TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その24の3 『好古園』

2007年07月31日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
時代劇の撮影などがよく行われるという好古園の紹介を続けます。



御屋敷の庭を一番奥からみた景観です。



お屋敷の庭全体は遊歩道になっていて、歩きながら四季の草花を観賞できるようになっています。



この位置からだと、姫路城を借景とした、構図になります。



好古園内には、9つの日本庭園があり、土塀で仕切られています。



『武家だまり』は、いかにも時代劇に出てきそうな武家屋敷の感じです。
電柱も電線もないので、ここなら時代劇のロケに最適でしょう。



「茶の庭」に佇む数寄屋造りの茶室『双樹庵』は、裏千家家元の千宗室氏の設計によるもので、京都の数奇屋大工が技術の粋を傾けた本格的茶室です。



一席500円ぐらいの値段で、お菓子つきの抹茶がいただけるそうです。



抹茶を頂きながら眺める、茶室前の庭園です。
もうすこしだけ、庭園を見て回ります。

続く...................................................。

トッポと横浜、三ツ池公園散策、 その3

2007年07月30日 | トッポの世界
平成2年に神奈川県と韓国・京畿道との友好提携を記念し造られた「コリア庭園」は、韓国の文化と自然を感じさせてくれます。
園内には独特の静寂感が漂っています。



奥の門をくぐると、斜面の自然林を利用した景観は、本来お客様を招待したときの回遊的鑑賞を狙ったもののようです。



奥の庭園にある天池(タマゴ池)です。
漢民族の祖山と言われる、白頭山の頂上にある池を模して造られたものです。



トッポ、『喉が渇いた! 水飲みたい!』
トッポパパ、『水飲み場ではないので、飲めないの!



奥の庭園から、六角亭(観自亭)を結ぶのが「水の流れ」です。
後苑の泉から湧き出した水は、二段の滝を流れ、卵形の天池に入り、主庭のに接する半月池に溜まります。


トッポ、『たくさんの瓶があるけど、食べ物が入っている?



これらの瓶は、醤油、味噌、漬物を入れておくためのものです。
醤油は7~8年貯蔵して使う習慣から、7個の壷に分けて貯蔵し毎年順番に使用したようです。
現在でも韓国では、キムチを代表として、これらの瓶が使われているようです。



貯蔵には温度変化を嫌うため、本来は漬け込んだ後、土の中に埋めるそうです。



トッポ、『今は食べるものが入っていないんだ! もう帰ろう。』



では、三ツ池に戻ることにします。


トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その24の2 『好古園』

2007年07月29日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
好古園の庭を順路に沿って歩いてみたいと思います。



中秋の名月を鑑賞するのに最適な場所、観庭台からの景観です。



アカマツ林をイメージした庭園です。



御屋敷の庭は、滝の流れや錦鯉の泳ぐ池を、渡り廊下や敷石伝いで鑑賞できます。
この庭園は時代劇の撮影にもよくつかわれる所です。



御屋敷の庭に活水軒というお屋敷の庭を見ながら軽食喫茶が味わえるそうです。



高度の造園技術によって造られたこの庭園は、日本情緒溢れる見事な庭園に出来上がっています。



庭園の泉水の錦鯉です中にはに大変高価な鯉も泳いでいるそうです。



活水軒です。
時間のあるときは、ここで抹茶でも飲みながら、お屋敷の庭を眺めるのもよさそうです。



続く..................................................。

トッポと横浜、三ツ池公園散策、 その2

2007年07月28日 | トッポの世界
この公園は国際交流も盛んで、前回紹介した中国遼寧省から友好の記念として、天馬の広場に「馬超龍雀像」が寄贈されています。
トッポ、『あっちにも、庭園があるね。』



この入り口の向こう側は韓国・京畿道との友好提携を記念した本格的な『コリア庭園』になります。



入り口の横に記念の石碑が建てられていました。



トッポ、『ちょっと、雰囲気がいつもと違うね!』



この庭園は韓国の両班(ヤンバン:地方の豪族)の家の庭園を模しています。
朝鮮時代における両班の家は、外堂といわれる主人の住まいがあり、内堂という女主人の住まいがあります。
そのほかにも外別堂、内別堂、選備間(食物の貯蔵庫)などが配置されています。



