田園酔狂曲

酔いどれ夫婦とエジプシャンズの日々

外国人との闘い②

2019-06-25 16:20:59 | ヒゲの盤上の世界
そして、西城選手に続けと、たくさんの日本選手が海外戦に挑みました。
しかし、 “ アノ格言 ” が、再び立ちふさがります。
海外タイトル戦には、日本人は全く勝てない年月が流れるのでした。

そんな中、あの伊藤雅雪選手がアメリカでタイトル戦に勝ったのは、もう奇跡でしょう。
      
              
ボクシング界には、もう一つ有名な格言があります。
“ 世界タイトルは獲るのも大変だが、防衛するのはもっと難しい! ”
伊藤選手がアウェーの地の防衛戦でアメリカ人に負けたけれど、そんな卑下する事はない。
非難する連中は、タフな米国人と闘ったことがなく、好きに言っているだけヤ。
そう、アメリカ人は自信家で、闘志まんまんでケンカ好きな人たちばかり。

1970年前半、日本人には、まだ外国人へのわだかまりが残っている頃です。
そんな時代に学生だったヒゲは、東京の東 公平さんのチェス・クラブを訪ねた事があります。
そこで紹介されたのが、中年の白人男性でした。
ヒゲにとって、生まれて初めての外国人とのチェス対局。
                    
まぁ、こんな席ですからと、ヒゲは親善お好み対局感覚。
10手ぐらいで手打ちかなと、思い込みがありました。
ゲームは早い時期から、ヒゲのアドバンテージです。
しかし、相手は ・・・ こんな風に思ったかも知れません。
   何だ、これは?
    こんな黄色い日本人相手に、
     偉大な国アメリカの俺が苦戦するなんて考えられない!? 

顔面を真っ赤にしながら、全身を使って挽回しようとアメリカ人は踏ん張ります。
ドローのオファーはなく、対局は続けられました。
だけど、お互いの力量差は明白です。 
なにしろヒゲだって、もう日本タイトルを狙う立場に居ます。
まさか、無名の米国人にそうそう負ける訳にはいきません。
こうしてゲームは、お互いのプライドをかけて、引くに引けない闘いに。

結果は、ボロボロになった米国人が、憮然としてキングを横にするのです。
しかし、納得できない彼は、苦虫をかみつぶした顔つきでボードを見つめ続けていました。
 「 何で我が国の国技たるチェスで、こんな薄汚れた日本の学生に負けるんだ? 」
とでも、言わんばかりに。

その時、ヒゲが感じたのは、“アメリカ人の負けず嫌いの凄さ” でした。
こんな狩猟民族系の人達と闘うのは、日本人には大変な高いハードルだなぁと。

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外国人との闘い①

2019-06-11 16:40:35 | ヒゲの盤上の世界
ボクシング・フェザー級の伊藤雅雪選手が、アメリカでの防衛戦に敗れた。
「 な~んだ? 」 と、失望を隠せない日本人の方も多いと思います。
              
が、ちょっと待って頂きたい。
70年初頭の日本ボクシング界 ・・・ 
フライ級などの軽量級では、多くのチャンピオンを輩出していた頃です。
日本ボクシング界隆盛の時代と、言われたこともあります。
そんな時でも、日本には、ある格言(!?)が流れていました。
格言と軽く云うには違和感がある、ある種の絶対的な “ 定説 ” でした。
曰く、 『 日本選手は、外国では世界タイトルを獲ることが出来ない!! 』
                 
原因を求めると、日本人の内気な性格とか言われたもんです。
まぁ、アウェイでの闘いに、大きなプレッシャーがあったのは確かです。
特に、アメリカとタイの地では。

ついでに言うと、当時は韓国選手と闘うことは、鬼門でした。
まだ、戦時中の 【 怨 】 が、ビリビリ残っている時代です。
日本選手相手には、120%で挑んでくるコリア選手は難敵でした。
例えば ・・・ もう力量差は明らかで、韓国選手は血まみれです。
        立っているのも不思議なくらい大差が付いている試合。
        普通ならあきらめても、タオルでもおかしくない。
そんな時でも、日本選手相手なら死ぬ気で体をぶつけてくるファイトは、
寒気が起きるほどでした。

