TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

海外の都市の紹介、 その92の6 『ヴェネツィア(ヴェニス)』

2011年04月30日 | 海外の都市の紹介
ゴンドラは片方の櫓しか使用しないので、左右対称には造られていないそうです。
ゴンドラを対象に造ると傾いてしまうようです。



ゴンドラの先端に取り付けられている飾りは、ヴェネツィアそのものを表しているそうです。
独特の形は大運河、その先の突起はヴェネツィアの6つの地区とヴェネツィアの古来の島を表しています。



低い橋を潜るときは、乗船者にも協力してもらい目いっぱいゴンドラを傾けて通過します。



運河が170もあるわけですから、橋の数は数百になると思われます。
また、橋の上からの景色もヴェネツィアならではの景観です。



『ため息の橋』とよばれる有名な橋です。
ドゥカーレ宮殿と旧監獄をつなぐのがこの橋です。
宮殿の地下牢獄は満水時や水牢になったようです。
この橋を渡ると二度と生きては戻れないことから名前が付けられましたが、カサノヴァだけは脱獄に成功したそうです。



これらの建物間の移動はすべて船になるようです。



ヴェネツィアに一定の場所までしか一般車は入ることができません。
水上タクシーやヴォパレットと呼ばれる水上バスが、ここヴェネツィアの主な共通手段です。



ゴンドラの値段は一隻あたり、300万円以上の金額が必要になるそうです。



さらに、ゴンドラを運営するには100万前後のお金を払ってライセンスを購入しなければならず、それゆえゴンドリエーレは花形の職業なのでしょう。



続く..........................................................................................。

海外の都市の紹介、 その92の5 『ヴェネツィア(ヴェニス)』

2011年04月29日 | 海外の都市の紹介
心地よい海風と柔らかな日差しを浴びながら、しばし至福の時間を過ごしました。



観光客向けのお土産店が店開きの支度をしています。



ヴェネツィアでは何百年もの間変わることなく、水の迷路を行き来しているのがゴンドラです。
やはり、ヴェネツィアに来て、ゴンドラに乗らないと話にならないのでしょう。



ゴンドラは長さ11m、幅1.5mの細長い船体ですが、造船業の傑作と言われています。



これからヴェネツィアの迷路のような運河を廻っていきます。



共和国時代は貴族の移動手段でしたが、現在は観光客の乗り物としてヴェネツィアの顔になっています。



幅がわずか数メートルの小運河を縫うように進みます。



ゴンドラの漕ぎ手をゴンドリエーレと呼びます。



カヌーを漕ぐ女性、絵になりますね。



続く................................................................................................。

海外の都市の紹介、 その92の4 『ヴェネツィア(ヴェニス)』

2011年04月27日 | 海外の都市の紹介
夜のサン・マルコ広場へ出かけました。



夕方、薄暗くなり始めたころにコンサートは始まります。



ヴェネツィアでは毎夜毎夜、観光客のためにさまざまなコンサートがあちこちで開催されるようで、観光客もコンサートを楽しみに集まってきます。



夜のサンマルコ広場、無料のコンサートホール(テーブル席はワインや食事を楽しむので有料です)になります。



サン・マルコ大寺院の素晴らしい建物と広大な広場に設けられた舞台は、言葉では表現できないくらいの素晴らしい体験でした。



ヴェネツィアは音楽で溢れています。
サン・マルコ広場で朝から晩まで、いたるところで繰り広げられる生演奏は特筆ものです。
ここに来た観光客は誰しも立ち止って生演奏に耳を傾けます。



サン・マルコ広場では3ヶ所に特設コンサート会場とオープンカフェがあります。
黄色の椅子が目立つカフェ『カルロ・ラヴェーナ』です。



もうひとつは、カフェ『フローリアン」で、ここのの歴史は古く何と1720年オープンとのことです。
コーヒーは17世紀初めにトルコからヴェネツィアに持ち込まれ、そしてヨーロッパに広まったといわれています。
そして、最初のカフェが17世紀にサン・マルコ広場に開かれたそうで、現在残っている老舗カフェで最も有名なのが、ここ、カフェ『フローリアン』です。