前面の空間が主庭です。



主庭にある六角亭で、この亭は「観自亭」と命名されています。
周囲の自然を眺め、心の安息を求める休養の場となっています。



庭園の入口の前にヘテ石(日本のこま犬のような感じ)が両側に設置されています。
ネット情報によると、『ヘテというのは想像上の動物で、物事の是非善悪を見分けることが出来るそうです。 人が戦っているのを見つけると、邪悪の方を角でつきます。また、人が議論をしているのを見つけると不正な方に噛み付くと言います。
さらに、入口の方向を決めたり、境界線を決めて、火災や災害を避けることが出来ると考えられています。そこで、宮殿などの前に飾られて、神獣として崇められています。』

トッポは早速、上に乗って記念撮影です。



ご心配している人もいると思いますが。 ママがちゃんと後ろで抑えていますのでご安心ください。



続く.....................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その24の1 『好古園』

2007年07月27日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
姫路城西御屋敷跡の庭園、『好古園』の紹介です。



発掘調査で確認された姫路城の遺構を生かして、市制100周年を記念して、平成4年に造営された池泉回遊式日本庭園です。



この庭園は池や水の流れで結ばれた回遊式庭園ですが、最大の特徴は姫路城を借景としていることです。



好古園は9つの趣の異なった庭園群で構成され、その面積は約3.5ヘクタールもあります。



好古園の名前は、姫路藩主酒井家によってこの庭園の入口付近に、文武両道の振興を図った藩校「好古堂」に因んでいるそうです。



唐傘割り工法による、廊下中央の曲線は庭園のシンボルになっています。



この庭の周囲は、もともと姫山原生林だったそうです。



お屋敷の庭にある、大滝は深山幽谷の流れの趣にあふれ、大池は瀬戸内海をイメージしたそうです。



それでは、庭をいろいろな角度から眺めてみたいと思います。

続く....................................................。

トッポと横浜、三ツ池公園散策、 その1

2007年07月26日 | トッポの世界
今回は京浜工業地帯の玄関口である鶴見の県立『三ツ池公園』をトッポと一緒に訪問しました。



トッポ、『ここは初めて来た公園だけど、何があるの?』
『三ツ池公園』は、その名のとおり、江戸時代に灌漑用水として利用された三つの池を、中心とした公園です。



この公園もワンちゃんが沢山集まってくるようです。



園内に入ると出迎えてくれるのは『噴水広場』です。
中央には噴水が設けられてい増すが、訪問したときは噴水を見ることはできませんでした。
その先に、『天馬の広場』という一角があり、馬の像が建っています。



『馬超龍雀像』というもので、中国遼寧省から友好の印として寄贈されたものです。 躍動感あふれる馬の姿は一本の脚のみによって支えられ、力学的平衡原理が正確に計算されていると解説されていました。



この公園は春には公園全体が桜色に染まります。
35品種、およそ1000本のサクラが楽しめることで、横浜でも屈指の桜の名所です。



子ども達が、大勢ザリガニ鳥を楽しんでいます。



自然の起伏を活かした樹林が、落ち着いた雰囲気を伝えてくれます。



青空が見えてきました。
では、これからゆっくり公園を回ってみたいと思います。



続く....................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その23の5 『姫路城』

2007年07月25日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
大天守と三つの小天守、そしてこれらを結ぶ渡櫓が国宝指定を受けています。



二の丸を通り過ぎて「に」の門へ向かうと写真のように、袋小路のような細い進入路となります。
外部の敵に対して、容易に通過させないための工夫がいたるところに見られます。



