TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

『ねぇ、どこ行くの?』  『抜糸!』 『また入院?』  闘病報告 最終章

2005年10月15日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
今日は待ちに待った抜糸の日です。
だいぶ元気になったトッポは、ドライブだと勘違いして最初は大喜びしていました。





ところが車に乗って暫くは尻尾を振っていましたが、入退院を3回繰り返したのと最近は車に乗ると病院へ連れて行かれると思っているのか、ちょっと不安の表情です。





アレー! お婆ちゃんと叔母さんまで見送りしてくれるので、嬉しさ半分不安半分なのでしょう。
バカ親父は、初めて何の心配もせずママと世間話をしながら病院に到着。

診察待ちの間、何人かの人がトッポをみて笑顔、そしてトランプをみてアラマーって顔で驚いていたが、バカ親父も今日は余裕の笑顔です。

待つこと30分、診察がはじまった。

院長先生、 『トッポちゃん、いかがですか?』
(本当にここの病院は院長先生をはじめ、皆さんが優しく動物に接してくれているので評判がいいのですね。 言葉の大切さを実感しました。)

バカ親父、 『おかげさまで、日に日に元気になっています。 ありがとうございました。』
院長先生、 『よかったですね、ちょっと歩かせてみてくれませんか?』

院長先生、 『大丈夫のようですね。 手術は成功したようですね。』
バカ親父、 『(まだチョット不安なので) 椎間板の髄核を除去するとクッションがなくなるので、首の動きは大丈夫なのですか? またあとで、髄核物質がでてきて再発は?』

院長先生、 『すでにクッションの機能はしていませんので問題はありません。 (??) 取り除いた髄核のところは、他の組織が入り込みます。』
バカ親父、 『では、もう首は再発しないと考えていいのですか? あと背中から腰にかけては、あまり無理をさせないでヘルニアにならないよう注意すればよろしいのですね。 (しつっこいバカ親父だね。)』

院長先生、 『首は心配ないでしょう。 (レントゲン写真を再度細かく見ながら) 背中から腰も今のところも飛び出している様子はないですね。』
バカ親父、 『無理をさせなければ、大丈夫ですかね? (しつっこいね)』

院長先生、『 (笑いながら) 運動させたからヘルニアになるとかではなく、安静にしていてもある日突然ということもあるのです。 この種の犬の宿命ですね。』
バカ親父、 『やはり遺伝(DNA)のほうが、原因になるようですか?』

院長先生、『そう思います。 過激な運動が引き金になることはあるかもしれませんが、それが絶対とはいえません。』
バカ親父、『ありがとうございました。 (ママが一番聞きたかったこと) シャワーは浴びてもいいですか?』

院長先生、『今日は抜糸しましたので少し抜糸後の穴がありますので、明日ならいいでしょう。』
(良かった、やっと洗ってあげられる。)
バカママ、 『あの、食餌は痩せさせるためには、3回に分けてあげたほうがいいと言われてますが、どうすればいいですか? (この先生は外科の先生だよ、栄養士じゃないんだから)』

院長先生、『食餌のことは分かりません。 (ホラ、思った通りだろ)  太らせると負担がかかるので、太らせないほうがいいですね。 太ってきたら、10%ぐらい食餌を減らしてあげればいいでしょう。』
バカ親父、 『(どさくさにまぎれて) あの、病気だったので爪をずっと切っていなかったのですが? 黒い爪は、どこまで切っていいのか心配で。 (どっちもどっちですね。)』


てなことで、アッという間の抜糸とブラックジャック先生に爪まで切らせて、診察終了。 
あとは一ヶ月後にもう一度診察しましょうとの事でした。

もうこれで安心だという気持ちで、車の渋滞も気にならず帰宅。
トッポはまた入院か?という恐怖感の疲れか、帰宅後ケージの中でバタンキューで爆睡中です。

今日はこれからカメラ操作の勉強して、明日トッポの2ヶ月ぶりのシャンプー後の写真を載せる予定です。 トッポ良かったね!

本当にみなさん、ご心配おかけしました。
そして、ブログを通して多くの応援の投稿ありがとうございました。
これにて、闘病報告のカテゴリーは終了いたします。

家族一同、本当にありがとうございました。






顔色がよくなったトッポ! そして、新しいカメラ! 闘病報告 26

2005年10月14日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
毎日帰宅するたびに、トッポが元気になっていく。
顔色?も、すこしづつ本来の顔に戻ってきているようです。
もう70%ぐらい回復したように思います。
本当に皆様の応援のおかげです。




トランプ犬の写真を撮ろうと、剃り跡の上にスペードのエースを乗っけて写真を撮ろうとしたら、ママに怒られました。

トッポはトランプを振り払い、ベッドに逃げてしまいました。
カメラを向けると、剃り跡と傷跡を見せないようにソッポを向いています。

ヤッパリ、嫌なもんだよね。 トッポ。 ゴメン!

