TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポ家の蘭の花が咲いた!

2012年04月28日 | 小さい庭の素人ガーデニング
GWに入り、みなさんご家族でお出かけの人も多いと思います。
我が家はトッポの皮下点滴が毎日必要なので、トッポとのんびり近隣を散歩しながら過ごす予定です。
今日、トッポパパが早朝ゴルフを終えて帰宅したら、晴天になり気温も上がったせいか我が家の小さな庭にもいろいろな花が咲き始めました。



寝てばかりいると身体がなまるので、トッポと一緒に写真を撮りました。



玄関先の鉢植えの蘭も咲いています。



トッポ、『花の名前は知ってる?』
トッポパパ、『蘭ということは知ってるけど、名前は知らない。』
トッポ、『だよね、手入れしてないもんね。』
トッポパパ、『.........



我が家の蘭は生命力が強いのか、手入れは不十分なのですが頑張って毎年咲いてくれます。
トッポも頑張ってくれるでしょう。



この蘭だけは知っています。
確か『クンシラン』という種類?のようです。



クンシランは完全に花が開く前のほうが、優雅のような気がします。



この花?は庭の至る所に蔓を伸ばして勢力を拡大しているので困っていますが、申し訳なさそうにちょこっと花を咲かせていました。



まだ紫陽花が咲くまでの間、いろいろな花が咲くと思います。
ということで急遽明日は植木の手入れをすることになりました。
これって、素人がやるとけっこう疲れるんですよね! 頑張ります。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その126 『ランドマーク展望台の眺め』

2012年04月26日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
シンガポールからのお客さんがあり、MM21を案内しました。



シンガポールもいまは高層ビルラッシュでMM21もシンガポールと大差ないと思いますが、やはり文化の違いを感じるのか興味を持って見回していました。



造船所跡地にMM21が造られたと説明し、記念撮影です。



横浜の全貌を見せてあげたいと、ランドマークプラザの展望台へあがりました。
トッポパパ、横浜に住んでいながらはじめての展望台からの眺望です。

ちょっと横浜の歴史です。
1853年に黒船で有名な米国ペリー提督が浦賀に来航し、1858年 日米修好通商条約により神奈川開港、翌年の1859年にこの横浜港が開港されます。



1869年(明治元年)神奈川県になり、1872年に 新橋~横浜間に鉄道が開通します。



写真中央下の倉庫が赤レンガです。
1911年に赤レンガ倉庫(2号)が完成、1913年 赤レンガ倉庫(1号)完成します。



写真中央の横浜ベイブリッジは1980年に着工し、1989年に開通します。
中央左側が鶴見つばさ橋です。1987年に着工し、1994年に開通します。



横浜駅方面の眺望です。
近い将来、横浜駅からMM21まで連続して超高層ビルが林立し、いまのスペースも近代ビルに生まれ変わるのでしょう。



1978年横浜スタジアムが完成します。



中央の緑に囲まれた場所が、1930年に関東大震災復興事業の一つとして開園した山下公園です。
日本初の本格的な臨海公園で、噴水広場や芝生広場などに往時の面影が残っています。
モニュメントもいろいろあり、 野口雨情の童謡『赤い靴』の『赤い靴はいてた女の子像』や、姉妹都市:アメリカ・サンディエゴから贈られた『水の守護神の像』、『カモメの水兵さんの歌碑』、『インド水塔』など多くのモニュメントが園内にあります。



このあたりまではトッポとよく散歩した場所で、思い出がたくさんあります。



こんどは、晴天の時に夜景を撮りにもう一度来たいと思います。


トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その16

2012年04月22日 | トッポの腎不全闘病記
トッポは毎日良く寝ています。
週末に食餌を与えずに、病院で血液検査を受けました。
最近はよく水を飲むので、腎不全の影響で脱水状態になっているのかと心配しました。
残念ながら、血液検査はまたも思わしくなくトッポパパも頭を抱えてしまいました。



血液中の尿素に含まれる窒素分を測定(BUN)するのですが、参考正常値は10-28mg/dlとされています。
今回の検査結果はなんと、115mg/dl またも非常に危険な数値になってしまいました。
過去を振り返ってみると、2011.04.06=18(正常)、2011.05.21=32(少しオーバー)、2012.02.01=64(腎臓機能低下)ここから治療が始まりました。
その後トッポの容体が悪化し、2012.2.14=200オーバーで計測不可能となり緊急入院でした。
1日10時間の静脈点滴を3日続けて、2012.02.17=35と奇跡的回復力を見せてくれました。

