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古い曲が気になる

割り勘の思い出

2009-09-19 | 日記・エッセイ・コラム

1276  散歩道にある高速道路

金曜の夕暮れ、近所の道路。左が一般道(357号、湾岸線)。東京から千葉方面に帰る車。右の六車線が、高速道路(東関東自動車道)。右側のこっちに向かってくる車が、千葉から東京、川崎、横浜方面に帰る車。

東京から千葉に向かう(帰る)一般道は、大渋滞だが、高速はすいてる。不景気で、高速料金を出さない会社が多いし、自腹の人たちは、一般道で通勤する。

写真では見えないが、右はじ、高速のフェンスのむこうに、千葉から東京方面にもどってくる一般道357、湾岸線の上り車線がある。ここも朝夕は大渋滞だ。

東京にもどってくる流れは、高速も一般道も混んでいる。すぐそばに東京ディズニーランドがあるので、土日休日の夕方は、一般道も高速道路も、上りも下りも、とんでもないことになる。

(ガス工事の警備員をやっているとき、半年くらい千葉市内の現場に車で通った。千葉市から渋谷の会社まで帰るのに、3時間かかるなんてのは、毎日だった。距離は、40数キロ。夕方5時に現場をおわって、10時に渋谷に着くなんて日もよくあった。ただでさえ混んでるのに、事故渋滞が日常的にある。40キロを5時間。自転車のほうが速い)。

1269

住宅街の画材屋さん

                  

「勘定は、割り勘にしましょう」と、取引相手にいわれてあわてた。というサラリーマンの会話をきのう書いた。そのサラリーマンの人たちの話を聞いていて、遠い昔のじぶんの愚かな失敗を思い出したのだ。

割り勘にすると、会社に領収書をだして請求できないから、自腹を切らなきゃならない。わたしは、この仕組みに気づかなかった。知らなかったのだ。

たしかに、もし、取引き先の社員がレジで割り勘の支払いをすませたあと、その領収書ください、とはいえまい。逆に、じぶんがレジにいって支払い、領収書を手にしてから、相手と割り勘の精算をするか? その領収書を会社で精算すれば勘定の半額をフトコロにできる。しかし、せこい姿をさらしたあとも、信頼されて取引がスムーズにいくか? 微妙だ。

              

かって北海道の帯広でレコード屋だった、30年以上むかしのこと。わたしは東京にやってきて、あるレコード・メーカーのディレクターと食事をした。飯のあとの二軒目は、バーだった。勘定になって、「さっきの店はごちそうになったので、ここは、わたしが……」と、わたしはいった。その当時は、興行がうまくいっていた。ちょっとフトコロに余裕があったのだ。(わたしにも、そんな時代があった。なつかしい)。

「とんでもないですよ。わざわざ打ち合わせのために、東京まで来ていただいたんです。そんなわけにいきません。支払いは、わたしが」

しかし、そのときわたしのココロでは、口にした言葉の引っこみがつかなくなっていた。見栄だ。(なにせ、フトコロが豊かだった。持ったことがない金を突然持つと、愚かにも、こうなる。)

なんとしても支払いはじぶんがする、と相手に強くいわれればいわれるほど、気持ちが硬直していった。『北海道の田舎のレコード屋だから、馬鹿にされているのか、ナメられているのか』と、卑屈なひがみの、怒りのレベルが上昇していく。そして、沸点に達した。

「それなら、割り勘にしましょう!」と、わたしはいった。

二日酔いの翌日、帯広へ帰るYS-11のなかで、前の晩のことを考えた。いかにじぶんが愚かだったか気づいた。無意味に突っ張って、人に迷惑をかけてしまった。かれは、領収書を会社にだせばいいだけのことだった。レコード業界は、バブルの真っ只中だったのだ。