TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

海外の都市の紹介、 その85の3 『グアム』

2010年10月31日 | 海外の都市の紹介
今回、女性が多いスカイダイビング挑戦者の中で、男の沽券(こけん)は守れるのか............、とは、言っても、怖いものは怖いようです。



まだ、心の準備ができてないから、押すんじゃない! とでも、言いたいのでしょう。



セスナは空中で停まっていることはできないのでしょうから、ところてん式に押し出されるようです。
この表情を見るだけで、恐怖感が伝わってきます。



落下直後は、誰でも失神状態になるのかな.........



乾坤一擲(けんこんいってき)、男の面子でVサイン。



パラシュートが開くショックでダブルショック??



パラシュートで減速し、ようやく我に返って笑顔が戻りました。



パラセイリング感覚なら、さほどの恐怖感はないようです。



下界を見下ろしながらの空中散歩は、気分爽快でしょうね。



ご苦労様でした。
それにしても、超広角レンズを使用とはいえ、落下中にこれだけの写真を撮れるとはベテランダイバーの冷静さには敬服します。



勇気ある人は、どうぞ挑戦してみてください。
トッポパパは高齢のため(言い訳)、遠慮しておきます。

トッポ13歳の誕生日!

2010年10月30日 | トッポの世界
トッポ、『パパ、なにやってんの!』



トッポ、『ワァ! ケーキだ! 僕の!』
トッポパパ、『そう、トッポの誕生日のお祝い!』



トッポ、10月25日で13歳なりました。
ちょっと遅れましたが、誕生日の報告です。



トッポは8歳で頸椎ヘルニアの大手術をしましたが、それから5年、病気もせず元気に過ごしています。
人間の年齢なら、もう70歳近くになると思うのですが、いまだに食欲旺盛で元気いっぱいです。



トッポパパ、『お互いに大病したけど、皆さんのおかげで元気になりました。』
トッポ、『でも、またパパは手術するんだよね。』
トッポパパ、『大丈夫! また、元気に戻ってくるから、心配するな!』



トッポパパ、『誕生日おめでとう!』



トッポ、『食べていい?』



トッポパパ、『ほおばりすぎだ! ゆっくり食え!』
どうも、異常に食欲だけはあるようです。



トッポ、『フルーツは?』
トッポパパ、『



トッポパパ、『ほら! 食べられるなら食べてみな!』



トッポ、『剥いてくれなきゃ食べれない



てなことで、皆さんのおかげでトッポ13歳の誕生日を迎えることができました。
今後とも、トッポともどもよろしくお願いいたします。

海外の都市の紹介、 その84の3 『イスタンブール』

2010年10月29日 | 海外の都市の紹介
アヤソフィア博物館の中庭から、入口をバックに記念撮影です。
逆光で顔がよくわかりません。



堂内への入り口は皇帝の専用通路もあるそうです。



1階の内陣を取り巻く回廊です。



内陣はイスラムとビザンチンが融合した不思議な空間です。
内陣の柱にはジャミィになって掲げられた6枚の巨大な円盤が飾られています。



上の天井の円蓋の半円ドームに、聖母マリアが生まれたばかりのイエスを膝に抱いているモザイク画を見ることができます。
イスラムで埋め尽くされたモスクの天井に残されたマリアとキリストは、キリスト教とイスラム教が混在した歴史をつたえるものなのでしょう。



上を見上げると、まず天井の高さに驚かされます。



高さは56mあるそうで、15建てのビルくらいの高さになるのでしょう。



窓のステンドグラスが美しいです。



アヤソフィアは325年に建築が開始され、360年に完成し、1453年に教会からジャーミィに変えられ、その後漆喰でモザイク画が塗りつぶされました。
アメリカの調査隊によって発見されたのは1931年、長い眠りから覚めアヤソフィアは博物館となりました。



壁も柱も窓も天井も、さまざまに意匠が凝らされた装飾で埋め尽くされています。



続く.........................................................................。

海外の都市の紹介、 その85の2 『グアム』

2010年10月26日 | 海外の都市の紹介
スカイダイビングで飛び降りる直前の恐怖感は、すごいものでしょうね。



ここまできたら、自分の意志というより、ベテランダイバーが後ろから押し出すように飛びだしているようです。



人は緊張すると、目は見開くようです。(笑)



ベテランダイバーは余裕の顔です。



,,,,,,? 気を失った!



