TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

動物園 動物写真その76 『 富士サファリパーク・アムールトラ、ゾウ』

2017年07月31日 | 動物園 動物紹介
『アムールトラ』です。
トラはライオンと並ぶネコ科の中でも最大の動物ですが、アムールトラはその中でも最も体が大きく、成熟した雄の体長は3.5m以上、体重は400Kg近くになります。



トラの仲間ではもっとも北方に分布しているトラで、ロシア極東部や中国東北部などのアムール川流域に生息し、別名をシベリアトラとも呼ばれています。



アムールトラはヘラジカやアカシカ、ニホンジカやイノシシなどの他、鳥や両生類、魚など、何でも捕まえて食べます。
力が強く、ウシなどの大型の草食動物なども単独で倒すことができます。



アムールトラは寒い地方に生息している為、毛は長くて深いです。
夏毛では、背側の長さが1.5cm程だが、冬毛は4~5cm程の長さになり、首周りは夏冬共にこれよりも長くなります。



最近は生息数が激減し、ワシントン条約付属書1類の希少種です。
野生下の生息数は現在約450頭と推定され、ほんとうに絶滅の危機に瀕しています。
飼育下では世界中の動物園で約500頭前後といわれ、世界中の個体が血統登録され、種の保存のためのさまざまな活動がされています。



『インドゾウ』です。
富士サファリパークでは、アフリカゾウとアジアゾウを飼育しています
インドゾウとアフリカゾウの見分け方はいろいろあるそうですが、分かり易いのは個体の最も高い部位もひとつの目安になります。



インドゾウの場合は最も高い部位は背中の真ん中あたりになり、背中の形状は凸形であるかほぼ直線です。
また耳の大きさが比較的小さく、首を覆うことはありません。
頭部の一番上がこぶ状がなり、 額に凹みがあります。



こちらは『アフリカゾウ』です。
インドゾウに比べると、皮膚はより多くの皺があり、最も高い部位は肩部の辺りになります。



アフリカゾウは大きい三角形の耳介と、長い鼻が特徴で、鼻の先端にはものを掴むための突起が上下に2つついています。



蹄の数も違い、一般的にはアフリカ象の蹄の数が前足が4つ、後ろ足が3つなのに対し、アジア象は前足が5つ、後ろ足が4つです。
しかし、これは動物園でも確認が難しいでしょう。



続く...........................................................。

動物園 動物写真その75 『 富士サファリパーク・アメリカグマ、ライオン』

2017年07月30日 | 動物園 動物紹介
富士サファリパークは、サファリゾーンとふれあいゾーンの2つがあります。
最初にサファリゾーンを紹介します。



『アメリカグマ』です。
アメリカクロクマとも呼ばれ、アラスカからカナダ・メキシコ北部まで、北アメリカの森林地帯に広く分布しています。
毛は短く、毛色は一般に黒いが、褐色や青色を帯びたものからほとんど白いものまで、かなり差異があります。
食べ物を求めて広い地域を歩き回り、草や木の根・木の実・果実などの植物質を好んで食べます。



2017年1月3つ子の赤ちゃんが誕生しました。
親のそばで幸せそうな寝顔の子熊です。



ライオンはどこの動物園でも見かけるのですが、ほとんど寝ている状態ばかりでいい写真はなかなか撮れません。
ライオンの狩りは夜が主で、太陽が沈みだすと動きだしますが、日中は暑さをしのぐため木陰などでごこごろしている事が多く、その休息時間は一日20時間にもなるので仕方ないのでしょう。



木の上で休んでいるライオンの写真が撮れました。



富士サファリパークでは、子ライオンの誕生も多く、子ライオンとの触れ合いもできます。
こちらはまだ若いライオンのようです。



ライオンの群れは、野生では多いときには40頭にもなるようです。
ライオンの群れは基本的に女系家族で、そこに『他人』のオスが1~数頭加わって、『プライド』と呼ばれる群れを構成します。
プライドを守るのはオスライオンの役目になります。
そのためか動物園でもメスライオンのほうが多いのでしょう。



