日本の素晴らしさを見直したいと、トッポパパがディスカバージャパンの掲載を始めてから、時間を見つけては色々な場所を訪問しました。
名所旧跡の歴史を追っていくと、各地のお城が絡んできます。
ブログを開設してから訪問したお城は写真に撮ってありますので、年末特集ということで再度紹介させてください。
いくつかのお城はまだ未掲載ですが、後日順番に紹介いたします。
鶴ヶ城(会津若松城)です。
戊辰戦争で戦火は会津まで及び、白虎隊の悲劇を生んだお城です。
アップ記事はこちらからどうぞ
名古屋城です。
『尾張名古屋は城でもつ』で有名な名古屋城は金の鯱鉾でもよく知られています。
アップ記事はこちらからどうぞ
岐阜城(金華山城、井口城)です。
岐阜市の金華山(稲葉山)の山頂に建てられた城で、斎藤道三が居城としていた時『井口城』と呼ばれ、その後織田信長により『金華山城』または『岐阜城』と呼ばれるそうです。
アップ記事はここからどうぞ
因島水軍城です。
しまなみ海道を渡る途中の因島に因島水軍城があります。
室町時代から戦国にかけて、村上水軍は世界一の海賊?として猛威を奮い、瀬戸と尾道水道をおさえ、ここを通る船から帆別銭(通行税)を徴収し、水軍王国を築きました。
中国から東南アジアまで航海し、『倭寇(わこう)』」の名をとどろかせました。
アップ記事はこちらからどうぞ
小田原城です。
神奈川県小田原市にあり、戦国時代から江戸時代にかけてのお城です。
アップの記事はこちらから
今治城です。
三重の堀に海水を引き入れ、昔は海から堀へ直接船で入ることができた日本三大水城の一つです。
アップ記事はこちらからどうぞ
有名な国宝、姫路城(白鷺城)です。
姫路城は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての建築技術の集大成とも言われています。
空に向かって建ち並ぶ天守群は、天を舞う白鷺のように見えることから、別名『白鷺城(はくろじょう)』ともいわれます。
アップ記事はこちらからどうぞ
松本城です。
松本城は、長野県の松本市にある城で、天守は国宝に指定され、『烏城』とも呼ばれ親しまれています。
アップ記事はこちらからどうぞ
広島城です。
戦国末期~江戸期の城。太田川が分岐してできたデルタの平地に築かれた平城で、中国地方屈指の名城でした。
戦国大名毛利氏は、元就のとき安芸国吉田荘(広島県安芸高田市吉田町)の郡山城にいましたが、山間部であったため交通・戦略上の良地を求めて広島に進出したものです。
アップ記事はこちらからどうぞ
最近アップした高島城です。
『風林火山』にたびたび登場してくるお城です。
アップ記事はこちらからどうぞ
高知県にある高知城です。
山内一豊が江戸時代に高知の国に入り、築城した城です。
まだ未掲載ですが、近々アップの予定です。
こちらが、大阪城です。
秀吉の築城後、関が原の戦い以降、大阪冬の陣、夏の陣と歴史にたびたび登場するお城です。
数度にわたる改築で現在に至っています。
詳細は、来年アップいたします。
松江城です。
島根県の松江にあるお城で、堀尾吉晴が1607年に築城しました。
千鳥が羽根を広げたように見える千鳥破風の屋根が見事で、『千鳥城』とも呼ばれてます。
詳細は、来年アップいたします。
京都の二条城です。
江戸時代の最後の将軍、徳川慶喜の次代に江戸時代の終焉を告げる『大政奉還』が執り行われたお城です。
こちらも来年アップ予定です。
最後が岩国城です。
錦帯橋を訪問した後、山頂のお城が気になり後日訪問しました。
こちらも来年アップ予定です。
以上がいままでトッポパパが訪問したお城です。
これからも歴史を尋ねていくと、色々なお城に出会えるのを楽しみにしています。
名所旧跡の歴史を追っていくと、各地のお城が絡んできます。
ブログを開設してから訪問したお城は写真に撮ってありますので、年末特集ということで再度紹介させてください。
いくつかのお城はまだ未掲載ですが、後日順番に紹介いたします。
鶴ヶ城(会津若松城)です。
戊辰戦争で戦火は会津まで及び、白虎隊の悲劇を生んだお城です。
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名古屋城です。
『尾張名古屋は城でもつ』で有名な名古屋城は金の鯱鉾でもよく知られています。
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岐阜城(金華山城、井口城)です。
岐阜市の金華山(稲葉山)の山頂に建てられた城で、斎藤道三が居城としていた時『井口城』と呼ばれ、その後織田信長により『金華山城』または『岐阜城』と呼ばれるそうです。
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因島水軍城です。
しまなみ海道を渡る途中の因島に因島水軍城があります。
室町時代から戦国にかけて、村上水軍は世界一の海賊?として猛威を奮い、瀬戸と尾道水道をおさえ、ここを通る船から帆別銭(通行税)を徴収し、水軍王国を築きました。
中国から東南アジアまで航海し、『倭寇(わこう)』」の名をとどろかせました。
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小田原城です。
神奈川県小田原市にあり、戦国時代から江戸時代にかけてのお城です。
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今治城です。
三重の堀に海水を引き入れ、昔は海から堀へ直接船で入ることができた日本三大水城の一つです。
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有名な国宝、姫路城(白鷺城)です。
姫路城は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての建築技術の集大成とも言われています。
空に向かって建ち並ぶ天守群は、天を舞う白鷺のように見えることから、別名『白鷺城(はくろじょう)』ともいわれます。
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松本城です。
松本城は、長野県の松本市にある城で、天守は国宝に指定され、『烏城』とも呼ばれ親しまれています。
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広島城です。
戦国末期~江戸期の城。太田川が分岐してできたデルタの平地に築かれた平城で、中国地方屈指の名城でした。
戦国大名毛利氏は、元就のとき安芸国吉田荘(広島県安芸高田市吉田町)の郡山城にいましたが、山間部であったため交通・戦略上の良地を求めて広島に進出したものです。
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最近アップした高島城です。
『風林火山』にたびたび登場してくるお城です。
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高知県にある高知城です。
山内一豊が江戸時代に高知の国に入り、築城した城です。
まだ未掲載ですが、近々アップの予定です。
こちらが、大阪城です。
秀吉の築城後、関が原の戦い以降、大阪冬の陣、夏の陣と歴史にたびたび登場するお城です。
数度にわたる改築で現在に至っています。
詳細は、来年アップいたします。
松江城です。
島根県の松江にあるお城で、堀尾吉晴が1607年に築城しました。
千鳥が羽根を広げたように見える千鳥破風の屋根が見事で、『千鳥城』とも呼ばれてます。
