TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポの散歩道でウォーキングの練習、その1

2009年01月31日 | トッポの世界
トッポママのウォーキング熱に刺激されて、我が家ではトッポパパの運動不足(減量?)を解消するため、歩け歩けが合言葉になってきました。



トッポ、『今日は寒いのに、どこへ行くの?』



トッポの散歩道を延長して、どの程度の距離が測りながらウォーキングです。



自宅から、臨港パークの北西端(横浜駅よりの端)まで、約1km程度です。



トッポを連れて、歩け歩け!です。
どうもママのコンデジのおかげで、登場回数が多くなり恐縮です。



公園の北西端近くにある『汐入りの池』です。
池はそのまま海側へと延び、海に繋がっています。
汐入りの池と呼ばれるのは、満潮のときに海水が池の中に入り込むからでしょう。



トッポ、『下に降りて何してるの?』



汐入りの池の海岸部の端に、海へと繋がる水路を跨いで橋が架かっています。



橋のアーチの下から見える横浜港の風景にも風情があります。



トッポ、『早く行こう! まだたくさん歩くんだから!』



橋の上からの横浜港や公園の風景もなかなかいいです。
左端がインターコンチネンタルホテルです。 このホテルを遠くから360度回るような感じでのウォーキングになります。



続く...................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その61の2 『柳川』

2009年01月29日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
柳川は、数多くの文豪を輩出しました。



そのなかでも、北原白秋は明治・大正・昭和を生き、日本の近代文学に偉大な足跡を残した詩人です。



北原白秋のことはよく知らない世代の人も、『からたちの花』『この道』『ペチカ』『待ちぼうけ』『城ヶ島の雨』など、多くの曲は口ずさんだ経験があるでしょう。



北原白秋の生家は、柳河藩御用達の海産物問屋、そして造り酒屋でもあったそうです。  



また、この地をこよなく愛し、『思ひ出』『水の構図』などの詩集には、柳川の風景をつづった詩が数多く残されています。
白秋は『水郷柳川は、我が詩歌の母体である』と詠んでいます。



北原白秋の生家です。



明治34年の大火で大部分が焼けてしまいましたが、現在は、古風な土蔵造りの家に復元され、遺品や写真など、白秋ゆかりの資料が展示されています。



柳川の水郷の写真は、絵になりますね。



一時水質が悪化しましたが、最近は浄化にも力を入れているようです。
もう少し澄んだ掘割の水だと、もっと人気がでそうです。



素人でも、素敵な水郷の写真が撮れたことは、柳川に感謝です。



それでは柳川より

ウォーキンググランプリー下田大会、 その7

2009年01月28日 | ウォーキンググランプリー公式大会
トッポ、『日が暮れるのが早いので、そろそろ行かないとゴールできないよ!』



丘の上に上って、爪木崎全体の景色を撮ってみました。



トッポ、『あっちに大きな碑石がある!』



昭和49年のお歌会で、昭和天皇と皇后様が詠まれました。
昭和天皇御製の歌
『岡こえて 利島かすかに 見ゆるかな 波風もなき 朝のうなばら』
香淳皇后御製の歌
『暮れなるも よこくものへに 光さし つかのまにして 伊豆の朝明く』



残りは5kmですが、フラフラしながらゴールを目指しました。
帰路は公道歩きがほとんどでなのですが、歩道のない道なので車に気をつけながら、やっとの思いで下田に到着です。
後半の写真がないのは、見るべき景色がないのか、疲れてカメラを構える元気がないかのどちらでしょう。(笑)



トッポは全行程の8kmは歩いたと思います。
おそらく歩いてくれなかったら、二人ともダウンだったでしょう。



トッポ、『まだ元気だよ!』



朝10時出発、午後3時30分のゴールです。
スタートしてからの万歩計は28000歩を表示です。
アップダウンでスピードが落ちるのはしょうがないですね。
距離は13.5Kmでしたので、だいたいあっているようです。
帰りには太陽も傾き、影が長くなっています。