どうやら、大丈夫だったようです。



パラシュートが開くときのショックも、大変なのでしょうね。



ようやく落ち着いた顔になりました。



ここまで来ると、ちょっと余裕で下界も見られるのでしょう。



無事着地で、笑顔が戻りました。



女性のほうが度胸があるのでしょうかね、でもその勇気にはです。
次回は、男性版です(笑)

続く............................................................................。


トッポと秋の山下公園へ、 その3

2010年10月23日 | トッポの世界
いつもの山下公園の噴水の前で記念撮影です。



ここの花壇はいつも季節の花が咲いています。



公園の一部が薔薇園になっています。



秋の薔薇も結構咲いていました。



奥に進むと、いつもの場所で恒例の写真展です。
結構迫力のある写真が展示されていて勉強になりました。



氷川丸は現役引退後、山下公園に係留され、船内では船上結婚式、ビアガーデン、ライブ、サロン・コンサート等が催されていましたが、入場者の減少のため2006年の運営を終了しました。
2008年より、船内の公開もされているようですが、まだ中に入ったことがありません。
今度、一度中を見てみたいと思っています。



されに奥に進むと、なにかイベントが開かれているようで、賑やかな声が聞こえます。
インド文化を紹介する『ディワリ・イン・ヨコハマ』が開催されていました。



『ディワリ』はヒンドゥー教の正月にあたります。
同イベントはインド商人が日本で初めて営業拠点を設けた都市が横浜であることから、同国文化の紹介や在日インド人との交流を行なう目的で2003年から開催されているようです。



続く.......................................................................。

海外の都市の紹介、 その84の2 『イスタンブール』

2010年10月22日 | 海外の都市の紹介
前回紹介の『スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)』の正面には、『アヤソフィア博物館』があります。
ギリシャ正教の大本山として君臨しながらも、後にイスラム寺院に姿を変えた、イスタンブールを代表する建物です。



イスタンブールの歴史を長年に渡り見つめてきたアヤソフィアの大きさは、中央のドームは高さ56m、直径33mでブルーモスクより更に大きいものです。
ローマ帝国皇帝コンスタンチヌス大帝により、タンティヌス2世の360年に完成し、最初は教会でした。
537年、ユスティニアヌス皇帝の命を受け、6年の歳月をかけビザンツ様式の大聖堂が完成しました。
以後、ビザンツ帝国が滅びるまでギリシャ正教の総本山として崇められ、今でもギリシャの人々にとっては心のよりどころとなっているそうです。
ちなみにアヤソフィアは『神の知恵』という意味です。



1453年、コンスタンティノープルが陥落後、メフメット2世によりジャミイ(寺院)に改められ、トルコ共和国となった1934年にアタチュルクによって博物館として開放されます。



紀元前後はビザンティウム、ギリシャ神話の神々が立ち並ぶ広場だった公園から、ライトアップされた夜のアヤソフィア博物館の景観です。
ミレーナ(尖塔)もジャミィになってから追加されました。



時間によって色変わりをする噴水でした。



モスクへと転用された時に、あまり改築はされなかったものの、内部の貴重なモザイク画などは漆喰などで塗りつぶされてしまったそうです。



これから、博物館に向います。
博物館内での主な見どころはモザイク画と大理石で、紫色の大理石は珍しいエジプト産の火山岩で、2階のギャレリーにはテッサリア産の大理石が使用されているとのことです。



1931年、アメリカ人の調査隊により、壁の中のモザイク画が発見され、トルコ共和国の初代大統領、アタテュルクによって博物館として公開されました。



それでは、中に入ってみます。
中の様子は次回に紹介します。



続く......................................................................。

海外の都市の紹介、 その85の1 『グアム』

2010年10月21日 | 海外の都市の紹介
娘夫婦がグアムへ出かけ、話には聞いたことがあるスカイダイビングとかに挑戦したようです。
トッポパパが子供たちを連れてグアムに出かけたのは20年近く前で、マグニチュード8.2の大地震があったときで、炊き出しのおにぎりとみそ汁を飲まされた思い出しか残っていません。
では、娘夫婦からの写真でスカイダイビングとはどんなものかを紹介いたします。
まずは記念撮影ですかね。



もちろんベテランのダイバーが一緒に飛んでくれるので初心者でも空を飛べるのですが、やはり勇気がないと尻込みしそうです。



ちょっと緊張気味のように思えます。



さて、出発のようです。
まだ笑顔がこぼれていますけど......................。



このセスナで上空、3000mとか4000mまで上がり、そこから飛び降りる?ようです。



スカイダイビングは、以前グアムで降下中に減速用パラシュートは開いたがメーンパラシュートが開かず、2人が墜落死したケースもあり、まずは神様にお祈りのようです。
女性のほうが勇気のある人が多いようです。



上空に上るまで、はしゃいでいますが.......