詳細は、来年アップいたします。
京都の二条城です。
江戸時代の最後の将軍、徳川慶喜の次代に江戸時代の終焉を告げる『大政奉還』が執り行われたお城です。
こちらも来年アップ予定です。
最後が岩国城です。
錦帯橋を訪問した後、山頂のお城が気になり後日訪問しました。
こちらも来年アップ予定です。
以上がいままでトッポパパが訪問したお城です。
これからも歴史を尋ねていくと、色々なお城に出会えるのを楽しみにしています。
2007年トッポパパが選んだお気に入り写真です。
まず最初は、ロンドンのトラファルガー広場でライオン像を撮りました。
子供さんの屈託の無い笑顔が素晴らしかったです。
同じロンドンでのビッグアイ(観覧車)の写真です。
中にいる人の大きさを考えると、観覧車がどのくらい大きいのか想像していただけると思います。
上二つのアップ記事はこちらからどうぞ
この写真は厳密に言うと2006年末のものですが、スゥエーデンのヨーテボリ公園でのクリスマスの飾りつけを見に行った時の写真です。
光の演出もさすがですが、パンダがいるだけでちょっと笑える写真になります。
アップ記事はこちらからどうぞ
ハンガリーのブダペストの夜景です。
町の中心を流れるドナウ川に架かるくさり橋です。
もっともアジアに近い、西洋の国という印象でした。
アップ記事はこちららからどうぞ
オランダのザーンスハンスです。
オランダの1700年代の景観を保存している地域で、風車と古い民家、そして素晴らしい景観がいまだに目に焼きついています。
アップ記事はこちらからどうぞ
中国の朱家角です。
上海からそれほど遠くない水郷地帯です。
テレビのコマーシャルに出てくる橋を思い出し、撮ったものです。
アップ記事はこちらからどうぞ
ベルギーのアントワープにあるスヘルデ川のほとりにあるステーン城を訪ねた時、
入り口付近に建っていたロングジョンと呼ばれる伝説の人の石像です。
アップ記事はこちらからどうぞ
ロンドンのピカデリーサーカスにある、下界に矢を放つエロスの像です。
夕暮れに撮った写真が影絵のようになリマ下。
アップ記事はこちらからどうぞ
ロッテルダム向かう水上タクシー乗り場です。
夕暮れ時の対岸の風景と閑散としたタクシー乗り場が印象に残っていてなんとなく選んでしまいました。
アップ記事はこちらからどうぞ
ロッテルダムを流れるマース川(ライン川の支流)の川岸に立つ国旗です。
ロッテルダムは第二次世界大戦で、市街が崩壊されてしまいましたが現在は見事な近代都市としてして蘇えっています。
早朝の散歩の時の写真ですので、人影が見えず国旗を掲げるポールの並びがきれいに撮れました。
アップ記事はこちらからどうぞ
まだまだお気に入り写真はたくさんあるのですが、編集も大変なのでこの辺で終わりにします。
まず最初は、ロンドンのトラファルガー広場でライオン像を撮りました。
子供さんの屈託の無い笑顔が素晴らしかったです。
同じロンドンでのビッグアイ(観覧車)の写真です。
中にいる人の大きさを考えると、観覧車がどのくらい大きいのか想像していただけると思います。
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この写真は厳密に言うと2006年末のものですが、スゥエーデンのヨーテボリ公園でのクリスマスの飾りつけを見に行った時の写真です。
光の演出もさすがですが、パンダがいるだけでちょっと笑える写真になります。
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ハンガリーのブダペストの夜景です。
町の中心を流れるドナウ川に架かるくさり橋です。
もっともアジアに近い、西洋の国という印象でした。
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オランダのザーンスハンスです。
オランダの1700年代の景観を保存している地域で、風車と古い民家、そして素晴らしい景観がいまだに目に焼きついています。
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中国の朱家角です。
上海からそれほど遠くない水郷地帯です。
テレビのコマーシャルに出てくる橋を思い出し、撮ったものです。
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ベルギーのアントワープにあるスヘルデ川のほとりにあるステーン城を訪ねた時、
入り口付近に建っていたロングジョンと呼ばれる伝説の人の石像です。
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ロンドンのピカデリーサーカスにある、下界に矢を放つエロスの像です。
夕暮れに撮った写真が影絵のようになリマ下。
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ロッテルダム向かう水上タクシー乗り場です。
夕暮れ時の対岸の風景と閑散としたタクシー乗り場が印象に残っていてなんとなく選んでしまいました。
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ロッテルダムを流れるマース川(ライン川の支流)の川岸に立つ国旗です。
ロッテルダムは第二次世界大戦で、市街が崩壊されてしまいましたが現在は見事な近代都市としてして蘇えっています。
早朝の散歩の時の写真ですので、人影が見えず国旗を掲げるポールの並びがきれいに撮れました。
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まだまだお気に入り写真はたくさんあるのですが、編集も大変なのでこの辺で終わりにします。
2007年も残りわずかとなりました。
今年もたくさんの写真を撮りましたので、今年も恒例?のトッポパパのお気に入り写真を紹介します。
まずは桜満開の千鳥ヶ淵です。
ボートが桜の間を漕いでいるような構図になり、気に入っています。
アップ記事はこちらからどうぞ。
こちらは春に金閣寺を訪問した時の写真ですです。
金閣寺だけでなく池泉回遊式庭園も見応えがありました。
アップ記事はこちらからどうぞ
岩手県の厳美渓です。
急流にえぐられ自然の造り上げた川石の芸術品です。
アップ記事はこちらからどうぞ
トッポパパの永年の夢がかなった、四万十川訪問でした。
たくさんの写真を撮りましたが、下の2枚の写真がとても気に入っています。
こちらも四万十川ですが、青空の下のエメラルドグリーンの川面と白州のコントラストがいまだに目に焼きついています。
アップ記事はこちらからどうぞ
白虎隊を訪ねて会津若松を訪問した時に、立ち寄った大内宿です。
たまたま天気が続き道路の除雪が済んでいたので、辿り着けました。
こんな素晴らしい景色に出会えたのは運もよかったのでしょう。
アップ記事はこちらからどうぞ
京都の清水寺です。
どの角度が一番いいのか探しまくり、いい写真が撮れました。
アップ記事はこちらからどうぞ
白糸の滝を訪問し、裏出口を登りきった辺りからの富士山です。
樹林の上に顔を出した富士山が早朝の太陽の光を浴びて、とてもいい写真になりました。
厳密には昨年末の写真ですが、富士山を載せたいので特別です。
アップ記事はこちらからどうぞ
こちらは岩手県の猊鼻渓です。
1時間ほど船くだりを楽しみました。
船頭さんが歌ってくれた、『げいび追分』がそそり立つ崖にこだまして、旅情豊かなものにしてくれました。
アップ記事はこちらからどうぞ
『風林火山』を訪ねて諏訪湖を訪問しました。
早朝の景色は透き通るような青空で、モニュメントが一役かってくれました。