狩りはメスの仕事で、オスはほとんど参加しないようです。
年長のメスは群れに残り、ハイエナ等の攻撃から守るため子供達の面倒を見ます。



オスに生まれたからには、強くないとメスに相手にされないので、群れを率いる事はできません。
プライドの中での成長したオスライオンは、兄弟同士で群れを作り、やがて放浪する運命になります。



プライドのボスになるためには、オス同士が戦い、勝ったオスがプライドを乗っ取ることになります。
ボスになると負けたオスの子どもを殺してしまうそうです。
そして、自分の地を引き継ぐ、新しいボスの子を生ませるようにします。
サイクルが繰り返しますので、自然界の掟は厳しいものがあります。



ライオンの群れは母系社会で、メス同士や子どもは血縁関係でつながっていますが、オスとの血縁関係は直接の子ども以外いないことになります。

続く.............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その207 『總持寺み霊祭り』 その4

2017年07月29日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
盆踊りが始まる時間が近づくにつれ境内に多くの人が集まり始めました。
昔懐かしい屋台を見て回ることにします。
お面のお店は懐かしいです。
焼き鳥は定番ですが、コラーゲン効果かホルモン焼きを売っています。



スープ屋とかケバブ屋は、最近の屋台なのでしょう。



帰り路はこの混雑ぶりです。
夜は盆踊りと花火がありますので、これからますます混み合うようです。



これだけの人ごみだと、落ち着いて買い物もできない状態です。



これも懐かしい射的屋です。



小腹がすいてきたので、何を食べるか物色中です。



結果、ポテトフライを買いましたが、これ異常に長いポテトフライでした。



こちらも定番、金魚すくいです。



こちらは、現代風金魚すくい!ですかね。



盆踊り会場は、伸びあがらなければ中が見えないほどの混雑ぶりです。
結構楽しんでいる人もいるようです。



櫓の上ではお坊さんが踊っています。



名物の曲目は『一休さん』でした。



流石に花火の時間まで待つ体力もないので、退散することにします。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その207 『總持寺み霊祭り』 その3

2017年07月28日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
兎で夜を指す『玉兎門』です。



『中雀門』です。
『玉兎門』、『中雀門』、『金鶏門』とつながり、東から朝、昼、夜と並んでいます。



『玉兎門』、『中雀門』、『金鶏門』を連ねる『百間廊下』です。
長さ164m、東西の殿堂群をつなぎ合わせて、外苑と内苑とを分ける廊下です。
洒掃行日々、洒掃行(しゃそうぎょう:廊下の雑巾がけ)が実践されています。



『大祖堂』です。
大祖堂は、一般的にいわれる開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿です。
千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及びます。
貫首禅師演法の大道場で、諸種法要修行の場としても使用されます。
畳千畳敷きの広さのなかで、朝夕の勤行、檀信徒の法要が親しく厳修されています。



『大雄宝殿』の奥に、もう一つ長い廊下があります。
修行の一環の雑巾がけなのでしょうか、ピカピカの磨かれています。



『待鳳館』です。
東京・千駄ヶ谷の尾張徳川家旧書院を移築し、 總持寺の迎賓館となっています。



總持寺には、俳優石原裕次郎さんのお墓があると聞いていました。
訪問した7月17日は石原裕次郎さんの没後30年の命日でした。
立派なお墓には、早朝より石原軍団が訪れたようで、多くのお花が墓前に供えられています。



