TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その2の4 『宮島』

2006年11月30日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
厳島の石碑をみて、世界文化遺産の厳島神社の中へ入ってみることにします。
石碑の前にトッポがいないのはちょっと寂しいです。



厳島神社は、811年には日本の歴史として、『日本後記』に記録が残っているそうです。
平清盛の時代の1168年ごろに社殿が造営され、平家の隆盛に伴い、京都から皇族、貴族も厳島神社を訪れたのです。



回廊を歩くと、平安文化が積極的に取り入れられているのが分かります。
平家滅亡後、厳島神社は源氏一門にも厚遇され、安定と隆盛の時代であったそうです。



これが、国宝とされている平舞台です。
正面前に広く張り出された露台で、前方に前回お嬢さんがお祈りしていた火焼前と呼ばれる突き出た所があり、管絃祭の出御・還御がここで行われたのです。
そして、常に正面には朱色の大鳥居と青い海が見れる景観に作られているわけです。



寝殿造りの建築様式で、周囲の景観と見事に調和させて一つの美を創造した点は、非常に優秀な優秀な建築物です。



下の写真の『能舞台』は、塩が満ちてくると海上に建っているため、通常能舞台と違い、床は響きをよくするため一枚の板のように作られているそうです。
床が太鼓の皮のような役割を果たし、足拍子のたびに大きく共鳴するそうです。
潮の満ち引きによって響きの音色が変わるのも、海の上に立つ能舞台ならでは効果なのでしょう。



厳島神社は本殿、弊殿、拝殿、祓殿と、その前には舞楽を演奏する高舞台があり、それらを写真のような回廊で行き来できるように造られ、回廊の総延長距は300mにもなるそうです。



回廊はごらんのように、素通しになっており素晴らしい景観を大鳥居を中心として見渡せるようになっていました。



社殿は、1207年と1223年に火災にあい、これら災害の修復が行われましたが、たび重なる火災で神社の規模も移り変わったと書かれています。
現在の社殿は1320年代から引き継がれているといわれていますが、それにしても実に長い歴史のある社殿であることが分かります。



詳しいことはよく分かりませんが、回廊を歩いているだけで歴史を体感できました。

続く...............................。

トッポ、葛飾柴又帝釈天へ『寅さん来ましたよ!』、 その7

2006年11月29日 | トッポの世界
帝釈天の駅に向かう途中、帝釈天参道の看板がこのように架かっています。



トッポ、『お団子食べない?』
トッポパパ、『おいもをたくさん食べたからダメ! 喉詰まらせると大変だから、お土産に買うだけにしようね。』



帝釈天は、寅さんの生まれ故郷で、寅さんのおいちゃん、おばちゃんがのお店のモデルになったのが、参道の駅寄りにある草だんごの老舗『高木屋』です。



この『高木屋』さんは、映画の撮影の時は、寅さんをはじめスタッフ一同が休憩や衣装替えに利用させてもらったようです。
店の構えも、映画とよく似ています。
中には、ロケのときの写真やポスターが架けられているようです。



高木屋のホームページの説明によると;

<江戸時代、このあたりは武州葛西領と呼ばれ、一面の田畑でした。当時農家では「よもぎ」を団子の中につきこんで食べていました。
武家の屋敷や大商家へ行儀見習いに行っていた農家の娘達は、その主人宅に唯一の贈り物として用いたそうです。
この素朴な風習から生まれた「草だんご」は、いつしか一般の人々にもその香味が知られるようになりました。
この遠い昔、すでに紫又門前の高木屋では、求肥餅、瓦せんべい、塩せんべいなどを売っていましたが、同じ頃より「草だんご」も売り始めていました。以来百年余の月日が流れておりますが「よもぎ」をつきこんだ自然のかおりから生まれる「草だんご」は今や東京唯一の名物として親しまれております。>

