厳島の石碑をみて、世界文化遺産の厳島神社の中へ入ってみることにします。
石碑の前にトッポがいないのはちょっと寂しいです。
厳島神社は、811年には日本の歴史として、『日本後記』に記録が残っているそうです。
平清盛の時代の1168年ごろに社殿が造営され、平家の隆盛に伴い、京都から皇族、貴族も厳島神社を訪れたのです。
回廊を歩くと、平安文化が積極的に取り入れられているのが分かります。
平家滅亡後、厳島神社は源氏一門にも厚遇され、安定と隆盛の時代であったそうです。
これが、国宝とされている平舞台です。
正面前に広く張り出された露台で、前方に前回お嬢さんがお祈りしていた火焼前と呼ばれる突き出た所があり、管絃祭の出御・還御がここで行われたのです。
そして、常に正面には朱色の大鳥居と青い海が見れる景観に作られているわけです。
寝殿造りの建築様式で、周囲の景観と見事に調和させて一つの美を創造した点は、非常に優秀な優秀な建築物です。
下の写真の『能舞台』は、塩が満ちてくると海上に建っているため、通常能舞台と違い、床は響きをよくするため一枚の板のように作られているそうです。
床が太鼓の皮のような役割を果たし、足拍子のたびに大きく共鳴するそうです。
潮の満ち引きによって響きの音色が変わるのも、海の上に立つ能舞台ならでは効果なのでしょう。
厳島神社は本殿、弊殿、拝殿、祓殿と、その前には舞楽を演奏する高舞台があり、それらを写真のような回廊で行き来できるように造られ、回廊の総延長距は300mにもなるそうです。
回廊はごらんのように、素通しになっており素晴らしい景観を大鳥居を中心として見渡せるようになっていました。
社殿は、1207年と1223年に火災にあい、これら災害の修復が行われましたが、たび重なる火災で神社の規模も移り変わったと書かれています。
現在の社殿は1320年代から引き継がれているといわれていますが、それにしても実に長い歴史のある社殿であることが分かります。
詳しいことはよく分かりませんが、回廊を歩いているだけで歴史を体感できました。
続く...............................。
石碑の前にトッポがいないのはちょっと寂しいです。
厳島神社は、811年には日本の歴史として、『日本後記』に記録が残っているそうです。
平清盛の時代の1168年ごろに社殿が造営され、平家の隆盛に伴い、京都から皇族、貴族も厳島神社を訪れたのです。
回廊を歩くと、平安文化が積極的に取り入れられているのが分かります。
平家滅亡後、厳島神社は源氏一門にも厚遇され、安定と隆盛の時代であったそうです。
これが、国宝とされている平舞台です。
正面前に広く張り出された露台で、前方に前回お嬢さんがお祈りしていた火焼前と呼ばれる突き出た所があり、管絃祭の出御・還御がここで行われたのです。
そして、常に正面には朱色の大鳥居と青い海が見れる景観に作られているわけです。
寝殿造りの建築様式で、周囲の景観と見事に調和させて一つの美を創造した点は、非常に優秀な優秀な建築物です。
下の写真の『能舞台』は、塩が満ちてくると海上に建っているため、通常能舞台と違い、床は響きをよくするため一枚の板のように作られているそうです。
床が太鼓の皮のような役割を果たし、足拍子のたびに大きく共鳴するそうです。
潮の満ち引きによって響きの音色が変わるのも、海の上に立つ能舞台ならでは効果なのでしょう。
厳島神社は本殿、弊殿、拝殿、祓殿と、その前には舞楽を演奏する高舞台があり、それらを写真のような回廊で行き来できるように造られ、回廊の総延長距は300mにもなるそうです。
回廊はごらんのように、素通しになっており素晴らしい景観を大鳥居を中心として見渡せるようになっていました。
社殿は、1207年と1223年に火災にあい、これら災害の修復が行われましたが、たび重なる火災で神社の規模も移り変わったと書かれています。
現在の社殿は1320年代から引き継がれているといわれていますが、それにしても実に長い歴史のある社殿であることが分かります。
詳しいことはよく分かりませんが、回廊を歩いているだけで歴史を体感できました。
続く...............................。