そんな定説が続いたある時、とんでもないニュースが飛び込んできた。
日本人ボクサーが、アメリカで世界タイトル戦に勝ったと言うのです。
日本全国が、狂喜乱舞しました。
“ 西城 正三 ” と云う選手が、フェザー級の世界タイトルを獲ったのです。
ほとんど無名の選手の快挙に、“ シンデレラ・ボーイ ” のドリーム名がついた程。
なにしろ、日本選手が外国で世界戦を勝つのは、絶対不可能と云う定説があった時代。
その定説をくつがえしたのですから、立派なもんです。
しかし、喜びは長く続きませんでした。
                 
その後、日本ボクシング界は、再び闇の時代に。
誰も、海外では世界タイトルを獲れないのです。

                           ~~~ つづく ~~~

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学而時習之

2019-06-04 17:51:10 | ヒゲの盤上の世界
2015年の電王戦ファイナル。
ポナンザ VS 村山 慈明七段 戦は、相横歩取り戦に向かいました。
ポナンザが、3四飛車と横歩を取った定型の局面。
      
対し、後手の村山七段が、8ハ角成りから、7六飛車と金取りに回った問題の場面。
      
マシーンは、大して迷いもせず 『 7七歩 』 と打ったのです。
居合わせた解説陣も、そしておそらく村山七段も、“見た事もない”手に戸惑いを隠せません。
なんて、窮屈な一手でしょう。
プロなら、一顧だにしない手です。
         
なにしろ、見るからに息が詰まりそうです。
7七と云う領土内のハイウェイ交差点に、壁をこさえたようなもんです。
壁のおかげで、自軍の銀や桂馬が動けない。
王の逃げ道も無くなります。
解説陣が、見た事もないと悪評の一手。

しかし、ヒゲは、見た事があります。
記憶をたどると、昭和43年。
高校三年生のヒゲが、当時の熊本大学・将棋部とよく交流戦をしてる時です。
対局の戦型は、横歩取りが多かった。
で、ヒゲの定跡の勉強は、当時の芹沢八段の本 『 ヨコ歩取り戦法 』 でした。
その本の中に、『 7七歩 』 と云う、おもいつきの一手がありうると明言してあります。
その時覚えた7七歩が、47年程の時を経て、目の前の対局で再現された!
これって、文字通り、孔子さまが言っていた。
 「 学んで時に これを習う また よろこばしからずや 」
それにしても、時にこれを習うまでの、時が47年とは孔子さまも気が長い? (笑)

昭和43年当時のプロ将棋界は、【 四間飛車とやぐら戦法 】 がほとんどでした。
ヒゲが持っている糸綴じの和紙の実戦譜。
         
そこに紹介してある戦法は、江戸時代の 【 雁木や相掛かり 】 がほとんど。
       
高校生ヒゲは、疑問に思いました。
今どき、こんな江戸時代の雁木や相掛かりなんて誰も指さないのでは?
そんな時代遅れの戦法を学んでも、しょうがないのじゃあないか?
そんな思いが、常にまとわりついていました。

ところが、電王戦から5年程たった現在のプロ将棋界。
輪廻と云いますか?
流行の戦型は、雁木や相掛かりです。
こんなことなら、江戸の実戦譜をもっと勉強しとけば良かった! (汗)

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ボビー・フィッシャーを探して

2019-05-02 16:03:16 | ヒゲの盤上の世界
最近放映された映画 『 ボビー・フィッシャーを探して 』 つい観てしまった。
もう何度も観てるハズなのに。
主役の少年と母親が、公園チェスの光景を眺めた時のシーン。
ヒゲ・ブログ 『 幻の対局⑤ 』 に、何気なく登場してます。
主人公・ヒゲが、玉木記者にインタビューされた時の “ 昔話し ” と、
まるでカブっているのが面白い。
公園のチェスボード上は、まるで賭場みたいに現ナマが飛び交い、
タバコの煙りがけむたい。
母親が、眉をひそめるシーンが広がっているのです。
   
      

NHK BSの国際報道で紹介されたチェスの話題。
去年あった 『 アジアのパラスポーツ大会 』 でのチェス競技。
ひとつは、視覚障害者の部門です。
ヒゲの知っている目隠し将棋とは随分違うやり方。
    