とのことです。
お土産で買って帰り、家で食べてみましたが、なかなか美味しかったです。



帝釈天王安置の石碑が、参道の駅側にあります。



この写真でも分かるように、下町情緒いっぱいの参道です。
おもちゃ博物館、10円まんじゅう、ベビーカステラ.......情緒たっぷりです。



トッポ、『あんなところで、串ざしの胡瓜を売ってるよ!』



もちろん躊躇なく買いました。 
犬を抱きながら胡瓜をかじっている変なおじさんは、もちろん行き交う観光客の失笑を買っていたことは間違いありません。



もうすぐ柴又の駅です。
最後になりましたが、ここで寅さんの銅像にご対面です。

続く....................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その2の3 『宮島』

2006年11月28日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
日本三景碑をもう一度アップで撮りました。
とても大きな岩で、立派な石碑になっています。



ここから厳島神社の建造物の全体が見渡せます。
こちらの多くの建物は現在、国宝、重要文化財に指定されているそうです。
厳島神社社殿は、推古天皇(593)の時代に佐伯鞍職による創建と伝承されています。
台風などの被害で、何回か建て直しや改修が行われたようですが、全般に創建当時の建築様式が忠実に守られているので、平安時代の雰囲気を実感できます。



厳島神社のこの朱丹の大鳥居は、日本の代表的な観光地のシンボルとして海外にもよく知られています。



訪問したときは、ごらんのような引き潮で、広洲状態になっていました。
多くの観光客が下に降りて、正面より大鳥居を見ようと集まってきます。



この鳥居は楠の自然木を使用し、珍しい四脚造りになっています。
平安時代の記録でも、鳥居はあったといわれていますが、現在の鳥居は平安時代から8代目で、明治8年に完成したものです。



大鳥居は総高約16m、主柱の高さ約13.4m、主柱のまわりは9.9m、棟の長さ23.3mの大きさです。
社殿の入り口の前に、大きな狛犬の石像がありました。



大鳥居はFRPで防水加工が施してあるそうですが、やはり、それでも海水の浸食を受けるため定期的にメンテナンスを行っているようです。
いつも綺麗に見える大鳥居も、多くの職人さん達によって支えられているのでしょう。



満潮時には、社殿のほうまで水が上がってくるので、幾つもの海水の流れる水路?のようなものが見えます。



平舞台の一番先から大鳥居を見た景色です。
写真で見た大鳥居は海の中に浮かぶ大鳥居ですけど、干潮なのでかろうじて海の中に立つ大鳥居になってしまいました。



一人の若い女性が、何かお願い事をしているようです。
これから社殿の中からの景色を紹介します。

続く....................................。

トッポ、葛飾柴又帝釈天へ『寅さん来ましたよ!』、 その6

2006年11月27日 | トッポの世界
古き時代の面影を感じさせる参道です。
遠く外国からのお客さんも時々歩いていますので、寅さんも国際的になったようです。



トッポは参道へ出る前から、参道のほうから漂ってくる団子やおせんべいを焼いている匂いに、敏感に反応しています。



途中のお店の窓に、寅さんの似顔絵?が飾ってありました。
映画のシーンを勝手に思い出しながら、どの場面だったか想像しながら見ていました。



参道は、団子屋、せんべい屋、飴屋、漬け物屋、土産物屋などが並び、美味しそうな料理屋も数多く参道沿いにあります。
トッポもお腹がすいているようです。



友人がワンちゃん連れでも、外ならかまいませんというお店を探して予約を入れておいてくれたので、ありがたいことに待つこともなくお昼ごはんをいただけそうです。



お店に着いたとたん、トッポは興奮気味です。



ここまで連れてきて、ドッグフードではちょっと可哀想なので、途中のお店でお芋をひとつトッポのおやつに買ってきました。


トッポ、『久しぶりのおいもだ! 早く頂戴!
興奮気味のトッポを押さえるのが大変です。



お芋を食べたトッポは、少し落ちついたので、我々もうなぎの肝焼きでビールで乾杯です。
昔からの帝釈天の情緒いっぱいの参道で飲む、喉越しビールの味は格別でした。



トッポは、もうくれないと分かると観光客の行き来のほうが興味があるようです。
こちらで頂いた、名物うなぎも美味しかったです。

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そういえば今日はトッポパパの誕生日です。
もう誕生日を喜ぶ歳ではないのですが、ここまで大病を患うこともなく生きてこれたことに、感謝しなければいけませんね。
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続く...................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その2の2 『宮島』

