かうことになりました。
猪苗代湖へ行ってもこの吹雪では、白鳥も鴨もいないと言ったのですが、トッポママは初めての猪苗代湖ということで出発強行です。
視界5mもない山道では車を止めたら凍死すると思いながら、必死の思いで猪苗代湖の志田浜を目指しました。
晴れ男、トッポパパの願いが通じたのか、また瞬間的に青空が広がりましたが........



しかし、強風のため吹雪状態は止まず、7年前の写真と並行して猪苗代湖を紹介します。



志田浜のお土産店の店内を通り抜けると、この白鳥の湖の銅像が立つ浜に出るのですが.......................



出口の向こう側には、なんと多数の鴨がたむろしています。



外に出た時は浜までいけるかと思ったのですが.................



瞬時に強風のためこの有様です。
風速20-30mはあるようで、鴨も風に向かって飛ぼうとするのですが風で押し戻されています。



鴨の大群がここにいるのは、避難してきているようです。



当初はこの景色をママに見せたいと連れてきたのですが、これではどうしようもありません。



同じ場所なのですが、今回は数m先の鴨も雪に覆われてしまいます。



さすがのトッポママも浜の方向には数mも歩けません。



ところで鴨の避難先は分かりましたが、白鳥は何処へ行ったのでしょうか?

続く.......................................................................................。

今年も花見が出来たぞ! 頑張ったなトッポ!! その4

2013年03月28日 | トッポの世界
暖かい日差しと桜に元気をもらったのか、尻尾をあげながら散歩をするトッポです。



現在日本一の高さを誇るランドマークタワーですが、そのうちに大阪の新しいビルにその座を譲るようです。
東京タワーがその座をスカイツリーに譲っても、東京タワーは東京のシンボルであるように、このランドマークタワーもいつまでも横浜のシンボルであり続けるのでしょう。



年老いてもまだ元気に歩こうとするトッポも、トッポ家の最後の愛犬になりそうです。



世の中はその時々の流れに遅れまいかのように目まぐるしく変化をしていきますが、桜は毎年同じように季節が廻れば心慰める花を咲かせてくれます。
きっと、急ぐ足を止めてちょっと休憩するのもよいでしょうと言っているかのようです。



トッポ家もトッポが我が家に来てから、娘たちがそれぞれ独立していき、母が天国に旅立ち、トッポパパも退職を迎え、そして初孫の誕生と大きな変化がありました。
トッポパパ、『頑張って長生きすれば、また楽しいこともあるぞ!』



トッポ、『そう、だからお前も頑張れ!』
そうですね、いまはトッポのほうが年上になっているんです。



帰りがけに公園の側道をのぞきましたが、ここも結構雰囲気の良い桜並木です。



別の出口にも大きな桜の木が存在感を誇示しています。



花見を堪能して帰路につきます。
あちこちガタがきはじめているトッポパパとトッポが、来年また一緒に花見ができるか...........。









今年も花見が出来たぞ! 頑張ったなトッポ!! その3

2013年03月27日 | トッポの世界
トッポパパが写真を撮っている間、トッポは広場の中央でひとりぼっちです。
トッポ、『介護認定2の老人を見捨てるのか!(笑)』



江戸末期の幕府の大老、彦根藩第13代藩主、井伊掃部頭(かもんのかみ)の銅像です。
NHKの大河ドラマにも登場しましたが、日米修好通商条約を違勅調印し、安政の大獄の中心人物です。



トッポパパは歴史に強くありませんが、掃部山公園が歩いていける距離にあるので、日米修好通商条約と、安政の大獄だけは試験で間違えたことはないです。
トッポ、『この枝垂れ桜も満開だ!』



それほど大きな枝垂れ桜ではないですが、毎年人気のある桜です。



トッポ、得意のポーズです。



桜はやはり青空の下だと映えますね。



トッポの足腰の強化のためもう一度散歩です。



トッポ、『本当は自分の運動不足解消なのでは?』



ここからの景色はまるで桜の上のビル群のようです。



もう一度下まで降りて池の周りの桜見物です。
どこから観てもランドマークタワーが背景になるようです。



続く..........................................................................................。

今年も花見が出来たぞ! 頑張ったなトッポ!! その2

2013年03月26日 | トッポの世界
頑張って坂道を上り掃部山公園の上の入口で記念撮影です。



まだ早朝だったこともあり、花見客の場所取りシートはあまり見られませんが、数時間でいっぱいになることでしょう。



掃部山公園の代表的な桜です。
いつもはこの桜の木の下でお茶会?が開かれていました。



トッポパパと老人同士の記念撮影です。
トッポパパ、『ちゃんと前向け!』



声をかけるとカメラ目線になるので、まだボケてはいないようです。(笑)