初参加ながら、ビケにはならなかったようで、一安心です。
完走のスタンプをもらい、あっけなく終了です。



トッポ、『何にもくれないの? 8Km歩いたのに!』
ご褒美がないので、放心状態のトッポです。



この後、疲れた身体に鞭を入れて、横浜までノンストップで帰りました。
交通渋滞もあり、5時間30分かかりました。 男は辛いよ!です。
トッポはご覧のように爆睡でした。



今年はママの意気込みもあり、ウォーキングに挑戦の年のようです。
もちろん、いつまで続くかは、保証の限りではありませんけど。

それでは下田より


トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その61の1 『柳川』

2009年01月27日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
福岡県南西部にある『柳川』の紹介です。
柳川はうなぎのせいろ蒸しで有名ということで、営業所合同の忘年会の昼食どころとして訪れました。
トッポパパは3度目の訪問になりますので、少し柳川の紹介をいたします。



柳川の地名は水路のあちこちに柳の多い所から起名されたという説と、旧柳河町を流れる水路の柳川が起源とされているという説があるそうです。
柳川と書かれるようになったのは、豊臣時代で、その後川が河に変わったときもありましたが、昭和26年4月より正式に柳川となります。   



柳川の歴史と文化というのは立花家に関係があります。
戦国武将・立花宗茂は関が原の戦いで西軍に加担し、改易されながら本領・柳川に返り咲いた唯一の武将であるところから、奇跡の武将と言われています。



立花家第四代 立花鑑虎が、1697年、当時花畠という地名であったこの地に、別邸を構えたことから、周辺一帯を『御花』と呼んできました。
明治43年に立花家の迎賓館として建てられた西洋館です。



明治時代を代表する建造物です。
鹿鳴館様式の流れをくむ伝統ある建物で、当時は要人たちを迎えた園遊会が催されたそうです。



この西洋館は、明治の面影を今に伝える柳川情緒のシンボルとなっています。
今回は時間がなく、中に入りませんでしたが、奥に松濤園と呼ばれる立派な庭園があります。



柳川はもともと平坦な地形で、昔は水に恵まれない低湿地帯でした。
1200年前ぐらいに、水田のための水路が造られるようになり、江戸時代に柳河藩が、飲み水、農業用、舟運や戦時の防衛のために、水路を本格的に修復して、現在の掘割を創り出しました。



水郷と称される市内の水路の総延長は、470kmに及ぶそうです。
営業所代表の美人さんのスナップです。
一人は、おまけです。



続く...................................................................。

ウォーキンググランプリー下田大会、 その6

2009年01月26日 | ウォーキンググランプリー公式大会
爪木崎で休憩ですが、周辺にはきれいな花がたくさん咲いています。
トッポも目を細めて眺めています。



水仙の花が群生しています。
風が強いので、焦点を合わせるのが大変です。



菜の花に囲まれたトッポです。



アロエの花もたくさん咲いていました。



アロエの花と、トッポの記念撮影です。


トッポ、『この夫婦、ばかばかしくてみてらんねぇ!



トッポパパ、『はぃ、こっち向いて!』



葉牡丹の前のトッポです。



これはなんだか分かりません。 なんの花でしょう?



爪木崎の海岸です。



さて、残り5kmです。 頑張ります。

続く..................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その60の2 『奈良、春日大社』

2009年01月25日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
幣殿と舞殿です。
南門をくぐると正面にあります。 東側2間を幣殿といい、西側3間を舞殿というそうです。
幣殿とは天皇陛下のお供え物である御幣物を一旦納める建物で、舞殿は宮中伝来の御神楽を行うための建物です。



ご神木と説明されたような気がします。



中門は本殿の前の楼門です。
約10mの高さがあり、御廊は中門から左右に約13mで、鳥が翼を広げたように延びています。
本殿では昔、興福寺の僧侶が御経をあげる場所でした。