緊張を解くために準備運動ですかね。



女性より男性のほうが、緊張しやすいようです。



さて、降下の様子は次回より紹介します。
トッポパパも若ければ一緒にやりたいのですけど、もう無理でしょう!(笑)

続く.........................................................................。

トッポと秋の山下公園へ、 その2

2010年10月19日 | トッポの世界
横浜で生まれ」、横浜で育ったトッポパパにとって、山下公園は生活の一部のような公園です。
トッポにとっても、馴染みの公園です。



トッポは今月の25日で13歳になりますが、まだまだ元気のようです。



大桟橋をこちらから観ると、小さな島のようにも観えます。



MM21には、まだまだ高層ビルが建つようですが、これ以上林立すると景観が損なわれてしまうのではと心配しています。



しばらくベンチに座り、のんびり海を眺めていました。
ただぼんやりしているのも、なかなかいいものですよ。



餌をあげているのか、目の前を通り過ぎた船を追いかけてカモメが乱舞しています。



こちらは、飼い主さんの昼寝を見守っているワンちゃんです。



そして、マリンタワーです。
この時期、山下公園はギンナンが落ちる時期なので、トッポがかぶれないように銀杏の木の周辺は歩かせられませんでした。



続く.......................................................................。

海外の都市の紹介、 その84の1 『イスタンブール』

2010年10月17日 | 海外の都市の紹介
今回よりトルコ共和国の『イスタンブール』の紹介です。
トルコ共和国は先史時代から古代文明の時代へ、そしてギリシャ、ローマ時代からイスラム諸王朝時代、トルコ共和国はさまざまな文明の記憶を有する国です。

まずは、いくつかあるトルコの世界遺産の一つである、イスタンブールの旧市街の歴史地区の中心である、スルタンアフメット・ジャーミィを訪問しました。



世界で唯一、優美な6本のミナレット(尖塔)と直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られています。
白地に青の色調の美しさから『ブルーモスク』とも呼ばれています。



オスマントルコ時代の1616年にスルタン・アメフトⅠ世の命により建築されました。
高さ43m、直径23mの中央ドームは、四方にある半円のドームと三つの小さいドームに囲まれています。



オスマン帝国時代の1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された世界で最も美しいモスクと評されています。



高さ43mのドームは直径5mの巨大な4本の柱で支えられています。
写真は、正面の庭園です。



モスクというのはイスラム教の礼拝堂です。
敬虔なモスリムは、日に五回頭を床に繰り返し繰り返しひれ伏し、祈りを唱えます。
ちなみにブルーモスクにはミナレット(尖塔)が6本も立ち上がっています。
アフメット一世がメッカに旅発つとき、アルトゥン(黄金)のミナレットを作るように命じたが、建築家はアルトゥ(6)と聞き間違え、6本の尖塔を建てたと言われています。



余談ですが、メッカはイスラムの聖地ですが、メッカのドームにはそれまで6本のミナレットが立っていました。
ブルーモスクが6本のミナレットを建てたことから、聖地たるものの威厳を保つため、急遽1本を建て増し現在は7本になったそうです。
ちなみに、ミナレットとは、モスクに付随し礼拝時刻の告知(アザーン)を行うのに使われる塔です。



紀元前15世紀に造られた『テオドシウスのオベリスク(ディキリタシ)』は、イスタンブールで最も古い記念碑です。
エジプトのファラオ・トトメスIII世がメソポタミアの勝利を記念して造らせたもので、390年、ビザンチン皇帝テオドシウス I 世がエジプトのルクソールにあるカルナックのアモン神殿からここに搬入させたものです。
ピンク色の花崗岩でできており、重さ300tonあり、本来は高さが32.5mあったが、運搬する際に下部から40%ほど切断されたため、現在の高さは20mとなっています。



碑文にはトトメスIII世の偉業を讃える象形文字(ヒエログリフ)が刻まれ、頂部には神アモンとファラオが手を握りあっている姿が描かれているそうです。(この角度だと分かりません。



続く........................................................................。

トッポと秋の山下公園へ、 その1

2010年10月16日 | トッポの世界
ここ数週間、バタバタしていたのでトッポと散歩に行くことができませんでした。
今日は、久しぶりの青空なので、午後山下公園までトッポと散歩です。

トッポ、『久しぶりの山下公園だね!』



海外からの?子供さんたちが歓声を上げながら、見つめているのは......



