TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

海外の都市の紹介、 その81の6 『エジプト』

2010年07月31日 | 海外の都市の紹介
カイロのハン・ハリーリ市場です。



イスラム地区の北東に位置するハン・ハリーリ市場は、約200m四方の地区に1000軒を超える商店がひしめき合って、すさまじいエネルギーを漂わせた独特の雰囲気に満ちています。



地元客と観光客が入り乱れるショッピングゾーンで数百年の歴史を誇り掘り出し物もある?
まぁ、信用はしないほうがいいでしょう。
値段はすべて交渉しだい!ということは、まぁ、いい加減な商品と思ったほうがいいのでしょう。
トッポパパなら半値、7掛から値段交渉ですね。



もともとこの地区は、10世紀後半のファーティマ朝から16世紀の初めにかけ最も賑わいを見せ、アラブ政界における交易の中心をなしていたところです。
当時の商店の数はゆうに1万軒を超えていたと言われます。
市場の中心部は幅2mほどの路地になっていて、観光客でごった返しています。



ハン・ハリーリ市場で最も有名なエル・バデスタン通りです。
狭い通りにお土産屋さんがひしめいています。



市場では香水、香辛料、食料品、衣料品、革製品、骨董品、装飾品、飾物など多様な商品が売られています。
写真は香油のお店です。
日本で香水はよく知られていますが、香油はあまりなじみがないと思います。
アラビア諸国などでは香油は古くから親しまれてきました。
香油は香水のようにアルコールを含まず、植物から抽出した天然の香料により作られます。



お土産になりそうなのは、真ちゅうのお皿、アクセサリー、パピルスなどで、もし喫煙者なら、水タバコなんかも珍しくていいお土産になりそうです。
珍しいと思うかもしれませんが、日本人には買って帰ってもこれどうするの?って感じです。



次のピラミッドを見るため移動中に、こんな集団に遭遇しました。



続く........................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その102の4 『川崎大師』

2010年07月30日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
大本堂は1964年の建立で、高さは25.5メートルです。
コンクリート製ですが、平安朝の建築様式を取り入れています。
堂内には御本尊厄除弘法大師を中心に、不動明王・愛染明王などの諸仏が奉安されています。
また、古来より勅願寺に列せられた由縁によって大本堂大棟には菊花の紋章が許されています。



『川崎大師平間寺略縁起』より、川崎大師の建立に至るまでを抜粋します。

平安時代の後期、第75代崇徳天皇の御代、平間兼乗という武士が、無実の罪によって生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして暮らしをたてていた。
兼乗は深く仏法に帰依し、とくに弘法大師を崇信していたが、我が身の不幸な廻り合わせをかえりみ、また当時42歳の厄年に当たり、日夜厄除けの祈願を続けていた。
ある夜、一人の高僧が兼乗の夢枕に立ち、「我むかし唐に在りしころ、我が像をつくり、海上に放ちしことあり。 己来未だ有縁の人を得ず。いま汝速やかに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げられた。
兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じたところ、一躰の木像が引き上げられた。
それは尊い弘法大師のお像であった。
その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上、たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像とそれにまつわる霊験奇端に感泣し、兼乗と力をあわせて一寺を建立したのが当寺のおこりである。



トッポ、『海から引き上げられた弘法大師のお像ということで、魚河岸が提灯を奉納するのかな?』
トッポパパ、『なかなか面白い発想だ!』



川崎大師は初詣の参拝客数で全国3位を誇ります。
ちなみに初詣客の多い神社仏閣の順番は、明治神宮(東京)、成田山新勝寺(千葉)、川崎大師(神奈川)、伏見稲荷大社(京都)、鶴岡八幡宮(神奈川)、浅草寺(東京)となるようです。

大本堂では毎日、お護摩祈願が行われ、災厄消除をはじめ、家内安全・商売繁昌・病気平癒など諸
願成就を祈願しています。



東京の下町では江戸の伝統を引き継いだ『朝顔市』や『ほうずき市』が梅雨明け前後の時期に開かれます。
川崎大師の『風鈴市』は歴史的には新しくて、今年が15回目ということです。
北は北海道から南は沖縄まで、全国47都道府県より900種類、32,000個の風鈴が集まります。



トッポパパが、最近手に入れた中望遠レンズで写真を撮っているところを撮られました。



『八角五重塔』です。
結構距離がありましたが、まあまあきれいに撮れました。
八角五重塔は、11984の弘法大師1150年御遠忌並びに当山吉例大開町奉修の記念すべき年に落慶しました。
五重塔は八角形をしていて、その名もズバリ八角五重塔で、高さ31.5mです。