偶然ですが、首の剃り跡の白い部分とベッドの白い縁取りが重なって胸の剃り跡が分からなくなっています。 
トッポ! 役者だねー!(笑)





そろそろ新しいデジカメが欲しくなったので、昨日友人と下調べに行きました。
今までの写真は、ソニーの Cyber Shot 5.0 Mega Pixels MPEG MOVIE EX で撮っていました。 
Carl Zeiss のレンズにつられて購入したものでした。

今日帰りがけに、再度立ち寄り購入してしまいました。
今度は、Canon の EOS 20D に EFS 17-85mm のレンズにしてみました。
トッポが元気になれば、いろいろなところに連れて行って写真撮影をする予定です。

傍で、ママが馬鹿! と怒っています。
(無視、無視! なぜか遠くの島で喜んでいる人がいるようですが。)





猫に小判といわれそうですが、これから頑張って使いこなせるようにします。
すぐには無理でしょうが乞うご期待です。


退院3日目。 少し起きてる時間が長くなった。 闘病報告 25

2005年10月11日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
まだまだ寝ている時間が多いのですが、少しこんな感じで周りの様子をみています。 
こっちにおいでと声を掛けると、寄り添ってきます。




こうやって見ると、本当に広範囲にわたって剃られたねーって感じです。
何か、お洒落なマントを着ているみたいですね。

傷口見てると、漫画のブラックジャックの顔をおもいだしました。

ブラックジャックは大病(事故?)をしたとき、皮膚の移植をしなければ命が危ないからと、肌の色の違う人に移植をしてもらい大きな縫い傷跡は残ったもののこの移植のおかげで一命が助かったそうだ。

そして、それが医者になろうとした理由で、感謝の意味で整形手術も拒否したのだと記憶している。
(子供のときの記憶ですので、間違ってたら、ゴメンナサイ!)

トッポの傷跡も、ブラックジャック先生の手術跡だから、自慢していいんだね。
早く元気になって、先生を喜ばしてあげようね。

しかし、髭は伸び放題、シャンプーはまだできないからひどい顔ですね。
耳毛はウエット状態で、いまいちですね。
(トッポ気にするな! そういえば高いお金払って、わざわざそんな髪の毛にしている女性もいっぱいいるから...............??)





トッポが帰ってきたら、向日葵がまた咲き始めました。 
今までは、途中の蕾がひらいていたのですが、今は一番上の向日葵が咲いています。
向日葵も、トッポの帰宅を喜んでいるようです。






向日葵が咲くのにつられるように、隣のアサガオも花をつけました。
ママの実家からもらったアサガオの鉢でしたが、花の名前は分かりません。
蔓のないアサガオです。 
咲かないのかなと思っていましたが、これもトッポの退院にあわせて咲いてくれました。

退院2日目。 甘えん坊トッポと規則正しい食欲。 闘病報告 24

2005年10月10日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
我家にも、やっと穏やかな休日が来たような気がします。
トッポが元気でいてくれるだけで、こんなにも違うものかとしみじみ思います。



まだ四肢の萎えた筋肉が快復しきれていないのでしょう。 少し歩いては寝て、また暫くして歩いては寝るの繰り返しですが、無理をせず徐々に筋力アップを心がけてあげようと考えています。
度重なる入院生活で人恋しいのでしょうか、ママに抱かれると離れようとしません。 
母親は子供を抱いて育てた経験なのでしょう。  多分抱き方がうまいのかトッポもベターとくっついています。
バカ親父の場合は抱いてあげても、お腹が邪魔なのかすぐに離れたがってしまいます。



ゆっくり寝ていればいいものを、食餌時間が分かるのか (トッポの腹時計は非常に正確なのです) 少し前からドアの前でこのように待機の姿勢です。
このモードに入ると、食餌がくるまで、何を言っても無反応です。 食欲に優るものなしです。
手術後病院の先生と電話で話をした時、『食欲はありますねー』と感心したように言っていた。
そういえば、首を上げることも出来なくなった手術の前日でさえ、悲鳴をあげても口まで食餌を運べば1-2粒づつでも、懸命に食べようとしていた。
これがトッポの生還を支えた生命力の源だったのでしょう。



食餌の器をみると、ごらんのように尻尾を振り回して興奮します。
毎日、肥満防止のRD食を与えているのに文句も言わずに、喜んでいてくれています。
トッポの最大体重は6kgになったことがあり、最初の入院前後が5.4Kgでした。
その後、減量を心がけ手術当日は5Kgにまで落とせました。
今は、多分4.4-4.3Kgではないかと思います。

二周りぐらいトッポは小さくなった感じがします。 最大時に比べると3分の2ですからね。 ダイエットは成功ですね。 今度はリバウンドに注意です。
しかし、このトランプ犬みたいな背中は可愛そうですね。
冗談で、アデランスかなとも考えたが、費用もたくさんかかったことだし、トッポには、”禿じゃないんだから、自分で生やせ!” と言っています。



しっかり四肢を踏ん張って、食べているトッポを見ていると、早々に走れるようになるのではと期待しています。
当初は、今日が1週間目の退院の日だったのですが、トッポの予想外の快復の早さに、ビックリしています。
ヘルニア手術は手術のタイミングで後遺症の残り具合が大きく変わるとわかっていましたので、トッポの場合は奇跡的に間に合ったのだと安堵しています。

トッポがへそ天で寝てる! 手術創が痛そー !  闘病報告 23

2005年10月09日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
家族全員がホッとして、穏やかな気持ちで日曜日を迎えた。
みな、それぞれ用があるとかで、今日はトッポと二人で留守番です。





手術で体力を消耗したのでしょう、少し歩いては体力回復のためによく寝ている。
カッと目を見開いて痛さに耐えていたときの表情とは違い、ひたすら穏やかな寝顔で寝ているトッポをじっと見ていると、あらためて ”よかった! 生きて帰れたね。” と感じる。