しかし数日と持たなくて、2012.02.21=173と再度悪化で、また静脈点滴のため再入院、2012.02.29=40と静脈点滴の効果は顕著で改善されました。
ただ静脈点滴は3泊4日の入院なので、その後は自宅で毎日の皮下点滴で様子を観るようになります。

その後見た目にも元気がよくなり、よせつけなかったRB食も食べるようになり、嘔吐も止まったので、隔日の皮下点滴に切り替え数週間様子を観てきました。
ただ、最近良く水を飲むので、もしかすると脱水状態になっているのかなと心配していたところです。
今回の結果は115と、またまた危険ゾーンに入ってしまいました。
また毎日の皮下点滴に逆戻りです。

ただ食欲もあり、飛び跳ねることはなくても元気に歩いているので、まだ体力と気力はあるので安心しています。



人間で言えば人工透析のようなもので、体内の老廃物を皮下点滴で浄化しているような感じなのでしょう。
点滴後、時間が経つと多少だるくなってくるようです。

トッポの年齢になると人間の1年はトッポの4年に相当するようで、老化による体力の低下は避けられないのでしょう。



でも、まだまだ食欲、気力はあるので大丈夫でしょう。

トッポパパ、『点滴ぐらいいくらでもしてあげるから、頑張れ!』
トッポ、『心配するな、まだまだ大丈夫!』

トッポパパも先週、パルスが少し異常なので、心筋梗塞の予防のため心筋シンチグラフィーの検査でした。
トッポパパも点滴をされながらの検査でした。
まったく、トッポとトッポパパは病気までシンクロしているようです。
トッポパパは5月にトレッドミルという心臓に運動負荷を加えて、心電図をとるという検査が残っていますので検査結果はまだ先になります。

トッポの皮下注射はトッポパパがいないとできないので、そう簡単にトッポパパが病気になるわけにはいかないようです。
トッポパパはオーバーホール感覚での検査ですので、それほど心配はしていませんのでご安心ください。

しかし、いろいろありますね人生は。

よろしく! BMWミニクーパ S クラブマン

2012年04月17日 | トッポパパの愛車
GTRに惜別して、あらたにトッポ家の仲間になったのはMINIです。
MINIにもいくつかの種類があり、正式にはBMWミニクーパSクラブマンと呼ばれています。
正面から見ると、スポーティ・セダンの感じもありますが、GTRにくらべると可愛らしい顔です。



上から見ても、なんとも愛嬌のあるスタイルです。
スカイライン以外の車にほとんど乗ったことがないトッポパパですが、まるで違う雰囲気のMINI選択に周囲の人はエッ!と驚かれたようです。



この車に決める前は、フェアレディ Z や最近リリースされたTOYOTA 86も考えたのですが、家族の猛反対にあいギブアップしました。
理由は歳を考えなさい! ミッションは家族が運転できない! 小さくないと車庫入れが大変!てなことで、小型車にすることになりました。
ではMINIはどうか?で、いいんじゃない!ということになり決定です。
女性には人気がある車のようです。
MINIだって、いろいろあるんですけどね。



『MINI Clubman (クラブマン)』は、2代目BMW MINIがベースのワゴンモデルです。
BMWによれば、『シューティングブレーク』(英国流の2ドアスポーツワゴン)のようなイメージを狙ったというユニークな4人乗りです。



特徴は通常のMINIをベースに全長+24cm、ホイールベース+8cmサイズアップ全長とホイールベースをストレッチして快適な4人乗車を可能としました。



ボディ右側(運転席側)と後部は、観音開きドアになっています。
ちなみに、リアゲートのシルバーのグルリと縁取られた枠は、往年のカントリーマンの木枠を現代風にアレンジしたものです。