塔の八角は真言の様式にかなうよう、華麗にして格調ある形であり、最も円に近い建造物であるといわれ、「包容力」、「完全性」が象徴されているそうです。
八角五重塔の地階には、釈迦如来、一層には金剛界五智如来と真言八租をまつり、二層は金剛界及び胎蔵界の石彫梵字曼荼羅とともに、中央に恵果阿闍梨(中国の高僧・弘法大師の師僧)と、右に弘法大師、左に興教大師をまつっています。

トッポ、『付け焼刃の学習では、難しくてよく分からないね!』
トッポ、『うーん、



塔上の相輪の下の露盤内には、翡翠の金剛界大日如来像が納められています。
トッポパパ、『この写真、撮っておいて役に立った!』
トッポ、『下手な鉄砲も数打ちゃ当たる!だね』
トッポパパ、『



風鈴市の周辺も、沢山の露店が出ています。
次回は風鈴市の紹介です。



続く......................................................................。


海外の都市の紹介、 その81の5 『エジプト』

2010年07月29日 | 海外の都市の紹介
エジプトもイスラムの国です。
ムハンマド・アリが望んだのは、虚飾のない、実用性と構造的必要から成る、いわば 機能主義の建物であったようです。
ヨーロッパ諸国の建築物に観られる、建物の外観がシンボリックな彫刻的形態をとることはなかったようです。



建築物の詳細は分かりませんので、イスラムのお話をします。
イスラム教は西暦7世紀ごろにアラビア半島に現れます。
一神教の伝統を引き継ぐユダヤ教、キリスト教とは兄弟の関係になるようです。

片倉もとこ著『イスラムの日常世界』(岩波新書)を参考にして、イスラムとは何かを簡単に纏めてみます。
まず、一神教であり、只一つの神しか認めない。
こういう一神教の宗教は世界で三つだけです。
ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教。ムハンマドが神がかりになったときに、相談したハディージャのいとこはキリスト教徒でした。
また、ムハンマドがイスラーム教の教義を確立したメディナの町はユダヤ教徒の住民がかなりいたところで、ムハンマドはかれらからも大きな影響を受けています。
つまり、イスラーム教はユダヤ教、キリスト教の兄弟宗教で、一神教三兄弟の末っ子なのです。



イスラム教の唯一神をアッラーといいますが、アッラーというのは神様の名前ではなく、はアラビア語で「神」という意味です。
では、神様の名前は何かというと、あえて言えば『ヤハウェ』です。
キリスト教徒が信じているのと同じ神さまをイスラム教は信仰しているのです。
イエスはユダヤ教を改革しようとした人でしたね。だから、キリスト教の神さまはユダヤ教と同じ『ヤハウェ』でした。
そして、その同じ神をイスラム教も信じています。
だから、人類はアダムとイブからはじまったとイスラム教徒も考えているのです。

ムハンマドが神がかり状態になるときに、神の言葉を授かるのですが、神はずっと昔からムハンマド以外の人にも言葉を与えてきました。
それが、『ノアの箱船』のノア、『出エジプト』のモーセなど、旧約聖書の登場人物たちです。
ムハンマドはイエスも含めそれらの人物を預言者として認めます。
ただし、ムハンマドは神はそれまでの預言者たちにすべてのことを伝えたわけではなく、言い残した言葉がたくさんあり、言い残した言葉を伝えるために自分が選ばれたのだと信じています。
イスラムという言葉ですが、これは『神への帰依』という意味です。
イスラム教徒のことを「ムスリム」といい、意味は『神に帰依した人々』です。



神がかり状態のムハンマドの言葉を集めたイスラム教の聖典が『コーラン』です。
『コーラン』は神がムハンマドの肉体を通じて語りかけた、神の言葉そのものになります。
他の宗教の経典はのちの時代の信者たちが教祖の言葉を解釈してまとめたものですが、『コーラン』は神の言葉を解釈抜きで書き留めたものと理解されています。

イスラム教徒の義務に『六信五行(ろくしんごぎょう)』というのがあります。
『六信』とはムスリムが信じなければならない六つのことで、「神」「天使」「啓典」「預言者」「来世」「天命」を指します。
「啓典」は、「コーラン」のことです。
『五行』とは、ムスリムが行わなければならない五つのことで、「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」を指します。



とても全部を纏めることはできませんので、日本人が比較的知っていることに関係するものを纏めてみました。

「信仰告白」というのは、「アラーの他に神なし。ムハンマドはその使徒なり。」と唱えることです。

「礼拝」は、正式には一日五回、メッカのカーバ神殿に向かって礼拝することです。

「断食」は一年に一ヶ月断食月があります。

ラマダーンと呼ばれる月ですが、これは、まったく何も食べないのではなく、日の出から日没まで、太陽の出ている時間帯に食べ物を口にしないというものです。
日が沈んだら、食べてもよいのです。

