TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポと横浜ぶらぶら歩き、 その8 『掃部山公園』

2006年07月05日 | トッポの世界
赤レンガからの帰り道、小、中学生の頃よく遊びに行った、掃部山(かもんやま)公園へ向かいました。
港みらいから、歩いて5分ほどの距離の小高い丘の上に掃部山公園があります。



トッポパパが、中学生の頃に時々来た、神奈川県立図書館です。
周囲はずいぶん変わりましたが、入り口とカーテンで閉められている2階の通路は変わっていないようです。
ここで、簡単な軽食が取れたのを覚えています。 
数十年前の思い出が、頭をよぎりました。



県立図書館の裏手に、井伊直弼ゆかりの掃部山公園があります。



トッポ、『アレェー!、こっちに元気のいいワンちゃんが向かってきたぞ!』



いきなり女の子のワンちゃんにトッポはキスされて、戸惑い気味です。
まったく、トッポのこの表情には笑わされます。



トッポ、『アァ! ビックリした。 最近の、若い娘は、大胆だな!』



ここが、掃部山公園です。 かもん山って分かりますか?
幕末の歴史に出てくる『桜田門外の変』で水戸・薩摩の浪士に暗殺された、井伊直弼(井伊掃部頭)にちなんだ公園です。

開国の英雄井伊直弼は、1850年36歳のとき彦根藩主となり1858年に大老職となった。
1858年アメリカのペリーが日本を訪れて開国をせまり、以来鎖国か開国かと国内は非常に混乱した時、大老井伊直弼は我国の将来を考えて1858年6月に開国を断行、これに調印し外国と修交を結びました。



日米修好通商条約に調印し、さらに慶福=家茂(いえもち)を将軍継嗣に決定したのも井伊直弼です。
当時、井伊直弼のこれらの決断に対し、水戸藩をはじめ反対派も多くあり、それらの反対派に対抗して、強引に『安政の大獄』と言われる攘夷派の志士の弾圧を行いました。
その為、1860年3月3日、桃の節句の祝儀に江戸城に参上の途中、桜田門において水戸・薩摩の浪士に襲われ命を落としたのです。
これが歴史で習った、『桜田門外の変』です。



掃部山公園に井伊掃部頭の銅像が建立されたのは1909年、旧彦根藩士が藩主井伊直弼の横浜開港の功績を顕彰するためであったと言われています。
以来この高台から、開港後の横浜の変遷を見続けてきたのです。

続く....................................。