TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その127 『日光』 その6

2012年12月31日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
坂下門を過ぎて207段の長居階段を上ると奥社拝殿です。
この奥に家康の墓があります。



徳川家康の『安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士』です。
宝塔には 祭神家康の遺骸を納めた墓所として 銅製の廟が建てられています。
宝塔に納められているのは家康公の神柩ですが、建立以来、一度も開けられたことがないそうで高さ5mの宝塔は、8角9段の石の上にのっています。 



ネット情報によると、元和2年(1616年)に75歳で没した家康は 久能山東照宮に埋葬されますが その遺骸は二代将軍徳川秀忠により元和3年に日光東照宮に移され 東照大権現を神号とする鎮座の儀式が行われています。 
遺言には「一周忌後に日光山に勧請する」とあるので 遺骨(遺骸)の全てを日光山に移さずに一部を久能山に残したという説もありますが ネット情報を色々と調べてみたところ 全ての遺骨を日光山に移したというのが正しいようです。



最近パワースポットとして有名な境内の叶です。
樹齢約六百年で、この杉のほこらに向かって願いことを奏でると叶うと言われています。



この古木の正式名称が『かのうすぎ』と読むそうです。



ここから逆戻りで帰ることにします。









これからいろは坂を超えて、定番の華厳の滝へ向かいます。

続く................................................................。

今年は喪中でもあり、恒例の年末特集は諦めることにします。
皆様良いお年をお迎えください。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その127 『日光』 その5

2012年12月29日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
陽明門をくぐると正面に国宝の唐門があります。
奥が拝殿と本殿ですが、写真撮影は不可なため唐門だけ紹介いたします。
全体に白い胡粉が塗られ細かい彫刻がほどこされています。
間口3m、奥行き2mの小さな門ですが、東照宮で最も重要な本社の正門です。
江戸時代には「御目見得-おめみえ-」(将軍に拝謁-はいえつ-できる身分)以上の幕臣や大名だけが使えたそうで、今でも唐門は、正月や大祭などの祭典のときと、国賓に相当する参拝者だけしか使えないそうです。



門柱に紫檀、黒檀の寄せ木細工された昇竜、降竜が観えます。
人物の彫刻は、竹林の七賢人、正面は『舜帝朝見の儀』の彫刻で、1本のケヤキに4列27人の人物が彫られています。



唐門から左右に透塀があり、本殿、石の間、拝殿を囲み、全長は160mになります。
文字通り塀の中が透かして見えるのでそのように呼ばれています。



塀全体がカラフルで唐獅子や龍、麒麟のような想像上の動物や、菊、牡丹などの花、孔子や孟子などの人物の彫刻などが施されています。



陽明門をくぐり右側の景観です。
こちらの奥が坂下門になります。



坂下門へと続く回廊の長押の牡丹の花の下に、左甚五郎(ひだりじんごろう)の作と言われる『眠り猫』の小さな彫り物があります。
またその裏側はスズメの彫刻になっていました。



左甚五郎が実在したかどうかの根拠はなく、さらには他に作品も無いことから実際は誰の作かわからないようですね。
眠り猫の真裏に雀-すずめ-の彫刻があるので、猫が起きていれば雀は食われてしまうが、東照宮では猫も居眠りして雀と共存共栄していて、戦乱が治まり、平和な時代がやってきたことを表しているという解釈もあるそうです。



こちらは坂下門側から観た鐘楼です。



では坂下門をくぐって上に登ります。



続く..............................................................。

トッポ家初孫成長記 その11 『姫とトッポのメリー・クリスマス!』

2012年12月25日 | 初孫成長記
トッポ家の笑顔に囲まれたクリスマス・イブです。

最近は”ママ命!”の姫、ママに抱かれていれば大満足のようです。
トッポママ苦心の作のモビールは、姫大喜びです。



トッポママのご馳走も、まだ姫は何も食べられないのが可哀そうですね。



娘もだんだんママの顔になってきたようです。



トッポパパも記念撮影です。



ほんとに男の子と間違えられそうに、ぽっちゃりしてきた姫です。



トッポと姫のコラボです。
カメラ目線はバッチリのトッポ、『写真撮るときはカメラ目線だよ!』
姫、『........??』



トッポ、『1,2、.......3!』
なんとか全員の視線が揃いました。



トッポにしてみれば、異星人の出現のようで心落ち着かない数ヶ月のようでしたが、最近は慣れてきたようです。
新生児にワンちゃんを近づけることに賛否両論があるようですが、トッポパパはそのほうが免疫力があがるという学説を信じることにしていますので、あしからず。(笑)



