TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパのメランコリー、 その28 『術後2年検診.............骨化の進行は?』

2011年07月31日 | トッポパパの後縦靱帯骨化症(OPLL)闘病記
台風の通過後、猛暑で節電を覚悟していた今年の夏ですが、ちょっと過ごしやすい?日々が続きます。
大学病院で後縦靭帯骨化症というややこしい難病に罹り、皆さんの後押しに勇気をもらい手術を受けたのが2年前の7月でした。
2年検診(どうやらこの病気は、難病<特定疾患>のため、術後の経過観察ということで、毎年、検診が行われるようです。)ということで、先週末、会社に休みをいただき、早朝大学病院へ直行しました。

有難いことではありませんが、通いなれた大学病院に入ると、術後前後の緊張感が思い起こされます。
朝早く診察券を通過させても、診察は昼ごろになると思われる番号札をもらい、順番待ちです。

トッポパパ、『トッポ! 帰ってきたぞ!』
トッポ、『お帰り! どうだった?』
最近は、もうすぐ14歳になるトッポも、すっかりお爺さんモードに入ったようで、よく寝ていることがあります。



前にMRIは撮りましたので、診察前にX線の撮影を済ませました。
整形外科診察の待合室には、いつものように多くの患者さんが待っています。
当大学病院は重症患者さんの治療を優先させていますとの告知版の張り紙を見ながら、トッポパパが時間をとっていいのかと思いながら、本を読み、待つことにしました。

術後2年の今の自覚症状は、時々左手薬指、小指に軽い痺れを感じる、左肩甲骨の奥の方が疲れると疼痛を感じる、そしてこれも時々ですが、歩いているとき左足がカクッと力が入らなくなる程度の違和感があるだけです。
激痛を感じて動けなかった術前から比べれば、日常生活に支障がない程度に軽快になり、手術は成功だったと思っています。

ただ、問題はこの病気の骨化の原因はいまだに不明(なので難病指定)のようで、骨化巣の進行によっては、再度の麻痺が起きることも十分考えられるので、進行があるのか、そのスピードが一抹の不安です。

トッポ、『でも、大丈夫だったんでしょう?』
トッポパパ、『グデェーっとしてないで、少しは起きろ!



待合室は痛みに耐えている患者さんもいるので、申し訳ない気持ちで待つこと数時間、やっと昼過ぎに名前を呼ばれ診察室へ入りました。

ドクター、『大変お待たせしました。 その後いかがですか?』
トッポパパ、『左手に若干痺れがあり、薬指、小指の握力はいまだに弱いようです。 首から肩甲骨にかけての、張りはありますが、ひどくなっている感じはありません。』

ドクターは話を聞きながら、2年前と今日のX線の画像を並べて、変化を観ています。

トッポパパ、『骨化巣は進行していますか?』
ドクター、『...........、そうですね、手術で開いた頸椎は異常なく良好ですね。』
トッポパパ、『ところで、骨化巣の進行は?(自分でも観ているが、よくわからない)』
ドクター、『(画像を注視しながら)進行しているか、していないかは微妙な状況ですが、顕著に進行している様子はないようです。 頸椎は綺麗に広がり、スペースは確保されているので、問題はないと思います。』
トッポパパ、『進行がそれほど確認できないということは、暫くは(3年?5年? いや、10年)ぐらいは心配しなくても大丈夫ですか?』
ドクター、『(こういうときドクターは、はっきりとは言わないですね)たぶん、大丈夫だと思います。』

トッポ、『よかったじゃない、まだ大丈夫なんだから。
トッポパパ、『まだとはなんだ! 』



トッポパパ、『ゴルフを始めていますが、首への影響は大丈夫ですか?』
ドクター、『大丈夫でしょう。』
トッポパパ、『左足がたまに、カクッとなる時があります。 健康保険組合のX線写真で、腰椎が曲がっていると言われたので、その影響ですかね?』

