TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

海外の都市紹介、 その35の1 『ロンドン PartⅡ』

2007年04月30日 | 海外の都市の紹介
ロンドンは以前にも紹介しましたが、今回はケンジントン(Kenjington)に滞在しましたので、その周辺を少し紹介いたします。
自然科学を扱う博物館として、世界的に有名な、自然史博物館(Naturak History Museum)です。
大英博物館から独立した博物館で、そのコレクションの多さに毎日訪問客が訪れています。



自然史に関する総合的な博物館で、『生命(Life Galleries)』と『地球(Earth Galleries)』の二つのテーマ館に分かれています。
正面入口の中央ホールには、1億5000万年前に生息していたディプロドクスの26mもある骨格標本が陳列されているそうです。



建物の正面は大聖堂のような重厚な作りにっています。



閑静な住宅地がある、街並みを歩いてハイドパークに向かいます。



ハイドパークは昔は、王室の狩猟場だったそうです。
狩猟場になる前は、ハイドという修道院の広大な荘園だったそうです。



ケンジントン宮殿の前にあるアルバート・メモリアルです。



アルバート・メモリアルは、ヴィクトリア女王の夫アルバート公の記念碑です。
大きさは中央アルバート公像が4.2m、碑全体の高さ54mもあり、1876年に完成しました。



ヴィクトリア女王はイギリスでもっとも輝かしい時代をつくりあげた女王であり、その治世はヴィクトリア朝と呼ばれて世界に知られています。
ヴィクトリア女王時代のイギリスは世界各地を植民地化して一大植民地帝国を築き上げ、『君臨すれども統治せず』によって議会制民主主義を貫き、イギリス帝国を繁栄させました。



台座の4つの角はヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカがモチーフのようです。 これはアジアなのでしょう。



続く...................................................。

神奈川の景勝50選、 その39の4 『弘法山』

2007年04月29日 | 神奈川の景勝50選
弘法山公園に何か変わったものはないか、ぶらぶら散歩中です。



この辺りは桜の名所でもあり、満開のときは多くの桜見物客が訪れるそうです。



トッポ、『あっちから大勢歩いてくるけど、何かありそうだよ。』



とりあえず、ちょっと寄ってみることにします。



どうやらバードウォッチングの場所のようです。



トッポパパのカメラで撮れるか心配でしたが、何とか写真になりました。



水浴びの写真は、もうちょっと撮り方があるのでしょうが、素人ではこんなものですかね。



トッポママ、『弘法山へ行くのなら、そろそろ行かないと天気が心配だよ!』
トッポ、『パパ! 行くよ!』



カメラが重い!、トッポパパはヨタヨタと後から追いかけます。

続く...................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その14の3 『倉敷』

2007年04月28日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
倉敷川に沿って、白壁、貼り瓦、掘割、柳並木を配した商家が並びます。



350年前の江戸時代、倉敷は江戸幕府の直轄地『天領』でした。
倉敷川畔は米や綿花などの物資の集散地として栄え、商人たちが白壁の土蔵や屋敷を構えました。



『天領(てんりょう)』とは江戸幕府の直轄領のことを指す通称です。
資料によると、大阪冬の陣の際、備中大寒の小堀遠州が倉敷から大量の兵糧米を贈ったことが天領への道を開いたそうです。
以後、幕府の保護や周辺の豊かな農地や産物を背景に、物資の集積地として成長していきます。立ち並ぶ武家屋敷は現代の流通センター、そして倉敷側は大阪へと続くハイウェイの出発点になったと書かれていました。



この橋は、『中橋』といわれ、1877年に石橋に架け替えられ、橋桁が一枚岩の太鼓橋です。
橋の奥に見えるのは、江戸時代の米倉を改築して昭和25年に開館した倉敷考古館です。