トッポも姫の誕生で、負けていられないとさらに元気になりました。
トッポ、『まだまだ、ワイルドだぜー!』



この写真、トッポパパ一押しの笑顔です。



今年はいろいろありましたが、家族全員が笑顔でクリスマスを迎えることができました。
シンガポールの友人の言葉です、『Stay Strong!』、まだまだトッポパパ頑張りますよ!

トッポ家初孫成長記 その10 『姫再来! すくすくとデブ路線か?』

2012年12月23日 | 初孫成長記
姫の再来のため、またまた一時割り込みです。
久しぶりに姫をを抱いたが、もう忘れられてしまったようです。
最初はどうもぎこちない雰囲気です。



暫くすると、少し慣れてきたのか笑顔になりました。



すぐそばで、トッポが『爺ばか!』と言わんばかりに拗ねています。



すくすくと順調に育っているようです。
最初が標準より小さめのような気がしましたが、最近は順調にデブってきたようです。



まだ3ヶ月と少々で、体重は5.6Kgとトッポ越えです。



今年のクリスマスは姫とトッポが主役です。



いつもの、爺ばかでした。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その127 『日光』 その4

2012年12月22日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
これより陽明門に向かいます。
陽明門前の鳥居です。
左に鼓楼、右に鐘楼があり、鼓楼は太鼓、鐘楼は釣鐘を納める建物で陽明門の前に左右対称に配置されています。



左が輪蔵(経蔵)で1635年建てられ、桁行3間、梁間3間、宝形造り、銅瓦葺き、裳階付きです。
朱色と金が基調で組物と彫刻が極彩色で彩られ、内部には八角形の回転式の書架があり、一切経1456部、6325巻が納められていました。
輪蔵(経蔵)は国指定重要文化財に指定されています。

右奥が鼓楼で亀・竜・雲など38体の彫刻が観られます。



こちらが鐘楼です。
鐘楼・鼓楼も1635年に建てられ、桁行3間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き、袴腰付きです。
鐘楼は鶴・竜・飛竜・麒麟・波78体の彫刻が観られます。



輪蔵を正面から見たものです。



国宝、陽明門です。
日本を代表する最も美しい門とされ、いつまで見ていても見飽きないところから『日暮の門』ともよばれます。



日光東照宮の象徴的な建築である陽明門は1635年に建てられもので、陽明門の名称の由来は京都御所にある十二門の東の正門が陽明門と呼ばれているところから授かったとされています。
正面唐破風下には1617年に後陽成天皇から賜った『東照宮大権現』の額が掲げられています。
また陽明門には当時の技術の最高峰がつぎ込まれ彫刻の数は508体にのぼります。



通路の間天井に描かれているのは、狩野探幽による『昇(のぼり)竜』(左)と『降(くだり)竜』(右)です。
昇竜は別名『八方にらみの竜』、降竜は『四方にらみの竜』とも呼ばれています。



廻廊です。
陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られています。



いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされています。



次は坂下門の『眠り猫』を見に行きます。

続く.......................................................。

トッポ家初孫成長記 その9 『首あげ挑戦! まだ無理だよ!』

2012年12月21日 | 初孫成長記
日光の紹介の途中ですが、娘から最近の姫の写真が送られてきました。
爺バカなので、急遽割り込みのアップです。

赤ん坊の首の座りは4-5ヵ月らしいです。
お友達の赤ん坊は5-6ヵ月なので、もうしっかり首に力が入るようです。
声を掛けられて姫も懸命に首をあげようとしています。



手を使わないで首だけあげるのは大人でも大変ですよね。
敢え無く無念のダウンのようです。

英語では首すわりのことを『ヘッド・コントロール』と言いそうです。
自分の頭を支えられるだけでなく、どんな姿勢をとっても、自由に頭を動かせるようにならないと、ほんとうに首がすわったとは言わないそうですが、姫にはちょっとまだ早いようです。



