田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

安倍の尻をぬぐうのは誰だ③〜紙がない!

2020-05-10 18:40:13 | ヒゲの毒舌
映画 『 テルマエロマエ 』 でのワンシーン。
主人公がローマの公衆便所で用を足した折に、手にした物に興味を持った。
何か、棒の先にスポンジ状のものが付いていたような?
まさか海綿?? 
           
     
             ≪ こういう漫画が ≫

そのローマ帝国時代から随分経った日本。
未だ 橋が架かっていない 頃ではあるが、ヒゲ誕生後の熊本天草のトイレ。
なんと! 其処にはテルマエの世界が遺っていたのです。 (笑)

トイレにしゃがんで、大の用を済ませ、次は尻をぬぐう番です。
しかし、周りを見回し探しても、紙がない!
思わず、焦ってしまう瞬間。
もう一度見渡すが、縄がぶら下がっているだけです。
  「 なんだ? このは! 」
芸能界ならこう言う所 「 さて、この縄は何の為にあるのでしょう? 」
           
            ≪ 資料館の写真より ≫
この縄の使い方には、多少の習熟が必要です。 (笑)
よく見ると、縄には前の人が使ったウンチが付着しています。
それが、干からびた状態に!?
だから、先ず、縄をバンバンと塀に打ちつけましょう!
すると、縄から何か屑片が落ちる?
まるで、鰹節を削り損なった時みたいなモノが。
打ちつけた衝撃で、その固形物をはく離するのでしょう? (爆笑)
これで、前の人が使った痕跡( ウン跡!)を落とします。 
そうして、その綺麗になった(?)縄にまたがって、お尻をこすりましょうね!
            
                 ≪ こういう写真も ≫
それから数年後の熊本県荒尾。
小学生ヒゲは、四つ切り新聞紙を揉み揉みしながら用を足してます。
ハテ? この作業は何の為に?!
新聞紙をもみほぐして、軟化させるのです。
    ( そう云えば、 アースクウェークのブログでも書いたかな? )
こうすると、尻ぬぐいの時に痛くない。
熊本では 「 ジゴん巣を拭く時 」 とか言います。
同じ尻のアナを表現するのに、ここ荒尾辺りでは、「 ワケノシンノス 」 とも。
土地処で、何やら訳の分からない妙語があるもんです。
まるで、イソギンチャクを思い浮かべてしまいそうな!? (笑)
  
            ≪ ワケの汁と煮物 ≫ 

尻をぬぐって便所を出ると、軒先きに吊るした金属製の水タンクが。
底にある突起物を手のひらでプッシュすると、しばらく水が流れます。
両手で受けながら、ウオッシュハンドしましょう。
                  
アッ、今日はウンチク話が長過ぎてしまい、書く紙が足りなくなった。
             おやすみなさぁ~い   

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2 コメント

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長文失礼、ケツの思いで (batten)
2020-05-11 09:08:50
熊本は田舎生まれの家内と記事を拝見しました。

かなーり前の中国や東南アジアの公衆トイレモドキで鍛えた私達でも紐縄は未体験です。
上海の大便用でただ穴があいた板の間、仕切りなしで前の方のケツ丸見えなんて懐かしいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

少し、書き込みが長くなります。
家内が誰のブログって聞くから田園の・・・と言いましたら懐かしいねと。

思い出せば、西銀座通りは結構通った店があります。いや、ありました。
10代の飲みも飯もの頃は「駒鳥」でした、同級生が息子の嫁に入ってました。

おても寿司や赤のれんがあった路地の角に「しみず」って24時間食堂がありました。
家内が確か田園ビルに移転したろ?と言います。
私は通りが違いますが「花やぎ」か水前寺駅通り界隈で飯食ってました。

松石パンのカジュアルレストランがありまして、料理長が同級なんですが
鞍替えし鶴橋に入って和の職人になり行方不明です。
酒呑(ササノ)さんがある店の隣だったと思いますが、知り合いが短期間ですが商売してまして店名はジジババでした。
水戸黄門って居酒屋の地下にマスカレードってバーがありましたし、
今はドンキの所が昼はブティック夜はバーで、田崎の魚屋のドラ息子が店長でした。
向かいの甚兵衛には知人が婿に入りましたが閉店しましたね。
栄通りとの角やら釜飯屋が街中にありました。今時は釜飯は不人気なんでしょうか?

海王丸があるビルの地下には田吾作OBの元同僚が小さな店をやっています。
今でも帰省したらブラブラしてますが、知ってる店が無くなり街は変わってしまいました。

あ、タイトルですがテアトルだったか2本3本立てのエロ映画かんがありまして
紅顔の私が見入ってましたら横のオジサンが愚息と睾丸を触ってきまして立席に避難
避難したら別のオジサンからケツを触られた思い出があります。
今は昔 (ヒゲ)
2020-05-12 18:03:25
栄通りの田園時代。
当時は深夜2時までの営業しており、たそがれクラブのアフターさんがメイン客。
主に寄せ鍋を提供していました。

シャッターを下ろすのは3時近く。
朝から仕事のヒゲ達は腹ペコですが、開けてる店はありません。
そんな時、駒鳥さんのネオン。
パリ麺と餃子にビールで腹を満たして帰宅。明日への英気を満たしたモンです。

しみずさん、酒呑さん、海王丸さん、みんな田園ビルのテナントとして活躍して頂いた。

ところで、その上海便所では、尻ぬぐいのモノ?は、
何があったのでしょうか?少し気になります、笑。

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