いつもの大道芸です。
これだけ大勢の観客がいると、大道芸人さんも力が入るでしょう。



いつものように、たくさんのワンちゃんたちが集まってきています。
ワンちゃんを入れたベイブリッジのいい構図の写真が撮れました。



ベイブリッジも、綺麗に観えます。



ワンちゃんたちと会うと、少しおっかなびっくりのトッポです。



木立の間からトッポを入れて写真を撮りましたが、ちょっと明暗のバランスが良くないですね。



ちょっと、マニュアルで調整して撮ってみました。
こんな写真も面白いです。



続く...........................................................................。

海外の都市の紹介、 その82の14 『ローマ』

2010年10月15日 | 海外の都市の紹介
今回が最後のローマ紹介になります。
最後は、映画「ローマの休日」の舞台として 有名な『スペイン広場』に向かいます。
日本でも、観光地では見かける馬車ですが、やはり本場?だと周りの景観に溶け込むようです。



ブランドショップが立ち並ぶコンドッティ通りを抜けると、スペイン広場が見えてきます。



スペイン広場はローマ市の都心部にある広場で、真近にあるスペイン大使館にちなんで命名されたものです。
スペイン広場には、トリニタ・デイ・モンティ教会へと続くトリニタ・デイ・モンティ階段があり、通称「スペイン階段」と呼ばれています。



階段の 設計はフランチェスコ・ディ・サンクティスによるもので、1725年に完成した。波を打つような形態はバロック的な効果をあげています。



映画「ローマの休日」では、オードリー・ヘプバーン扮する王女がジェラートを食べたシーンでもおなじみの場所です。
現在はローマの休日のように階段でジェラード食べたがる人が多いのか、現在スペイン広場での飲食は禁止されています。
ここは、全世界からの観光客で、いつも溢れかえっているようです。



トリニタ・デイ・モンティ教会は、フランス国王ルイ12世の命により1585年に完成しました。
その前のオベリスクは1789年完成したものです。
モンティ教会に通じる階段は、いつかはこの階段に座ってみたいと、誰もが憧れる階段のようです。



ここは『丘の三位一体教会』と言う意味の名を持ち、ルイ12世が建てさせたフランス人のための聖堂であったようです。
2本の塔を持つのはフランスゴシック様式で、フランス人がこの教会を見るととても懐かしさを感じるようです。



広場の中央には、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作「バルカッチャの噴水」がある。広場別名『舟の噴水』と呼ばれ、石で造られた舟の噴水でありスペイン階段とならんでここにて記念写真を撮る旅行者が目立ちます。



舟の噴水は、かつてテヴェレ川が決壊したとき、ここまで小舟が流されてきたという故事に由来するそうです。
噴水形は、テヴェレ川でワインの運搬に使われていた小船をかたどった物と言われています。



イタリアも紹介し始めると、きりがないくらい名所旧跡があります。
またミラノ、ヴェネチア(ベニス)、フィレンツェ、ナポリ等も未紹介ですので、追って順番に紹介いたします。

それでは、とりあえずローマより

海外の都市の紹介、 その82の13 『ローマ』

2010年10月14日 | 海外の都市の紹介
『ヴァチカン博物館』です。
展示面積が約4万m2という広大な博物館で、システィーナ礼拝堂、ピナコテカ(絵画館)、ピオ・クレメンティーノ美術館、キアラモンティ美術館など幾つかのブロックに分かれています。
ヴァチカンは『ヴァチカン市国』と呼ばれる独立した一つの国です。
写真はピーニャの中庭です。 
中央にあるのは、アルナルド・ポモドーロの『球のある球体』が配置されています。
1990年にヴァチカン博物館のために作られたもので、直径が4mもあります。



『地図のギャラリー』です。
教皇グレゴリウス13世(在位:1572~1585)が描かせたイタリア各地の40枚の地図が廊下の両側に並んでいます。



ヴァチカン博物館は、16世紀初頭、ヴァチカンの教皇ユリウス三世がベルヴェデーレ宮殿の中庭に古代ギリシャの彫刻群を置いたことから始まり、歴代のローマ教皇は同時代の芸術家を手厚く保護し、また多くの美術品を収集しました。
19世紀にはエジプト美術館、エトルリア美術館、世俗美術館、キリスト教美術館等が次々に増設し、20世紀に至るまでヴァチカン美術館の拡大は続き、今や世界有数のコレクション数になっています。