しかしこの無念そうな顔は何とも言えません。



もうしばらくすると、姫がしばらく戻ってくるようなので楽しみにしています。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その127 『日光』 その3

2012年12月19日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
日光東照宮の表門をくぐって左手にある三猿で有名な神厩舎です。
トッポパパも詳しくは知りませんので、ネット上の説明を抜粋してまとめてみました。

神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)ですが、昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されています。
中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。

三猿とは、3匹の猿が両手でそれぞれ目、耳、口を隠している像です。
世界的にも、"Three wise monkeys"として知られ、『見ざる、聞かざる、言わざる』という叡智の3つの秘密を示しているとされています。
日本では、ここ日光東照宮の三猿が有名です。
  
現在でも神馬(雄の白馬に限られる)が午前10時から午後2時までを勤務時間としてつながれています。なお、初代の神馬は、徳川家康が関ヶ原の戦いで乗った白馬だったそうです。

  


(1)赤ん坊時代
子猿を引き寄せた母猿が手をかざして遠く(実り多い子供の将来)を優しい眼差しで見つめています。
子猿は信頼しきった表情で母猿の顔をのぞき込んでいます。



(2)幼年期
両手でそれぞれ耳、口、目を押さえた三匹の猿。いわゆる、『見ざる、言わざる、聞かざる』の三猿の教え。
物心のつく幼少期には、悪いことを見たり、言ったり、聞いたりしないで、良いものだけを受け入れ、素直な心のまま成長せよという教えが暗示されています。



(3)独り立ち直前
赤ん坊時代や幼年期と異なって、彫られているのは一匹の猿です。
孤独感の漂う、いくらか苦渋の表情をした一匹の猿が座ったまま将来を見つめています。
自力で『独り立ち』しようとする姿が暗示されています。



(4)青年期
口をきっとへの字に曲げ、天を仰ぎ見る二匹の猿。
右側には青い雲がたなびいています。
『青雲の志』を抱く青年期が暗示されています。



(5)挫折と慰め
崖下を覗き込む猿とその猿を慰める猿、崖っぷちを飛び越えようとする猿。
まっすぐ人生に立ち向かおうとするなかで立たされる崖っぷち。
慰め慰められることを体験しながら、挫折を乗り越えて行こうとする姿が暗示されています。



(6)恋に悩む
あぐらをかいて思い悩む猿とその横で木の枝にぶらさがっている(去っていこうとしている?)猿。
伴侶を得るための恋愛中の悩ましさが暗示されています。



(7)夫婦で乗り越える荒波
結婚して仲むつまじい2匹の猿ですが、2人の前には『人生の荒波』を暗示する波が横たわっています。



(8)お腹の大きい猿
妊娠してお腹が大きくなった一匹の猿が彫られています。
子猿もやがて母猿になります。
親になって知る苦労や喜び。
子供が生まれると、物語は(1)の赤ん坊時代に戻ります。




『三猿の起源』について(以下、ウィキペディアより転載)
3匹の猿というモチーフ自体は、古代エジプトにも見られるもので、シルクロードを経由して中国から伝わったものだという見解がある。また『論語』の一節に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)があり、中国では今日でも妊娠中の女性は胎教の観点から「目は悪色を視ず、耳は淫声を聴かず、口は敖言を出さず」という戒めを受ける。
  
朝鮮半島においても、結婚前の女性は「見ても見ぬふり、聞いても聞こえないふりをして、言いたくても言うな」と教育される。インドのマハトマ・ガンディーは常に、3匹の猿の像を身につけ「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたとされており、教科書などに「ガンディーの3猿」が掲載されている。
  
また、アメリカ合衆国では教会の日曜学校などで三猿を用い猥褻なものを見たり、性的な噂を聴いたり、嘘や卑猥なことを言わないよう諭すことがある。「見ざる、聞かざる、言わざる」は日本には8世紀ごろ、漢語の「不見、不聞、不言」を訳した天台宗の教えとして伝わったものだという説がある。
  