これによりスペースが拡がった後席にアクセスしやすくなっています。



コンパクトな車なのに、全長とホイールベースをストレッチしたので胴長のイメージになり『ダックスフンド』とも呼ばれています。



だいたい左右非対称の車など日本車には見られないので、これだけでもユニークなスタイルになっています。



クラシックミニで言うところのトラベラーやカントリーマンという車種の流れを汲んだモデルで、昔のイギリスにあった狩猟時に使われたクルマのスタイルです。



ダックスフンドはもともとは狩猟犬なので、昔はこんな感じで乗り込んでいたのでしょう。
ただ現在は猟銃に変わってゴルフバッグになってしまい、トッポも留守番犬ぐらいしかできないですね。



パネルレイアウトも独特で、日本車とはまるっきり雰囲気を異にしています。
ママと娘のために6速AT仕様にしてありますが、スポーツモードに切り替えるとマニュアル感覚でのシフトができ、ステアリングにはパドルシフトもオプションになっています。
トッポパパの運転は、ほとんでスポーツモードでパドルシフト使用の運転になるでしょう。
これだとギアチェンジのレスポンスが早く、シフトアップ・ダウンのタイムラグを感じなくてすみそうです。



内装もお洒落なので、女性に人気なのでしょう。
ただ、異常にスイッチが多く、いまだにどのスイッチがどのように機能するのかわかりません。
トッポパパには必要のないスイッチが半分以上ありそうです。



エアバッグはテンコ盛り(6箇所か7箇所?)で、ボディ剛性は非常に高くDSCも標準装備されています。



ただ、日本車と違い故障は多く、メンテが大変なようです。
後日、たぶん故障報告のオンパレードだと思いますが、ダックスフンドのトッポも故障が多いワンコなので、同じようなものだと割り切って面倒見るようにします。


これからも、トッポともどもMINIダックスをよろしくお願いいたします。

長い間お世話になりました! さよなら GTR!

2012年04月15日 | トッポパパの愛車
今日はトッポ家の足として長い間頑張ってきてくれた『スカイラインGT-R』とお別れの日です。



トッポも生まれてすぐ乗り始め、慣れ親しんだ車とさよならです。
こんな車に乗っていたのだという思い出のため、桜の咲く近所の川沿いで記念撮影に出かけました。



平成元年発売と同時に購入、24年間の長きにわたって元気に活躍してくれました。
トッポにとってもエンジンの音を聞いただけでトッポパパの帰宅を理解して、玄関で迎えてくれました。



最後にトッポに運転手席に座って?もらい記念写真にしました。
こんな写真を何枚もこのブログでも紹介しました。



トッポパパがまだ若い頃、車好きの会社の仲間に洗脳?され、最初の車からスカイラインをほぼ歴代乗りついてきました。
トッポパパの世代の人たちには『スカイライン神話』が未だに残っています。



日本の高度成長時代、日本の車も世界に追い付けをスローガンに頑張っていた時期、第2回日本グランプリが開かれ、当時の『スカイラインGT』はポルシェカレラ904GTSと互角の戦いを行い、総合2位になったのです。

トッポ、『僕の生まれる前の話だから良く知らないけど、この車は大好き!』



日本のファミリーカーが世界を代表するレーシングカーを一時ではあるが、抜いた!、この奇跡的な出来事に多くの人が熱狂しました。
このドラマを東京新聞は、『羊の皮を被った狼』と表現しました。
またトッポパパの親族が、日産自動車に勤めていたということも、車は日産車=スカイラインということになったようです。



『スカイラインGT-R』の名前は、日本の自動車史の中でも特別な意味をもちます。
ファミリィ向け4ドアセダンをレース用エンジンにデチューンして搭載した初代『ハコスカGT-R(C10型)』は、1970年代初頭にJAF公認レース50連勝という不滅の記録を打ち立て、その名前は伝説となります。



この『スカイラインGT』以降、6気筒エンジンを搭載するスカイライン車種に『GT』の名前を付け、日本でGTの名を冠した車はこれが初めてになります。
その後、スカイラインがいつしか『スカG』と呼ぶようになります。
当時はGT=スカGだったのです。



GT-Rは1972年に当時、最後の車種ケンメリ(C110型)へ移行しますが、強化された当時の排ガス規制に適合できず、1973年にその姿を消しGT-Rの名は長い眠りにつくことになります。