城内の上山里丸と呼ばれる広場にある『お菊井戸』が、有名な『播州皿屋敷』に出てくる井戸だといわれています。
ネットに掲載されていた、お菊井戸に関する記載です。
『永正年間のこと、城主小寺則職の執権青山鉄山が城の乗っ取りを計画。これに気づいた忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み、陰謀を暴きます。しかし、努力のかいもなく、青山一家のクーデターは成功。それでもお菊は青山家に残り、龍野に逃れた元信に情報を送っていましたが、ついに町坪弾四郎に気づかれてしまい、それを盾に結婚を迫られます。しかし、お菊はどうしても首を縦に振りません。腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込みました。それからというもの毎夜、「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったといいます。
その後、元信ら忠臣によって鉄山一味は滅ぼされ、お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内にあるお菊神社に祭られています。』



『ぬ』の門です。
これで代天守の周りを一周したことになり、再度二の丸に戻ります。



それではそろそろ、出口へ向かいます。
  


このお城にどのくらいの人がいたのかと思い調べてみましたら、多いときは家来、足軽及びその家族を入れると多いときは4000人近くの人が暮らしていたそうです。



最後に三国濠のあたりからベストアングルでの写真を撮ってみました。



急ぎ足の姫路城散策でしたが、期待以上に見るべきものが沢山ありました。



外濠からの写真を最後に、隣接している名園として有名な『好古園』に向かいます。



名残惜しいですが、姫路城からお別れです。

神奈川の景勝50選、 その14の9 『東高根森林公園、PartⅡ』

2007年07月24日 | 神奈川の景勝50選
広場の中心に大きな木があります。
樹齢150年以上の周囲のシラカシ林は、学術上非常に価値の高い植物群落のようで、県の史跡および天然記念物に指定されています。



トッポは勝手に、散歩を決め込んでいます。
この後、大変なことになるとも知らないで...............。



この芝生広場はとても大きいので、多くの人がワンちゃんを連れて遊びに来ていました。



大きなワンちゃんがトッポに突進です。



大きなワンちゃんの飼い主曰く、このワンちゃん”匂いフェチ”で匂いを嗅いでいるのが大好きなんだそうです。



トッポ押さえ込まれて、身動きが取れません。
トッポはこういうとき、ただひたすらおとなしくしています。
たぶん心臓はバクバクなのでしょう。



トッポ、『何なの、あのワンコは?』



緊張のあまり喉が渇いたのか、もう一度水を飲みたがっています。



トッポ、『もう、あの犬来ないよね!』
どうも、まだ気になっているようです。



今日はよく歩いたので、この辺で帰宅することにします。
この東高根森林公園もお勧めの場所です。 では、

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その23の4 『姫路城』

2007年07月23日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
姫路城には輝政築城時には84門もありましたが、現存するのは内堀以内に残る21門だけになってしまいました。



天守閣の北側に位置する多門長屋風の建物は『しおやぐら』と言われています。
その名の通り、塩を蓄え、戦時の籠城に備えたそうです。 
驚いたことに、中に入ってみると、いまだに塩の匂いが残っています。 何百年前の塩の匂いが、歴史を越えて壁に染み付いているようです。



お城も見事ですが、あちこちにある庭園を見ているだけでも価値があります。



奇跡と言えることは、第二次世界大戦の戦禍をも逃れ、400年たった今も築城時のままの景観を残していることが法隆寺とともに日本で最初の世界遺産になった理由でしょう。



写真の整理の段階で、姫路城内の庭園と後で紹介する隣接する好古園の庭園が混在しているかも知れませんので、間違っていたらゴメンナサイ。



姫路城は天守閣をはじめ、すべての建造物は白漆喰総塗籠造となってます。
壁も軒裏までも純白に仕上げられているうえに、屋根瓦の継ぎ目にも白漆喰が施されています。



歴代の城主の紋瓦です。
屋根の鬼瓦や軒丸瓦に城主の家紋を彫った瓦が使用されています。



姫路城の天守は日本でも数少ない江戸時代のままの姿で現在まで残っている天守で、まさしく姫路の象徴です。



白鷺の飛び立つ様子にたとえたといわれていますが、『はくろじょう』と呼ぶそうです。

続く...................................................。

神奈川の景勝50選、 その14の8 『東高根森林公園、PartⅡ』

2007年07月22日 | 神奈川の景勝50選
自然観察広場に近くなりました。
このあたりは日中でも、大きな木々に囲まれて薄暗い雰囲気になります。
夏は涼を求めてくるには、よさそうな場所です。