奥様、石原まき子さんの愛情あふれる碑があります。

『美しきものにほほえみを 淋しきものに優しさを たくましきものに さらに力を すべての友に思い出を 愛する者に永遠を
心の夢醒めることなく 』と書かれています。



猛暑と歩き疲れでくたびれた顔ですが、記念写真を撮ってもらいました。



20年以上前になると思いますが、小樽の石原裕次郎記念館を訪問した時の記念写真です。



机の奥から、その時に購入した記念品を探し出しましたので紹介します。



トッポパパの年代の人たちには、昭和のスーパースターが石原裕次郎さんでした。
小樽の石原裕次郎記念館も今年の8月には閉館と聞いています。



記念のテレフォンカードも何枚か持っていました。



よくテレビでも紹介される、有名な自画像です。



石原裕次郎さんのサインです。
久しぶりに昔の映画を観てみたくなりました。



続く.........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その207 『總持寺み霊祭り』 その2

2017年07月27日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
三門の向かって右側にある切妻造り鉄筋コンクリートの堂宇が、『三松閣』です。
こちらも能登・祖院にあった三本の龍形の松にちなんで三松閣と呼ばれています。
檀信徒研修道場、各種セレモニー会場となっていて、参詣される拝宿の皆様への法話も行われます。



總持寺み霊祭りの行事の一つなのでしょうか、お坊様たちが準備をしています。



仏殿の南,百間廊下の前面にある『總持寺向唐門(むかいからもん)』です。
切妻造,檜皮葺の四脚門で,前後に唐破風を付けています。
桁行約6mと大規模で,両側に築地塀が延び,仏殿前方の重厚な景観を形作っています。
總持寺は、後醍醐天皇から「日域無双の禅苑たるにより、曹洞出世の道場に補任す」との綸旨を賜り、以後、歴代天皇より勅願寺として仰がれましたので、「勅使門」の名を残しています。



『總持寺向唐門』を越えると『中雀門』です。
中雀門の左に月に住むウサギの指し夜をあらわす『玉兎門』と右に星の中に住む想像の鶏、金鶏を指し、朝をあらわす『金鶏門』が位置します。
中雀とは、昼をあらわすそうです。



仏殿です。
七堂伽藍の中心部に配置されている殿堂で、『大雄宝殿(だいゆうほうでん)』とも呼んでいます。



仏殿には 禅宗の本尊である釈迦牟尼如来が 祀られています
如来は、死の恐怖、病気、四苦八苦など様々な衆生の悩みや苦しみを救済するため、その具体的な請願によって出現される仏です。



ネット情報によると、総持寺は特異な来歴を持つ寺のようです。
開かれたのは鎌倉時代末期の1321年、場所は石川県輪島市です。
それが明治時代の1898年に火災に遭い主要な建物を焼失したのを機に、1911年に現在の地に移りました。
曹洞宗といえば道元が開いた福井県の永平寺を思い浮かべる人が多いでしょうが、その道元の教えを広めたのが瑩山ら総持寺の僧だったとされています。
どちらの寺が格上かをめぐり歴史的には争いがありましたが、現在では二つの寺はともに大本山として同等のようです。



宝蔵館、『嫡々庵』(旧、宝物殿)は金色に輝く擬宝珠(ぎぼし)を頂いた建物で、開祖瑩山禅師650回大遠忌の記念に建立されました。



彫刻家・矢崎虎夫氏が透徹した禅の精神と情熱を傾倒して制作されたのが、この『雲水群像』です。
雲の行くまま、水の流るるままの拓鉢遍路をして精進する僧を、雲水と呼びます。



本山所蔵文化財を一堂に集め、随時一般に公開しています。



続く................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その207 『總持寺み霊祭り』 その1

2017年07月25日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
横浜の總持寺で『み霊祭り』があると知り、出かけてきました。
鶴見にある總持寺(そうじじ)は、全国に約1万5000寺の関連寺院を持つ、曹洞宗の大本山です。
現在の地に移転してきたのは、1911年(明治44年)で、以前は石川県の能登地方にありました。



毎年7月17-19日に總持寺み霊祭りが開催され、お坊さんも踊る大きな盆踊りや、花火、そして多くの屋台が並びます。
まだ開催前なので、人ごみもまばらで屋台も閑散としていますが、夕方は歩くのもままならないほどの人混みになりました。