2006年11月26日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
フェリーを降りて構内を抜け、左に目をやると写真の日本三景碑がすぐ目に留まります。



島には多くのシカが生息しているようです。
しかし、シカが大繁殖して現在は600-700頭ぐらいいるようですが、観光客に慣れているのか、人を見ると追いかけてきます。



おとなしい動物なのか、愛くるしい目をしたシカは可愛いのですが........



すぐに集団になり、押し寄せてくるので? ちょっと腰が引けます。



シカを追い払いながら歩くとすぐに、厳島神社への入り口になります。



大鳥居を右側に見ながら、弓なりに海沿いに歩いていくと逆光でボンヤリしていた景色が、だんだんくっきりと浮かび上がってきました。



しかし、その昔、誰が洲浜を敷地として、神社を造ろうと考えたのでしょうね。
島自体を神と奉ったのですから、竜宮城でも造ろうとしたのでしょう。
記述によると、来世を船で渡って極楽浄土へという藤原時代の浄土信仰によるものとされていますが、遠い平安時代にここまで自然と調和した厳島神社を造られたことは驚きです。



もう少し歩くと、厳島神社の社殿が見えるはずです。

続く..................................。


トッポ、葛飾柴又帝釈天へ『寅さん来ましたよ!』、 その5

2006年11月25日 | トッポの世界
トッポ、『この渡り廊下を歩いてみたいけど、僕は無理だよね!』



ここは、ワンちゃんは歩かせてくれないようです。



じっと境内を見ていると、寅さんの映画で佐藤蛾次郎が演じる源公が、その辺からほうきを持って現れそうな感じがします。



このお寺の正式名称は経栄山題経寺で、帝釈天板本尊を祀ることから『柴又帝釈天』と呼ばれています。
一時行方不明だった本尊が庚申の日に発見されたことから、庚申信仰とも結び付き、現在も庚申大祭の日は縁日の日として賑わっているそうです。



これは子供が、何か担いでるような石像です。
たぶん唐子と呼ばれる中国の童子のようです。



トッポパパ、『トッポ! いい顔して。』
トッポ、『ハイハイ! 後で、なんか頂戴ね。』



トッポ、『もう境内の案内はいいから、あっちの参道へ行かない? いい匂いがしているんだけど。』



では、帝釈天の参道で、何か食べようということになりました。



続く...................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その2の1 『宮島』

2006年11月24日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
ただ漠然と日本の紹介をする気まぐれ紹介として、とりあえず日本三景の一つといわれる安芸の『宮島』を訪問してみました。
ちなみに、日本三景とは、宮城県 陸前「松島」、広島県 安芸の「宮島」、そして京都府 丹後「天橋立」です。



新幹線で広島で降りて、駅前から広電に乗り広電宮島口へと向かいました。
そこから、写真のような船に乗って宮島へ向かいます。



どうしても仕事の関係で、海外の都市の訪問が多いのですが、何故か日本の観光のほうが緊張します。
生憎宮島方面は逆光になったので、船から反対側の景色を最初に撮ってみました。



海も綺麗で、遠くから見る山間の中の市内の景観も絵葉書のようです。



広島駅から広電で約35分の宮島口駅で下車し、そこから少し歩くと桟橋からフェリーが出ています。

写真や映像で何度も見た事がある 宮島の鳥居がかすかに見えるようになります。
午前中は逆光になるので、こちらからの写真は午後のほうがいいのでしょう。



平成8年12月、『厳島神社』が、世界遺産委員会で正式に世界文化遺産として登録されました。
さて、これから1400年の歴史を持つ厳島神社を、たっぷり見させてもらいます。