〈自分もどこかに激痛を想定して、我慢の状態を演じてみてください.......ほら、目に力が入るでしょう? カッと見開くとはこの状態です。)

傷口が完全にふさがるには、あと2週間ぐらいかかるとの話でした。
もうすぐ、体を洗ってあげるからな。

自慢の、風にたなびく長い毛を復活させてやるから、今はひたすら寝なさい。

トランプ2枚分と首と背中の剃り跡と手のひら大の首下の剃り跡は数ヶ月もすればまた元のようになるだろう。

娘が話していた。 『犬は毛が伸びてくれば、手術の後は見えないから心配ないね。 人間だったら、大変だよね。 (お嫁にいけない??)』




気持ちがいいのか、ついに ”へそ天”で寝ている。
数週間ぶりのへそ天寝である。 傷は痛くないのかなーと思い覗き込んだ。





10針前後縫われています。 針間が1cmぐらいとして10cmぐらい切開されたようです。
人間との体長比を考えると.............大変なオペですね、これは!


手術の翌日、食餌を食べたと聞いたときの話です。



バカ親父、 『麻酔がどの程度まで、醒めれば食餌を食べていいのかね。 でもどうやって判断するのかなー?』

ママ、 『手術した後? 人間と同じじゃない?』

バカ親父、 『??? どうやって?』
ママ、 『だから........、ほら、おならがでたら大丈夫だって。』

バカ親父、『!!??、 エッ? だけど、人間は ”おなら出ました” っていえるけど、犬は言えないけど、どうするの?』
ママ、 『......................』

時々、我家はこういう会話があります。 楽しいですね。


号外! トッポ奇跡の生還なる! これは夢じゃない。  闘病報告22

2005年10月08日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
午前10時ごろ病院へ到着。
とても優しい感じの受付の女性から、トッポちゃん元気ですよの一声で、本当に連れて帰れるんだとの実感がした。


(ゲージの中に戻ったトッポ。まだ、なにかにとまっどっているのか?)

院長先生より先に説明があった。
レントゲン写真を指しながら、

院長先生、 『この椎間板が大きく突起していました。 相当痛かったと思います。』
バカ親父、 『全部とれましたか?』

院長先生、 『第7頚椎部分?は取れませんでしたが、通常第3から6頚椎で発症しますので大丈夫でしょう。』
バカ親父、 『先生の記述の中に、造窓手術とありましたが、他の椎間板はその手術がおこなわれたのですか?』

院長先生、 『はい。 その他の頚椎の隋核も取りましたので、他の頚椎も問題ないと思います。』

とにかく、トッポちゃんに会わせましょうねとの院長先生の本当に優しい言葉でした。



(こんな格好で登場しました。 この写真は帰宅後、家で撮ったものです。 立ってるよ、本当に!。)


背中の2箇所の剃り跡をみて、これは大変だったんだなーと思いながら、

バカ親父、 『腰の手術もしたのですか!?』
院長先生、 『これは、検査のためのものです。 首の上は頭の腫瘍検査のためのものです。 頚椎の手術は首の下から切開しておこないました。』

バカ親父、 『腰などの椎間板は問題がないのでしょうか?』
院長先生、 『腰6頚椎1ぐらいの発症比率ですので、先のことはなんとも言えませんが。 現在のところ異常はないようです。』

(もうそれだけで十分です、それ以上を望んだらバチがあたります。 本当に感謝しています。)

トッポは帰りたい一心なのか、布製のゲージの中に突進し、中に入って動かず。



(家に戻っても、人恋しいのか抱いてくれと擦り寄ってくる。)


バカ親父、 『大学病院でも、2-6週間の入院で、予後1-2ヶ月のリハビリと聞いていましたが。』
院長先生、 『....................』

バカ親父、『この後、家での薬や治療はどのようにすればよろしいのですか?』
院長先生、『薬は何もいりません。 抜糸まで1週間から10日必要です。 手術あとの痛みが少しありますから、1週間くらい安静にさせてください。』

バカ親父、 『ケージに入れて、おとなしくさせておけばいいのですね。』
院長先生、 『ケージじゃなくても、部屋の中歩いていても大丈夫ですよ。 過激な運動さえしなければ。 散歩は、1週間後なら、大丈夫でしょう。』

〈この先生の、この自信? 経験? すごいですね。 死にそうなトッポ連れて行って大手術して、まだ5日しか経ってないのです。 スゲェー!先生ですね。)


(家でまじまじとみて、こんなに切開したのか! ほんとに3時間もの大手術なのに。トッポ痛くないの? 痛み止めの薬も飲んでないのに。)

バカ親父、 『では、1週間後の土曜日に抜糸にくればよろしいのですか?』
院長先生、 『それで結構です。 お大事にしてください。』

本当に、奇跡が起きたと思っています。 11月18日を待っていたら、今週間違いなく、トッポのお葬式だったはずなのに!

ブラックジャック先生、ありがとうございます。


そして、見事な手術に! 