『ボルジアの間』の天井画です。
教皇アレクサンデル6世がピントゥリッキオに装飾させた部屋です。



ピオ・クレメンティーノ美術館にある『ラオコーン像』です。
小学校の教科書にも載っていたように思います。
八角形の広場(Cortie Ottagono)と呼ばれる天井吹き抜けの屋内広場に設置されています。
その苦悶に満ちた表情は、蛇に噛み殺される苦悶の表情が描かれています。

トロイア戦争のおり、トロイの司祭ラオコーンが城内に木馬を入れないように主張したため神罰を受け、その場で子供たちとともに2匹のヘビに絞め殺されたという伝説の一場面です。
この像は1506年にティトゥス帝(在位79-81年)の宮殿跡(ネロの黄金宮殿跡の近く)から発見され、ミケランジェロも発掘現場に駆けつけたそうです。
ミケランジェロも絶賛し、教皇ユリウス2世が購入して、ヴァチカンに運ばれてきました。



『ベルヴェデーレのトルソ』です。
この大理石像には、前1世紀のアテネの彫刻家アポロニウスのサインがあるそうです。
トルソとは、腕・足、時には頭部のない、上半身部分だけの彫刻のことのようです。
発見されたときには、右腕と左手が欠けていましたが、ミケランジェロの工房で補完されました。



他にも、紹介しきれないほどの美術品があります。
詳細は、時間がなく調べきれないので、写真だけです。



エジプトのイシス神殿から持ち帰った王家の人々の像やミイラも展示されています。



ヴァチカン市国ってなんでしょう。
世界中のカトリック教徒を率いるローマ教皇は中世ヨーロッパでは各国の国王をも凌ぐ大きな権力を持っていました。
北イタリアにはローマを中心とした広大な領土も持っていましたが、近代になるとその権力も衰え1870年のイタリア統一の際にイタリア王国によって全ての教皇領土は奪われてしまいます。
教皇はバチカンの丘に立て籠もってイタリア王国と対立しました。

そんな中、1922年イタリアの政権の座についた時の独裁者ムッソリーニは教皇の権威をイタリア支配の為に利用しようとします。
そこで1929年イタリアと教皇サイドの間で「ラテラノ条約」が締結され、ローマ教皇の領土としてバチカン市国が誕生しました。



次回がローマ紹介の最後になるスペイン広場です。

トッポパパの再闘病記?『脳動脈瘤と耳下腺腫瘍発見、どうなるの?』 その5

2010年10月13日 | トッポパパ再闘病記 脳動脈瘤と腫瘍発見
再度のMRIの結果はどうなるのか?......何を聴いても覚悟はできてると、早朝4時半に起きて、5時半に自宅を出た。
7時より外来再診の受付ができると聴き、トッポパパの予約は午後の診察時間であるにも関わらず、7時前にK大学病院に着いた。
一番に診察券を受付の機械に通すと思ってきたのに、機械の後ろの席は満席状態で、およそ70-80人ぐらいの人が、すでに順番待ちとは!........この人たちは、何時から順番待ちしているのかと、びっくりしました。

病院のアドバイスもあり、午後の診察でも、午前の早めに受付をしておいた方がよいと、言われた通りにしたので、午後の診察順番は3番目になりました。
とりあえず、午前中は会社で仕事をして、午後にまた病院へ戻りました。

トッポ、『それで、どうだった!』



診察待ちの間、ドクターのかん高い声が聞こえてくると、ママが『おっかなそうな先生みたいだ』と感じたようです。
暫くして、名前を呼ばれ、診察室に入りました。
いかにも、頭のよさそうな、でも優しそうなドクターでした。

画像をじっと見ながら、
ドクター、『耳下腺腫瘍ですね。 たぶん、多形腺種かワルチン腫瘍だと思います。』
トッポパパ、『良性ですか、悪性ですか?』
ドクター、『良性のように見えますね。 実際に、良性か悪性かは、腫瘍摘出後の検査結果を待たないと断定できません。 たぶん大丈夫でしょう。』
トッポパパ、『やはり、手術をして腫瘍を摘出した方がいいのでしょうね。』
ドクター、『良性にしろ、悪性にしろ、手術で腫瘍摘出した方がいいです。』
トッポパパ、『顔面麻痺になる可能性もあると聞いたのですが。』
ドクター、『耳下腺周辺は、顔面神経が走行していますので、腫瘍の場所によっては麻痺が起きる場合もあります。』
トッポパパ、『腫瘍は奥(深い場所の意味)の方ですか?』
ドクター、『比較的浅い部分だと思います。(浅葉と言うらしい)』
トッポパパ、『麻痺になる可能性は?(ストレート過ぎるかな?)』
ドクター、『熟練した医者が手術をしますので、2-3%でしょう。(そんなに低いなら、絶対大丈夫だ!)』
少し、気持ちが落ち着く。