駒の動きを、言葉で伝えるのではありません。
なんと、プレイヤーは、まず手で触って駒を確認します。
ボード上に穴が掘ってあり、駒を刺して動かない工夫がしてあります。
なるほど!
これなら、動かす先のポイントに、ズレずにスポット収まる訳ですネ。
       

しかし、この駒を触っての行為に若干の違和感があるのが、普通のチェス・プレイヤー。
チェスのルールに、 “ タッチット ピース マスト ムーブ ”  と云うのがあるからです。
将棋とは、ずいぶん違うルールです。
触った駒は、動かさないといけない。
まあ、このタッチ・チェスは、視覚障害者が行なえば ブラインド タッチ チェス か。
キーボード操作の ブラインド タッチ と同じ語感がイケてる?
       

このパラ大会でのチェスには、別のもう一つの競技もあったそうです。
それは、車椅子障がい者の部門です。
それには、ヒゲも非常に興味を持ったのですが、番組では紹介はありませんでした。
グラリきました。
想像するしかありませんが、まさか車椅子に乗った障がい者同士が、
ただボードを挟んで対局するだけとは思えませんが?
せめて、参加資格の条件ぐらい教えて貰いたかったですね。
障がいの程度のクラス分けとか。
将来? ひょっとしてヒゲが参加する、その日に備えて ・・・ (笑)

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朋有り~タイムスリップ

2019-04-23 19:15:01 | ヒゲの盤上の世界
まるで、京都衣笠の学生アパートみたいな光景の写真が出た前のブログ。
しかし、よ~く見ると、時代考証的に違和感がある箇所が? 
               
両対局者は、持ち駒を手に握っています。
まるで、小学校時代の将棋光景です。
「 ジュンな、何ば持っとるヤ? 」 (注釈:あなたの手駒は何ですか?)
しかし、ディスクローズしないのも、小学生の立派な手段でした。
そう、相手が困る?
しかし、解決策を思い付くのも、小学生なりの勉強なのです。
盤面と自分の手駒から引き算して、相手の隠し手駒を推測できるからです。

ブログの対局光景で、手に握っているのには、訳があったのです。
盤と一緒に京都から持ちかえった駒台は、三年前の熊本地震で破壊しました。
棚から落ちた時に、重いのが圧し掛かったようで、無残でした。

更に、50年近く前の弥生荘と違うのが、灰皿でしょう。
昔は、対局中の禁煙なんてトンでもハップンの頃です。
“ ヤニ ” は、学生の必需品。 (笑)
その頃の学生は、たばこ銭が苦しくなると、チェリー を ハイライト に、
その次は エコー に切り替えました。
更に苦しくなると、同級生に たかりタバコ でしのぐ日々。 (笑)
当時ともう一つ違うのが、飲み物ですネ。
貧乏学生が、みんなで飲める日本酒は、『 合成酒! 』 。
因みに、大手の 『 三倍醸造酒 』 のもうひとランク下の酒です。
現代人が飲んだら、たちまち人間モルモット化するような恐ろしいアルコールでした。
今は、もう無いハズです。
この合成酒か、徳用レッドウイスキーが学生の飲み物。

この二人の対局中に、夜食用のオジヤを出せば良かったと悔やまれます。
やはり、50年前の弥生荘・仲間(笑)の土鍋で。
ほら、数年前のブログに登場した、水を張って沸かせば、カツオ出しの風味が出るという
幻の土鍋!
薄汚れてますが、カァちゃんも捨てきれずに、取っております。
                 
M吉君 「 わあっ、こるがあん時(弥生荘)の鍋や?! 」
懐かしさで、涙がちょちょぎれたかもしれませんね?
美味しんぼにも、このシーンがあります。
  

  


 
Y和君が突然 「 はちはちふ! を思い出すね。 」 と言った瞬間です。
1970年の出来事が、まるで昨日の事のように浮かんできました。
D大将棋部の新人戦・総当りリーグでの、全勝同士の対決。
先手ヒゲの場面が、 【 6九玉  7八金  8九桂  8七歩  7六歩  6七歩  】 
みたいな、普通の相居飛車戦によくある配置。
相手のY川君が、 「 8八歩! 」 どうだとばかり、桂取りの手筋の歩を放った。
同金と取らせて、壁を作らせる手段です。
ところがヒゲは、7九玉!
観戦者は、思わずため息をもらします。
後手は。 8九歩成り しかなく、同玉。
これで、危険な右辺から遠ざかった。
寄り付きがなくなった後手は、数手後に投了。
50年前の対局が、タイムスリップしたように思い出されました。

