田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

丼物文化〜うなぎ

2017-06-20 20:30:00 | よもやま話・料理編
前回は、白い御飯に、何かをのせて食べる事に違和感がある人達がいる話でした。
そんな意識が高かった昭和40年代の熊本の和食店では、鰻は少し厄介でした。
鰻だけの為に、食器を揃える必要があったからです。

今、ウナギと言えば、鰻丼。
で、困るのが、丼用の茶椀です。
ほら刑事ドラマで、取調室のホシに、休憩と称してカツ丼を差し入れする。
              
これが、尊属殺人がらみのホシの時には、親子丼を出すのがミソです。 (笑)
その時登場するのは、陶器で蓋つきのどんぶり鉢が定番。
                       
しかし、ウナギを扱う様な和食店では、滅多にどんぶりメニューは扱いません。
今でこそ、どんぶり物は、「 グルメ・グルメ 」 ともてはやされていますが、
当時は時間がない労務者の食べる物のイメージがあった為です。
で、わざわざは陶器のどんぶり鉢は用意出来ません。
代用品として使われたのが、樹脂製のお茶漬け椀です。
ふだんは、ご飯を入れて、永谷園のお茶漬けの素をちゃちゃと。
                  
先ずは、単品の“鰻の蒲焼き”の器です。
ちょっと高級そうに見える(?)蓋つきの塗りものを用意しましょう。
更に、“ 鰻重 ” なるモノが。
蓋つきで長方形のプラ樹脂製(?)みたいな容器を二個。
ひとつには、白ご飯。もう一方に、鰻の蒲焼きを。
ご飯の容器の上に、蒲焼き容器を重ねて(!)蓋をします。
これに、香の物と肝吸い付けて完成。
ご飯の熱が、上のウナギを保温するので、出前用にも喜ばれる。
              
ところが、現在のウナ重はちょっと違うかも。 容器は一個。
白ご飯の上に、直接(!)かば焼きを乗せます。
ウナ丼とどれくらい違いがあるか、ヒゲには判りません。
                
そして、欲張りの経営者は、さらなる儲けのメニューを考えます。
うなぎ定食・梅です。
どうです、単なるうな重より豪華な感じがしませんか?
鰻は蒲焼き器に。 小鉢をひとつ。
うなぎの骨の揚げたの(うなポリ)を増やすとリッチに見える。
肝吸いと香の物。白ご飯は、定食用の陶器に。
ご飯とウナギを別々にすることで、格(!)をあげます。
これらを、御膳に並べてOKです。
これに味をしめて、更に高級化を目指したのが、ウナギ定食・松です。
値段をあげる方法と云えば、刺し身をつける事が当時は一般的。
先ほどの梅定食に、刺し身鉢を追加して出来上がり。
まあ、場所や店によっては、ずいぶん違う所もありましたが。
                   
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2 コメント

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ピンキリ (batten)
2017-06-21 19:30:44
確かに、昔の鰻重は鰻と飯の二つの重箱でしたね。
いつから鰻飯の塗り箱になったのでしょうか?

熊本の鰻は川尻の店と人吉の店が好きでした。
あ、水前寺の別れの『玄』も好きです。

大阪で知ったのが『半助豆腐』。
実は、素焼きの頭と尾が5尾分入って250円の半助を
天六の「魚伊」で求め、豆腐と牛蒡で炊きましたが旨いものですね。

大阪でピンキリの料理を何度も食しましたが、
その価格&レベルで目一杯ガンバル職人さんがいて好ましいです。

ちなみに、私の鰻の好みは地焼き>関東風>クラブ通りにあった鰻屋です。
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半助はどこだ? (ヒゲ)
2017-06-22 13:48:07
私が、栄え通りの田園を独りでやっていた頃です。ある日突然、鰻のフルコースの注文が舞い込みました。何の脈絡も無し、専門店でも無いのに。しかし、ヒゲにも意地があります。やったろか!笑。その中の一品に、半助鍋風がありました。ヒゲ人生で、一度だけの仕事になりましたが。しかし、後で思うと、この半助みたいのを、熊本の人に理解出来たのか?と不安になりました、笑。
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