トッポパパ、『このまま、手術をしないとどうなりますか?』
ドクター、『顔面麻痺が心配で手術を躊躇される方も多いのですが、このままにしておくと癌に変化するケースもあるので、早めに摘出をしたほうがいいと思います。』
トッポパパ、『(3秒考えて!)すぐ手術してください。 できるだけ早い方がいいのですけど。』

これOPLLの時とまるで同じだと、自分で笑ってしまいました。
トッポパパの考えは、手術を躊躇しても、よい方向に向かうものは何もないし、腫瘍が大きくなれば神経に干渉するようになるだろうし、まして癌にでも変化したら、命にかかわる(癌の場合の5年生存率は50%と書かれていた)、ならば、今のリスクのほうが少ないのは明白で、明日でも手術して欲しいと思いました。

写真は、家に帰ってトッポに報告中のスナップです。



トッポパパ、『いつ頃手術できますか? いつでも結構です。(ゴルフコンペの日は避けたいけど!)』
ドクター、『今、空いている日で最短は11月24日ですね。』
トッポパパ、『その日で結構です。(即答) そうなると、22日の入院になります。』
大学病院で、このくらい早く手術できるのであれば、重症患者さんは別としても、早い手術になるのでしょう。
ドクター、『それでは、今日できるだけ検査をして、入院手続きをしてください。』
トッポパパ、『はい、すぐに手続きします。(よし、よし!)』

トッポパパ、『ところで、先生が手術してくださるのですか?』
ドクター、『私がします。』
先ほど、熟練した医者が手術をするので........と、話していたが、本人のことだったようです。(笑) まあ、そのくらい自信があるということなので、安心です。
トッポパパ、『どの辺を切るのですか?』
ドクター、『(イラストを渡してくれて)耳下部の前から、S字を書くように耳後方の首をあごに沿った感じ切開します。 これが、一般的な方法です。術後、男性の場合は皺になるような感じで、目立たなくなります。』

女性の場合は、顔の傷はちょっと可哀そうですね。
トッポパパは、すでに首に傷はあるので、傷でも皺でも、そんなの関係ない!ですね。

トッポ、『手術もきっと大丈夫だね!』



この後、心電図、血液検査、X腺撮影、検尿など順番にこなし、入院手続き終了。
あとは、来月8日に、生体検(細胞診)と検査結果によっては、再度の検査もあるようです。
今日一日で、ここまで進展するとは思わなかったので、大満足です。

あとは、良性を信じて、まな板の鯉になります。
なんとかなるでしょう!、いや、なんとかしてきます。

トッポパパの再闘病記?『脳動脈瘤と耳下腺腫瘍発見、どうなるの?』 その4

2010年10月11日 | トッポパパ再闘病記 脳動脈瘤と腫瘍発見
世の中は3連休!、天気は地域によって前半は雨模様のようでしたが、それなりに3連休を楽しんでいるのでしょう。
トッポパパは、先週末は結婚式、今週は会社の仲間の突然の逝去の連絡で、急遽お葬式に参列しました。
その上、頭の中は腫瘍の摘出はどうなるのか?、ゴルフの練習は継続するのか?、トッポの散歩は?(笑)、と、同一人物がこの状況で同時に考えることかと、漠然と思いながら身体を動かして過ごしています。

12日に、MRI/CTの画像をもとにドクターの説明があるので、早朝5時半には自宅を出て、7時からの再診受付を済ませ、午前中は会社に行き、午後から病院へ戻り診察および、必要なら追加の検査?があるのでしょう。
大学病院は多くの患者さんが来院するので大変な混雑で、早朝に再診受付をしてもらわないと、午後遅くの診察になってしまいます。

3連休ということで、敵を知ることなくベストは尽くせないので、『耳下腺腫瘍』という病気を、ネット情報をもとに少し勉強してみました。

トッポ、『ずっと、パソコンに向かっているけど、なにしてるの?』
トッポパパ、『ちょっと、調べもの!』



耳下腺というのは、唾液腺(唾液を産生する組織で、耳下腺・顎下腺・舌下腺などがある)のひとつで、最も大きいものが、耳下腺です。
よくおたふく風邪で膨れるツバを作る臓器で、左右の耳の前方に位置しています。
耳下腺腫瘍は腫瘍全体からみれば3%前後で、発生頻度も10万人に1~3人といわれています。
後縦靭帯骨化症(OPLL)もそうですが、耳下腺腫瘍も原因不明とのドクターの説明があり、ほんとに2回も何万人に一人の確立に当たったようです。
宝くじは当たりませんが、ありがたくない当選ですね。
しかし耳下腺腫瘍の中で約80%程が良性とされ、良性腫瘍の中でも多型腺腫が70~80%を占め、他に腺リンパ腫(ワルチン腫瘍)、血管腫、脂肪腫などがあるそうです。
クリニックでは、一番無難そうな、『脂肪の塊では?』と聞いたけど、言下に、『違います!』と言われてしまいました。