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ヒゲといだてん~オリンピック

2019-03-21 19:50:38 | ヒゲの盤上の世界
大河ドラマ 『 いだてん 』 を視聴。
柔道家・嘉納治五郎が、最初のオリンピック選手を探す時のシーンとセリフが、
ヒゲをして昔を思い出させます。
現在と違い、オリンピック開催国への渡航費が問題でした。
               
治五郎さんが言います。
 「 渡航費を持っている者は、オリンピックに行きたがらない。
   オリンピックに参加資格がある者は、渡航費を用意出来ない。 」
日本オリンピックの黎明期だった当時の悲哀感がイタい。
         
             ≪ 熊本の兄ちゃんが工面してくれます。 ≫

ところで、ご存知ない方が多いと思いますが、チェスの世界にもオリンピアードが在ります。
二年に一度、開催されています。
日本チェスの黎明期だった70年代前半。
日本も、やっとチェス・オリンピアードに参加するようになったのです。
もちろん成績は散々でしたが、参加する事に意義があった時代です。
そして、74年の開催地は、フランスのニース(!)でした。
日本人にとってのイメージは、アラン・ドロンの住む夢の国。
しかも、太陽がいっぱいのリゾート都市。
わあーっ! こんな所でチェスが出来るのか。
渡航さえすれば、仏国が滞在費は負担してくれる!
               
当時の日本は、“兼高かおるの世界の旅”でしか外国を観る事が出来なかった時代。
何しろ大阪万博で、多くの日本人が生まれて初めてガイジンを見た1970年。
それから数年しか経てない頃だから、海外旅行なんて、日本人には夢のまた夢。
      ♬ あ~あ~ 憧れ~の ハワイ 航~路 🎶

開催前年の73年に、チェスタイトルを得たヒゲには、充分な参加資格がありました。
しかし、もうその年は、料理旅館に見習いで就職が決まっています。
しかも、実家の料理店は、板場たちの人件費が膨らみ、収益率を圧迫していました。
とても、「 オリンピックに出たい! 」 なんて言えません。
それ以来、一度たりとヨーロッパの地を踏む機会はおとずれませんでした。
まあ、人生なんてこんなモンでしょう!?  

孫 「 じいちゃん、じいちゃん!  ね〜、ニースってえ、どんなとこだった? 」
爺 「 うーん、其処のビーチにはね、べべが居てね ・・・ 」
                 

孫達とのこんな会話が出来たかもしれないんですが ・・・ 。
しょうがなかったとは言え、やはり少し未練が残るヒゲで御座います。


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幻の対局~⑤

2019-03-11 19:45:03 | ヒゲの盤上の世界
昼食後、対局が再開された。
お互いに腰掛銀に進み、最新型と思われた。

昼の休憩中に、ヒゲ冗段から昔の話しを取材できた。
今でこそ、藤井フィーバーや女流棋士活躍で将棋は人気だが、
50年前はそうでもなかったらしい。
特に熊本では、将棋は反社会的勢力の道楽と捉えられていたようだ。
紫煙満ちる道場で、酒を据えての賭け将棋のイメージ。
盤上を札束が交錯する、まるで賭場の雰囲気。
だからヒゲ冗段も、決して人前で将棋の話しは出来なかった。
もちろん、自分の親たちにも隠し通した。
現在の将棋ブームを思うと、隔世の感がすると。

盤上はこう着状態になり、森崎鳳王が手待ちの2六飛車から局面が動き出した。
ヒゲ冗段は角交換の後、金を動かしてきた。
難解な局面、誰もが5五銀と形良く指すと予想していた。
ところが、ヒゲ冗段はなんと5五金と大方の予想の真逆な手を指したのです。
予想外の異形な手に、観戦者やメディアからどよめきが起きた。

しばらく、この局面を眺めていた年配の観戦記者が叫んだのです。
  「 こ、こ、コレは駅馬車定跡だ! 」
“ 駅馬車 ” とは、ジョンウェンの出世作となった西部劇です。
         
                  