日本語の語呂合わせから日本が三猿発祥の地と思い込む人は多いが、実は「見ざる、聞かざる、言わざる」によく似た表現は古来世界各地にあり、同様の像も古くから存在する。そしてまた、それぞれの文化によって意味するところは微妙に異なる。三猿の起源は未だ十分に解明されておらず、今後の研究と調査に委ねるところが大きい。

いろいろ勉強になりました。

続く.................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その127 『日光』 その2

2012年12月18日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
これから東照宮の中を散策してみたいと思います。



数日前に結構雪が降ったようで、まだ場所によっては結構積もっているようです。



東照宮の石鳥居です。
黒田藩52万石の藩主、黒田筑前守長政が1618年に奉納した石造りの鳥居で、高さ9m、柱の太さ3.6m有ります。
京都八坂神社、鎌倉八幡宮のものと合わせて日本三大石鳥居と呼ばれ、江戸時代に建てられた石造りの鳥居としては日本最大のものです。



表門です。
東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれています。



仁王門をくぐると目の前の建物が三神庫(さんじんこ)です。
上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言いますが、写真左が上神庫で右が中神庫です。
この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。



こちらが下神庫です。



三神庫は1635年に建てられ、三棟とも校倉造りです。



上神庫の屋根下には屋根妻面には狩野探幽が下絵した『想像の象』の大きな彫刻があり、『三猿』と『眠り猫』と共に日光三彫刻の1つとされています。



五重塔です。
1648年、若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。
文化12年に火災にあいましたが、その後1818年に同藩主酒井忠進公によって再建されました。
塔の中心に心柱が据えられ、その優れた耐震構造は高く評価されています。
今春グランドオープンの東京スカイツリーもこの耐震システムを応用して設計されたものと言われています。
また、五重塔の建つ場所の標高は、奇しくも東京スカイツリーとほぼ同じ高さです。



次は『三猿』を紹介します。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その127 『日光』 その1

2012年12月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
退職にあたり身辺整理もだいぶ終わりましたので、以前からの約束であったトッポママとののんびり旅行を始めることにしました。
ブログでも国内外のいろいろな観光地を紹介してきましたが、まずは近場なのですがあまり細かく観光をしたことのない日光ブラブラ歩きをしてみることにしました。
横浜から浅草まで出て、東武鉄道に乗る前にスカイツリーの写真を撮りました。



中央のビルはアサヒビールタワーでビールグラス(ジョッキー?)と上部はビールの泡を表現しているようです。



隣の特徴的な巨大モニュメントがある建物はスーパードライホールで、フランスの有名デザイナーフィリップ・スタルクによる設計です。
高速道路を通過するたびに、『うんこビル(失礼!)』などと笑っていましたが、本来は燃え盛る炎を形象した「フラムドール(フランス語 flamme d'or、金の炎)」と呼ばれるものだそうで、アサヒビールの燃える心を象徴する「炎のオブジェ」のようです。



浅草より東武日光線で日光へ向かいます。



特急で一時間半前後で東武日光駅に到着です。
おぼろげながら駅前広場の記憶がよみがえりました。
急ぐ旅でもないので、バスのフリーパス券を購入しいろいろ立ち寄りながら見て回りたいと思います。



最初に(実際は最後に寄ったのですけど)よくテレビでも紹介される二荒山神橋の紹介です。



山口県錦帯橋、山梨県猿橋と並び日本三大奇橋の1つに数えられています。
日光二荒山神社の建造物で国の重要文化財に指定され、平成11年12月に世界遺産に登録されています。
橋の長さは28メートル、巾7.4メートル、高さ(水面より)10.6メートルあり、高欄には親柱10本を建て、それぞれに擬宝珠が飾られ(乳の木)と橋板の裏は黒漆塗で、その他は朱に塗られています。



帰りがけにバスの運転手に、『かみばし?かみのはし?』に寄りたいので何処で降りたらいいのか聞くと、『そんなものないよ、神橋(しんきょう)と言うんだ!』と言われてしまいました。(笑)
さらに、『橋渡るとお金取られるよ、俺は20年以上もここに住んでるけど、一度も渡ったことない! ジュース飲んだ方がいい!』と言われてしまいましたが、とりあえず写真を撮ろうと途中下車しました。



