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莫大な税金を使って冤罪はつくられる

2011-05-24 | 日記・エッセイ・コラム

                 

 布川事件再審で、無罪判決がでた。まだ検察が控訴を断念してないから、無罪が確定したわけではない。だが、冤罪の可能性が高い。

 冤罪は、多額の税金をムダにしている、という事実を、国民は自覚してない。冤罪は、自分らの金、税金を莫大に使って成立している、ということだ。この冤罪の、金銭的な視点が国民にない。これも、いつまでたっても冤罪がなくならない、その原因のひとつだ。

 莫大な税金を使って、無実の人の人生をぶち壊し、そして、最悪なことに、莫大な税金を使って、みすみす真犯人を取り逃がしている、ということ。じつに愚かなことだ。その冤罪をつくる費用を、国民が負担していて、その国民自身に、その認識がない。だからいつまでたっても、冤罪はなくならない。

 きょう無罪判決がでた布川事件でも、もし無罪が確定すれば、有罪判決で29年刑務所にいた二人に、2億円前後の国家賠償をすることになるだろう。国民の金だ。これは、捜査を指揮した警察官と、訴訟を担当した検事が、国庫へ与える大きな損害だ。裁判官もまた、責任は重い。

 この金は、その責任者たちに返還請求をするべきだろう。だが、いまの法では、公務員に金銭的な責任を負う、そんな義務はない。だから、ダメなのだ。冤罪が確定した事件では、捜査の指揮官と訴訟の責任者、そして、有罪判決を下した裁判官に、ムダにした税金を負担させるべきなのだ。そう、捜査と裁判の責任者、その個人に、捜査と裁判に使ったすべての費用を請求するのだ。

 警察、検察を監督する最高責任者、大臣の責任も重い。政治家も、冤罪の金銭的な責任を負うべきだろう。(当時の大臣にも、冤罪に費やした税金の賠償請求するのだ。死んでいれば、相続人に請求するのだ)。

 しかし、いま、警察も検察も、失敗の金銭的な責任は、いっさい負う必要がない。だから、悲しいが、永遠に冤罪はなくならない。(人は、自分のフトコロが痛まないかぎり、真剣にならないものだ。自白を強要して、無実の人の人生を破壊しても、およそ他人事。上司に指示されている現場は、自分の身が大事。正義もクソもない)

 冤罪の金の問題は、無実で留置所、刑務所にいた期間の国家賠償だけでない。無実の人を自白に追いこんだ、警察の捜査にかかった莫大な税金。検察が、冤罪をでっち上げるのに使った、莫大な税金。そして、裁判にかかった莫大な税金。その税金のすべてが、ムダ、無意味だ。それどころか、冤罪という重大な国家犯罪に税金が使われ、国民ひとりひとりは、間接的に冤罪に加担している。つまり、でっち上げの重大犯罪の費用負担を、国民がしているのだ。

 ともかく、冤罪にかかわった公務員たちから、経費、給料、賠償金、使った税金すべて返してもらうことだ。本人が死んでいれば、資産・財産を相続した遺族に請求する。それが、冤罪を防ぐ唯一の方法かな?

                        

 徳島ラジオ商殺人事件、という、じつに悲惨な冤罪事件がある。事件は、1953年(昭和28年)に起きた。強盗殺人事件だ。一年たって、捜査にいきづまった警察と検察は、あろうことか、殺害された被害者の妻を逮捕する。

 (寝ていたラジオ店主人を殺害して逃亡する犯人を目撃した、住み込み店員がいた。この少年も、警察と検事に、脅しつけられ、当初の証言を変え、侵入者はいない、という調書にサインをした。この少年の人生も、公務員たちの間違った捜査のために、破滅した)

 妻は、自白を強要されて犯人とされ、裁判で有罪になり、懲役13年の刑をうける。服役して出所した冨士茂子さんに、再審で無罪判決がでたのは、1985年(昭和60年)のことだ。事件から、じつに32年がたっていた。このとき、すでに冨士さんは、ガンで亡くなっていた。死後6年、やっと無罪が証明されたのだ。哀しい話だ。

 この徳島ラジオ商殺人事件に関しては、いくつか本がでている。わたしは、十代のとき、開高健の『片隅の迷路』(1962年)で、この冤罪事件の恐ろしさを知った。

 『片隅の迷路』は、この事件をモデルにした小説だ。フィクションだが、無罪が確定してみると、かぎりなく事実に迫るドキュメンタリー小説だとわかる。

 警察と検察に、自白に追いこまれ、絶望して、心が折れていく女性の心理描写は、真に迫る。昼夜を問わずつづけられる、脅迫じみた自白の強要と、娘をつかった泣き落としに、心が折れる。捜査官が書いた作文の、やってもいない、夫殺しの自白調書にサインをする。そして、被告の証言が、まったく聞き入れられない、不条理な裁判。有罪判決を下した、無能な裁判官の罪は、じつに重い。

     

 読んだのは、もう40年以上も前のことなのに、読んでいたときの、いら立ちと歯がゆさ、やりきれない気持ちと恐怖が、いまもよみがえる。

 巨額な税金を使って、警察・検察・裁判官、この役人たちがよってたかって、無実の女性の人生をメチャクチャに破壊する。その身内・家族の生活も破綻させる。しかし、無罪と明確に証明されても、無実の市民を追いこんで、犯人にでっち上げた公務員のだれ一人責任を問われない。ひどい話だ。日本の不条理。日本の闇だね。この司法の役人たちの、やりたい放題の尻拭いは、国家賠償という、またまた国民の血税だ。

 税金で冤罪をつくり、税金でそれを償う。バカな話だ。

             

 弱い立場の無実の人が、いかにして犯人にされ、有罪になるか、日本の冤罪の現場をリアルに体感できる小説だ。ぜひ、読んでほしい。開高健は、凄腕の作家だ。もうすこし生きていてほしかった。

片隅の迷路 (創元推理文庫)

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  国民に、冤罪のコスト意識みたいな、税の現実感がないかぎり、冤罪はなくならない。被告の人権とか、心情、感情論をいってるかぎり、冤罪は、永遠になくならない。問題は、税の費用対効果なのだ。ムダに税金を使うな! と、警察と検察に言うべきだろうな。 

 


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