「喜捨」これは富めるものが貧しいものに財産をわけあたえることです。



都市はその中心にモスクがあります。
モスクは寺院に近いですが礼拝所です。
正確には寺院ではなく、信者が礼拝のために集まる集会所と言った方がよいのでしょう。

もう一つ都市の中心にあるのが市場で、バザールです。
すっかり日本語になっているほどです。

また、一般的に女性は全身を服で覆って頭からすっぽりヴェールをかぶるのが典型的なイスラム女性のイメージになっていますが、これは極端な格好で、インドネシアやマレーシアでは女性もここまで肌を隠さず、せいぜい頭髪をスカーフで覆っているくらいでしょう。

イスラムでは一夫多妻で男は妻を四人持てるというのは有名な話で、男尊女卑の典型のように思われがちですが、ムハンマドとしては女性を保護するためだったようです。
イスラム以前のアラブ社会も一夫多妻で、男は何人でも妻を持つことができましたが、ムハンマドのイスラムはそれを四人に制限したのです。
しかも、ムハンマドは『すべての妻を平等に愛せるならば』四人まで持ってよいと、条件を付けています。
これ、厳密に考えたら複数の女性を平等に愛するなんて不可能でしょうから、現実には一夫一婦制に限りなく近いようです。
ムハンマド自身もハディージャが亡くなるまでは、他に妻を迎えませんでした。

それなら、はじめから一夫一婦制にすればよいのではないか、という声も聞こえますが、ムハンマドがメディナに移住したはじめの頃は、イスラム教対メッカの戦争などでムスリムの男性は多く戦死しました。
結果、未亡人がたくさん出現したので、残った男たちに、彼女たちの生活の面倒を見させるために一夫多妻を認めた、というのが四人の妻を認めた理由です。

ほんの一部しか纏めることができませんでしたが、ちょっとは分かったような気がします。
間違いがあるかもしれませんので、あくまで参考としてください。



世界に誇るエジプトの秘宝を展示するエジプト考古学博物館です。
館内には、ツタンカーメン王の王墓から発掘された黄金のマスク、黄金の玉座をはじめ、カフラー王座像、ラムセス2世のミイラなど、古代エジプトの至宝が展示されている。
写真撮影は禁止のため、紹介ができないのが残念です。



1922年、イギリスの考古学者ハワード・カーター卿がツタンカーメン王の墓を発見しました。
それは、20世紀最大の発見として、世界中に興奮の渦を巻き起こします。
墓の中からは、2500点にのぼる遺品が見つかったが、その多くは金、象牙、銀、アラバスター、木で作られ、使われていた純金は悠に110Kgを超していたそうです。
しかし、金の価値よりも一層驚かされたのは、荘厳な魅力と見事な芸術品の素晴らしさであり、現在この考古学博物館の特別室に展示されています。



秘宝のうち一番人気がツタンカーメンの黄金のマスクです。
写真は、転載可の写真集からいただいてきました。

トゥト・アンク・アメン、俗称ツタンカーメンの黄金のマスクは、何重もの棺と三重の人型棺のなかに横たわるミイラの上にかぶせられていました。

劇的な発掘劇と黄金のきらびやかさに圧倒されてしまいますが、歴史的価値も含めるとその価値は300兆円ともいわれています。
金は色の濃い23Kで、目には黒曜石と水晶が使用されています。
顔と頭巾の本体は金の延べ板から全部を打ち出していそうで、伸ばしてこの形にしていくのは、かなり高度な技術なのでしょう。
総重量11Kgとなっている。



考古学博物館の前にも、秘宝を守るかのようにスフィンクスの像があります。



続く......................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その102の3 『川崎大師』

2010年07月28日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
川崎大師の大本堂側から、大山門を顧みた景観です。



大山門は、京都の東寺を模した四天王が行く人たちを見下ろしています。



大山門を通ってすぐ右手にあるのが聖徳太子堂です。
毎年2月の22日に聖徳太子年祭が行われます。
 


さすが,手水舎も大きいです
手水舎で日常の罪や穢れを洗い参拝します。
手順は;
1.柄杓(ひしゃく)に水を取ります。
2.左手を洗います。
3.右手を洗います。
4.左手に水を汲み、口に含んで吐き出します。
5.もう一度、左手を洗います。
6.水を入れた柄杓を両手で持ち垂直に立てて、柄に水を流して洗い清めます。
7.柄杓置きに伏せて置きます。
これで、清き身体で参拝することができます。