(病み上がりなので、少し動くとバカ親父の匂いのしみこんだ掛け布団の上で、休んでいます。)


まだまだ、皆さんの応援に感謝する意味でも、もっとたくさん報告をしたいのですが、とりあえず号外として、第一報をご連絡します。

蛇足 : もっと早く報告をしたかったのですが、メモリースティックの突然の故障で遅れました。 

トッポ明日退院だ! 凄いぞ、信じられない回復力だ! 闘病報告 21

2005年10月07日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
トッポに、突然、退院の許可がでた。 土曜日には退院です。
四肢が動かせず急死直前のトッポが、大手術に耐えた。 翌日には食餌を食べ、その翌日にはフラフラしながらも立った。 そして、いま歩き始めていると。

まさに、メイク・ミラクルである。


(もう写真がない、これは申年の正月用写真の一枚です。 帰ってきたら、たくさん撮ってあげるからな。)




順調に回復に向かっていると聞いているが、どの程度の回復なのかは見てみないうちは多少不安を持っていた。 
いったい、どんな状態で帰ってくるのか、自宅で何をしなければならないのか、いろいろ思い巡らしながら今朝病院へ電話を入れた。

バカ親父、『たびたび、申し訳ありませんが、その後いかがでしょうか? (毎日だけど)』
先生、 『順調です。痛みもなくなったようです。』

バカ親父、 『来週退院と聞いていますが、どのような準備をしておけばよいのでしょうか? オムツとか?(笑) 排泄はできていますか?』
先生、 『もう歩いていますから、いらないと思います。』

バカ親父、 『(ビックリだ!、歩いてる!!) 寝たまま引き取るのではなく (念を押すように)、 ケージの中に入れて引き取れるのですか?』
先生、 『大丈夫でしょう。』


なんというトッポの生命力だ! 本当に、これが現実の話なのか?
通常の椎間板ヘルニアでも、末期になると2-3週間の入院、予後1-2ヶ月のリハビリと聞いていた。 まして、トッポはこのままだと急死を待つだけの重症の頚椎ヘルニアの手術を受けて (大量の椎間板の髄核物質が溢れたと聞いている)、この回復力は!!

本当に、すべてのこの1週間の動きが奇跡だったのだろう。 
バカ親父は、100%の保証といったが、それは100%の願望であって確固たる自信があるわけではなかった。

良い医者に出会えたことに感謝します。 ブラックジャック先生、本当にありがとうございます。 

久しぶりに、すばらしい週末になりそうです。




トッポが立った! 奇跡の復活の幕開けだ! 闘病報告 20

2005年10月06日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
トッポは頑張っています。 そして、バカ親父は毎日感動しています。


(早くこの昔の写真のように、パパと遊ぼうね!)


昨日、病院は休診だったのですが、重症患者?の手術を依頼される病院なので、誰か術後経過を見守る人がいるはずと思い、迷惑も顧みず電話を入れた。

とても、丁寧な応対で他の先生が出てくれた。

バカ親父、『休みのところ、申し訳ありませんがトッポの容態はいかがでしょうか?』
先生、 『はい、少々お待ちください。 ........』

(ここが、よそと違うんだよな。 わざわざ、もう一度見に行ってくれている。)

先生、 『順調のようです。 おとなしくしていますが。』
バカ親父、『食餌はとれていますか?』

先生、『食欲はありますね。』
バカ親父、 『(ホッ! 食べるのは大丈夫と。) そうですか。 ところでおしっことかうん○は、自力でできていますか?(麻痺はどうなったのか、とても心配である。)』

先生、 『大丈夫のようです。 ゲージの中で、まだフラフラしてはいますが,立って歩きましたよ。』
バカ親父、 『立ったのですか! (寝たきりで、首さえ動かすのも痛がって、まして四肢に力がなくただもがいていた、あのトッポが立った。)』

先生 『まだ、手術の傷が痛いので、じっとしていますが痛みがなくなれば回復に向かうと思います。』
バカ、親父 『そうですか? ほんとうにありがとうございます。

全身麻酔に耐えられたことも、凄いことだが。 なんと、術後2-3日で立てるとは!! (院長先生も、このままだと急死しますよとまで言われたのに!)

これで、少なくても完全麻痺の危険は去ったと考えられる。 (で、いいんだよね?)

バカ親父のために、きっと最後の力を振り絞って頑張ってくれたのだろう。
トッポよく頑張った!


《これは嘘のような、本当の話です。》


手術の前日の夜中のことです。トッポが30分ぐらいの間隔で悲鳴を上げながらも、手足をバタバタさせ、もがきながら何とか立ち上がろうとしては、力尽きて荒い吐息を繰り返した。

10回以上もこれが続いたとき、そばで寝ているバカ親父の顔をみて、涙を溜めて 『パパ、もういいかな?』 と訴えたような気がした。

睡眠不足で、半ば朦朧としていたバカ親父が夢をみていた。

トッポが、ネコのような?、お化けのような得体の知れないものに肩を押さえられ、引きずられそうになっていた。

バカ親父は、これは大変だと、左手のこぶしを強く握り締め、その得体の知れない奴の顔面を強打した。

”ドーン” と家の中で音がひびいた。
隣の部屋からママが、『どうしたの! びっくりした! ベッドからおちたの?』

バカ親父、 『イテェー、夢見て壁ぶん殴った。』

次の日の朝、バカ親父の左手の中指から小指のこぶし周りが紫色に腫れ上がっていた。

もしかして、これでトッポが三途の川を渡らずにすんだのかもしれません。
なぜなら、そこから奇跡の序章が始まったような気がしています。

トッポ! トンネルを駆け抜けろ! みんなが待ってるぞ。 闘病報告 19

2005年10月06日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
トッポ! もう一息だ頑張れ! 


(この写真はトッポが初めてMM21へ行った時の記念写真です。)


きっと、トッポは皆さんの前に元気な姿を見せることができます。
期待して待っていてください。

バカ親父が、100%保証します。 奇跡の復活です。

...............................