壁に貼り付けた瓦は白壁に映えています。
この白い壁を綺麗に維持するだけでも大変だろうと、余計な心配をしてしまいます。



またまたモデルさん登場です。
トッポパパのためにポーズをとってくれているのではないので、構図が悪いのはご勘弁ください。
それより、壁がとても変わっています。
この壁は、色むらのある平瓦を漆喰で縁取った壁で、なまこの色に似ていることから『なまこ壁』と呼ばれるそうです。



倉敷格子と呼ばれる、はめ込み式の格子です。
風通しがよく、外からは中が見えにくい構造になっているものもあるようです。



町屋の雰囲気をそのまま残した民芸品販売のお店も、華美でなくいい感じです。



最後に、この美観地区で見つけた、この年代ものの車。 思わず見入ってしまいました。 これ相当古い車だと思うのですけど、何年ごろのものなんでしょうね。



ほんの1時間ほどの滞在でしたが、江戸情緒を十分に堪能して帰路に着きました。

神奈川の景勝50選、 その39の3 『弘法山』

2007年04月27日 | 神奈川の景勝50選
弘法山公園に向かう途中にあった石像ですが、これは何の意味なのでしょうかね?
ふくろうの上に子どもが乗っていますけど。



トッポ、『こっちにも、もう一人いるよ!』
しかし、森に生きると書いてありますが、よく意味が分かりません。



トッポも歩き疲れているのか、ハァハァ言っています。
たまには、運動になっていいでしょう。



権現山の山頂の展望台が見えます。
ちょっと、ここで休憩です。
逆光なので、ちょっとはっきりしませんね。



トッポ、『あっちが弘法山だね。』
トッポパパ、『こっちは公園だから、あっちも行かないと意味がないんだよね。 でも遠いね、フゥー!』



遠くに見えるのが弘法山山頂のようです。



トッポ、『ここが展望台だね。』



243m権現山の山頂の展望台からは、天気がいいと富士山や秦野の街並みなど360度の眺望がみられますが、今日は生憎の天気で景色はいまいちでした。



トッポは展望台まで登って、記念撮影です。
山頂公園をちょっと散策してみます。



明日からゴールデンウィークです。
天気はどうなるのか心配ですが、ワンちゃんともども楽しく過ごせるといいですね。

続く................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その14の2 『倉敷』

2007年04月26日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
旧大原邸の別邸で、1928年に建てられた有隣荘です。
特別に作られた屋根瓦の色から緑御殿とも呼ばれているそうです。



美観地区の中心を流れる倉敷川です。



この鳥はなんという鳥なんでしょうかね。
知っている人は教えてください。



この倉敷川に住み着いているのでしょうかね。
江戸時代情緒いっぱいの、倉敷川周辺にとても似合う鳥でした。



倉敷館です。 1916年に倉敷町役場として建てられた木造洋風建築です。



モデルさんなんでしょうか、ちょっと失敬して写真を撮らせて貰いました。
家の右側の貼り瓦がいいですね。



橋は橋桁の姿を半円にして、満月を写し見ることができるように工夫されているそうです。



トッポパパが訪問したときは、まだ寒い時期でしたが、今は緑の木々に囲まれてもっと素晴らしい眺めなのでしょう。
緑が多くなると、景色が遮断されるので、このくらいのほうが周囲の風景が被写体になるので、どちらがいいか意見の分かれるところでしょう。



とても気に入った、路地です。 雨風の当たる壁に貼り瓦を貼ったようです。
どちらの壁も、歴史を感じさせてくれます。



この美観地域は、倉敷駅より10分ほどのところにあるのですが、まるでこの地区だけが別の世界のように思えます。



もうちょっと、見てみたいと思います。

続く...............................................。

神奈川の景勝50選、 その39の2 『弘法山』

2007年04月25日 | 神奈川の景勝50選
桜の紹介が長くなり、やっとトッポの『弘法山』紹介の続きに戻ります。
もう一度、記念撮影の写真から始めます。



トッポの木登り三態です。(笑)
トッポ、『ちょっと、落ちたらちゃんと助けてくれるんだろうね。



トッポ、『ちょっと体が挟まって苦しいんだけど!
トッポパパ、『足を踏ん張れば大丈夫だから。



トッポ、『これで大丈夫!でも、もう動けない!