大鳥居を横目で見ながら、宮島に到着です。
社殿を中心とする厳島神社だけでなく、周囲の海、及び背後の弥山原始林を含む森林区域まで総面積431.2ヘクタールが世界遺産として認定されたそうです。



厳島神社の観光オフィシャルサイトによると、太古の時代から、宮島の景観には人々が霊気を感じ、島そのものを神として、信仰の対象にしていたそうです。
社殿の創建は、推古天皇即位元年(593年)、佐伯鞍職によると伝えられています。
神社の敷地を州浜に求めたのも、島そのものを神と見たためとおもわれます。



たぶん二度と来ることはないでしょうから、ゆっくり見物させていただきます。
広島在住、及び近隣の人に説明のアドバイスをいただければ、ぜひ追加、修正をさせていただきます。

続く...................................。

トッポ、葛飾柴又帝釈天へ『寅さん来ましたよ!』、 その4

2006年11月23日 | トッポの世界
柴又帝釈天題経寺(だいきょうじ)は、帝釈堂、祖師堂、二天門には、多くの木彫りによる十二支や法華経説話の建築浮彫装飾が施されいました。
有料ですが回廊式の庭園、邃溪園を見ることが出来るようです。
特に細かな木彫りは素晴らしいので、必見のようです。



参拝客が洗うことでご利益があるといわれる、浄行菩薩です。
病をかかえている場所を磨けば痛みが和らぐという浄行菩薩ですが、トッポパパは、後ろにいるお婆さんの顔が浄行菩薩とよく似ていると感心してみていました。そう思いませんか?



トッポ、『今年は、何回お線香の煙を浴びたのかな? でも、この匂いは、嫌いなんだけど。



江戸歴史散歩の会というのがあるらしく、ネット上のその資料によると寛永年間、松の根本に霊泉の湧くのを見て、庵(いおり)を結んだのが帝釈天のようです。
松は、四方に枝を拡げて、『瑞竜の松』と言われています。



『瑞龍松』は毎年、清酒を一升瓶で100本回りに逆さまにして埋めて栄養としているそうです。



最近のトッポは、行儀よく正座してポーズをとってくれるので記念撮影が楽です。



帝釈天由来の碑の説明がありました。



トッポ、『ここから見ると、帝釈天も広いね。』



釈迦堂の近くから見た境内の様子です。
左に帝釈堂、右に本堂をを配置していて、その間が渡り廊下になっているようです。



映画に出てくる帝釈天はもう少し狭い感じでしたが、実際は結構奥行きもあり広いです。

続く...................................。

海外の都市紹介、 その28の3 『アブダビ』

2006年11月22日 | 海外の都市の紹介
正面のゲートの奥にあるお城のような建物が、運転手の話では『King of Palace』と話していましたので、アラブ首長国連邦の大統領か、アブダビの首長の家族でも住んでいるのでしょう。
砂漠の砂が舞っているのが、かえって幻想的な宮殿のようにしています。



市内に入ってくると、緑に囲まれた近代的なビル群がたくさん見えます。
しかし、この緑が砂漠の中にに作られたとは想像できないですね。

以前は、日本の石油の消費量の四分の一が、このアブダビから供給されていたそうです。 人口は175万人と、それほど多くはないようです。



非常に変わったデザインのビルです。 左右非対称で、とても変わったビルだと思います。

アブダビも日本のような四季はなく、4~11月がが暑い時期になり8~9月は気温50℃、湿度100%にもなるそうで、日本人には考えられない気候です。
ドバイで経験したことですが、サングラスやカメラの外側のレンズが曇ることは、他の暑い国でも室内との温度差が急激な場合起こりますが、内部まで曇ってシャッターが下りなくなったのは初めての経験でした。
レンズをはずして、5分ほど放置しておくと温度差がなくなり元に戻るのですが、室内から外に出てすぐには、カメラを使用できないということが分かりました。