昭和23年の京都・南禅寺。 塚田正夫名人 VS  升田幸三八段戦。
この戦いで、新構想を升田八段が披露。
そのイメージが、映画の駅馬車みたいだと云う事で、命名されたのでした。
          

局面が、いよいよ佳境に入った時でした。
読みふけっていた森崎鳳王に異変が。
急いで看護婦さんが駆け寄り、酸素マスクを装着して、バルブをひねりました。
その直後、ヒゲ冗段の様子にも何か起きたような?
顔色が青白く変わっていき、血の気が引いているのです。
気付いた奥様が、準備されていたかのような動きで椅子を運び、
ヒゲ冗段の靴を脱がせ、両足をその椅子に乗せました。
ネクタイを緩め、エコノミー症候群(?)に対処します。

ヒゲ冗段は、「 クスリ、クスリ 」 と言いながらポケットをまさぐります。
昔の白金カイロみたいな、シルバーメタリックな容器を取り出しました。
急いで蓋を外して、飲み始めました。
                    
その瞬間、真っ白だった顔に赤みが差します。
すると、何故か会場にも、シングル・モルトのかぐわしい香りが漂います。
先ほどの白金カイロに見えたのは、ウイスキー携帯用のスキットルだったのです。
                     
来場者から失笑がもれた後でした。
どこからともなく、手を叩く音が ・・・  
次々と、会場から手を叩く音が沸き起こっていきます!
そう、拍手ではなく、手を打っているのです。
会場の空気は、「 手打ちしろ! もう、十分だろう 」 の提案でしょう。
手打ち即ち、“ 指し掛け ” にしましょうとの観戦者たちの気持ちが、
わたくし(記者:玉木宏)の目頭を熱くしたのでした。    
                      
                            ~~~ 終 ~~~  

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朋有り~四畳半の光景

2019-02-28 20:33:58 | ヒゲの盤上の世界
熊本郷土料理を楽しんで帰宅したヒゲ夫婦とダチ公。
ゆっくり昔話しに花を咲かせると思いきや、性(サガ)と言いますか?
やはり、将棋の対局になるのです。
やれやれ、熊本くんだりまで来て、将棋でっせ! (呆れ笑)
50年間のブランクを埋めるべく、近況の報告とか積もる話になるんじゃないの?
まぁ、孫の自慢話・親の介護話し等々、似合わない面々ではありますが ・・・
盃片手に、盤を囲みます。
         

ヒゲ家は、たちまち半世紀前の京都・名アパート弥生荘の景色に。
しかも、50年前と同じ将棋盤セットと西ドイツ製チェス・クロックを使って。
今の若い人達には、「 西ドイツなんて何の事ヤ? 」 でしょうね。
その昔、ドイツが東西に分けられてた頃。
東ドイツのワル・ホーネッカーが、西ドイツにスパイを送り込むなーんて、
小説のネタみたいな事があった時代。
写真は、まさに弥生荘の一室の光景を彷彿とさせます。
               

Y和君とM吉君は、ビールを飲みながらの対局。
ヒゲもソファーで、文蔵・原酒を飲みながらの観戦。
       

手合いは 『 一番手直り 指し込み 』 と云う厳しいモノ。
この『一番 ・・・』は、平手から始まり、勝った方が次の局で香を落として闘う。
更に勝ったら、角落ちに。
更に次は、飛車落ちに。
その次は、飛車・香落ちに。
負けると、次々にハンディが大きくなるのです。
手合いの説明すると、角落ちと飛車落ちの間には大きな差が存在するのですが。

このシステムは、お互い名誉をかけての対局でしょう。
どんどんハンディを附けて、相手をおとしめる!
そんな意味合いが、指し込みと云う語意に感じられるのですが。
イイおじさん達が久しぶりに会って、そんな悪意に満ちた闘いを繰り広げる。
勝負師の本領発揮でしょうか!? (笑)
       

             

不思議だったのは、我が家の猫達でした。
二人が玄関入った時から、逃げ隠れすることなく、廻りをウロウロと。
足元まで寄って行き、撫でて貰うのを喜んでいるんです。
初めての光景に、ヒゲもカァちゃんも唖然としていました。
対局を、じーっと眺めているでしょう!!

