シャン=ゼリゼ大通りの突き当たりに位置するコンコルド広場は、パリのどんな歴史的建造物よりもこの国の動乱と変革の歴史を見つめてきた場所です。
ルイ15世とマリー・アントワネットを始め、3,000名近い人達の公開処刑場として使われたそうですが、君主制の終焉とより良い未来の始まりを告げるために、革命の終わりに際してコンコルド=和合 広場」と改称され、今でも多くの車が行き交うこの交差点の中心には、かつてのギロチンに代わって高さ70フィートの「ルクソルのオベリスク」が立ち、それをフランスの各都市を象徴する噴水や彫像が取り囲んでいるわけです。
ツールドフランスのゴールとなるのもコンコルド広場です。
いまでは、ここも観光客の記念撮影には欠かせない場所になっています。
コンコルド広場からロワイヤル通り方向を見ると重厚なホテルが建っています。
バカ親父の記憶では、確かこのホテルのこのベランダからマイケルジャクソンが子供を抱えて外に出し、物議をかましだしたホテルだと思っています。 (もし記憶違いでしたら、ごめんなさい。)
下の写真が、古代ギリシャ風の壮大な教会マドレーヌ寺院からセーヌ河畔のコンコルド広場にいたるロワイヤル通りです。
世界に名を知られている高級ブランドのショップが並んでいます。
バカ親父には、あまり関心がありませんが女性の観光客には憧れの場所のようです。
1893年、マキシム・ガイヤールがパリロワイヤル通りにレストランを開店。
彼の名を冠にしてMAXIM'Sと名づけられたそのレストランは、その後、一大社交場として名を馳せました。
正面にマドレーヌ寺院の巨大なファサードが見えました。
この寺院のまわりは52本のコリント様式の大列柱で囲まれていますが、それらの石柱の高さは20メートルもあるそうです。
ローマ・ギリシャ文化にあこがれていたナポレオンの命で、フランスの栄光を象徴する神殿として、古代ギリシャ風のこの建物が建てられたそうです。
しかし、その後まもなくナポレオンは失脚してしまったので、結局ここはカトリック教会になったそうです。
そういう経緯により、壮大な古代ギリシャ建築風のカトリック教会という珍しいパリ名所が誕生したわけです。
これは、おまけ情報です。写真上の、マドレーヌ寺院の右側に、上の写真のお店があります。 バカ親父は、よく分かりませんが、ここのお菓子は美味しくて有名だと以前教えてもらいました。 パリのお土産に喜ばれそうです。
続く.......................。
ルイ15世とマリー・アントワネットを始め、3,000名近い人達の公開処刑場として使われたそうですが、君主制の終焉とより良い未来の始まりを告げるために、革命の終わりに際してコンコルド=和合 広場」と改称され、今でも多くの車が行き交うこの交差点の中心には、かつてのギロチンに代わって高さ70フィートの「ルクソルのオベリスク」が立ち、それをフランスの各都市を象徴する噴水や彫像が取り囲んでいるわけです。
ツールドフランスのゴールとなるのもコンコルド広場です。
いまでは、ここも観光客の記念撮影には欠かせない場所になっています。
コンコルド広場からロワイヤル通り方向を見ると重厚なホテルが建っています。
バカ親父の記憶では、確かこのホテルのこのベランダからマイケルジャクソンが子供を抱えて外に出し、物議をかましだしたホテルだと思っています。 (もし記憶違いでしたら、ごめんなさい。)
下の写真が、古代ギリシャ風の壮大な教会マドレーヌ寺院からセーヌ河畔のコンコルド広場にいたるロワイヤル通りです。
世界に名を知られている高級ブランドのショップが並んでいます。
バカ親父には、あまり関心がありませんが女性の観光客には憧れの場所のようです。
1893年、マキシム・ガイヤールがパリロワイヤル通りにレストランを開店。
彼の名を冠にしてMAXIM'Sと名づけられたそのレストランは、その後、一大社交場として名を馳せました。
正面にマドレーヌ寺院の巨大なファサードが見えました。
この寺院のまわりは52本のコリント様式の大列柱で囲まれていますが、それらの石柱の高さは20メートルもあるそうです。
ローマ・ギリシャ文化にあこがれていたナポレオンの命で、フランスの栄光を象徴する神殿として、古代ギリシャ風のこの建物が建てられたそうです。
しかし、その後まもなくナポレオンは失脚してしまったので、結局ここはカトリック教会になったそうです。
そういう経緯により、壮大な古代ギリシャ建築風のカトリック教会という珍しいパリ名所が誕生したわけです。
これは、おまけ情報です。写真上の、マドレーヌ寺院の右側に、上の写真のお店があります。 バカ親父は、よく分かりませんが、ここのお菓子は美味しくて有名だと以前教えてもらいました。 パリのお土産に喜ばれそうです。
続く.......................。