トッポ、『どっちへ行くの?』
トッポパパ、『権現山のほうへ行って、弘法山公園へ行こう!』



しかしどっちもハイキングコースなので、距離はあるようです。
公園とは言っても山ですので、山頂付近は急勾配の道があり、奥に見える階段は、なだらかな階段ですがきつそうです。



途中の弘法山公園の案内板を見ながら、トッポと記念撮影です。



トッポパパ、『どっちへ行けばいいのかな?』
トッポ、『あっち!』



続く.....................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その14の1 『倉敷』

2007年04月24日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
ある時、倉敷の駅に途中下車して、初めて倉敷の町を見る機会を得ました。
さて、限られた時間の中でどこを見ようか思案中です。



駅前に、アンデルセンの童話の世界の、デンマークのチボリ公園の日本版があります。 このテーマパークも興味はあるのですが、時間に限りがあるため、残念ながら、今回は倉敷の美観地区を見て回ることにしました。



倉敷川河畔周辺一帯は、白壁黒瓦の古い民家が立ち並び国の伝統的建造物保存地区に指定されています。



街中に入ると、100年ぐらいタイムスリップしたような感じです。



江戸時代、米や綿花などの物資の集散地として栄えた商人の館が並んでいます。



特に川沿いは、白壁を母屋とした当時の豪商の館だったのでしょう。



江戸時代に川港として栄えた名残りで、雁木と言われる川べりに落ちる石段が見えます。



江戸時代の時代劇の舞台にもなった、川沿いの風景です。
こんな景観がまだ日本にも残っているのですね。



この美観地区はどこを切り取っても、写真になりそうです。



もうしばらく、素敵な景色を見て回ります。

続く.......................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その12の5 『皇居と靖国神社』

2007年04月23日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
一通り見終わりましたら、少しお腹が空いてきました。
微妙に、そんな空気を察知したトッポはすぐに元気になりました。



花見の準備で忙しいお店の中で、もうすでに開いているお店で早速腹ごしらえをすることになりました。
トッポ、『とてもいい匂いがするけど!



トッポの位置からでは、焼き鳥は見えないので、じっと我慢をしています。



周りのお店も、花見客を迎えるための準備で大忙しです。
お店の前のシートは、有料シートなんでしょうかね。



トッポ、『パパ! 僕にもくれるよね。 くれるでしょ!



トッポパパ、『おとなしくしていたから、トッポにもあげよう。 その代わり昼飯はヌキ。



焼き鳥を前にしたら、トッポの眼は真剣そのものです。
串ごと食べられても大変なので、頭を押さえながら食べさせました。



最後に、太い幹から可憐に咲いている桜を紹介します。



では、次回からは違う場所でお会いしましょう。

海外の都市紹介、 その34の3 『ジョホール・バル』

2007年04月22日 | 海外の都市の紹介
『イスターナ・ベサール』の紹介です。
近代ジョホールの父といわれるスルタン・アブ・バカールの統治時代の前王宮です。



白亜のビクトリア調の建築様式で、邸内の博物館にはジョホール王族の家宝など7万点が保持されているといわれています。



1886年に建造され、当時は王室の儀式やパーティなどに利用されていました。
現在では博物館となっています。 
宮殿を囲む庭園はジョホールバルで一番美しいと言われ、ラン園は特に有名です。



マレーシアの歴史がネットに載っていましたので、少し紹介します。
紀元前50万年前、「ジャワ原人」が現在のマレー半島近辺にも存在していたとされており、マレーシアにおける人類の出現は世界的に見て最も早い部類に属しています。
先史時代のマレーシアは、中国南部やベトナムの文化的・民族的影響を受け、そこから石器文化や青銅器文化が伝来したと言われています。
紀元前後、ローマと中国間で海上交易が発達するとともに、マレー半島を港の中心とした都市国家が形成されはじめ、その過程でインド文化が伝わリました。
その後、7世紀半ば、東西交易がさらに活況を呈し、マラッカ海峡をを通過する"海のシルクロード"が形成されました。