久しぶりに歩いたトッポとちょっと休憩です。



お互いに白くなりましたが、こうして花見を一緒にできるだけで嬉しいですね。



ここは眺めがいいので一番好きな場所です。







続く........................................................................................。

今年も花見が出来たぞ! 頑張ったなトッポ!! その1

2013年03月25日 | トッポの世界
トッポが恒例のため具合が悪くなったのは一昨年の12月でした。
昨年2月以降は皮下点滴を欠かさないようにということで、なんとか腎臓機能を維持してきました。
最近は高齢のため、よく寝てはいますが、まだまだ食欲もあり元気です。
このまま16歳の誕生日(10月)を迎えられそうです。
最近あまり外出はしないトッポを連れて花見に出かけました。



何回もブログで紹介している、横浜港(MM21)を見下ろす像掃部山公園も桜の名所です。



トッポも久しぶりの外出で気分がいいのでしょう、元気に歩いてくれました。



元気なときに何回かこの公園を走り回ったトッポです。



トッポの記憶にも残っているのでしょう。



トッポパパ、『上まで歩いていけるか?』
軽快とは言い難いですが、まだ足腰は大丈夫そうです。



MM21のシンボルである、ランドマークタワーが手に届きそうな距離に観えます。



坂道がきついのですが、ゆっくりですが頑張って歩いています。
トッポ、『歩いていては桜が観えない!』



車に乗せてあげました。
トッポ、『ここなら桜もよく観える!』



今年は1-2週間早い満開で、早まった花見の準備に忙しそうです。



続く.................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その135 『会津藩校・日新館』 その3

2013年03月24日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
會津藩校日新館は総工費34億円を費やし、1987年3月に完全復元し開館しました。
孔子をまつった大成殿を中心に東館と西館にわかれていて、東館には素読所(小学)、講釈所(大学)がありそのほか、たくさんの校舎がならんでいます。



内部の様子です。
当時の素読所(小学)の様子が再現されています。
藩士の子弟は10才になると素読所に入り、その後講釈所などで文武両道を学びます。
戊辰戦争で自刃した白虎隊の少年たちも日新館の在学生です。



素読(そどく)とは漢文の読み方を教わるところです。



日新館に入学すると、はじめに素読所にはいり、ここで6~7年ほど勉強をし、試験によって その上の 講釈所にはいり勉強を続けます。



優秀な生徒は、この日新館を終了すると、藩の費用で、江戸や長崎に藩の費用で留学することができました。



日新館には天文台、開版方(印刷所)、文庫(図書館)、水練場(プール)といった施設まで完備していました。



山崎闇斎(やまざきあんさい)の像です。



山崎闇斎は江戸時代前期の儒学者・朱子学者・神道家・思想家で、保科正之に賓師として迎えられた人物です。
奥の建物は『講釈所(大学)』で、その当時国内でも最高水準の学問を修める場だったのです。



西館は歴史を伝える展示場があります。



展示場に飾られていた会津戦争に使われたスペンサー銃です。
会津藩士、八重の兄の山本覚馬が長崎でスペンサー銃を購入し、会津に居た妹の山本八重に送ったとされ、八重が戊辰戦争の会津若松城籠城戦でこの銃で奮戦したと伝えられています。



弓道場も再現さています。
現在の日新館弓道場では弓道競技の大会や合宿、研修などに利用されています。



ここに日本初めてと言われる水練水馬池(プール)が再現されているようですが、この大雪では何もわかりません。



日新館を後にし、猪苗代湖へ向かいます。
これがまた大変な経験をします。




トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その135 『会津藩校・日新館』 その2

2013年03月23日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
戟門へ通じる道?は1m以上の雪の壁の間です。



この雪深い冬の会津藩校には今でいえば小学校高学年生が通ってきたのですから、通学だけでも修行です。



戟門を抜けると広い広場(実際にはいろいろなものが造成されているのでしょうが、積雪で平原のようです)を囲むように建物が建っています。



会津藩士魂の原点で、 ここで会津の子息は儒教を中心とした総合的教育 『ならぬことはならぬものです」という会津魂を学びます。



江戸幕府は学問の中心を儒学としたため、各藩校でも儒学を教育の中心にしました。



日新館という校名は『四書』のひとつ、『大学』の中の『湯の盤銘』と言われる故事に由来しています。
その昔殷の湯王(とうおう)が、朝夕に使う洗面器に『苟(まこと)に、日に新たに、日に日に新たに、また日に新たにせん。(原文:苟日新日日新又日新)と彫って自らを戒めたという逸話で、毎日新しく進歩、成長がしたいという意味が込められています。