ちょっと調べてみましょうということで、軽く足を床につきながら、ハンマーで軽く両足の膝周辺をたたかれました。
右足は、たたかれてもそれほど反応しません。 左足は敏感に床を蹴って反応しました。
中空でする脚気(かっけ)の検査を思い出し(古いね!)あれっ!右足のほうが悪いのかと思いきや、左足が過敏のようですとのドクターの話でした。

ドクター、『これは、腰椎が原因ではなく、頸椎が原因でしょう。』
トッポパパ、『(術前、中枢神経が圧迫され損傷したのが原因でしょうから)これは足の筋力を鍛えて、対応するのが一番ですか?』
ドクター、『そうですね、私もそれが一番だと思います。』

その後、握力検査で、右は50近くまであり問題なし、以前10程度まで落ちた左手の握力は35まで回復していました。
左手の2本の指は多少痺れがあるので、左の握力はこれが精一杯でしょう。

トッポ、『大丈夫、順調に回復しているので、よかったね。』
トッポパパ、『ドクターには言えないけど、左指の痺れと握力の弱さはゴルフではハンディなんだから.....』
トッポ、『..................、技術の問題もあるけどね。
トッポパパ、『

まぁ、とりあえずトッポと良かったということで記念撮影です。



これ以上の軽快さを求めるのは、神様に術後の回復に感謝してこそ、文句の一つも言ったら罰が当たりそうです。

ドクター、『次回は、来年の7月の3年検診にしましょう。 次回は腰椎の検査も予定しておきます。』

とりあえず、大きな問題は無いということで、ちょっと安心して帰宅しました。
これからは、筋力強化と老化防止のためにもゴルフを積極的にするようにします。

トッポパパ、まだ運があるようです。
ご心配いただいた皆様には、トッポパパまだ元気で頑張れそうですと報告させていただきます。

海外の都市の紹介、 その96の6 『MILANO』

2011年07月27日 | 海外の都市の紹介
トッポママの写真で、ミラノの最後の紹介です。
奥に観えるのはカステッロ広場で、ミラノの都市構造の中心になっています。



ミラノにある大きなクーポラを持つルネッサンス様式の、『サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ(Santa Maria delle Grazie)』の教会です。



サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、ゴシック様式の聖堂を備えています。
ドミニコ会の修道士ソラーリにより、1466年から1490年の間に建築されました。



教会内のドメニコ修道会食堂の北壁に描かれているのが、レオナルド・ダ・ヴィンチが1494年から1498年の間に描いた世界でもっとも有名なフレスコ画『最後の晩餐』です。
レオナルドの傑作、最後の晩餐を保護するため、展示されている修道会の食堂には空気清浄機が設置され、1回15分ごとに25人だけを入れるなどの措置が講じられています。
写真撮影は禁止されているので、写真はネット上のフリー画像より拝借してきました。



天井の絵画も迫力あります。



きっと有名な絵画なのでしょう。



貴重な絵画の保護のため近寄ることはできず、柵越しでしか写真は撮れません。



ウメリアート会修道院です。



中庭にはアントニオ・カノーヴァ作のナポレオン像が置かれています。



中庭に面した修道院の景観です。



それではミラノより

海外の都市の紹介、 その96の5 『MILANO』

2011年07月23日 | 海外の都市の紹介
トッポパパは仕事での移動があり一泊だけしかしませんでしたが、ちょっとミラノの近代的ホテルを紹介します。
お洒落な椅子で記念撮影です。



