TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポの町内夏祭り、2011

2011年08月23日 | トッポの世界
猛暑も一休みの、会社の夏休みの最後の日曜日、町内でお祭りです。



お囃子に誘われて、トッポと神輿を観に行きます。
最近はトッポの出番が少ないので、家の前でパチリです。



あいにくの雨で、山車の出番も少なく子供たちも残念そうです。



それでも神輿のほうは、元気な掛け声で練り歩いています。



トッポの町内は横浜の中心部ですが、若い人の流出で町内の過疎化が進んでいました。



神輿の担ぎ手も、元青年が多いようです。
それに、最近の若い人はお祭りには興味がないのでしょうかね。



トッポ、『何か始まるみたいだよ!』



元気な掛け声と拍手に促されて、お酒を飲んでいます。



トッポ、『すごいね!』



最近は神輿の担ぎ手が少ないので、トッポの町内へも手助けをしてくれるようです。
夏祭りが終わると、もう秋がすぐそこに来ているのでしょう。



明日から仕事です。
もうしばらく頑張らなくていけないようなので、頑張ります。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その116の3 『長岡』

2011年08月11日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
高龍神社の歴史は約600年前にさかのぼります。
明徳元年(1390年)、楠正成の御子・正行の弟・正儀朝臣の家臣高野木民部永張が会津へ赴く途中で蓬平に迷い込み、重傷を負い前後不覚に陥ります。
激痛のなか、夢の中に白髪長髯の老翁、高龍大神が現われ『2キロ下流の白泉(蓬平温泉の源泉)で幹部を浸し速やかに治癒すべし』と告げられました。
療浴専心の結果、わずか数日で快癒したと伝えられています。
以後、この地の村里人達により、神霊の霊地として高龍神社が祭られたそうです。



石山を切り開いた118段の石段を登った所に社があります。
家内安全、商売繁盛に霊験あらたかな神として多くの信仰を集めています。



最後の急階段を少し上がると、手水舎があり、ここで身を清めます。



高龍神社の拝殿前の、鳥居です。
高龍神社は白蛇が御神体である龍の使いをしているといわれています。
龍神様が蛇なので、執念深いことから、それにならって執念深く商売繁盛の神様として県内外から数多くの参拝の信者が訪れています。
奥の院と神社の中間点にある院には、実際に白蛇がいると伝えられています。



境内にはいくつも碑が建てられています。
これは霊神碑です。



2004年10月23日、マグニチュード6.8、最大震度7の地震が発生した。震源は、北緯37度17.5±0.3分、東経138度52.0±0.4分、深さ13±2kmでした。
県知事筆の『中越地震災害 復興の塔』です。



御神体である龍の使いの白蛇の碑です。



拝殿です。
商売繁盛とついでに宝くじでも当たるようにお願いしてきました。



拝殿には商売繁盛を願ってたくさんの名刺が堤燈に付いていました。
中はほとんど暗闇でしたが、ストロボなしでここまで鮮明に撮れるとは自分でもびっくりです。
最近のカメラの性能はすごいものだと実感しました。



鎖に手を添えながら長い階段を降りていきます。
足腰に自信のない方には、途中までエレベータもありますのでご心配要りません。 



それでは長岡より

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その116の2 『長岡』

2011年08月07日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
長岡の奥座敷、蓬平温泉は3軒の旅館がある小さな温泉郷です。
そのうちの1軒『和泉屋』に停まりました。



蓬平温泉は長岡駅より車で25分ほどの山間にあり、信濃川支流の太田川の清流沿いに湧く静かな温泉地です。
泉質は肌に優しく、なめらかでまったりとした温泉で美肌効果もあるそうです。



現在東日本大震災で日本中で大騒動になっていますが、中越地震も忘れてはいけないのでしょう。
1年に1度の大イベント日本一の花火大会が今年も開催されました。
震災の慰霊と復興を願い特別な花火『フェニックス』が上がったそうです。



川向こうの崖に密生する植物のサイズの大きさにびっくりしながら暫し見とれていました。



山古志村に通じる道の途中にあるこの小さな温泉郷が、中越地震により道路の崩壊のため完全に孤立し、人々は救助を待っていたのです。



中越地震で大きな被害を受けた旧山古志村の近くで震災当時は蓬平温泉にある3つの温泉旅館も被害にあわれて一時休業しました。
現在は復旧して営業していますが、宿に向かう途中はまだ震災を爪あとを垣間見る場所がありました。



蓬平温泉入り口にある高龍神社の大きな鳥居です。



商売繁盛の神様として、全国各地から参拝者が絶えない神社です。
太田川の上流で三方を山に囲まれ、神秘的なムードが漂っています。



目の前に現れたのは、118段の石段ですぅ。
この石段を上ると、小じんまりとした境内が現われます。



続く............................................................................。


トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その116の1 『長岡』

2011年08月05日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
会社の出張で生まれて初めて新潟県長岡を訪問しました。
上越新幹線の車窓から、こんな処に住むのも悪くないなぁーと思いながら、写真を撮りました。



東京から新幹線だと、あっという間に長岡に到着です。
北越戊辰戦争により、会津とともに最大の激戦地となった長岡は、長岡城本丸のあった地点にJR長岡駅が設けられました。
また、長岡市は真珠湾攻撃の奇襲戦法を指揮した連合艦隊司令長官の山本五十六の出身地であることから第二次世界大戦の戦災による被害が激しかったという説もあります。



花火で有名な長岡らしく、駅前広場に『正三尺玉』の打揚筒のモニュメントが建っています。



長岡の花火はスケールが大きく、夏の夜空に大きく華開く、正三尺玉や打ち上げ幅1.7kmにも及ぶ復興祈願花火フェニックス、尺玉100発を打ち上げる米百俵花火などが有名のようです。



長岡駅にある本丸の城址です。



本丸跡の石碑です。
北越戊辰戦争で長岡藩は、兵力・兵器に圧倒的に勝る新政府軍を相手に、堂々と渡り合い、反骨の精神を示したが、戦いに破れ、長岡城下のほとんどは灰になってしまいました。



宿泊先は、『長岡の奥座敷』の呼称がある、越後長岡 蓬平(よもぎひら)温泉です。
蓬平温泉は豊かな自然と渓流 に抱かれた山間に湧く温泉地として親しまれています。



長岡は鯉の養殖でも有名です。
鯉の飼育の一番古い記録は中国のようです。
日本では、日本書紀に景行天皇が美濃国泳宮で池に鯉を放って鑑賞されたと記されています。

錦鯉は今から200年くらい前に新潟県長岡市(旧・山古志村)で誕生したそうです。
当時は棚田の上のほうに作った池で鯉を飼っていたのです。
その鯉の中に突然変異で生まれた奇麗な色と模様の鯉が錦鯉の始まりとされています。



長岡の蛙が有名なのかはわかりません。
旅館の入口で、我々を迎えてくれました。



続く.........................................................................。