中央にあるのが大成殿です。
大成殿は、儒学の祖である孔子をまつり、日新館教育の柱となりました。



日新館は孔子を祀る大成殿を中心に文武の教場が並び、医学や天文学まで教えました。



大成殿の内部には孔子の教え、儒教思想を重んじ、中央には孔子像が置かれています。
この像の前に立って2回お辞儀をするのが慣わしで、朝な夕なに礼拝をしたそうです。



次回は中を覗いてみます。

続く...........................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その135 『会津藩校・日新館』 その1

2013年03月22日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
鶴ヶ城より猛吹雪の中を車を走らせ、再建された会津藩校・日新館に到着しました。
晴れ男、トッポパパの願いが伝わったのか、またまた青空が広がってきました。



2006年に白虎隊ゆかりの会津地方を訪問した時に日新館について興味を持ちました。
その時は写真のような日新館跡地に建てられた石碑の写真を撮ってきただけでした。



日新館は、1799年に始められた会津藩主松平容頌の学制改革によって1803年に完成しました。
戊辰戦争時に生まれたかの白虎隊もここで学び戦場へ向かいました。
1868年まで鶴ヶ城西側で、それほど遠くない場所にありましたが、戦火によりそのほとんどが焼失してしまいました。
1987年に磐越道河東ICから車で5分程のところの山の上を切り開いて再建されているとの話を聞き、今回訪問しました。



風速20mもありそうな強風の影響で、空は晴れても積雪が舞い、砂嵐ならぬ雪嵐に耐えながら日新館入口を目指します。
トッポママの折りたたみ傘では、何の役にも立たないようです。



日新館・南門です。
往時の日新館の配置図が中に飾られていました。



この写真も前回訪問時のものですが、額の左上の天文台跡は現在でもそのまま残っています。



トッポママの記念撮影も命がけです。



『什の掟―じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです)』が建てられています。
会津藩では同じ町に住む6歳から9歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。
この集まりのことを会津藩では『什 (じゅう)』と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。
毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が什の掟の「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行ったそうです。



日新館の戟門(げきもん)です。
時を知らせるための太鼓が置かれていました。
屋根には火事を起こさない神様・鯱鉾と魔よけの鬼龍子があります。



戟門の前の積雪も1m以上もありそうです。



南門を振り返るといかに雪が積もっているかよくわかります。



寒さに震えながら日新館の中に入ります。

続く........................................................................................。

トッポ家の小さな庭の素人ガーデニング その6

2013年03月20日 | 小さい庭の素人ガーデニング
春一番の強風が吹き荒れる毎日ですが、気温はグングン上がり初夏を思わせる暖かさになりました。
気温の上昇につれてトッポ家の小さな庭の花がいっせいに咲きはじめました。
2年目に入った梅が一番に咲きだしましたが、今年は梅の実はつけそうもありません。



鉢植えの花々もここ数日で急に元気になりました。
久しぶりに身体を洗ってあげたトッポは、まだなま乾きのまま玄関先で日向ぼっこです。



春先のチューリップももうすぐ全開です。



ここ数ヵ月、トッポパパが毎日面倒見てきた鉢植えの木瓜(ボケ)が開花しました。



一つはすべて深紅の花ですが、他は一つの木に白い花、薄紅色が混在しています。



トッポは気持ちいいのか居眠りしそうです。
一つの花の花弁が白赤混ざるものもあります。



これからゆすら梅の開花後、薔薇がシュートを伸ばしてくるので害虫対策で忙しくなります。
蘭も花をつけるか気がかりです。
紫陽花の葉が元気に育ってきました。
最近は見知らぬ人からも花のことで声をかけてもらう機会が多く、すっかり素人庭いじりおじさんです。

最近の日課は植木の手入れ、ゴルフの練習、ストレッチ、コンピュータでちょっとお仕事??、写真の整理、最近始めたスピードラーニング(ボケ防止)とこれから頑張るペン習字と結構いろいろすることはあるようです。

まだまだ旅行も行きたいし、神のみぞ知る残された余生をトッポと一緒に楽しんでいます。

トッポ家初孫成長記 その16 『姫、i Pad で遊び始める!』 

2013年03月19日 | 初孫成長記
姫はまだ生後6ヵ月だというのに、最近の赤ん坊の遊び道具は時代を反映して激変です。



親の影響なのか(爺婆ではない!)最近流行りの 『i Pad』で遊び始めた。



もちろん、赤ん坊用(幼児用?)のアプリだと思うが、抵抗なく遊び始める。



確かに画像は奇麗だし、触れば音楽や、楽器の音がでるようで楽しそうです。
姫、『これ、おもしろいよ!』
未だ一人で座ることも、ハイハイすらできないのに、『i Pad』を抱える姫に言葉がありません。