ワインを飲みながら若い女性ヴァイオリニストの演奏を身近で聴ける、こんな楽しい場所はないですね。



金髪が美しい女性が激しくヴァイオリンを奏でていました。



続く.................................................................................................。

海外の都市の紹介、 その92の3 『ヴェネツィア(ヴェニス)』

2011年04月25日 | 海外の都市の紹介
鐘楼は大理石とブロンズのエレガントな装飾がなされています。
16世紀の建築家サンソヴィーノによるもので、高さ60mの階上までエレベータで登れます。



新政庁です。



サン・マルコ寺院を横から見た景観です。
828年、エジプトのアレキサンドリアから運び込まれた、聖マルコの遺体を納めるために建てられた寺院です。



ビサンチン建築で有名ですが、その後ロマネスクやルネッサンス、ゴシック建築も加えられました。



アップで写真を取ると、見事な装飾がなされています。
日本のように地震がないので、現在までほぼ完全な形で残されているのでしょう。



ラグーナに面して横たわる、かつてのヴェネツィアの富と権力を象徴する建物です。 
現在はヴェネツィア映画祭の会場として有名です。
9世紀に前身である石造りの城塞が築かれ、11世紀までは水に囲まれ孤立した状態でしたが、14世紀の始めに拡張され、15世紀末に現在のような姿になりました。



低層部は丸柱とアーチの並ぶ回廊、そして2層目はさらに細かなアーチが連続しています。



回廊も見事な装飾です。



サン・マルコ広場からサン・マルコ寺院を正面から観ます。



広場は旧政庁と新政庁の建物で、コの字型に囲まれています。



続く...............................................................................................。


海外の都市の紹介、 その92の2 『ヴェネツィア(ヴェニス)』

2011年04月24日 | 海外の都市の紹介
早朝でしたので、サン・マルコ広場周辺には出番待ちのゴンドラがたくさん繋留されています。



有名ブランドの広告が、街の景観にも一役かっているようです。



たしかに、この界隈はよくテレビや雑誌などにも紹介されているので、宣伝効果は十分見込めるのでしょう。



サン・マルコ広場の象徴が、ヴェネツィアを一望できる鐘楼です。



多くの観光客が日光浴を兼ねながら、海の景色を堪能しています。



トッポパパもサン・マリア・デッラ・サルーテ教会をバックに写真を撮ってもらいました。



鐘楼に近づくにつれて、賑やかになってきます。



海岸線からサン・マルコ広場に入る入口です。
有翼のライオンが迎えてくれます。



ヴェネツィアの富の象徴といわれる、ドゥカーレ宮殿です。
9世紀に建造され、14-15世紀にはゴシック様式改装され、共和国時代は提督の政庁として使用されていました。



奥に観えるのがサン・マルコ寺院です。
岸壁まで距離があまりないので、広角レンズを使用しました。



続く.............................................................................................。

海外の都市の紹介、 その92の1 『ヴェネツィア(ヴェニス)』

2011年04月23日 | 海外の都市の紹介
今回はヴェネチア(ヴェニス)の紹介です。
イタリア『アドリア海の女王』と呼ばれ、ヨーロッパを代表する海洋国家として1000年の栄華を誇りました。



サン・マルコ広場の近くに宿泊し、まずは共和国時代からヴェネツィアの中心として栄えたサン・マルコ広場に向かいます。



対岸に観えるサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会です。



サンマルコ運河に浮かぶサンジョルジョマッジョーレ島にあり、サンマルコ広場の対岸に位置します。
16世紀にアンドレア=パラディオの設計で着工され、17世紀初頭に完成しました。
ティントレットの代表作とされる『マナの収集』『最後の晩餐』などの絵画が見られます。