アブダビも異国情緒たっぷりの国かと想像していましたが、アブダビは近代都市で、現地に駐在している人の話では、生活水準も高く、暮らしやすい街ですと話していました。



下のホテルは、シェラトンホテルですが、アラブの国の建物のように建てられています。 
モスクを思わせるデザインと茶色の色が多いのが特徴です。



市内から少し離れたところに、サウジアラビアについで、世界で2番目に大きいモスクがあると聞いて、見に行きました。



大掛かりな改修工事中でしたので、美観はいまいちでしたがその威容は伝わると思います。



イスラム教徒の国々では、どこでもそうですがモスクは神聖な場所で、イスラム教徒以外は内部に入ることができませんので、外観だけの写真です。



競馬場に途中立ち寄り、帰路につきましたが、その途中事件が起きました。
運転手が、この辺は大使館街で各国の大使館が並んでいて日本の大使館もありますと話してくれましたので、ちょっと写真を撮りたいと少し離れたところに停車しました。
ここまでは良かったのですが、この後が大変でした。
トッポパパが、みな同じアラブの建物のようなので日本大使館の標識をアップで撮っておかないと、どの建物が日本の大使館か分からないので、まん前まで行って写真を撮ってしまったのです。
すると外のアラブ系のガードマンが、機関銃を携えて『○△□!?!?』と突撃してきて、カメラを没収されてしまいました。
後で気がついたのですが、門の横に撮影の場合は許可を得ることのプレートがあったのです。



日本語も、英語ももちろん全然通じず、どこかの本部に連絡しているようで途方にくれてしまいました。 ちょうど、運よく大使館の終了時間だったので、中からでてきた領事に事情を説明したところ、当日の午前中にシリアのアメリカ大使館で銃撃戦?かなにかあったようで、中近東一帯の大使館に非常警戒の緊急連絡がなされたようでした。

領事が我々は観光客?なので他意はない旨説明してくれたのですが、頑固なアラブ人?は言葉が分からないのと、職務に忠実なのか上司が来るまで、許してもらえませんでした。

仕方なく、大使館の中で、領事と一緒にお茶を飲んで待つことになりました。
数10分して、上司らしい人が2名来て、事の顛末を英語で説明し、プレートだけ撮ったのだと説明しました。
結局、撮った写真を見せて、目の前で消去をすることで納得してもらい、ようやく開放されました。
領事が出てこなかったら間違いなく拘留されていて、手続きに数日かかる場合もあると聞かされ、日本大使館に丁重にお礼を言って別れました。



日本やヨーロッパ諸国では大使館の前で記念撮影をしていますが、中近東などの国では要注意の、教訓でした。 トッポパパの大失敗です。

では、なんだかよく分からなかった、アブダビの紹介を終わります。

トッポ、葛飾柴又帝釈天へ『寅さん来ましたよ!』、 その3

2006年11月21日 | トッポの世界
やっと追いついたトッポは、先を歩くトッポパパに不安顔です。



トッポ、『ママ、早く行こう遅れるよ。』



テクテク土手から歩くこと5分ぐらいで、帝釈天の入り口が見えました。



真ん中に見えるのが二天門と呼ばれる入り口の門になります。
そこを通ると、正面に帝釈堂が見えます。



映画にも出てきた『大鐘楼』です。
四手先(よてさき)の桝組(ますぐみ)で造られた見事な鐘楼で、屋根は入母屋・本瓦造り、2階には高欄を設けられています。

寅さんの映画の中で聞く、『ゴーン!』っていう音が聞こえてきそうです。



それでは本家、柴又帝釈天の石碑の前で宙ぶらりんのトッポの記念撮影です。



正面が総ケヤキ造りの帝釈堂です。
映画の中では寅さんが産湯をつかったお寺の正式な名前は、経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)で、1629年日忠上人の草創と伝えられ、本尊は日蓮上人自刻の帝釈天の板仏です。