本当は、もっと詳しい報告を1時間もかけて書いたのですが、操作ミスで消滅してしまった。
でも、悪い報告ではありませんので、明日まで待ってください。

チョット、疲れました。 

長いトンネルの出口が見えるか? トッポ誕生日をしような。 闘病報告 18

2005年10月04日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
トッポ、手術は終わったぞ! 麻酔からも醒めたか?
もう長いトンネルの出口が見えるだろ。 もう少しだ、頑張れ!
もうすぐトッポの誕生日だよ。 去年と同じようにやろうね。


(この写真は、去年の誕生日のものです。)



朝9時きっかりに電話した。 治療中ですので、30分後に電話くださいとのことでした。

30分後に電話して、緊張しながら、『トッポは大丈夫でしょうか?』
今回は別の先生が電話に出てくれた。 多分、院長は診察中なのだろう。

先生、『麻酔も順調に、醒めているようです。 まだ立ち上がることは出来ませんが、食事は食べましたよ。』
バカ親父、『食べたのですか!!?』

(信じられない、病院へ行く前日でもドッグフードを口まで運ばなければ食べれなかったのに。 昨日の夜の7時過ぎまで手術だったのでは? 人間なら、数日は絶対安静、食事などずっとあとの話なのでは。)

バカ親父、『このまま、順調に回復すると考えていてよろしいのでしょうか?』
先生、 『手術の為脊髄の腫れもあり、痛みもありますので動きませんが、痛みがなくなれば徐々に回復すると思います。』

バカ親父、 『では、大丈夫なのですね?』
先生、『脊髄の腫れがひどくなると圧迫死ということももありますが。』

バカ親父、『.............そうですか? 
先生、 『だいたい1週間ぐらいで退院できるでしょう。』

(脊髄の腫れなど、トッポは克服できる。 俺がついているから.... でも、何もできないけど。)

それにしても、どういう手術なのだろう。 大学病院ではギブスをはめたり、重症の場合は数週間安静で、リハビリに数ヶ月かかると言っていたが...........。
マジックショウの世界に、思えてくるのだが。

バカ親父、 『ギブスは、はめないのですか?』
先生、 『そのままです。』

???? いままで聞いていたことは、なんだったのか? 頭が混乱してくる。

でも、この病院の紹介の中に、最新の技術を持ち、院長は米国、日本の大学病院での執刀医として活躍し、現在は動物病院へ最新の外科医療を紹介していると記載されている。 もしかして、偶然そんな、ブラックジャックみたいな先生に手術をしてもらえたのでしょう。 

とにかく、後は回復を祈るのみです。
そして、トッポにとっても辛いでしょうが、何時の日か、座った、立った、歩いた、走ったと皆さんに報告できると信じています。

そして、バカ親父の唯一の願いはトッポを見限ったあの病院へ、11月18日前に元気になったトッポをつれて、餌だけ! もう一回買いに行くことです。

言わせて貰えば、入院したら麻痺して帰ってきて、胃に穴が開くから痛み止めの薬もくれず、どのように家で看病すればよいのかと聞いたら、多分寝ているだけでしょうからと平然と言い放った先生がいた。 そして、間に合わないので他の病院もあたらせてくださいと話をしたら、他の病院へ行くならと胃の薬もくれなかった。医療方法に、口は出さないが それなりの説明があってしかるべきなのにである。

でも、この悔しさとトッポの急変が、結果はともあれ今の状況に繋がったのであるから、これ以上はもう言わない。

でも、見せにに連れて行ってやるからな、待ってろよ。 

トッポ、根性出せ! もう少しだ。







奇跡が起きるかも! トッポ、よく緊急手術に耐えた! 闘病報告 17

2005年10月03日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
今日は、信じられないことだが奇跡としか思えない事が重なった。
トッポ、もう無理はするな! でも、ここまで耐えたのならメイク・ミラクルだ!




トッポの容態を看ながら、熟睡できないまま朝6時起床。 ボーとする頭で、シャワーを浴び、トッポを連れ9時にA病院到着。

書類手続きもそこそこに、院長の診察がはじまった。
こちらの説明に、真摯に聞いてくれた。 トッポの状態をチェックしながら...

バカ親父、『診察前に、一番の心配は、麻痺が回復してないので排尿困難との事で、もう24時間オシッコをしていないので非常に心配しているのですが。』
先生、『頚椎のヘルニアでは、通常排尿困難にはなりません。』

バカ親父、『トッポはオシッコをちゃんとしたところでしかしないのです。でも頑張っても痛さのために、できないのですかね?』
先生、『それもありえます。 本当に排尿困難なら、別の原因も考えないと...』

(前の病院の先生と、全然違うよ。 でも、落ち着いているし、毅然としている。 ちょっと、いい感じの先生のようだ。)

バカ親父、 『レントゲンを見たのですが、頚椎のヘルニアということはわかっているのですが。』
先生、 『レントゲンでは、頚椎のヘルニアとは断定はできません。 トッポと同様の症状は脳の腫瘍、頚椎?の癌と頚椎のヘルニアが考えられます。 すべてを検査してみます。』

(もっと大変な事になるのかなー! 

先生、『癌などの場合は、急速にひどくなるので......でも検査はしてみます。』
バカ親父、 『体力が残っているか心配なので、出来るだけ早く手術をお願いしたいのですが。 検査があるので、朝から何も食べさせませんでした。』

(1週間以内にでも手術してもらえれば、何とかなるかも!!)