ヴェネツィアは120以上の島が集まり、その島々の間に170以上の運河が廻っています。




写真のような運河に架かる橋がいたるところにあります。



トッポパパは4度目の訪問ですが、前回は10年以上も前でしたので、記念写真です。



スキアヴォーニ河岸にある彫像です。
周辺はには土産屋や出店、レストラン等が並び、ほのぼのとした風景が広がります。



運河周辺も綺麗に装飾されています。



続く...............................................................................................。

トッポの重病顛末記 『大丈夫だよな? トッポ!』

2011年04月20日 | トッポの世界
増上寺へ花見へ出かけた後、ちょっとしたトッポの病気騒動でトッポ家は大騒ぎでした。

先々週に、いつもは快便快食のトッポが、トイレットシートの上で震えながらうずくまり動かなくなってしまいました。
これはおかしい!、”今度は背中のヘルニア”かと、いやな予感がした。

ママが、そのいえばここ数日、トッポはおとなしく寝てばかりいて、時々震えていたようだと話してくれた。
すぐに、いつも診てもらっている近所の動物病院へ直行しました。

院長先生がお休みの日だったので、助手の先生にヘルニアの検査、血液検査などをお願いして半日入院となりました。

夕方、検査結果を聞きに再度病院へ行きました。
助手の先生の話では、レントゲン写真を見ると、確かに背中の脊椎の間隔が狭くなっているので、もしかするとヘルニアからの痛みかもしれません。 
でも、MRIを撮ってみなければ、詳しくは分からないのですがとの話でした。

トッポパパも瞬間、以前頸椎のヘルニアの手術をしてもらったブラックジャック先生の話を思い出し、レントゲン写真では判定できないはずだと思いながらも、ちょっと不安を感じました。
でも、頸椎ヘルニア闘病記にも詳しく書きましたが、ヘルニアの進行と痛みに対するトッポの挙動と今回はちょっと違うのではと、少し感じていました。
それに、血液検査では、特に異常はないようでした。


すると、腸のレントゲン写真も見せられ、大腸が全体的に膨らんでいて便が詰まっているようだとの話もありました。
また、痛みが他の原因ならすい臓の病気も疑わなければいけませんと驚かされてしまいました。
とりあえず、浣腸をしてもらい、お腹の圧迫を取ってもらい整腸剤をもらって、トッポはいったん自宅へ引き取りました。
高齢になると腹筋も弱くなるので、便秘になる場合もあるとのことで、整腸剤を数日分もらい様子を見ることにしました。

浣腸をしてもらったせいで、トッポはお腹がすっきりしたのか少し元気を取り戻してきました。
数日、注意深くトッポの様子を観ていました。

3-4日後、いつものようにトッポの顎の下を撫でているとき、『あれぇ! トッポのリンパ節、こんなに腫れていたっけ? それに左右の大きさが大分違うけど!』と、またまた嫌な予感がした。

ママに、整腸剤もなくなったので、院長先生にリンパ腺の腫れを聞いてくるように頼みました。
院長先生の話では、確かにリンパ腺が腫れているので、原因を調べるため注射器で細胞診をすることになり、またまた入院騒ぎになりました。

夕方、その結果を聞きに病院へ出かけました。
院長先生の話では、『細胞診の結果が思わしくなく、リンパ腫(悪性リンパ肉腫)の疑いがあるので、別の場所のリンパ節の細胞診もさせて欲しい』と言われ、こりゃぁ大変だと覚悟しました。
そのまま入院になり、トッポを残して帰宅しました。

リンパ腫=悪性の癌である (いわゆる血液癌で多中心型リンパ腫が多い)。
リンパ腫になるとどうなるのか? 