『献香所』です。
たくさんの人々が、無病息災を祈って煙をあびています。
トッポ、『煙い!』



今回川崎大師を訪問した目的の一つは、この風鈴市です。
あとでゆっくり観て回ります。



大本堂です。
川崎大師の開創は1128年に平間兼乗という武士と高野山の尊賢上人が力を合わせて建立されたものが、現在の川崎大師平間寺です。

平安時代に、無実の罪により生国を追われ、諸国を放浪の末にここ川崎に住みつき、漁師として暮らしていた武士が、夢枕に立った高僧のお告げのとおり、海から弘法大師の木像を引き上げました。
武士はその像を草庵に奉り、日夜信仰していたが、諸国行脚の途中に立ち寄った高野山の尊賢上人と一緒にに建立し、武士の姓・平間をもって『平間寺』と号し、本尊を厄除弘法大師」と称したのが由来です。



大本堂は弘法大師1000年御遠忌で1834年に建立された本堂は、1945年の空襲で焼失してしまいました。
現在の大本堂は1964年に落慶しました。



真言宗智山派のお寺で、成田山新勝寺、高尾山薬王院とともに智山派『関東三山』を形成しています。
徳川家斉、家慶、家定、家茂などが厄除詣りしたことで厄除大師として信仰が広がっていきました。
『厄除弘法大師』を本尊として奉り、関東厄除・第一霊場になります。



続く......................................................................。

海外の都市の紹介、 その81の4 『エジプト』

2010年07月27日 | 海外の都市の紹介
エジプトの歴史と密接な関係のあるナイル川です。
ナイル川は全長6695Kmで世界一長い川です。
源流はアフリカ中部ケニア、タンザニア、スーダン、エジプトを経て地中海に流れ込みます。



古代エジプト文明、その5000年の歴史は、ナイル川の恵みに関係あります。
ナイル川は、毎年秋になると洪水を起こし、乾燥したエジプトの大地をうるおしました。
洪水と同時に運ばれてきた泥は、農業に適した栄養分をたくさん含んでいたので、砂漠のエジプトでも農作物を作ることができたのです。
その結果、エジプトには古くから人が住み、文化が生まれました。



ナイル川が定期的に洪水を起こす理由は、カイロから2200キロほど上流のエチオピア高原の気候にあるようで、エチオピア高原では、毎年6月~9月に毎日激しい雨が降り続く雨季になり、その雨水が川を一気に増水させ、高原の大地をけずりながら勢いよく流れてきて、下流のエジプトに洪水を起こします。
ナイル川は定期的に氾濫したためその治水と氾濫が治まった後に農地を元通りに配分するため、測量と幾何学が発達したと言われています。



『ガーマ・ムハンマド・アリ』に向かいます。
ガーマとはモスクのことで、エジプトではガーマと呼んでいます。
すなわちムハンマド・アリ・モスクという意味です。
オスマン朝はかって膨大な勢力を持っていて、その支配下にあったアラブ諸国の中でもいち早く近代化の基礎を造ったのがムハンマド・アリです。



ムハンマド・アリという人物は、当時イスラーム世界を支配していたオスマン・トルコの将軍として、エジプトに侵略したフランスと闘うためエジプトに赴任し、フランスの退却後に総督になり、さらに実質的にオスマンから独立してしまった人物です。

このガーマは1857年に完成しましたが、イスタンブールのモスクを真似して造ったそうです。
城塞の中にあるこのガーマは、エジプトにある他のガーマとは装い違い、鉛筆形の2本の高いミナレットが特徴で、エジプトのガーマにはこの様なミナレットはないそうです。
オスマン・トルコの将軍であった『アリ』が、そのオスマン・トルコの首都イスタンブールにあるモスクをまねて建造したもので、そのためたくさんのドームと尖った形のミナレットを二本持つ形となっています。



モスク内部はランプやシャンデリアがいくつも下がり、とても幻想的な世界を作り出しています。



内部はじゅうたんが敷かれていて、ガーマに入るときは靴を脱ぎます。



イスラム教はお祈りの時、額を床につけるので、床は何時もきれいにしておく必要があります。



多くのランプやシャンデリア、そしてステンドグラスもあり光のコントラストがとてもきれいです。



見上げると天井はドーム上の丸天井ごとに装飾されていて、内部はとてもゴージャスです。



続く...........................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その102の2 『川崎大師』

2010年07月26日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
仲見世通りは、平間寺の大山門正面よりのびる約150mの商店街です。
大山門へと続く表参道には、縁起物のだるまや久寿餅、だるま煎餅、大師の厄除酒まんぢうなど川崎大師の名産品を扱う約40の店が軒を連ねています。