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幻の対局④

2019-02-26 17:21:45 | ヒゲの盤上の世界
さて、ここからは、盤上のアルファ新聞社・文化部将棋担当・玉木宏記者の
初観戦記をお読みください。
              
対局場は、異常な雰囲気に包まれている。
会場の日航ホテルには、大勢のマスメディアの記者が集まっているのだ。
更に、両対局者の応援団が、遠くは関西からも駆けつけて、一層の賑わいに。
ローカルのタイトル戦が、かくも注目を集めた事があったでしょうか。
                  
両対局者が現れると、その注目の訳が理解出来ます。
森崎鳳王は、酸素ボンベ付きの車椅子に看護婦さんが付き添っています。
ヒゲ冗段の車椅子は、背にざぶとんの奇妙なスタイルで、奥様が押しての登場。
両対局者が車椅子というタイトル戦は、おそらく、日本初の事でしょう。
二人とも、想像以上の早い時間に到着しました。
これには、訳があります。
移動するだけでも疲れが出る程の二人ですから、休養時間をたっぷり取って
体調を整える必要があるのです。

両者、暫くの後、呼吸が整い、対局開始に同意。
振り駒が始められた。 先手に決まった森崎鳳王の、2六歩。
指し手と同時に、カメラのフラッシュとスマホのシャッター音が響く。
後手のヒゲ冗段は、ややあって、8四歩。
戦型は、相居飛車に決まる。
                   
やがて、昼食の時間に。
現在は、勝負メシと関心度が高い分野。
森崎鳳王は、日航ホテル・御食事処“牛若”に、特注の 『 福勝カレー 』
                
九州では、魚の河豚の事を、フクと云う習慣があるらしい。
即ち、河豚(フク)を、『 福 』 と書いて、演技を担ぐのです。
一方、ヒゲ冗段は、やはり特注の 『 鴨ネギ南蛮ソバ(小) 』
鴨(カモ)がネギを背負って、やって来た。
両者とも、験を担いだ献立なのが面白い。
                      
どちらが気分よく食事が出来たかは、盤上の形勢しだいですが ・・・ さて?

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囲碁定石の勉強

2019-02-23 20:10:30 | ヒゲの盤上の世界
仲邑 菫 (ナカムラ スミレ)ちゃんの、最年少囲碁プロ入りのニュース。
世間では、9歳という年齢を話題にしてますが、ヒゲは少し違います。
ヒゲが感心したのは、こんな小さい時期から、韓国で修業したことです。
両親の意向が大きかった事は言うまでもないでしょうが、反日の国・コリアですよ。
派手な表現で言うと、まさに四面楚歌的な雰囲気の中に女の子が挑んだ!
スゴいことです。
                 
先日は、台湾の黒七段との対局もあった。
             
ヒゲ的には、藤沢女流本因坊とのタイトル戦を早く観たいものだ。
                 

ヒゲも昔(?)、ちょっと碁を勉強した時期がありました。
70年代に、関西棋院の京都支部の囲碁教室に、一ヶ月ほど通いました。
           
ヒゲが入ったのは、10〜15級クラスでした。
基本は、定石の “ 丸暗記 ” です。
特に、三々入りの定石は、念入りでした。

教室だけではなく、碁の上達書ものぞきました。
すると、面白い格言に出くわしたのです。

  ≪  定石は いったん覚えたら 忘れるがイイ  ≫
     ≪  定石を覚えて 二目弱くなり  ≫

「 何だ! コレは? (怒) 」
ヒゲ達初心者が、一生懸命に定石手順を覚える努力をしていると云うのに。
「 忘れろ! 」 だと~ (激怒)
腑に落ちず怒ったものの、やがて、ヒゲも理解します。
先ずは、定石とばかりに、三々打ち込みます。
が、その代わりは、相手に確定大場を取られてのトホホのありさま。
或いは、何気に打ってある石がシチョウ当たりになっていて、定石通りにはいかない事が。

人生と同じで、どこに落とし穴が潜んでいるか、わからないもんなんですね。
つまり、格言は、定石を 『 盲信 』 することを戒めているのです。
油断すること無く、自分の頭で考える必要性を説いています。

この格言は、囲碁だけでなく、飲食業にも大いに当てはまります。
レシピやマニュアルを盲信する危険性が、いかに多いことか。
そんな実例を、次の回に書いてみたいと思います。

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