帰宅して、以前と同じようにネット情報などで調べるだけ調べても結果は最悪でした。
リンパ腫に罹れば、すぐに抗がん剤の投与を開始しなければ数週間の命とのこと、また高額の抗がん剤治療を続けても一時的には軽快になるが完治は難しく、癌が対抗性が強くなるので半年から1年の命のようです。
トッポは現在、13歳と6ヶ月なので抗がん剤治療に耐える体力はないだろうし、これは覚悟を決めなければいけないと思いました。

そう思いながら、トッポを注意深く観察していましたが、リンパ腫になると急激に体中のリンパ節が腫れてきたり、衰弱、食欲がなくなる、吐くようになる、咳をするなどの症状が出るというけれど、鼻が詰まってグスングスンすることはあるけれど、他には特に変わった症状は感じられなかった。
体中触っても、他にリンパ節の腫れも感じられない。
トッポの体調は、俺の方がよく分かると思いながらも、翌日から海外出張なので、困ったものだと思っていました。

大事な出張なので、突然の変更はできず、翌日不安を抱えながら海外へ出かけました。
現地に到着してすぐ、早朝病院へ出かけたママに電話して検査の結果を確認する。

『3ヶ所の細胞診では、リンパ腫の兆候はないようです』と院長先生に言われたとのことでした。
大型犬に多い病気で、ダックスがかかる確率は低いと統計では出ていましたので、トッポがリンパ腫になんかなるか! と思っていましたが、やっと安心しました。

帰国後、すぐに病院へ行き、リンパ節が腫れた原因はと聞くと、『100%リンパ腫でないということは言えませんが、大丈夫だと思います。 たぶん、反応性過形成でしょう』との説明でした。
分かったようで、分からない説明でしたが、きっと院長先生自身が一回目の細胞診でリンパ腫の疑いが濃いといってしまったので、こういう説明になっているのでしょう。

反応性過形成とは、何かの細菌でリンパが反応して腫れることを言うようです。
確かに少し元気がなかったので、ちょっとした細菌で身体が弱っていたのかもしれません。
抗生物質をもらい、リンパ節の腫れがひくか経過観察をすることになりました。

数日後、トッポパパが触診?すると、リンパ節の腫れはだいぶ小さくなってきたようでした。
後日、病院へ行くと院長先生からリンパ腫の話はなくなり、ヘルニアの治療にレーザーをしましょうということになり一件落着のようです。

ヘルニアに罹った犬の動きはよく分かっているし、人間だって歳をとれば頸椎の間隔は狭くなり腰痛に悩ませられるけど、トッポのヘルニアはそれほど深刻なものではないと確信しています。
まぁ、今回トッポも入院騒ぎで神経使ったようなのと、レーザー治療は気持ちいいので、少しご褒美でさせてあげることにしました。

結局、やぶ医者め!(冗談ですけど)、リンパ節が腫れているのを見つけたのも俺じゃないか! 大騒ぎさせられて、高額の治療費とられて、まったく最悪の2週間でした。

トッポ、『もう、大丈夫だからね!』



今回だけは、今年でトッポともお別れか?とも思った、我が家の大騒動顛末記です。
だいぶ元気になりましたので、まだしばらくはトッポも大丈夫でしょう。



まったく、トッポとトッポパパは同じような病気や経過をたどっているようです。
トッポの頚椎ヘルニア手術、トッポパパのOPLL(頚椎)手術、トッポパパの耳下腺腫瘍摘出、トッポのリンパ腫騒動と、病気まで飼い主に似るのでしょうかね。


トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その111の8 『東京タワー、増上寺の桜』

2011年04月19日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
芝公園は桜の名所として有名ですが、真夏でも木立の中に入れば清涼感があり、近隣に勤める人々の憩いの場所になっています。



芝東照宮の参道です。



このイチョウは、1641年に安国殿の再建に際し、三代将軍徳川家光が植えたものと伝えられています。
現在、国の天然記念物として指定され、1993年の調査では、高さ約2.5m、幹囲約6.5m、根元の周囲が約8.3mもあります。



芝東照宮は、以前は増上寺安国殿と呼ばれ、『江戸名所図会』にも紹介されています。
明治の神仏分離によって増上寺から切り離され、東照宮となりました。



重要文化財 芝増上寺 旧台徳院霊廟惣門です。
台徳院とは、2代将軍徳川秀忠の院号です。



旧台徳院霊廟惣門の左右に安置されているのは、寄木造り、砥粉地彩色の仁王像です。
方形の台座に乗った岩坐の上に立っています。
正面から見ると、江戸時代から近未来への階段が続くように観えます。