その後、テレビの西部警察で有名になった『スカイラインRSターボ』も発売され人気を呼び、トッポパパの乗っていました。
RSやGTS-Rなどのスポーティモデルも登場しましたが、『GT-R』を名乗る資質として十分な性能ではなかったため、その名が冠されることはありませんでした。
RSに乗っていた時はRacing Sportsの名の通り、キビキビした動きに運転の楽しさをあじわいましたが、4気筒のためGTRの名前は継ぐことはできませんでした。



そして1989年(平成元年)、伝統のGT-Rを名乗るにふさわしいメカニズムとスペックを身につけたR32がデビューし、ようやくGT-Rの赤バッジを付けることを許されたのです。
今でも銀座4丁目の日産ギャラリーでお披露目されたGTRに衝撃を受けたことを、昨日のように思いだします。

リアコンビネーションランプは、ケンメリ以来スカイラインのアイデンティティとなった、丸目4灯式が採用されました。



R32型GT-Rのボディタイプは、2ドアクーペのみの設定でした。
運動性能向上のため、ボディ全長を先代のR31型よりも115mm縮小し、リアシートの居住空間は必要最小限しかありません。
乗車定員も4名で、筋肉質でちょっとセクシーなデザインです。
ダッシュボードはT字型で、センタークラスターがドライバー側を向いたデザインで、フロアトンネルが大きく足元はタイトですが、運転席はまさに戦闘機のコックピットといったイメージです。

当時は制限速度?の規制のため、スピードメーターは180Km以上の表示はできなかったようで、トッポパパはすぐに安全のため?リミッター解除と320Kmまでの表示パネルに変更です。
誤解を招くとまずいので敢えて補足しますが、トッポパパは暴走族ではありません..........安全のためです



最高出力は当時の自主規制上限の280psを達成しており、さらに大幅なチューニングが可能という、高いポテンシャルをもっていました。
その後のチューニングに関してはオフレコにしておきます。
ヘッドランプも横長のレンズカバーに覆われた4灯式で、初代GT-Rの面影を再現されています。



太いタイヤを収めるため、左右に張り出したブリスターフェンダーが、ノーマル車との大きな違いです。
6直列6気筒DOHC4バルブという、初代と同メカニズムをもつエンジンが搭載されています。
2.6L直列6気筒エンジンに2基のターボチャージャーを装備。インタークーラーを付加することで、ハイパワーは、電子制御トルクスプリット4WDのによって全輪に伝えられ、トルク配分比率はインパネのメーターで見ることができます
サスペンションは前後ともマルチリンク式を採用しています。



このマフラーは特別に独自に製作したもので、この車だけのものでしょう。
16年の沈黙を破り GT-R という名称がスカイラインに復活した記念すべきモデルで、24年間大切に乗り続けてきました。
メンテナンスには新車並みの価格の経費がかかりましたが、まだまだ現役で、いまはビンテージカーになりつつあります。

このままのスタイルで、現代版が発売されても購入してしまうだろうと思っています。
いまでも、十分通用するスタイルだと思います。



いままで何度も新車の購入を考えましたが、最近はみな同じようなスタイル、デザインに(申し訳ありません、トッポパパの先入観です。)納得がいかず、なかなか手放すことができませんでした。
残念ながら(笑)トッポパパもそれなりの歳になりましたので、GTRの異常に思いクラッチやマニュアルミッションが長時間運転の時にさすがに負担になってきました。

幸いなことに車好きな同僚が大切に引き継いでくれることになり、ここで断腸の思いでお別れの決断を下しました。



トッポ、『さよなら、GTR!
ところで、トッポパパが乗る次の(最後の)車は何でしょうか?
トッポと同じ、ダックスフンドとも呼ばれている小型の車です。
これだけで分かる人は、相当な車好きな人でしょう、分かるかな?