アップ記事はこちらからどうぞ
1年間に2500枚ほどの写真をアップしましたが、どれも思い出があり選ぶのに苦労しました。
写真の技術は別として、トッポパパの好きな写真ということで見ていただければ幸いです。
明日は海外編をアップします。
今年もたくさんの写真を撮りましたので、今年も恒例?のトッポパパのお気に入り写真を紹介します。
まずは桜満開の千鳥ヶ淵です。
ボートが桜の間を漕いでいるような構図になり、気に入っています。
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こちらは春に金閣寺を訪問した時の写真ですです。
金閣寺だけでなく池泉回遊式庭園も見応えがありました。
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岩手県の厳美渓です。
急流にえぐられ自然の造り上げた川石の芸術品です。
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トッポパパの永年の夢がかなった、四万十川訪問でした。
たくさんの写真を撮りましたが、下の2枚の写真がとても気に入っています。
こちらも四万十川ですが、青空の下のエメラルドグリーンの川面と白州のコントラストがいまだに目に焼きついています。
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白虎隊を訪ねて会津若松を訪問した時に、立ち寄った大内宿です。
たまたま天気が続き道路の除雪が済んでいたので、辿り着けました。
こんな素晴らしい景色に出会えたのは運もよかったのでしょう。
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京都の清水寺です。
どの角度が一番いいのか探しまくり、いい写真が撮れました。
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白糸の滝を訪問し、裏出口を登りきった辺りからの富士山です。
樹林の上に顔を出した富士山が早朝の太陽の光を浴びて、とてもいい写真になりました。
厳密には昨年末の写真ですが、富士山を載せたいので特別です。
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こちらは岩手県の猊鼻渓です。
1時間ほど船くだりを楽しみました。
船頭さんが歌ってくれた、『げいび追分』がそそり立つ崖にこだまして、旅情豊かなものにしてくれました。
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『風林火山』を訪ねて諏訪湖を訪問しました。
早朝の景色は透き通るような青空で、モニュメントが一役かってくれました。
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1年間に2500枚ほどの写真をアップしましたが、どれも思い出があり選ぶのに苦労しました。
写真の技術は別として、トッポパパの好きな写真ということで見ていただければ幸いです。
明日は海外編をアップします。
地獄台と呼ばれる場所に到着です。
草原のあちこちに、白い岩肌がみえる石がありますが、『カレンフェルト』と呼ばれる
石灰岩の石柱群のことだそうです。
カレンフェルトが延々と続く丘陵は、ハイキング感覚で散策すると、秋吉台特有の野花に出会うことができるそうです。
山口県の中央部にある秋吉台は、海抜200m~400mの草原です。
四季を通じて、さまざまな植物を観察できるため、愛好家には絶好のハイキングコースなのでしょう。
秋吉台には、ほとんど森らしきものはありません。
一箇所だけ小さな森があります。
ネット情報によると、昔この地に住んでいた長者がいつしか没落し、後の時代に長者の子孫が屋敷跡に植樹して森になったと伝えられています。
雑草が焼かれる『山焼き』(野焼き?)の後だと、これらの石柱が浮かび上がるので、カレンフェルトもより強調されてくるようです。。
下を見下ろすと、ドリーネと呼ばれるすり鉢状の窪地が見えます。
ドリーネは長い年月の間に、石灰岩が雨で溶解され、地下の鍾乳洞の天井が崩落することで生ずる窪地です。
まるで地球の変化を、教えられているような錯覚を覚える貴重な体験でした。
それでは秋吉台よりお別れです。
今年ももう残り少ないので、この後、年末までは『年末特集』を掲載いたします。
草原のあちこちに、白い岩肌がみえる石がありますが、『カレンフェルト』と呼ばれる
石灰岩の石柱群のことだそうです。
カレンフェルトが延々と続く丘陵は、ハイキング感覚で散策すると、秋吉台特有の野花に出会うことができるそうです。
山口県の中央部にある秋吉台は、海抜200m~400mの草原です。
四季を通じて、さまざまな植物を観察できるため、愛好家には絶好のハイキングコースなのでしょう。
秋吉台には、ほとんど森らしきものはありません。
一箇所だけ小さな森があります。
ネット情報によると、昔この地に住んでいた長者がいつしか没落し、後の時代に長者の子孫が屋敷跡に植樹して森になったと伝えられています。
雑草が焼かれる『山焼き』(野焼き?)の後だと、これらの石柱が浮かび上がるので、カレンフェルトもより強調されてくるようです。。
下を見下ろすと、ドリーネと呼ばれるすり鉢状の窪地が見えます。
ドリーネは長い年月の間に、石灰岩が雨で溶解され、地下の鍾乳洞の天井が崩落することで生ずる窪地です。
まるで地球の変化を、教えられているような錯覚を覚える貴重な体験でした。
それでは秋吉台よりお別れです。
今年ももう残り少ないので、この後、年末までは『年末特集』を掲載いたします。
無量光寺の紅葉も見事でした。
紅葉と一緒にトッポの記念撮影です。
トッポには、この紅葉がどのように見えているのでしょうかね。
ワンちゃんの色彩感覚は人間とは違いますが、青、紫、黄色はわかるようです。
しかし赤は認識できないと言われています。
あまり現実的な話になると、『トッポ!紅葉が綺麗だね!』と言う話もむなしくなるので、忘れてください。
でも一生懸命見つめている様子なので、何かは感じていると思いますね。
ちょっと単焦点レンズのテストをしてみました。
全面の紅葉に焦点を合わせて後ろをぼかした場合です。
こちらは、後ろの紅葉に焦点を合わせた場合です。
他の写真を撮るときに役立ちそうですが、焦点の範囲が狭いので、なかなか難しいものですね。
帰りは誰もいないので、ちょっと歩かせましたら、気持ちがいいのか走り出しました。
落ち葉を飛ばしながら元気に走っています。
それでは楽しいクリスマスの夜をお過ごしください。
それでは無量光寺より。
紅葉と一緒にトッポの記念撮影です。
トッポには、この紅葉がどのように見えているのでしょうかね。
ワンちゃんの色彩感覚は人間とは違いますが、青、紫、黄色はわかるようです。
しかし赤は認識できないと言われています。
あまり現実的な話になると、『トッポ!紅葉が綺麗だね!』と言う話もむなしくなるので、忘れてください。
でも一生懸命見つめている様子なので、何かは感じていると思いますね。
ちょっと単焦点レンズのテストをしてみました。
全面の紅葉に焦点を合わせて後ろをぼかした場合です。
こちらは、後ろの紅葉に焦点を合わせた場合です。
他の写真を撮るときに役立ちそうですが、焦点の範囲が狭いので、なかなか難しいものですね。
帰りは誰もいないので、ちょっと歩かせましたら、気持ちがいいのか走り出しました。
落ち葉を飛ばしながら元気に走っています。
それでは楽しいクリスマスの夜をお過ごしください。
それでは無量光寺より。
メリークリスマス!