芝公園です。
ここからの東京タワーは遮蔽物もなく、撮影スポットのようです。 



芝東照宮と増上寺との間の芝公園はきれいに整備されて鮮やかな緑の芝生となっています。



ここはワンちゃんの散歩も許可されています。



増上寺正面横まで戻ってきました。
会社の近くであるにもかかわらず、東京タワーにはこれが3度目、増上寺周辺の文化財を訪ねたのは今回が初めてで、まったく灯台もと暗しです。
今回もトッポと一緒の楽しい散策になりました。



それでは増上寺、東京タワーより

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その111の7 『東京タワー、増上寺の桜』

2011年04月18日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポはお腹が空いたのか、ちょっと不機嫌です。



真下から東京タワーを臨みます。



江戸時代は地方から江戸に向かうとき、増上寺の五重塔(戦争で焼失して現在はありません)が視界に入ると、江戸に来たのだと感じたのでしょう。
現在の東京タワーも同じ感覚で眺められているのでしょう。



トッポ、『お昼は何処で食べるの?』



トッポも何か食べたいでしょうから、増上寺周辺を遠回りするように芝公園を目指します。



この辺りは、花見客で有名な場所のようです。



トッポ、『焼き鳥のにおいがする!』



被災地の人たちの声の中に、花見をやめることなく東北地方の酒でも飲んでください!という声もあります。
今年の花見の開催には賛否両論ありますが、節電のため夜桜は遠慮して昼間の花見はいいのでは......。
日本は元気を出さないと、別の意味での物流が減り、経済活動が冷えこむのも心配です。



今回は桜をアップで撮ることはなかったのですが、『サトザクラ』という桜の花に興味をもちましました。



とても重量感のある桜の花で、写真だと分かりにくいのですが、他の桜に比べて蕾も花もとても立派です。



続く..........................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その111の6 『東京タワー、増上寺の桜』

2011年04月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
増上寺の外に出たので、トッポを歩かせてみました。
トッポのカートにはカメラバッグが乗っているだけなので、通りすがりの人は変に思いますが、トッポパパにはとても助かります。
カメラが結構重いので長時間持ち歩くのは結構大変なんです。



今回の目的の一つは、一度はきちんと東京タワーの写真を撮っておきたいと思ったことでした。
最近はスカイツリーの報道に押されて東京タワーも肩身の狭い思いをしているのでしょうが、やはりこれからも東京タワーは東京のシンボルに変わりはないのでしょう。



そんな写真を撮っているトッポパパを撮られました。



東京タワーは東京都港区芝公園にある東京地区の集約電波塔である。
1958年に完成し東京のシンボル・観光名所として知られますが、正式には『日本電波塔』と呼称されます。



当時、東京地区のVHFテレビ7局以上と将来開局が予定されるUHFテレビ局が、東京を中心とした関東一円(北は水戸、東は銚子、南は沼津、西は甲府)をサービスエリアとして電波を送る場合に、鉄塔の必要な高さは333mであるということから、高さ333mのタワーが建てられました。

大展望台は地上120mより上に2階構造で位置しています。
階段も利用できるそうですが、590段もあり、途中で階段は無理だと諦めてもエレベータに乗り込むことはできませんので、よほどの健脚でないとお勧めはできないようです。



トッポ、『上のアンテナ、曲がっていない!』



今回の東日本大震災の爪痕は、こんなところにも残されていたのです。



東京タワーの真下まで歩くことにしました。
トッポは桜の花の匂いを嗅ぎながら、歩いています。



トッポ、『たくさんのワンちゃんがいるね!』



1959年1月14日、南極に置き去りにされた南極観測隊の2匹のカラフト犬・タロとジロの生存が確認されました。
1956年の秋、南極観測船『宗谷』で11人の隊員が東京港を出発し、15頭のカラフト犬も犬ぞり隊として参加しました。
1958年、第2次越冬隊を送り込むため再び宗谷は南極に向かいましたが、厚い氷にはばまれて断念し、11人の越冬隊員はヘリコプターで救出されましたが、15頭のカラフト犬は救出することができず、鎖につないだまま氷原に置き去りにされました。
翌1959年1月14日、ヘリコプターが2頭の生存を確認しました。