バカ親父、『トッポは重症ですか?』
先生、『重症です。ヘルニアの手術は、毎日のようにしていますので、検査結果では今日でも手術します。』

(ハァー!! 何だこの医者は、只者じゃないぞ。大学病院でも1週間に何回かしかしないと、前の病院で聞いたのに。 今日!!!

バカ親父の独り言 (よかった。本当に良かった。この病院で一ヶ月後とでも言われたら、家族の心労とトッポの激痛に耐える体力も、限界なのでもう楽にさせてやろうとも考えていた。)

先生、『背中の椎間板ヘルニアは100頭手術して1頭前後リスクですが、頚椎のヘルニアは非常に難易度が高く3-4倍のリスクは承知していてください。』
バカ親父、 『リスクは承知しています。 よろしくお願いします。』

(この先生、すごい先生である。 ということは約95%は治してあげるということか? この先生との出会えたことが、奇跡かも!)

しかも、この先生の犬に対する態度は素晴らしい。 病気の、そして自分の子供を抱きかかえるように、”痛いよねー”といいながら抱きかかえているではないか。
前の先生は、”ほんとに、鳴きもしないし、どこが痛いのかなー”とまでいった奴いたぞ!

手術承諾書にサインして、病院を後にする。

3時過ぎに、病院へ連絡。

バカ親父、 『検査結果は? 手術できそうですか?』
先生、『軽い貧血が見られますが、血便はありましたか?』

バカ親父、『3日前に真っ黒な血便らしきものがありましたが、その後は普通の便でしいた。』
先生、『分かりました、もう一つの手術次第では今日または明日の手術になります。』
バカ親父、 『何とか助けてあげてください。よろしくお願いします。

4時15分、 病院より電話が入る。

先生、『ただいまから、全身麻酔を行い手術にはいります。!!!』
バカ親父、『(ひたすら....) お願いします。』

(こんな医者初めてだ! とんでもない医者に出会えたのかも

先生、『手術後、ご連絡いたします。』


この後の、数時間が長かった! 1時間、2時間 トッポの体にメスが入れられていると思うと、”トッポ死ぬな! 絶対に死ぬな!”と念じ続けた。


7時15分。 電話が入り、家族全員に緊張が走る。

先生、 『やはり頚椎のヘルニアでした。 手術は終わりました。 麻酔の醒め方も、今のところ順調です。』
バカ親父、 『ありがとうございます。 ヘルニアは全部とれましたか?』

先生、 『全部、取れたと思います。 明日の朝までは、トッポはウトウトしていると思いますので、明日9時以降に電話をいただければ、またご連絡いたします。』
バカ親父、『本当にありがとうございました。

トッポ! ここ2日程、目をカッと見開いたまま、寝ることも出来ない体でよく耐えた。 偉い、偉い!

まだ、術後の経過を見なければなんとも言えないが、よくみんな頑張った。
これで万万が一、不幸な結果になってもすべてに感謝しようと思う。

(奇跡の軌跡)

1.最後の最後に、A病院を探しだせたこと。
2.バカ親父のE-mailに、院長の返事がきたこと。
3.日曜の朝に、月曜日朝の院長の診察予約がとれたこと。
4.朝、もしかしてと思って食事を与えなかったこと。
5.最高の先生、そして経験豊富な先生に出会えたこと。
6.その日に手術等考えられないことが、現実になったこと。
7.そして、トッポに、最後の体力がまだ残っていたこと。

こんなことが、重なることがあるんだ! バカ親父、この勝負勝てるかも!

まだドラマは終わりではないが、皆さん本当にありがとう。




トッポ耐えろ! まだ助かる見込みが出来たぞ! 闘病報告 16

2005年10月02日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
昨日はバカ親父もママも一睡もできなかった。
排尿困難を併発したようで、ブルブル震えながらも懸命に四肢を踏ん張って、おしっこをしようとするのだが、痛いのか途中でガックッと崩れ落ちてしまう。

家族の中には、見かねて 『もう、頑張るのはやめな。!』 という声もあがった。
バカ親父は、まだなにかあるはずと、インターネットを夜中に駆使して、東京のA医療センターを探し出すことができた。

夜中に、A病院の院長先生に、状況説明と診察、手術を依頼できないかE-mailをいれさせてもらった。




家族の、もう会えないかも知れないから最後に顔を見たいとの言葉を、憮然とした気持ちで聴いていた。

とりあえず、排尿をさせなければ膀胱炎?とか他の合併症?を併発してしまうので、朝一番に病院へ連れて行った。

病院の待ち時間の間に、A病院に電話を入れ再度状況を説明し診察予約を取れることになった。 すこし、安堵の気持ちで、排尿の処置をしてもらう。
長い管を入れても導尿がうまくいかず、結局注射器の太いものを使用し、真空で引くような形で排尿することができた。

バカ親父、『やはり、痛いからおしっこができないのですか?』
先生、『痛みより、麻痺が回復していないので、オシッコができないのです。』

バカ親父、『このような状態では、自宅で看病もできないし、毎日何回か導尿のために通院は難しいので.....、ところで11月18日まで、素人考えでも体力が持つとは思えないのですが?』
先生、『...............』

バカ親父、『外科療法しか回復の見込みがなく、体力の温存も難しいのであれば、何とか他の病院で可能性をあたりたいのですが?』
先生、『......、飼い主さんの選択ですので。』


