TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポ家初孫成長記 その31 『湘南ひらつか七夕まつり』 その3

2015年07月10日 | 初孫成長記
七夕飾りに手が届く高さにご機嫌の姫です。



結構手の込んだ飾りもたくさんあります。



雨に濡れながらも、いつもの元気な姫です。





時々、いたずらされるのが困りますけどね。



奇声を発しながらはしゃぐ姫に周りの人が驚いていました。



元気いっぱいの姫に、家族もだんだんテンションが高くなります。



雨天にもかかわらず、人並みは途絶えることがありません。





トッポパパは首の痛みをこらえて頑張っています。





トッポママに家族写真を撮ってもらいました。



帰路に着くころは雨足が強くなってきました。



ワイワイと楽しい七夕まつりでした。

トッポ家初孫成長記 その31 『湘南ひらつか七夕まつり』 その2

2015年07月08日 | 初孫成長記
困ったことにだんだん雨が強くなってきます。



傘をさしている人が多くなると、傘を避けて写真を撮るのが難しくなります。



姫も傘の下では、七夕飾りがよく見えないのか、面白くなさそうです。



400店もの露店や屋台が並んでいます。
七夕まつりの楽しみでもあるので、ちょっと休憩です。



ビール片手に、雨に濡れながら..............。



雨に濡れながら、何がおもしろいのかと姫は不機嫌のようです。



ふと人ごみを見ると、小さい子供は肩車している!



では、姫も!



と、突然姫がハイテンションに急変!



七夕まつりを高い目線で見ると、見る世界が違うようです。



続く...............................................................................

トッポ家初孫成長記 その31 『姫2歳、トッポパパ古稀!トッポ米寿?』 その1

2015年07月07日 | 初孫成長記
トッポパパ横浜に生まれ育ちながら、いままで神奈川県の平塚駅で乗り降りした記憶もなく、まして『湘南ひらつか七夕まつ』を観に行ったことがありませんでした。



関東三大七夕祭りの一つで、その規模は仙台の七夕祭りと比較されるほど有名です。
雨が心配でしたが、家族で一度見に行こうということになりました。



あいにくの天気で、曇りの天気予報が早々に雨模様になってしまいました。



とりあえず記念撮影です。



メインの商店街には500本以上の、中には10mを超える大型飾りや活躍中のスポーツ選手や人気の動物、キャラクターなど流行を取り入れた飾りが並びます。



昔話『金太郎』の大きな飾りです。
そういえば、最近金太郎のコマーシャル(桃太郎だったかな?)がよくテレビで放映されていますね。



数百万人が訪問するそうで、平塚駅で下車した途端に歩行規制があるほど大賑わいです。
七夕飾りの豪華さは日本最大級とも言われています。





最初、姫は人ごみと雨模様にちょっと不機嫌でした。



『湘南ひらつか七夕まつ』の歴史は長く、戦後復興まつりとして始まり今回で第65回の七夕まつりへ成長しました。



続く..........................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その154 『トッポ思い出の山手洋館巡り』 その10

2015年07月05日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
最後の訪問先は山手外国人住宅の中で最大規模の『べーリック邸(現在のベーリック・ホール)』です。



べーリック・ホールは、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、1930年に設計されました。



入口脇に東屋風?(藤棚?)の休憩所があります。
ここはとても懐かしい思い出があります。



こうしてトッポの写真を何枚も撮った思い出の場所です。



周囲は深い木立に囲まれているため街路からはその建物の姿は見えず、一般の人たちにはあまり知られていませんでした。
長く一般公開が望まれていたようですが、ようやく一般公開となったのが2002年7月のことです。
ここの敷地は600坪もあります。



イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、J.H.モーガンの設計により1930年に建築されました。
ベーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓(2階煙突の左側にある小さな窓)、そして瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけています。



こちらは左客間奥の食堂です。一番奥に暖炉があります。





中から外を見てみました。



整備された庭の雰囲気は南国の樹木の印象もあり南欧のリゾート地のようです。



トッポの思い出を訪ねての洋館巡りを終わります。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その154 『トッポ思い出の山手洋館巡り』 その9

2015年07月04日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
『山手234番館』の正面に廻ると門柱に『234』と番地が刻まれています。