まずは腫脹してどのくらいになるのかが、問題のようです。
これが前から、つまり数年前からあったか、あるいは最近起こったか、あるいは最近大きくなったかなどで、最近あきらかに大きくなっているもの、しかも固さが固いもの、触れてみてでこぼこしてるものはやはり悪性度は高いものが多いそうです。

問診票には、数年前(2-3年)からと書きましたが、実際はもっと前からかもしれません。
硬さは、硬いと言えば硬いし、硬くないと言えばそうかなとも思えるのですが、感覚の問題なので程度がわかりません。
でこぼこはしていなく、中にうずらの卵ぐらいの塊がつまむと感じます。

だいたい悪性かどうか手術前にある程度検討はするそうですが、結局組織をとる、つまり手術をしてその病変をとってから一部を組織検査に出してみないと、良性か悪性かは、はっきり断定はできないようです。
一部抽出しても、断定できないということなのでしょう。

手術をしない対症療法があるのかというと、耳下腺の場合,腫瘍は放射線療法とか化学療法が効果が少なく、手術でそっくり病変を取る場合が多いとのことで、腫瘍摘出手術は、どうあっても避けられないのでしょう。
なので、手術の覚悟はもう決めています。

トッポ、『また手術するの?』
トッポパパ、『どうやら、そうするしかないようだな!』
トッポ、『大丈夫だよね!
トッポパパ、『なんとかなる!



耳下腺内には顔面神経が走行しており、顔面神経の外側を浅葉、内側を深葉と呼んでいるよです。

耳下腺腫瘍(浅葉/深葉)摘出手術は、全身麻酔でするそうですが、その腫瘍摘出のリスクは、後遺症に顔面神経麻痺が残る場合があるそうです。(これは、ちょっと避けたいのですけどね)
手術は、小さい腫瘍、そして顔面神経の走行路と離れた場所、良性で顔面神経がまきこまれず、腫瘍の回りをぐるっと神経が毬のまわりに糸をからめるように回っているのなら神経を避けるように手術可能のようです。
トッポパパの腫瘍は、まだ調べきれていないので、どうなっているのか判明していません。

耳下腺の中には顔面神経の通路があり、これは片一方の顔の神経を動かす神経でこれが麻痺すると、顔の運動が麻痺してくるようです。
耳下腺ではこの顔面神経が中で複雑に枝分かれしているそうで、手術はこの神経に触れないように細心の注意が必要で、まずはこの神経を見つけ、これをよけながら手術するようです。

悪性腫瘍の場合は、この神経を巻き込んでしまっている場合もあり、この神経ごと取らないといけない場合もあるようで、麻痺は避けられない場合があるとのことです。
そういう場合でも、顔面神経移植術というのがあり、ほかの神経をとった部分に移植して神経経路を再建する方法もありますが、完全に戻ることはないようです。
(これは、困りますね!)

神経を切断しなくても、手術直後には多少触れることで神経の浮腫が起こり,麻痺が軽く起こる場合もあるようです。
多分良性腫瘍なら、くりっと粘土(耳下腺組織)の中の毬(良性腫瘍)を取るように、そしてその回りの糸(顔面神経)をよけるように腫瘍を取れる事が多いそうです。
これも腫瘍の位置と神経の走行によるのでしょう。
トッポパパは、これだといいですね。

結論として、治療は手術にて摘出する以外ないようです。
再発防止、顔面神経の温存、Frey症候群の発生防止、唾液瘻の発生防止、唾液機能の温存などを考慮し手術を行うのでしょう。
腫瘍の摘出方法には1)核手術、2)耳下腺部分切除術、3)耳下腺浅葉切除術などがあり、核手術は腫瘍のみをくりぬく方法、部分切除術は腫瘍の周囲に耳下腺組織をつけて切除する方法、浅葉切除術は腫瘍を耳下腺浅葉と共に摘出する方法で、それぞれの手術には一長一短があり腫瘍の大きさや部位から判断し摘出方法を選択します。
皮膚切開は耳前部を中心に上方と下方に切開を広げて行いますが腫瘍の大きさや部位で多少異なるそうです。

結構、ややこしい手術のようです。(ちょっと、安易に考えすぎたかな!