こんなやり取りの後、A病院に賭けるしかないと判断する。
明日、7時起きで病院へ行けば、院長先生が診察してもらえるとの事。

インターネット情報では、米国で執刀医としての経験も豊富であり、外科手術に関しては、最新の技術及び見識を持っている先生のようである。

帰宅後、この先生より返事が届いていた。 診察してみなければ、重症度は分からないので、予約を取って来院くださいとのことである。

A病院は、いろいろな病院からの紹介で重症の犬の外科療法をおこなっているとのことで、かすかに希望を感じている。

通院が出来る距離ではないので、多分3度目の入院となると思うが、手術のできる病院であれば、まだ希望をもてると思っています。

バカ親父、『これでだめなら、パパにももうできることはないのだ。 トッポ頑張れ!』


トッポ再退院! この意味するものは? 闘病報告 15

2005年10月01日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記

トッポが再退院した。 病院にいても同じですからとの説明である。
ほとんど寝たまま、動かない。 痛みをこらえているのか、微動だにしようとしない。



あと48日。 手術まで耐えられるか? 薬の投薬は、ここ数日やめている。
内臓に負担がかかるので、痛みを我慢するしかないようで、様子を見ながら薬をあたえるのだろう。

トッポ、どんなに痛くても食え! 吐いてもいいから、食え!
シャウエッセンさんなんか、洗面器に一杯吐いても食ってたぞ!
島流しさんも、吐きそうになっても牛皿押し込んで蓋して食ってたぞ。

トッポ、食わなきゃダメだぞ。 そして、手術しよう。
誰か、いま手術してくれる人はいないのか?
いまなら、絶対助かるのに! クッソー!! 

いろいろインターネットで調べたら、ある病院のヘルニアに関する記載から、下記のようなことが分かった。 頚椎の場合のほうが、やはり大変のようだ。



■椎間板とは

脊髄は脊椎(背骨)によって作られた脊柱管の中を通り脳からの指令を全身に伝え、また末梢の感覚などの情報を脳に伝える働きをもちます。
脊椎は椎間板によって強く連結されています。
椎間板の構造を断面で見ると中心部に髄核があり、その周囲を繊維輪が囲んでいます。
繊維輪の腹側は厚みがあるのに対して背側は薄く、繊維輪の断裂が起こりやすくなっています。
髄核はゼリー状の弾力性に富んだ構造をしており、脊椎に加わる衝撃を吸収する働きを持ちます。
この椎間板が脊髄に向かって飛び出し、脊髄を圧迫する状態が椎間板ヘルニアです。
 

椎間板ヘルニアが犬で最も起こりやすい場所は胸椎と腰椎の移行部(背中)と頚椎(首)です。
 
■頸部椎間板ヘルニアの症状

1度
激しい頸部痛のために首をすくめて動くのをいやがるようになる。この痛みは背中の椎間板ヘルニアに比べてとても強く、悲鳴をあげて痛がることも少なくない。
2度
頸部椎間板ヘルニアの症状が進行すると後肢の障害に加えて前肢にも障害が起こり、フラフラ歩行、転倒、重症になると起き上がれなくなる。
3度
四肢の機能が失わる。重度の頸部脊髄障害により呼吸の機能が妨げられ急死することがある。


■内科療法

 絶対安静により症状が改善することがあります。しかしながら激しい痛みが続くために手術が必要になることよくあります。

■外科療法

 全身麻酔をかけ、レントゲン脊髄造影法によって椎間板ヘルニアの発生部位を確認した後、ベントラルスロット法により、脊髄を圧迫している椎間板を取り除く方法です。外科的治療により約90~95%の症例で痛みの改善、四肢機能の回復が期待できます。同時に椎間板ヘルニアの再発を防ぐため、他の椎間板髄核を取り除く予防的造窓術を行うことも可能です。

●予防的造窓術

 椎間板は第1~第2頚椎間を除く全ての椎体間に存在します。このうち頸部椎間板ヘルニアの大部分が第2頚椎から第6頚椎の4つの椎間板で、胸腰部椎間板ヘルニアの約75%が第11胸椎から第2腰椎の4つの椎間板で発症します。椎間板ヘルニアの多くは、この好発部位の椎間板のうち一つがヘルニアを起こして発症します。治療により回復した犬に再び椎間板ヘルニアが起こってしまうことがあります。これは一回目に起こった部位とは別の椎間板にヘルニアが起こるためにおきます。予防的造窓術は、椎間板ヘルニアの減圧手術時に、他の椎間板の髄核を取り除くことで椎間板ヘルニアの再発を予防するために実施する手術です。

『再度入院、でも頑張れトッポ! 助けてやるから。』  闘病報告 14

2005年09月24日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記
トッポが再度入院してしまいました。 ケージの中の写真では寂しそうなので、少し昔の写真を見てあげてください。