関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして、1927年頃外国人向けの共同住宅として建てられました。
中央の玄関ポーチを挟んで、1階前面が列柱の並ぶベランダがあり、2階にバルコニーが設けられてます。
建物内には同一形式の住宅が4戸収められ、中央の玄関ポーチをはさんで、左右対称に二つの住まいが上下に重なっています。



隣にある有名な『えの木てい本店』です。
こちらも、1927年に日本人建築家朝香吉蔵氏が設計した英国式の洋館です。
当時ははアメリカン人検事が暮らしていましたが、1970年に現オーナーのご両親が自宅用に買い取ったそうです。
もともとお菓子やお料理を作るのが大好きだった現オーナーのお母様は、時折人々を招きいれて自家製のケーキとお茶でおもてなしをしていたのが始まりで、1979年にカフェとしてオープンしました。
店名は庭にある大きな榎から名づけられました。



木製の上げ下げ窓、冬は薪を焚く暖炉、150年以上も昔のアンティーク家具など、古き良き山手の雰囲気を漂わせるティールームです。
レアチーズケーキや英国風スコーンなどオープン以来のレシピをそのまま受け継ぐ人気メニューが今も健在です。



トッポは中に入れませんでしたので、前の公園のベンチから眺めていました。



公園の中ほどに『エリスマン邸』があります。



日本の建築界に大きな影響を与え、現代建築の父と呼ばれたA.レーモンドの設計で、絹糸貿易商エリスマン氏の私邸として1926年に127番地に建築されました。
こうして昔の写真を整理してると、トッポはどこにでも乗っかって写真撮っていますね。



緑の木立に囲まれて建つ風情も美しく、山手散策を楽しむ多くの観光客を集めています。
エリスマン氏はチューリッヒ生まれで、1888年に来日、戦前最大と言われる生糸貿易商シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した人です。



その簡潔なデザインですが、横浜に残るほかの洋館群とは少々異なるモダンな雰囲気です。



トッポパパも生きてる証の記念撮影です。



次回が洋館巡りの最後になります。



トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その154 『トッポ思い出の山手洋館巡り』 その8

2015年07月02日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
『山手10番館』に隣接する『山手資料館』です。



明治42年に建造され、横浜市内に残る唯一の和洋併設型住宅で最古の木造西洋館です。
日本のマンガの祖として知られる英国人チャールス・ワ-グマンのポンチ画創刊号の表紙など、貴重な横浜浮世絵、歴史的史料の数々が展示されています。



天国のトッポ、『ここでもちょっと写ってるよ!』



少し歩くと、日本のテニス発祥の地です。



1876年、ここ山手公園でわが国最初のローンテニスが行われ、1878年にわが国最初のテニスクラブが誕生しました。



日本初の洋式公園である山手公園に、わが国でのテニス発祥120周年を記念してこの記念館を設立しました。





山手公園側から洋館を臨みますが、トッポは小さすぎてわかりません。



『山手234番館』の前の広場です。
中央にある白い公衆電話ボックスは、扉に『自動電話』と書かれています。
最初に日本で公衆電話ボックスができたのは1900年に新橋と上野駅のようですが、山手にできたのは1902年で、ゲーテ座とここになります。



こちらが、『山手234番館』です。



続く....................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その154 『トッポ思い出の山手洋館巡り』 その7

2015年07月01日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
外人墓地へ移動します。
日本最初の外国人用本格的劇場『ゲーテ座』です。



山手の有名レストラン、『山手10番館』にきました。
トッが14歳ぐらいの頃ですが、まだまだ元気なときでした。



トッポ同伴では中での食事ができませんでしたので、今回はと思ったのですが残念ながら改築中でした。



トッポとは中庭で、何回か軽食を楽しみました。





右奥に外人墓地越しにマリンタワーを臨みます。



こちら側からはランドマークが見えます。



天国のトッポ、『外人墓地の中も入ったよね!』



外人墓地の中から、『山手10番館』はこんな感じで観えます。



山手聖教会です。
1863年、居留地(山下町)の105番地に急勾配の切妻型屋根にアーチ窓の建物が建ったのが初代のクライスト・チャーチで、
後に現在の場所に移転して、尖塔を持った煉瓦造のゴシック様式の教会がコンドルの設計によって建てられました。



続く...................................................................................。