直会殿です。
軒下に多数の灯篭が吊り下げられており、他の社殿と異なる一寸変わった雰囲気です。



回廊は四方を巡る建物です。



南門前から御間道(おあいみち)を通って行来ます。



写真に見られるように、御間型燈籠(おあいがたとうろう)たくさん並んで立てられています。



道を渡って、木が枝を伸ばしています。



二の鳥居の近くにある、手水場です。
ここの手水場の水は、奈良らしく鹿の像が口にくわえている筒から出ています。
春日大社と鹿の関係は深いのでしょう。



それでは奈良より

ウォーキンググランプリー下田大会、 その5

2009年01月24日 | ウォーキンググランプリー公式大会
風が強くなり、トッポの耳もたなびいています。
身体は汗をかいているので寒さはさほど感じませんが、休むとやはり肌寒いですね。



こんな道や、階段を上がったり下がったりしながら歩いています。
最初は上りが堪えましたが、結構下りも荷物の重量がかかるので、運動不足の膝には堪えます。



太平洋を臨む半島の先端に近いので、風が強いと白波が多く見られます。



トッポと海岸に下りてきました。



風邪が強いので、トッポの耳もダンボみたいです。



5Km地点の恵比寿島が、あんなに遠くになりました。



暫く歩くと、8km地点の爪木崎の灯台が遠くに見えてきました。
まだまだ距離はありそうです。



その後写真を撮る余裕もなく、ただひたすら前へとぼとぼ状態が続き、やっと水仙で有名な爪木崎近くに到着です。



8Km地点の爪木崎です。
ここで、待望の休憩です。



続く...............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その60の1 『奈良、正倉院、奈良公園、春日大社』

2009年01月23日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
正倉院です。
近くに入ることが出来ないので、塀越しでの撮影です。
奈良時代は重要な倉庫のことを正倉とよんだそうで、正倉院はった奈良の東大寺に付属していた正倉です。
正倉院は高床の校倉造(あぜくらづくり)倉庫で、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとして、天平時代の多数の美術工芸品を収蔵しています。



奈良とは全然関係がないのですが、ブログに写真を載せ始めて3年以上たちましたが、気がついたら正倉院の写真がちょうど10000枚目の登録写真でした。
区切りがいいので、記念に写真を撮ってみました。



奈良公園です。
奈良公園の鹿はよくテレビでも紹介されています。



奈良公園及びその周辺で生息する鹿は飼育されていないニホンジカで、国の天然記念物に指定されている野生動物です。



公園内の大部分は芝生で、約1200頭の鹿が放し飼いされているようです。
修学旅行で鹿せんべいを買ってあげたのを思い出しました。




奈良公園の鹿は春日大社の神使として、手厚い保護の下で野生の繁殖をしているそうです。
これは春日大社創建の際に、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられているからのようです。



奈良の都は、約1300年前の710年に飛鳥藤原宮から平城京に遷都しました。
長岡に移るまでの74年間国政を司り、天平文化が栄えました。
この時代の信仰の場として東大寺、興福寺など南都七大寺と春日大社等の社寺仏閣造られました
春日大社はもともと藤原北家の氏社として創建され栄えました。



清浄門です。(同じような門がいくつかありますので違っていたら、すいません。)
西回廊の中央に位置し、かつては僧正門と呼ばれ、興福寺の僧侶が参入していた門とのことです。



南門です。
春日大社正面の楼門で、表参道を歩いて回廊内に入る時に潜る門です。
高さは12mで、春日大社最大の門です。



続く.................................................................。

ウォーキンググランプリー下田大会、 その4

2009年01月22日 | ウォーキンググランプリー公式大会
5km地点で味噌汁サービスにほっと一息です。
トッポも欲しいと騒いでいますが、味噌汁はダメですね。



遅れているので、すぐ出発です。



トッポもウォーキングに参加しているつもりなのか、比較的よく歩いてくれるので助かります。



今度は一転して太平洋側の景色になります。



海の青さと岩礁の景色が素晴らしいです。



ところが遊歩道は階段や急激な上り下りで、膝がガクガクになってきました。



途中の景色がいいので、写真!写真!を理由に休み休みのウォーキングです。



ウォーキングはしないで、伊豆の景勝地を撮るために持参したフルサイズのカメラですが、歩いているときは首が痛くなります。
背中に背負えば楽なのでしょうが、それでは撮りたい時に取出しが面倒くさいので我慢です。



ママのコンパクトカメラで記念撮影です。
ママ曰く、ほとんど変わらないじゃん。(ジャンは横浜の方言です)
トッポパパ、『........................