14世紀末から15世紀初頭に成立したマラッカ王国は、香辛料を中心とした東西貿易とともに急速に発展した。15世紀半ばの全盛期には、マラッカ王国はマレー半島、スマトラ島東海岸地域を支配下に置いていた。この発展により、マラッカ王国ではイスラム商人が数多く流入し、東南アジアにおけるイスラム教布教の中心地としての栄えていきます。



16世紀に入り約1世紀の間、マラッカはポルトガルによって支配され、カトリックやポルトガル文化の影響を受けます。
ポルトガルの支配により、イスラム商人が流入し、イスラム文化が広まったのでしょう。
次いで、1641年にはオランダがマラッカを占領、天然資源(錫)の利権や香辛料などの貿易を独占的に扱うようになります。



1786年、英国はケダ州のスルタンとの間に協定を締結し、ペナン島を獲得した。
1819年には、英国のラッフルズが東南アジアにおける通商上の必要性を主張したことに端を発し、シンガポールを獲得した。その後も英国はマレー半島に対する支配を進め、1824年の英蘭条約により、オランダはマレー半島から撤退します。
1867年、英国はペナン、マラッカ、シンガポールといった海峡植民地を英国本国の直轄植民地とし、さらに1986年にはマレー連合州を統合し、1909年にはタイからケダ、ケランタン、トレンガヌ、ペルリスの4州の宗主権を譲り受け、1914年にはジョホール州を加えたマレー非連合州を成立します。



20世紀には、第1次世界大戦の勃発や自動車産業の発展により、マレー半島の重要性が高り、ゴムや錫の輸出が経済を発展させる原動力となった。この時期、天然資源の拡大に伴い、大量の中国人やインド人がマレー半島へ流入、現在の多民族国家を形成する始まりとなります。
このような経済発展は、マレー半島のインフラ整備にも貢献し、鉄道、港湾、道路などの建設ラッシュが進んだ。20世紀初頭には、ゴムや錫の生産拠点であるタイ国境からシンガポールまでの鉄道網が整備されます。


その後日本軍はマレー半島へ侵攻、約3年間に渡って占領下に置く時代を経て、第2次世界大戦後の1945年、英国はシンガポールを除く海峡植民地、マレー連合州、マレー非連合州を統合すると共に、スルタンの地位を廃し、華僑、インド人にも平等な地位を認める「マラヤ連合案」を提示した。しかし、マレー人地位保全を求める統一マレー国民組織がその提案に反対したため、最終的には、スルタンとマレー人特別な地位を認めた「マラヤ連邦」が1948年に設立しました。
そして1957年、マラヤ連合党党首のアブドゥール・ラーマン氏が英国との交渉の結果、マラヤ連邦の独立を勝ち取り、同氏が初代首相に就任した。



1961年、ラーマン首相は、マラヤ連邦にシンガポールとボルネオ(サバ)、サラワク、ブルネイを加えたマレーシア連邦結成の構想を発表した。だが、マレー人優優遇政策のマラヤ政府と中国人が大半のシンガポールが対立、1965年にシンガポールは分離独立します。

歴史のお勉強ご苦労様でした。
では、ジョホール・バルの紹介を終わります。


トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その12の4 『皇居と靖国神社』

2007年04月22日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
靖国神社の紹介です。
海外諸国と参拝問題で議論されていますのが、その問題は触れないことにして靖国神社の景観ということで、ご覧になってください。



我々が入った入り口脇に立派な狛犬の石像がありました。



第二鳥居から神門へ向かいます。



昭和9年に完成したひのき造りの立派な神門です。
扉の両方には直径1.5mもある菊の花のご紋章が輝いています。
トッポの最初の写真です。



神門をくぐると、もうひとつ鳥居が見えます。



周辺は、桜並木になっています。 さすがに、ここでの花見の宴は禁止されているようです。
この境内だけは、ワンコを連れての散歩は差し控えたほうがよいと思ったので、トッポの写真がありません。



