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新川、夕暮れ

2009-09-10 | 日記・エッセイ・コラム

1155  旧江戸川、午後五時。左が東京、右が千葉。前方左側に、新川がある。

1162  夕暮れの新川。日が沈む方向が、都心、東京駅あたり。

新川は、江戸時代初期(1594年~1629年)に掘られた運河だ。江戸川と荒川を直線的にむすんでいる。下総(千葉)行徳の塩田から江戸城に、塩を運ぶために掘削された。新川から中川、荒川を渡ると、小名木川にでる。小名木川も運河だ。荒川と隅田川をつないでいる。

隅田川からは、日本橋を通って、江戸城外堀にでる運河が整備されていた。

Yoroinowatashi  日本橋小網町の倉庫群

つまり、江戸・日本橋から船で下総(千葉)行徳まで、直線的にいくことができた。幕府認可の24人乗りの客船も就航して、旅客や野菜、魚介類、米を運んだ。最盛期には、この船、行徳船は、68艘に増え、午前6時から午後6時まで運行していた。

いま、東京メトロ・東西線が、江戸時代の、その運河のルートとほぼおなじコースを走っている。日本橋から、木場、浦安、行徳を通って、千葉・西船橋に着く。

芭蕉も、深川からこの船に乗って、小名木川、新川を通って江戸川を渡り、行徳宿から奥の細道の旅にでた。

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これが、江戸川の下総(千葉)側の船着き場跡。常夜燈という灯台だ。灯りを点けて、日暮れに川を渡ってくる船の目印にした。江戸川の川幅は、広い。海が、すぐそこだから、上げ潮、引き潮の潮流の変化は激しい。手こぎの船で、夜、江戸川を渡るのは、けっこうたいへんなことだったろう。

だから、新川の水門と、この対岸の船着き場は、2キロくらいはなれている。矢切の渡しのように船着き場は、正面の対岸ではない。東京側の新川から江戸川にでると、上げ潮にのって上流をめざして、この常夜燈に着く。千葉側からは、引き潮のとき出航して、下流にくだり、新川水門に入る。きっと、そんなことだったんだろう。