初参りや七五三での参拝客が多く来ていました。
初詣出には20万人もの参拝客が訪れるそうです。



トッポ、『あっちで行列しているけど、何かくれるの!』



トッポ、『何もくれないみたいだから、いい匂いのする参道へ行こう!』
トッポパパ、『こら! ちゃんとお参りしなさい。

少し境内を見てまわります。

続く...............................。

海外の都市紹介、 その28の2 『アブダビ』

2006年11月20日 | 海外の都市の紹介
案内されるがままに連れてこられたところは、確かアラブ首長国連邦ホテルとか言っていたような気がしますが、確信はありません。
ホテルなど見てもと思ったのですが、運転手さん曰くアブダビで一番のホテルと聞いて、そのスケールの大きさを紹介することにします。



これが正面玄関のようです。
写真を見るだけで、スケールの違いが分かります。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の説明を続けます。
アブダビは、18世紀にバニー=ヤース部族に属するナヒヤーン家(ヌハイヤーン家)が建設した首長国で、19世紀には同じバニー=ヤース部族から分かれたマクトゥーム家がドバイへ渡ってドバイ首長国を建てた。
その後、他の首長国と同様にイギリスの保護国となった。1958年に石油が発見され、その収入によって繁栄したアブダビは1971年にイギリスから独立を果たすと、同時に独立した周辺の首長国とともにアラブ首長国連邦を結成した。

まだ独立して、40年弱なんですね。
オイル・マネー恐るべし!の感じです。



雑学ですが、こちらの人は4人まで妻を持つことができると聞いたことがありませんか?
確かに4人まで認められているようです。
でも、奥さんが金持ちでもお金を出す必要はないこと、多妻を持つ場合は平等に扱わなければならない、また離婚時の慰謝料まで決める場合もあるなど、それなりに厳しいルールがあるようです。

トッポパパの場合は、一人でも満足させているのか自信がありませんので、別の世界の話になります。



雨の少ない国なので、海水の淡水化に頼っている割には豪華な噴水ですね。



らくだのお話です。

ラクダは砂漠で生活できるように、いろいろ備わっているものがあるようです。
まず足は楕円に近い形をしていて、砂の上を歩きやすい形になっています。
驚くことに、10日ぐらいは何も食べず何も飲まずで生きていられるそうです。
あと、こぶがありますが、あれをやしの実に水が入っているように、水タンクのような誤解をしている人がいますが、脂肪の塊で、栄養の貯蔵庫なのです。
ですので、長期間食料を食べないと小さくなってくるそうです。



これは別のゲートから見た写真ですが、はるか彼方にホテルがあります。
日本のように、ホテルをちょっと出て外で夕食をというわけには行きませんし、ましてコンビニなど見当たりません。
日本人は1日ぐらいしか我慢できないのではと思ってしまいます。



女性の衣装について

イスラムの国では、基本的に男女を問わず肌を人前にさらすというのを好まないようです。 以前にマレーシアの人を、北海道旅行に連れて行って温泉に案内しましたが、女性は温泉に入らず、男性も大きなバスタオルで身体を隠して温泉に入っていました。 
ちょっと、困ったのですが、事情を話して周りの人の了解を得たことを覚えています。
あと、男性が女性の顔や体が見えなければ誘惑に負けずに、また女性が煩わしい思いをしなくてすむという説明をされたこともありますが、実際のところはどうなんでしょうね。



写真と関係のないお話でしたが、このホテルのスケールがわかりましたでしょうか。
次回は、最後になりますので、アブダビ大使館騒動をお伝えします。

続く..................................。

トッポ、葛飾柴又帝釈天へ『寅さん来ましたよ!』、 その2

2006年11月19日 | トッポの世界
まずは江戸川を手漕ぎ船で渡す、矢切の渡しを見に行くことにしました。



伊藤左千夫の名作『野菊の墓』の舞台となり、ヒット曲『矢切の渡し』生んだ矢切の渡しです。

矢切の渡し(昭和58年)作詞・石本美由起、作曲・船村徹 歌・細川たかし  

つれて逃げてよ・・・ ついておいでよ・・・ 夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し
親のこころに そむいてまでも 恋に生きたい 二人です