最後の鳥居の奥に、拝殿があります。



拝殿です。 明治34年につくられ、平成元年には屋根を新しくしたようです。



拝殿の奥に本殿がありますが、写真は撮ることができませんでした。
次回はトッポをアップで載せます。

続く.................................................。

海外の都市紹介、 その34の2 『ジョホール・バル』

2007年04月21日 | 海外の都市の紹介
『スルタン・アブ・バカール・モスク(Sultan Abu Bakar Mosque)を紹介します。
時の王、アブ・バカールの名を冠したモスクです。



マレーシア最南端、ジョホール・バルにあるイスラム教寺院で、白壁と青い屋根のコントラストがとても綺麗なモスクです。



正面から見たモスクの写真です。



白亜のモスクで、1892年に着工され1900年に完成しましたが、アブ・バカール王は完成を待たずに亡くなったそうです。



今でも、このモスクはマレーシア1、2を争う美しいモスクということで、多くの参拝者が集まるそうです。



青の屋根と白の壁が美しく、四方の尖塔がすばらしい景観になっています。
周囲は、手入れの行き届いた庭園になっていて、南国の花が咲いています。




中のモスクには、2000人が同時に礼拝できる広さだそうですが、モスリムでない我々は中に入ることができませんでした。



世界には、たくさんのイスラム寺院がありますが、国によってモスクも形が違っているようです。



ジョホール・バルのジョホールは、この地域の名前で、バルは、新しいという意味のマレー語です。
モスリム国家のマレーシアは生活とモスクは密接な関係があります。
モスリムの男性は金曜日の昼は礼拝を行うため、政府機関も金曜日は午後から休みのようです。



もうひとつ有名な場所がありますので次回に紹介します。

続く....................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その12の3 『皇居と靖国神社』

2007年04月20日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポ、『最近、僕の出番が少なくない?』
トッポパパ、『いつもバッグの中に入っているから、写真が少ないの
てなことで、トッポの写真が少なくてすいません。



野次馬根性旺盛のトッポパパは、とりあえず天守台跡に上ってみました。



ここの上に五層の天守閣があったわけですから、これは地下入り口と思われているようです。



大火の際の傷跡が今も残っているようで、石垣の間などに黒くすすけてるのがわかります。



この周辺は、山桜が中心のようで、綺麗に咲いていました。
山桜も、それなりに趣のある桜です。 トッポパパの家にも鳥が運んできた、山桜の木が大きくなり、ここ数年花が咲くようになりましたので、親近感があります。



広大な芝生の広場と江戸城本丸跡です。本丸跡左手に刃傷松の廊下跡の立て札だけが残っているそうです。



桃華楽堂です。 1966年に香淳皇后のご還暦を記念して建てられた音楽堂で,八角の外壁は華やかな陶片とタイルで彩られています。



靖国神社にもちょっと寄ってみようと、外へ出ました。
北の丸公園近くの、街路沿いの見事な枝垂れ桜です。



このあと、ちょっと靖国神社へ向かいます。



続く.............................................。

海外の都市紹介、 その34の1 『ジョホール・バル』

2007年04月19日 | 海外の都市の紹介
ジョホール・バルはマレー半島の先端に位置し、マレーシアでは最も南にある都市です。
サッカーの日本代表が1998年、フランスでおこなわれたワールドカップの出場を決めた試合が行われた場所として、サッカーファンの方は記憶している人も多いと思います。



写真の建物は、1941年に建築されたスルタン・イブラヒムと呼ばれ、戦争中は日本軍の司令部もおかれた建物で、現在、州政府事務所となっています。



ジョホール・バルでは、貴重な建築物のひとつで、特に一階ホールのモザイク装飾は素晴らしいと評判です。



ジョホール州は、南はジョホールとマラッカ海峡、東は南シナ海に面しています。
面積約18,941平方㌔、人口300万人強、中国系住民の多い州です。



ジョホール州と日本との交流は、1900年代の初めに始まります。
日本企業が経営するゴム園栽培が始まり、第一次世界大戦後のゴム価格の高騰に伴い、1920年前後にはゴム園栽培は最盛期を迎えました。