術後の問題点として、腫瘍の再発、顔面神経麻痺、Frey症候群などがあるようです。
腫瘍の再発は切除方法や組織型によって異なります。部分切除術や浅葉切除術では核手術に比べ再発率は低いそうです。
顔面神経麻痺の発生頻度は核手術や部分切除術などでは浅葉切除術に比べ低いとのことです。
顔面神経麻痺は多くは一過性のもので、術後経過中に多くは改善されるようです。
Frey症候群とは手術後に耳下腺から唾液を作る指令を出す耳介側頭神経が再生の際に汗を作る汗腺に迷入したために、食事の際に耳前部が赤くなったり汗をかいたりする現象のことです。
Frey症候群の発生頻度は切除方法によって異なりますが、核手術や部分切除術などでは浅葉切除術に比べ低いとされています。

と、素人の学習では、こんなところが耳下腺腫瘍の腫瘍についてのネット情報の纏めです。

トッポ」、『で、結局どうなるの! 治るよね!』
トッポパパ、『大丈夫! 1週間ぐらいの入院で帰ってこれるよ。(ほんとかな??)』



この病気の闘病記も結構ブログに書かれていて、とても参考になりました。
また、プライベートなことなのに、どうしてここまで書くの!と言われそうですが、ストレス溜めるより、調べるだけ調べれば、あとはスッキリすると思うし、あれこれ見当違いに悩むこともないと思うからです。

『万事塞翁が馬』も処世訓の一つにしていますが、学生時代に良く読んだ『マーフィーの法則』という、処世訓をまとめたような本の中に、『考えられる最悪の事態を想定して、それを受け入れる覚悟をしなさい、そうすればストレスは解消できるでしょう。』らしきことが書かれていたのを思い出します。
万事塞翁が馬と類似した処世訓だと思います。
だいたい起こりうることは想像できますので、明日はじっくりお話を伺ってきます。

ということで、これ以外の体調は万全なので、ゴルフの練習に行ってきます。
(ここが変な親父ですね!

海外の都市の紹介、 その83の6 『カンチャナブリ(戦場に架ける橋)』

2010年10月10日 | 海外の都市の紹介
カンチャナビリの最後の訪問地は、第2次世界大戦博物館です。
写真の機関車は第2次世界大戦時のミヤンマー、インドへの日本兵軍用具運搬用汽車です。
第二次世界大戦中、日本軍はインドやビルマ(ミャンマー)へ戦線を拡大するために、弾薬の運搬にこの運送機関を使ったのです。



JEATH戦争博物館とも呼ばれ、『JEATH』とは泰緬(タイメン)鉄道にかかわった6カ国、すなわち、日本(Japan)・イギリス(England)・アメリカ(America)・オーストラリア(Australia)・タイ(Thailand)・オランダ(Holland)の頭文字を合わせたもので、JをDに変えると『DEATH=死』をもじっているという話もありますが、これは後からの話でしょう。
「日本」による「死の博物館」であることを明確に示しているようにも思えますが、ここに日本の観光客が連日訪れているのは.............考えてしまいます。



これは当時、日本軍が使用していたジープのようです。
日本人の写真が添えられていましたが、この車との関係は不明でした。



当時の橋を造る作業を再現したものでしょうか。



日本軍は、第二次世界大戦中、列車の車両を捕虜の監獄として使った捕虜の様子を再現したもののようです。
車両は当時のものなのでしょう。
日本人は悲劇を繰り返さないためにも、目をそむけてはいけないのでしょうが、ちょっと困惑してしまいます。



途中で、珍しい車を発見しました。
トヨタの初期の車に似ています。
説明書きを読むと、ダイムラーベンツの許可をもらってトヨタが製作した車のようです。



若干現代的に改造?が加えられているようですが、場違いな場所にあるこの車が妙に印象に残りました。



最後に『イグアナ親子??』の紹介です



本来、タイにはイグアナは存在しないはずだと思って現地の人に聞いてみたところ、輸入したイグアナのようです。
ただ、気候は本来の生息地に近いと思うので、長生きできるでしょう。



これで、カンチャナブリの紹介を終わります。
観光を終えて、この穏やかな街に二度と不幸な出来事が起こらないことを願って、この地を後にしました。
それでは、カンナチャブりより