長々と、トッポパパの愛車とのお別れにお付き合い頂きありがとうございます。
近々、新しい相棒を紹介いたします。

さよなら!『GTR』

トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その15

2012年04月14日 | トッポの世界
花見の宴会準備の人たちの間を縫って、井伊掃部頭の銅像に向かいます。



掃部山公園の一番高いところに井伊掃部頭(直弼)の銅像があります。
1858年に大老職に就任し、勅許なく日米修好通商条約に調印し、徳川家茂を将軍継嗣に決定します。
『安政の大獄』と言われる攘夷派の志士の弾圧を行ったため、1860年、桃の節句の祝儀に江戸城に参上の途中、桜田門(桜田門外の変)において水戸・薩摩の浪士に襲われ命を落としてしまいます。



銅像の横の『仙台枝垂れ桜』が満開です。



横浜開港の祖と言われる井伊掃部頭も、見下ろす横浜港周辺が、いまは『MM21,みなとみらい』と様変わりするとは思いもしなかったことでしょう。



桜越しに周囲のビル群が観えます。



トッポ、『だんだん人が集まってきた!』



トッポもだんだん落ち着かなくなってきたようです。



トッポ、『陣取り合戦は終わったようだね!』



大きなビニールシートが一面に敷かれてしまいました。
夜は歓声に包まれながらの大宴会が開かれるのでしょう。



横浜のシンボルタワーからも、ここの桜は良く観えるのでしょう。



トッポ、『宴会やらないで、このまま帰るのか!』



若干ガッカリしたようなトッポをなだめながら帰宅しました。



今年のお花見報告はこれで終わります。

トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その14

2012年04月12日 | トッポの腎不全闘病記
一番上の広場に到着しました。



ここからランドマークタワーを観ると、目の前に聳え立つ感じです。



陣取り合戦たけなわの間を縫って前に進みます。



トッポパパ、『4年前、みんなでオデン食べた場所だよ』



トッポ、『前にあの辺で花見をしたんだ!』



今年は早くから、特等席はビニールシートが敷かれています。



だんだん狭くなる通路?を、トッポはキョロキョロしながら見回しています。



宴会が始まるには時間があるので、まだ焼き鳥などのにおいが充満していません。
そのおかげで、トッポは興奮状態にならずに済みました。



横浜開港を決めた井伊直弼(井伊掃部頭)の銅像に挨拶しようと思います。



続く.....................................................................。

トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その13

2012年04月11日 | トッポの腎不全闘病記
トッポも池の周りを歩きたいようです。



快晴とはいえない天気なので、太陽が雲に隠れると桜がくすんでしまいます。



位置を変えたら少し明るさが増したようです。



いくつかの撮影スポットの一つがこの辺りのようです。



ちょうどいいところにベンチがありましたので、トッポと一緒にママに撮ってもらいました。



石灯籠に子供が上ると危険なので柵がしてあるのがちょっと残念ですが、周囲が大石と池では仕方ないですね。



こういう写真がいつまで撮ることができるのかと思うと、ちょっと寂しくなります。
『あと2-3年頑張れ、トッポ!』



一番上の広場に向かいます。



スロープの途中で市内を見渡すと、桜の上に高層ビルが覗きます。



続く....................................................................。

トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その12

2012年04月10日 | トッポの腎不全闘病記
公園で遊んでいる子供たちをじっと見ているトッポです。



ここの桜は大木が多く、枝ぶりも大きな桜で立派です。



最近は寝ている時間が多いトッポですが、さすがに子供たちの動きを見て歩いてみたいのでしょう。



こうした表情を見ていると、腎不全で治療中とは思えないのですが........



池周辺の桜は池を覆うように枝を伸ばして、まさに満開の状態です。



夜桜を見ながらの宴会の場所取りの人たちが、良い場所の陣取り合戦を始めています。



トッポを大きな岩の上に乗せて、池と桜をバックにパチリです。



白とピンク色の桜があり、夜はライトアップされるので幻想的な雰囲気になるのでしょう。



まだ夜の宴会は寒くて風邪をひきそうですので、トッポ家は遠慮しました。



続く.........................................................................。


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トッポパパは現在海外出張中です。
トッポの花見の続きは予約投稿しておきますので、ご覧になってください。
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トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その11

2012年04月09日 | トッポの腎不全闘病記
先週末、トッポを連れて病院へ行きました。
それほど具合が悪い様子も見えないので血液検査のデータ改善を期待して出かけたのですが、トッポパパは大チョンボをしてしまいました。
病院へ行く前に、トッポが何かくれと尻尾をブンブンしているので、ついおやつを少しあげてしまいました。
結果、食べてしまったのでは検査は見送りということになり、また10日後ということになってしまいました。
トッポは採血の痛い思いをしなくてすみ、レーザーだけで帰宅となりホッとしたようです。