今年も1年があっという間に過ぎて、クリスマスを迎えました。
今年も元気に1年を過ごせたことに感謝して、トッポと記念撮影です。
チクチクするようなモール?に囲まれて、最初は嫌がっていましたが、オヤツを見せた途端におとなしくなりました。
トッポも白髪が気になる小父さんになりましたが、トッポ家族にとっては元気で毎日を過ごしてくれるだけで、十分な癒しをもらっています。
ちょっとすましたトッポですね。
こちらの表情がトッポパパは一番好きです。
娘が嫁いで、トッポにとってもちょっと寂しいクリスマスです。
しかしよくおとなしく写真を撮らせてくれるものだと思います。
若い時は、モールを咥えて振りましていたのにと思うと、トッポも大人?になったものです。
では、皆さん素敵なクリスマスをお過ごしください。
クリスマスイヴは、本来自宅で静かに過ごすもののようです。
トッポ家族はMM21の近くに住んでいるので、ライトアップされたMM21の夜景をプレゼントできればと、初めて三脚使用で夜景に挑戦です。
駐車場確保は難しいので、荷物があるので近距離ですがタクシーで出かけました。
ところが案の定、大渋滞で車は前に進まず、途中下車で、重い荷物をぶら下げて歩くことになりました。
日没まで少し時間があったので、まずはMM21の顔、『日本丸』の撮影です。
赤レンガへ向かう途中、もう一つの帆船が接岸しているのを見つけ、『日本丸Ⅱ』かと思い撮影しました。
しかしよく見ると、こちらは日本丸と姉妹船の『海王丸Ⅱ』でした。
夕暮れの写真でしたが、現役の風格が漂っています。
日没まで、カメラの設定をあれこれ考えながら大桟橋に停泊中の大型客船『Pacific Venus』に焦点を合わせ待機していました。
ところが意に反して、夕刻突然、この豪華客船が動き始めてしまいました。
たぶんクリスマスクルーズなのでしょう。
あわててシャッターを押したので、うまく撮れたか心配でしたが、その割にはきれいな画像になりました。
『Pacific Venus』は日本最大の客船『飛鳥Ⅱ』に次ぐ大型のクルーズ客船です。
『飛鳥Ⅱ』の写真を見たい方は、こちらからどうぞ
トッポパパがMM21のクリスマスツリーはこれだと思っている、ランドマークタワーの夜景です。
クリスマスの期間だけ全室内を点灯してくれますので、広角レンズで見上げるように撮ると、超巨大なクリスマスツリーになります。
ナビオス横浜の光のゲートからMM21の景色です。
この写真は、近場に7000本のキャンドルライトがあり、夜景撮影の難しさを知らされました。
思い出に残るクリスマスをMM21でと、ものすごい人の波です。
山下達郎の『クリスマスイヴ』が、あちこちで流れています。
雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう
Silent night, Holy night
きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ
Silent night, Holy night
心深く 秘めた想い 叶えられそうもない
必ず今夜なら言えそうな気がした
Silent night, Holy night
まだ消え残る 君への想い 夜へと降り続く
街角にはクリスマス・トゥリー 銀色のきらめき
Silent night, Holy night
横浜に泊まられることがありましたら、MM21をまるごと眺めることが出来るナビオス横浜を絶対お勧めします。
このホテルは料金も比較的安く、ランドマークタワーを望む部屋を予約しても、ランドマークタワー内の横浜ロイヤルパークホテルより格安で泊まれます。
ちなみに横浜ロイヤルパークホテルの客室は49Fから70Fなので、曇天だと雲の中に入り景色は見えません。(笑)
広角レンズでMM21をまるごと、欲張って夜景写真にしてみました。
シャッタースピードが数秒かかり、三脚無しではブレて撮れない写真です。
こんどは普通の望遠レンズに変えて、ちょっとアップで観覧車を撮りました。
シャッタースピードは1秒でしたが、観覧車が少しスッキリしてきます。
観覧車のイルミネーションは刻々と変化するので、タイミングが非常に難しいようです。
デジカメなのでダメでもともとと、正面からシャッタースピード8秒に挑戦です。
イルミネーションの変化とのタイミングが合ったようで、結構綺麗な写真に仕上がりました。
最後に、別な角度から挑戦です。
車道はライトをつけた車が大渋滞なので、うまく撮れるか心配したのですが、ちょっと幻想的な写真になりました。
出来るだけ上空に向けてシャッタースピード12秒で撮りましたが、ジェットコースターの軌道が、光の流れになり予想外の出来でした。
初めての三脚使用での夜景挑戦でしたが、素人ではこんなものなのでしょうかね。
夜景写真の撮り方のアドバイスをいただけると、ありがたいです。
それでは、皆さん素敵なクリスマスイヴをお過ごしください。
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一昨日の夜、ごくごく親しい同僚の訃報が入りました。
壮絶ともいえる癌との闘いでしたが、夢かなわず逝去してしまいました。
ご家族のご心痛を思うと、かける言葉がありません。
ただただ、ご冥福を祈るだけです。
企業戦士として、ともに生きてきた数十年を振り返ると、あまりにも酷な結末を嘆き、涙が流れます。
今日は、よき思い出を思い浮かべながら冥福を祈り、静かにクリスマスイヴを過ごしたいと思います。 (合掌)
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トッポ家族はMM21の近くに住んでいるので、ライトアップされたMM21の夜景をプレゼントできればと、初めて三脚使用で夜景に挑戦です。
駐車場確保は難しいので、荷物があるので近距離ですがタクシーで出かけました。
ところが案の定、大渋滞で車は前に進まず、途中下車で、重い荷物をぶら下げて歩くことになりました。
日没まで少し時間があったので、まずはMM21の顔、『日本丸』の撮影です。
赤レンガへ向かう途中、もう一つの帆船が接岸しているのを見つけ、『日本丸Ⅱ』かと思い撮影しました。
しかしよく見ると、こちらは日本丸と姉妹船の『海王丸Ⅱ』でした。
夕暮れの写真でしたが、現役の風格が漂っています。
日没まで、カメラの設定をあれこれ考えながら大桟橋に停泊中の大型客船『Pacific Venus』に焦点を合わせ待機していました。
ところが意に反して、夕刻突然、この豪華客船が動き始めてしまいました。
たぶんクリスマスクルーズなのでしょう。
あわててシャッターを押したので、うまく撮れたか心配でしたが、その割にはきれいな画像になりました。
『Pacific Venus』は日本最大の客船『飛鳥Ⅱ』に次ぐ大型のクルーズ客船です。
『飛鳥Ⅱ』の写真を見たい方は、こちらからどうぞ
トッポパパがMM21のクリスマスツリーはこれだと思っている、ランドマークタワーの夜景です。
クリスマスの期間だけ全室内を点灯してくれますので、広角レンズで見上げるように撮ると、超巨大なクリスマスツリーになります。
ナビオス横浜の光のゲートからMM21の景色です。