昔懐かしい、屋台が勢揃いしています。
あとでゆっくり覗いてみようと思います。



總持寺のオフィシャルサイトの説明を抜粋させてもらい紹介していきます。
總持寺の総門、『三松関(さんしょうかん)』です。
建築様式は高麗門で、禅院の総門としては特異な様式です。



總持寺中興の祖とされる石川素童禅師が揮毫した扁額には『三樹松関(さんじゅしょうかん)』と書かれています。
總持寺の祖院がある能登に、龍の形をした三本の松の木があったことに由来します。



総門をくぐり、七堂伽藍の最初に出会うのが『三門』です。
三門までの両側は、み霊祭りの屋台が続きます。
これだけの屋台が続くお祭りは初体験です。



三門は1969年(昭和44年)の落成で、鉄筋コンクリート造りでは日本一の大きさを誇ります。
三門の左右には金剛力士(仁王)像が置かれ、元横綱・北の湖の15歳の姿をモデルにしたと伝えられている阿吽の仁王像が納められています。



三門楼上には、開創時からの因縁によって、観音・地藏の放光菩薩像と、十六羅漢像および四天王像が祀られ、毎月2日と16日には羅漢供養の法要が修行されます。
これらの像は彫刻家・阿部正基氏の作です。



三門楼上には、観音・地藏の放光菩薩像と十六羅漢像および四天王像が祀られています。
三門正面に、独住19世・岩本勝俊禅師が揮毫した扁額があり、總持寺の山号「諸嶽山(しょがくさん)」と書かれています。



続く...............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その206 『三渓園観蓮会』 その6

2017年07月24日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
写真を撮り終えて、園内を軽く散策しながら帰路につきます。



朝食抜きできたため、三溪園茶寮で朝がゆセットをいただきました。
お味噌汁・温泉卵・紀州梅・水ようかんなどがセットになったもので、お腹にやさしい食材です。



100年に一度咲くか咲かないかといわれる竹の花が咲いたというニュースが数か月前に流れました。
まだ咲いているのかと竹林のある三重塔へ向かいました。
残念ながら、少し来るのが遅かったようで、もう散ってしまったようでした。

国の重要文化財に指定されている三重塔です。
塔の先端までの高さは24メートルで、全体が安定感のある優美な姿をしています。
建築様式としては、典型的な和様と呼ばれる形式で、室町時代の特徴をよく備えているといいます。
各層に欄干付の廻縁が設けられ、斗供を始め細部も室町のしきたりに添っています。
現在関東地区に所在する木造の塔としては最古のものになるそうです。



三重塔の手前に、「出世観音」と呼ばれに石の仏像が置かれています。

三渓園にゆかりのある人たちの多くが、文化勲章を賜わっています。
昭和12年の第1回の文化勲章を、横山大観、佐佐木信綱と二人そろって授与されています。
その後、安田靫彦(昭和23年)、小林古径(25年)、前田青邨、和辻哲郎(30年)と、三溪ゼミのメンバーが続いています。
他に三溪園と浅からぬ縁があった人でいえば、徳富蘇峰(18年)高浜虚子(25年)、あるいは平沼亮三(30年、横浜市長)も、その栄誉を受けています。
三溪園に行くと御利益があると、出世観音に手を合わせる人が多いそうです。



蓮と睡蓮の花は、よく間違えられます。
蓮が水面から大きく立ち上がって咲くのに対し、睡蓮は水面からわずか上で花を咲かせます。



蓮は極楽浄土の花として大切にされているのは、一般的には蓮は沼等では本当に汚い泥のようなところに咲いてます。
この汚い泥の中からなんとも可憐で清らかな花を咲かせる事が仏教の教えに似ているそうです。



こちらは睡蓮です。
睡蓮ですが、決して「水蓮」ではないそうです。
睡蓮の名前の由来は、開いて閉じてを3回繰り返すそうで、これを人間のサイクルに例えて 日中(開く=目覚める)夜(閉じる=眠る)というところから、「睡眠する蓮」→「睡蓮」ということのようです。