そして参道の終着点に、大山門が迎えてくれます。
大山門は、昭和52年、当山開創850年の記念事業として建立され、開創850年祭慶讃期間中の佳節に落成しました。



大山門前の広場の景観です。



創業明治20年の歴史を持つ、名物、久寿餅の老舗です。
川崎大師の参道に軒を連ねる久寿餅店のなかでも最も古い一軒です。
おしるこ、焼きあげた新潟産の餅、生麩(なまふ)をショウガでじっくり煮詰めた精進しぐれ等が名物のようです。



奥に聳え立つ五重塔は『八角五重塔』で別称、中興塔と呼ばれています。



川崎大師は、真言宗智山派の大本山です。



平安時代、平間兼豊が夢の中で高僧のお告げを得、海から弘法大師の木像を引き揚げ、高野山の尊賢上人とともに寺を建立したのが始まりとされています。



大きく『魚がし』と綴られた大提灯が下げられています。
その下を潜り抜けると、その正面に大本堂があります。



何故、提灯に魚がしと書かれているのか疑問でしたが、江戸時代から魚河岸が奉納するのが習わしになっているようです。
成田さんも、魚がしと書かれた提灯が下げられています。



続く....................................................................。

海外の都市の紹介、 その81の3 『エジプト』

2010年07月25日 | 海外の都市の紹介
スフィンクスはカフラー王のピラミッドをまるで守っているかのように真東を睨んだまま控えています。
全長57m、高さ20mあります。



ギザの3つのピラミッドとスフィンクスの位置関係は、3つのピラミッドを結んだ線と直角三角形を作る位置にあるそうです。
カフラー王のピラミッドはエジプトのピラミッドの中でも最も典型的な上神殿、参道、下神殿、そして波止場でピラミッド・コンプレックスを形成しています。



古代近東の多くの文明においてライオンをモチーフにした図像表現は太陽の象徴とされていて、同時に王権の原型としてもよく考えられています。
人面獣身で有名なスフィンクスは、アラビア語でアブル・ホール(畏怖の父)といい、ファラオや神を守る聖獣とされています。

鼻が崩れてなくなっているのは、ナポレオンがギザに侵攻した時、埋もれていたスフィンクスを試射の的にしたためだと言われてきましたが、それ以前から鼻はなくなっていたようです。
それ以前に異教徒、アラブ人の侵入により鼻が削られ、イギリスによりヒゲを盗られてしまったようです。
そのヒゲは現在大英博物館にあり、エジプト政府は返還交渉中とのことです。
そのヒゲはちょびヒゲではなく、ツタンーカメンがつけていたような、長いヒゲです。



発見当時は、砂に埋もれていたそうです。
顔はカフラー王という説もあるようですが、カフラー王以前に建造されたという説も有力視されています。
現在も風水砂熱に耐えて、体は少しづつ崩れながら永遠に存在し続けています。

新王国時代のツタンカーメンで有名な第18王朝になると、スフィンクス崇拝が盛んになり、最古のスフィンクス修復が実施されました。
実際に第18王朝のファラオ達は王位に就くときにスフィンクスの前脚の間にある礼拝所で、供物を奉納して自分達の王位を確認してもらう儀式を行っていたそうです。
古代エジプト遺跡のなかでも謎めいているスフィンクスですが、塩害&水蒸気で崩壊の危機に瀕しているようですが、いつまでも存続させて欲しいものです。



ネット情報によるギリシア神話のスフィンクス伝説です。

テュポン(またはオルトロス)とエキドナの間に生まれた「彼女」は、自然の女神ヘラの命令でテーベ(現在のエジプト中部の都市テーバイ)にやって来ます。そして、小高い丘の上に陣取り、謎かけをして、答えられないテーベの民や旅人を懲らしめるようになりました。
その謎かけとは「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足で歩く者とは、誰のことか?」というもの。テーベの王もこれに挑戦しますが、結局答えられずに殺されてしまいます。それゆえ、テーベの街では長らく王不在の時代が続きました。
そこに、勇敢な若者オイディプスが通りかかります。スフィンクスはその前に立ちはだかり、同じ謎かけを問いかけました。聡明なオイディプスは直ちに
「それは、人間だ」
とずばり答えます。実はそれが正解で、スフィンクスは恥ずかしさのあまり、丘の上から身を投げ出して死んでしまいました。なぜ人間が正解なのかと言うと、人生の朝・・・つまり赤ん坊の時には四つんばいで這い回るから4本足。人生の昼・・・つまり若い時は2本の足でしっかり歩くから2本足。人生の夜・・・つまり老人の時には杖をついて歩くようになるので3本足、というわけです。
テーベの街はこの結果に大いに沸き返り、勇敢なその若者を新たな王として迎えました。