病院へ行く支度をしていたら、もしかしてドライブに連れて行ってくれるのかと、弱弱しく尻尾を振っていたトッポ。 

何とか、悲鳴をあげさせずケージに入れ、急ブレーキ、急発進なしの安全運転で病院に到着。

待合室のケージの中で、痛みを感じたのか診察前から鳴き出した。

医者、『いかがですか?』
バカ親父、『やはり、薬が効かないのか時々悲鳴をあげます。 あとは、ほとんど痛みを我慢しているのか、横になっているようです。』

医者、『(カルテを見ながら)......注射と薬では、痛みがとれないんでしょうね。』
バカ親父、『前回は、注射でもステロイドを使用したのですか?』

医者、『はい、痛み止めでは効かないようので、消炎のためステロイド系を投与しています。』
バカ親父、『大学病院を紹介していただける聞きましたが?』

医者、『この方法で効かないとなると、やはり大学病院での手術しかないと思いますね。』
バカ親父、『頚椎の手術は、五分五分ぐらいの成功率なんですか?』

医者、『そこまでは、低くないと思いますが やはりリスクはともないます。 トッポの場合は、首の根っこの部分のヘルニアなので、喉のほうから切開し食道、その他の神経系統を避けて骨まで到達させ、ヘルニアの切除をするようになります。』
(考えただけでも、大変な手術なんだー........)
バカ親父、『わかりました。 紹介を是非お願いします。 ところで、一ヶ月ぐらい待つわけですよね。』

医者、『そうですね、そのくらいかかると思いますが、できるだけ早く予約を取れるようにお願いして見ます。』
バカ親父、『大学病院で診察をして、そこで手術をするか再度検討するわけですね。』

医者、『そうですが、その日のうちに手術をするケースも多いようです。』
バカ親父、『わかりました。 ところでこのような状態では、痛がっていると体力を消耗して、それでなくても全身麻酔等負荷を負う、手術に耐えられる力がなくなるということは?』

医者、『..........、痛みを取り除くことが先決で、食事をとっていられれば大丈夫だろうと思います。』
バカ親父、『でも、この状態では痛がり続けて四肢が麻痺するのでは?』

医者、『もう一度、入院させましょう。 注射と薬では効果がないようなので、静脈に直接点滴をして、時間をかけて痛みをとるようにしましょう。』
バカ親父、『わかりました。 とにかく痛みをとってあげて、手術に耐えられる体力をつけられるようにしてください。』

バカ親父、『ところで、大体いくらぐらい費用はかかるのですかね?』
医者、『さぁ、ハッキリは分かりませんが、○○万円ぐらいは....』

てなことで、鳴き叫ぶトッポの前足2本(病院は手といわない!)点滴用のチューブをセットされ、必死にバカ親父に抱いて連れて帰ってくれと訴えるトッポを残して帰宅した。

費用など、どうでもいいが、トッポの体力が持つかだけが心配である。
もう、手術をすると決めたことなので、あれこれ考えることは止めにする。

あとは、トッポの生命力と手術の成功を期待するしかない。

これ以外の選択があったのか? これがベストなのかはわからないが.......。






『どうした、トッポ! また、痛くなったのか?』 闘病報告 13

2005年09月23日 | トッポの頚椎ヘルニア闘病記


帰国の前日、海外より家に電話をいれトッポの異変を知らされた。

一昨日の夜より、また悲鳴をあげはじめたとのこと。
しかも、寝ているときに足が痙攣しているかのように震えていたそうです。

どうしてなんだ? 体重も減らしたのに。 ケージのなかで、安静にしていたのに、どうしてこうなるんだ! 

快食快便が、生命力の証だと信じてトッポの容態が快方に向かっていると疑がわなかったのに。 

うん○をした後、腰が抜けたような格好までしていたと聞かされた。

急遽、留守部隊が鳴き続けるトッポを病院へ連れて行ったそうです。
後で分かったことであるが、医者の話では、痛み止めの注射は2-3日しか効かず、後は薬で様子を見ているとの事である。

『薬では効かないのかなー』とも、医者が言っていたようです。


いまは、ケージの中で寂しそうにひたすら、じっと横になっているトッポです。

バカ親父が心配していたように、薬と注射が効いているから、やはり鳴かなかったようだ。

薬が効かなくなったのか? または、ヘルニアが進行したのか?
神経系統が炎症を起こしたのか、ハッキリしないが今回はステロイドの薬を貰ったとの事なので炎症を抑える目的なのだろう。

目には見えない何かが、トッポの中で進行しているのだろうか?
不安である。 

医者に言われたそうです。『大学病院を紹介しましょうか?』
やはり、この病院では、頚椎ヘルニアの手術は難しくて出来ないのだろう。
(どうも、大学病院のような最先端の医療設備が必要なのでしょう。 そんな、大変な手術なのだろうか?)

じゃあ、最初は何故!、手術も対処療法も5%ぐらいの違いしかないと言ったのだろう。 明日もう一度トッポを連れて、医者と相談する予定です。

大学病院は、紹介状を書いてもらっても一ヶ月以上待ちとのこと、ステロイドを今後どの程度投与するかは、トッポの状態次第だが副作用があることも分かっている。

手術に耐えられる体力が、それまで持つのだろうか? 
考えても悶々とするだけである。 

たかが犬、されど犬である。
どこまで、人は犬の面倒をみれるのか? みるべきなのか?

ある人が、犬は最後の最後まで飼い主のために生きようとする、けなげな動物であると何かの本に書いてあったとのこと。

なら、いろいろ問題はあるだろうが、最後まで出来るだけのことをしてあげようと思う。

このまま、何回と鳴く悲鳴を聞きながら保全療法をするのか? 

いや、賭けであっても、難しいとされている頚椎の手術にふみきるか?

どうする、バカ親父?

それまで、トッポはもつのか? ........... 犬とは? 人間とは?
いろいろ考えて頭の中がゴチャゴチャになっている、帰国したばかりのバカ親父です。 

疲れているのに、なかなか眠れそうにない。