『小田原城』をネット上の資料を基に紹介します。
小田原城は15世紀初めごろ、大森氏によって築かれる。
明応4年(1495)に戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点となり、豊臣秀吉の小田原攻めに備えて大外郭を完成させ、日本最大の城郭となった。
江戸時代は徳川家康の家臣・大久保氏が城主となり、城の規模は三の丸以内に縮小される。その後、稲葉氏が一時城主となるが再び大久保氏が城主となり、幕末まで続いた。
明治に入り廃城となり、ほとんどの建物は解体され、残っていた石垣も大正12年(1923)の関東大震災により崩壊してしまいます。
現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と大外郭の一部が、国の史跡に指定。また、本丸を中心に「城址公園」として整備され、昭和35年(1960)に天守閣を復元。次いで昭和46年(1971)には常盤木門が復元された。
それでは、小田原城天守閣の紹介です。
この角度が、この天守閣が一番美しく見える角度のようです。
バカ親父にしては、良く撮れたと自画自賛しているのですが!
小田原城の歴史です。
応永24年(1417) 大森頼春、駿河鮎沢より小田原に移り城を修築。
明応4年(1495) 宗端(北条早雲)、大森藤頼を相模真田城へ追い、小田原城を奪う。以後、氏綱・氏康・氏政・氏直と、後北条氏5代の居城として栄える。
永禄4年(1561) 長尾景虎(上杉謙信)。小田原を攻める。
永禄12年(1569) 武田信玄、小田原を攻める。
天正15年(1587) 小田原城の大修築。
天正17年(1589) 秀吉、後北条氏討伐を諸大名に告げる。
天正18年(1590) 豊臣群の侵攻に備え、大外郭ほぼ完成。
豊臣秀吉、早雲寺に本陣を置く。石垣山一夜城を築き、小田原城を包囲。
氏直、降伏して小田原城を明け渡す。
徳川家康の家臣大久保忠世、遠江二俣城より移り入城。
慶長19年(1614) 大久保忠隣改易となり近江に配流。城の大外郭は破壊される。以後幕府の直臣が番城。
この頃、初期の天守閣が完成しました。
上の写真は常磐木門と呼ばれています。小田原城本丸の正門で、最も大きく堅固に造られていたそうです。
常磐木とは常緑樹の意味で、門のそばにあった松になぞらえてこの名が付けられたようです。
被写体がどれもこれも大きすぎて、トッポの出番がないのですが最後に門を出たあたりから撮ってみました。
小さいトッポが、ますます小さく見えます。
まだ素敵な写真がありますので、もう1回続く........。