まだ半分も歩いていませんが、アップダウンの遊歩道は3倍ぐらいの体力の消耗をするようです。

続く..................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その59の2 『奈良、東大寺、興福寺』

2009年01月21日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
奈良の大仏は聖武天皇の発願で745年に制作が開始され、開眼供養会(かいげんくようえ)が行われたのは752年です。
現在の奈良の大仏は 1692年に造られたもので、奈良時代のもので現存するものは台座のごく一部分です。



高さは16mもあり、大仏殿に入るとその大きさに圧倒されます。
大仏さんのお顔は、毎年元日と8月15日に金堂の正面上部の扉が開扉され、お顔が見られるそうです。
実際には、中は薄暗くあまりはっきりは見えません。
明るさの調整をかけて、浮き上がらせた写真です。



奈良の東大寺は全国の国分寺の総本山です。
この角度で見る大仏さんの顔は慈愛に満ちています。
大仏殿は現在でも世界最大級の木造建築ですが、創建時は現在の大仏殿よりも大きかったそうです。
写真だと分かりませんが、目の長さだけで2mあります。



広目天の像です。
大仏殿内の西北隅にあります。
四天王のうち西方を守る神で、筆と経巻を持っています。



多聞天像です。
大仏殿内の東北隅にあります。
四天王の一つで、北方を守っています。
左手に矛を持ち、右手で仏塔を捧げています。



赤仏と呼ばれています。
皆さん、ありがたい仏像なのでしょう、皆さんが手で触れていました。
しかし顔は少し不気味ですね。



南都七大寺の中で最も密接に奈良の街とつながりを持ちながら発展した興福寺へ来ました。



国宝の五重塔と東金堂です。
東金堂は1126年、聖武天皇が伯母にあたる元正太上天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建しました。
現在の建物は1415年の再建ですが、それにしても古い建物です。



有名な五重塔です。
730年に、光明皇后の発願で創建されました。
現存の塔は1426年ごろに再建され、高さ約50mで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い塔です。



周辺をもう少し回って見ます。

続く..................................................................。

ウォーキンググランプリー下田大会、 その3

2009年01月20日 | ウォーキンググランプリー公式大会
トッポ、『写真撮りながらだと、どんどん抜かされてしまうよ!』



だんだん風が強くなってきました。



ハリスの小径へ入ります
ペリーが来て2年後の1856年に、日本総領事に任命されたタウンゼント・ハリスが下田の玉泉寺にアメリカ総領事館を設置します。

今でも、玉泉寺には、ハリスの記念館があり、彼の遺品や当時の記録が陳列されています。
ハリスの小径は玉泉寺から約400m離れた海岸で、ハリスが散策していたといわれる小径です。



道路とは離れているので静かで、下田港の豪華なヨットを見渡せます。



一般道は車も通るので、トッポはバッグの中です。



途中で見える海の景色も、なかなか綺麗です。



ちょっと小休止です。



5km地点の須崎半島に到着しました。
右は釣り場として人気のある恵比寿島で、島と陸は橋で渡ることができます。



ここまでは緩やかな上り下りはあるものの、比較的順調に来ました。
足はちょっと疲れていますが、トッポも歩いてくれたので助かりました。
5Km地点で味噌汁サービスを受けて、これから須崎歩道に入ります。



これからが大変のようです。

続く.................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その59の1 『奈良、東大寺』

2009年01月19日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
東大寺に到着しました。



東大寺の大仏殿は金堂で、創建は奈良時代になります。
現在の建物は江戸時代の1709年に公慶上人によって再建されました。



728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まりです。
最初の大仏殿や講堂などの伽藍が完成したのは789年とのことです。