見すてないでね・・・ 捨てはしないよ・・・ 北風が泣いて吹く 矢切の渡し
噂かなしい 柴又すてて 舟にまかせる さだめです

どこへ行くのよ・・・ 知らぬ土地だよ・・・ 揺れながら艪が咽ぶ 矢切の渡し
息を殺して 身を寄せながら 明日へ漕ぎだす 別れです

対岸までの距離を見ると、泳いでもいけそうなので『明日へ漕ぎ出す別れ』とは、ちょっとオーバーな気がしますが、歌だからいいことにしましょう。


トッポ、『ワーイ! 船に乗るの
トッポパパ、『乗ると渡し舟の写真が撮れないので、乗らないの!』
トッポ、『ケチ!



ここにある矢切の渡しの木杭のほうが情緒があっていいですね。
ちなみに、渡し賃は100円で、渡った向こう側に野菊の墓があるそうです。



手漕ぎの船で、ゆっくりと渡るのもいい感じです。
但し夕刻近くと、風が強いときはモーターを使用するそうですので、注意しないといけないようです。
この近距離を、モーターで移動しても、情緒はないでしょう。



この日のような、穏やかな晴天の下なら、思わず歌でも歌いたくなるところです。



トッポ、『ちょっと待って、パパ! 置いていかないでよ。』
先に歩いていったトッポパパを見て、トッポは真剣な顔です。



本当は、この写真が撮りたかったので、下で待たしてトッポパパだけ土手を上がっただけなのですけど。
トッポパパ、『早く、こっちへ来ないと置いていくぞ!』



この泣きそうな真剣な顔を見てやってください。
可愛いもんです。 (親バカ



では、お腹もすいたので帝釈天へ向かいます。

続く...................................。

海外の都市紹介、 その28の1 『アブダビ』

2006年11月18日 | 海外の都市の紹介
前回ドバイを訪問した時に、途中約200Km前後離れている同じアラブ首長国連邦の首都アブダビを訪問しました。



ホテルにチェック・インして、窓からの市内の写真です。
さすが首都だけあって、高速道路を走って来る途中でバブダビに入ると、緑の木々が多く見られるようになります。
ここは市内だけを見ていると、近代都市の景観です。



取引先の社長さんが、アブダビ訪問が初めての私たちに2時間ほどの市内見学のために車と運転手を手配してくれました。
綺麗な景色を見れるところへ案内してくださいという我々のリクエストに応えて、海沿いの公園へ連れてきてくれました。



実際は季節や風向きにもよるのでしょうが、ドバイ同様砂が舞っているのか遠くはボンヤリとしてよく見えません。
でも、ここからの景色は素晴らしかったです。



フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の説明を引用します。
アブダビ(Abu Dhabi, アラビア語 : أبوظبي Abū Zabī, アブー=ザビー)は、アラビア半島のペルシア湾岸に位置する都市で、アラブ首長国連邦の連邦首都。アブダビを首都とする同名の首長国は、アラブ首長国連邦の北西部に位置する。

アブダビ首長国はアラブ首長国連邦を構成する首長国の中でも最大の面積、人口、収入をもつ。特に面積6.7万km²は連邦全体の8.3万km²の大半(約80%)に及び、広大な国土に埋蔵された豊富な石油資源によって連邦の政治、経済を支える事実上のリーダー国である。
アラブ首長国連邦の大統領は1971年の連邦結成以来、アブダビ首長のザーイド、ハリーファの父子が一貫して務めており、今後もアブダビ首長国が大統領を輩出すると予測される。