で、少し体調もよさそうなので、近くの掃部山(かもんやま)公園へ桜を見に出かけました。

トッポ、『ユスラウメが咲いてるよ!』



家を出るとき我が家の桜桃(ユスラウメ)が咲き始めたので写真を撮りました。
このユスラウメは毎年1cmぐらいのさくらんぼのような果実をつけ、ザルいっぱいほどの果実が採れます。
結構甘いので完熟するころはたくさんの鳥が集まってきます。
人がそのまま食べても結構おいしく、果実酒やジャムにする人も多いそうです。



掃部山公園の桜は4年前にも紹介しましたが、掃部山公園の入り口でもう一度記念撮影です。



坂道でトッポを一人にして写真を撮ろうとするとママは退散です。



トッポ、『一人にして、どこいくんだ!』



心配そうなトッポの表情です。



下の公園も桜が満開で、近所の子供たちが楽しそうに遊んでいます。



トッポ、『ランドマークタワーが見える!』



横浜のニューシンボル、ランドマークタワーが桜越しに観えます。



続く...................................................................。

トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その10

2012年04月08日 | トッポの腎不全闘病記
ブログアップに時間がかかっていて申し訳ありません。
桜が咲いているというのに、最後の根岸森林公園の写真です。



梅の枝にトッポの手を添えて写真を撮ってみました。



トッポは高いところが好きなので、それほど嫌がりもしません。



森林公園へお出かけの時は隣接の馬の公園へ出かけるのも楽しいです。



こちらの梅の花もきれいです。



枝垂れ梅とトッポの記念撮影です。
トッポの木の枝ショットの黒子は、もちろんママです。



こちらの公園はとてもよく整備されています。



最後にトッポと一緒の写真を何枚か撮りました。





トッポは皮下点滴は続けているものの、容態は小康状態を維持していますのでご安心ください。



次回はトッポと桜の写真を報告できそうです。

トッポ安静中! もうひと山(腎不全)乗り越えられるか? その9

2012年04月03日 | トッポの腎不全闘病記
今日は春一番というより、台風のような風雨に見舞われました。
トッポと散歩の残りの写真を整理しました。



梅の花を見ながら歩いていると、可愛いワンちゃんに出会いました。



トッポもじっと見つめています。



ママに抱かれながら、ご対面です。



まだ2歳と話していましたので、一番活発なころです。



トッポは病み上がりなので遊ぶことができないのですが、興味はあるようです。



トッポ、『遊んであげられなくてゴメンね!』



梅の花との定番ショットです。



紅梅をどアップで撮りました。



次回が最後です。

続く......................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その125 『川島城』

2012年04月01日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
徳島の阿波九城の一つに数えられる『川島城』を訪問しました。
インターネット情報を纏めて、川島城の紹介です。



国道沿いにあり、だいぶ遠くからでも目に付く天守は、徳島城の有力な支城であったとはいえ、これほどの立派な天守がその昔実際にあったとは考えられません。



現在の川島城は昭和56年に建立されたもので、内部には和室、資料展示室、展望所、ギャラリーなどがある。



阿波九城の一つだったが寛永15(1638)年に廃城となり、現在の城郭は昭和56(1981)年に復元されたものです。



川島城は、吉野川に面した『岩の鼻』と呼ばれる、城山に築かれました。
城山の一番高所に本丸、川島神社が建つ所が二の丸で現在の模擬天守は、三の丸の位置に三層模擬天守が建てられました。



二の丸跡に建てられた川島神社です。



吉野川を臨む比高20mほどの断崖を利用して川島城は築かれています。
模擬とは思えないほどよくできた天守が建っているので、だいぶ遠くからでもその場所を知ることはできます。



吉野川の川脇を「浜」といい、かつては水運のための港があり、栄えたところであります。



川島城は、天文年間に篠原紫雲によって築城されました。
天正13年、蜂須賀家政が阿波に入国すると、阿波九城の一つとして、林道感を城主とします。



林氏三代に渡り居城し、小さな城下町も形成されました。
その後、一国一城令により、寛永10年に廃城となっってしまいます。
江戸時代を通して、城跡に徳島藩の奉行所が置かれていました。



川島神社前の、歴史を伝える大木です。



最後に、トッポパパの目にとあった自然石をを利用した灯篭です。



それでは徳島より