開花時期も蓮が盛夏の短い期間であるのに対し、睡蓮は5月から9月の初め頃まで比較的長い期間楽しめます。



室町時代に建築された旧燈明寺本堂(重要文化財)です。
三重塔と同じ京都燈明寺にあった建物で、 三溪園には、1988年(昭和62年)に5年がかりで移築・保存作業が行われ、 中世密教寺院の姿がよみがえりました。



紫陽花も見頃はすぎてしまいましたが、暑さに負けずにまだ頑張って咲いていました。





約1時間30分ほどの早朝散歩を、蓮の花を楽しみながら過ごせました。



それでは三渓園よりお別れです。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その206 『三渓園観蓮会』 その5

2017年07月23日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
三渓園の大池は四季折々、素敵な景観に出会うことができますが、この初夏の緑濃い景観も、落ち着いた風情です。



ネッチ情報で、みなさんよく知っている『蓮の歌』があります。
”ひらいた ひらいた なんの花が ひらいた レンゲの花が ひらいた ひらいたと思ったら いつのまにか つぼんだ



この歌に出てくるレンゲの花は春の野に咲くレンゲソウではなく、「レン=蓮、ゲ=華」つまりハスの花のことです。
明治時代の遊び歌で、子供たちが輪になって手をつなぎ、歌を歌いながら外に広がったり、内につぼまったりして、蓮の花が開いたりしぼんだりするようすを表現している童歌です。



開園1時間ほどで、蓮池の周りはだんだん混み合ってきました。



蓮は植物のなかでも、もっとも古いもののひとつで、およそ1億4000万年前に、すでに地球上 に存在していたといわれています。
花の中心部にできる花托(後に果托)が特徴的で、その形状が蜂の巣に似ていることから、「はち巣」となり「蓮(はす)」と呼ばれるようになったという説もあります。



三渓園と縁の深い、『ホトトギス』を主催した高浜虚子の歌碑です。
”鴨の嘴よりたらたらと春の泥”

その昔三渓園は遠浅の海に面していました。
トッポパパの子供のころの思い出に、三渓園の海での海水浴があります。
その昔、三渓園の海で鴨が嘴を水に突っ込んで何かを漁っている情景を詠んだもののようです。
鴨は餌を嘴で採るとき、カタカタと音を立てて水をこぼすそうですが、三渓園の干潟に暖められた泥の質感が”たらたら”と表現されたそうです。



花托は、花弁が散ると生長しながら果托に変化します。



同時に、受粉しためしべも成熟して褐色化し、硬い果皮を持つハスの実になります。



果托を乾燥させると、ドライフラワーアレンジなどのインテリアに使えます。



続く...........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その206 『三渓園観蓮会』 その4

2017年07月22日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
三渓園は、生糸貿易で財を成した実業家原三渓(本名:富太郎)により、京都や鎌倉から数多くの歴史的建造物が集められ、その中には重要文化財も数多くあります。
鶴翔閣(かくしょうかく)は、原富太郎が建てた自邸です。
日本美術院の横山大観、下村観山、前田青邨らが出入りした所として知られています。
現在は、横浜市の有形文化財に指定され、賓客の接遇や披露宴などに利用されています。



美しい蓮の花で開花後2-3日で蜜蜂による受粉待ちのころでしょう。



蓮の花は原三溪がとりわけ好んだ花だといわれ、昔は大池全体に植えられていたそうです。



園内ではハスの葉のシャワーが実演されていました。
蓮の葉の中央部から放射状に葉脈がはしっています。
ハスの葉の茎に水道を繋ぐと拡がった葉の葉脈を通じて水が噴出しています。