ジュラッシクパークの撮影ができそうな雰囲気が漂っています。



前のジグザグの坂道を登りきると、子ども広場に出ます。



ちょっと歩きつかれて、トッポに水分補給です。



子ども広場から、左に旋回すると前方は開けた広場のようになっているようです。



やっと到着しました。ここが古代芝生広場です。
弥生時代の集落跡を埋蔵保存していることから『古代芝生広場』と呼ばれています。
広場の周囲は、県天然記念物に指定されているシラカシ林が深い緑をつくっています。



トッポが走りたがっていますので、人のいないところで一人ドッグランです。



低い位置からトッポを撮ってみようと、ファインダーを覗かずにシャッターを切りましたので、焦点がボケてしまったようです。



怪獣トッポになってしまいました。



少し広場で遊ばせようと思います。

続く................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その23の3 『姫路城』

2007年07月21日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
さすがに国宝のお城だけあって、立派な景観です。
日本にある国宝指定のお城は、『松本城』、日本最古のお城と知られる『犬山城』そして『彦根城』です。
いつか、これらのお城も訪問したいと思っています。



右の壁に穴が開いていますが、鉄砲や弓矢などで敵を攻撃する為に壁に開けられた狭間(さま)と呼ばれる三角や四角の穴のことです。
長方形のものを矢狭(やざま)あるいは弓狭間(ゆみざま)と言うそうです。
三角形や円形のものは鉄砲狭間(てっぽうざま)です。



「は」の門をくぐるとすぐに7段の自然石を並べた石段があります。 
階段を上がると二の丸に出ます。 
立派な石段です。 これだけの石をよく選び、並べたものだと感心して見ていました。



現在の姫路城の姿になったのは、1601年に始まり8年をかけた大改築により完成しました。
動員された延べ人数は2500万人と言われています。



この空間にいると、1600年代にタイムスリップした気持ちになります。



こちらは乾小天守と呼ばれています。



春先の庭園ですが、緑がなくても見事な配置がよく分かります。



大きな石が並べて作られた池は、重厚感があります。



今頃は緑いっぱいの、より素敵な庭園になっているでしょう。



続く............................................。

神奈川の景勝50選、 その14の7 『東高根森林公園、PartⅡ』

2007年07月20日 | 神奈川の景勝50選
湿田の上に伸びる木製デッキは格好の散歩道になっています。



写真を落ち着いて撮れないので、トッポはちょっと小休止させました。



湿生植物園は、弥生時代の水田跡と自然のわき水を利用した湿田で、稲作田ゾーン、湿生花園ソーン、湿生樹林ゾーン、湿生野草ゾーン、梅林ソーンの5つに区分されています。



トッポ、『竹林があるね。 筍あるかな?』
トッポパパ、『筍とるな! の看板があったけど、今はもうないよ。』



結構立派な竹林で、風が吹くとザワザワと音が聞こえます。



トッポ、『パパ、早くおいでよ。』
トッポパパ、『はいはい。



このあたりは野外研究園路と呼ばれています。
この先が自然観察広場に鳴ります。



こちらにも紫陽花がありました。



周囲は結構鬱蒼としていて、遊歩道以外は自然のままの景色になっています。



古代やよい広場を目指して、散策を続けます。

続く.............................................。


トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その23の2 『姫路城』

2007年07月19日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
広場の左奥がお城へ入るゲートのようです。



だいぶ天守閣に近づいたのでまず1枚撮ってみました。
いかにも“城”という感じで雄大です。



現在の姫路城は1601年から8年かけて池田輝政が建てたようです。
しかし、この地に一番最初に姫路城を建てたのは赤松則村の二男、貞範(さだのり)で、父則村が鎌倉幕府を倒そうとする後醍醐天皇に加勢し、1200騎の兵を姫路城のある姫山に集結させ、京都に向かったそうです。
その13年後の13466年に父の意向を受け山城を築き、これが姫路城の始まりと書かれていました。