トッポパパも、実話を元にした『南極物語』を観て感動したものです。
極寒の地に置き去りにされたが、自らエサを探しながら越冬し生き延びた犬として、世界中にニュースが流れ、南極から打電されたこのニュースは、世界を愛と希望と勇気の感動でつつみました。
その後、ジロは南極で死亡しましたが、タロは5年後に日本に生還し北海道で余生を過ごしたそうです。

今の若い人には記憶にないニュースになりましたが、後の世にも語り伝えていきたい話です。



続く...................................................................................................。


トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その111の5 『東京タワー、増上寺の桜』

2011年04月16日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポ、『小さな地蔵さんがたくさんある!』



千躰子育地蔵尊です。
子育て安産に霊験あらたかとされる西向観音にちなみ、子供の無事成長、健康を願い昭和五十年(1975年)より順次奉安されております。
毎年4月に大祭、7月には盆踊り大会が開催されます。



トッポはだんだん眠くなってきたようです。



増上寺の安国殿と東京タワーです。



安国殿には恵心僧都の作と伝えられる秘仏黒本尊(阿弥陀如来)が祀られています。



黒本尊は家康公が深く尊崇し、そのご加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像で、勝運・厄除けの仏様として江戸時代以来、広く人々の尊崇をあつめています。



トッポが眠くなってきたようなので、増上寺から東京タワーに向います。



東京プリンスホテルと増上寺の間の道ですが、ここから東京タワーが桜並木の上に顔を出すようになります。



トッポひとりで記念撮影です。



ついでに、トッポパパと一緒にパチリです。



続く................................................................................................。



トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その111の4 『東京タワー、増上寺の桜』

2011年04月15日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポ、『ほんとに満開だ!』



見事な枝垂れ桜で、ピンクの花が咲き誇っています。



桜の切れ間に顔をだす東京タワーです。



トッポ、『あっちに、大きな銅像があるよ!』



増上寺には観音様がいくつかありますが、桜に囲まれた観音様はひときわ目立っていました。



きっと古い灯篭だと思います。
歴史を感じさせてくれます。



仏足石です。
仏足石は仏の足うらの形(千輻輪相)を石に彫りつけたものです。
インドでは仏像が刻まれる以前は仏足石や菩提樹などで釈尊を象徴的にあらわし、人々はこれらを仏として礼拝しました。



側面には仏像、経文、由来などが刻まれています。



今年のNHK大河ドラマ『江』のお江は、1573年(元亀4年)浅井長政の三女として生まれ、織田信長の妹です。
後の徳川2代目将軍秀忠の正室となり、3代将軍家光の母になります。



お江が眠っているお墓が、写真の徳川家霊廟の門です。
たしか4月15日以降ある期間中に入れるようです。



続く..................................................................................................。

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海外出張に出かけていて、今日戻りました。
週末にゆっくり皆さんのブログを訪問させていただきます。
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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その111の3 『東京タワー、増上寺の桜』

2011年04月14日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
増上寺の境内はワンコの散歩を禁じているので、トッポはカートで移動です。



三解脱門を本堂の方から観た景観です。
三解脱門の前に大きな松の木のような大木があります。
『グラント松』と、表示がある、増上寺の大木です。

明治12年に、アメリカ第18代大統領グラントが来日し、ここ増上寺で、歓迎パーティーが行われた時の記念植樹です。
実際はヒマラヤ杉なんですが、なんで松になったのかはわかりません。