ホテルなのか美術館なのか、ちょっと見間違うほど我々の考えるホテルのイメージとはかけ離れているようです。



照明もとても独創的な雰囲気を醸し出しています。



バスルームも清潔感あふれ、アートの世界の中にいる感じです。



ママが現地の人に案内され大聖堂へ案内されました。



ヨーロッパの女性は、年齢に関係なくお洒落なようです。



大聖堂の内部は五廊式でラテン十字の平面、52本の柱とリブ・ヴォールトの天井で構成されています。
ゴシック建築らしい厳かな雰囲気が漂っています。



それぞれの束ね柱の最頂部には聖人像が安置されています、
柱の丈夫の装飾も見事! そして光が垂れ込みも美しいです。



奥行き158㍍,幅93㍍の堂内で、柱は太いもので,直径約2.5㍍もあります。
床には,白,黒,赤の大理石がはめ込まれた模様が一面に広がっています。



続く..............................................................................................。

海外の都市の紹介、 その96の4 『MILANO』

2011年07月20日 | 海外の都市の紹介
トッポパパが仕事に出かけた日中、ママが大聖堂前に広がるドゥオモ広場に再度出かけて撮った写真です。
出勤前の景色と一変して、多くの観光客が集まっています。



ドゥオモ広場の中央に建つヴィットリオ・エマヌエーレ2世騎馬像です。



ドゥオモ広場からガッレリアに入り、反対側に抜けることにします。



ミラノのガレリア内のほぼ中央、プラダの斜め前にある雄牛のモザイクには穴があいてます。



雄牛の大事な部分の上で止まらずにかかとで3回転すると「幸福になれる」という言い伝えがあるそうです。



ドゥオモ広場側からガッレリアに入り、真直ぐ進んで北口を出たところがミラノ・スカラ座の裏手?のスカラ広場です。



スカラ広場の中央に天才レオナルド・ダ・ヴィンチの像が建っています。
像のバックに見えるのは、ルーベンスが絶賛したといわれる建物、マリーノ宮の窓です。



この広場とマンツォーニ通りを挟んで建つのが世界的オペラの殿堂『スカラ座』です。



1778年に完成して、時の権力者ヴィスコンティの妃、スカラの名にちなんで名付けられたそうです。



1778年に建てられ、第二次世界大戦で焼失し1946年に再建されました。
スカラ座(Teatro alla Scala)は初代の宮廷劇場以来の伝統を誇るイタリアオペラ界の最高峰とされています。



ミラノには世界中から多くのダンサーやオペラ歌手がここ『スカラ座』で公演することを夢見てやってきます。
スカラ座の舞台に立てるのはごく限られたアーティストだけで、ここでは世界でもトップクラスの質の高いオペラやダンスを堪能することができます。



続く................................................................................................。

海外の都市の紹介、 その96の3 『MILANO』

2011年07月18日 | 海外の都市の紹介
ドゥオーモと同じようにミラノのシンボルとなっているのがこの『ガッレリア』です。
石造りの伝統工法を基盤にガラス、鉄、石、そして近代の鉄骨が組み合わさった融合美はまさにミラノの建築技術の傑作です。



またここはショッピングモールの先駆けとしてもよく知られています。
何といっても歴史ある有名な『プラダ』の本店がガッレリア中心にあります。



『ガッレリア』の呼称は、イタリア王国の初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世にちなんで名づけられたそうで、1861年にデザインされ、イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から1877年の間に建設されました。



ここには歴史ある本屋、鞄屋、宝石店などが並び、ミラノで高級品の買い物と言えばこのガッレリア周辺のようです。



夜になると光り輝くアーケードになります。
歩きながらの写真なので、少々ボケていますが、ご勘弁ください。
美しい高いガラス天井のアーケードが素晴らしいです。



ガッレリアからライトアップされた大聖堂を撮ってみました。
バランスのとれた美しさはミラノの日常に溶け込みながらひときわ輝いて見えます。



道に並ぶお洒落なカフェ、レストランが並んでいます。



トッポパパにとって夢の車がショーウインドウに飾られていました。

フランクフルトモーターショー2009で復活した、メルセデスベンツ SLS AMGです。
新型SLS AMGは、メルセデスベンツの名車中の名車と評される1954年発表の『300SL』を、最新技術で甦らせた同社の新フラッグシップスポーツカーです。
ボディサイズは、全長4650×全幅1950×全高1250mm、ホイールベース2700mです。
エンジンは、『63AMG』シリーズでおなじみの「M156型」6208cc・V8をベースに、約120か所に渡る専用チューンを施した「M159型」です。
最大出力571ps/6800rpm、最大トルク66.3kgm/4750rpmを発生します。
まさに夢の車ですね。