大仏で知られる奈良時代の代表的な寺院で大仏殿は世界最大の木造建築物になります。
1180年平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を焼き払われてしました。
さらに重源上人によって再興された大仏殿も、1567年三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。
現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものです。



現在の大仏殿の規模は創建当初に比べて、東西が3分の2に縮小されてしまいますが、完成までに20年以上の歳月を要したそうです。
建物は一重裳階つき寄棟造り・本瓦葺きで、約東西57m、南北50m、高さ48mにも及びます。



大仏殿の前庭にある『八角灯籠』です。
この八角灯籠は、わが国最古最大の鋳銅製灯籠です。
ねっと情報によると、太平洋戦争後、アメリカの文化財の分かる高官がこの灯籠を見て、もしアメリカが日本から賠償金を取るならばこの灯籠で充分と言われたという話があるくらい価値のあるそうです。



八角灯篭の浮彫文様は『音声菩薩』と『唐獅子』で各四面ずつ配置されています。



近くによって見ると、その大きさが実感できます。



韓国からの韓国の衣装での観光客も多く見られました。



次回は中の大仏を紹介いたします。

続く..................................................................。

ウォーキンググランプリー下田大会、 その2

2009年01月18日 | ウォーキンググランプリー公式大会
遊覧船は下田港から出て行きます。



トッポ、『さぁ、行かないと間に合わないよ!』
そうなんです。 
話が急展開して、トッポパパも下田ウォーキングに参加することになってしまったのです。
で、トッポは?
置いていくわけにも行かず、強制連行となりました。



スタート地点は、道の駅下田みなとです。
見るからにウォーキングが趣味?のような人たちが続々と集まってきました。
トッポママは別として、トッポパパは歩くのは趣味でもないし、どちらかといえば車で移動のほうがうれしいのです。



出発前に下田太鼓の音が響き渡ります。



ウォーキングの準備などしていないトッポパパは、まるで兵隊さんのような格好でスタートラインで待たされています。
カメラ機材3Kg、トッポとバッグ5Kgで合計8Kgのハンディを背負って、無謀にも13Kmのウォーキングに挑戦です。
しかし、ひどい格好ですね。 自分でも情けなくなります。



数百人がいっせいに歩き始めました。
せめて起伏のない道のウォーキングであることを祈りながら、おおよそウォーキングに関係ない服装で参加させられたバカ親父です。



30Km、20Kmそして13Kmのコースが選択できるそうですが、もちろん初めての経験なので13Kmを選択しました。(2Kmとかいうのはないそうです。)
トッポパパ、『何で金払って、歩かなけりゃいけないんだ!』と思いながら出発です。
(一人1500円が参加費です。 味噌汁一杯つきですが。)



トッポパパ、『トッポ! 歩けるところはできるだけ歩け!
トッポ、『はいよ!



1Kmも歩くと、もう出発点は遠くになってしまいました。
水仙コースということで、写真でも撮ろうかという一言が災いのもとでした。



さてさて、運動不足のトッポパパと老犬トッポはどうなるのか、次回以降のお楽しみです。

続く.................................................................。

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今日から、ちょっと韓国へ出張になります。
ソウルは寒そうですが、頑張ってきます。
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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その58の2 『奈良、薬師寺』

2009年01月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
『大講堂』です。
講堂は、1852年に焼失後の跡地に35年の歳月をかけて創建当時の半分の大きさで再建されました。
薬師三尊像が安置されていた。
大講堂は正面41m、奥行20m、高さは約17mあり伽藍最大の建造物です。
大講堂も裳階付きで、眼にも鮮やかな天平の彩色で生き返りました。



重要文化財の『弥勒三尊像』です。 
大講堂に安置されている弥勒三尊は、向かって右は法苑林菩薩(ほうおんりんぼさつ)で、左は大妙相菩薩(だいみょうそうぼさつ)です。
現在、この大講堂は唯識教学の真の研鑚道場として使用されているようです。



