Ommo's

古い曲が気になる

ラーメンは、大鵬、たんきち、川北屋

2009-09-30 | 日記・エッセイ・コラム

帯広三条高校の前に、食堂が二軒あった。大鵬と常磐(ときわ)だ。

右側の常磐は、いい人の入る店。左の大鵬は、悪い人たちのたまり場。まあ、そんな感じだったかな。常磐は、女の子たちが、パンを買ったり、ラーメンを食べる普通の学園前食堂だが、大鵬で三年間、女の子のお客をみたことがない。女の子や運動部でない生徒は、恐ろしくて入れない。それが、大鵬食堂だった。

帯広柏葉高校にも、ラーメンの安い学食があった。わが三条高校山岳部部長で、応援団長の国枝幸吉さんのお母さんがやっていた店だ。(部長・国枝幸吉さんが亡くなったことは、すこし前に書いた)。わたしは三条生だが、よく柏葉の学食でラーメンを食べた。

三条高校の前の大鵬食堂は、運動部の生徒たちが集まる店で、とても普通の一年生が入れる雰囲気ではなかった。しかし、わたしは山岳部員だ。山岳部の部長は、応援団長なのだ。そういうわけで、一年生のわたしも、恐ろしげな運動部の三年生のなかで、おびえながらラーメンを食べた。

当時、帯広三条高校は、運動部も文化部も、とても強かった。どの部も全国大会レベルだったのだ。わが三条山岳部も、国枝先輩と前田先輩が国体に出場した。

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娘夫婦が、北海道で夏休みを過ごして帰ってきた。帯広の北京亭のラーメンをはじめて食べた、という。濃厚スープで油ギンギンだったろう? とたずねると、いやぜんぜん、という。普通のラーメンだった、という。

そうなんだ、とやっと気づいた。いま、行列のできるような流行のラーメン屋は、濃厚豚骨スープに、魚介類のダシ、背脂たっぷりというコテコテのラーメンだ。そういうラーメンを若者は食べている。ハンバーガー、焼き肉を日常的に食べている人たちだ。昭和20年代の、戦後の食料難の時代に生まれ育ったわたしとは、基本の味覚が違う。わたしが濃厚だと思っていた北京亭ラーメンも、若者には驚くほどのものでもないわけだ。

それにだいたい、わたしは、屋台や学食で食べたような昔ラーメンが好きなのだ。支那そば、東京ラーメンというやつだ。透き通るようなスープで醤油味。具は、支那竹とチャーシュー一枚、きざみネギぱらぱら。

銀座・数寄屋橋交差点の東芝ビル地下に直久というラーメン屋がある。新宿とか色んなところに支店があるチェーン店だが、このラーメンが好きだな。帯広で、子供のころ食べた、川北屋とか、たんきちのラーメンとおなじなんだ。そう、三条高校前の大鵬食堂のラーメンだ。

有楽町か日比谷で映画をみて、直久でラーメンを食べる。このコースがいい。むかしの帯広では、オリオン座か日劇で映画をみて、たんきちの塩ラーメンを食べる。その感じかな。

いまでも、銀座・直久のラーメンは、450円だ。まあ、支那そばで、それ以上とったら、怒る。しかし、銀座5丁目の立地で、450円のラーメンを出しているのは立派だ。

   銀座・直久  ホームページ http://www.naokyu.com/1160103220871/