お洒落なマクドナルドのお店で、さすがミラノという感じの雰囲気です。



続く.............................................................................................。

海外の都市の紹介、 その96の2 『MILANO』

2011年07月15日 | 海外の都市の紹介
ミラノの街の中心にあるこの大聖堂はミラノの歴史が凝縮した、まさにシンボルといえるゴシック様式の建築物です。



実はミラノはよる到着で、早朝出発のため、写真を撮るのは夜と、朝食前の限られた時間でした。
まだちょっと眠そうな写真で寸。



ミラノはナポレオンの失脚後、ミラノはスペインやオーストリアに統治されましたが、イタリアの抵抗運動の中心地となり1859年の第二次イタリア独立戦争の結果イタリア王国の一部に編入されました。



第二次世界大戦中に連合国による激しい爆撃をうけたミラノは戦後急速に発展し、現在ではイタリア経済の中心であり、パリ、ロンドン、ニューヨークと並んで世界でも有数の国際都市です。



大聖堂は近くに寄って見ると、圧倒されるほどの大きさを感じます・
場所によってはかなり広角めのレンズでもファインダーからはみ出してしまいます。



そして眺めれば眺めるほど複雑な装飾が施されています。



周辺の街の様子です。



早朝なので、まだ人通りも少なく閑散としています。
イタリアを代表する2大産業は、『ファッション』と『デザイン』でしょう。
ミラノは世界中から新鋭クリエータが集まる街として知られ、絵画などのアーティストに留まらず、あらゆる「ファッション」や「デザイン」を学ぶ若い学生が世界中から集まる芸術学校が多数存在しています。



『ブランド通り』として有名なモンテ・ナポレオーネ近辺ではイタリアを代表するブランド、プラダ、グッチ、ドルチェ&ガッバーナ、フェンディ、エトロ、フェラガモ、ジョルジオ・アルマーニ、などが軒を連ね『ミラノ・コレクション』で発表された新作がすぐ店頭に並びます。



続く...................................................................................................。

海外の都市の紹介、 その96の1 『MILANO』

2011年07月12日 | 海外の都市の紹介
今回はミラノの紹介です。



ヨーロッパでは街の中心に教会が置かれ、教会を中心として、それを取り囲むように街が形成されています。



ミラノでも街の中心でありシンボルとなっているのがこの大聖堂『ドゥオーモ』です。
ドゥオーモには135本の尖塔があり尖塔の天辺には一つ一つに聖人が立っています。
一番高い位置に金のマリア像が輝いていて、昔はこのマリア像より高い位地に建物を建ててはいけないとされたそうです。



ドゥオーモの最初の石は1386年に大司教アントーニオ・ダ・サルッツォとミラノの領主 ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの要求により、古代からあったサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の場所に置かれました。
そして、500年という歳月をかけ、最後はナポレオンの命により完成しました。



第二次世界大戦中の1943年にミラノは爆撃を受けましたが、この建物は連合国側の判断で爆撃を逃れました。



主尖塔ミラノのドゥオーモは世界最大級のゴシック建築として知られています。
135本の尖塔、2245体の彫刻との融合美はまさに圧巻の一言です
世界最大のゴシック建築で、ドゥオーモの体積はフランスのボーヴェ大聖堂に次いで世界で2番目で、広さもバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次いで2番目です。



ミラノのドゥオーモは500万人のカトリック信者がいる世界最大の司教区であるミラノ大司教区を統括する首都大司教の司教座聖堂であり、その大司教は2002年からディオニジ・テッタマンツィ枢機卿が務めています。



続く..................................................................................................。