この写真は、近場に7000本のキャンドルライトがあり、夜景撮影の難しさを知らされました。
思い出に残るクリスマスをMM21でと、ものすごい人の波です。
山下達郎の『クリスマスイヴ』が、あちこちで流れています。
雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう
Silent night, Holy night
きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ
Silent night, Holy night
心深く 秘めた想い 叶えられそうもない
必ず今夜なら言えそうな気がした
Silent night, Holy night
まだ消え残る 君への想い 夜へと降り続く
街角にはクリスマス・トゥリー 銀色のきらめき
Silent night, Holy night
横浜に泊まられることがありましたら、MM21をまるごと眺めることが出来るナビオス横浜を絶対お勧めします。
このホテルは料金も比較的安く、ランドマークタワーを望む部屋を予約しても、ランドマークタワー内の横浜ロイヤルパークホテルより格安で泊まれます。
ちなみに横浜ロイヤルパークホテルの客室は49Fから70Fなので、曇天だと雲の中に入り景色は見えません。(笑)
広角レンズでMM21をまるごと、欲張って夜景写真にしてみました。
シャッタースピードが数秒かかり、三脚無しではブレて撮れない写真です。
こんどは普通の望遠レンズに変えて、ちょっとアップで観覧車を撮りました。
シャッタースピードは1秒でしたが、観覧車が少しスッキリしてきます。
観覧車のイルミネーションは刻々と変化するので、タイミングが非常に難しいようです。
デジカメなのでダメでもともとと、正面からシャッタースピード8秒に挑戦です。
イルミネーションの変化とのタイミングが合ったようで、結構綺麗な写真に仕上がりました。
最後に、別な角度から挑戦です。
車道はライトをつけた車が大渋滞なので、うまく撮れるか心配したのですが、ちょっと幻想的な写真になりました。
出来るだけ上空に向けてシャッタースピード12秒で撮りましたが、ジェットコースターの軌道が、光の流れになり予想外の出来でした。
初めての三脚使用での夜景挑戦でしたが、素人ではこんなものなのでしょうかね。
夜景写真の撮り方のアドバイスをいただけると、ありがたいです。
それでは、皆さん素敵なクリスマスイヴをお過ごしください。
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一昨日の夜、ごくごく親しい同僚の訃報が入りました。
壮絶ともいえる癌との闘いでしたが、夢かなわず逝去してしまいました。
ご家族のご心痛を思うと、かける言葉がありません。
ただただ、ご冥福を祈るだけです。
企業戦士として、ともに生きてきた数十年を振り返ると、あまりにも酷な結末を嘆き、涙が流れます。
今日は、よき思い出を思い浮かべながら冥福を祈り、静かにクリスマスイヴを過ごしたいと思います。 (合掌)
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秋吉台に降る雨が、長い歴史を経て秋芳洞を創りました。
太古の昔は海だった広大なカルスト(石灰岩)台地である『秋吉台』の紹介です。
秋吉台は現在、日本最大のカルスト台地として、国定公園及び特別天然記念物の指定を受けています。
国定公園、秋吉台の石碑です。
秋吉台は昔、海でサンゴ礁だったそうです。
それから約3億5千万年を経て、ドリーネ(吸い込み穴)や鍾乳洞が発達したカルスト台地となりました。
ただ景色を眺めていて思ったのは、もっと林立する大きな岩を想像していたのですが、ちょっと期待はずれでした。
毎年秋から冬にかけて、野焼きがおこなわれるそうです。
野焼きの後だと雑草が焼き払われるので、もっと岩が強調される景色になるのでしょう。
今は雑草が伸び放題で、岩の頭のほうしか見えないので、ちょっと残念です。
サンゴ礁だった秋吉台は、今でもサンゴやウミユリなどの化石が見つかるそうです。
約3億5千万年前に古太平洋上に海底火山が活発になり、海底が隆起し、海面近くの頂上に珊瑚礁が形成されたそうです。
その後、海底火山は複数生じて、秋吉海山列と名付けられる山脈?を創ります。
太平洋プレート運動により北西へ移動し、海溝から地球内部へ沈降したそうですが、残ったものがユーラシア大陸の一部を形成します。
このときの、珊瑚礁だった部分が化石化して石灰岩となったそうです。
この石灰岩は雨水に溶けるという性質から、秋吉台独特のカルト地形が出来上がりました。
地獄台という場所があるそうですので、そちらに移動します。
続く....................................................。
太古の昔は海だった広大なカルスト(石灰岩)台地である『秋吉台』の紹介です。
秋吉台は現在、日本最大のカルスト台地として、国定公園及び特別天然記念物の指定を受けています。
国定公園、秋吉台の石碑です。
秋吉台は昔、海でサンゴ礁だったそうです。
それから約3億5千万年を経て、ドリーネ(吸い込み穴)や鍾乳洞が発達したカルスト台地となりました。
ただ景色を眺めていて思ったのは、もっと林立する大きな岩を想像していたのですが、ちょっと期待はずれでした。
毎年秋から冬にかけて、野焼きがおこなわれるそうです。
野焼きの後だと雑草が焼き払われるので、もっと岩が強調される景色になるのでしょう。
今は雑草が伸び放題で、岩の頭のほうしか見えないので、ちょっと残念です。
サンゴ礁だった秋吉台は、今でもサンゴやウミユリなどの化石が見つかるそうです。
約3億5千万年前に古太平洋上に海底火山が活発になり、海底が隆起し、海面近くの頂上に珊瑚礁が形成されたそうです。
その後、海底火山は複数生じて、秋吉海山列と名付けられる山脈?を創ります。
太平洋プレート運動により北西へ移動し、海溝から地球内部へ沈降したそうですが、残ったものがユーラシア大陸の一部を形成します。
このときの、珊瑚礁だった部分が化石化して石灰岩となったそうです。
この石灰岩は雨水に溶けるという性質から、秋吉台独特のカルト地形が出来上がりました。
地獄台という場所があるそうですので、そちらに移動します。
続く....................................................。
一遍上人の石像です。
昔はこちらに無量光寺が建っていたようです。
無量光寺に伝わる『麻山集』によると、一遍上人は3回当地を訪れました。
逗留期間は3年半にもなるそうで、一生を遊行に過ごした一遍上人は、相模川のほとりの当麻が気に入った場所であったのでしょう。
弟子の真教は一遍上人を偲び、晩年はこちらで過ごしたそうです。
真教が亡くなったとき、上人の遺骨を分骨して葬ったそうです。
こちらは、仮本堂です。
仮本堂には一遍上人の自作による立像が安置されています。
現在は関連する古文書とともに市の重要文化財となっています。
本堂の裏に残る庭園は(写真を撮るのを忘れました、一遍上人が自らの姿を池に映してその姿を木像に刻まれたと伝えられ、『恩影の池』と呼ばれています。