桜と東京タワーも素敵なコラボです。



水盤舎です。
もと清揚院殿霊廟(甲府宰相綱重公・三代家光公三男)の一部で、明治時代の解体・昭和の空襲を逃れたものを、現在地に移築したものです。



トッポ、『こっちの桜が一番きれいだ!』



見事な枝垂れ桜です。



鐘楼堂です。
1633年に建立されましたが、現在の鐘楼堂自体は戦後の再建によるものです。



鐘楼堂に収められている大梵鐘は、1673年に完成し、東日本で最大級の鐘楼です。



江戸三大名鐘の一つに数えられています。
朝と夕べ、二回撞くその鐘の音は、時を告げるだけではなく、人の煩悩を浄化し、人々の心を深い安らぎへと導くとされています。



江戸時代の川柳には『今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か』、『江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘』と『西国の果てまで響く芝の鐘』等と謳われ、江戸っ子鐘と親しまれていました。



続く................................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その111の2 『東京タワー、増上寺の桜』

2011年04月12日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
福島第1原子力発電所の事故について、国際的な評価に基づく事故評価を最悪の「レベル7」に引き上げたことと、毎日の大きな余震で心穏やかならぬ日々が続いています。
気分転換ということで、花見酒とはいかないまでも、増上寺の桜でも観てストレス解消したいと思います。



増上寺の表の顔である三解脱門です。



東京都内有数の古い建造物であり東日本最大級を誇るこの門は、当山の中門にあたり(表門は大門)です。
徳川幕府の助成により、幕府大工頭・中井正清とその配下により建立されました。



増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で国の重要文化財に指定されています。、



三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことです。
建築様式は三戸二階二重門、入母屋造、朱漆塗。唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味され、美しさを見せています。二階内部には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。



増上寺は、明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖西誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。



室町時代の開山から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展していきます。



以前、川崎大師の紹介で、大きな提灯に魚がしと書かれていると紹介しましたが、この三解脱門にも魚がしの飾り物?があります。




安土桃山時代、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として1590年に増上寺が選ばれました。
家康公がときの住職源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依したため、と伝えられています。



1598年に、現在の芝の地に移転し、江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。



家康公は1616年に増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75歳で歿しました。
また、増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所がもうけられています。

浄土宗大本山の増上寺の大殿本堂です。



続く...................................................................................................。


トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その111の1 『東京タワー、増上寺の桜』

2011年04月10日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
久しぶりにトッポと出かけることになりました。
トッポ、『何処へ行くの?』



トッポパパの会社の近くなのですが、桜も満開になったとのことで、久しぶりに増上寺周辺を散策してみます。



この辺りはその昔、芝神明と呼ばれていたそうです。



本通りと並行するひとつ横の道に入ると、芝大神宮があります。
芝大神宮は、伊勢神宮の御祭神、天照大御神と(内宮)、豊受大神(外宮)の二柱を主祭神としてお祀りしています。
御鎮座は平安時代、1005年で、一条天皇の御代に創建された由緒あるお社です。



トッポ、『歴史のある大神宮なんだね。』
東京の十社巡りの一つになっています。



鎌倉時代は、飯倉神明宮、芝神明宮と称され、源頼朝公より篤い信仰の下、社地の寄贈を受け、江戸時代においては、徳川幕府の篤い保護の下に関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢さま」と呼ばれました。



その当時の賑わいは、広重の錦絵に窺うことができます。
一番奥の建物が増上寺です。



こちらが現在の増上寺の大門です。



増上寺の総門・表門にあたり、地名の由来になっている門です。
現在のものは国道の通行整備のため、1937年に原型より大きく、コンクリート製に作り直されたものです。
旧大門は慶長三年(1598年)に江戸城の拡張・造営にあたり、増上寺が芝に移転した際、それまで江戸城の大手門だった高麗門を、徳川家康公より寺の表門として譲られたものです。



この周辺は、何処からでも東京のシンボル、東京タワーを臨めます。
江戸時代には、増上寺の五重塔(昭和20年に戦争で焼失)を観ると江戸に到着したと実感したのでしょう。



増上寺周辺には、昔ながら壁の家が多数観られます。



続く...............................................................................................。