ジュースは飲みませんでしたが橋も渡らず、ここからの景色が素晴らしいので奇麗な写真が撮れました。



愛知の金華山の麓や高知城入り口でも板垣退助の銅像が建てられていましたが、こちらにも少し若い板垣退助の銅像があります。
説明書きに、明治元年の戊辰戦争の際、板垣退助は新政府軍の将として日光廟に立てこもった旧幕府軍を説得して、社殿を兵火から守った功績から建立されたそうです。



次は東照宮に向かいます。

続く................................................。

素晴らしい仲間達!、本当にお世話になりました! その1

2012年12月16日 | その他
トッポパパの退職に伴い、多くの人たちに送別会を催していただきました。



年末を控え忙しい時間を割いていただき、心より感謝しています。
また、多くの人からお言葉を賜り思い出に残る送別会になりました。



送別会ということで半分お世辞だということを差し引いても、過分なお話に有難く思っています。



ある意味で波乱万丈な人生でしたが、こうして立派に成長した後輩たちを前にすると安心して引退できます。
女性の方にもお言葉を頂きましたが、写真は割愛させてもらいました。
本当にお世話になり、ありがとうございました。



海外からの友人も参加していただきました。
20年以上の付き合いになります。 感謝感激です。




幹事さん、いろいろありがとうございました。



料理も美味しくいただきました。



最後に立派な後継者になり、刎頚の友でもある弟分の挨拶に感無量でした。




四十数年、あっという間に過ぎてきたように思います。
みなさんへの適切なお礼の言葉が思い浮かびませんでしたが、ただただ深謝です。



素敵なお花も頂きました。
トッポママが早速母の仏前と、



玄関、そして床の間に飾らせてもらいました。




年内にまだ顔を合わせることができる人もいらっしゃいますが、いままで支えてくれたトッポママへの慰労の旅行計画もありお休みをいただきますので、とりあえずお別れです。
皆さんお世話になりました! そして、頑張れよ! 後を頼んだぞ! 

また、お会いできなかった人たちには、ここでご挨拶させていただきます。
長い間お世話になり、本当にありがとうございました。

トッポ家の小さな庭の素人ガーデニング その5

2012年12月15日 | 小さい庭の素人ガーデニング
今年も師走の月に入り、朝の寒さが身にしみるようになりました。
トッポパパの状態は可もなし不可もなしで、厳しい状況も慣れてくるとそれなりに穏やかに過ごしています。



寒さが厳しくなったので部屋の中に取り込み、できれば年越しをさせてあげることにしたハイビスカスは部屋の暖かさに慣れてきたのか、まだ元気に花を咲かせています。



冬に向かうと玄関先の植木もだんだん殺風景になってきます。
初孫ができたので、トッポママと二人でクリスマスに向けて少し飾りをアレンジしてみました。



ガーデンシクラメンをのぞき、シクラメンの鉢植えは家の中に移動したので、花が少なくなりパンジーを新しく植えてみました。



最初は花がたくさんある方が良いと思いたくさん並べて植えたのですが、20cmぐらいはそれぞれ間隔を空けて植えたほうが良いと聞き、あわてていくつもの鉢に分散しました。



それぞれが大きく育てば、もっともっと花を咲かせてくれるでしょう。



狭い庭なので、置き場に困るものも出てきました。(笑)



薔薇の木も強選定をして春まで休眠です。
(強選定はこんなものでいいのでしょうかね??)



クチナシがもっと元気に育つように思いきって地植えにしました。
しっかりと根付いてくれるといいのですが。



大きな鉢の梅の木はほとんど落葉し、小さな蕾を蓄え始めました。



梅の実は二種類の梅の木が近くにある方が実をつけやすいと聞き、もう一本追加して傍に配置しました。
それにしても梅の花を期待しているのか、果実を期待しているのかどうもはっきりしないトッポパパです。



キャベツ??のような葉ボタンは、寒さに強いのか元気に育っています。
年末にかけて木瓜と冬咲きのチューリップも頑張る予定です。



てなことで、会社を引退してもすることたくさんありそうです。
植木のエネルギーをもらい、まだまだ頑張っています。