スフィンクスは違う場所で作られたものを運んできたのではなく、元々そこにあった岩山を削って作られたようです。
ピラミッドを作るために石を切り出した岩山を利用して作られたとするのが定説となっています。



カフラー王の第2ピラミッドの参道が、スフィンクスを避けるように作られているのですが、これは石を切り出したあとの岩山を崩す事が出来なかったため、やむをえずに参道を横にそらしたと言われています。



岩山をそのままにしていくのは景観上あまりよくないということでスフィンクスを作ったという説と、岩山の残骸からスフィンクスを作ったのではなく、最初から岩山をスフィンクスとして作り上げる計画だったのではないかという説があるようです。



余談ですが、以前テレビでスフィンクスの見つめている先には何があるかという番組がありました。
スフィンクスが現在眺めているのは、このケンタッキーフライドチキンのお店です。
ちょっと笑えます。



続く........................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その102の1 『川崎大師』

2010年07月24日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポ、『久しぶりに外出だって!』
今回は川崎大師紹介です。



一般的には『川崎大師』と呼ばれるていますが、正式には『金剛山金乗院平間寺(こんごうさんこんじょういんへいげんじ)』と号するそうです。
江戸時代には、日本橋を七つ(午前四時頃)に発ち、健脚に物を言わせて昼過ぎには川崎大師に到着し、参詣を済ませて日帰りで戻って行ったそうです。
トッポパパはそんな体力はないので、京急川崎駅で大師線に乗り換え、川崎大師駅まで来ると、駅前左手には、表参道への入口が見えてきます。



駅前でウォークラリーの受付をしています。



ウォークラリー大好きなトッポママは早速、参加申し込みです。
元気ですね。
トッポ、『僕は暑いところは歩かないからね!』



厄除門過ぎると表参道にはいります。
川崎大師といえば『くず餅』が有名です。
『くず餅』は葛餅と勘違いする人がいますが、くず餅に葛は入っていないそうです。
実際は小麦粉からできているそうで、『久寿餅』と表示するのは、葛が入っていると消費者に誤解を与えるからとのことと、昔、久兵衛という人が作ったことから、久兵衛の『久』と無病長寿を祈念して『寿』の一字を合わせ、『久寿餅』と名付けられたそうです。
でんぷんの淡白な味と黒砂糖の甘い蜜、きなこの香ばしさで、昔懐かしい味わいです。



表参道を500mほど進むと、川崎大師入口の表示が観えます。



右に折れると『大師仲見世』に入ります
正面に山門が見える仲見世にはいると、ようやくお寺の雰囲気が出てきます。



『とんとこ、とんとこ』と軽快な調子で飴を切る『とんとこ飴』の音が聞こえます。
このお店は、創業明治初年に『松屋の飴』として、東京の深川の門前仲町に本店を開業しました。
明治2年に川崎大師で初めて『飴』専門店を開業し、『家傳せき止飴』が人気商品になったせき止め飴の老舗です。



駅前から続くこの道筋にあふれる『とんとこ、とんとこ』の音が、1996年、当時の環境庁より『残したい日本の音風景100選』に選ばれました。



続く......................................................................。

海外の都市の紹介、 その81の2 『エジプト』

2010年07月23日 | 海外の都市の紹介
トッポパパも以前何回かラクダに乗ったことがありますが、ラクダに乗ると想像以上に高く感じます。
ただし、降りるときは前足をガクンと折りますので、墜落しないように注意が必要です。



小さな子供さんがラクダをひいてガイドしてくれます。



ラクダの顔のアップです。



クフ王の息子であるカフラー王のピラミッドです。
ギザ台地の3つのピラミッドの真ん中に建っています。
見かけ上、3大ピラミッドの中で一番高いように見えるのは、カフラー王のピラミッドが立っている岩盤が高くなっているためのようです。
高さ136.40m、傾斜角は53.80°となっています。



もともと全体が石灰岩の化粧板で覆われていたそうです。
現在も上層部には、はがされずに残った化粧板が一部とどまっているのが分かります。



カフラー王のピラミッドの東側神殿や、スフィンクスがある河岸神殿にも200トン以上の花崗岩が使われています。



これほどの重い石材を、当時の人がどうやって持ち上げたのでしょうね。



スフィンクスはカフラー王のピラミッドから延びる参道や付随する葬祭殿、神殿などと一体になって『カフラー王のピラミッド・コンプレックス』を形成しています。



ちなみにカフラー王の玄室は地上と同じ高さにあり、ピラミッドのほぼ中央に位置しているそうです。
スフィンクスはカフラー王のピラミッドの前に、まるで守っているかのように真東を睨んだまま控えています。