蓮の葉が水をはじき、きれいなカーブを描きながら水が玉になって降り注いでいます。



子供たちには、特に喜ばれていました。



トッポパパも記念撮影です。



孫にも写真を見せるので、蓮の葉を傘にした『トトロ』になりました。



8月中旬には、蓮の葉っぱに注いだお酒や蓮茶を蓮の茎をとおして飲む「象鼻杯(ぞうびはい)」というのが実施されるそうです。



続く..........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その206 『三渓園観蓮会』 その3

2017年07月21日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
蓮の花の命は概ね4日とされています。



初日は日の出ごろから大きな蕾の外側の花びらがゆるみ出し、1分間に数ミリの早さで花弁が開き始めます。
しかし、日が高くなるにつれ閉じ始めます。



2日目は最もきれいに花びらが開き、未明から咲き始めます。
日の出とともにお椀型になり、色鮮やかになりますが、昼頃には完全に閉じてしまいます。



開花2日目には、おしべから出る甘い香りに誘われ、蜂が受粉を助けに飛来します。
受粉が終わると、めしべの先(柱頭)は褐色になり、花托の中で種が成熟し始めます。



めしべは花の中心部の丸い部分(花托)のつぶつぶ部分で、2日目は黄色く、艶やか色になります。
おしべは花托の周りにあるふさふと伸びた部分で、蜜蜂誘うため甘い香りを出します。



開花4日目には、花が散り、午後には花びらが一片もなくなり、上右のように花托だけが残ります。
その後、茎が折れて、花托が池の中に落ち、種が落ちます。
種から発芽し、花が咲くまで、3年かかります。



昼間でも咲いているのは、3日目の花のようです。



日常的食材の『レンコン』は、蓮の根っこの部分になります。



ネット情報にハスの花は、仏教と関わりが深い花と説明されています。
汚れた泥の中で美しい花を咲かせる蓮を例えて、泥を煩悩、蓮を悟りと表しています。
仏教での悟りとは『物事をありのままに見ることができる、美しい清らかな心』として、このどろどろした娑婆世界で、美しい清らかな心を持ちましょうと説いています。



続く..........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その206 『三渓園観蓮会』 その2

2017年07月20日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
開門と同時に、蓮池周辺はカメラマンで埋め尽くされます。



蓮の花は午前中の早い時間が見ごろなので、三溪園では、7月中旬から8月中旬の土・日曜のみ、早朝観蓮会が開催されます。



こちらの蓮池の花はほとんどピンクのようです。



三渓園のランドマーク的存在の三重塔を背景に写真を撮りたいのですが......................



ここの蓮は背丈が高くて蓮池全体を写すのは脚立でも持ってこないと至難の業です。



以前は三渓園の蓮も、沢山の種類があったそうですが、力の強い原始蓮と食用蓮が残ったそうです。



三渓園園のシンボル、「旧燈明寺三重塔」を望遠で撮ってみました。
この建物でおもしろいのは移築した日は大正3年3月、3が重なり、まさに三重です。



原始蓮と食用蓮の花はよく似ていますが、原始蓮の葉はざらざら感があり、食用蓮はすべすべとのことです。



蓮の花言葉は「清らかな心」、「神聖」、「雄弁」などです。
泥の中から清らかな花を咲かせるため、俗世間から現れた優れた人材にもたとえられます。



続く..............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その206 『三渓園観蓮会』 その1

2017年07月19日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
横浜はまだ梅雨明け宣言もないまま、毎日猛暑が続いています。



ニュースで横浜の三渓園で、早朝6時より『観蓮会』が催されると知り、出かけることにしました。
朝5時に家を出発しましたが、6時前には多くの人が開門を待っていました。



三渓園の蓮の花は、日の出より咲き始め午前7時頃一番の見ごろを迎えます。
9時頃から再び閉じ始め、昼ごろには完全に閉じてしまいます。



生糸貿易により財を成した実業家 原三溪によって、『三溪園』は1906年(明治39年)に公開され、それ以来、広大な日本庭園は四季折々の花々を楽しむことができる空間として、多くの人々に愛されています。
いままで桜、紅葉の季節の景色の紹介をしてきましたが、蓮の花の紹介は初めてです。



