田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

包丁始め

2020-11-18 17:32:24 | よもやま話・料理編
最近のブログ『熊本県魚②』のコメントで、思い出した事があります。
さても、ヒゲの父親の口癖が面白い。
曰く 「 大東亜戦争に負けたのは、食い物のせいだ。
     アメリカ人はステーキを食いよっとに、日本人な米ばかり。
     勝ツわけがなかろが! 」
ごもっともです。 (笑)
このユニークな敗因論のおかげで、小学生ヒゲは度々、ビフテキを頂く恩恵に
あずかった。
当時、栄養失調ぎみ(?)でヒョロヒョロのヒゲには、有り難いモノ!
                 
電車通りを越えて、東洋軒というレストランに入ります。
ヒゲは、サーロイン・ステーキなるモノを。
そして、生まれて初めてのナイフ&フォークに挑みます。
洋画の西部劇では観たことがあるけど ・・・ 
牛脂のタップリ付いた肉を、四苦八苦しながらカッティングをトライ。
              
2回目の来店の時です。
1回目では、四苦八苦して懲りたヒゲ。
今回は、最初から肉を切ってしまう作戦を思い付きました。
なるほど、これなら後は食べることに集中出来る!
グッドアイデア!?
カットが済み、フォークで刺して食べると、おかしいな~?
最初の時のステーキが美味しい!?
食べ終わって、プレートに沢山の血(肉汁)が残っているのに気づいた。
ひょっとして、コレが原因なのか?
             
その後の事、前回の失敗に懲りて、食べる分だけカットするヒゲ。
そんな体験が続く中、切り方で味が変わる事に、小学生はフッと気づきます。
まさか、そんな事があるものか?
同じ肉なんだぞ~と、疑心暗鬼です。
物は試し?         
左手の力を抜いて、フォークをソーッと刺し、ナイフをゆっくり動かしてみました。
すると、美味いのです。
更に、ナイフの動きを、押したり引いたりの工夫したら、スムーズに肉が切れます。
断面がツルッとして、肉は肉汁がタップリ残ってるのです。
切り方次第で旨くなる事を理解した、ヒゲの料理人人生の第一歩でした。
その後も、父の口癖は続き、孫(ヒゲの長男)がお供するように。
箸とナイフ&フォークを同じ様に使い始めるのでした。
         
      
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3 コメント

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記憶はおぼろ (batten)
2023-08-19 21:37:25
すんまっせん、東洋軒にひっかかりましたので。
先日、飲み仲間と昔の飲食店の話で盛り上がりましたが、
私ら昭和35年生まれにはあやふやな店がありまして、先達のヒげおやじ殿の記憶を拝借。
・下通の入り口あたりに洋食屋で螺旋階段があった記憶がありますがご存じでしょうか?
・小さな車にゼンマイネジがあって、そのネジが回りながら走っていた和食屋がありましたよね。
・味のこうらく?って地下でしたでしょうか?
・長崎屋にあったのはユニオンザセラー?それともユニオンスクエア?
・カイドウorガイドウって洋食屋があったときおくがありますが・・・・
・市役所の裏あたりに店名に翁が入る酒場があった記憶がありますがご存じでしたら。
・これは新市街なのですが、四ツ目饅頭さんに豚マンがあったと仲間が言うのですが・・・・。

個人的なことで申し訳ありません、よろしくお願いします。
返信する
らせんの記憶 (ヒゲ)
2023-08-21 14:33:14
小学生時代のヒゲ。
外食は専ら、銀丁食堂か?上通りの支那料理。
中学に入ってから、やっと東洋軒や、極たまにトーテムポールが在った洋食屋に。

螺旋階段の店はギリギリ記憶に残っているかも?
高校生の頃は全く外食習慣ナシ。
大学生時には、ユニオンスクエアに通い始める。
現・カアちゃんをナンパ?する為でした(笑)。
その店で驚いたのが、キープドリンクが
何処の店でも好きな様に飲めるシステムでした。

私より、内の嬶の方が昔の店を知っているかも知れませんネ!
返信する
味乃公楽 (ヒゲの秘書)
2023-08-21 17:04:34
懐かしい写真を、ブログとしてアップしました。
返信する

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