続く.........................................................................。

トッポと八景島シーパラダイスへ、Part Ⅱ その9

2010年07月22日 | トッポの世界
トッポ、『たくさん遊んだから、そろそろ帰ろう!』



これが、以前に問題に出した顔ですよ。



ペンギンさんの食事時間です。



飼育係から子供さんに餌が与えられ、ペリカンが投げてくれるのを行儀よく待っています。



大きな口なのに器用に魚を口の中に入れています。
目もいいのでしょう。



トッポ、『こっちにも大きな鳥がいる!』



フラミンゴがまどろんでいました。
しかし、身体は大きいのに、足は細いのでビックリです。
骨折しないのかと心配してしまいます。



どの世界にもいたずらっ子はいるようです。



最後は仲良くいっしょに泳いでいる鴨です。



とても優雅に泳いでいました。



早起きは三文の得のようで、短時間にたくさんの場所を観て回ることができました。
それでは八景島より

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その101の5 『永平寺』

2010年07月21日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
永平寺最後の紹介です。
奥深く静かな山に囲まれ、奥深い自然を感じる、まさに深山幽谷の言葉が当てはまる雰囲気です。



山門と仏殿の間にある『中雀門』です。
山門から仰ぐ中雀門は貴品のある荘厳な建物です。



三方を山に囲まれ、樹齢600年以上の老木がたくさん永平寺にあります。



早春、雪解けと共に特異な花を咲かせる『座禅草』です。
湿原の周辺、湿った草地、小川の周辺や水田の畦道などにも生育するそうです。



花よりも先に出る花序が、お坊さんが法衣をかぶって座禅を組んでいる姿に例えられ、座禅草の名前が付いたそうです。
紫の所が額で、中の芯みたいなのが花です。



五代杉です。
唐門より山門に至る間の鬱蒼とした老杉を五代杉と称しています。



一葉観音です。



この観音像は高祖大師が中国より帰朝の折、海が荒れ船中で苦しんでいた時、観音普門品偈(かんのんふもんぼんげ)を唱えると一葉の観音が現れ、荒波も静まり無事帰国できたという因縁によります。



越中立山地蔵尊(えっちゅうたてやまじぞうそん)です。
承陽殿の庭の右手にあり、初冬の雪をかぶった地蔵尊は一段と美しく見えるそうです。



それでは永平寺より

海外の都市の紹介、 その81の1 『エジプト』

2010年07月19日 | 海外の都市の紹介
今回よりエジプトの紹介です。
娘夫婦がエジプト旅行へ出かけました。
トッポパパがこの地を訪問したのは、まだデジカメなど世の中に存在しないころでフィルム写真しか残っていません。
写真の整理を協力してもらい、最新の画像で紹介します。
まずはカイロ空港です。



エジプトと言えば、やはりピラミッドでしょう。
こちらが有名なギザの三大ピラミッドです。
左が一番大きいクフ王のピラミッドで、真中がカフラーぷのピラミッド、そして右がメンカウラー王のピラミッドです。



クフ王のピラミッドはピラミッドの王様と呼ばれ、平均2.5トンの石を約230万個積み上げて造られています。
基底部に使用された石は15トンを超える大きな石が使用されました。



クフ王のピラミッドは紀元前2550年ごろの建造とされています。
1辺の長さは230mで高さは146mもあります。



ピラミッドの内部には、地価の玄室、女王の部屋、王の玄室や大回廊があります。



人と比べると、ここの石の大きさが分かります。
アラビアの山中にある石切り場から、巨大な石をナイル川まで運び、船で海を越え対岸に運ばれたそうです。



常に10万人もの奴隷が、強制的に働かされ、20年の歳月をかけて完成しました。



砂漠での主な移動手段であったラクダは、ここでは観光客を乗せ、ピラミッド巡りをしてくれます。



トッポパパもお気に入りの写真です。
素敵な思い出になればよいですね。



続く....................................................................。

トッポと八景島シーパラダイスへ、Part Ⅱ その8

2010年07月18日 | トッポの世界
紫陽花ラリーも無事終了し、やっと休憩所で水分補給のトッポです。
トッポ、『生き返った!』



トッポ、『あっちのワンちゃんも暑そうだね!』



舗装路を歩かせるのはきついので、こちらのワンちゃんはカートで移動です。



これ以上舌を延ばせないくらい延ばして、発汗しているようです。
汗をかけないワンちゃんは大変です。



トッポ、『そのホットドッグもちょうだい!』



栄養補給も済んだので、もう少し散歩して帰ります。



トッポ、『あっちにジェットコースターがあるから、早く行こう!』



ママがストレス解消?のため、乗りたいというのでトッポと待っていることにしました。



早朝なので、比較的すぐに乗れたようです。



続く.........................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その101の4 『永平寺』