周辺は松や杉などの大木が茂り、うっそうとしていて古寺にふさわしい閑寂なたたずまいをみせています。
それではトッポと一緒に参拝してきました。
トッポパパ、『由緒ある古寺にお尻を向けていいのかな!』
トッポ、『向けなきゃ写真撮れないじゃないの!』
鐘楼です。
この鐘楼には「南無阿弥陀仏」と書かれていて、鐘銘には開祖一遍上人の名が記されています。
この鐘は突いてもいいようでした。
上に登って、トッポと一緒にパチリです。
ママは隙間があるので顔隠しに苦労していました。
裏手から見ると綺麗な紅葉が見えます。
次回は紅葉と一緒にトッポを撮ってみたいと思います。
続く..................................................。
昔はこちらに無量光寺が建っていたようです。
無量光寺に伝わる『麻山集』によると、一遍上人は3回当地を訪れました。
逗留期間は3年半にもなるそうで、一生を遊行に過ごした一遍上人は、相模川のほとりの当麻が気に入った場所であったのでしょう。
弟子の真教は一遍上人を偲び、晩年はこちらで過ごしたそうです。
真教が亡くなったとき、上人の遺骨を分骨して葬ったそうです。
こちらは、仮本堂です。
仮本堂には一遍上人の自作による立像が安置されています。
現在は関連する古文書とともに市の重要文化財となっています。
本堂の裏に残る庭園は(写真を撮るのを忘れました、一遍上人が自らの姿を池に映してその姿を木像に刻まれたと伝えられ、『恩影の池』と呼ばれています。
周辺は松や杉などの大木が茂り、うっそうとしていて古寺にふさわしい閑寂なたたずまいをみせています。
それではトッポと一緒に参拝してきました。
トッポパパ、『由緒ある古寺にお尻を向けていいのかな!』
トッポ、『向けなきゃ写真撮れないじゃないの!』
鐘楼です。
この鐘楼には「南無阿弥陀仏」と書かれていて、鐘銘には開祖一遍上人の名が記されています。
この鐘は突いてもいいようでした。
上に登って、トッポと一緒にパチリです。
ママは隙間があるので顔隠しに苦労していました。
裏手から見ると綺麗な紅葉が見えます。
次回は紅葉と一緒にトッポを撮ってみたいと思います。
続く..................................................。
秋芳洞の奥へ進んで行きます。
洞内の照明にも目が慣れてきたのか、内部の様子がよく分かるようになってきました。
カメラより人間の目のほうが適応力があるようです。
『千町田』と名前がつけられている場所です。
リムストーンプールを小さくしたような場所ですが、こちらのほうが広く、平坦なので町田に例えて、この名前がつけられたのでしょう。
洞窟探検家による潜水調査の結果、秋芳洞からの総延長は8790mにも及ぶそうです。
無数の水系があり、それぞれが鍾乳洞になっているようです。
こちらは、『傘づくし』と呼ばれている場所で、天井からつららのように鍾乳石)が垂れ下がっています。 たぶん、傘の柄のようにも見えるので『傘づくし』と言うようです。
秋芳洞の地下の河川は、秋吉台と関係があり、秋吉台に降った雨はドリーネと呼ばれる吸い込み穴から地下に流れ混みます。
その結果、秋吉台の地下には水の流れのように洞窟が網の目のように発達してきたそうです。
またジバスと呼ばれる竪穴があり、深い竪穴は地下200mまで届くそうです。
こちらが、秋芳洞の中で一番有名な『黄金柱』と呼ばれる柱です。
石灰華柱と呼ばれていますが、天井近くの岩のすき間から流れ出た地下水が見事な紋様を作り出したものです。
表面をアップで見ると、細かい模様が入っていて、ライトに浮かび上がる様子は、見事に黄金色に輝いています。
ちょっと中国の彫り物細工を思い出しました。
こちらは『厳窟王』と呼ばれていますが、ちょっと不恰好な石筍です。
何故岩窟王なのかはわかりませんが、たいへん長い期間がかかって出来たものでしょう。
最後に『クラゲの滝のぼり』と呼ばれている場所です。
この付近には滝状石灰華が多く、目を見張るような光景です。
驚くことに、床の粘土の中には8万年前の阿蘇火山が大噴火した時の火山灰が含まれているそうです。
それでは、これから秋吉台に向かいます。
洞内の照明にも目が慣れてきたのか、内部の様子がよく分かるようになってきました。
カメラより人間の目のほうが適応力があるようです。
『千町田』と名前がつけられている場所です。
リムストーンプールを小さくしたような場所ですが、こちらのほうが広く、平坦なので町田に例えて、この名前がつけられたのでしょう。
洞窟探検家による潜水調査の結果、秋芳洞からの総延長は8790mにも及ぶそうです。
無数の水系があり、それぞれが鍾乳洞になっているようです。
こちらは、『傘づくし』と呼ばれている場所で、天井からつららのように鍾乳石)が垂れ下がっています。 たぶん、傘の柄のようにも見えるので『傘づくし』と言うようです。
秋芳洞の地下の河川は、秋吉台と関係があり、秋吉台に降った雨はドリーネと呼ばれる吸い込み穴から地下に流れ混みます。
その結果、秋吉台の地下には水の流れのように洞窟が網の目のように発達してきたそうです。
またジバスと呼ばれる竪穴があり、深い竪穴は地下200mまで届くそうです。
こちらが、秋芳洞の中で一番有名な『黄金柱』と呼ばれる柱です。
石灰華柱と呼ばれていますが、天井近くの岩のすき間から流れ出た地下水が見事な紋様を作り出したものです。
表面をアップで見ると、細かい模様が入っていて、ライトに浮かび上がる様子は、見事に黄金色に輝いています。
ちょっと中国の彫り物細工を思い出しました。
こちらは『厳窟王』と呼ばれていますが、ちょっと不恰好な石筍です。
何故岩窟王なのかはわかりませんが、たいへん長い期間がかかって出来たものでしょう。
最後に『クラゲの滝のぼり』と呼ばれている場所です。
この付近には滝状石灰華が多く、目を見張るような光景です。
驚くことに、床の粘土の中には8万年前の阿蘇火山が大噴火した時の火山灰が含まれているそうです。
それでは、これから秋吉台に向かいます。
今年最後の、神奈川の景勝50選巡りになります。
これで44番目になりますので、あと残り6ッ箇所は来年春ぐらいまでを目標にしたいと思います。
今回は、『無量光寺』の紹介です。
まずは50選の石碑の前でトッポの記念撮影です。
正式には『当麻山無量光寺』になります。
時宗の開祖である一遍上人縁の寺として知られています。
『当麻山無量光寺』の起源は、1261年、一遍上人が23歳の時の諸国遊行中に、当地の亀形の丘にのぼり、小さな祠を金光院と名づけました。
この金光院に逗留し修行をつづけたそうで、これが当麻山無量寺の起源です。
その後、一遍上人の弟子真教が一遍上人の死後、宗祖にゆかりの地に戻り当麻山に無量光寺を建立しました。
入り口の門をくぐり杉木立に挟まれた坂道を上ると山門になります。
この相模原市の文化財に指定されています。
無量光寺は1893年(明治26年)の大火で消失してしまいますが、この山門は焼失をまぬがれ、その歴史を伝えているようです。
山門周辺の、冷気を感じさせる雰囲気にトッポも緊張気味です。
これ顔はトッポが緊張した時の顔です。
山門を過ぎると誰もいないので、トッポを少し歩かせてみました。