州都ジョホール・バルは、人口100万人程度の都市ですが、全長約1050mのコーズウエーで、ジョホール水道を隔ててシンガポールと結ばれています。



シンガポールとはこの地理的事情に加え、歴史的、人種的にも共通点が多く、経済・生活圏の一部となっています。
そのため、シンガポール観光の場合、ジョホール・バル見学も含まれる場合が多いようです。
 


トッポパパはゴムの関係の仕事はありませんが、現在ゴムに代わるパームオイルの関係の仕事でこの地を1年に数回訪問しています。



ジョホール州は、これまでシンガポールに隣接する地理的事情で、物流の中心としてのシンガポールの役割を補完してきましたが、今後ジョホール州が独自の物流の拠点になるべく経済インフラ整備計画が進んでいます。



いくつか有名な建築物があるようですので、次回に少し紹介します。

続く..............................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その12の2 『皇居と靖国神社』

2007年04月18日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
この門を入ると直ぐ左に、大きな桜の木があります。
綺麗に手入れのされた植木の中で咲いている桜は、周囲の緑に映えてまた特別の雰囲気を出しています。



トッポ、 『ここは、どこ?』

江戸城は、皆さんご承知のように、徳川将軍家の居城です。
江戸幕府は1600年からですが、実際には12世紀初めに桓武平氏の流れをくむ江戸四郎が江戸の台地に住居を構えたことに始まるそうです。



現在の江戸城は、1590年に徳川家康が入城し、三代将軍家光が1638年に完成させたようです



トッポ、『あんなところに、大きな木が一本植わっている!』
ここが天守閣跡です。



江戸城の高さは約60メートルもあり、当時は日本最大の木造建築物でした。



大阪城の倍近くの面積があったそうですが、明暦3年の振り袖火事とよばれる大火で焼失してしまい、以後再建されませんでした。



江戸城の鯱は、名古屋の鯱より大きい3mぐらいの鯱だったようです。



この 「天守閣石垣跡」 だけが、現在も残っています。



家康が江戸城に入城した以前は、見渡す限り原っぱの未開地だったようです。



江戸城は、敷地面積は世界最大の城です。
江戸城の面積は、230万平方メートルもあり、2番目の大きい名古屋城の90万平方メートルと比べても3倍の大きさがあります。
江戸城は幕府の要請で諸大名の費用で城を造ったそうです。
江戸城建設にかかわった武将には、加藤清正、前田利長、上杉景勝、黒田長政、伊達政宗、島津義弘、福島正則等がいます。

続く............................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その11の2 『錦帯橋』

2007年04月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
橋の構造はどうなっているのかと、川岸まで降りてみました。



錦帯橋の魅力は橋の周囲の景観によって、四季変化するようです。
トッポパパが訪問したときは、川岸にある桜がまだ咲いていませんでしたが、桜と一緒の錦帯橋も、素敵な景色になるでしょう。



2005年の台風14号の被害で、豪雨のため架け替え後、わずか1年半しか経っていない新しい錦帯橋の橋杭が2本流失したそうです。
2006年2月にはその修復工事が完了し、元の美しい姿を取り戻しています。



錦川の河原から錦帯橋の裏面を撮ってみました。
精緻な組木、鎹 (かすがい) で構成されている構造ですが、見事な技術です。



川の流れに対して、抵抗が少なくなるように、橋台は流線型をしています。



橋の下からも、岩国城が遠くに見えます。



なんとか、お城を浮かび上がらせようと望遠を最大にして、何とかこんなお城の写真になりました。



幕府の『一国一城の制』により、当時城を失った岩国藩ですが、岩国にとって、錦帯橋は城に代わる新たな象徴だったのでしょう。



鵜飼は錦川でも、おこなわれるようです。



周辺の街並みです。
この後あわてて仕事に向かいました。 早起きは三文の徳でした。