姫、『トッポちゃんも一緒に遊んでいい?』



トッポパパ、『トッポは無理だと思うよ。』



やにわに、トッポの腕を掴んで仲間に入れようとしている姫です。
姫、『一緒に遊ぼう!』



トッポ、『俺はできないから勘弁してくれ!』



姫、『どうしてトッポちゃんは遊ばないの?』
トッポ、『俺は爺さんだからできない! それより毛を引っ張るな!』



てな雰囲気ですが、ほんとに嬉しそうな顔で遊ぶ姫です。
トッポパパはコンピュータに違和感を特別持ってはいませんが、この子たちが大人になったときの世の中は想像だにつきません。



数年後には、時代遅れのお年寄りは孫に教えてもらう世界になるのでしょう。
最近は国際社会で生き抜くには、英語を学ぶのではなく英語で学べという意見も多く、早々にコンピュータ操作も小学生から必須課目になるのでしょう。
美文字汚文字!のテレビ番組の影響で、時代に逆行してペン習字を始めたトッポパパとは感覚に大きな違いがあるようです。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その134 『鶴ヶ城』 その4

2013年03月18日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
時間単位で天気が目まぐるしく変わります。
風が強く本丸跡も積もった雪が舞い始めましたので、あわてて移動です。



近くに八重と会津博・大河ドラマ館があるのでちょっと立ち寄ることにします。
内部は撮影不可なので残念ながら紹介できません。



みなさんがNHKの八重の桜をご覧になっていると思いますので説明は省きますが、主人公山本八重は“幕末のジャンヌ・ダルク”とも呼ばれています。
幕末のジャンヌ・ダルクと呼ばれたのは、鶴ヶ城での籠城戦になった際に、八重は髪を断ち、男装にてスペンサー銃を持って銃撃戦に参加したところから呼ばれるようになったようです。



主人公の八重が後の同志社創立者の新島襄と結婚したとは、最近まで知りませんでした。
ネット情報によると、”封建的な風潮の残る中、男女の平等を望む八重は、西洋帰りの夫を『ジョー』と呼び捨てにし、また夫よりも先に車に乗る姿を人々に『悪妻』と罵られても、八重はまるで気にしませんでした。
夫の襄はそんな彼女の生きざまを『ハンサムウーマン』と称しました。”
だから、のぼりにハンサムーウーマンと書かれているのですね。



雪に覆われて見ることができなかった鶴ヶ城の赤瓦です。



大河ドラマの一部の映像が映されていました。
よく見ると一番左側にカメラを持ったトッポパパがいます。
トリック映像ですが、時代を超えた戦場のカメラマンというところです。(笑)



会津を車で移動中、吹雪の平原で素晴らしい景色に出会ったので車中から撮ってみました。



絵のような景色で、移動する車の中からの写真としてはよく撮れていますので紹介します。



では会津藩校であった日新館へ向かいます。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その134 『鶴ヶ城』 その3

2013年03月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポパパがいままで日本の城をたくさん紹介してきましたが、その中でも特に印象に残る鶴ヶ城です。
天守閣の鯱は銀箔、牙は金製、瞳の中心に2カラットのダイヤモンドが埋め込まれているそうです。
名古屋城の金鯱と対になるように銀鯱としたそうで、金閣寺、銀閣寺に倣ったもののようです。



早朝に来たこともあり、城前(本丸跡)の広場も新雪で覆われ素晴らしい写真になりました。
トッポパパが早朝にこだわったのは、観光客が多く訪れる前なら雪の上に足跡がない写真が撮れるかも知れないと思ったからです。



お城の白壁と雪の白さで、伽話の中に出てくる夢のお城のようです。
白虎隊士も見た国内唯一の赤瓦の天守閣が甦ったと聞きましたが、雪のため見ることができないのは残念です。
でも、大雪の後にしか見ることができない雪のお城に大満足です。



お茶室『麟閣』です。
鶴ヶ城公園内にある、千利休の子、少庵が建てたと言われる茶室です。



戊辰戦争後、城下に移築され保存されてましたが、平成2年に元の場所である鶴ヶ城内へ移築復元されました。
説明書きによると、約400年前日本の茶道の大成者、千利休は豊臣秀吉の怒りに触れ死を命じられます。
この時豊臣秀吉の怒りが千家一族に及ぶのを恐れた当時の会津領主、蒲生氏郷が利休の子、小庵を会津に匿い千家が再興できるように秀吉に願い出ます。
その結果、秀吉の怒りが解け千家再興が許されます。