ということで、アブダビがアラブ首長国連邦の中心的役割を担っているようです。



この建物は記念館?のようなのですが、言葉がよく分からず違っているかも分かりません。
海岸は綺麗に整備されていますが、やはり日中は暑いのか誰もいません。



ただ、運転手さんが自慢していたのは、この上にひらめいている国旗は世界一大きい国旗ですといっていました。
ちょっと基準が分かりませんが、そういうことにしておきましょう。



暑さにも負けず、記念撮影の友人です。



この国は、まるでトッポパパも知識がなく、うまく説明できませんので写真から雰囲気を味わう程度で勘弁してください。

続く...................................。

トッポ、葛飾柴又帝釈天へ『寅さん来ましたよ!』、 その1

2006年11月17日 | トッポの世界
『私、生まれも育ちも葛飾柴又です、帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んで、フーテンの寅と発します。』の言葉は誰でも知っています。
前から漠然と一度訪問してみたいと思っていましたが、トッポのブログのおかげで友人の協力もあり実現できました。

まずはトッポと記念撮影からスタートです。
トッポ、『今日は何なの? 石碑じゃないけど。』



まずは、寅さんが映画の中でよく土手に座っていたシーンを思い出し、江戸川の土手に向かいました。
柴又公園の前で、まず位置関係を確認しました。
トッポは石碑だと思ってポーズをとっているので、パチリです。



トッポ、『すごく広い土手だね!』



目の前が大きく開けていて、映画の中の寅さんの歩く姿を想像しながら、どこに座っていたのかと考えています。



トッポも久しぶりの、芝生の上で少々興奮気味です。
トッポパパ、『こら! ミミズばかり探して歩いちゃダメだよ。
どうして、ワンコはミミズが大好きなんでしょうね、とても不思議です。



土手の上からの対岸の景色です。
寅さんも、金八先生もこの景色をみていたのでしょう。
(すいません、金八先生は江戸川ではなく、荒川の土手のようでした。 訂正します。)



トッポ、『あっちで、野球をやっているよ!』



寅さんの映画の中で、『労働者諸君!』『そこの青少年!』などと映画の中で話していますが、たぶん『そこの青少年諸君、今日も元気にがんばてるねぇ!』という声が聞こえてくるようです。



今回も楽しいぶらぶら歩きになりそうです。
のんびりと紹介させていただきます

続く...............................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その1の6 『門司港レトロ』

2006年11月16日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
門司港駅の右前方に、写真の北九州市旧門司三井倶楽部が移築されています。
1921年に建築されたもので、国の重要文化財とされているようです。
門司生まれの女流作家、林芙美子資料室などもあり『文化館』となっています。

当初は三井物産の社交場として建てられたハーフティンバー様式の建物で館内はアールデコ調のデザインになっています。



相対性理論で有名なノーベル物理学者、アインシュタイン博士夫妻が宿泊された部屋も当時の状態のままに保存されているそうです。
博士は門司港周辺に第二の故郷スイスの田舎を感じていたようです。



この写真は裏側から撮ったものですが、この建物の特徴は背後に和館を併設していることらしいです。
昔の洋館の特徴のようで、お客様の接待には洋館、家族の日常生活では和館と使い分けていたと書かれていました。



ここにもレトロカーの展示がされていました。
1963年式メルセデスベンツです。
昔は、丸目ハネペンと呼ばれて親しまれたベンツです。



日本のトヨペットも展示されていました。
この車は日産のブルーバードと激戦をしたトヨタのコロナでトッポパパの若いときに、よく見かけた車です。



いま目の前で見てみると、とても懐かしい車ですね。



九州は出光興産発祥の地でもあるようです。
大正期の倉庫の外観をあえて残し美術館として利用されています。



トッポパパの最初のディスカバー・ジャパンでした。
勝手気ままな説明なので、間違いがありましたら随時訂正いたしますので、ご連絡ください。

それでは門司港レトロの紹介を終わります。