蓮の花は泥の中から清らかな花を咲かせるため、インドでは聖者の花、中国では君子の花といわれています。



蓮の花は、園の創設者の原三溪がとりわけ愛した花で、園内の三溪記念館で三溪が自ら描いたハスの絵も展示されています。



三溪園に生育している蓮は、主に『原始蓮』です。
『原始蓮(げんしれん)』は、背丈が高く、繁殖力の強い品種で、花びらが重なり合っていない、一重咲きの大きな花が咲きます。



原始蓮は、古くから大阪府に自生していた品種で、大阪府の天然記念物に指定されています。
この名は、蓮研究で名高い大賀一郎博士が原始的な蓮として命名しました。



いい写真が撮れるか頑張って見ます。



続く.........................................................................。

トッポ家初孫成長記 その38 『猛暑に負けず!BBQ』 その3

2017年07月18日 | 初孫成長記
テントのおかげで直射日光を避けられるので、快適に過ごせます。



トッポパパも学生時代はウクレレを弾いて言いましたが、もうすっかり忘れてしまいました。



孫は疲れを感じないのか、遊び続けています。



これでは大人のほうが先にバテそうです。



大きなシイタケをオリーブ油でニンニクと一緒にいただきました。
これも結構いけます。



家族で入っても十分スペースがあるプールです。



なぜか孫の指導で、大仏様スタイルを強要されています。
どこで何を学んできたのかはわかりませんが、ある日突然新しいことを始める孫の成長に驚かされます。



トッポパパは娘だけでしたが、こうして息子たちが増えると頼もしく感じます。



退職後もこうして現役の時以上に家族と楽しめることは、幸せな爺さんだと思います。



家族に感謝です!

トッポ家初孫成長記 その38 『猛暑に負けず!BBQ』 その2

2017年07月17日 | 初孫成長記
今回は海産物も取り入れたBBQになりました。
トッポパパも少しはお手伝いということで、焼き方です。



hiroiベランダなので、ちょっとしたキャンプ気分になります。



サザエと一緒に白ハマグリ(ホンビノス貝)を焼いています。
最近はハマグリやアサリの漁獲量が少なくなってきて、急に注目を浴びた二枚貝です。
海外ではクラムチャウダーといえば、この貝が使用されているようです。
結構おいしく食べました、味はアサリとハマグリの中間ぐらいの感じです。



孫は交代で遊んでもらえるので大はしゃぎです。



トッポママも交代で焼き方です。



ラム酒ベースの爽やかなドリンクですが、名前は忘れました。
若い人はいろいろな飲み物を知っているようです。



分厚いステーキでエネルギー補給です。



火照った身体を水浴びで冷まします。
冷えたキュウリも最高です。



孫とこうして遊べるのも、後しばらくなのでしょう。
長生きすると、いいこともあると思う瞬間です。



もう少し続きます。

トッポ家初孫成長記 その38 『猛暑に負けず!BBQ』 その1

2017年07月16日 | 初孫成長記
今年の梅雨前線は各地に未曽有の豪雨による被害が連日のニューズになっています。
横浜は逆に連日の猛暑で、真夏を思わせる日々です。
孫にかこつけて、子供たちがプールとBBQで暑気払いをしてくれました。



アウトドア派の子供たちは慣れたもので、ベランダに本格的キャンプ場を準備中です。
孫は待ち切れず、プールに腹ばいです。



今のオウトドア用品のすばらしさに驚きです。
トッポパパは何の役にも立ちませんでしたが、どうやら準備が整いました。



まずは汗びっしょりになったので、乾杯です!



ハンモックまで用意されました。
意外と快適です。



シュノーケリング用品の用途は?、ちょっと違うようですけど。



孫はすぐ真似したがるので、興味津々です。



サイズも違うし、役にはたたないようです。



猛暑には水に浸かるのが一番です。



続く.....................................................。