これも国宝の『仏足石』です。
お釈迦さまが亡くなった後、約3~400年間はインドには仏像がなかったそうです。
これは仏さまを形に現わすのは勿体ないと考えられたとのことで、そのかわりに、仏さまの足跡を石に彫ったり、菩提樹や法輪に祈りを捧げたようです。



この仏足石は側面に記される銘文によると、インドの鹿野苑(ろくやおん=お釈迦さまが初めて法を説かれた所)の仏足石をもとに、753年に刻まれたことがわかる日本最古の仏足石とのことです。



『釈迦十大弟子です。
2500年ほど前、インドでお釈迦さまやその多くのお弟子さまが、日々厳しい修行をされていました。
中でも優れた十人が釈迦十大弟子です。



『金堂』です。
金堂は1528年にこの地域の戦火により、西塔と一緒に焼け落ちてしまいました。
金堂の本格的再建は1967年高田好胤師(前にテレビで拝見した記憶があります)が晋山し、百万巻写経勧進による金堂再建を提唱し、全国に写経勧進に歩かれ、その結果1976年に白鳳時代様式の本格的な金堂が復興しました。
「金堂は長さは26.6m、奥行の長さは15.5m、高さは20.4で20世紀最大の二重二閣入母屋造りの建造物です。 



本尊の『薬師如来(白鳳時代)』です。
右に日光菩薩、左に月光菩薩をしたがえています。
薬師如来は白鳳彫刻の作品として、また世界でも有数のブロンズ像と高く評価されています。



『月光菩薩』です。
薬師如来像は静の姿勢で、脇侍(わきじ)の日光菩薩像 、月光菩薩像は動の姿勢といわれています。
日光菩薩像、月光菩薩像は中尊側の足を立脚、外側の足は膝を心もち曲げて遊脚としやや腰を捻っています。
インド舞踊の手足や身体を小刻みに動かすことで、物語を語るポーズがベースとなっているそうです。



本尊台座にはギリシャの葡萄唐草文、インドの福神像、中国の四方四神、周囲にはペルシャの蓮華文が彫られています。
奈良時代の東西交流の国際性を示すものとされています。



正にシルクロードが奈良まで続いていたのでしょう。
   


薬師寺の紹介は大変ですね。 写真だけだと、何がなんだか分からないので、案内書やネットの情報をまとめてみたのですが、間違いもあるかもしれません。
その辺はご容赦お願いします。



反対側の入口より出て薬師寺を後にしました。



さすがに歴史の重みを感じました。
次は東大寺へ向かいます。

ウォーキンググランプリー下田大会、 その1

2009年01月16日 | ウォーキンググランプリー公式大会
下田港でのトッポです。
最近はウォーキングとか言うのが、健康のために流行のようです。
ある日突然、トッポママがウォーキング・ラリーに参加すると言い出しました。
ところで場所は?...........下田とのことです。



賛成したのはいいのですが、下田ウォーキングの出発時間(受付時間)に間に合わせるには、横浜を電車で早朝に出発しても間に合わないので、前泊ということで大室山近辺でトッポと一緒に宿泊して、朝一番に下田に到着です。
早朝の道の駅下田みなとから黒船ホテル方面の景色です。



当初の予定は、トッポを一人家においてくるのは可哀想なので、トッポパパはトッポと二人で下田周辺をのんびり散策しながらトッポママのゴールを待つという予定だったのですが............。



その話の続きは後にして、ペリーの黒船を再現した遊覧船が下田港に入ってきました。



下田港内にある遊覧船、『サスケハナ号』と一緒に記念撮影です。



トッポ、『僕は乗れないの?』
トッポパパ、『トッポは、これから頑張らなければいけないの!



この遊覧船は、下田-石廊崎間を航海しているようです。
本当は、船にでも乗ってのんびり景色でも楽しめると思っていたのですけど



遊覧船の出航の写真です。
ちょっといい感じの写真になりました。



朝の日差しを浴び、目を細めて遊覧船を見送るトッポですが、近くについているゼッケンが気になりますね。



さて、次はどうなるのでしょう。

続く.................................................................。