2010年07月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
永平寺にあり、福井藩主松平家を祀っている『松平公廟所』です。
中に入ることはできませんが、本山の建物で最も古く、もとの勅使門(ちょくしもん)であったそうです。
葵の御紋の門を入ると越前藩三代目、松平忠昌公の五輪塔があります。



徳川家と松平家との関係とは、どうなっているのでしょうかね。
徳川家康は、松平氏第8代・松平広忠の嫡子として生まれ、元の姓は松平氏になります。
その後、1566年に三河一国を統一し、朝廷から従五位下・三河守の叙任を受け、先祖・得川義季の名字を復活させるとの名目で徳川氏に改姓しました。
但し、徳川の名乗りは家康一家のみが名乗り、松平諸家の姓は松平に留めました。
家康はこれにより自身の家系を松平一族中で別格の存在として内外に認知させ、松平諸家は徳川の親族ではなく、家臣の格である「譜代」に位置付けました。
このことにより、徳川家は別格ということを認知させ、権力を保ったのでしょう。



『祠堂殿』です。
檀信徒の入牌、納骨をする殿堂です。
間口6間・奥行8間の総欅造りで120坪の大きな建物です。



大仏が使うような数珠が壁にかかっていました。
祠堂殿の入口の上にかけてある数珠は長さ18m、重さ250Kgの大数珠です。



『鐘楼堂』です。
大晦日の各地の除夜の鐘の中継でも登場する大梵鐘(おおぼんしょう)で、口径1.5m、高さ3m、重さ約5トンあります。



一撞一拝(いっとういっぱい)といい、一撞ごとに一拝をして撞かれ、その梵音は修行僧を覚醒せしめ深谷幽山に無限に響きわたるそうです。



山門前にある鐘楼堂は昭和38年に改築された鎌倉様式の重厚な建物です。
総檜造で中に吊られた大梵鐘は第二次大戦中応召にあいながら、再び戻されたものを改鋳し、鐘楼堂の改築とともに完成したそうです。



山門は修行僧が正式に入門する永平寺の玄関にあたり、下層の両側には仏教の守護神である四天王が安置され、上層には500羅漢が安置してあります。



四天王は仏教、また永平寺の守護神として、持国天は東を、広目天は西を、増長天は南を、多門天は北を受け持っていますい。
永平寺はどこも開放されていて自由に出入りできるが、四天王が守護しているため悪人などは入らないそうです。



続く............................................................................。

海外の都市の紹介、 その80の3 『ゲント』

2010年07月14日 | 海外の都市の紹介
聖ミヒエル橋付近から、荘園に聖ニコラス教会、その奥にバーフ大聖堂を臨みます。



13世紀の建造、飾り気のないすっきりとした教会ですが、ニコラはサンタクロースのモデルになった子供の守護聖人ですが、その前に商人の守護聖人でした。
そのために商業の栄えたこの街には立派なニコラのためのニコラス教会があるのです。



奥の聖バーフ教会は数々の美術品を所蔵することで有名です。
所蔵品の中で有名なのが『神秘の子羊』で、作者はファン・アイク兄弟です。



13世紀に建てられ、繊維によって繁栄したゲントの象徴とも言えるのが91mの高さをもつ『鐘楼』で、世界遺産にも登録されています。
その鐘楼の隣の建物は、15世紀に建てられた『繊維ホール』(ラシャ取引所)です。



鐘楼の入口から細い螺旋階段を少し上った所にエレベーターホールがあり、そこから専用エレベータで上まで登ることができますが、階段で登ることもできるそうです。
天気が良ければ、頂上から見るゲントの街は素晴らしいのでしょう。



聖ニコラス教会を裏側から観ます。
13世紀に建てられたゴシック建築の教会で、漁師と船乗りの守護聖人が奉られてます。直線と曲線が調和した美しい教会です。



ゲント中心部にある多くの建物は、12世紀から16世紀に完成した由緒ある建物です。



最後に中世の面影が強く、映画の舞台になりそうな高い壁に囲まれた通路です。



雨のためよい写真がなく掲載するかどうか考えたのですが、もう行く機会がないかもしれないので掲載させてもらいました。
それでは、ゲントより

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ちょっと海外出張へ出かけてきます。
3日ほどブログはお休みします。
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