小庵がこの恩義に報いるため建てた茶室が『麟閣』です。
その後、再興が許された千小庵の孫により、武者小路千家、表千家、裏千家の三千家が興され現在の隆盛に至ります。
そのため、この『麟閣』は千家再興の地として茶人に知られ、その由をもって他の茶室にはない武者小路千家、表千家、裏千家の各家元の扁額が掲げられています。

ここの茶室がある意味で三千家の原点であるのだと知っていたら是非中に入りたかったのですが、大雪でクローズだったようで残念です。



鉄門下からの南走り長屋と干飯櫓です。



天守閣の高さは36mで、五層目の展望台から白虎隊が自刃した飯盛山が観えるそうです。



休憩所になっている東屋もこの雪では使用できません。



だいたい見終わると、本丸跡もまた吹雪状態になってきました。



日新館が再現されたと聞いていますので、これからそちらに向かいます。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その134 『鶴ヶ城』 その2

2013年03月16日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
今回は3度目の鶴ヶ城訪問になりますが、これほど雪に覆われた鶴ヶ城は初めてです。



石垣もほとんど雪に覆われていると、まるでデコレーションケーキのお城に思えます。



除雪車が歩道を造ってくれないと、新雪の上は歩行困難です。



こちらが正門のようです。
轍に沿って歩かないと長靴が欲しくなります。



お濠も凍結しているのか、水面も一部は雪に覆われているようです。



会津地域はどこもNHKドラマ、八重の桜ののぼり一色です。



雪のお城もなかなかの景観です。
でも、当時はこの雪の中で城内の暖はどうしてたのでしょうね。
もっとも城の中で日常生活をしてたのではないでしょうから、心配することもないのでしょう。



稲荷神社です。



参拝するには、膝丈までの長靴が必要なので諦めました。



続く..................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その134 『鶴ヶ城』 その1

2013年03月14日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
大内宿、塔のへつりと大雪と吹雪に驚きながら観光しました。
トッポパパは強運なのか、現地に着くと瞬間的に青空が広がったり、雨や雪が止むので結構写真を撮ることができました。
今回は芦ノ牧温泉に泊まりました。
到着後のホテルの窓からの景色です。
雪景色ですがそれなりに視界もよく、喜んでいたのですが............



夜から再度大雪になり、朝目覚めた時の外の景色はご覧のように一変していました。



チェックアオウト後ホテル玄関前の車に目をやると、車は雪で埋没状態です。



夜の間だけで、これだけの積雪です。
ホテル関係者の除雪作業が大変です。



鶴ヶ城へ向かう途中で再度大雪、そして大吹雪状態です。



前の車を見失うと道路幅が見極めがつかなくなります。



市内に近くなると除雪車のお陰で、なんとか鶴ヶ城まで到着です。



同行者も認めるほどトッポパパは強運のようで、また一瞬青空が広がりました。



朝一番であまり観光客のいないお城を撮りたいと早出をしてきましたので、まだ観光客はまばらのようです。
今回は3度目の鶴ヶ城訪問で前回も雪はあったのですが、こんなに雪が多い鶴ヶ城は初めてです。



地元では一般的に鶴ヶ城といい、地元以外では会津若松城と呼ばれることも多く、文献史上では黒川城、会津城とされることもあるそうです。



次回よりデコレーションケーキのような鶴ヶ城を紹介します。

トッポ家初孫成長記 その15 『姫、離乳食初める!』 

2013年03月13日 | 初孫成長記
トッポ家の初孫、姫は生後3-4ヶ月はあまり人見知りなく笑顔を振りまいていましたが、少し知恵がついてきたのかここしばらくはママ命!のようです。
ママに抱かれているときは、このうえなく嬉しそうな顔をしています。



子育てにお疲れのママとおっぱいでお腹一杯の姫、ともに爆睡です。



最近はしっかり腕で上半身を支えられるようになり、得意満面の笑顔です。



美味しそうなケーキを見つめて興味深々です。



母乳以外にもそろそろ興味を持ち始めたのでしょうか?



いまにも手を出しそうな雰囲気です。
そろそろ離乳食にも挑戦の時期なのでしょう。



ということで、離乳食に挑戦です。



嫌がると思ったのですが、興味のほうが勝っているようです。



なんと、自分から口をあけて顔を前に出しています。
姫は意外と食いしん坊!かも。



初めて口にしたおもゆ?に微妙な表情ですが,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,



その後も手を出して器を引き寄せようとしています。
離乳食は姫にとってそれほど苦労せずにできそうです。



子供の成長は早いものですね。