ネットの資料によると、以来、13氏・48代が城主を務め、戦塵にまみれることなく今日にいたり、西国統治の重要拠点として羽柴秀吉、池田輝政、本多忠政が城に夢を託して拡張し、現在のような姫路城の全容が整ったのは戦乱の世が落着いた1617年になってからです。



姫路城と聞くと、すぐに思い出すのは『千姫』です。
千姫は二代将軍徳川秀忠とその正室との間に生まれました。
千姫はわずか7歳で、豊臣秀吉の子、秀頼に嫁ぎますが、この結婚は徳川家と豊臣家の結びつきを強めるための政略結婚です。
その後の豊臣家と徳川家の争いが起こり、大阪夏の陣で大阪城は炎上してしまいますが、千姫の祖父である家康の計らいで千姫は助け出されます。



その後、江戸に帰る途中、桑名城主本多忠政の子・忠刻(ただとき)と出会い一度夫に先立たれた悲しみを持った千姫の気持ちを察し、家康が、二人の結婚を認めます。
本多家が姫路城の城主となったことから、千姫も姫路城の姫となりました。



櫓門と呼ばれる型式の二の丸の入口を固めた門です。



両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることから、この名前が付きました。
門全体に安土桃山時代の様式を残しており、城内で最も大きな門です。



櫓門をくぐって、仰ぎ見た天守閣です。



では、これから姫路城内を見て回ります

続く...................................................。

神奈川の景勝50選、 その14の6 『東高根森林公園、PartⅡ』

2007年07月18日 | 神奈川の景勝50選
東高根森林公園の面積は10ヘクタールもありますので、トッポにもいい運動になりそうです。



自然泉池とあずまやを過ぎて右に進むと、湿生植物園になります。



ハンゲショウという花です。 7月ごろが見ごろのようです。



このあたりは弥生時代の水田跡と自然の湧き水を利用した湿田担っています。で、現在ではあまり見かけない多摩丘陵の昔からの湿生植物ができる場所です。



これは忘れな草です。
小さい花ですが、たくさん咲いていました。



トッポ、『こっちの花も、綺麗だね!』



なんという花なんでしょうね。 
花の説明板がなかったので、分かりません。
分かる人は、教えてください。



トッポパパが写真を撮りながら寄り道をしていたので、遊歩道をママと先に歩いていたトッポが、あわてて逆戻りしてきました。



トッポパパが一緒にいないと、どうも落ち着かないようです。



ではトッポと一緒に先に進みます。

続く...............................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その23の1 『姫路城』

2007年07月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
春に訪問した『姫路城』の写真の整理がやっと終わりましたので、紹介します。



姫路城は法隆寺と一緒に1993年、ユネスコの世界遺産にその名が登録されました。
2001年に国宝指定70周年、築城400周年を迎えました。
ではゆっくり、姫路城を見て回ります。



まずは立派な外郷から入り口方面の景観です。



それでは、最初の門をくぐって中に入ってみます。



姫路城は、別名『白鷺城』と呼ばれています。
白鷺城の由来は諸説あるようですね。
黒い板張りの岡山城に対比して白漆喰総塗寵造の姫路城をこう呼んだという説と、城のある丘が「鷺山」とも呼ばれたという説、そして城が白鷺の飛ぶ姿に見えという説があるそうです。



中に入ると、広い広場のようになっています。
まず目の前に誇らしげに、姫路城が世界遺産であるという石碑が建っています。



世界遺産として登録にあたり、以下の点が優れていると判断されました。
木造建築物として建物の容積と配置が絶妙にバランスが取られ、漆喰の城壁を持つ優れた美をもっていること。
明治以前の封建制度の象徴であること。
日本の木造建造物として最高のものであること。



駅から歩いてきたときにはわかりませんでしたが、中に入って全体を見渡すと一瞬、別世界にいる感じになります。



国宝は大小天守閣など8件、国重要文化財は74件にのぼるそうです。
では、これよりゆっくりと見物させてもらいます。



大きなお城で見所が沢山ありそうですので、ゆっくり散策してみます。

続く.........................................。