ドングリがあちこちに転がっているので、クンクンと急がしそうに嗅ぎまわっています。
山門から寺域へ向かう道です。
落ち葉に敷き詰められ、早朝のせいもありいい雰囲気です。
次回は境内の様子を紹介します。
続く.......................................................。
これで44番目になりますので、あと残り6ッ箇所は来年春ぐらいまでを目標にしたいと思います。
今回は、『無量光寺』の紹介です。
まずは50選の石碑の前でトッポの記念撮影です。
正式には『当麻山無量光寺』になります。
時宗の開祖である一遍上人縁の寺として知られています。
『当麻山無量光寺』の起源は、1261年、一遍上人が23歳の時の諸国遊行中に、当地の亀形の丘にのぼり、小さな祠を金光院と名づけました。
この金光院に逗留し修行をつづけたそうで、これが当麻山無量寺の起源です。
その後、一遍上人の弟子真教が一遍上人の死後、宗祖にゆかりの地に戻り当麻山に無量光寺を建立しました。
入り口の門をくぐり杉木立に挟まれた坂道を上ると山門になります。
この相模原市の文化財に指定されています。
無量光寺は1893年(明治26年)の大火で消失してしまいますが、この山門は焼失をまぬがれ、その歴史を伝えているようです。
山門周辺の、冷気を感じさせる雰囲気にトッポも緊張気味です。
これ顔はトッポが緊張した時の顔です。
山門を過ぎると誰もいないので、トッポを少し歩かせてみました。
ドングリがあちこちに転がっているので、クンクンと急がしそうに嗅ぎまわっています。
山門から寺域へ向かう道です。
落ち葉に敷き詰められ、早朝のせいもありいい雰囲気です。
次回は境内の様子を紹介します。
続く.......................................................。
秋芳洞の洞内に入ります。
岩壁にパックリ開いたような入口を入ると、異次元の世界を感じられるのでしょう。
入り口下の水路には、地下水系からの水なのでしょうか? とても綺麗な水です。
洞穴に入るとすぐ、巨大な空間になります。
ここで最初のトラブルです。 イチデジのシャッターがおりないのです。
標準装備のストロボでは、採光が不十分という判断なのでしょう。
暗がりの中で手探り状態で、ISO感度をあげてようやくシャッターが使用できるようになりました。
内部照明が行き届く範囲はいいのですが、普通に撮影するには近場を除いて、洞内の自然光だけでは一般的なカメラでは暗すぎて無理だと思います。
この辺りが通称『青天井』と呼ばれているようです。
内部は弱い光で、景観を考えてライトアップされているようです。
無理に業務用のストロボで明るくして撮影すると、神秘性が失われるので、このくらいの暗さがちょうどいいのかもしれません。 (半分言い訳ですけど)
こちらは通称、『百枚皿』と呼ばれています。
百枚皿は秋芳洞を代表する洞窟生成物で、世界的にも類のない大規模なものだそうです。
実際の池の数は、百枚以上あるようです。
正式には池はリムストーンプール、また、まわりの石はリムストーンとか畦石とか呼ばれています。
奥の小高い場所より地下水が流れ出てきて、その地下水に含まれる石灰分が、皿状に沈積したものだそうです。
奥までストロボが届かず、残念ですがISO感度設定を変えても、これが限度一杯です。
洞内の温度は四季を通じて17℃で一定で、夏は涼しく冬は温かく感じるそうです。
但し湿度が高く、外部との温度変化でレンズが曇りやすいので、レンズ拭きを用意することをお勧めします。
鍾乳洞特有の奇岩のような岩石群がたくさんありますが、一番最初に感じたのは、秋芳洞が巨大な洞窟であるということです。
秋吉台には420もの洞窟があり、コウモリの宝庫で15,000頭以上生息しているそうです。
よく映画で、夕方になると餌を求めて洞窟より集団で飛び出してくるコウモリ群のシーンがありますが、ぜひ見てみたいですね。
確か、『大松茸』と紹介されていたと思いますが、この角度だと目があり、鼻があるように見えますので、深海の怪獣のように見えます。
さらに奥に進んでみます。
続く..........................................................。
岩壁にパックリ開いたような入口を入ると、異次元の世界を感じられるのでしょう。
入り口下の水路には、地下水系からの水なのでしょうか? とても綺麗な水です。
洞穴に入るとすぐ、巨大な空間になります。
ここで最初のトラブルです。 イチデジのシャッターがおりないのです。
標準装備のストロボでは、採光が不十分という判断なのでしょう。
暗がりの中で手探り状態で、ISO感度をあげてようやくシャッターが使用できるようになりました。
内部照明が行き届く範囲はいいのですが、普通に撮影するには近場を除いて、洞内の自然光だけでは一般的なカメラでは暗すぎて無理だと思います。
この辺りが通称『青天井』と呼ばれているようです。
内部は弱い光で、景観を考えてライトアップされているようです。
無理に業務用のストロボで明るくして撮影すると、神秘性が失われるので、このくらいの暗さがちょうどいいのかもしれません。 (半分言い訳ですけど)
こちらは通称、『百枚皿』と呼ばれています。
百枚皿は秋芳洞を代表する洞窟生成物で、世界的にも類のない大規模なものだそうです。
実際の池の数は、百枚以上あるようです。
正式には池はリムストーンプール、また、まわりの石はリムストーンとか畦石とか呼ばれています。
奥の小高い場所より地下水が流れ出てきて、その地下水に含まれる石灰分が、皿状に沈積したものだそうです。
奥までストロボが届かず、残念ですがISO感度設定を変えても、これが限度一杯です。
洞内の温度は四季を通じて17℃で一定で、夏は涼しく冬は温かく感じるそうです。
但し湿度が高く、外部との温度変化でレンズが曇りやすいので、レンズ拭きを用意することをお勧めします。
鍾乳洞特有の奇岩のような岩石群がたくさんありますが、一番最初に感じたのは、秋芳洞が巨大な洞窟であるということです。
秋吉台には420もの洞窟があり、コウモリの宝庫で15,000頭以上生息しているそうです。
よく映画で、夕方になると餌を求めて洞窟より集団で飛び出してくるコウモリ群のシーンがありますが、ぜひ見てみたいですね。
確か、『大松茸』と紹介されていたと思いますが、この角度だと目があり、鼻があるように見えますので、深海の怪獣のように見えます。
さらに奥に進んでみます。
続く..........................................................。
腹ごしらえが済んだので、トッポも少し落ち着いたようです。
相模原公園の奥に『時のトロンダ』という花時計が設置してあります。
このあたりを「センター広場」と呼ばれているようで、隣接する別な公園につながっています。高台なので、公園の全体を見渡せることが出来ます。
この公園はなかなかお洒落なアレンジがあちこち見られます。
いつものように台があればどこでも登る(登らされる?)、トッポです。
「センター広場」から北へと道路を渡る時に『りりちゃん橋』で、写真はその『りりちゃん?』でしょうかね。
相模原公園は市立相模原麻溝公園に隣接しています。
どちらも行き交うことが出来るようで、二つの公園を同時に楽しむことができます。
ちなみに、相模原公園の駐車場は有料で、市立相模原麻溝公園は無料のようです。
市立相模原麻溝公園のグリーンタワー展望塔で、上まで登れるそうです。
結構高いタワーですので、眺望もよさそうです。
では、そろそろもと来た道を戻ることにします。
大きな広場です。 階段の前で、ワンちゃんたちのオフ会が開かれていましたが、もう皆さん帰られたようです。
もう一度噴水広場の美しい景色を眺めて孵ります。
トッポパパの感想ですは、今まで訪問した公園の中ではベストスリーにあげてもいいと思います。
大自然を体感できる公園とは趣が違いますが、多目的な公園でもあり結構利用価値はあるようです。
それでは、相模原公園より。
相模原公園の奥に『時のトロンダ』という花時計が設置してあります。
このあたりを「センター広場」と呼ばれているようで、隣接する別な公園につながっています。高台なので、公園の全体を見渡せることが出来ます。
この公園はなかなかお洒落なアレンジがあちこち見られます。
いつものように台があればどこでも登る(登らされる?)、トッポです。
「センター広場」から北へと道路を渡る時に『りりちゃん橋』で、写真はその『りりちゃん?』でしょうかね。
相模原公園は市立相模原麻溝公園に隣接しています。
どちらも行き交うことが出来るようで、二つの公園を同時に楽しむことができます。
ちなみに、相模原公園の駐車場は有料で、市立相模原麻溝公園は無料のようです。
市立相模原麻溝公園のグリーンタワー展望塔で、上まで登れるそうです。
結構高いタワーですので、眺望もよさそうです。
では、そろそろもと来た道を戻ることにします。
大きな広場です。 階段の前で、ワンちゃんたちのオフ会が開かれていましたが、もう皆さん帰られたようです。
もう一度噴水広場の美しい景色を眺めて孵ります。
トッポパパの感想ですは、今まで訪問した公園の中ではベストスリーにあげてもいいと思います。
大自然を体感できる公園とは趣が違いますが、多目的な公園でもあり結構利用価値はあるようです。
それでは、相模原公園より。
今回は山口県の秋芳洞と秋吉台を紹介いたします。
御土産店の呼び込みのおばさんに誘われるがままに、駐車場に車を停め入り口に向かいます。
入り口に向う道路の両脇は、秋芳洞からの大理石(石灰岩)の加工品を販売するお店が多く並んでいます。
商店街に中ほどにカッパの像が建っていました。
この河童は『禅師かっぱ』と呼ばれています。
「禅師河童の伝説」が紹介されていましたので、紹介します。
『昔この地方がひどい日照りになったとき、空腹に耐えかねた一匹の河童が自住禅寺の放生池の鯉を一匹盗んで食べてしまいました。一方寿円禅師が滝穴に入り雨乞の祈りを始めたのを知った河童は、鯉を盗んだ自分を呪い殺すつもりだと勘違いし、禅師の邪魔をしました。しかし一向に気に留めることなく祈りを続ける禅師の姿に心を打たれた河童は、仏弟子となり祈りの手伝いを始めました。満願の日の朝、願いが叶い仏様のもとへ身を投じた禅師を助けようと河童も淵へ飛び込みましたが、激流にのまれ流されてしまいました。人々はこの河童を禅師河童と呼び、禅師と共に手厚くとむらったといわれています。』
さらに進むと、秋芳洞の入り口になります。
トッポパパも最初は秋芳洞は『しゅうほうどう』と読むのか『あきよしどう』と読むのか、よく分かりませんでした。
東洋屈指の大鍾乳洞「秋芳洞」は、大正15年昭和天皇が皇太子の時に訪問されて、『あきよしどう』という名前を賜れたそうで、正しくは『あきよしどう』になるそうです。
秋芳洞は、以前『瀧穴』とも呼ばれていたそうです。
国の特別天然記念物に指定されている石碑が建っています。
2005年に国際的に重要な湿地としてラムサール条約(よく知りません!)に登録された国内初の地下水系です。
秋芳洞愛歌ってのもあるようです。
日本人は『哀歌』が好きなようですが、『愛歌』というのが笑えます。
この先は遊歩道になっていて、しばし木漏れ日を浴びながら入り口に進みます。
秋芳洞の地下100m前後には、秋芳洞のほかに数百の地下水系があるそうです。
秋芳洞内の観光コースは、1Kmほどですが、実際には10Kmにも総延長距離は及ぶそうです。
杉木立を通り抜けると秋芳洞の入口です。
秋芳洞の入口には滝があります。
かつては水位が高く、大きな滝だったようですが、今日は穏やかな流れでしたので写真は撮りませんでした。
ひんやりと肌をさす冷気が中から流れてきます。
それでは、どんなところなのか楽しみに中に入ってみます。
続く..........................................................。
御土産店の呼び込みのおばさんに誘われるがままに、駐車場に車を停め入り口に向かいます。
入り口に向う道路の両脇は、秋芳洞からの大理石(石灰岩)の加工品を販売するお店が多く並んでいます。
商店街に中ほどにカッパの像が建っていました。
この河童は『禅師かっぱ』と呼ばれています。
「禅師河童の伝説」が紹介されていましたので、紹介します。
『昔この地方がひどい日照りになったとき、空腹に耐えかねた一匹の河童が自住禅寺の放生池の鯉を一匹盗んで食べてしまいました。一方寿円禅師が滝穴に入り雨乞の祈りを始めたのを知った河童は、鯉を盗んだ自分を呪い殺すつもりだと勘違いし、禅師の邪魔をしました。しかし一向に気に留めることなく祈りを続ける禅師の姿に心を打たれた河童は、仏弟子となり祈りの手伝いを始めました。満願の日の朝、願いが叶い仏様のもとへ身を投じた禅師を助けようと河童も淵へ飛び込みましたが、激流にのまれ流されてしまいました。人々はこの河童を禅師河童と呼び、禅師と共に手厚くとむらったといわれています。』
さらに進むと、秋芳洞の入り口になります。
トッポパパも最初は秋芳洞は『しゅうほうどう』と読むのか『あきよしどう』と読むのか、よく分かりませんでした。
東洋屈指の大鍾乳洞「秋芳洞」は、大正15年昭和天皇が皇太子の時に訪問されて、『あきよしどう』という名前を賜れたそうで、正しくは『あきよしどう』になるそうです。
秋芳洞は、以前『瀧穴』とも呼ばれていたそうです。
国の特別天然記念物に指定されている石碑が建っています。
2005年に国際的に重要な湿地としてラムサール条約(よく知りません!)に登録された国内初の地下水系です。
秋芳洞愛歌ってのもあるようです。
日本人は『哀歌』が好きなようですが、『愛歌』というのが笑えます。
この先は遊歩道になっていて、しばし木漏れ日を浴びながら入り口に進みます。
秋芳洞の地下100m前後には、秋芳洞のほかに数百の地下水系があるそうです。
秋芳洞内の観光コースは、1Kmほどですが、実際には10Kmにも総延長距離は及ぶそうです。
杉木立を通り抜けると秋芳洞の入口です。
秋芳洞の入口には滝があります。
かつては水位が高く、大きな滝だったようですが、今日は穏やかな流れでしたので写真は撮りませんでした。
ひんやりと肌をさす冷気が中から流れてきます。
それでは、どんなところなのか楽しみに中に入ってみます。
続く..........................................................。